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日本語はどこへ行くか?1

堀川正美が吉増剛造とマリリアの結婚を祝って書いた「祝婚歌」は多分現代日本語の歴史のなかで書かれた最も美しい日本語であると思うが、あの堀川正美を尊敬してやまない詩人の結婚を祝福するために書かれた日本語を読む人は誰でも、英語ではエズラ・パウンドやディラン・トマス、あるいは少し妥協してT.S.エリオットのようなひとびとが書いたものを読めばあたりまえのこととして頭にはいっていく「芸術表現において巧妙であることの重要さ」というものが、日本語芸術においても、通常考えられているよりも遙かにおおきな要素であることに気が付く。 英訳された夏目漱石が退屈な文章と感じられるのは夏目漱石の生きた時代の社会の常識がいまの日本とは飛び離れてかけ離れているからで、読んでいると、なんだかあたりまえのことがくどくどと書かれているような、なぜ真っ直ぐの道があるのにわざわざ迂回して書くのか、という気持ちになるが、ところが同じ夏目漱石を日本語で読んでみると印象はまるで異なって、気が弱い人なら胃が重くなって気が滅入ってしまうような思想的なスリルに満ちている。 正に英語で訳された夏目漱石が凡庸で日本語で書かれた夏目漱石が素晴らしい文章をなしているその事実によって、ふたつの言語で読んだ人は夏目漱石がいかに偉大な小説家であったかに気が付いて、知って、びっくりしてしまう。 北村透谷が「処女の純潔を論ず」というとき「処女」も「純潔」も現代語の「処女」や「純潔」とはまるで異なる意味で用いられていて、偏差を修正しながら読んでいかねばならないが、明治初期の人であった北村透谷にとっては、自分が語るべき対象を話すのに適した日本語が存在しない場所で新しい思想と情緒をつくりだしていかなければならない、というおおきなハンディキャップがあった。 江戸言葉のおおきな影が射している日陰で日本語を書かなければならなかった透谷の辛酸は夏目漱石の時代になっても、まだ引き継がれていた。 夏目漱石の「漱石」はよく知られているとおり「枕水漱石」の故事から取ったものだが、夏目漱石は、書いた文章のあちこちに骨格が浮き出ているとおり、読んでもどうしても日本人が書いたものとは信じられないくらい、中国人から見て新しく発見された中国の古典文だとしか考えられない漢文を書く人だったという。 大学教授として専門だった英語のほうは終生外国語の段階で終わってしまったが、江戸言葉で育った漱石はまた能楽の謡をすべて暗誦していたひとでもあった。 (木曜会について書いたものには漱石の謡を聴かされる弟子達の「苦しみ」がよく出てくる) 北村透谷は自殺する前年の1893年に銀座の街頭で見た日本人たちの姿を呪って、 「今の時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。その革命は内部に於て相容れざる分子の撞突より来りしにあらず。外部の刺激に動かされて来りしものなり。革命にあらず、移動なり。人心自ら持重するところある能はず、知らず識らずこの移動の激浪に投じて、自から殺ろさゞるもの稀なり。その本来の道義は薄弱にして、以て彼等を縛するに足らず、その新来の道義は根蔕を生ずるに至らず、以て彼等を制するに堪へず。その事業その社交、その会話その言語、悉く移動の時代を証せざるものなし。」 と書くが、この怒りと絶望について話す時には特有なスピードのある透谷自製の言語は、ゆったりと構える機能をもった漱石作製の日本語のような「笑い」「諧謔」「そっぽ」というような機能を備えていなかったので、やがて北村透谷の日本語はドアをすべて閉じた部屋に透谷を閉じ込め自殺に追いやってしまう。 言語で自己を表現する人間にとって最も大切なものはなによりも言語への感覚であることはいうまでもない。 透谷の若いときからの友人であった島崎藤村にはじまって、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、というような、たとえばニュージーランドなら高校の課程でフランス語についで二番目に多い必修外国語である日本語履修者たちが長じて悪戦苦闘しながら読む小説群を書いたひとびとは、いずれも日本の詩の黄金期のひとたちであり、本人が抒情詩人として出発した島崎藤村はもちろん、詩人の佐藤春夫と奥さんを取り替えっこしてしまった谷崎潤一郎、田村隆一にいっぱい飲み屋で詩論争をふっかけて殴られて痛かったと書き残している大江健三郎も、熱心な現代詩の読者だった。 