Monthly Archives: January 2014

日本語はどこへ行くか?1

堀川正美が吉増剛造とマリリアの結婚を祝って書いた「祝婚歌」は多分現代日本語の歴史のなかで書かれた最も美しい日本語であると思うが、あの堀川正美を尊敬してやまない詩人の結婚を祝福するために書かれた日本語を読む人は誰でも、英語ではエズラ・パウンドやディラン・トマス、あるいは少し妥協してT.S.エリオットのようなひとびとが書いたものを読めばあたりまえのこととして頭にはいっていく「芸術表現において巧妙であることの重要さ」というものが、日本語芸術においても、通常考えられているよりも遙かにおおきな要素であることに気が付く。 英訳された夏目漱石が退屈な文章と感じられるのは夏目漱石の生きた時代の社会の常識がいまの日本とは飛び離れてかけ離れているからで、読んでいると、なんだかあたりまえのことがくどくどと書かれているような、なぜ真っ直ぐの道があるのにわざわざ迂回して書くのか、という気持ちになるが、ところが同じ夏目漱石を日本語で読んでみると印象はまるで異なって、気が弱い人なら胃が重くなって気が滅入ってしまうような思想的なスリルに満ちている。 正に英語で訳された夏目漱石が凡庸で日本語で書かれた夏目漱石が素晴らしい文章をなしているその事実によって、ふたつの言語で読んだ人は夏目漱石がいかに偉大な小説家であったかに気が付いて、知って、びっくりしてしまう。 北村透谷が「処女の純潔を論ず」というとき「処女」も「純潔」も現代語の「処女」や「純潔」とはまるで異なる意味で用いられていて、偏差を修正しながら読んでいかねばならないが、明治初期の人であった北村透谷にとっては、自分が語るべき対象を話すのに適した日本語が存在しない場所で新しい思想と情緒をつくりだしていかなければならない、というおおきなハンディキャップがあった。 江戸言葉のおおきな影が射している日陰で日本語を書かなければならなかった透谷の辛酸は夏目漱石の時代になっても、まだ引き継がれていた。 夏目漱石の「漱石」はよく知られているとおり「枕水漱石」の故事から取ったものだが、夏目漱石は、書いた文章のあちこちに骨格が浮き出ているとおり、読んでもどうしても日本人が書いたものとは信じられないくらい、中国人から見て新しく発見された中国の古典文だとしか考えられない漢文を書く人だったという。 大学教授として専門だった英語のほうは終生外国語の段階で終わってしまったが、江戸言葉で育った漱石はまた能楽の謡をすべて暗誦していたひとでもあった。 (木曜会について書いたものには漱石の謡を聴かされる弟子達の「苦しみ」がよく出てくる) 北村透谷は自殺する前年の1893年に銀座の街頭で見た日本人たちの姿を呪って、 「今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義は根蔕を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪へず。その事業その社交、その会話その言語、悉く移動の時代を証せざるものなし。」 と書くが、この怒りと絶望について話す時には特有なスピードのある透谷自製の言語は、ゆったりと構える機能をもった漱石作製の日本語のような「笑い」「諧謔」「そっぽ」というような機能を備えていなかったので、やがて北村透谷の日本語はドアをすべて閉じた部屋に透谷を閉じ込め自殺に追いやってしまう。 言語で自己を表現する人間にとって最も大切なものはなによりも言語への感覚であることはいうまでもない。 透谷の若いときからの友人であった島崎藤村にはじまって、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、というような、たとえばニュージーランドなら高校の課程でフランス語についで二番目に多い必修外国語である日本語履修者たちが長じて悪戦苦闘しながら読む小説群を書いたひとびとは、いずれも日本の詩の黄金期のひとたちであり、本人が抒情詩人として出発した島崎藤村はもちろん、詩人の佐藤春夫と奥さんを取り替えっこしてしまった谷崎潤一郎、田村隆一にいっぱい飲み屋で詩論争をふっかけて殴られて痛かったと書き残している大江健三郎も、熱心な現代詩の読者だった。 ついでに書くと小林秀雄や大岡昇平というような人は生活も文学も骨がらみ中原中也の天賦の才のすさまじさに畏怖を感じ、脅かされていたひとびとであったのは、これも、よく知られたことと思う。 どれほど巧妙に物語の仕組みを考案して、設計して、素晴らしい企みを発揮しても、言語の感覚が悪ければ、それはよく出来た紙芝居にしかすぎない。 日本語に感応できない読者を獲得できるだけで、文学とはなにか異なるものだと言わないわけにはいかない。 大学内の小劇場で、安部公房の深刻な演劇が行われている席に座って、そこまではみな熱狂性の沈黙のなかで耳を澄ませていたのに、棒が壁をこえておちるところで、土砂降りの雨のあとの土の地面に落ちたはずの棒が「コンッ、カラカラカラ」というような音を立てて転がるという擬音だったので爆笑が起きてしまって、そのあとは散々で、まだ劇が終わらないうちから三々五々席をたつひとが多かったが、言語の感覚がわるい作家の書いた物語は要するに、そういうもので、マジメに読む進んでいくことができない。 「文はひとをあらわす」というが、正しいとは言えなくて、ある人間の頭に詰まっている言語は「あらわす」というより、その人間そのものである。 野卑な言語を口にする人間は必ず野卑である。 イギリスのスタンダップコメディに典型的だが、野卑でない人間が野卑な言葉を使うときには自分を構成している言語が「道具としての言語」を使役する。 同じ言語という名前を冠されていても、まったく違う、ベクトルが反対の向きにおいて使われる。 何回か書いたと思うが、好きな冗談のひとつにもてない学生が言う「おれは女みたいに微分できないものは嫌いなんだ」というのがあるが、「数学の言語の体系」が頭にはいっている人間は数学という言語が理解できない人間とはまったく異なる宇宙のなかで生きているのは周知であると思う。 「音楽に国境がない」というのはオオウソで音階は作ったひとの文化や言語に直截間接に影響されるので明瞭な国境が感じられるが、数学には文化別の違いがやはりあっても本質的に世界じゅうで単一の言語であるという特徴がある。 あるいは違ういいかたをすると人間性が数学言語からはすっぽり落ちているので、街角でふたりのチョー美人が並んで歩いてきても、要するにそれは不完全な「2」が自分に向かって迫ってきているにしかすぎない。 日本語の最大の魅力は少数派の、しかも極めてヘンテコな言語であるのに、ながいあいだ普遍性をもっていたことだった。 日本語では宇宙の限界から、極めて厳しい論理構成をもった真理の追究、やわらかな情調に至るまで、広大な対象について話すことができた。 新しい思想をあらわす言葉の部分、たとえばカタカナ言葉が文の構造のなかで、最も取り外し可能な、伝統的な構文に影響しないところに位置できる日本語の幸運もあったが、それよりも日本語自体が漢文の注釈のようにして発生した背景にもよるのだろう。 もうひとつの魅力は日本語が普遍語としての歴史が長いのに唯一神の影がうすい言語であることで、真理が「間柄」によって決定されてしまうという「絶対性の欠如」という欠点も同じところから生まれたように見えるが、絶対を仮定すると説明するのが難しいことが増えて、次第に「神」というような「絶対」を仮定すると世界がうまく説明できないことが明らかになったいまの世界においては、誇張ではなくて、日本語は言語として福音になりうる。 いったいに、ひとつの言語が死に瀕するときには、その言語の表現が攻撃性を強めるようにみえるのは、言語一般の特徴だが、そういう意味では日本語には死相があらわれている。 長くなってきたので飽きたが、同じタイトルをかぶせたブログ記事の次の回からは、日本語の特徴が何で、ここからどこへ行こうとしているかについて書こうと思う。 Advertisements

