Monthly Archives: February 2014

太秦の大足

すべりひゆは、「ゴジラの足を見たひと」である。 @portulaca01 という名前でときどきイタリア語と日本語でツイッタの画面にあらわれる。 日本語で一年に一回くらい更新する、ぜんぜんやる気のないブログ 「すべりひゆノート」 http://d.hatena.ne.jp/portulaca198/ を書いている。 普段はイタリア語で考えて生活しているのが歴然としているが、チョー素直なイタリア語なので、イタリア語アンポンタンな、わしでも読めます。 日本語では、ええかげんだが、イタリア語ではマジメである。 見ようによっては、ええかげんな日本語すべりひゆが、まじめなイタリア語portulacaでバランスをとっているように見えるが、イタリア語portulacaは、毎週日曜日、幼児の性的虐待で有名なカトリック教会に通って敬虔な祈りを捧げるという狂気のひとなので、ほんとうの事情は逆なのでしょう。 いつかツイッタで話していたら、学校への道の行き帰りに巨大なゴジラの足とシッポを見て暮らしていた、というので、そのときタイムラインの中空に浮いて駄弁っていた、みなをうらやましがらせた。 考えてみると、太秦にゴジラがいるのはヘンで、ガメラだったのではないかしら、と思うが、すべりひゆが住んでいる世界ではガメラもゴジラも同じで、ゴジラの翼を見ても不思議でないひとなので、ほんとうはどっちの怪獣が、敷地で、蒲団から足を出して眠っていたのか確かめる術がない。 若いときに日本がつまらなくなってブライトンに行った。 ブライトンでは連合王国人の底冷えのする人間性の冷たさにうんざりして、イタリアにでかけた。 そこでイタリア語人のパウ朗と出会って、いまはゴジラよりは小さいが、おおきな息子と3人で生活している。 ある朝、眼がさめたら息子が髪の毛を緑色に染めて立っていたので卒倒しかけた。 ラザーニャがあまりに上手に焼けたので、感動のあまりイエス・キリストに祈りを捧げた。 なんというか、宇多田ヒカルさんが聞いたらうらやましがって悶絶しそう、というか、ふつーのイタリア人の主婦になりきっていて、イタリアでイタリア人と結婚して20年くらい住んでいる日本人主婦によくある、眼の前に立って話していても、およそ10分くらいは日本のひと(あるいはアジアのひと)と気が付かない、「ほんとうはイタリア人なのでわ」のひとです。 ニューヨークにかれこれ20年ほど家をもっているのに、 「サモアのかたですか?」と言われる義理叔父とはえらい違いであると思われる。 日本名物・集団的サディストが雲霞のようにこのブログにやってきて、「態度がわるい死ね」をしていたときも「ガメさんを信じていたのに、あなたは、ひどいひとだったんですね」が山をなしていたときも、すべりひゆのemailは、「ブログ記事、書くのやめちゃったん?」 「おおお。ご返事ありがとう。emailで返事もらうのって、たのしーよねー」とかで、気抜けがしているというか、普段着でいつものカウチに座って編み物をしているというか、 訪ねてゆけば、「ふっふっふ、ガメ? わたしが焼いたビスケット食べてみるか?」と言いそうな風情だった。 だから友情とは、と続くのを期待するひとがいるのかもしれないが、すべりひゆの話はここで終わりなんです。 ははは。 ただこれだけなのね。 さっきひさしぶりに日本語ツイッタをのぞいたら、すべりひゆが冷たいピザの話をしているので、わしは熊が冷たいピザを食べている絵のリンクを送った。 熊なのに猫舌なのはヘンだが、にも関わらず熊というものは猫舌なので、絵のなかでクマさんが食べているのは冷たいピザであるに決まっているからです。 すべりひゆは、そのピザを食べるクマの絵が気に入ってローカルに保存し、 「あ! パウ朗が帰ってきた」と述べて、タイムラインから出ていって、わしは紅茶をいれに立ち上がってキッチンに行った。 こういうことは一日の始まりとして、良いのではなかろうか、と考えた、というただそれだけの記事である。 ラフカディオ・ハーンだったと思うが、お茶を飲もうとおもって茶碗をのぞきこんだら、見知らぬ男の顔が映っていて、その男が自分に向かって笑みかけた、という話を書いている。 もしかしたら笑わなかったかも知れないが、もうちゃんとおぼえてないし、隣のライブリに立っていってわざわざたしかめるのがめんどくさいので、笑ったことにしておく。 この話の構成が洗練されていると思うのは、起承転結という、その「転」で話がいきなり終わっているからで、造作の立派な家の玄関をはいって、見回すとどの部屋も立派な家で、階段をあがってみたら青空がひろがっていた、というような趣です。 田村隆一は、詩にも物語にも玄関があって居間があって寝室がなければいけないのだ、と情緒の定型には、イデア世界に陳列されている情緒の連続のテンプレート、というべきものがあって、その不可視のテンプレートを天上から地上におろしてきて可視化するのが詩人の仕事であるという意味のことを述べている。 どんな短い物語にも、もともな作者が書いたものならば初めから読んでいって、だんだんにわかりかけてくる「物語の姿」があるが、ここまでがこうならば、このあとにはCからFまでの形の可能性がある、という読む方の期待を裏切って話から読み手がほうりだされてしまう。 人間の一生には通常「起承転結」の形が与えられていて、よりよい「結」をめざして努力するのがよいということになっている。 しかし人間は生物で、生物の掟にしたがって突然死ぬものなので、自分に与えられていると漠然と感じている、あるいは明瞭に計画されていると信じている「起承転結」の形は、実際には架空のものにしかすぎない。 ちょうど、晴れた日の午後に、くつろいで、お茶をのもうと茶碗をのぞきこんだら見知らぬ人間の顔が映っているのをみた男のように、自分のなかに見知らぬ人間を唐突に発見して人間は死ぬ。 「人生を計画する」ことの無意味さは、要するに、そういう人間の一生の本質から由来したものなのだろう。 … Continue reading

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ギリオージ2

(この記事は「ギリオージ」 https://gamayauber1001.wordpress.com/2010/05/02/ギリオージ/ の続きです) 義理叔父が日本を出てしまった遠因はバブル時代の日本人が嫌いだったからだった。 修士課程を終わる頃になると、でっかい段ボール箱ふたつにぎゅう詰めになるほど会社からのお誘いが来て、東芝や日立、その頃から「理系」の人間を採用し始めた銀行や商社に至るまで、いろいろな就職先が「うちに勤めてね」とやってきたそーです。 話を聞いていて、面白いな、と思うのは同じ大学の「先輩」たちがやってきて、高級鮨店や料亭にまでつれていってくれた、というところで、むかしの日本企業はそうやって「先輩・後輩」の情にからめて学生たちに自分が所属する会社への就職を迫ったものらしい。 義理叔父という人の風変わりなところは、自分の属している社会が嫌いだとなると、突然弊衣を捨て去るように自分の社会を捨ててしまおう、と考えたらしいところで、なんだかいきなり何もかも放擲してしまった。 大学の先生になかの良いおじちゃんたちがいて、「なんとかするから社会に出るくらいなら大学に残れば」と言われたようだが、つむじまがりというか、滅茶苦茶というか、なにも考えていない、というか、「いやです」の一点張りで、いきなりプーになってしまった。 「その頃はトーダイ出のプーて珍しいんじゃないの?」と合いの手をいれて聞くと、にやっと笑って、 いちど、アドミニストレーションの近くでキャッチボールをしていたらね、という。 疲れたので窓の下で地面に腰掛けて座ってたらさ、ひとの話し声が聞こえるんだよ。 片方のひとは固い声で「先生、いくら先生の頼みでも、学習塾のパートタイムを『就職先』に数えるわけにはいきませんよ」という。 年をとったひとのほうの声は、すっかり弱り切った調子で、「でもさあ、そうすると農学部全体でも就職率六割切っちゃうんだよ。参ったなあ。来年、学生がくるかなあ」 と言っているのだそーでした。 あるいは、宗教学科の友達に、おまえ、就職どうするんだ、と聞くと、ごくごくきっぱりした調子で、「ないですよ、そんなもの。あるわけないじゃないですか」という。 「宗教学科というものはですね、神主の娘をたぶらかして神主になるか、塾の講師くらいしか就職はないものと決まってるんです」と言われた話などをして、けっけっ、と喜んでいる。 話を聞いていると、特定の学科は人気があっても、欧州とおなじことで、「役に立たない学問」をやったひとには、就職もない、ということではあったよーだ。 もうどうなったっていいや、とふて腐れて、電気代が払えないので電気が止まった、まっくらな部屋でワンカップ大関を飲んでいると、人間って、いきおいつけて無茶しないと意外と破滅しないものだな、とか、わたしは失業者として暮らすことになりましたから、と母親である鎌倉ばーちゃんに挨拶に行ったら、ばあちゃんが「あら、まあ」と言ったきり、なんだか面白そうな顔をして、漁師、なんていうのも、あなたには案外向いているのではないかしら、腰越の漁師さんに知り合いがいるから、お話ししてみましょうか? と言われて閉口したことなどが思い出されて、酔っぱらってぼんやりしてきた頭で、 「おれはなにをやってるのかなあー」と考えたりした。 ことの初めは、当時はエズラ・ヴォーゲルの「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」の頃で、大学のなかでも外でも日本人と言えば肩で風を切る勢いで、札束で頬をはたく風潮よりも、大学に合格した人間の胴上げを見ただけで、唾を吐きかけてやりたくなるくらいコンジョまがりの義理叔父は、なにしろ驕りたかぶった人間の顔というものを見るのがただそれだけで嫌いで、こんな社会は滅びてしまえばいい、なぜ日本みたいな社会が繁栄するのだろう。この世に神も仏もあるものか、と、自分の社会が繁栄することを呪うという、生まれついて非国民なもの思いにひたって、わしなら「ラッキー」とつぶやいて、ここを先途と稼ぎまくるが、義理叔父というひとは意外なくらい繊細で、なんだかうちのめされた気持ちで、 おれは、こんな社会で成功なんかしたくない、と思い詰めたもののよーだった。 「成功したくなかった」という言葉を義理叔父は使ったが、ふだんの言動から考えると、こんな非人間的な社会で生きていたくない、と思い詰めていたのでしょう。 義理叔父は、自殺がおおいことの解説に「不景気な世相」というようなものがはいると、よく鼻で嗤っている。 「カネがなくなって自殺するのは、ジジイだけさ」という。 若い人間は社会に絶望して自殺する。 前の世代の無関心と無責任の結果として自殺するのさ。 他に理由なんて、ありゃしない。 「そのときは外国に行こう、とは思わなかったんでしょう?」と、かーちゃんシスター、つまりは義理叔父のお嫁さんになった人でわしからみれば叔母が述べていたことを思い出して聞いてみると、その頃は、たとえば、東芝やNECの研究所に就職してアメリカに留学させてもらう、役人になって省から直截だしてもらうか人事院留学で出してもらう、そのくらいしかなかった、という。 「でも、鎌倉ばーちゃんの家、カネモチじゃん。出してもらえばいけただろーに」と言ってみると、おまえはひどいやつだな、という顔になって、ほら、Sさんているだろ? とトーダイおじさん友達の、そのまた友達の、ワセダを出てテレビ局に就職してチョー美人の奥さんをもらった人の例をもちだして、あのひとはほら、おかーさんの家を二世帯住宅にして、オカネを出してもらって自分はポルシェを二年にいちど買い換えて、優雅な暮らしをしているじゃない、という。 ふんふん、と言って聞いていると、 「ああいう奴は、だいっきらいなんだよ」と突然言うので驚いてしまう。 きみが社会を観察するとだな、親が残すオカネを自分の一生の収支に勘定するコンジョの腐った奴が必ずいるが、ぼくはそういう人間が嫌いなんだ。 そーですか、というと、びっくりしたような顔でこちらを見て、ガメは平気なのか? という。 ヘーキですね、わしは。 親のカネでも社会のカネでも、なんでも同じじゃん、使っちゃえばいいだけですよ、 と述べると、まったくおまえは、という顔をして絶句している。 ともかく独立心が強いんだか正義なのが好きだったかなんだかで、当時はチョー高かった留学というようなことは、思いつかなかったもののよーでした。 … Continue reading

