夏目漱石の贈り物

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「…すると髭の男は、
『お互いは哀れだなあ』と言い出した。『こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない』と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
『しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう』と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、『滅びるね』と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……』でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
『日本より頭の中のほうが広いでしょう』と言った。『とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ』」

夏目漱石が「三四郎」を書いてから115年が経つ。
「三四郎」が書かれたのは1908年の秋から冬にかけて、日本が日露戦争に「勝った」3年後のことだった。

ベトナムはアメリカ軍に「勝った」し、中国軍に対しても勝利した。
アフガニスタンはソビエトロシアに「勝った」。
やがてアフガニスタンは(アメリカが手段を尽くして否定しても)アメリカに対しても「勝つ」だろうと思われる。

しかし、日本がロシアに「勝った」というときの勝利の意味は当時においてはベトナムが対仏対米対中戦争に3連勝したりアフガニスタンがソビエト連邦軍やアメリカ軍を山岳の地獄に引きずり込んで勝利したのとは意味が異なって、陸と海との会戦によって勝利した。
当時の戦争は後では「会戦主義」と呼ばれるようになる戦争で、俯瞰の利く戦場で国と国が全力を尽くしてぶつかりあい(再び述べると当時の感覚では)より強固な進んだ文明を持ったほうが「勝利」する文明の優劣を決定する場所だった。

帝政ロシアは当時、世界最強の陸軍を持ち、こちらも世界最強のひとつに数えられる海軍を持っていた。
ロシアのボロボロな国情を熟知していたロンドンやニューヨークのユダヤ人コミュニティの外側で近代世界では駆け出しもよいところの日本が勝つと思うひとはいなかっただろう。

しかし、日本は勝った。
ポーツマスのシャンデリアが輝く天井の高い部屋で日本の小村寿太郎全権大使が精も魂もつきはてた人のように講和条約にサインしたとき、日本の帝政ロシアに対する勝利は確定した。

日本のひとたちの有頂天ぶりを想像するのは難しくはない。
昨日までは、われながら、なんとなくパチモン風の近代国家だと思って、おそるおそる世界を見渡しながら生きていて、五尺に満たない身長の自分達に較べて、どうかすると六尺を優に超える背丈の外国人たちが横浜や東京では闊歩して、文字通り自分達を「見下ろして」いる。
それが、あの偉そうな西洋人たちのどんな国よりも軍事的に強いのが常識のロシアに勝ったのだから、大得意もいいところで、いまから振り返ると、なんだか喜びのあまり頭がヘンになった国民のような様相を呈した。
いまふうの日本語で言えば「舞い上がって」しまって一種の国家的躁状態になり、自分は世界の主人、少なくとも世界の主人のひとりのうちには数えられる存在だと考えることの楽しさの虜になってしまった。

日本語学習者は上級になるとたいてい夏目漱石を読んでみるが、英語ではもちろん、日本語で読んでもなぜこの退屈な小説が日本では「国民文学」なのか訝ることから始まる。
ところが何年か経って、まだあきらめないで日本文化とつきあってきたひとびとが、もういちど夏目漱石を読んでみると、このひとの書いたものはこれほど偉大な物語だったのか、と、いつのまにか嘆息する気持ちに変わっている。
夏目漱石という人は日本そのもののようなひとであって、漱石の文章にわけいっていくことは日本という文明の深叢にわけいっていくことにとてもよく似ている。

冒頭の「三四郎」は日本全体がロシアに勝利したことによって狂躁状態にあるただなかで書かれた小説だが、この小説が書かれた37年後、1945年に訪れる日本の世界史に稀な破滅も、その理由も、その過程も、そこに起きる情緒ですら夏目漱石は精確に知っていたことになる。

陰謀論を弄ぶのが好きなひとをのぞけば、日本が日露戦争に負けていた場合の運命に疑いをはさむひとはいないだろう。
むかしから植民地経営の下手さと強圧的なだけで非生産的な支配体制で知られるロシアに占領された日本は一個の巨大な北方領土のようなものになっていただろう。
日本人は民族として、ロシアの軛から逃れるために、叛乱し、内戦を起こして、ついには疲弊し、日本という国あるいは地域の運命はずいぶん違ったものになっていたに違いない。

だが勝ったことの弊害もおおきかった。
日本自体にとっても、いまに至る落ち着きのない狂躁的な知性と驕りたかぶって他人の話をまるで聴かない国民性を生んでしまった点で不幸だったが、近隣のアジア諸民族にとっては、迷惑どころの話でなくて、なにしろ自分こそが正義だと信じる狂人の群が彼方の白人たちから自分達が祖国を守ったように守ってあげるからと言いながら、どんどん土足(というよりも精確には軍靴だが)で居間どころか寝室にまではいりこんできて、自分の妻や娘たちを集団で強姦しはじめたのだから、到底おはなしにならなかった。