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個人と社会と

人間の歴史に最も影響を与えた「個人の死」はアルキメデスの死だろう。 バートランド・ラッセルたちが指摘しているとおり、アルキメデスが死ぬまぎわに考えていたことはアイザック・ニュートンの微分の概念に限りなく近かったと信ずべき理由がある。 地面に描いた円周に踏み込んだ泥酔したローマ兵を怒鳴りつけた結果、剣で刺し殺されて死んだ、短気で気難しい老人と同じ思考に人間が再びたどりつくのは、アイザック・ニュートンまで、なんと2000年も経ったあとのことだった。 アドルフ・ヒトラーを生み出したワイマール共和国の社会はヒトラーがたとえばソンムの塹壕で若い兵士として戦死していても、結局は他の「ヒトラー」を見いだしていただろう、という議論がある。 アドルフ・ヒトラーというひとの意外なほどの個人としての能力の乏しさを考えると、案外とそうなのかもしれない、と思わせられる。 描いた絵をみれば判るが、審美的感覚も通俗的で野卑だったこの独裁者は、軍事面においても、通常考えられるよりもかなりはやくから様々な戦略上戦術上の誤謬を犯している。 誤謬を犯している、というよりも初めから最後までデタラメな指揮ぶりでダンケルクでイギリスとフランスの軍隊を取り逃がしたときからモスクワの50キロ正面で膝を屈してしまうところまで、その後はさらに言うまでもない、デタラメにつぐデタラメで、ただひとつ軍隊という官僚主義のきわめつけのような組織に対して官僚主義的な縄張り主義やグダグダといつまでも続く言い訳をいっさい認めない(ヒトラーほど将軍や将校の処刑が好きな人間は共産主義諸国家以外では珍しかった)という「確信に満ちたド素人」の態度を保つことによって緒戦においては再生ドイツ軍の潜在能力を引き出しただけである。 同じように虐殺者として歴史に名前を残した人間でも、毛沢東は、やや異なる。 毛沢東は第一義的には「漢民族の回復者」だが毛沢東の脳髄から生まれた思想は極めて魅力的で世界中の人間の政治思想に刺激を与えた。 漢民族支配の回復と中国の統一という輝かしい成功から大躍進政策と文化大革命という惨めな大失敗に至るまで、どの事象にも毛沢東という人格の明瞭な刻印があって、彼以外では考えられない一種の青空へ突き抜けてゆくような、あっけにとられるような野放図さ、西洋の価値観に真っ向から挑戦する中国的永遠に基づく思考というべきものを感じる。 いまの中国は観察者には非常に興味深い国で、国内に「冷戦構造」というべきものを自前で持っている。新左派と経済派はことあるごとに対立し、双方が左手で人民解放軍を抑えつけながら右手では握手をしてみせたり殴り合いをしたりで、新法党と旧法党をおもわせる対立が続いている。 そこに緊張がうまれ、お互いを監視する力が働く政治力学的な様相は、ちょうど冷戦時代のソビエトロシアとアメリカ合衆国がもっていた構図に似ている。 そのダイナミズムが生まれた元をたどってゆくと鄧小平が短い首を肩に埋めるようにして座っていて、さらにその向こうには毛沢東が立っている。 ブログなので具体的なことは省くが中国という国全体にあまりにも毛沢東の色彩や体臭がこびりついていて、何が「中国的」で何が「毛沢東的」なのか区別がつかないほどである。 いまの表層だけをみれば(現実には決してそんなことはないが)共産主義を否定してしまったかのようにみえる「まず食べられるようになる」政策が鄧小平に発していることは世界中でよく知られているが、鄧小平は毛沢東の熱狂的な、「ファン」と呼びたくなるくらい素朴な、質朴な農民風の支持者であったことは、あまり世の中に知られていないのかも知れない。 日本では公的な個人は社会制度の一部で、表徴にしかすぎないので、歴史的に最も影響を与え続けて来た天皇という存在であっても、たいして個性をふるうことはない「社会から与えられた要求と役割の実行者」にしかすぎなかった。 トラウトマン工作を蹴っ飛ばして、戦争事態の終結を図った陸軍と海軍をびっくりさせるほどの機会主義者ぶりを発揮して日本がひきずりこまれてゆく地獄への門を直截ひらいた近衛文麿や、自分の、長い孤独なアメリカ生活の体験から生まれた奇妙で不思議なほど的外れなアメリカ人観に基づいてアメリカを挑発する愚を犯して、戦後においてまで昭和天皇に蛇蝎のように嫌悪された人物として知られるようになった松岡洋右のように、要所要所で個人の判断が国運を左右した箇所はあっても、それは執行者としての権能の内部での失敗で、個人の人格そのものがおおきく社会に影響する、というようなことは織田信長のような戦国大名を最後にみられなかった。 ふつう、個人にとって「自分が社会に与える影響」などはどうでもいいことである。 個人が社会に与える影響を強くすることが個人の達成であると考えられる傾向をもつアメリカ文明などは、通常の文明で育った人間にはうけいれがたい気がする。 アメリカ人ひとりひとりはそれぞれがショールームのようなもので、派手で美しいショールームの前には人垣が出来て、それに応じてショールームのなかの個人が富むようにできている。 