Daily Archives: January 1, 2014

「日本語」のほうへ

1 夜ふけに北鎌倉の円覚寺の前を通りかかるとフクロウの啼く声が聞こえて足を止めて聞き入ったものだった。 「ガイジンはセミの声を煩がるだけだ」というが、友達を見ているとその通りでも、わしはアブラゼミやクマゼミは騒音にしか思えなかったが、ニイゼミやツクツクホーシは好きだった。 鈴虫や松虫の声が好きだった。 虫の声を聴くと、「精霊」という言葉をよく考えた。 ニュージーランドの、日本よりもずっと小さくて声も小さくてやさしいセミの声を聴くと、いつも日本の夏のことを思い出す。 なぜ日本の人が「かき氷」に別格の待遇を与えるのかわからなくて不思議だったことを思い出す。 鎌倉ばーちゃんの家の縁側に腰掛けて石灯籠のなかの炎が揺れる、庭園の暗闇の不思議さに目をこらしたのを思い出す。 夏になるとまるで自分が古代マヤのピラミッドでもあるかのように誇らしげに青空に向かって緑色に輝く鎧擦の山を思い出す。 日本人の田舎科学者たちが鼻息も荒くのべる「放射能は安全だ」などというたわごとはどーでもよい(言葉がわるくて、ごめん)、TEPCOはわしから「日本」という最高の遊び場を奪ってしまったので、わしはそのことにおさまることのない怒りを感じている。 欧州人やアメリカ人の仕事友達と、数寄屋橋をふらふらと歩いて、最高な腕前でお燗された八勺徳利にはいった樽菊正宗を呑む愉しみや、目にも艶やかな刺身の大皿を前に舌なめずりする下品で桃源郷じみた歓びを奪われてしまったことを根にもっている。 2 夢のなかで、鎌倉の清泉女子大学付属小学校の前のタイルの道を歩いている。 むかし、「サイドバイサイド」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/21/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89/ というブログ記事に書いたあの道です。 1990年代初頭というあの頃は、まだ「ガイジン」という意識が日本人社会には残っていて、たとえば大手町で「なにこの子かわいいーw ほら、おねーちゃんにさわってみなさい」(←想像訳)と制服姿の若い女びとたちに文字通り(女びとたちのほうにすれば善意に決まっているが)取り囲まれて(マジメに)怖い思いをしたり、館林という町のプールで遊んでいたら、突然お尻をむぎゅっとつかまれて、自分の身に生じたことを、どう評価すべきなのか、警察に相談したほうがいいのか、日本の社会では笑い話にしてしまうべきなのか、判らなくなって義理叔父に相談したら、日頃チョー暢気なこのひとには珍しく顔色を変えて、そういうことを許してはいけないのだ、というなり、あろうことか自分の友人の日本の警察の「えらい人」に電話をかけて、相談をもちかけたこちらは、なんだか大騒ぎになりそうで悄気てしまったりした。 年が変わったので平然と言ってしまうと、わしは日本がとてもとても好きであったに違いない。 日本が好きな「親日ガイジン」を見ると「なごんでしまう」ような日本人は大嫌いだし、そういう日本人が誇りに思う「品格」(けっ、「品格」だってさ、ヒ、ン、カ、クだって、やりきれない)のある日本文化もさっさと消えてなくなれば良いと思うが、わしはそういう見ているだけでも惨めな気持ちにさせられる「愛国心」などとは関係のないところで静かに微笑んでいる「日本」が大好きだったのだと思う。 今になって気が付いても遅いが。 