ウクライナというロシア

1 (70)

水木しげるの初期の傑作に「しびとつき」というマンガがあるが、これは、いまではよく知られているようにゴーゴリの小説「ヴィイ」が元になっている。
大学生が田舎の町で一夜の宿を請うと、そこでは若い娘の通夜が行われていて、教会のなかで死んだ娘と朝まで過ごしてやってくれと頼まれた大学生は、夜更けに起き上がった娘の死体に追いかけ回され、娘とやってきた精霊たちから視えないように描いた魔方陣のなかで戦(おのの)いていると巨大な目の姿の土の精霊があらわれて、大学生を指さして、「ここだ、ここにいる」と言う。
英語ではゴゴルというゴーゴリの小説のなかでも極めてロシア的な物語で、読む人間はまるで行間からロシアの土のにおいが漂ってくるような気がして目を瞠る。

….だがゴーゴリはウクライナ人なのである。

あるいは司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、主人公のひとり騎馬旅団長秋山好古が、まるで巨人の集団に立ち向かう子供のようにして、懸命に戦って戦線を支える相手はコサック兵で、まるでロシアの大地の守護神のように槍をかかげて突撃してきては軽々と日本騎兵を槍にかけて屠ってゆくコサックたちはいかにもロシアらしい戦争神として描かれている。
コサックこそはロシアの大地が生み出した勇敢な祖国愛の象徴であって、実際にも戦車があらわれるまでは、神出鬼没、突然前線の後背にあらわれては補給線を断ち、背後から吶喊の声をあげて襲いかかって逃げ惑う歩兵を殺戮して駆け回るコサック騎兵は地上では最強の移動攻撃部隊だった。

…だがコサックもウクライナ人なのである。

フランシス・フォード・コッポラがつくった映画「地獄の黙示録」は大岡昇平のような、うるさ型の小説家の心まですっかり虜にしてしまったらしく、原作の「闇の奥」との比較について、大岡昇平は何度も書いている。
「闇の奥」の小説としての深みについても触れているが、この「闇の奥」は各国の教科書のなかで英語のなかでも優れた文章の例として取り上げられている。

外国語学習の話でよく出てくる話題だが実は作者のジョゼフ・コンラッドが英語を学びはじめたのは20歳を過ぎてからで、職を得たイギリス商船で英語を学んだ。
現代日本語を学んだのであれば「ニセガイジン大庭亀夫」と呼ばれたに決まっているが、コンラッドは28歳で初めての英語小説「Almayer’s Folly」を書く頃には、フランス語、ポーランド語、ロシア語、英語を母語同様に話した。
ところで「ポーランド人」ジェゼフ・コンラッドはベルディチュフという町に生まれて育った。
このあたりの地理に明るい人にはすぐに得心されると思うが、ベルディチュフはウクライナの町である。

…「ポーランド人」ジェゼフ・コンラッドはウクライナ人なのである。

ここからしばらくは人名の羅列なので飛ばして読むと良いが、おもいつくままに挙げても

作曲家のセルゲイ・プロコィエフ、
バイオリニストのアイザック・スターン、ピアニストのスビャトスラフ・リヒテル、画家のイリア・レーピン、舞踊家のニジンスキー、
科学技術ではヘリコプターのシコルスキー、ストレプトマイシンを発見して結核治療に革命をもたらしたセルマン・ワクスマン、60年代初頭のビッグ・バン理論の提唱者セルゲイ・コロリョフ、免疫学という学問を発明したメチニコフ、
文学では冒頭に挙げたゴーゴリに加えてトルストイ、シェフチェンコ、ブルガーコフ、エレンブルグ、
こちらはウクライナ人に言わせれば、ということになるがドストエフスキーもチェホフも「ウクライナ人」である。

えー、でも、このひとたち、みんな「ロシア人」ではないですか?
と思った、そこのきみ、きみは正しくはないが、問題の本質を衝いているのであって、そーなんです、ウクライナの悩み、歴史的なくやしさ、というのは要するにそこにこそある。

