The Island

この頃は釣りをするのでも釣り竿をふるのはめんどくさいので、ボートの後ろからケーブルを張ってトローリングをする。
でっかいルアーをつけて引っ張っていると、ヒラマサやミナミマグロ、カツオがかかります。
停泊する湾では、(ここがハウラキガルフの真鯛の「ホーム」なので)「目の下三尺」の真鯛が釣れる。
特別の仕掛けは必要はなくて、小さなシンカーに臭いが強い餌をつけて(真鯛はボートが立てる波音を怖がるので)舷側から遠くに投げてやれば良い。

あるいは伊勢エビを捕る壷を仕掛けて、次の日に見に行く。
伊勢エビが捕れるのはもちろんだが、タコや、どうかすると(滑稽なことに)大きな真鯛が壷にはまり込んでいる。

午後になればモニとふたりで潜ってホタテ貝を捕る。

なんのことはない、住宅地と同じことで、近所のモアリングから友達が訪ねてくる。
銀行家、スーパーマーケット社長、ヨットデザイナー。
皆で採れたばかりの魚を食べる。
白ワインを飲んで冗談に興じる。

とっても「遅れた」国であるニュージーランドでも、粉わさびや「ポン酢」は(ボート人のあいだでは)普通に普及していて、トンガで学んできた調理法を披露する人もいる。

JJがカナダでボートを買って、ニュージーランドまで回航したときの話をしている。
見渡す限りのブルーウォーター。
死にたい、死にたい、と思い詰めて、それでも退屈を渡りきる魂の技術。

株投資家のVは、最近75フットのボートを買ったばかりで、わしやJにトンガへ行くには5月末がいいか6月の半ばのほうがいいかを熱心に訊いている。
小さな小さなディンギイに乗って漁師のJM夫婦がやってくる。
16人がゆったり座れるJJのボートのラウンジも、さしもの、いっぱいになる。
JJの奥さんのSの右肩に夕陽が沈んでゆく。
わしは目を細めて沈む陽をみている。
夕陽が沈んでゆく。
見慣れた光景なのに、(あたりまえだが)ほんとうには見慣れることがない。
激しい陽光と、色彩の歪曲。
不意に、「世界はすごくヘンだ」というアメリカのSF作家の言葉を思い出したりする。
でもきっと、「すごくヘン」なのは世界のほうでなくて、わしらのほうであるに違いない。

オーストラリアのオオガネモチVの息子であるRと、後甲板に座って話をする。
「ぼく、アスペルガー、っていう病気なんだって」とR。
Rのおかーさんは美しいエディンバラ訛りで話すスコットランド人で、わしとは大変仲が良い。
「あれって、病気なのか?」
とチョーマヌケな返事をするわし。
「知らないの? ガメは、なんでも知ってるんだって、オトナたちは言っておったぞ」
とRに言われて、オトナというものはバカだから、とかなんとか、訳がわからない返答をする、わし。
アスペルガーは病気じゃないのさ。
アスペルガーが病気である社会は、社会自体が病んでいるのだとは思わないか。

アスペルガーでもなんでも(わしよりも17歳下で13歳の)Rとはとても気があうので、頼まれもせんのに社会が貼り付けにやってくるレッテルはめんどくさいなあーと思うわし。
この世界に「叡知」がなければ、どんなにか良かっただろう。
きみやぼくにはあんまり時間がないのに、あのひとたちときた日には、「ほんとうのこと」が知りたくて血眼なのだ。
ほんとうのこと。
真実。
正義。
でも、「ほんとうのこと」って、いったいなんだ?
ほんとうのことは、ほんとうは(少なくとも)ふたつあるのではないか?
いやいや、それでは情緒的に強すぎる表現であるに違いない。
言い直してみる。

「ほんとうのこと」は、意外とケーハクなのではなかろうか。

強風が吹いているが、このボートには3トンのバラストがあるので安定している。
キールに頼るヨットが哀れなほど「木の葉のように」波に翻弄されたり、ちゃんとした錨を選ばなかった船が風に吹き流されて他のボートにぶつかったりしているのを見ながら、わしは誰にも答えられない例の疑問のことを考えている。
なぜ、人間はわざわざ翻弄されに生まれてくるのか。
それは、結局は、なんのためか?
人間が生きていることには何の意味があるのか?
あるいは、一生を送れば死ぬしかない人間にとって「意味」とは何か?
もっと言えば、考えることに意味なんかあるのか。

