音楽のないダンス・クラブ

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敵よりも味方を憎むのはよく知られた人間の習性で政治においていっそう顕著にそうである。
国家社会主義はいろいろな情緒的意匠を伴ってあらわれるが要は「金銭的利益」というチョー下品な一点にしぼってグループをマネーバッグで包み込んでしまうので分捕り品が目の前につみあがるまでは分裂が起こらないが個人の側から出発した政治勢力は身の回りの利害や観念や理想に依拠するので全体主義と対立すると、ほぼ必然的に分裂する。
分裂しないですむのは自分達が属する国が国家主義者にのっとられた場合(あたりまえだが)自由も言論も根こそぎ失われることが意識にのぼって、そういう事態がいま分裂して紛争しているすべての人間にとって致命的であることが周知されているときだけである。

1930年代、ピストレロ、無政府主義者、共和主義者、マフィア、中道主義者、さまざまにいりみだれて紛争していたスペインは、カタロニアで言えば、1931年の第二次共和国成立直後に「カタロニア共和国」の独立宣言がだされるが、10人いれば11の主張が生まれるといわれたくらいで、理想を求めて喧喧諤諤としているうちに西からフランコがやってきて、1939年1月にはあっけなくバルセロナが陥落する。

サンチャゴ・デ・コンポステラがあるカトリック教会色の強い、ドイナカ・ガリシアの出身だったフランコは、スペインのなかで最も都会的だったバルセロナとカタロニア人の存在を憎んでいた。
腰パンのちゃらちゃらしたガキどもを憎んで「美しい国」を目指す安倍晋三みたいなものだと思われる。

フランコの支配を嫌ってフランスに大量にカタロニア人が脱出したあとのカタロニアにフランコは大量の(カタロニア人とはおよそ正反対の気質の持ち主で有名な)「美しい国」の住人アンダルシア人たちを送り込みます。
カタロニアの「スペイン化」を企図した。

その結果はどうなったかというとアンダルシアからやってきて自分達が見たこともなかったカタロニアの開明的な明るい文化に触れたアンダルシア人たちは、フランコを憤激させたことには、みんなが「カタロニア化」してしまった。
アンダルシアの聖母マリアの影が民衆に重くのしかかったような暗いやりきれないカトリック色が強い抑圧的な生活感覚を捨てて皆がカタロニア人になりきる、という愉快な現象が起きてしまう。

なんのことはない独裁者フランコの「カタロニア絶滅計画」はカタロニア人の人口を増やしただけで終わってしまった。

「文化」というものの強烈な力を嫌というほど思い知らされたイナカモノ将軍のフランコは、この後、カトリック教会と組んで、カタロニア人たちから文化そのものを奪おうとする。
日本人が朝鮮半島で韓語を禁止したようにカタロニア語を禁止する。
日本人が日本人のワカモノに対して禁止したようにダンスを禁止する。
実際、カタロニア人たちには、カタロニア語の禁止と同じくらい、有名なカタロニアの踊り「サルダナ」を禁じられたのは堪えたようで、踊ることを禁じられた日々の辛さは、いまでもバルセロナでじーちゃんやばーちゃんと話をするとよく話題として出て来ます。
自分の好きな場所、好きな時間に踊ることを禁じられた日本のワカモノが、それほどたいへんなめに遭っていると思っていないらしいところと較べて、ちょっと考えさせられるところがなくもない。

フランコのカトリック教会と組んだカタロニア弾圧は1977年にカタロニアに自治州政府ジェネラリタットが復活するまで続く。
バルセロナの町のあちこちでサルダナを踊るひとびとは、自分達の文明が殺されないですんだこと、自分たちの町が自分たちの手に帰ってきたことの歓びをいまだに爆発させているのだともいえて、あの誇りに満ちた表情には、そういう意味があるのでしょう。

「バニティ・レストラン・トウキョウ」の経営者が「店内で非合法に客にダンスをさせていた」罪で逮捕されたことは東京で退屈しきっている外国人たちに格好の笑い話を提供した。
この「警察の行きすぎ」に反対する弁護士たちは「風営法制定当時は『ダンス』といえば男女が出会うためのツールという側面が強かったが、半世紀以上たったいまでは、踊る事は自己表現のひとつになっている」というので、こちらの声明も、なにがなし、ものがなしい日本社会の気分を伝えるものだった。
ちょうどフランコのスペイン政府が目の敵にするカタロニア人を抑圧するためにサルダナを禁止したように、自分の国のワカモノを憎む日本の社会はクラブでの「ダンス」を禁止したのだ、と述べてあそぶことは出来るが、悪趣味な気がするので、やらないでおく。

結婚する前、わしが週末になると当然の習慣のようにクラブにでかけていたのは「男女が出会うためのツールという側面が強かった」(^^;)が、別に政府によって禁止されていなかったので、いきつけのレストランで、週末のライブ演奏のバンドがあまりに良いので、客たちがフロアに出ておどりだして、クラブなんだかレストランなんだかわからなくなってしまう夜でも、逮捕されたことはなかった。