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夏目漱石の贈り物

「…すると髭の男は、 『お互いは哀れだなあ』と言い出した。『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない』と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。 『しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『滅びるね』と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。 『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……』でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。 『日本より頭の中のほうが広いでしょう』と言った。『とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ』」 夏目漱石が「三四郎」を書いてから115年が経つ。 「三四郎」が書かれたのは1908年の秋から冬にかけて、日本が日露戦争に「勝った」3年後のことだった。 ベトナムはアメリカ軍に「勝った」し、中国軍に対しても勝利した。 アフガニスタンはソビエトロシアに「勝った」。 やがてアフガニスタンは(アメリカが手段を尽くして否定しても)アメリカに対しても「勝つ」だろうと思われる。 しかし、日本がロシアに「勝った」というときの勝利の意味は当時においてはベトナムが対仏対米対中戦争に3連勝したりアフガニスタンがソビエト連邦軍やアメリカ軍を山岳の地獄に引きずり込んで勝利したのとは意味が異なって、陸と海との会戦によって勝利した。 当時の戦争は後では「会戦主義」と呼ばれるようになる戦争で、俯瞰の利く戦場で国と国が全力を尽くしてぶつかりあい(再び述べると当時の感覚では)より強固な進んだ文明を持ったほうが「勝利」する文明の優劣を決定する場所だった。 帝政ロシアは当時、世界最強の陸軍を持ち、こちらも世界最強のひとつに数えられる海軍を持っていた。 ロシアのボロボロな国情を熟知していたロンドンやニューヨークのユダヤ人コミュニティの外側で近代世界では駆け出しもよいところの日本が勝つと思うひとはいなかっただろう。 しかし、日本は勝った。 ポーツマスのシャンデリアが輝く天井の高い部屋で日本の小村寿太郎全権大使が精も魂もつきはてた人のように講和条約にサインしたとき、日本の帝政ロシアに対する勝利は確定した。 日本のひとたちの有頂天ぶりを想像するのは難しくはない。 昨日までは、われながら、なんとなくパチモン風の近代国家だと思って、おそるおそる世界を見渡しながら生きていて、五尺に満たない身長の自分達に較べて、どうかすると六尺を優に超える背丈の外国人たちが横浜や東京では闊歩して、文字通り自分達を「見下ろして」いる。 それが、あの偉そうな西洋人たちのどんな国よりも軍事的に強いのが常識のロシアに勝ったのだから、大得意もいいところで、いまから振り返ると、なんだか喜びのあまり頭がヘンになった国民のような様相を呈した。 いまふうの日本語で言えば「舞い上がって」しまって一種の国家的躁状態になり、自分は世界の主人、少なくとも世界の主人のひとりのうちには数えられる存在だと考えることの楽しさの虜になってしまった。 日本語学習者は上級になるとたいてい夏目漱石を読んでみるが、英語ではもちろん、日本語で読んでもなぜこの退屈な小説が日本では「国民文学」なのか訝ることから始まる。 ところが何年か経って、まだあきらめないで日本文化とつきあってきたひとびとが、もういちど夏目漱石を読んでみると、このひとの書いたものはこれほど偉大な物語だったのか、と、いつのまにか嘆息する気持ちに変わっている。 夏目漱石という人は日本そのもののようなひとであって、漱石の文章にわけいっていくことは日本という文明の深叢にわけいっていくことにとてもよく似ている。 冒頭の「三四郎」は日本全体がロシアに勝利したことによって狂躁状態にあるただなかで書かれた小説だが、この小説が書かれた37年後、1945年に訪れる日本の世界史に稀な破滅も、その理由も、その過程も、そこに起きる情緒ですら夏目漱石は精確に知っていたことになる。 陰謀論を弄ぶのが好きなひとをのぞけば、日本が日露戦争に負けていた場合の運命に疑いをはさむひとはいないだろう。 むかしから植民地経営の下手さと強圧的なだけで非生産的な支配体制で知られるロシアに占領された日本は一個の巨大な北方領土のようなものになっていただろう。 日本人は民族として、ロシアの軛から逃れるために、叛乱し、内戦を起こして、ついには疲弊し、日本という国あるいは地域の運命はずいぶん違ったものになっていたに違いない。 だが勝ったことの弊害もおおきかった。 日本自体にとっても、いまに至る落ち着きのない狂躁的な知性と驕りたかぶって他人の話をまるで聴かない国民性を生んでしまった点で不幸だったが、近隣のアジア諸民族にとっては、迷惑どころの話でなくて、なにしろ自分こそが正義だと信じる狂人の群が彼方の白人たちから自分達が祖国を守ったように守ってあげるからと言いながら、どんどん土足(というよりも精確には軍靴だが)で居間どころか寝室にまではいりこんできて、自分の妻や娘たちを集団で強姦しはじめたのだから、到底おはなしにならなかった。 八〇年代の日本のひとは、「世界はひとつ人類みな兄弟」と、なんとなく自然にも世界にもほんとうには興味のなさそうな顔で、そのくせ巨額な支払いを要するテレビのゴールデンタイムの広告枠を買ってまで述べていた老右翼の口にする言葉が、考えてみれば「八紘一宇」の口語訳であることに気が付いていたかどうか判らないが、密教の真言のようにして、姿を変え、言葉を変えて、日本のロシアに勝ったことで起きた静かな狂躁はバブル時代の日本でも生きていたのである。 日本という国の社会と言語に興味をもって見つめて来た外国人の眼には、日本人がこの広大な世界でただひとりの兄弟である韓国人たちと悪罵の応酬をはじめたときに、空をも遮る高さで日本を囲んで閉じ込めながら、いっぽうではそれなりに日本を守る役目もはたしてきた不可視の分厚い壁に亀裂がはいりだしたのがはっきりと見えた。 その不吉な裂け目には黒い染みができて、いまでは、その黒い染みはすでにその怖ろしい正体をあらわして水がほとばしりはじめたのが見えている。 日本のような言語の壁のせいで物理的距離以上に英語圏から遠くに存在する文明への世界の反応には常に四,五年の時差があるが、それを勘案すれば、日本のこれから五年のあとを決定した日本のゼノフォビアは、日本を孤立させ、またしても破滅に追い込むのがもう見えてしまっている。 その破滅へ向かって歩む過程で、国内をひきしめ、国内をひきしめるために日本人の体質である集団的サディズムを利用して相互監視することによって個人の自由を実質において停止し、もともとが日本社会という「全体」の部分にしかすぎない個々の「日本国民」に対して、自分が日本の部品にしかすぎないことへの再確認と自覚を求めて、対内的にも対外的にも本来の姿を取り戻して荒れ狂ってゆくだろう。 冒頭の、佇まいそのものが日本から取り残されてしまっているような「髭の男」は名前を広田先生というが、広田先生が見るからに田舎者の、それでいて無垢な知性を感じさせる三四郎という青年に、気まぐれな親切心を起こして述べだした文明批評は『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……』と述べて、そのあとに続いたものが「世界」ではなくて、『日本より頭の中のほうが広いでしょう』であることには当然ながら、おおきな意味がこめられている。 『とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ』 という言葉はまさにいまの日本人たち https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/鏡よ、鏡/ に向かって送られた夏目漱石の忠告である。 新聞の見出しにまでたかが部数を伸ばすためだけに発明された反韓嫌中の言葉が並び、政治家が情緒的な敵意を隣国に向ける事態に至ったいま、時の、もっと遠くの声に耳をすませて、自分達のあいだから生まれた者の叡知の言葉に耳を傾けることには意味がある。 … Continue reading

