「日本語」のほうへ

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夜ふけに北鎌倉の円覚寺の前を通りかかるとフクロウの啼く声が聞こえて足を止めて聞き入ったものだった。
「ガイジンはセミの声を煩がるだけだ」というが、友達を見ているとその通りでも、わしはアブラゼミやクマゼミは騒音にしか思えなかったが、ニイゼミやツクツクホーシは好きだった。
鈴虫や松虫の声が好きだった。
虫の声を聴くと、「精霊」という言葉をよく考えた。

ニュージーランドの、日本よりもずっと小さくて声も小さくてやさしいセミの声を聴くと、いつも日本の夏のことを思い出す。

なぜ日本の人が「かき氷」に別格の待遇を与えるのかわからなくて不思議だったことを思い出す。
鎌倉ばーちゃんの家の縁側に腰掛けて石灯籠のなかの炎が揺れる、庭園の暗闇の不思議さに目をこらしたのを思い出す。
夏になるとまるで自分が古代マヤのピラミッドでもあるかのように誇らしげに青空に向かって緑色に輝く鎧擦の山を思い出す。

日本人の田舎科学者たちが鼻息も荒くのべる「放射能は安全だ」などというたわごとはどーでもよい(言葉がわるくて、ごめん)、TEPCOはわしから「日本」という最高の遊び場を奪ってしまったので、わしはそのことにおさまることのない怒りを感じている。
欧州人やアメリカ人の仕事友達と、数寄屋橋をふらふらと歩いて、最高な腕前でお燗された八勺徳利にはいった樽菊正宗を呑む愉しみや、目にも艶やかな刺身の大皿を前に舌なめずりする下品で桃源郷じみた歓びを奪われてしまったことを根にもっている。

夢のなかで、鎌倉の清泉女子大学付属小学校の前のタイルの道を歩いている。
むかし、「サイドバイサイド」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/01/21/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%89/
というブログ記事に書いたあの道です。

1990年代初頭というあの頃は、まだ「ガイジン」という意識が日本人社会には残っていて、たとえば大手町で「なにこの子かわいいーw ほら、おねーちゃんにさわってみなさい」(←想像訳)と制服姿の若い女びとたちに文字通り(女びとたちのほうにすれば善意に決まっているが)取り囲まれて(マジメに)怖い思いをしたり、館林という町のプールで遊んでいたら、突然お尻をむぎゅっとつかまれて、自分の身に生じたことを、どう評価すべきなのか、警察に相談したほうがいいのか、日本の社会では笑い話にしてしまうべきなのか、判らなくなって義理叔父に相談したら、日頃チョー暢気なこのひとには珍しく顔色を変えて、そういうことを許してはいけないのだ、というなり、あろうことか自分の友人の日本の警察の「えらい人」に電話をかけて、相談をもちかけたこちらは、なんだか大騒ぎになりそうで悄気てしまったりした。

年が変わったので平然と言ってしまうと、わしは日本がとてもとても好きであったに違いない。
日本が好きな「親日ガイジン」を見ると「なごんでしまう」ような日本人は大嫌いだし、そういう日本人が誇りに思う「品格」(けっ、「品格」だってさ、ヒ、ン、カ、クだって、やりきれない)のある日本文化もさっさと消えてなくなれば良いと思うが、わしはそういう見ているだけでも惨めな気持ちにさせられる「愛国心」などとは関係のないところで静かに微笑んでいる「日本」が大好きだったのだと思う。
今になって気が付いても遅いが。

夢のなかでは、義理叔父がむかし連れていってくれた「合格」という焼き印があるかまぼこが載ったラーメンが出てくる荏柄天神のそばの中華料理屋もまだあって、義理叔父はラーメンを食べて、わしはかつ丼を食べて、ふたりで、単純な叔父と甥はすっかり満足して、二階堂の道を歩いてゆく。
(夢のなかで)時候は春で、桜の花が吹雪きのように舞っていて、なんだか感動している義理叔父を、わしは「日本のひとが桜に特別な感情をもつのは異常だと思う」というような「かわいくないガキ」をそのまま絵に描いたようなことを述べている。
それなのに義理叔父は、いつものように反論することもなく、空に吸い込まれていってしまいそうなほど幸せそうで、そのやわらかな幸福の様子がいかにも日本的で、「日本」というものの肌触りがわかりかけたような気がして、わしも幸福になる。