夢のなかでは、義理叔父がむかし連れていってくれた「合格」という焼き印があるかまぼこが載ったラーメンが出てくる荏柄天神のそばの中華料理屋もまだあって、義理叔父はラーメンを食べて、わしはかつ丼を食べて、ふたりで、単純な叔父と甥はすっかり満足して、二階堂の道を歩いてゆく。 (夢のなかで)時候は春で、桜の花が吹雪きのように舞っていて、なんだか感動している義理叔父を、わしは「日本のひとが桜に特別な感情をもつのは異常だと思う」というような「かわいくないガキ」をそのまま絵に描いたようなことを述べている。 それなのに義理叔父は、いつものように反論することもなく、空に吸い込まれていってしまいそうなほど幸せそうで、そのやわらかな幸福の様子がいかにも日本的で、「日本」というものの肌触りがわかりかけたような気がして、わしも幸福になる。 そうであったのにむかし高橋和巳という非望の気持ちが強かった小説家が住んでいたほうに歩いて行って、「コヤマ」という陶芸家の家があったあたりを通り過ぎると、そこには護良親王の腐りかけた生首が転がっていて、あまりに気の毒なので片付けようとすると、近所の日本人たちがいっせいに家か ら出て来て怖ろしい顔で義理叔父とわしとを睨み付けている。 「どうしてあなたは、そういう反日本的なことをするのか」と言う。 「どうしてガイジンは、そうバカなのか」 3 なんでもいいから日本語の本を読んで、日本語のタネを頭のなかに植え付けて、日本語の海にローンチからボートを出すように滑り出てゆくと、「日本語の思考」が回転しはじめる。 いつだったかツイッタにまるで日本語の悪魔「大庭亀夫」を召喚するようだ、と書いたら友達に笑われてしまったが、言葉にして聞かされる方では笑うしかなくても、日本語が言語の精霊の森林にようにざわめきだす一瞬には、実際にそう感じる。 あるいは、そういう感覚が起きないときには、どんなに力んで書いても無惨な英語からの翻訳で、読んで、まるごと放擲することになる。 日本語を書くためには「日本語だけで出来た魂」が必要なのであると思う。 往々にして「日本語人格」は、普段、ほとんど弛緩しきった毎日を送る「英語幸福わし」とは意見があわないが、日本語が憑依して、わしのろくでもない灰白色の脳髄を薔薇色に興奮させて、いつもは見ないシンボルを明滅させて、つまりはそういうことを歓びとして言語を習得するのであると思う。 そうやって言語の混沌から生まれる日本語の精霊は、西洋人たちの知らない、異様な輝きに満ちている。 この現代日本語の表層の下には、表現されることを拒まれて憤怒をたぎらせている「圧殺されつつある日本語」があって、瞋恚の炎が焼き尽くした日本人が忘れてしまった荒野がある。 えらそーに、と言われれば「ごみん」と謝るしかないが、このあいだ述べた「最上さん」という脳神経科学者らしい人が手もなく指摘したように、わしはこのブログをたくさんの人にわかってもらおうと考えて書き出したわけではない。 なにしろゲームの紹介・攻略ブログが載っているはずのところに、突然「言語の絶対性の指向」というようなことばかり述べる(書いているわしがゲームについて書くのが飽きてしまったせいで)異常な記事が載りだしたのだから、「訳のわからないことを書きやがって」で、総反撥をうけて、怒る気もしない、というか、怒るほうが当たり前で、自分でも自分はいったいなにを考えているのだろうとずっと思っている。 出自からして凡そ滅茶苦茶なブログ記事なのです。 日本語の叢の奥から微かな聞こえてくるのはいつものこと。 あの微かな声、聴き取りにくい声こそが日本を秘匿し、日本を判らなくして、日本そのものを架空のもののように印象された影の理由を教えてくれる。 … Continue reading