しかし、そんなことを考えるのは、もちろん一瞬で、すぐにどーでもよくなる。
「人間はすごくバカだな」と考え始めると止まらなくなる。
すごくバカだ。
とめどなく愚かだと思う。
どうして、われわれはこれほど愚かなのか。
許しがたいほど愚かなのはなぜか。

なぜ?

今日の午後は、ヒラマサを一匹釣った。
真鯛を5匹。
沈めた壷には2匹のでっかい「伊勢エビ」が捕らえられていた。
潜水してホタテ貝を80ほども獲った。
真鯛を台湾の酒と日本の醤油で「ヅケ」にして食べた。
伊勢エビはリゾット、ホタテ貝はブロッコリや他の野菜や鶏肉と一緒にスターフライにした。
ヒラマサは随分おおきかったので、近所に錨を下ろしているヨットやボートのひとびとを呼んで刺身とカルパッチョにして食べた。
われわれはしばらく欧州や豪州やニュージーランドや、あちこちのオリブの優劣について論じた。
ワインに飛び火して、ハムや、牛の肉質の話に変わっていった。
神を信じない国の国民ほど、美味い食べ物を調理するのはなぜか、と誰かが述べたので耐えられないほど可笑しかった。

大きな笑い声をさせて話しながら、わしはずっと、
「これは、ぼくの足なんだぜ?
きみにぼくの足を見る権利なんてないじゃないか。ぼくの足を見るな」と述べた若い男のことを考えていた。

わしにはいまでは判っている。
無作為な人に自分の足を見る権利を許してしまえば、わしは世界の一部になってしまうだろう。
熔けあって、風景もわしも区別がつかなくなってしまうだろう。
わしが風景の一部になってしまわないためには、ほんとうには、全力をあげて懸命の工夫が必要なのであると、31歳になってしまったわしはよく知っている。
知りすぎるほど知っている。

そこから後は簡単と言えば簡単で、わしは

1 絶望することができる
2 知っていて知らないふりをすることが出来る
3 なにも考えなかったふりをして見事に風景の一部になってしまうことが出来る。

だが、どの選択肢にも自分の一生に対する積極的な意味はないようだ、と見渡して安堵する。

まだまだ誤魔化せる。
そう、きみにもわしにも、まだ、ありとあらゆることを誤魔化すための時間が残されている。

サイクロンが来そうなので、モニと相談して、わしは錨を揚げてオークランドに帰ってきた。
なんだか人間の一生なんて、どーでもいいような気がする。
見たこともないようなおおきなシャチの跳躍と、きみのなけなしの人生の経験と交換してしまうのはどうか?
それは実際にはとても割の良い取引なのではないだろうか。

なんだか、ほんとうは、なんでもどうでもいいような気がする。
きみとわしは沈黙に辿り着きたくて、饒舌に議論してきたが、ほんとうは沈黙のほうから御神輿をあげて、きみやわしのほうにやってきて、おおきな影を投げながら、きみやわしの思想の上にまたがってしまっているに違いない。

ま、どうでもいいや。
わしはきみにずっと会いたかった。
まだきみとは会っていなくて、きみがどんな顔、
どんな表情、きみの髪の色や、どんな目の色をしているか知らないけど、
でも、それでも、とっても会いたかった。

とてもとてもきみと会いたかった。

(どうも)
(ガメ・オベールと言います)

(ほんとうの名前じゃないけどね)
(きみが見た目どおり本当に人間だと判ったら本当の名前を教えてあげる)
だが、

ところで、いったい、この世界に「ほんとうの名前」なんて、あるのか?