そうであったのにむかし高橋和巳という非望の気持ちが強かった小説家が住んでいたほうに歩いて行って、「コヤマ」という陶芸家の家があったあたりを通り過ぎると、そこには護良親王の腐りかけた生首が転がっていて、あまりに気の毒なので片付けようとすると、近所の日本人たちがいっせいに家か
ら出て来て怖ろしい顔で義理叔父とわしとを睨み付けている。
「どうしてあなたは、そういう反日本的なことをするのか」と言う。
「どうしてガイジンは、そうバカなのか」

なんでもいいから日本語の本を読んで、日本語のタネを頭のなかに植え付けて、日本語の海にローンチからボートを出すように滑り出てゆくと、「日本語の思考」が回転しはじめる。
いつだったかツイッタにまるで日本語の悪魔「大庭亀夫」を召喚するようだ、と書いたら友達に笑われてしまったが、言葉にして聞かされる方では笑うしかなくても、日本語が言語の精霊の森林にようにざわめきだす一瞬には、実際にそう感じる。
あるいは、そういう感覚が起きないときには、どんなに力んで書いても無惨な英語からの翻訳で、読んで、まるごと放擲することになる。

日本語を書くためには「日本語だけで出来た魂」が必要なのであると思う。
往々にして「日本語人格」は、普段、ほとんど弛緩しきった毎日を送る「英語幸福わし」とは意見があわないが、日本語が憑依して、わしのろくでもない灰白色の脳髄を薔薇色に興奮させて、いつもは見ないシンボルを明滅させて、つまりはそういうことを歓びとして言語を習得するのであると思う。

そうやって言語の混沌から生まれる日本語の精霊は、西洋人たちの知らない、異様な輝きに満ちている。
この現代日本語の表層の下には、表現されることを拒まれて憤怒をたぎらせている「圧殺されつつある日本語」があって、瞋恚の炎が焼き尽くした日本人が忘れてしまった荒野がある。

えらそーに、と言われれば「ごみん」と謝るしかないが、このあいだ述べた「最上さん」という脳神経科学者らしい人が手もなく指摘したように、わしはこのブログをたくさんの人にわかってもらおうと考えて書き出したわけではない。
なにしろゲームの紹介・攻略ブログが載っているはずのところに、突然「言語の絶対性の指向」というようなことばかり述べる(書いているわしがゲームについて書くのが飽きてしまったせいで)異常な記事が載りだしたのだから、「訳のわからないことを書きやがって」で、総反撥をうけて、怒る気もしない、というか、怒るほうが当たり前で、自分でも自分はいったいなにを考えているのだろうとずっと思っている。
出自からして凡そ滅茶苦茶なブログ記事なのです。

日本語の叢の奥から微かな聞こえてくるのはいつものこと。
あの微かな声、聴き取りにくい声こそが日本を秘匿し、日本を判らなくして、日本そのものを架空のもののように印象された影の理由を教えてくれる。
日本語では、声がおおきいものは、どの時代でも常に「自分は絶対に正しい」と信じ込む狂人だったからである。

あの聴き取りにくい声が、はっきりと聴き取れるようになれるまでは、わしは日本語をやめるわけにはいかない。
「聴き取りにくい声」が述べることを明然と書き取って、この世界のどこかに残すまで。
「聴き取りにくい声」で真実を述べたひとびとがわずかに微笑んで言語の中有に消えるまで。

その声を聴きにいく。

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One Response to 「日本語」のほうへ

  1. buchi314 says:

    僕の日本語はあなたの日本語にコメントできるほどの価値はないのかも知れません。
    「根にもっている」という言葉を読んで、あなたが普段は “right” だけですますはずのことを思います。
    ヒンカクナンテとよっぱらいながら思います。
    これらの言葉は僕に向けられてはいないのかも知れません。
    でも僕は読みます。
    好きだからでしょうか。
    それとも僕自身を救いたいからでしょうか。
    たとえあなたがあなた自身のためだけにタイピングしているとしても、それは僕には届きます。
    そして、僕のこころを大きく揺るがします。
    ひどく冷たい気持ちにもなります。
    涙がこぼれる時もあります。
    どうしてかはわかりません。
    なにが起きているのかは僕にはわかりません。
    いったい誰がすすり泣いているのでしょう。

    乱文失礼しました。

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