Daily Archives: January 3, 2014

夏、声へめぐりやまず

1 ポイント・イングランドまでくれば、もう人影はない。 浜辺は新しい年を迎えてくつろぐひとたちでいっぱいで、海辺に沿って延びるレストラン街のどの店も満員だが、同じ海辺でも小高い丘のうえにあるポイント・イングランドは茂みに隠れているせいか、あるいは、案外ここまで登ってきて駐車場があるかどうか不安だ、と考えるのかだいたいいつ来ても誰もいない。 モニとふたりでベンチに腰掛けて、沖合に見える島を指さして、 「あれはブラウン・アイランドだが、ちっとも『ブラウン』でなくて緑色だね」 「ひょえええー。ワイヒキの入り江、ボートだらけだな。こうやってみると、この頃はプレーニングが多いのね」 「長い休みなのでヨットのひとは、もっと遠くに行ってしまったのでしょう」 「あっ、そーか」 と話す。 魔法瓶(なんて素敵な日本語だろう!)から紅茶をいれて、大好物のきゅうりのサンドイッチを食べる。 たまには陸から海を眺めるのもいいものだなあー、と思う。 いつもは海から陸を眺めているからである。 遠くにコーストガードのボードが見える。 おおきな船は相当なスピードで動いていても止まっているようにみえるので、さっきはタカプナ沖で誘導待ちをしているように見えた巨大なコンテナ船が海上灯台の脇の、いまくらいの時刻ならば、たしか8mくらいしか深さがないはずの水域を、意外なスピードで通過してゆく。 大住宅地のワイヒキ島とオークランドCBDを結ぶフェリー、デボンポートとCBD、30キロくらい離れたパインハーバーからCBDにやってくる高速フェリーが白い航跡をつくりながら交錯している。 その交錯する白い航跡におおきく揺られながら、曲芸のようにうまくバランスをとって、釣り糸をたれている(最近流行の)カヤック釣りのひとびとがいる。 にぎやかな海で、水曜日と木曜日はこれにヨットレースのヨットがくわわるので、ワイヒキを抜けて広い海域にでるまで、操船が忙しいことになる。 「海はいいなあ」とモニが言う。 「うん」とスカな答えを返す、わし。 モニさんが不意に横を向いて、 「ガメ、大好き」という。 ニヒヒ。 2 なにを考えるにしても毎日の自分の幸福があってこそのことである。 自分にやさしくしてやらなければ頭の中の言葉からは、どんどん現実の「実質」が失われてしまう。 生まれてからずっとそばにいて、苦しいときには自分を励まし、あるいは一緒に泣いてくれた「自分自身」という友達を労って、出来れば楽をさせて、のんびりして、手をのばせば稠密でなめらかな時間の肌に直に触れられるような高い質をもった時間が毎日を満たすようになってからはじめて自分のまわりの人間を幸福にすることもできる。 自分と自分のまわりの幸福がないところで、いくら社会の幸福を説いても意味があるわけはない。 まして、「世界」などは、その自分の手前から地平線にまで広がっている「社会」のそのまた向こうにあるのである。 政治や社会問題、国際問題を話すのが好きなひとの「うさんくささ」は、要するにそこに起因している。 英語ならば Be impeccable with your word. と言うのが良いだろう。 日本語ではどんなふうに言えるのか、いま考えてみたが、うまい言葉が見あたらない。 この世界の現実と言葉のあいだには常に埋めがたい間隙があって、ちょうどそれは光が差し込んで燦(さん)に煌(こう)に反射する水面と、反射光がさまざまな光の形象を投映してできる天井の光斑の関係に似ている。 その接着しがたい隙間を解消するのは思惟する人間の、本人の幸福だけである。 人間は普遍的な思惟をもつ能力をもっているが、絶えず、自分自身の幸福が「普遍」に影を射すことの悲惨さをスピノザのような人はよく知っていた。 … Continue reading

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