「ちゃんとした」ひとびと

アメリカから見ると、いま日本で起きていることがどう見えているかというと、
1945年から1952年まで7年間の占領期間にアメリカが教えてやった自由の精神が結局は身につかずに、民主主義という形骸だけを残して、本質的には、元の黙阿弥、また1945年以前の露骨な国家主義に戻ってしまった、というふうに見えている。

自分達でつくりだした自由社会ではないが、与えられた「自由」を理解して、壊してしまわずに自分達の社会でマネをしていくという点ではアジアの優等生だったはずなのに、やっぱり、あの賢い日本人たちでもダメなのか、という失望の口調がアメリカの保守人と話していると感じられる。

日本人だからといって皆が天皇であったり安倍晋三であったりキャリーパミュパミュであったりしないのと同じことで、アメリカ人にも種々雑多、ピンからキリ、いろいろあるが、ここでいう「アメリカ人」とは自分が知っているアメリカ人たちのなかから、とびきりの選良たちをのぞいて、「アメリカ人の意見」と言われたらこのへんの人を思い出すかなー、という、そのへんのおっちゃんやおばちゃんで、職業でいうと、テキサスの小さい工業デザインスタジオの社長、同じくテキサスの零細航空券小売会社の社長、シカゴのスーパーマーケットの社長、カリフォルニアの俳優、女優、歌手、作曲家、テレビプロデューサー、ちゅうようなひとたちです。

イラク戦争を始めるときにブッシュジュニアは「日本人に民主主義を教えられたわれわれがイラク人に民主主義を教えられないはずはない。イラク占領は『日本型』をめざす」と言っていて、わしを甚(いた)くおもしろがらせたが、日本の人が聞けば「なにを言いやがる」と思いそうでも、アメリカ人というひとびとは、いざとなると包み隠さず自分たちの正直な気持ちを述べてしまうひとびとで、「日本という国は日本人のなんでも器用にマネをする性質を利用して自分たちの自由社会をマネさせることによって出来た自由社会なのだ。かっこいいじゃん。ほんで、あの国は、アメリカの作品なんだぞ」と明瞭に述べる。

ふつーの生身の人間を神様だと信じて崇めていた手先は器用だが本質的に遅れた民族を欧州人たちの前にだしても恥ずかしくない一人前の人間の社会にしてやったんだぜ、という自負心がある。

日本人が聞いたらはなはだしく自尊心が傷付くような思いようだが、日本人の前ではまさか失礼だから言わないし、それでも、いざとなれば涼しい顔をして思ったとおりを述べて、「それでは、あんまりではないですか。ではわれわれのプライドの問題というものはどうしてくれるのだ」と日本のひとが抗議しても「それは、それ、別の問題で歴史的な真実は変えるわけにはいかないだろう」というに違いない。

民主制度というものは要するに政体であって制度なので社会の頭から力まかせにかぶせてしまえば、どんな人間と社会の関わりようを自然と感じる民族にもかぶせてしまうことができます。
族長制でも絶対王政でも変わるところはない。

もしかすると判りにくい人がいるかもしれないので、たまには根気をだして、過去の記事でも少し述べたことを、もう少し説明すると、ひとつの社会が自由人の社会であることと政治制度が民主主義であることとには何の関係もない。
現に1945年の戦争に負けてアメリカ人たちに強制された民主主義をうけいれたのは、昨日まで学校では御真影が格納されている建物の前でいちいち立ち止まって深々と恭しく頭をさげてから学校の校舎へ向かうのでないと、いやというほど殴られ、都電(当時は市電か)に乗っていても宮城(きゅうじょう)と呼んだ皇居に車内に乗り合わせたひとはいっせいに頭をたれてみせなければならなかったひとたちだった。
(前におもしろがって、もしかして車掌はもちろん運転士も頭をさげるのが義務で、それで起きた事故があるのではないかと考えて調べてみたことがあったが、見あたらなかったので、どうも運転士だけは例外だったような気がするが、いまでも真相はわからないので知っている人はひとつどうぞよろしく)

ここで大事なのは、昨日まで「天皇陛下のために、きみたちは爆弾を抱えて鬼畜米英の戦車の腹の下に突っ込まなければいけない」と教えていた小学校や中学校の教師は、1945年8月15日を境に突然「諸君、今日からは民主主義の世の中です。『天皇陛下は現人神』などと遅れたことを言っていてはいけません」と言い出したので生徒は困りきって、ぐれたが、教えるほうも教わるほうも「民主主義」は本を読めば理解できても「個人の自由」のほうは理解の届きようがないことだった。