アメリカではインターネット上の活動が実名で行われることが多いのは、主に自分の名前が知れ渡れば知れ渡るほど機会が生まれオカネガモーカルという身も蓋もない事情に拠っている。(逆に日本語世界では匿名が多いのは有名になることがオカネガモーカルにつながらない上に日本社会の体質である集団的サディズムのせいで悪いことが起きる可能性のほうが遙かに高いからだろう) アメリカ人は個々の自由でまったく独立なアメリカ人というひとつひとつが閉じて完成した一個の宇宙である人格が集積して「偉大なアメリカ」という自分たちの祖国が出来ているのだということを実感を伴って信じているので、個人が公開の存在であることに、他国人が考えるよりも社会にとって本質的な意味があるようにみえる。 だが、ふつうの人間は自分が社会に与える影響というようなことは二義的な結果にしかすぎないので、まず自分が幸福になることを考えるはずである。 英語世界にも家庭を犠牲にして研究活動に没頭してしまう、あるいは事業の拡大に夢中になってしまう、というひとびとはいるが、通常は病的な生き方であると忌避される。 グレイの詩だったかに、求愛された美しい少女が、あなたの瞳はなんて澄んでいるのでしょう、あなたの逞しい胸はなんと魅力的なのでしょう、と言い寄る若者の容姿を賞賛したあとに、 「でも、あなたは忙しすぎて恋には向かない、忙しい人に真の恋はできない」と述べる所があったが、聡明な少女というべきで、そのとおり、公的な活動に忙しい人間には、ちょうどF1レーサーがピットいりするときのように、つかのまの休息やつかのまの幸福感はあっても、真の幸福のなかで暮らすわけにはいかない。 忙しい人間には、もともと幸福になるための第一条件が欠けているのだと思う。 社会にとってきみの代替品はいくらでもあるが、というのはつまり社会の側からみるときみがどんなに貴重な人材だと自負していても必ずきみという存在は交換可能な部品にしかすぎないが、きみ自身にとってはきみ自身はかけがえのない存在で他のものと交換できる可能性は考えられない。 あるいは、たとえば最近のアメリカの富裕社会では、ちょうど古くなったクルマを売ってメルセデスの新車に買い換えるように、古くなると、妻を新品の見た目もよいものに変えるのが流行しているが、配偶者にとっては交換可能なパートナーにすぎなくても、ここでも依然として自分にとって自分自身はかけがえのない存在である。 社会や他人から見て互換性がある人格が多く存在して交換可能であるのに自分にとっては自分が交換可能でないという事実は、自分がどんなふうに生きていかなければいけないかを示唆している。 なるべく早いうちに自分の内なる声のなかから、たとえば両親の声であるとか、きみの数学と物理の成績への同級生の羨望であるとか、自らの声に紛れている他人の声を選り分けて捨ててしまい、たいていは微かな、やっと聞こえるかどうかにすぎない低い声で述べられている「自分自身の声」に耳を澄まさなければならないだろう。 たいていの場合、「自分の内なる声」は自分がふだん想像もできないことを懸命に述べ立てているので、「もうあんな学校には絶対に行きたくない」「もうがんばりたくない」というようなことを述べていることも多い。 そういうときに、ほんとうはもうがんばったりしないほうがいいのではないか、とじっくりと考えてみることは、ほとんどの場合、自分に自分の一生を与える、というか、そこでやっと「生きはじめる」という結果になることが多いように見える。 生まれてから死ぬまで誰か他人の一生を生きてしまう人というのは、びっくりするほど数が多い。 ドイツ人の社会には「頭さえ良ければ血を見るのも嫌な人間も医者になる」というチョーくだらない習慣がいまでも色濃く残っているが、ドイツがヨーロッパの辺境として、言わば国ごとイナカモノであった時代の名残で、不幸にも、頭の良い子供ほど、自分の一生ではなくて、他人が夢見る一生を医師としてすごす人が多かった。 ずば抜けて数学と物理と化学が出来ても、ほんとうはそれと共にずばずばずばずば抜けて文学の才能があって、ドイツにもシェークスピアが生まれたかも知れないのに、いつまでたっても注射のために患者の静脈をさぐりあてることすらおぼつかない自分にうんざりしながら、医師として働き、休憩時間に詩を読んで自分をなぐさめる凡庸な医師として死んでしまった人間は、きっと、これまでにもたくさんいたのに違いない。 読んでいて気が付いたと思うが個人が社会に影響することは滅多になくても、社会が個人に影響する力は間断なく働いて、しかも強い。 よほど気を付けて自分自身という自分の最大の友達を社会の眩惑から守らなければ、彼もしくは彼女は、あっというまに社会の方角へ掠われて、残された自分は社会が浸潤した、自分なのか社会の一部なのか、判然としない半透明体のようなものに変わってしまう。 たとえばテレビをいっさい観ないことにするだけでも良いから、社会から洪水のように自分のなかへ渦巻いて流れ落ちてくる共鳴音を断って、自分自身の魂があげる、微かな聴き取りにくい声を聴くことにしか始まりはありえないのは、そういう事情によっているのだと思います。