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中廊下

いまでもあるのかどうか判らないが、初めて日本に来た頃、箱根小涌園のスパに連れて行ってもらった。 温泉を利用した暖かい水のプールがたくさんあるところで、ちょうど秋で、 妹とかーちゃんと3人で温かい水のプールに寝そべって、頭上の紅葉とその向こうの雲が低く降りて天井をつくっている空を眺めるのは、びっくりするような楽しい体験で、日本のひとは頭がいいなあーと考えたりした。 岩やブッシュをうまく使った屋外のプールとは別に屋内には25mのプールがあって、前世はアンドンクラゲなのではないかと言われるくらい泳ぐのが好きなわしは、かーちゃんと妹をおいて、ひとりで泳いでいた。 プール脇で大学生らしいワカモノがガールフレンド相手にふざけている。 ちょうど日本のテレビに出てくるコメディアンたちのようなタイプの演技でプールサイドで足を滑らせたまねをしてプールの水に落ちるまねをしている。 近くによると危ないので、周りで泳いでいたひとは泳ぐのをやめて見てます。 水から勢いよくプールサイドにもどると、また、同じことをしてふざけている。 ガールフレンドは、なんだかわざとらしい笑い方で笑っている。 監視員が、笛を吹いても聞こえないのか、という調子で、「あぶないからやめてください」と注意している。 ワカモノは、「あ、ごめんごめん」という。 見ていて、ちょっと驚いたのは「ごめん」と言い終わるか終わらないかのうちに、また、同じことをして、ふざけて、水のなかに飛び込んだ。 あがってくると、監視員が、先刻より強い調子で注意すると、「ごめんごめん」と機械のように述べて、またすぐに水へ、と繰り返して、冗談のほうは、どこが面白い、どういう冗談なのか見ていてよく判らなかったが、都合5回ほど繰り返して、飽きたらしく、すたすたと戸外へふたりで肩を並べて消えてしまった。 この小さな出来事は、なにがなし、異様な印象のある出来事として、ずっと後までときどき思い出して嫌な気持ちになった。 有名な人で、会社の役員というようなこともしている公人なので、名前をだしたほうが理解の便宜がいいと思うが、2ちゃんねるの「元管理人」である「ひろゆき」という人はとても面白い人だと思う。 世の中の権威をハナからバカにしている。 自分が主宰するサイトの違法性が問題になって民事訴訟が起きたときに、「ひろゆき」さんが取った方法は社会の側の権威を「無視」することだった。 憶えている限りでは出廷もせず、その結果賠償を命ぜられても払わなかった。 税金も同じで、日本の税務署の無能をついて、書類の上でだけシンガポールに会社をつくって、そこが運営していることにしてしまった。 驚くべきことに、税務署も警察も、小手先というほどのこともしない、ただそれだけの工夫で手も足もでなかった。 その事件いらい、税務署や警察というような権威のマヌケぶりを納得して、国=バカ、という図式を頭のなかにつくったワカモノを、たくさん見て知っている。 「ひろゆき」さんの日本社会への功績は「日本という国家など肩をいからせて怖そうにしているが無視しつづければただのマヌケなのだから、バカにしてかかればいいだけである」ということをワカモノたちに身をもって教えたことだろう。 ひろゆきさんが身をもって示したパフォーマンスで日本のワカモノは、ああだこうだとうるさい日本社会の「権威」からかなり心理的に自由になった。 年寄りたちは、「あんなことをやっていて、いまに国の復讐にあって青くなるに決まっている」と愉しみにしていたが、いまに至るまで、ひろゆきさんは、格段の税金も払わず、お咎めもうけず、自由の身で、マヌケぶりを天下にさらしてボーゼンとしている日本国家を尻目に悠々と暮らしている。 ニュージーランドでは5万ドル(420万円)の滞納税金が払えずに自殺した人がいてニューズになった。 責任感が強い人で、オーストラリアで起こした事業に失敗した上に離婚して養育料も払わねばならず、一日に2つの仕事をこなして懸命に働いたものの、到頭、力がつきてしまったかっこうだった。 ニュージーランド人たちが、この出来事を知ると、(あたりまえだが)IRD(税務署のことです)に対して怒り出して、激しい弾劾の声が起こったが、IRDの「われわれは自分たちの仕事を手続きにしたがってすすめただけです」という冷淡を極める声明で騒動は終了してしまった。 彼が「ひろゆき」さんの行き方を聴いたら、どう思っただろうか、と考えた。 アメリカのIRS(アメリカの税務署)がひろゆきさんのような事例を許す、ということは絶対に考えられない。 だからアメリカのほうが良い、と言っているのではなくて、日本には日本社会特有の「ゆるさ」があって、ひろゆきさんという人は、その日本独特のゆるみの間隙をうまく利用しているだけで、文化の相違であるにしかすぎないだろう。 あるいは日本にあるフランスの会社のデザイン・マーケティング部門で働いているTというひとは、奥さんの妹(イギリス人です)がわしの友達なので、二度ほど六本木や青山で夕食を一緒に食べたことがあった。 楽しい夕食が終わって、クルマで送ってもらえることになって後部座席に乗り込むと、なんだか紙の束がある。 これ、なんですか? と訊くと交通違反の罰金通告書の束だそうで、あらためて訊いてみると、Tさんは何百という交通違反の通告書をいっさい無視して、なにもしないのだそーだった。 「逮捕されたりしないんですか?」 「日本なんか、規則規則ばっかりなので、まともに相手にする人はいませんよ」 というので、へええええー、と思って感心した。 枝の向こうに隠れていたUターン禁止の標識に気が付かずに、モーターバイクでUターンして横須賀の警察に罰金を払わされたことをおもいだして、「払わなくてよかったのか。損した」と吝嗇な気持ちになったりした。 守れない規則をたくさんつくってゆくと、人は萎縮するのが初めの反応だと思うが、その次にくる反応は「無視する」ことだと思う。 考えてみると必然だが、しかも、選択的な無視ではなくて、頭からの、と言えばいいのか、法体系や社会秩序のまるごとの無視になるはずである。 … Continue reading

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