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音楽のないダンス・クラブ

1 敵よりも味方を憎むのはよく知られた人間の習性で政治においていっそう顕著にそうである。 国家社会主義はいろいろな情緒的意匠を伴ってあらわれるが要は「金銭的利益」というチョー下品な一点にしぼってグループをマネーバッグで包み込んでしまうので分捕り品が目の前につみあがるまでは分裂が起こらないが個人の側から出発した政治勢力は身の回りの利害や観念や理想に依拠するので全体主義と対立すると、ほぼ必然的に分裂する。 分裂しないですむのは自分達が属する国が国家主義者にのっとられた場合(あたりまえだが)自由も言論も根こそぎ失われることが意識にのぼって、そういう事態がいま分裂して紛争しているすべての人間にとって致命的であることが周知されているときだけである。 1930年代、ピストレロ、無政府主義者、共和主義者、マフィア、中道主義者、さまざまにいりみだれて紛争していたスペインは、カタロニアで言えば、1931年の第二次共和国成立直後に「カタロニア共和国」の独立宣言がだされるが、10人いれば11の主張が生まれるといわれたくらいで、理想を求めて喧喧諤諤としているうちに西からフランコがやってきて、1939年1月にはあっけなくバルセロナが陥落する。 サンチャゴ・デ・コンポステラがあるカトリック教会色の強い、ドイナカ・ガリシアの出身だったフランコは、スペインのなかで最も都会的だったバルセロナとカタロニア人の存在を憎んでいた。 腰パンのちゃらちゃらしたガキどもを憎んで「美しい国」を目指す安倍晋三みたいなものだと思われる。 フランコの支配を嫌ってフランスに大量にカタロニア人が脱出したあとのカタロニアにフランコは大量の(カタロニア人とはおよそ正反対の気質の持ち主で有名な)「美しい国」の住人アンダルシア人たちを送り込みます。 カタロニアの「スペイン化」を企図した。 その結果はどうなったかというとアンダルシアからやってきて自分達が見たこともなかったカタロニアの開明的な明るい文化に触れたアンダルシア人たちは、フランコを憤激させたことには、みんなが「カタロニア化」してしまった。 アンダルシアの聖母マリアの影が民衆に重くのしかかったような暗いやりきれないカトリック色が強い抑圧的な生活感覚を捨てて皆がカタロニア人になりきる、という愉快な現象が起きてしまう。 なんのことはない独裁者フランコの「カタロニア絶滅計画」はカタロニア人の人口を増やしただけで終わってしまった。 「文化」というものの強烈な力を嫌というほど思い知らされたイナカモノ将軍のフランコは、この後、カトリック教会と組んで、カタロニア人たちから文化そのものを奪おうとする。 日本人が朝鮮半島で韓語を禁止したようにカタロニア語を禁止する。 日本人が日本人のワカモノに対して禁止したようにダンスを禁止する。 実際、カタロニア人たちには、カタロニア語の禁止と同じくらい、有名なカタロニアの踊り「サルダナ」を禁じられたのは堪えたようで、踊ることを禁じられた日々の辛さは、いまでもバルセロナでじーちゃんやばーちゃんと話をするとよく話題として出て来ます。 自分の好きな場所、好きな時間に踊ることを禁じられた日本のワカモノが、それほどたいへんなめに遭っていると思っていないらしいところと較べて、ちょっと考えさせられるところがなくもない。 フランコのカトリック教会と組んだカタロニア弾圧は1977年にカタロニアに自治州政府ジェネラリタットが復活するまで続く。 バルセロナの町のあちこちでサルダナを踊るひとびとは、自分達の文明が殺されないですんだこと、自分たちの町が自分たちの手に帰ってきたことの歓びをいまだに爆発させているのだともいえて、あの誇りに満ちた表情には、そういう意味があるのでしょう。 2 「バニティ・レストラン・トウキョウ」の経営者が「店内で非合法に客にダンスをさせていた」罪で逮捕されたことは東京で退屈しきっている外国人たちに格好の笑い話を提供した。 この「警察の行きすぎ」に反対する弁護士たちは「風営法制定当時は『ダンス』といえば男女が出会うためのツールという側面が強かったが、半世紀以上たったいまでは、踊る事は自己表現のひとつになっている」というので、こちらの声明も、なにがなし、ものがなしい日本社会の気分を伝えるものだった。 ちょうどフランコのスペイン政府が目の敵にするカタロニア人を抑圧するためにサルダナを禁止したように、自分の国のワカモノを憎む日本の社会はクラブでの「ダンス」を禁止したのだ、と述べてあそぶことは出来るが、悪趣味な気がするので、やらないでおく。 結婚する前、わしが週末になると当然の習慣のようにクラブにでかけていたのは「男女が出会うためのツールという側面が強かった」(^^;)が、別に政府によって禁止されていなかったので、いきつけのレストランで、週末のライブ演奏のバンドがあまりに良いので、客たちがフロアに出ておどりだして、クラブなんだかレストランなんだかわからなくなってしまう夜でも、逮捕されたことはなかった。 パリの天井が低いひといきれでむせかえるようなクラブや、マンハッタンのちょっと油断していると一緒にでかけた女びとをあっというまに横取りされてしまうような、アフリカのサバナのような弱肉強食のクラブ、大庭亀夫がバク宙をこいておおうけする「ステージ型」のクラブもあれば、promiscuousな雰囲気で充満していて、他のことはなああああんにも考えてない男と女が皆で身体をすりすりさせあっているクラブ、いろいろなクラブで遊ぶが、踊ることは生活の一部で、それがなぜセックスの金銭化を取り締まる法律である「風営法」の対象になるのかピンとこない。 ダンスから少しはなれて言うと、オークランドでも夏の夜になれば、「ショートショーツ」とおとなが自分の娘たちの格好を嘆いて述べる、これ以上短くできないショーツをはいて、実効面積がブラとあまり変わらない袖のないTシャツを着て、十代の女の子たちがクラブに繰り出す。 足が長く形がよい女の子達は足を強調して、胸の形がよいのが気に入っている人は胸を強調して、まだあまり選びなれない香水の匂いをぷんぷんさせながら、みなが思い思いに「性的に挑発的な」かっこうで夜の町を闊歩する。 深夜の駐車場を横切って、支配欲にとりつかれて頭がこわれている男に襲われて強姦されたりすると、「あんな恰好で」と述べる20世紀の野蛮社会の生き残りのようなおっちゃんやおばちゃんが必ずあらわれるが、知らない男と口を利いたのだから強姦されるのは当然でそれは女の側の落ち度である、と言ういくつかのムスリム社会の「常識」を考えればわかりやすいかもしれないが、もういいかげんにしてくれないか、というか、人間の文明を頭から信じないクソ頭の「知識人」などと口を利くのはメンドクサイ気がする。 17歳くらいで、およそひとらしくなってから、いままで、わしは美しい、性的な魅力に満ちたひとが、こちらをじっと見て、ほら、なんとかしなさいよ、こんなに美しいものが世界に存在するのに、あなたは手をこまねいてじっとしていていいの?と述べているよーな、チョーこわい、というのはつまり人生が容易に破滅に導かれるような美しい女びとに誘惑されるのが好きだった。 いけない告白をすると頭がくらくらしてきて、もとからあるかどうか怪しい理性もなにもなくなって、気が付くと、そーゆー、チョー魅力的ねーちゃんやおばちゃんといつのまにかベッドにいる、という不甲斐ない時期もあったが、モニさんのおかげで更生して、正しいいちゃいちゃもんもんの道を歩いている。 いまさら「ダンスひとつに対する考えをとっても日本の社会は人間性に乏しいのではないか」というようなことを述べてもしょーがない気がする。 「女は出産する機械だから」と、うっかり「本音」を述べて非難された安倍晋三内閣の厚生労働省大臣がいたが、日本では個人は社会の部分なので、女のひとびともまた将来の市場を形成する「日本人」をうみだすための製造ラインで、「品格で社会をふるいたたせる」ような高尚さをもたない、獣のにおいのする人間性などは、風営法の対象としてのみ社会のなかに存在しているだけなのはあたりまえである。 わしが、ニュージーランドは売春婦がビジネスちゅうに強姦されたと警察に訴えて相手が逮捕される社会である、と述べたらいあわせた日本の男の人たちがおもしろそうに笑い転げたが、わしはそこで笑い転げるひとびとを気の毒におもった。 その頃、わしは日本の社会では高尚な感じがしないと人間性と認められないのではないか、と考えて、折りにふれて日本の人に、「ひとに誇れない行為の結果、人間性を蹂躙されたひとびとの事例」を話してみることが多かったが、日本のひとの「人間性」への共感はヒロイックなものに限られていて、それ以外の場合では「自業自得」というような考えにとらわれる人が多かった。 言うまでもないが「自業自得」というような言葉は他人の運命になど関心をもたず、他人に対するsympathyも存在しない社会で多用される言葉である。 3 日本語という孤立した言語体系のなかで生まれて死ぬせいで、日本では「社会」の実体が過去に死んだ日本人たちの魂の視線の集積に限りなく似ている。 生きている日本人同士も、言語そのものがお互いに寄り添いあい、もたれかかっていて、真理でさえ絶対性をもたず、「あいだがら」のなかで決定されてゆく、ということを前に書いたが、日本人は母親という個人の肉体から生まれるよりも社会の壁にふくらみができて、そこから膜を破って出てくるもののように、この世界にでてくるかのような奇妙な印象をもつことがある。死者の願望や膨大な観念の集積で出来た社会の部分として個人が思考し発言して、その結果、個人から社会という方向の関わりにおいては、個人の一生がほとんど実効性をもっていないようにみえるからです。 この個人の人間性そのものを否定したような不思議な人間の一生のありかたは、観察していると、やはり日本語という特殊な体系によって規定されている。 日本の民主主義が体制にすぎず、本来民主主義を「やむをえない制度」として痛みを伴って選択するはずの個人の側からの自由への欲求が日本人の内面には存在しないらしいことを「芸達者」で述べたが、それでは日本人をここまで運んできた原理はなにかということを、この次にこの題名で記事を書くときには考えてみたいと思いまする。