ついでに書くと小林秀雄や大岡昇平というような人は生活も文学も骨がらみ中原中也の天賦の才のすさまじさに畏怖を感じ、脅かされていたひとびとであったのは、これも、よく知られたことと思う。 どれほど巧妙に物語の仕組みを考案して、設計して、素晴らしい企みを発揮しても、言語の感覚が悪ければ、それはよく出来た紙芝居にしかすぎない。 日本語に感応できない読者を獲得できるだけで、文学とはなにか異なるものだと言わないわけにはいかない。 大学内の小劇場で、安部公房の深刻な演劇が行われている席に座って、そこまではみな熱狂性の沈黙のなかで耳を澄ませていたのに、棒が壁をこえておちるところで、土砂降りの雨のあとの土の地面に落ちたはずの棒が「コンッ、カラカラカラ」というような音を立てて転がるという擬音だったので爆笑が起きてしまって、そのあとは散々で、まだ劇が終わらないうちから三々五々席をたつひとが多かったが、言語の感覚がわるい作家の書いた物語は要するに、そういうもので、マジメに読む進んでいくことができない。 「文はひとをあらわす」というが、正しいとは言えなくて、ある人間の頭に詰まっている言語は「あらわす」というより、その人間そのものである。 野卑な言語を口にする人間は必ず野卑である。 イギリスのスタンダップコメディに典型的だが、野卑でない人間が野卑な言葉を使うときには自分を構成している言語が「道具としての言語」を使役する。 同じ言語という名前を冠されていても、まったく違う、ベクトルが反対の向きにおいて使われる。 何回か書いたと思うが、好きな冗談のひとつにもてない学生が言う「おれは女みたいに微分できないものは嫌いなんだ」というのがあるが、「数学の言語の体系」が頭にはいっている人間は数学という言語が理解できない人間とはまったく異なる宇宙のなかで生きているのは周知であると思う。 「音楽に国境がない」というのはオオウソで音階は作ったひとの文化や言語に直截間接に影響されるので明瞭な国境が感じられるが、数学には文化別の違いがやはりあっても本質的に世界じゅうで単一の言語であるという特徴がある。 あるいは違ういいかたをすると人間性が数学言語からはすっぽり落ちているので、街角でふたりのチョー美人が並んで歩いてきても、要するにそれは不完全な「2」が自分に向かって迫ってきているにしかすぎない。 日本語の最大の魅力は少数派の、しかも極めてヘンテコな言語であるのに、ながいあいだ普遍性をもっていたことだった。 日本語では宇宙の限界から、極めて厳しい論理構成をもった真理の追究、やわらかな情調に至るまで、広大な対象について話すことができた。 新しい思想をあらわす言葉の部分、たとえばカタカナ言葉が文の構造のなかで、最も取り外し可能な、伝統的な構文に影響しないところに位置できる日本語の幸運もあったが、それよりも日本語自体が漢文の注釈のようにして発生した背景にもよるのだろう。 もうひとつの魅力は日本語が普遍語としての歴史が長いのに唯一神の影がうすい言語であることで、真理が「間柄」によって決定されてしまうという「絶対性の欠如」という欠点も同じところから生まれたように見えるが、絶対を仮定すると説明するのが難しいことが増えて、次第に「神」というような「絶対」を仮定すると世界がうまく説明できないことが明らかになったいまの世界においては、誇張ではなくて、日本語は言語として福音になりうる。 いったいに、ひとつの言語が死に瀕するときには、その言語の表現が攻撃性を強めるようにみえるのは、言語一般の特徴だが、そういう意味では日本語には死相があらわれている。 長くなってきたので飽きたが、同じタイトルをかぶせたブログ記事の次の回からは、日本語の特徴が何で、ここからどこへ行こうとしているかについて書こうと思う。

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