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The Island

1 この頃は釣りをするのでも釣り竿をふるのはめんどくさいので、ボートの後ろからケーブルを張ってトローリングをする。 でっかいルアーをつけて引っ張っていると、ヒラマサやミナミマグロ、カツオがかかります。 停泊する湾では、(ここがハウラキガルフの真鯛の「ホーム」なので)「目の下三尺」の真鯛が釣れる。 特別の仕掛けは必要はなくて、小さなシンカーに臭いが強い餌をつけて(真鯛はボートが立てる波音を怖がるので)舷側から遠くに投げてやれば良い。 あるいは伊勢エビを捕る壷を仕掛けて、次の日に見に行く。 伊勢エビが捕れるのはもちろんだが、タコや、どうかすると(滑稽なことに)大きな真鯛が壷にはまり込んでいる。 午後になればモニとふたりで潜ってホタテ貝を捕る。 なんのことはない、住宅地と同じことで、近所のモアリングから友達が訪ねてくる。 銀行家、スーパーマーケット社長、ヨットデザイナー。 皆で採れたばかりの魚を食べる。 白ワインを飲んで冗談に興じる。 とっても「遅れた」国であるニュージーランドでも、粉わさびや「ポン酢」は(ボート人のあいだでは)普通に普及していて、トンガで学んできた調理法を披露する人もいる。 JJがカナダでボートを買って、ニュージーランドまで回航したときの話をしている。 見渡す限りのブルーウォーター。 死にたい、死にたい、と思い詰めて、それでも退屈を渡りきる魂の技術。 株投資家のVは、最近75フットのボートを買ったばかりで、わしやJにトンガへ行くには5月末がいいか6月の半ばのほうがいいかを熱心に訊いている。 小さな小さなディンギイに乗って漁師のJM夫婦がやってくる。 16人がゆったり座れるJJのボートのラウンジも、さしもの、いっぱいになる。 JJの奥さんのSの右肩に夕陽が沈んでゆく。 わしは目を細めて沈む陽をみている。 夕陽が沈んでゆく。 見慣れた光景なのに、(あたりまえだが)ほんとうには見慣れることがない。 激しい陽光と、色彩の歪曲。 不意に、「世界はすごくヘンだ」というアメリカのSF作家の言葉を思い出したりする。 でもきっと、「すごくヘン」なのは世界のほうでなくて、わしらのほうであるに違いない。 2 オーストラリアのオオガネモチVの息子であるRと、後甲板に座って話をする。 「ぼく、アスペルガー、っていう病気なんだって」とR。 Rのおかーさんは美しいエディンバラ訛りで話すスコットランド人で、わしとは大変仲が良い。 「あれって、病気なのか?」 とチョーマヌケな返事をするわし。 「知らないの? ガメは、なんでも知ってるんだって、オトナたちは言っておったぞ」 とRに言われて、オトナというものはバカだから、とかなんとか、訳がわからない返答をする、わし。 アスペルガーは病気じゃないのさ。 アスペルガーが病気である社会は、社会自体が病んでいるのだとは思わないか。 アスペルガーでもなんでも(わしよりも17歳下で13歳の)Rとはとても気があうので、頼まれもせんのに社会が貼り付けにやってくるレッテルはめんどくさいなあーと思うわし。 この世界に「叡知」がなければ、どんなにか良かっただろう。 きみやぼくにはあんまり時間がないのに、あのひとたちときた日には、「ほんとうのこと」が知りたくて血眼なのだ。 ほんとうのこと。 … Continue reading