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「ちゃんとした」ひとびと

アメリカから見ると、いま日本で起きていることがどう見えているかというと、 1945年から1952年まで7年間の占領期間にアメリカが教えてやった自由の精神が結局は身につかずに、民主主義という形骸だけを残して、本質的には、元の黙阿弥、また1945年以前の露骨な国家主義に戻ってしまった、というふうに見えている。 自分達でつくりだした自由社会ではないが、与えられた「自由」を理解して、壊してしまわずに自分達の社会でマネをしていくという点ではアジアの優等生だったはずなのに、やっぱり、あの賢い日本人たちでもダメなのか、という失望の口調がアメリカの保守人と話していると感じられる。 日本人だからといって皆が天皇であったり安倍晋三であったりキャリーパミュパミュであったりしないのと同じことで、アメリカ人にも種々雑多、ピンからキリ、いろいろあるが、ここでいう「アメリカ人」とは自分が知っているアメリカ人たちのなかから、とびきりの選良たちをのぞいて、「アメリカ人の意見」と言われたらこのへんの人を思い出すかなー、という、そのへんのおっちゃんやおばちゃんで、職業でいうと、テキサスの小さい工業デザインスタジオの社長、同じくテキサスの零細航空券小売会社の社長、シカゴのスーパーマーケットの社長、カリフォルニアの俳優、女優、歌手、作曲家、テレビプロデューサー、ちゅうようなひとたちです。 イラク戦争を始めるときにブッシュジュニアは「日本人に民主主義を教えられたわれわれがイラク人に民主主義を教えられないはずはない。イラク占領は『日本型』をめざす」と言っていて、わしを甚(いた)くおもしろがらせたが、日本の人が聞けば「なにを言いやがる」と思いそうでも、アメリカ人というひとびとは、いざとなると包み隠さず自分たちの正直な気持ちを述べてしまうひとびとで、「日本という国は日本人のなんでも器用にマネをする性質を利用して自分たちの自由社会をマネさせることによって出来た自由社会なのだ。かっこいいじゃん。ほんで、あの国は、アメリカの作品なんだぞ」と明瞭に述べる。 ふつーの生身の人間を神様だと信じて崇めていた手先は器用だが本質的に遅れた民族を欧州人たちの前にだしても恥ずかしくない一人前の人間の社会にしてやったんだぜ、という自負心がある。 日本人が聞いたらはなはだしく自尊心が傷付くような思いようだが、日本人の前ではまさか失礼だから言わないし、それでも、いざとなれば涼しい顔をして思ったとおりを述べて、「それでは、あんまりではないですか。ではわれわれのプライドの問題というものはどうしてくれるのだ」と日本のひとが抗議しても「それは、それ、別の問題で歴史的な真実は変えるわけにはいかないだろう」というに違いない。 民主制度というものは要するに政体であって制度なので社会の頭から力まかせにかぶせてしまえば、どんな人間と社会の関わりようを自然と感じる民族にもかぶせてしまうことができます。 族長制でも絶対王政でも変わるところはない。 もしかすると判りにくい人がいるかもしれないので、たまには根気をだして、過去の記事でも少し述べたことを、もう少し説明すると、ひとつの社会が自由人の社会であることと政治制度が民主主義であることとには何の関係もない。 現に1945年の戦争に負けてアメリカ人たちに強制された民主主義をうけいれたのは、昨日まで学校では御真影が格納されている建物の前でいちいち立ち止まって深々と恭しく頭をさげてから学校の校舎へ向かうのでないと、いやというほど殴られ、都電(当時は市電か)に乗っていても宮城(きゅうじょう)と呼んだ皇居に車内に乗り合わせたひとはいっせいに頭をたれてみせなければならなかったひとたちだった。 (前におもしろがって、もしかして車掌はもちろん運転士も頭をさげるのが義務で、それで起きた事故があるのではないかと考えて調べてみたことがあったが、見あたらなかったので、どうも運転士だけは例外だったような気がするが、いまでも真相はわからないので知っている人はひとつどうぞよろしく) ここで大事なのは、昨日まで「天皇陛下のために、きみたちは爆弾を抱えて鬼畜米英の戦車の腹の下に突っ込まなければいけない」と教えていた小学校や中学校の教師は、1945年8月15日を境に突然「諸君、今日からは民主主義の世の中です。『天皇陛下は現人神』などと遅れたことを言っていてはいけません」と言い出したので生徒は困りきって、ぐれたが、教えるほうも教わるほうも「民主主義」は本を読めば理解できても「個人の自由」のほうは理解の届きようがないことだった。 「生活風俗」から類推して、「こんな感じ」と思うのが普通だった。 幸い1920年代くらいから、なんとなく辛気くさいイギリス文化は人気がなくて、当時からイギリス人への反感は強かったが、明るい、楽しそうな感じがするアメリカ文化のほうは日本人のあいだにも人気があって、日本のなかでも「都会」にはアメリカの生活風俗をうけいれる下地があった。 チョーくだらないことを言うと「鬼畜米英」というが、敵国を憎い順番に「米英」と呼び出したのはサイパン島がアメリカのマリーンによって陥落した1944年からのことで、それまでは無理なく憎めたイギリス人を先にして「くたばれ英米」というように憎しみをこめる場合はイギリスが先に来た方が気分が出やすいもののよーでした(^^;) 歴史の本には市井の人間は登場しないので声が聴き取りにくいが、1945年以来の歴史を追っていきながら面白いと感じられるのは戦後の日本の「民主主義」が「自由を欲しいと思っていないひとたち」あるいは「自由な状態とはどんなことなのかわからないままのひとたち」によって選挙され、議会が運営された「民主主義」であることが当時の雑誌記事や風俗小説を読めば明瞭であることで、特徴的なことをあげれば、たとえば、頻繁に「わがままと自由は違う」と書いてある。 この「わがままと自由は違う」という至るところに、といいたくなるほど出てくる個人の野放図な自由を牽制する言葉は、日本語学習者として初期の頃のわしを甚く悩ませた。 どーゆー意味だろう? と考え込むことになった。 まず「民主主義」が占領軍によって鉄のタガのように社会の頭の鉢におしかぶせられて、あとでは諄々と自由になってね、という道をたどった日本のような国もあるが、日本以外の「自由主義国」というのは、まず初めに手がつけられないほどわがままな、やりたい放題の個々人がいて、そのひとりひとりのデッタラメなやりたい放題と社会が折り合いをつけるために民主主義を、これならなんとか「社会」と呼びうる程度のまとまりが出来るみたい、というので採用したという歴史的経緯を持っている。 言わば個人が自由であることが前提の社会の民主主義で、見ればすぐ判るが、民主主義などはかけらもないころから個々人は自由の気風を持っていて、と言えばカッコイイが、チョーわがままで、権利もくそもなくて、力が強ければその辺のねーちゃんを「手込め」にしてしまい、妹を手込めにされた兄貴は頭にきて、剣を抱えていって妹を手込めにした奴をぶち殺す、というような社会をやっていた。 途中をおおはばに省くが、そういうわがままが充満した社会のありかたというのは、たとえばスペインに行けば、スペイン諸国のなかのどの国にいてもすぐに「匂いとしてわかる」ことで、どんなにそういう機微に鈍感なひとでも週末の忙しい街で例の料金を支払う機械とバーがある屋内駐車場のゆいいつの出口にクルマをドンと突っ込んで駐めてしまう人が必ず出る街をみれば、「あっ、これじゃ、民主主義じゃないと、どーにもなんなくなっちゃうよねー」と簡単にわかります。 再び、前の文とこの文のあいだにあるべき数頁を大幅に端折って書くと、ところが日本では、ほんとうは民主主義なんて必要がない人間達の上に民主主義という制度だけが降ってきた。 しかも占領軍の自分達より遙かに若い将校たちがエラソーに、「あんな演説をしていいと思ってるのか」「勝って兜の緒をしめよ、なんてファシズムの極みだ、許しがたい。削除しなさい」と、いちいち、こちらは畏まっているのに、足をデスクに載せたまま、いちゃもんをつけるので、様式美というか、「こんなふうに民主主義を演じてみせれば監督からダメがでないのだな」という経験則の積み重ねで「民主主義」をつみかさねていった。 その結果はたいへん不思議な事になった。 1998年に鳥取県境に近い京都府の中学校を見物にいった15歳のわしは、あの有名な「前ええええええー、ならえ!」を見て、椅子から文字通り転げ落ちそうになって、お行儀がわるい、と、かーちゃんに怒られることになった。 かーちゃんは、涼しい顔をして笑っているが、目の前で繰り広げられているものは「よろこび組」のマスゲームというか、軍事教練というかに限りなく似たもので、目の前の中学生たちは、見た目も陸軍の軍服にそっくりなおそろいの制服を着て、あまつさえナンバー1カットで、肩に三八式歩兵銃を担っていないのが奇異に思われるほど兵士たちに似ている。 教室で行われた「授業参観」では、文字通り「毛色の変わった」ヘンなひとたちが後ろで見守っているのが中学生たちの好奇を刺激したのでしょう、ときどき振り返ってはクックッと目と目を見交わして笑い合っている女の子たちに、わしが右手を小さくあげて「やあ」をしたら、女の子たちのほうが、先生に「T! K! H! 教室のなかでは私語は禁止!みんなに迷惑をかけるようなことはやめなさい!」と怒られていて、怒られなかったほうのわしは、「どうせ、あんたは異国者のアホなんだから、テキトーにやってなさい」と言われているようなビミョーにバカにされているような感じを与えられて情けなかった。 ついに安倍晋三のような人が出て来て、国民に支持され、実際外国人の眼にも、野田佳彦というどうみても政治遊び専用につくられた「オモチャの政治家」のような異様な政治家よりは、遙かに足が地に着いた国権国家主義者で、いままでは何をするにしろ、はたからみていると、過去の民主党政権では、漂流船とでも言えば良いのか、なにがやりたいのか、どうしたいのか、いっそ中国に政治をやってもらって自分達は中国人が書いてくれた演説草稿を読み上げて暮らしたいのか、と言いたくなるようなわけのわからなさだったのに、明瞭簡明に国家優先の経済政策を強行して国民ひとりひとりの財布から円安とインフレという仕組みを使ってオカネを経済政策ポンプでくみ出してしまい、それを国家の傾斜政策で再投資して、儲かったら半分くらいは国民のポケットに返す、という外国諸政府にもわかりやすい明確な政策をすすめ、対外的には太平洋の航行権という中国とアメリカの本質的な国益の対立を見切って、自由主義なんて捨てちってもアメリカに国家社会主義を復活させた日本を見捨てるだけのコンジョはなかるべし、とアメリカの神経がぶち切れるギリギリの線をねらってアメリカの神経を逆なでして靖国神社にまで参拝する、アジア諸国とアメリカの我慢とコンジョの限界に挑むチョー右翼政策を連打で打ち出しつづける日本は、「自由」を標榜するなにがなしよそゆきな過去の日本よりも板についている。活き活きしている。 モニが、自分の子供たちを助けてくれ、という悲鳴に似た手書きの抗議を両手で高く掲げて、ジッと恐怖に耐えながら立ち尽くしている若い母親を危険を極める政治犯に対して警察が常用する圧迫的に近接な距離を詰めて威嚇する制服警官と私服警官の3人の写真 http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c3/dd1612aaec73078ce7c5b8cd05acba63.jpg を見て、涙をためて、「なぜ、日本の人はこのひとのために警官たちを取り囲んで抗議しないのか?いったい、あの国ではなにが起こっているのか?」と述べていたが、 そのモニへの疑問に対するわしの唯一の可能な解答は、 「日本は自由を必要としないひとびとの民主主義の国だから」でしかありえなかった。 他に説明の方法はなかった。 政体という「形」を与えれば社会の自由などは個人の自由がなくても、その形式から生じるのであって、日本人のモノマネの才能で自由社会などは出来てしまうのだ、というアメリカ人特有の思い上がりは、「アメリカのモノマネをしていれば儲かる」という日本人の認識が終わったところで終焉に達した。 アメリカ人は、ことのあまりの意外さに驚いているが、考えてみれば、70年前にアメリカ人が犬に餌を投げ与えるように民主主義と自分達のライフスタイルを投げ与えてやれば「自由社会」などはいつでも実現できる、と考えた奢りと軽薄さが、中国という強大な、しかも西洋の文明とはまったく異なる文脈のなかで生まれたパワーが登場したことによって破綻しただけである。 日本のひとたちは、アメリカのマネを続けるよりも自分達のもともとの体質に合う国家社会主義にもどったほうが「儲かる」と直感的に知っている。 ここから先、思わず知らず実際に「個人の自由」という本来は民主主義を実現する社会的内圧になるべきものを自分の魂のなかに宿してしまった少数の日本人たちは、日本に充満してゆくに違いない国家社会主義者たちによって、ちょうど、女でも教育を受けていいのだ、顔を太陽の光にさらすことは究極の悪徳などではないのだ、と感じてブルカをベールにかぶりなおして、家族や親族の反対を押し切って学校へ通い出したアフガニスタンで、アメリカの勢力が退潮するにつれ、タリバンに再び捉えられ、打擲されるアフガニスタンの女びとたちと同じ運命に遭うだろう。 … Continue reading