パリの天井が低いひといきれでむせかえるようなクラブや、マンハッタンのちょっと油断していると一緒にでかけた女びとをあっというまに横取りされてしまうような、アフリカのサバナのような弱肉強食のクラブ、大庭亀夫がバク宙をこいておおうけする「ステージ型」のクラブもあれば、promiscuousな雰囲気で充満していて、他のことはなああああんにも考えてない男と女が皆で身体をすりすりさせあっているクラブ、いろいろなクラブで遊ぶが、踊ることは生活の一部で、それがなぜセックスの金銭化を取り締まる法律である「風営法」の対象になるのかピンとこない。

ダンスから少しはなれて言うと、オークランドでも夏の夜になれば、「ショートショーツ」とおとなが自分の娘たちの格好を嘆いて述べる、これ以上短くできないショーツをはいて、実効面積がブラとあまり変わらない袖のないTシャツを着て、十代の女の子たちがクラブに繰り出す。
足が長く形がよい女の子達は足を強調して、胸の形がよいのが気に入っている人は胸を強調して、まだあまり選びなれない香水の匂いをぷんぷんさせながら、みなが思い思いに「性的に挑発的な」かっこうで夜の町を闊歩する。

深夜の駐車場を横切って、支配欲にとりつかれて頭がこわれている男に襲われて強姦されたりすると、「あんな恰好で」と述べる20世紀の野蛮社会の生き残りのようなおっちゃんやおばちゃんが必ずあらわれるが、知らない男と口を利いたのだから強姦されるのは当然でそれは女の側の落ち度である、と言ういくつかのムスリム社会の「常識」を考えればわかりやすいかもしれないが、もういいかげんにしてくれないか、というか、人間の文明を頭から信じないクソ頭の「知識人」などと口を利くのはメンドクサイ気がする。

17歳くらいで、およそひとらしくなってから、いままで、わしは美しい、性的な魅力に満ちたひとが、こちらをじっと見て、ほら、なんとかしなさいよ、こんなに美しいものが世界に存在するのに、あなたは手をこまねいてじっとしていていいの?と述べているよーな、チョーこわい、というのはつまり人生が容易に破滅に導かれるような美しい女びとに誘惑されるのが好きだった。
いけない告白をすると頭がくらくらしてきて、もとからあるかどうか怪しい理性もなにもなくなって、気が付くと、そーゆー、チョー魅力的ねーちゃんやおばちゃんといつのまにかベッドにいる、という不甲斐ない時期もあったが、モニさんのおかげで更生して、正しいいちゃいちゃもんもんの道を歩いている。

いまさら「ダンスひとつに対する考えをとっても日本の社会は人間性に乏しいのではないか」というようなことを述べてもしょーがない気がする。
「女は出産する機械だから」と、うっかり「本音」を述べて非難された安倍晋三内閣の厚生労働省大臣がいたが、日本では個人は社会の部分なので、女のひとびともまた将来の市場を形成する「日本人」をうみだすための製造ラインで、「品格で社会をふるいたたせる」ような高尚さをもたない、獣のにおいのする人間性などは、風営法の対象としてのみ社会のなかに存在しているだけなのはあたりまえである。

わしが、ニュージーランドは売春婦がビジネスちゅうに強姦されたと警察に訴えて相手が逮捕される社会である、と述べたらいあわせた日本の男の人たちがおもしろそうに笑い転げたが、わしはそこで笑い転げるひとびとを気の毒におもった。
その頃、わしは日本の社会では高尚な感じがしないと人間性と認められないのではないか、と考えて、折りにふれて日本の人に、「ひとに誇れない行為の結果、人間性を蹂躙されたひとびとの事例」を話してみることが多かったが、日本のひとの「人間性」への共感はヒロイックなものに限られていて、それ以外の場合では「自業自得」というような考えにとらわれる人が多かった。
言うまでもないが「自業自得」というような言葉は他人の運命になど関心をもたず、他人に対するsympathyも存在しない社会で多用される言葉である。

日本語という孤立した言語体系のなかで生まれて死ぬせいで、日本では「社会」の実体が過去に死んだ日本人たちの魂の視線の集積に限りなく似ている。
生きている日本人同士も、言語そのものがお互いに寄り添いあい、もたれかかっていて、真理でさえ絶対性をもたず、「あいだがら」のなかで決定されてゆく、ということを前に書いたが、日本人は母親という個人の肉体から生まれるよりも社会の壁にふくらみができて、そこから膜を破って出てくるもののように、この世界にでてくるかのような奇妙な印象をもつことがある。死者の願望や膨大な観念の集積で出来た社会の部分として個人が思考し発言して、その結果、個人から社会という方向の関わりにおいては、個人の一生がほとんど実効性をもっていないようにみえるからです。

この個人の人間性そのものを否定したような不思議な人間の一生のありかたは、観察していると、やはり日本語という特殊な体系によって規定されている。

日本の民主主義が体制にすぎず、本来民主主義を「やむをえない制度」として痛みを伴って選択するはずの個人の側からの自由への欲求が日本人の内面には存在しないらしいことを「芸達者」で述べたが、それでは日本人をここまで運んできた原理はなにかということを、この次にこの題名で記事を書くときには考えてみたいと思いまする。

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