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5 Responses to The Island

  1. buchi314 says:

    こんなうつくしい海もあるのですね
    見たことありませんでした
    上空から見た大地みたい

  2. おいちゃん says:

    さういへば、「名前のない人」(オールズバーグ)ってゆー絵本を読み返していたところでした。9歳になる孫娘に送ってやるつもりです。でも ゾマーさんのこと の方が印象深く残ってゐます。
    ヒロオ君のことを思い出しました。ヒロオ君は幼馴染、当時どこのクラスにも一人くらい居た 少し知恵遅れの子供でした。小学校から中学、高校、大学、そして働き出して、級友たちの進む道も系統樹の如く別れ分かれて、何時しか友人であったことさへ忘れてゐました。
    さうして10数年経って仕事を覚えて独立しやうと故郷に戻ってきて、偶然見かけたヒロオ君は、別れた時とおんなじ声で、おんなじ姿で「おーい、ひさしぶりだなあ。」なんてゆってるのでした。
    その時はまだこちらは忙しくって元気も良くて、「ヒロオクン、変わってないなあ。」なんて思ったぐらいでしたが、
    それから幾星霜、人生に疲れて、子供も育ち、ヘロヘロになってリタイアして、
    あらゆる肩書きが一つづつ外れて行き、元の悪がき仲間にもどった級友の前に
    ヒロオ君は「おーい、ひさしぶりだなあ。」なんて云いながら「やっと君達も、僕のレベルに近づいてきたね。」と云った風でした。
    そーだ、いったいどんだけ遠回りをしてゐたんだろう。少しぐらい辛いことも在ったけど、歌いたいぐらい嬉しいことも在ったけど、結局此処に戻って来るだけだったんだ。
    そんなおいちゃん達を尻目にヒロオ君は
    とっとと逝ってしまいました。
    もう二度と生まれ変わらなくてもいい人
    菩薩に至る最後の姿
    ヒロオクンは おいちゃんのアイコンその人です。

    久しぶりにガメさんのブログ読ましていただき
    ヒロオ君のことを書いておかなくっちゃ  と思いました。

  3. maech9 says:

    はじめまして(でもないですね。。)
    最初の日にはガメさんを火星人にてしまってごめんなさい。

    でも、ようやく落ち着いてきました。
    でもばかだから考えは止まらないのです。(フィジカルでは圧倒的に運動不足ですし‥…)
    いた、自分に演奏できる楽器のパートはなんだろう?指揮者じゃなくて。。
    それも馬鹿げた独りよがりな考えかもしれません。
    お目目にお目にかかれるのはいつかなあ。ああ不安!(>_<)

  4. iyi3104 says:

    はじめまして。
    数ヶ月前からかかさず読んでいます。
    今回はとくに、心に響きました。
    おいちゃんさんのコメントにも。
    救いを見た気がしたからかもしれません。
    ありがとうございます。

  5. にきーた says:

    退屈すると古い記事さかのぼって読んだりしてるから、いつから読んでるかもうわからなくなっちゃったけど、いつも思うのはせっかく帰った日本からまた脱出して暮らすことになった理由は、ガメさんがいちばん上手に文章にしてくれてるってこと。いまだに私のこの行動をわかってくれない日本の親類縁者その他の皆さんがガメさんのブログ読んでくれたらなあって思うけど、ちょっと無理かな。

    今日はローカルバスで隣に乗り合わせた女の子たちと、カーブのたびにぶつかりあいながらケラケラ笑ってました。私は現地語がほぼわからないし彼女たちが公用語しゃべれるかわからなかったけど、きらきら光る目を見てぶつかりっこして一緒に笑い転げてたらもうそれだけで幸せな気分になりました。私たちの後ろではたぶんアメリカあたりから来たキリスト教系新興宗教さんの宣教師のお姉さんが周りのお客さんに一生懸命話しかけてたけど、その真面目で難しそうな顔つきを見るに、私のほうがよっぽど幸せではないだろうか、彼女のカミサマはそれについてどう思うんだろうねなんて考えたりもして。

    そうそう、数日前の晩、夢でガメさんに会いました。顔も知らないのになぜか「あ、ガメさんだ」ってわかった。何を話したかは忘れちゃったけど。いつかそうやってどこかでほんとに会えるかな。会いたいな。それまでずっと、ブログ読んでるからね。

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