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ふつうでいいいのさ

普通の人間は自分の短い一生の時間が惜しいので、あんまり政治や社会の問題に煩わされたくないと考えている。 わしなどは昔から(古典的な意味で)ヲタクなのでどこにいてもなんらかのオンライン端末を握りしめていて、360度見渡しても陸地が見えない南太平洋のまんなかで「mmpoloの日記」を読んでいたりして、我に返って、いったいわしは何をやっているんだと爆笑してしまうことがあるが、それはわしという人間が救いがたいヲタクであるからで、普通の人はそんなことはしません。 自分の生活に即して考えると、モニとふたり、あるいは友達たちとゴルフ(ニュージーランドではゴルフは大陸欧州の上流階級のスポーツでもなく、日本のガハハおじちゃんたちの半日(!)も続く会合でもなくて、ただのスポーツです)をやったり、カヤックで沖合までさっそうと漕いでいって転覆してモニに大笑いされたり、マウンテンバイクで超人的な筋力にものを言わせて渓谷を怒濤の速度で駆け上がって、こけて、思い切り顔から茂みに突っ込んだり、ボートに釣り上げた巨大ヒラマサを取り押さえながら、魚もろとも海に転落したりで、なんというか、そーゆーことに忙しくて哲学が一日に介入する余地がない。 まして「政治」や「社会」においておや。 でもあんた机に向かってわけのわかんないことばかり書いていて、あまつさえ複数の言語で意味が不明瞭なことを述べてニセガイジンとかゆわれてんじゃん、という人もあると思うが、わしは人間はのんびりだが知性は高速なので身体を動かしていないと、頭脳のrevがあがりはじめて、始終退屈して本を読んだり、読む手をやすめて計算したり、やおら必勝法をおもいついてオンラインゲームを起動したり、自分の船のディーゼルエンジンの改良をおもいたってディーゼルの本を積み上げてよみふけったり、傍目には忙しいのです。 本人の感覚ではあんまり忙しくないけど。 というより、プー然とした気持ちだけど。 民主主義が大事なのではなくて、国民に常識さえあれば民主主義によって守られるはずの自由主義が大事なので、自由主義が大事なのではなくて自由主義が保障してくれる個人主義が大切なので、いやいや、個人主義が大切なのではなくて、個人主義でいいよね、という社会が保障してくれるモニとわしと小さいひとびとの生活が大切なので、考えてみると、わしが考えている事は、「今日一日起きてから寝るまでジュージツして幸せな気持ちでいるためにどうするか」ということにしかすぎない。 そのためにはたとえば健康であることが必要で「わしらはオベンキョしたんだかんね。そのわしらがダイジョブだと請けあってんだから放射能なんて怖がらないで暮らしなさい」と言われても、他人の勉強なんてあてにならないものを信用する習慣がないので、日本に住むのはやっぱり嫌である(ごみん)。 こういうことを書くと、むかしから日本語世界では「あなたという人は自分のことしか考えてないんですね。恥ずかしくないんですか」という人が必ずくるが、ほんとうはそういうものではなくても、もう30歳を越えたので、「むっふっふ。ばれたか」と答えてすましていてもよい。 そういう「公共いちばんカステラ二番」(←原典が判らない人は我が友ミショどんに訊くように)の人とわしとはものごとを見ている方向が180度逆で、わしは自分がいてモニがいて小さいひとびとがいるという方向から社会を見ているが彼のひとびとは社会の側に立って個人の生活を見ている。 と言ってもわかりにくいかも知れないので具体的な例を挙げる。 安倍晋三を支持している日本の人々の半分はこのひとの途方もなく国家主義的で好戦的な政治的主張を支持しているよりはアベノミクスを支持しているのだろう。 アベノミクスは現状日本の経済を浮揚させているし、へえ、こんな人まで、という人たちに至るまで「安倍晋三の政治的主張には同意できないが、反対の人びとはアベノミクスにも反対するというのだろうか?」なんちて、1938年のヒトラー政権に対するベルリン「知識人」そのままの感想を書いたりしているが、わしは、アベノミクスなんてうまくいくわけねーじゃん、産業はどこにある?、市場への期待だけで一国の経済が劃期を期せるんだったら投資家なんて「キャッシュカウ」を増やせばいいだけのショーバイで楽ちんだけど、世の中そんなあまくありまひん、と何度もこのブログ記事やツイッタに書いたとおり、全然うまくいくと思っていない。 アベノミクスなど、市場の期待がくたびれて後退したところで終わりになるに決まってる。 わしのショボイ経済見通しは、外れればわし自分のオカネが減るだけなのでどうでもよいが、日本の人はようするに「銭がなければ食えないのだよ。反原発とかゆってるやつは儲からんことばっかりゆっていて役立たずなのではないか」と思っているということだろう。 しかし、しかああああし。しかしx3。 頭をかちわってみると「志」とか「人間の生きるべき道」とか「愛国」とか「子孫に残すべき国」とか言う言葉がボロボロ出てくるに決まっているわしが隠し親村上憲郎おっちゃんのような人間は別にして、普通の、市井の、どうせわたしはたいしたことありませんから、という人間にとっては、外国にとんづらこいちまったほうがはやい、という選択肢が常にある。 日本社会がカタギになるなんて、そんなもん待ってられるかい、という立場がある。 日本みたいにフジツボのように一箇所にしがみついている社会よりも、諸事、動的で、どんどん変化する現代の英語社会のほうが個人にとっては楽ちんな生活に至るドアが開きやすい。 ポップミュージックのようなバリバリに商業主義的で、下品、マーケティング第一の世界ですらニュージーランドみたいなスタートレックの未来では連邦刑務所になっているドイナカの15歳(当時)の高校生がつくった曲が一挙にヒットチャートをかけのぼって本人にミリオンダラーをもたらしたりしたのは、日本のひとびとには想像もつかないくらい社会が動的になって「決まった形」が失われているからである。 インターネットはこの世界に破壊と混乱をもたらして、その絶え間なく供給される破壊と混乱が個人にとっては無限の成功機会を提供しつづけている。 あんまり言うとわしが誰かいきなりばれて、これから楽しみながらちょっとづつばらそうと思っているわしのウヒヒ意図に反するので控えめに述べると、わしは自分が会社を買った場合において、特に欧州では、時々、チョー簡単に言うと、わざと会社の組織を滅茶苦茶にする、社内を混乱に導く、ということをする。 そうすると何が起きるかというと優秀な人間はドサクサをついて、面白いような手をおもいついて予算と人員をぶんどって、自分で勝手にやりたいプロジェクトを立ち上げてさっさとすすめてしまう。 会社のチェック機能が働かなくなっているからです。 会社のチェック機能は働いていなくても、大庭亀夫はチェックしているので、「なはは、こいつ面白いな、今度は勝手に部署をつくってフロアを占拠しちゃったよ、オモロイ奴」と思って眺めている。 やがて彼女または彼は案の定成功して、たいてい独立を志します。 わしが会社の「社員」はそうやってわしを感心させた若い人びとで、こういう社員の役割は会社に出向して社長をやることである。 すごおおおくコンサーバティブな投資が中心で、っちゅうかそれが稼業であるのに、なんでか会社に投資することがあるのはそれが楽しいからだと思う。 混乱は個人を活性化する。 管理などは管理する側から見て管理される側が優秀なだけでダメなひとであることが前提で、むかしは知らず、優秀でダメなひとの集団などいくらうまく管理しても優秀なだけでダメなので、もとからそういう古くなってしまった思想ではいまの世界の競争には勝てないのは、あたりまえと思う。 やっても仕方がないことの典型だが、いまの日本は朱子学にしがみついて何の進歩もなかった東アジアの長い停滞を模倣している。 訓詁の深みにはまっている。 だからわしが日本の社会にいる20代の人間なら、もっとぐしゃぐしゃな社会をめざしますね。 ほんとに社会なんだかどうだか判らないような社会をもった国をめざすだろう。 それはどこだって? そんなことを他人に聞くような姿勢で座ってるから、そんなにじーちゃんみたく腰がまがって、「あいこく」や「けんかん」、「ちゅうごくゆるせない」とかで、あたら短い青春(←死語をさりげなく使う用例)をムダについやしてしまうのよ。 オカネがなければ、さっさとウエイタやウエイトレスの時給が高い国を探して、木賃宿に泊まってオカネをためて、そこで知り合ったきみと肩を並べて歩いてくれる彼もしくは彼女と世界を二本の足で通行して、おお、ここならボロイという国に定着してふたりで自分達がやりたい生活を実現すればよいではないか。 たとえばオーストラリアやニュージーランドのきみと同じ年齢の人間は、いままでだってずっと、みんなそうしてきたんだからさ。 やってみなよ。