「生活風俗」から類推して、「こんな感じ」と思うのが普通だった。
幸い1920年代くらいから、なんとなく辛気くさいイギリス文化は人気がなくて、当時からイギリス人への反感は強かったが、明るい、楽しそうな感じがするアメリカ文化のほうは日本人のあいだにも人気があって、日本のなかでも「都会」にはアメリカの生活風俗をうけいれる下地があった。
チョーくだらないことを言うと「鬼畜米英」というが、敵国を憎い順番に「米英」と呼び出したのはサイパン島がアメリカのマリーンによって陥落した1944年からのことで、それまでは無理なく憎めたイギリス人を先にして「くたばれ英米」というように憎しみをこめる場合はイギリスが先に来た方が気分が出やすいもののよーでした(^^;)

歴史の本には市井の人間は登場しないので声が聴き取りにくいが、1945年以来の歴史を追っていきながら面白いと感じられるのは戦後の日本の「民主主義」が「自由を欲しいと思っていないひとたち」あるいは「自由な状態とはどんなことなのかわからないままのひとたち」によって選挙され、議会が運営された「民主主義」であることが当時の雑誌記事や風俗小説を読めば明瞭であることで、特徴的なことをあげれば、たとえば、頻繁に「わがままと自由は違う」と書いてある。

この「わがままと自由は違う」という至るところに、といいたくなるほど出てくる個人の野放図な自由を牽制する言葉は、日本語学習者として初期の頃のわしを甚く悩ませた。

どーゆー意味だろう?
と考え込むことになった。

まず「民主主義」が占領軍によって鉄のタガのように社会の頭の鉢におしかぶせられて、あとでは諄々と自由になってね、という道をたどった日本のような国もあるが、日本以外の「自由主義国」というのは、まず初めに手がつけられないほどわがままな、やりたい放題の個々人がいて、そのひとりひとりのデッタラメなやりたい放題と社会が折り合いをつけるために民主主義を、これならなんとか「社会」と呼びうる程度のまとまりが出来るみたい、というので採用したという歴史的経緯を持っている。
言わば個人が自由であることが前提の社会の民主主義で、見ればすぐ判るが、民主主義などはかけらもないころから個々人は自由の気風を持っていて、と言えばカッコイイが、チョーわがままで、権利もくそもなくて、力が強ければその辺のねーちゃんを「手込め」にしてしまい、妹を手込めにされた兄貴は頭にきて、剣を抱えていって妹を手込めにした奴をぶち殺す、というような社会をやっていた。

途中をおおはばに省くが、そういうわがままが充満した社会のありかたというのは、たとえばスペインに行けば、スペイン諸国のなかのどの国にいてもすぐに「匂いとしてわかる」ことで、どんなにそういう機微に鈍感なひとでも週末の忙しい街で例の料金を支払う機械とバーがある屋内駐車場のゆいいつの出口にクルマをドンと突っ込んで駐めてしまう人が必ず出る街をみれば、「あっ、これじゃ、民主主義じゃないと、どーにもなんなくなっちゃうよねー」と簡単にわかります。

再び、前の文とこの文のあいだにあるべき数頁を大幅に端折って書くと、ところが日本では、ほんとうは民主主義なんて必要がない人間達の上に民主主義という制度だけが降ってきた。
しかも占領軍の自分達より遙かに若い将校たちがエラソーに、「あんな演説をしていいと思ってるのか」「勝って兜の緒をしめよ、なんてファシズムの極みだ、許しがたい。削除しなさい」と、いちいち、こちらは畏まっているのに、足をデスクに載せたまま、いちゃもんをつけるので、様式美というか、「こんなふうに民主主義を演じてみせれば監督からダメがでないのだな」という経験則の積み重ねで「民主主義」をつみかさねていった。

その結果はたいへん不思議な事になった。

1998年に鳥取県境に近い京都府の中学校を見物にいった15歳のわしは、あの有名な「前ええええええー、ならえ!」を見て、椅子から文字通り転げ落ちそうになって、お行儀がわるい、と、かーちゃんに怒られることになった。
かーちゃんは、涼しい顔をして笑っているが、目の前で繰り広げられているものは「よろこび組」のマスゲームというか、軍事教練というかに限りなく似たもので、目の前の中学生たちは、見た目も陸軍の軍服にそっくりなおそろいの制服を着て、あまつさえナンバー1カットで、肩に三八式歩兵銃を担っていないのが奇異に思われるほど兵士たちに似ている。