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先進国、後進国

「先進国」という言い方は、なにがなし、下品であるような気がする。 自分でも便宜上つかうので、他の人もたいていは便宜的に使うだけの人が多いのだろう、と思いはするが、ひとつの国が他の国よりも「進んでいる」という考えには、どうにも、そこはかとなくただよう品の悪さがある。 先進技術はよいが先進国は困る。 先進文化、などと書いてあると、なんだそれは、としばらく意味の実体について考えこむことになる。 なにが先進文化か、思いをめぐらして、だいたいめぐらし損に終わるので、だんだん字面そのものを見たくなくなる、ということもあるのかも知れない。 こう言うと、ニュージーランド人やオーストラリア人のなかには目を剥いて怒る人がいるはずだが、ニュージーランドやオーストラリアが「先進国」であると思ったことは一度もない。 先進国でないから住んでいるので、進まれてしまうと困る。 「開発途上国」という表現が発明されて、言葉として存在しなくなってしまったが昔はちゃんと「後進国」という言葉があって、むかしは後ろ向きに進んでいる国があったのかというと、そんなことはなくて、後ろの方を進んでいる、という意味だったらしい。 だとするとオーストラリアやニュージーランドは「後進国」で、文明という集団の後ろのほうを、のんびり、ヨットやカヤックに乗ったり、マウンテンバイクで遊びに行ってしまったりして、やる気なさそうについてくるから、遊んでばかりいる自分としては選択したのであると思う。 そう息せき切って「文明」の先頭を走られたのでは、迷惑である感じがする。 日本語サイトなどを見ていて「日本はまだまだ後進国です」というような言い方に接すると、そーか、日本は先進国になりたかったのか、と皮肉なことを考える。 後進国のほうが、楽しいのに。 ニュージーランドやオーストラリアはごくごく自然天然に人種差別があるところで、わしが仲良しのあたたかい気持ちの持ち主で人柄のよいマリーナスタッフのAと話をしていたら、新しく出たアウディ・デザイン、フォルクスワーゲン製マリーンエンジンの話をしている途中で、 「ほら、彼らアジア人の脳は既存の技術を洗練させていって生産性をあげることに関しては素晴らしい才能があるけど、新しいことを考えるように出来ていないと医学的にも証明されているでしょう?」 という。 医学的に証明、されてるのか? と訊くと、うなづいて、National Geographicかなんかに記事が出ていた、という。 おい、A、おまえ、と言いかけて、ほんとうに信じこんでいる様子なので、可笑しさがこみあげてきて、こらえきれずに大笑いすると、きょとん、としている。 そういうときに、しみじみ、この国は後進国だよなあー、と考える。 こう言うと今度は日本の人が怒るが、わしは、ニュージーランドやオーストラリアの人間の素朴なこの手の頭の悪さが嫌いではない。 どちらかというと好きであると思う。 いや、すごく好きなのだと考える。 そういうときに「後進性」を感じるのだから北欧人に先進性を感じなければならないが、大学のときに仲がよかった女スウェーデン人留学生のIと話していて、「そういえば、ガメ、今度、イッパツやらない?」というので、コーヒーをふきだしてしまいそうになったことがある。 人間は人種によってどんな違いがあるか、北欧人、イギリス人、南欧人、北アフリカ人、中央アフリカ人、南アフリカ人、南アジア人、東アジア人、といろいろな男を試してみて、個体差によらない一般的な違いの傾向、というようなものがわかって面白かったが、考えてみると「身体のおおきさ」というものについての違いがよくのみこめないので、身体がめだっておおきいガメと、ちょっとイッパツやって考えてみたい、という。 いやいや、(ガーナ人の)あんたのボーイフレンドに悪いですから、と遠慮すると、あの人はもう実験が終わって、役割も十分はたしてもらって、別れたからいいのよ、と知的な微笑を浮かべながら述べている。 心配ないって。 それが、だいたい、北欧人の「先進性」に触れた初めだったのではないかと思われる。 わしは後進性を発揮して辞退したが、この場合は、後進、というのは、もちろん「後じさり」という意味です。 義理叔父は、パーティで、アメリカ旅行で酷いめにあった、と述べている広東人の女のひとに、自分も店にはいっていって、こちらから挨拶しても挨拶もなにもなくて、まるで存在してないように扱われて、後ろからかーちゃんシスターが入ってきた途端に、いかにも「おお、人間が来た」という調子で愛想よくカウンターをまわって挨拶を述べる店員、というようなものに会ったことがある、と言ったあとに、 「人種差別というのはするほうの問題で、されるほうの問題じゃないんだから、ほっとけばいいんだよ。それは白人の病気なんだから」と明瞭に(というのは、普段からよく考えている問題であることが判る調子で)述べていたことがあって、わしは横で聞いていて甥としてやや誇らしい気持ちになったことがある。 もちろん口にだしたりしないが、長いつきあいで、義理叔父がそんじょそこいらの欧州人や合衆国人よりも自分のほうが、遙かに文明に対して深い理解をもち、思惟を深めていて、「先進的」であることを自覚しているのを、わしはよく知っている。 或る、あまり感心できない自説を持つイギリス人の歴史学者と話をしていたときに、わしのほうを一瞬むいて、「ジゴロだな、こいつ」と微笑をうかべたまま日本語でつぶやいたことすらある。 あの腹の出た風采のあがらないじーちゃんイギリス人がどんな女びとのジゴロなのかと訝しんだら、そうではなくて、義理叔父の父祖の町では、どうしようもない頭の悪い田舎者のことを「地五郎」というのだそうでした。 民族的なことを述べると、日本人はアジア人のなかでただ一民族、はやくから(現実の生活がおいてけぼりで観念ばかりが精妙になっていった、という傾向はあるが)高い文明をもって、義理叔父のように西洋人たちよりも高い地平から世界を俯瞰する能力をもつ人間たちを持った。 先進や後進という概念がいかに偏狭で傲慢な概念かを直感的に知りうる立場にあった。 先刻の広東人の女のひとは、「それは白人たちの持病なだけで、向こうの問題だから」と義理叔父がいうのを聞いて、一瞬、感に堪えたようにしていたが、 そうね、そのとおり、あなたの言う通りだわ、と述べてから、 でも、日本のような国に生まれて、普通にそういう観点がもてるあなたをうらやましいと思う、とつけくわえていた。 先進性や後進性は、むろん、19世紀欧州人の、世界が一律に物質的進歩の単一なベクトルのなかにある、というそれこそ「後進的」な迷妄のなかで生まれた考えにすぎない。 … Continue reading