八〇年代の日本のひとは、「世界はひとつ人類みな兄弟」と、なんとなく自然にも世界にもほんとうには興味のなさそうな顔で、そのくせ巨額な支払いを要するテレビのゴールデンタイムの広告枠を買ってまで述べていた老右翼の口にする言葉が、考えてみれば「八紘一宇」の口語訳であることに気が付いていたかどうか判らないが、密教の真言のようにして、姿を変え、言葉を変えて、日本のロシアに勝ったことで起きた静かな狂躁はバブル時代の日本でも生きていたのである。

日本という国の社会と言語に興味をもって見つめて来た外国人の眼には、日本人がこの広大な世界でただひとりの兄弟である韓国人たちと悪罵の応酬をはじめたときに、空をも遮る高さで日本を囲んで閉じ込めながら、いっぽうではそれなりに日本を守る役目もはたしてきた不可視の分厚い壁に亀裂がはいりだしたのがはっきりと見えた。
その不吉な裂け目には黒い染みができて、いまでは、その黒い染みはすでにその怖ろしい正体をあらわして水がほとばしりはじめたのが見えている。

日本のような言語の壁のせいで物理的距離以上に英語圏から遠くに存在する文明への世界の反応には常に四,五年の時差があるが、それを勘案すれば、日本のこれから五年のあとを決定した日本のゼノフォビアは、日本を孤立させ、またしても破滅に追い込むのがもう見えてしまっている。
その破滅へ向かって歩む過程で、国内をひきしめ、国内をひきしめるために日本人の体質である集団的サディズムを利用して相互監視することによって個人の自由を実質において停止し、もともとが日本社会という「全体」の部分にしかすぎない個々の「日本国民」に対して、自分が日本の部品にしかすぎないことへの再確認と自覚を求めて、対内的にも対外的にも本来の姿を取り戻して荒れ狂ってゆくだろう。

冒頭の、佇まいそのものが日本から取り残されてしまっているような「髭の男」は名前を広田先生というが、広田先生が見るからに田舎者の、それでいて無垢な知性を感じさせる三四郎という青年に、気まぐれな親切心を起こして述べだした文明批評は『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……』と述べて、そのあとに続いたものが「世界」ではなくて、『日本より頭の中のほうが広いでしょう』であることには当然ながら、おおきな意味がこめられている。
『とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ』
という言葉はまさにいまの日本人たち
https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/12/18/鏡よ、鏡/
に向かって送られた夏目漱石の忠告である。

新聞の見出しにまでたかが部数を伸ばすためだけに発明された反韓嫌中の言葉が並び、政治家が情緒的な敵意を隣国に向ける事態に至ったいま、時の、もっと遠くの声に耳をすませて、自分達のあいだから生まれた者の叡知の言葉に耳を傾けることには意味がある。
日本をここまで支えてきたのは「自分達以外の者」への憎悪に満ちた死者だけではなく、それよりもずっと控えめないいかたに終始したが、強い共生への意志をもった一群の知性でもあることを思い出して、その声をもういちど聴きに行くことには、日本のひとに、おおきな意味があるような気がします。

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One Response to 夏目漱石の贈り物

  1. tetsujin says:

    >その破滅へ向かって歩む過程で、国内をひきしめ、国内をひきしめるために日本人の体質である集団的サディズムを利用して相互監視することによって個人の自由を実質において停止し、もともとが日本社会という「全体」の部分にしかすぎない個々の「日本国民」に対して、自分が日本の部品にしかすぎないことへの再確認と自覚を求めて、対内的にも対外的にも本来の姿を取り戻して荒れ狂ってゆくだろう。

    今後「ひきしめ」に協力して走り出す人たちは、たぶん、転落する恐怖に怯えているのだと思います。誰かを身代わりに差し出せば、自分たちは転落を免れるかもしれない、とほとんど無意識に感じているのではないかしら。

    物事がうまく行かなくなったとき、人はたいてい、手近なところに原因に「見える」ものを設定して、それを取りのぞこうとする、と言われます。昔々は、山羊さんが scapegoat になってくれた。昨今の日本では、在日韓国人が真っ先に槍玉に上げられた。で、次は誰にしようか、と世間がなんとなく物色中。

    社会が、野蛮で凶悪な感じを漂わせ始めました。(今さら言うのもなんだけど、NHKとか、TEPCOとか、いままでおっとり構えて下手に出てた組織が、獰猛になっている。)

    自分に身代わりの山羊の役目が回ってくるのを避けるためには、新しい標的を早く見つけないといけない、って意識的に感じる人はそれほど多くない。けれど、意識しなくてもそれくらいの計算はできてしまう。

    「この難局を乗り越えるには、みんなで一丸となるしかない。それなのに、みんなに合わせない連中がいる。許せない。絶対に!」てなるのだろう。なんとかならんもんか。

    漱石から、贈り物をもう一つ勝手に頂戴することにすれば、「智に働いて角を立てる会」なんてのを独りでこっそりやるのがよいかなあ。

    職場やご町内で、いちいち「角を立てる」ような正しい意見を披瀝して、皆さんに唖然としていただく、という活動をします。会員は一人。微力というも愚か。まあ、無力。

    でも「団結、がんばろー」では、相手と同じ穴ぼこに落ちて行くだけだもんな。

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