教室で行われた「授業参観」では、文字通り「毛色の変わった」ヘンなひとたちが後ろで見守っているのが中学生たちの好奇を刺激したのでしょう、ときどき振り返ってはクックッと目と目を見交わして笑い合っている女の子たちに、わしが右手を小さくあげて「やあ」をしたら、女の子たちのほうが、先生に「T! K! H! 教室のなかでは私語は禁止!みんなに迷惑をかけるようなことはやめなさい!」と怒られていて、怒られなかったほうのわしは、「どうせ、あんたは異国者のアホなんだから、テキトーにやってなさい」と言われているようなビミョーにバカにされているような感じを与えられて情けなかった。

ついに安倍晋三のような人が出て来て、国民に支持され、実際外国人の眼にも、野田佳彦というどうみても政治遊び専用につくられた「オモチャの政治家」のような異様な政治家よりは、遙かに足が地に着いた国権国家主義者で、いままでは何をするにしろ、はたからみていると、過去の民主党政権では、漂流船とでも言えば良いのか、なにがやりたいのか、どうしたいのか、いっそ中国に政治をやってもらって自分達は中国人が書いてくれた演説草稿を読み上げて暮らしたいのか、と言いたくなるようなわけのわからなさだったのに、明瞭簡明に国家優先の経済政策を強行して国民ひとりひとりの財布から円安とインフレという仕組みを使ってオカネを経済政策ポンプでくみ出してしまい、それを国家の傾斜政策で再投資して、儲かったら半分くらいは国民のポケットに返す、という外国諸政府にもわかりやすい明確な政策をすすめ、対外的には太平洋の航行権という中国とアメリカの本質的な国益の対立を見切って、自由主義なんて捨てちってもアメリカに国家社会主義を復活させた日本を見捨てるだけのコンジョはなかるべし、とアメリカの神経がぶち切れるギリギリの線をねらってアメリカの神経を逆なでして靖国神社にまで参拝する、アジア諸国とアメリカの我慢とコンジョの限界に挑むチョー右翼政策を連打で打ち出しつづける日本は、「自由」を標榜するなにがなしよそゆきな過去の日本よりも板についている。活き活きしている。

モニが、自分の子供たちを助けてくれ、という悲鳴に似た手書きの抗議を両手で高く掲げて、ジッと恐怖に耐えながら立ち尽くしている若い母親を危険を極める政治犯に対して警察が常用する圧迫的に近接な距離を詰めて威嚇する制服警官と私服警官の3人の写真
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c3/dd1612aaec73078ce7c5b8cd05acba63.jpg
を見て、涙をためて、「なぜ、日本の人はこのひとのために警官たちを取り囲んで抗議しないのか?いったい、あの国ではなにが起こっているのか?」と述べていたが、
そのモニへの疑問に対するわしの唯一の可能な解答は、
「日本は自由を必要としないひとびとの民主主義の国だから」でしかありえなかった。
他に説明の方法はなかった。

政体という「形」を与えれば社会の自由などは個人の自由がなくても、その形式から生じるのであって、日本人のモノマネの才能で自由社会などは出来てしまうのだ、というアメリカ人特有の思い上がりは、「アメリカのモノマネをしていれば儲かる」という日本人の認識が終わったところで終焉に達した。
アメリカ人は、ことのあまりの意外さに驚いているが、考えてみれば、70年前にアメリカ人が犬に餌を投げ与えるように民主主義と自分達のライフスタイルを投げ与えてやれば「自由社会」などはいつでも実現できる、と考えた奢りと軽薄さが、中国という強大な、しかも西洋の文明とはまったく異なる文脈のなかで生まれたパワーが登場したことによって破綻しただけである。
日本のひとたちは、アメリカのマネを続けるよりも自分達のもともとの体質に合う国家社会主義にもどったほうが「儲かる」と直感的に知っている。

ここから先、思わず知らず実際に「個人の自由」という本来は民主主義を実現する社会的内圧になるべきものを自分の魂のなかに宿してしまった少数の日本人たちは、日本に充満してゆくに違いない国家社会主義者たちによって、ちょうど、女でも教育を受けていいのだ、顔を太陽の光にさらすことは究極の悪徳などではないのだ、と感じてブルカをベールにかぶりなおして、家族や親族の反対を押し切って学校へ通い出したアフガニスタンで、アメリカの勢力が退潮するにつれ、タリバンに再び捉えられ、打擲されるアフガニスタンの女びとたちと同じ運命に遭うだろう。