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夏、声へめぐりやまず

1 ポイント・イングランドまでくれば、もう人影はない。 浜辺は新しい年を迎えてくつろぐひとたちでいっぱいで、海辺に沿って延びるレストラン街のどの店も満員だが、同じ海辺でも小高い丘のうえにあるポイント・イングランドは茂みに隠れているせいか、あるいは、案外ここまで登ってきて駐車場があるかどうか不安だ、と考えるのかだいたいいつ来ても誰もいない。 モニとふたりでベンチに腰掛けて、沖合に見える島を指さして、 「あれはブラウン・アイランドだが、ちっとも『ブラウン』でなくて緑色だね」 「ひょえええー。ワイヒキの入り江、ボートだらけだな。こうやってみると、この頃はプレーニングが多いのね」 「長い休みなのでヨットのひとは、もっと遠くに行ってしまったのでしょう」 「あっ、そーか」 と話す。 魔法瓶(なんて素敵な日本語だろう!)から紅茶をいれて、大好物のきゅうりのサンドイッチを食べる。 たまには陸から海を眺めるのもいいものだなあー、と思う。 いつもは海から陸を眺めているからである。 遠くにコーストガードのボードが見える。 おおきな船は相当なスピードで動いていても止まっているようにみえるので、さっきはタカプナ沖で誘導待ちをしているように見えた巨大なコンテナ船が海上灯台の脇の、いまくらいの時刻ならば、たしか8mくらいしか深さがないはずの水域を、意外なスピードで通過してゆく。 大住宅地のワイヒキ島とオークランドCBDを結ぶフェリー、デボンポートとCBD、30キロくらい離れたパインハーバーからCBDにやってくる高速フェリーが白い航跡をつくりながら交錯している。 その交錯する白い航跡におおきく揺られながら、曲芸のようにうまくバランスをとって、釣り糸をたれている(最近流行の)カヤック釣りのひとびとがいる。 にぎやかな海で、水曜日と木曜日はこれにヨットレースのヨットがくわわるので、ワイヒキを抜けて広い海域にでるまで、操船が忙しいことになる。 「海はいいなあ」とモニが言う。 「うん」とスカな答えを返す、わし。 モニさんが不意に横を向いて、 「ガメ、大好き」という。 ニヒヒ。 2 なにを考えるにしても毎日の自分の幸福があってこそのことである。 自分にやさしくしてやらなければ頭の中の言葉からは、どんどん現実の「実質」が失われてしまう。 生まれてからずっとそばにいて、苦しいときには自分を励まし、あるいは一緒に泣いてくれた「自分自身」という友達を労って、出来れば楽をさせて、のんびりして、手をのばせば稠密でなめらかな時間の肌に直に触れられるような高い質をもった時間が毎日を満たすようになってからはじめて自分のまわりの人間を幸福にすることもできる。 自分と自分のまわりの幸福がないところで、いくら社会の幸福を説いても意味があるわけはない。 まして、「世界」などは、その自分の手前から地平線にまで広がっている「社会」のそのまた向こうにあるのである。 政治や社会問題、国際問題を話すのが好きなひとの「うさんくささ」は、要するにそこに起因している。 英語ならば Be impeccable with your word. と言うのが良いだろう。 日本語ではどんなふうに言えるのか、いま考えてみたが、うまい言葉が見あたらない。 この世界の現実と言葉のあいだには常に埋めがたい間隙があって、ちょうどそれは光が差し込んで燦(さん)に煌(こう)に反射する水面と、反射光がさまざまな光の形象を投映してできる天井の光斑の関係に似ている。 その接着しがたい隙間を解消するのは思惟する人間の、本人の幸福だけである。 人間は普遍的な思惟をもつ能力をもっているが、絶えず、自分自身の幸福が「普遍」に影を射すことの悲惨さをスピノザのような人はよく知っていた。 … Continue reading