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幸福を購入する

「P」というのは覚醒剤のことで、メタンフェタミンのことを指している。 いま日本語で「メタンフェタミン」を検索してみると、日本では「シャブ、エス、スピード、ヒロポンという名前で呼ばれる」と書いてある。 いちど日本語で犯罪としての麻薬使用についての本を読んだことがあったが、その本には「麻薬には社会のありかたからくる国別の嗜好があって勤勉な日本人は疲労感をなくす覚醒剤を好み社会的な抑圧の少ない西洋人はマリファナを好む」と書いてあって、へえええー、そーなのかあああー、と感心したことがあったが、よく考えてみると、あんまり根拠が堅牢でない上に国民を挙げてナマケモノのニュージーランドで他の麻薬に勝ってメタンフェタミンが蔓延していることの説明がつかない。 しかもメタンフェタミンと並んで、というか、あんまり「麻薬」だという意識がないのでふつうに常用されているマリファナもニュージーランド人は常用するので、「ほんとじゃないんちゃう?」と疑う気持ちになる。 現実はニュージーランドでは「Pは安いから」というのがほんとうの理由だろう。 マリファナも煙草より安いがPはもっと安いので、手軽に手にはいって週末女の子と「イッパツ決める」のに手頃なのだと思われる。 メタンフェタミンには性的な羞恥心がなくなる、という有名な作用がある。 マリファナが、一回吸引量以下の所持は単なる罰金なのに較べてニュージーランドでも「P」の使用は依然として深刻な犯罪と見なされるのは無論、「P」には攻撃性があり、しかも悪化すると容易に非社会的な行動に中毒者を駆り立てるからである。 マリファナはもう長いあいだ合法化するかどうか議会で議論されてきたが、もうめんどくさいからいっぺん合法化して税金の歳入を増やそうという下品な思惑によってニュージーランドでももうすぐ合法化される見通しになっている。 覚醒剤のほうは日本製や北朝鮮製が多い他国の事情と異なってニュージーランドでは地産地消で、ときどき警察の手入れがあって「Pファクトリー」が暴かれ、検挙される。 一斉検挙のニューズを見ていると、最近は覚醒剤産業のほうでも賢くなってきて、たいてい高級住宅地のまんなかに大きな家を借りて、近所のひとたちにも愛想よくしながら、夜陰に乗じて覚醒剤を粛々と生産する、というスタイルをとっているらしい。 二年前だったかには首相のジョン・キーの家と同じ通りの、ほんの数ブロックしか離れていない家が実は高級住宅に偽装された覚醒剤製造工場で、近所中の人間の格好の自虐ネタ笑い話になった。 連合王国にしてもオカネモチや上流階級人のあいだにはヘロインが蔓延しているが、ヘロインは中毒すると上質なものが一日分で数十万円もする上に、いざ中毒してヘロヘロになり、目の下に隈をつくって麻薬中毒が覆いがたくなった場合、リハビリにものすごいオカネがかかるので、ビンボ人にはあまり縁がない。 アメリカの高級住宅地、たとえばロングアイランドはヘロイン中毒が蔓延しているので有名だが、ロングアイランドのヘロインビジネスの対象は高校生たちで、名門高校を中心に、親のカネをくすねることから始まって、男(アメリカでは育ちが良い家の若い男は売春市場では最も高価な商品です)も女も売春、家出、と定食的なコースをすすんで、最後は死に至ることが多いようである。 皮肉ないいかたをすると昔からずっと上流階級においてLSDコカインヘロインが蔓延していたイギリス社会と最近になって麻薬問題が爆発的に増加ちゅうのアメリカ社会の「歴史と伝統の力の差」が事態の収拾の差に顕著に表れているのだと思われる。 高校のときの同級生でもヘロイン中毒になった人間がいたが、マヨルカ島にとばす、スイスにとばす、という必殺技を親が発揮して、帰ってきたときは、なんだか普通な顔をして暮らしていたのをおぼえている。 よく知られていることだと思うが、所謂「麻薬」は、西洋社会では広く深く浸透している。 深刻な麻薬のほうでいうとイギリス、アメリカではヘロイン、オーストラリア、ニュージーランドではメタンフェタミンが最も蔓延している。 マリファナは日本では懲役2年という怖さだが、ニュージーランド、オーストラリアでは、さっき述べたように微量なら罰金で、それ以上でも10トントラックにマリファナを満載して警察署に突入でもしない限りは実際に刑務所に送られると思うひとはいないだろう。 夏の砂浜でごろごろしていると、ニュージーランドやオーストラリアの夏の浜辺にはたくさんいるノルウェー人やスウェーデン人のような北欧人がすたすたすたと歩いて来て、 「ねえ、このへんて、どこでウィード買うの?」 と訊かれる、というようなことは極くふつーの日常の光景である。 「ウィード」は、世界中どこでも通じるマリファナの言い換えです。 わしなどは、いかにもいかれたにーちゃん風の風体が原因であるのか、夏、人でにぎわう砂浜、ごろごろ一時間、というような一定の条件を満たしてやると、ほぼ必ずどこに行けばマリファナが買えるか訊かれる。 友達に「なぜ、あのひとびとは必ずわしを選ぶのかわからん」と述べたら、笑い出して、 そりゃガメみたいに、いかにも不品行でええかげんそうな若い奴がモニさんみたいな絶世の美人を脇においてヘラヘラして座ってれば、「こいつが売人に違いない、と思うのさ」と言われた。 わしの目には鱗などもともとついていないので目から鱗がとれるようなマヌケなことは起こらないが、そーか、あれは売人の在所を訊いているのではなくて、マリファナを売ってくれと遠回しに尋ねていたのか、と理解してカンドーしたりした。 マリファナは「害がない」「依存症も少ない」「はやく合法化すべ」ということになっているが、余計なことを書くと、マリファナに害がないかどうかは、ほんとうはまだよく判っていない。あんまり真剣にマリファナの害を研究した人がいないからで、もしかするとこの世の中にはチョー真剣な研究がどこかに転がっているのかも知れないが、そんなもんいくらマジメに研究しても、(コカインなら南米の麻薬王から奨励助成金が出るかもしれないが)どこからも助成金が出ないので、やっても本人はビンボになるだけで、多分、ないのではなかろうか。 少なくとも、わしが知っている範囲ではまともな論文はないように見える。 日本でも、おっちゃんたちの話によると、表面とは異なって特に覚醒剤は主婦のあいだに蔓延しているという。 主婦がパチンコ賭博のカネに困って売春するパチンコ売春の話を聞いたことがあるが、そのときに取り締まり側の人が現実には主婦の売春は覚醒剤を買うオカネ欲しさがパチンコ売春の数倍あるのだと述べていたのをおぼえている。 記者の人でも、(ほんとうかどうかわからないが)、あれって、あんまり報道すると怒られるんだよね、という話だった。 どうやって入手するかがあまり広まると困る、という理屈のようでした。 じっと眺めていると、現代社会を覆う麻薬の蔓延には「自分が必要とされていない」という意識が関係しているようにみえることがある。 まだ日本には到達していないが効率と生産性の獲得を求めて、国家間の競争に始まって個人間の競争にまで浸透してきたいまの激しい競争社会は、競争の当事者であるトップ層のストレスもものすごいが、そもそも競争に参加することをことの初めから求められなかった99%の「その他」の社会の構成員には「あんたたちは別にいらないから」と言われ続けているような、自分は社会の荷物でしかない、自分には格段もとめられているものはない、という「無用の人」意識を植え付けてきた。 生活保障というような社会主義以来の考えがなくなってくると、生産性に応じて直接に収入が決まって、たとえば大手航空会社のパイロットや大企業の役員秘書でも乗客の残飯をあさる、という社会が到来した。 その場合、強烈な不幸の感覚を補うのに最も強烈な麻薬は多幸感が最も強いヘロインだが、これはなにしろ高いので、ヘロインには遙かに劣るが、安価にそれなりの幸福感を与えてくれるマリファナを購い、メタンフェタミンで高揚感を得る。 社会が決して与えてくれないものを、現代人は麻薬によって得ようとする。 小泉純一郎首相がアメリカ式の競争社会を導入して国家全体の生産性をアメリカ並みにしようと企てたときに当然のことながら日本人はこぞって反対した。 弱者を切り捨てるのか、強者だけが富裕になればいいのか、それでもおまえは人間か、というのが論調で、そのときに日本は社会の生産性を回復するチャンスとアメリカ式の強者だけが人間の生活を許される非人間的な社会に向かって暴走する契機とを同時に見送った。 … Continue reading