考えてみれば制度が人間の心を変えることがないのはあたりまえで、70年間という長い期間「アメリカにだまされたふり」をして、アメリカの援助をひきだしつづけた、問わず語らず、社会を挙げて、「アメリカが見たい日本」を演じ続けた日本のひとたちの神業のほうに驚嘆すべきなのかも知れません。

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6 Responses to 「ちゃんとした」ひとびと

  1. 一点だけ訂正。赤尾敏が代議士だったのは戦前ですよ。

  2. 三浪亭壱ます says:

    民主主義とか議論とかいうような今まで自分達がやっていたはずのことがこれから出来なくなるのではなくて、そもそも本当の意味では存在しなかったことが恐ろしい。いっそ日本を捨てられるだけの勇気があれば楽なのに、闘う希望をみてしまう。本物の危機を前に目と耳を塞いでいるだけなのでしょうか。あるいは、闘っているはずがその闘いも存在しなかったら?

  3. 三浪亭壱ます says:

    もしかしたら自分は、やっとこさゲームに参加できると思ったら既に終わっていて、それで怒っているだけなのかもしれない。

  4. oniku says:

    昨晩は遅くまで眠りにつく気持ちになれず、夜更かししたけど、1時間で目が覚めてしまってまた寝る気分でもなくて、ガメさんブログをちらちらっと読んでいました。
    昨晩、「現政権を批判する人たちは心配しすぎだって、日本はまあ大丈夫だよ、世界を旅して回ったけど、日本人が一番まともだもん」と友達が言ったことがとても気になっていて。日本人が一番まともであるなら、なぜ自分は今の日本にここまで気味の悪さを感じているのだろう?って気になっていたんだけども。今、この記事よんで、コペルニクス的展開!(といったら大げさかも)
    ああ、こういうことかと。日本人が一番まともって日本人が評価する裏側って。
    そういえば10年前、権利運動とか市民運動的なものに関わって、日本には市民ってものがないし、文化は一朝一夕には育たないから、市民運動とか自分が擦切れるだけじゃ、って思ってやめたのを思い出したり。

    あれからまたさらに事態が進みましたね。自分は気付いたら帰国してしまったけど。

  5. tomo says:

    ずっと、いじめは悪いことだとなぜ学校で先生は言ってくれなかったのかと思っていました。(私はいじめた側にいました)。アフガニスタンの女性と少数の日本人の運命を読み、学校の先生は、子どもに対して自由や人権というものを否定するために、いじめられる側を呼び出して「なぜいじめられるようなことをするのか」と問い詰めていたのだと確信を持ちました。そういう恐ろしい経験を、子どもの時に多くの人が経験しています。30年程前の話です。

  6. itr says:

     ユニークな視点の提起、感謝します。
     確かに日本の民主主義は、手続きというか形式を踏めばいい、という感じになっていると感じます。多数決さえすればいい、みたいな。多数決は、少者は我慢しろ、というシステムだから、日本の大勢迎合主義に親和性が高いのかもしれません。日本人は一般的にいわゆる空気の支配に弱い。今自分はどう動くことがまわりから求められているか、を考える。自分の属する共同体やグループの基準に自分の考えを合わせていく。その中では行儀がいいけど、その共同体で求められたら、外へはめちゃくちゃに乱暴にもなる。昔の百姓一揆も戦争中の兵隊もその例だし、いじめられた側が教師から責められるのも、いじめられた側がクラスの共同体から排除されている少者だからだと思います。グループ・共同体の輪郭線が、その時どう引かれているかが重要なのです。
     なにが正しいか自分で判断できないのは、よく言われるように、律法の神と一対一で向き合っていないからでしょうか。いつもまわりを見回してまわりに倣う。それが無難だと安心してしまう。安倍晋三も、自分の小さなグループの空気を吸っているだけではないでしょうか。
     だとすると、自由には神の支えが必要? それとも神との内面の闘いから自由は生まれる? ならば、空気との闘いで自由は勝ち取れる? それとも日本は空気の圧力が強いだけ?
     共同体の輪郭線をどんどん大きくして、コスモポリタン化すれば、自由になれるのかも。コスモポリタン化を阻んでいるのが、日本語という壁なのか。

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