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disappointment

日本の人の英語の能力を云々する興味はないし、まして日本の人の英語能力をくさそうという気持ちはぜんぜんない。 人間性の良し悪しということではなくて、わしは自分には最も意地悪な日本の人の5千倍くらい意地悪になる能力があると思っているが、他人に意地悪をすることには興味がない。 そういうことは遊びとして退屈だからで、式神を派遣して匿名で攻撃しているつもりの人の家のドアを叩いて、いきなりパンチをくらわせる、というようなことはあるが、めんどくさいので意地悪したりはしません。 ちょっと失礼みたいだが日本の人と英語の話をするのがいかに虚しいことかということも、例の「はてな市民大挙襲来事件」や「ニセガイジン騒動」を通じてよく判っている。 親切心を起こして限定した語彙と構文で英語でも書いた日には、「こんなおれが簡単に判る英語を書く英語人がいるわけはない」と怒鳴り込みにくるひとがいっぱいいて、外国人たるもの、日本の人が構文事典を引きながらでないと読めない謎の怪人ナゾーな英語を書かなければならないのであるらしい。 というようなことがいろいろあったので、めんどくさいので英語の話はしないことになっている。 最近はときどき日本語を調べるのが億劫な気がすることがあるのと、どういう関連があるのか2011年の3月11日を境に、それまでは数人しかいなかった、英語国に何年も住んでいる人や、配偶者が英語人である人、というような人に限定されていた実際に英語が判る人が桁違いに増えて、アメリカで生まれて育った人や片親が英語人の人、というような英語が母語の人も増えたので、たとえばクリスマスの挨拶のような日本語ではどうしても「ヘンテコな感じになってしまう」ものや、自分の核に近いところにある感情は英語で書いても良いとルールを変えることにした。 それでも英語は最低限に限ろうと思ってます。 ところが「英語」の問題をどうしても書き留めておきたくなるような面白い事件が出袋(しゅったい)して、これだけは書いておいたほうが良い気がしてきたので書いておきます。 なんのことかというと、例の、アメリカ大使館が安倍晋三の靖国神社参拝のあとに出した、 「Japan is a valued ally and friend. Nevertheless, the United States is disappointed that Japan’s leadership has taken an action that will exacerbate tensions with Japan’s neighbors.
The United States hopes … Continue reading