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日本語インターネット

インターネットの情報は質が低い、と日本語インターネットの世界ではよく書いているひとがいる。たいてい本読みらしい人が多いので、含意は「活字のほうが情報の質が高い」ということだろう。 インターネットの初期にはかつての「アマチュアリズム」議論を思わせる議論がよくあった。たとえば社会学的な訓練を受けていない人間はどこまで社会の動態を理解できるか、物理学の訓練を受けていない人間はどこまで宇宙を理解できるか。 「数式のいらない相対性理論」というような本はどの国の書店にも売っていて、科学系の啓蒙書編集者が売る本のアイデアがなくなると、ひとつまたあれでちょっと稼ぐか、と出版する。 読んでみて面白い本はあるが、多少でも「乾き物」系の科学の訓練を受けたことがあれば「数式なしで物理法則を理解する」ということはありえないことは誰にでも判っている。ひまつぶしの本で、ひまつぶしならば、田舎じみた表情の女の子が裸で横たわってこちらを見て笑っているぞっとしない写真がついた本よりも上品な趣味の娯楽である、と言えなくもない。 医学などは最悪の分野で、信じがたいことだが、「自分は医者よりも医学知識がある」という妄想の持ち主は一般に考えられているよりも遙かにたくさんいる。 ツイッタで病気と食べ物の関係について云々したり、なんとか療法があるよ、などと述べることが多い人は要注意で、訓練というよりも、独学の身体や心に関する知識は、信じるとチョー危ないのは当たり前のことで、寛潤な心で他人の書いた記事を読むのをモットーにしているひとびとも、「健康」「病気」「食事」というようなことを口にしたがる書き手には気を付けた方がよさそうに見える。 インターネットは「訓練なしでも宇宙が理解できる」と妄想した人が跋扈する場所だが、それが理解したうえでならば、こんなに楽しい場所はない。 ある人は歴史学者を気取り、他の人は経済学者を気取って、政治を語り、経済に蘊蓄を傾けて倦むところがない。 ほとんどの場合、重要な見解を述べていると信じているのは本人だけで、もったいをつけて話してみても噴飯もののことのほうが多いが、愛嬌というものだろう。 違う方向の話をすると現実に「活字の情報は質が高かった」かというと、実際に言葉にするに値するほどのことはそんなことはなくて、たとえば科学上知的興奮を生むようなことが一般書店の棚に並んでいるなどということはほぼありえないが、普通の生活者にとどまっている限りは、ほんとうの意見であると思う。 紙に印刷して流通させ小売店の棚に並べて売るというのは元手がかかる行為なので胴元の出版社としては、慎重になる。 慎重が慎重に重なって、手順化され、伝統にさえなって、編集者という「手元批評機能」を職能とする職業人の一団が生まれ、内容を選択し、青焼きモードにはいってものも言わずに原稿をにらみつけ、もうこれ以上よくはなりませんと信じるところまでたどりついて、疲労困憊のタメイキとともに本を世の中に送り出す。 いっぽうで、あんまり質が高くなるとまた売れないのも自明なので、ほどほどにして、その辺にころがっている、やや賢げなにーちゃんに判りそうな本を出版した。 真に価値があるものを受容するためには莫大な時間と労力を費やした「訓練」がいる。この事実を悪用して「わしは専門家だもんね、いっひっひ、トーシロのおめえの出る幕じゃねーんだよ」というチョー下品な態度に出る「専門家」は話の外だが、ほとんど訓練を積んでいないのに専門家に議論をふっかけた場合、専門家のほうはまず相手に自分が訓練を欠いているのだと判ってもらわねばならず、しかるのち「考えてもまったく無駄な選択肢」「理解するために必要な知識や技量」…と自分が大学の学部の頃から歩いてきた道をほんの数時間で説明しなければならない羽目に陥って、そんなことは不可能なので、口をつぐむと、相手は勝ち鬨を挙げて去って行く、というこれ以上ないバカバカしい目に遭う。 インターネットで自分の専門の話をしなくなる所以であると思われる。 価値がおおきいものほど受容者に訓練を要求するというこの事実は、しかし、インターネット以前の活字の本でも同じことで、科学ばかり例を挙げるのはつまらないので文学を例に挙げると、どのような言語でも文学の精華である現代詩は、同時代に100人も「読める」人がいればいいほうだろう。 本は(プロに聞くと)「ほんとうにその本の内容が読める人の10倍くらいまでは売れる」ものなそうなので、1000部は売れるとして、1000部で「ショーバイ」になるかというとなるわけはないので日本の現代詩は死んだのだとも言える。 田村隆一は現代詩を読むための訓練を「観念の垂直な高みを得る訓練である」と述べたが、現代詩を読むためには言語が少し、皿を洗う音や、クルマのクラクション、電車がホームにはいってくる前のアナウンスの音が響いている地上から浮遊していなければならない。 その高度を得て初めて言語は論理のベクトルから分離した言語本来の生命の姿、言語の輝きや尖鋭をあらわすことが出来るからである。 日本にいるときは趣味だった一冊100円のむかしの本を読んでいたら川上宗薫という当時のベストセラー作家が、自分がどんどん豊かになっていく割に「名声」というようなものには縁がなくて、たとえば同じ人気作家でも「売るための本」と「マジな本」を使い分けて書く狡猾さを身につけていた遠藤周作というような作家とは別のカテゴリにいれられるのにストレスを感じて、「自分には300万読者がついている。あんたらは高尚かも知れないが、誰も読まないではないか」と悪態をつくところが出てきた。 誰でも気が付くと思うが、この川上宗薫という人は自虐的というか、自分でも知っていたはずで、自分が書いた本が100万部もオカネを出す人に買われる、ということ自体が、自分の才能を白紙のページに塗りつけて切り売りするようにして、すり減らせていった、この人の一生を雄弁に語り尽くしている。 テレビは数千万人という単位の「視聴者」の獲得をめざすので、もっとすさまじい、というべきか、活字よりもさらに人間の好尚の低いほうにあわせる。 日本語の表現には「泣ける」という嫌な言葉があるが、人間を物語の「綾」によって泣かせるのは、なれてしまえば意外と簡単であるという。 ハリウッド映画が常用する手で、悲惨な生い立ちを乗り越えて成功する人間や、父親を見失った子供が再び父親として相手を確認する物語、もっと安直なら動物を使って定石的な物語をつくれば観ている人は皆が皆、泣く。 それを感動と呼ぶ人もいるだろうが、実体は技師が配電盤を開けて、えええと、こことここをつなげて、こっちのほうにつないでやれば、スイッチ・オン、はい、涙が出ましたあー、というようなもので、悪く言えば風俗業の女のひとびとが密室で行っていることとたいした違いはない。 むかし自慰行為が頭を悪くする、といちもにもなく頭から人間が信じていたのは、その行為のなんともいえぬ無目的性と快感を伴うのに単調どころではない、まるで賦役でもあるかのような機械的作業が、知性を混乱させて、知性が混乱したときの最も素朴な反応である「罪の意識」を呼び起こしたからだろう。 当然のことながら、だから、テレビ番組を観るという行為は、無限にその感覚に似てきてしまう。 インターネットが玉石混淆である、という意見にはいまのところ組みするのが難しい。 やや丸い石と見るからに醜悪な石の混淆、というぐらいで、インターネット上の情報でも最も充実しているのは新聞・雑誌という(歴史を通じて情報を再編成するプロシージャが確立している)紙メディアがそのままネット上に移行してきたものがほとんどで、それに小売の価格情報を含む市場の情報、天気のような即時情報が加わるくらいだろうか。 人間の思索を媒介とするような「情報」に至っては活字の時代から更に後退して、ますます程度が悪くなったように見えるが、「一億総白痴化」と大宅壮一という当時の評論家が表現したテレビの普及の時代と、あるいは相呼応しているのかもしれない。 日本のように高等教育(つまり大学)への進学率が高い国ではもしかすると常識なのかも知れないが、生物学なら生物学という「学部」では通常「科学雑誌が読める程度」に若い人間を教育することが目的になっている。 「科学リタラシー」などともったいをつける遙か手前の段階で、たとえて言えば「漢字が読めるようになった」段階ということだろう。 科学でいえば、学部だけを修了して、科学的精神を受容できる観念の高みを獲得しうるのは数学他、ごく限られた分野であると感じられる。 日本語インターネットはいまのところ、見渡す限り瓦礫の山だが、希望がある、と思うことがあって、前にも述べた「インターフェース」というような雑誌の存在を思い出すと、日本の社会にはいまでもあちこちに「学びたい」と素朴な情熱を持っている人が存在して、その要求の強さ熱烈さは神秘的な程である。 かつて識字人口よりも多い部数の「学問のすすめ」が売れる、という世界の歴史にも珍しい大事件が起きた国には自分の努力によって自分の観念の高みをよじ登りたいと考える人がたくさんいる。 日本語インターネットの荒涼が解決されるには、おおまかに言ってふたつ方法があるだろう。 ひとつは、日本語はやめて英語にする、という方法で、最も簡便、というか、現実には、観ているといまでも日本人で「理系研究者」のひとびとは職業上の必要からインターネットは英語世界のもので、そういう嫌な言い方をすると「どうでもいいこと」だけを日本語インターネット世界でひまつぶし、あるいは(特に日本以外の国で勤務している場合には)母語への渇きをみたすために使っているらしい。 もうひとつの方法は、おもいきって「編集機能」を導入することで、結果を考えるとインターネットでないものみたいになってしまいそうだが、小さい日本語リソースを有効に使うためには、総花式をやめて、批評機能によって選択した情報にしたほうがよいのかも知れない。 現実には難しそうに聞こえるかもしれないが、実名だけのインターネットを構築してしまえば、意外と簡単に出来そうでもある。 匿名をやめてしまえばいいだけなのかも知れない。 … Continue reading

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横顔

英語人が書いたか日本語人が書いた文章だったかも忘れてしまったがベトナム旅行記でホーチミン市の映画館でベトナム人たちに混じって映画を観た感想を書いたものがあった。 ヒーローがロケットランチャーで追いすがる敵のジープを粉砕して、腕や足が吹き飛ぶところになると、映画館のなかは歓声に満ちて、大歓呼の声があがる。 ベトナム人たちは、どちらかと言えば、静粛に努めて映画を「鑑賞」(映画鑑賞、とは生真面目な日本人らしい、面白い表現だといつも思う)する日本人型であるよりもアメリカ人型の観客であるようで、興奮のあまり、「もっと、いけ」「そこだ、ぶっ殺せ!」というような声もあがる。 映画館全体がたいへんな興奮に包まれる。 ところで、この人がその日に観た映画は「ランボー」で、殺している側は昨日までの仇敵アメリカ人であり、あまつさえ、殺されているのは自分たちと同じベトナム人なのだった。 書いている人は、その事態の奇妙さに打たれてしまう。 これは、いったい、どういうことなのか? と考えることになる。 1945年に戦争が終わったときにアメリカ軍が恐れられたゲリラ戦に遭遇するどころか笑顔と歓呼の声に迎えられて、あっけにとられるような楽ちんな占領になったのは、もともと日本人はアメリカ人とその文化が好きだったからだ、という根強い説がある。 ほんの先週までマスメディアが躍起になって刷り込もうとしていた「鬼畜米英」、アメリカ人やイギリス人は鬼にも劣る畜生のたぐいなのだ、というのは前半の「八紘一宇」につづく日本人全員が信じるに至った国家的なキャッチフレーズだったが、しかし、戦争の前に人気があったのはチャップリンでありバスターキートンで、益田喜頓という戦前には国民的な人気があった浅草「あきれたぼういず」出身の有名なコメディアンの名前が「バスターキートン」から来ていることは、説明されなくても、どんな下町のおかみさんでもすぐに了解された。 アメリカ文化の日本への影響は、今日、日本で意識されているよりも深いもので、たとえば小津安二郎の映画は「日本的なもの」の代表と当時から言われて、当時の映画評論家やマスメディアはもちろん、松竹の経営陣さえも「小津の映画は日本国内でだけ通用する映画で外国の人間に通じるわけはないから」という理由で外国映画祭への出品を拒否したりさえしていた。 いまのように「尖鋭に日本的なものならば返ってアメリカで受けるのではないか」というような知恵がなかった時代の話です。 ところが小津映画を見慣れた英語人がすぐ気が付くのはビリー・ワイルダーと小津映画の近縁性で、「模倣」というような稚拙なレベルではまったくなくて、映画というもの自体への認識と思想がうりふたつである。 小津安二郎自身はそのことを強く自覚していて、日本軍の宣伝映画をつくるために滞在していたシンガポールで、小津安二郎は、「なかなか出来なくて申し訳ない」と軍部に対しては殊勝に言い訳をこしらえながら、実際には、ハリウッド映画三昧の毎日を送っていたのは有名だが、その後、シンガポールで出来た習慣にしたがって見続けたハリウッド映画のなかでもビリー・ワイルダーの作品に熱狂して、「これこそ映画だ」ということを常とした。 ついでに余計なことを書いておくと戦前においても小津安二郎がかなりの量のハリウッド映画を観ていたのは初期の映画の文法を見れば明かである。 鎌倉ばーちゃんは、むかし、「コンバット」というアメリカ歩兵たちが主人公の番組をよく観ていたそーだったが、背後からこっそり忍び寄るドイツ兵の姿に、「気が付いて、気が付いて、はやく!撃たれてしまう!」と願いながら、ふと我に返ると、ドイツ兵こそは自分達日本人の味方で、アメリカ兵は敵であったことを思い出して、なんとなく気が咎めたりしたそーである。 現代の社会に住んでいるので韓国系や中国系はもちろん、韓国人や中国人の友達もたくさんどころではない数でいるが、いままで彼等と話していて、日本の話が出て、日本人に対する「生な敵意」を感じたことはない。 例外はあって、中国人達のなかでもエリート中のエリートである若い人間たちは、政治的信念によって、日本人は皆殺しにすべきだ、あるいは日本という国は(共産主義妄想に怯え出す前のアメリカがそう考えていたように)解体・無力化されるべきだと明瞭に言う。 日本は無力化され解体されるべきだと述べる若い中国人グループのひとりは、いまではわしのたいへん仲の良い友達のひとりだが、話を聞いてみると、「日本という国が存在していては中国の安全保障が根本のところで保障されえないのは歴史が教えている」ということらしいが、しかし、このひとにしても、いいとしこいて、「ドラゴンボール」が好きなのである。 特に韓国人たちを眺めていると、これほど日本由来、あるいは日本的な文化に馴染んでいて、「日本人を憎む」ということがほんとうに出来るだろうか?と思う事がある。 やや誇張した言い方をすれば、いまの若い韓国人たちは、あとで述べるかつて日本人たちが自分達をアメリカ人だと自然とみなしていたというのと同じ意味において、自分達を日本人だと(日本、という言葉が意識にのぼらないまま)自然に感じておとなになったのだとも言える。 そこで、「ほうら見たことか、おまえらの文化なんて日本のものじゃないか」と言い出す下品を下品で塗りつぶしたような低劣な日本人が雲霞のように存在するから、そう思いたくないだけのことで、50年代60年代になにをやってもアメリカ人のなかの同種類の人間に「サルマネ」と言われて、ポップスの世界ならば、弘田三枝子を頂点とするような、驚倒的な質の高い面白い文化をもっていたのにやがて捨て去ってしまって、(弘田三枝子がジャスへの情熱を失ってしまったのは頭のわるいアメリカ人に「英語が出来ないのに、なぜジャズの心が判るのか?」と揶揄されたからだった)、歴史をたどってゆく人間に、バカタレなアメリカ人に退屈な悪態をつかれたくらいで途方もなくもったいないことをしたものだ、という感想を抱かせる、日本の「自分達をアメリカ人とみなしておとなになった」団塊の少し上の世代ともちょっと似ている。 「鬼畜米英」というような政治上観念上の社会的な思い込みは、瘧というか、一時の急性の熱病のようなもので、人間の精神の芯の部分には影響しないことを傍証する逸話は、他にもたくさんあって、たとえば60年代ですら南部のKKK(クー・クルックス・クラン)のパーティには、たいていアフリカン・アメリカンのブルースバンドが招かれ、(B.B.Kingもインタビューで「自分も雇われて演奏したことがある。ちゃんと払ってくれたよ」と笑っていた)アフリカ人たちがつくった曲に酔いしれたそうだが、より深刻には、かーちゃんたちの家作に入っていたマレーシア人大学教授の夫婦が、「自分達を人間扱いしないイギリス人たちが憎くて仕方がなかったが、自分達も、いつかはああいうふうに暮らしたいと抗いがたく感じていた」と静かに述べていたのをおぼえている。 昨日まで全身全霊でアメリカ人を憎み殺そうと考えていた人が、今日は戦争に負けたのをきっかけに、アメリカ人に手をふり、アメリカ人たちに似た服で着飾り、ジャズに身体を揺らせたのは、「アメリカ人の暮らしはかっこいい」と感じるほうの自分は人間対人間としてアメリカ人を見ていて、昨日までの大和民族としてアメリカ人を見ていた自分の退屈さと軽薄にうんざりしたからだと思われる。 韓国人憎悪にたぎりたつような人びととツイッタで何回か話してみたことがあるが、このひとたちに共通なのは、その憎悪の退屈さと凡庸さで、まるでりかちゃん電話に電話して、りかちゃんとお話をしているようなもので、なんなら、これからきみがいうことをぼくがかわって言ってあげようか、と相手の発言を請け負いたくなるくらい退屈な憎悪の繰り返しに終始する。 一方で、韓国人は嫌いだ、なんであんなに日本を貶めたがるのか、と嫌韓人に同調しながら「ヨンさまは別だ」と述べるおばちゃんにも、会った事があって、この日本では上流層にあたるおばちゃんの、軽井沢にあるチョーでかい別荘の客間でおばちゃんの話に耳を傾けると、おばちゃんはどうやら「いまの日本社会からは失われた」ひたむきさや、ストレートな恋愛感情、男のやさしさ、女の一途さ、というようなものを韓国ドラマのなかに発見して陶然となるらしかった。 ここでもおばちゃんにとってはヨンさまの姿が見えれば、「韓国人」である相手の姿がポロリと落ちて、中身の人間だけが見えてしまっているのであるらしい。 いまの日本の中国や韓国の対立との対立を見ていると、日本の人びとはやがて、自ら望むように韓国人と永遠に袂をわかって、中国とは限定した戦争を始めるだろう。 ほんとうに限定できるかどうかと言えば、戦争が(アメリカの睨み据える視線の怖さに打ち勝ってどちらかが戦端を開く確率が9割かた、それが限定されたもので終わるのが五分五分、限定するつもりの戦火が中国の巡航ミサイル一斉射撃のような(机上の論理においてはアメリカの介入のヒマを与えないで日本の主要都市に壊滅的な被害を与えうる)戦争を全面化することによって短期終結をめざす「短期決戦」になる確率が開戦後に3割、3番目のこれは最も考えにくいがベトナムのように中国人民解放軍にとっては悪夢の泥沼戦争になる確率が1%内外、というような感じだろうか。 泥沼戦争もゼロと言えないのは軍隊組織は究極の「お役所」で「お役所」のなかで純粋培養された人間は途方もなく体面だけを信奉して、体面のためなら自国の人間が全滅しても構わないとまで思い詰めるからである。 確率という言葉に引きずられて言えば、ひとつだけ絶対に確実なことは中国人も韓国人も日本人も戦端を開けば、同時代で戦争に関わった世代は一生の終わりには必ず後悔するに違いないことで、なぜなら、民族的な憎悪は魂の奥まではいってゆくことは稀で、人間は、お互いを国籍も人種もないただの素の人間としか見ない本性が組み込まれている。 人間は結局人間を人間としてしか見られない場所にもどってゆく。 民族対立の結果戦争の当事者になってしまった世代が悲惨なのは、魂に届かないはずの「憎しみの乗り物」に乗り込んだだけで乗り物は発車して戦争は始まるのに、戦争のなかの殺戮や強姦、友の死、家族の死、というものに遭遇して、当事者だけは観念的な熱病としての憎悪ではなく、全霊をことごとく憎悪で埋め込まれてしまうことがあるからであると思う。 日本の若い世代が、そうならないことを願っている。 (心から願っています)

