太秦の大足

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すべりひゆは、「ゴジラの足を見たひと」である。
@portulaca01 という名前でときどきイタリア語と日本語でツイッタの画面にあらわれる。
日本語で一年に一回くらい更新する、ぜんぜんやる気のないブログ
「すべりひゆノート」
http://d.hatena.ne.jp/portulaca198/
を書いている。

普段はイタリア語で考えて生活しているのが歴然としているが、チョー素直なイタリア語なので、イタリア語アンポンタンな、わしでも読めます。
日本語では、ええかげんだが、イタリア語ではマジメである。
見ようによっては、ええかげんな日本語すべりひゆが、まじめなイタリア語portulacaでバランスをとっているように見えるが、イタリア語portulacaは、毎週日曜日、幼児の性的虐待で有名なカトリック教会に通って敬虔な祈りを捧げるという狂気のひとなので、ほんとうの事情は逆なのでしょう。

いつかツイッタで話していたら、学校への道の行き帰りに巨大なゴジラの足とシッポを見て暮らしていた、というので、そのときタイムラインの中空に浮いて駄弁っていた、みなをうらやましがらせた。
考えてみると、太秦にゴジラがいるのはヘンで、ガメラだったのではないかしら、と思うが、すべりひゆが住んでいる世界ではガメラもゴジラも同じで、ゴジラの翼を見ても不思議でないひとなので、ほんとうはどっちの怪獣が、敷地で、蒲団から足を出して眠っていたのか確かめる術がない。

若いときに日本がつまらなくなってブライトンに行った。
ブライトンでは連合王国人の底冷えのする人間性の冷たさにうんざりして、イタリアにでかけた。
そこでイタリア語人のパウ朗と出会って、いまはゴジラよりは小さいが、おおきな息子と3人で生活している。
ある朝、眼がさめたら息子が髪の毛を緑色に染めて立っていたので卒倒しかけた。
ラザーニャがあまりに上手に焼けたので、感動のあまりイエス・キリストに祈りを捧げた。
なんというか、宇多田ヒカルさんが聞いたらうらやましがって悶絶しそう、というか、ふつーのイタリア人の主婦になりきっていて、イタリアでイタリア人と結婚して20年くらい住んでいる日本人主婦によくある、眼の前に立って話していても、およそ10分くらいは日本のひと(あるいはアジアのひと)と気が付かない、「ほんとうはイタリア人なのでわ」のひとです。
ニューヨークにかれこれ20年ほど家をもっているのに、
「サモアのかたですか?」と言われる義理叔父とはえらい違いであると思われる。

日本名物・集団的サディストが雲霞のようにこのブログにやってきて、「態度がわるい死ね」をしていたときも「ガメさんを信じていたのに、あなたは、ひどいひとだったんですね」が山をなしていたときも、すべりひゆのemailは、「ブログ記事、書くのやめちゃったん?」
「おおお。ご返事ありがとう。emailで返事もらうのって、たのしーよねー」とかで、気抜けがしているというか、普段着でいつものカウチに座って編み物をしているというか、
訪ねてゆけば、「ふっふっふ、ガメ? わたしが焼いたビスケット食べてみるか?」と言いそうな風情だった。

だから友情とは、と続くのを期待するひとがいるのかもしれないが、すべりひゆの話はここで終わりなんです。
ははは。
ただこれだけなのね。

さっきひさしぶりに日本語ツイッタをのぞいたら、すべりひゆが冷たいピザの話をしているので、わしは熊が冷たいピザを食べている絵のリンクを送った。
熊なのに猫舌なのはヘンだが、にも関わらず熊というものは猫舌なので、絵のなかでクマさんが食べているのは冷たいピザであるに決まっているからです。

すべりひゆは、そのピザを食べるクマの絵が気に入ってローカルに保存し、
「あ! パウ朗が帰ってきた」と述べて、タイムラインから出ていって、わしは紅茶をいれに立ち上がってキッチンに行った。
こういうことは一日の始まりとして、良いのではなかろうか、と考えた、というただそれだけの記事である。

ラフカディオ・ハーンだったと思うが、お茶を飲もうとおもって茶碗をのぞきこんだら、見知らぬ男の顔が映っていて、その男が自分に向かって笑みかけた、という話を書いている。
もしかしたら笑わなかったかも知れないが、もうちゃんとおぼえてないし、隣のライブリに立っていってわざわざたしかめるのがめんどくさいので、笑ったことにしておく。

この話の構成が洗練されていると思うのは、起承転結という、その「転」で話がいきなり終わっているからで、造作の立派な家の玄関をはいって、見回すとどの部屋も立派な家で、階段をあがってみたら青空がひろがっていた、というような趣です。

田村隆一は、詩にも物語にも玄関があって居間があって寝室がなければいけないのだ、と情緒の定型には、イデア世界に陳列されている情緒の連続のテンプレート、というべきものがあって、その不可視のテンプレートを天上から地上におろしてきて可視化するのが詩人の仕事であるという意味のことを述べている。

どんな短い物語にも、もともな作者が書いたものならば初めから読んでいって、だんだんにわかりかけてくる「物語の姿」があるが、ここまでがこうならば、このあとにはCからFまでの形の可能性がある、という読む方の期待を裏切って話から読み手がほうりだされてしまう。

人間の一生には通常「起承転結」の形が与えられていて、よりよい「結」をめざして努力するのがよいということになっている。
しかし人間は生物で、生物の掟にしたがって突然死ぬものなので、自分に与えられていると漠然と感じている、あるいは明瞭に計画されていると信じている「起承転結」の形は、実際には架空のものにしかすぎない。
ちょうど、晴れた日の午後に、くつろいで、お茶をのもうと茶碗をのぞきこんだら見知らぬ人間の顔が映っているのをみた男のように、自分のなかに見知らぬ人間を唐突に発見して人間は死ぬ。

「人生を計画する」ことの無意味さは、要するに、そういう人間の一生の本質から由来したものなのだろう。
突然おわりになるに決まっている劇を、終盤への喝采を期待して演じることくらい虚しい行為はないのではないか。

いまちょっと観てみると太秦は東映の撮影所なので、そうすると、ガメラ(大映)ですらなくて、すべりひゆが観たものはなんなのだか、よくわからない。

現実の、過去の風景なかを、ランドセルを背負って、こんなでっかい足なんてなんだかやだなあー、と考えて、少し足早になりながら撮影所の脇の道を毎日走るようにして学校へ通う、すべりひゆがいるだけである。

すべりひゆとは二回喧嘩したことがあるが、二回ともなんだかひどく頓珍漢な喧嘩だった。お互いにお互いの言っていることがよく判らないので、なんとなくめんどくさくなって喧嘩にならなくなってしまった。
すべりひゆは「喧嘩を続けるのがめんどくさい」と述べるかわりに「私がわるいな。ごめんね」と自分が譲ればいいや、というややこしい人間なので、譲られたこちらは、なんとなく子供あつかいされてあやされているような、うー、な気持ちになるが、相手がすべりひゆでは勝負にならないので、まあいいか、と思う。

友達というのは、まあ、なんというか、そういうものだな、と思うのです。

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