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「日本語」のほうへ

1 夜ふけに北鎌倉の円覚寺の前を通りかかるとフクロウの啼く声が聞こえて足を止めて聞き入ったものだった。 「ガイジンはセミの声を煩がるだけだ」というが、友達を見ているとその通りでも、わしはアブラゼミやクマゼミは騒音にしか思えなかったが、ニイゼミやツクツクホーシは好きだった。 鈴虫や松虫の声が好きだった。 虫の声を聴くと、「精霊」という言葉をよく考えた。 ニュージーランドの、日本よりもずっと小さくて声も小さくてやさしいセミの声を聴くと、いつも日本の夏のことを思い出す。 なぜ日本の人が「かき氷」に別格の待遇を与えるのかわからなくて不思議だったことを思い出す。 鎌倉ばーちゃんの家の縁側に腰掛けて石灯籠のなかの炎が揺れる、庭園の暗闇の不思議さに目をこらしたのを思い出す。 夏になるとまるで自分が古代マヤのピラミッドでもあるかのように誇らしげに青空に向かって緑色に輝く鎧擦の山を思い出す。 日本人の田舎科学者たちが鼻息も荒くのべる「放射能は安全だ」などというたわごとはどーでもよい(言葉がわるくて、ごめん)、TEPCOはわしから「日本」という最高の遊び場を奪ってしまったので、わしはそのことにおさまることのない怒りを感じている。 欧州人やアメリカ人の仕事友達と、数寄屋橋をふらふらと歩いて、最高な腕前でお燗された八勺徳利にはいった樽菊正宗を呑む愉しみや、目にも艶やかな刺身の大皿を前に舌なめずりする下品で桃源郷じみた歓びを奪われてしまったことを根にもっている。 2 夢のなかで、鎌倉の清泉女子大学付属小学校の前のタイルの道を歩いている。 むかし、「サイドバイサイド」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/21/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89/ というブログ記事に書いたあの道です。 1990年代初頭というあの頃は、まだ「ガイジン」という意識が日本人社会には残っていて、たとえば大手町で「なにこの子かわいいーw ほら、おねーちゃんにさわってみなさい」(←想像訳)と制服姿の若い女びとたちに文字通り(女びとたちのほうにすれば善意に決まっているが)取り囲まれて(マジメに)怖い思いをしたり、館林という町のプールで遊んでいたら、突然お尻をむぎゅっとつかまれて、自分の身に生じたことを、どう評価すべきなのか、警察に相談したほうがいいのか、日本の社会では笑い話にしてしまうべきなのか、判らなくなって義理叔父に相談したら、日頃チョー暢気なこのひとには珍しく顔色を変えて、そういうことを許してはいけないのだ、というなり、あろうことか自分の友人の日本の警察の「えらい人」に電話をかけて、相談をもちかけたこちらは、なんだか大騒ぎになりそうで悄気てしまったりした。 年が変わったので平然と言ってしまうと、わしは日本がとてもとても好きであったに違いない。 日本が好きな「親日ガイジン」を見ると「なごんでしまう」ような日本人は大嫌いだし、そういう日本人が誇りに思う「品格」(けっ、「品格」だってさ、ヒ、ン、カ、クだって、やりきれない)のある日本文化もさっさと消えてなくなれば良いと思うが、わしはそういう見ているだけでも惨めな気持ちにさせられる「愛国心」などとは関係のないところで静かに微笑んでいる「日本」が大好きだったのだと思う。 今になって気が付いても遅いが。 夢のなかでは、義理叔父がむかし連れていってくれた「合格」という焼き印があるかまぼこが載ったラーメンが出てくる荏柄天神のそばの中華料理屋もまだあって、義理叔父はラーメンを食べて、わしはかつ丼を食べて、ふたりで、単純な叔父と甥はすっかり満足して、二階堂の道を歩いてゆく。 (夢のなかで)時候は春で、桜の花が吹雪きのように舞っていて、なんだか感動している義理叔父を、わしは「日本のひとが桜に特別な感情をもつのは異常だと思う」というような「かわいくないガキ」をそのまま絵に描いたようなことを述べている。 それなのに義理叔父は、いつものように反論することもなく、空に吸い込まれていってしまいそうなほど幸せそうで、そのやわらかな幸福の様子がいかにも日本的で、「日本」というものの肌触りがわかりかけたような気がして、わしも幸福になる。 そうであったのにむかし高橋和巳という非望の気持ちが強かった小説家が住んでいたほうに歩いて行って、「コヤマ」という陶芸家の家があったあたりを通り過ぎると、そこには護良親王の腐りかけた生首が転がっていて、あまりに気の毒なので片付けようとすると、近所の日本人たちがいっせいに家か ら出て来て怖ろしい顔で義理叔父とわしとを睨み付けている。 「どうしてあなたは、そういう反日本的なことをするのか」と言う。 「どうしてガイジンは、そうバカなのか」 3 なんでもいいから日本語の本を読んで、日本語のタネを頭のなかに植え付けて、日本語の海にローンチからボートを出すように滑り出てゆくと、「日本語の思考」が回転しはじめる。 いつだったかツイッタにまるで日本語の悪魔「大庭亀夫」を召喚するようだ、と書いたら友達に笑われてしまったが、言葉にして聞かされる方では笑うしかなくても、日本語が言語の精霊の森林にようにざわめきだす一瞬には、実際にそう感じる。 あるいは、そういう感覚が起きないときには、どんなに力んで書いても無惨な英語からの翻訳で、読んで、まるごと放擲することになる。 日本語を書くためには「日本語だけで出来た魂」が必要なのであると思う。 往々にして「日本語人格」は、普段、ほとんど弛緩しきった毎日を送る「英語幸福わし」とは意見があわないが、日本語が憑依して、わしのろくでもない灰白色の脳髄を薔薇色に興奮させて、いつもは見ないシンボルを明滅させて、つまりはそういうことを歓びとして言語を習得するのであると思う。 そうやって言語の混沌から生まれる日本語の精霊は、西洋人たちの知らない、異様な輝きに満ちている。 この現代日本語の表層の下には、表現されることを拒まれて憤怒をたぎらせている「圧殺されつつある日本語」があって、瞋恚の炎が焼き尽くした日本人が忘れてしまった荒野がある。 えらそーに、と言われれば「ごみん」と謝るしかないが、このあいだ述べた「最上さん」という脳神経科学者らしい人が手もなく指摘したように、わしはこのブログをたくさんの人にわかってもらおうと考えて書き出したわけではない。 なにしろゲームの紹介・攻略ブログが載っているはずのところに、突然「言語の絶対性の指向」というようなことばかり述べる(書いているわしがゲームについて書くのが飽きてしまったせいで)異常な記事が載りだしたのだから、「訳のわからないことを書きやがって」で、総反撥をうけて、怒る気もしない、というか、怒るほうが当たり前で、自分でも自分はいったいなにを考えているのだろうとずっと思っている。 出自からして凡そ滅茶苦茶なブログ記事なのです。 日本語の叢の奥から微かな聞こえてくるのはいつものこと。 あの微かな声、聴き取りにくい声こそが日本を秘匿し、日本を判らなくして、日本そのものを架空のもののように印象された影の理由を教えてくれる。 … Continue reading

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