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Just for Fun

(おお、隙がある) (チャアアアーンス!) タイミングをはかって、部屋の隅からやおら駆け出し、ベッドの脇からヘッドスライディングしてシーツの上を滑って、いけないところにタッチしてしまうわし、本を読んでいたモニさんが払いのける手が一瞬おくれて、一秒の十分の一の差でわしのタッチのほうが早い。 欣喜雀躍、「セーフ!」と叫ぶ、わし。 ぬはは。 今日は朝から二盗塁。 イチローもびっくり、であると思われる。 いいかげんにしろよ、ガメ、あとでこわいぞ、とモニさんは言っているが目が笑っているので、こっちもセーフである。 あんまりやると「リラックスできないではないか」と言って1ヶ月くらいふざけるのをいっさい禁止にされてしまうが。 モニの国もわしの国も本来ベースボールには縁がないが、モニはニューヨーク暮らしが長かったのと、わしはもともと、なんでかコロラド・ロッキースのファンだったのとで、ふたりとも野球になじみがある。 ときどきエポックの野球盤を出してきて、夕闇が迫る部屋で、ふたりで、真剣に勝負する。 チェスではモニさん相手では無敵の50連敗を誇るわしも、野球盤は良い勝負で、モニさんの消える魔球のタイミングがつかめればわしの勝ちで、そうでなければ負ける、というくらい。 ときどきは夜部屋(よべや)に消える大ホームランも出て、ラリー・ウォーカーのMLBの歴史に残る大ホームランのミニチュア版と言えばいいか、暗くした部屋の闇に犇(ひし)めいて、固唾を呑んでモニさんとわしの白熱の試合を見つめるために集まった妖精たちも微かだが熱狂的な歓声を挙げて、くやしがるモニさんの、上気した頬や、悔しさに燃え上がった美しい緑色の炎のような眼の輝きが薄暗い部屋のなかにぼんやり浮かびます。 遊んでばかりいるわしの一日は、あっというまに経ってしまう。 最近は年齢のせいかマジメに暮らしたい衝動がこみあげてきて、朝食と一緒にシャンパンを飲む習慣はやめたし、昼食のワインも一本は飲まなくなった。 おかげで頭がすっきりして、近所のジョンさんをピーターと名前をおぼえまちがって呼んで、寂しそうな顔をされる、ということもなくなった。 午後になればマリーナへでかけて、小さいほうのボートを出して、ランギトト島の岬をまわって、無人の島めざして泳ぐ。 誰もいない砂浜に寝転がって、小さな入り江を横切って、目と鼻の先のデイリーまでちょっと買い物に行くといってディンギーに乗って、そのまま帰らなくなって、ディンギーは流れ着いたが本人の身体は到頭みつからず終いになってしまった若い医者のことを考える。 夏の青空に浮かぶ積雲はどうしてあんなに美しいのだろうと思う。 あまりに綺麗にすみきった空なので上下が逆さまの高所恐怖症にとらわれたような奇妙な感覚に囚われる。 このまま空に落ちて死んでしまうのではないか、と考える。 ニュージーランドの空がどこへ行っても途方もなく大きいのは、高い建物を建てるオカネがなくて、人口もクルマの数も日本のような国に較べれば二桁も少なくて、要するにビンボな田舎であるからで、そーしてみるとビンボでオカネがないということはなんて素晴らしいことだろう。 ビンボなほうが貧乏くさくなくて貧乏でない国にビンボくさい社会が多いのはどういうことなのか。 次から次にうかぶ、しょうもない考えにひとつづつ答えてみながら、skyはギリシャ語ではなんて言うんだっけ? ουρανός(ウラノス)だんべか? そーいえば寺山修司の短歌にはウラヌスという馬が出てこなかったけ、あれは空か、 ほんなら「暗闇を突き抜ける蒼いウラヌス」の「蒼いウラヌス」は蒼井空で、まるで中国人が熱狂的に好きな日本のハードコアポルノ女優の名前のようである。 独り言は面白い。 独り言は、自分のなかの言葉が言葉が話しかけているのだと思う。 学校でも習ったではないか。 精神がくたびれて病んでくると、頭のなかに議場が出来てしまって、たくさんの自分が現れて、議論をするようになってしまう。 たった今日の午後母親に電話をかけるべきかどうかというだけのことに「本会議」を開いて、喧喧諤諤と議論して、あるいは相手を罵り、論難し、あまつさえ野次をとばすことまでして、収拾がつかなくなってしまう。 自分が自分でなくなってしまったときに、もっとも自分の頭のなかで雄弁になって、やがて独裁者に育っていくのは「他人」なので、本来の自分である会議場を埋める代議士たちのほうは沈黙して、愚民の代表になって、演壇で胸を張り、自信たっぷりに演説する「他人」の意見に従ってしまう。 シャロン・テートを天井から吊して惨殺したチャールズ・マンソンたちが地獄からの啓示と感じたイギリス語のヘルター・スケルターは、ほんとうはただの「螺旋形の滑り台」という意味で、くるくるまわって頭がパーになるので、転じて「頭がヘンになる」という意味がくっついたが、イギリス人の「音」への不思議でずっこけた感覚がアメリカ人の常に単純な妄想を刺激した例である。 ひとしきり脈絡のないことをお温習いして、また海を横切ってボートに戻る。 気が向けば途中で銛で魚を刺して担いで帰る事もある。 人間は30歳を過ぎると自分自身に帰ってゆく。 「ベンキョー」という言葉で一括して表現できる、他人の意見を体系的に聞く段階から、自分の好尚に従って、科学なり歴史なりの適切な方法を見いだして、社会という鏡のなかの魂の前後が逆になった影とは異なる自分の真の姿を見いだせるようになる。 しかも、およそ30歳を過ぎた人間などは、どこに向かって歩いていても、ほんとうは、彼女もしくは彼は自分の家をめざして、家路に着いているだけである。 その他の目的地はすべて幻影でしかありはしない。 丘の上にたっている、あの家は、かつてもいまも、未来においても、実は自分の生まれて育った家なのだと思う。 … Continue reading

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