孫基禎という、日本にとって初めての金メダルだった1928年の織田幹雄の三段跳びメダルから数えて、日本スポーツ史上通算11個目の金メダルを、しかもマラソンでとって後のマラソン大国日本の土台をつくった人がいるが、この人の月桂冠を戴いた写真には「日の丸」を塗りつぶされているものが多くある。
当時は日本の一部だった(いまの)両韓のひとびとが、自分達民族の誇りが、栄誉の場で、日の丸を胸に付けていることに耐えられなかったからで、日の丸を黒々と塗りつぶした写真をジッと見ていると韓国人たちの悔しさが胸に迫ってくるような気がする。
IOCの公式記録はいまでも孫基禎がとった金メダルを日本の金メダルのうちに数えているはずで、ウクライナの事情も、これと似ていなくもない。

ウクライナにプーチンが軍事的強圧を加えはじめた頃、日本語インターネットを見ていると、日本のひとのあいだに「戸惑い」があるのがよくわかった。
「ウクライナって言われても、知らないなあー。ちょっともわからない。誰か有名な人でもいてくれればいいんだけど」と、ゼノフォビアで有名(ごみん)な日本のひとびとにしては、穏やかな、やわらかい視線を感じさせる言葉で、「わからない」とつぶやく、インターネット上の姿を、わしは好感を持って眺めました。
(こうやって書いていても、なぜウクライナに限って、いつもの訳知り・知ったかぶりの俄専門家の類が湧いてこなかったのかは、とても興味がある)

実際には「ウクライナの人って、どんな人がいたかなあー、全然わかんないや」という日本の人のつぶやきそのものが、すでにウクライナとロシアのあいだに横たわる問題を説明しつくしていて、ウクライナ人がどうしても独立を死守したい理由のおおきなひとつは、「ウクライナ人の果実はロシアの果実」とばかりにロシア人たちが、ウクライナが生み出した無数の才能や文化産物に、なんでもかんでも「ロシア・スティッカー」を張ってしまうことにあって、日本が韓国の領土になって、湯川秀樹もスタジオジブリも韓国文化を代表する名前になっている、という状態を想像してみると判りやすいのかもしれない。

(さて、ここからが、ややこしい)
ウクライナは「最果ての地」「ど田舎」という意味だが、もともとはキエフ・ルーシです。
キエフ・ルーシはモスクワ・ルーシよりもずっと古くて正統的な公国だった。
だが立地が悪いというか、なんというか、攻められやすい立地に複数言語を話す複数民族の土地という典型的な条件で、蒙古民族の侵攻くらいを境にして、いわば分家のモスクワ・ルーシにお株を奪われてしまいます。

気が付いたと思うが、この「ルーシ」から派生した言葉が「ロシア」で、つまり、本来はウクライナこそがロシアだったことになる。

「またかよ」と言われてしまうが、もう書いているのが飽きたので、このくらいでやめるが、ウクライナと日本は意外な関係があることが知られていて、日本の天皇家の「三種の神器」は起源がウクライナの住人であったスキタイ文化だろう、というのは英語で書かれた日本の歴史を述べた本によく載っている。
そのほかにも騎馬武者のあぶみの飾りがそっくりであったり、中国文明圏の王権の象徴である「玉(ぎょく)」ではなく、藤ノ木古墳から黄金の冠が発見されたように日本の王権は「王」=「太陽」=「黄金」のトルクメニスタン>インド・イラン文明につらなっているのが極めてという言葉では足りないくらい特異で、そういう点からも中国文明圏を北に迂回した経路を通って日本にスキタイ文明が直截逢着したのではないかと考える研究者はたくさんいる。

あるいはウクライナでは20世紀にはいってシベリアへの人間の大移動が起こったことがあるが、その一部は日本軍部と接触して対ソ連の共闘戦線の可能性を探ったりしていた。「奇妙な友人」で述べたとおり玉石混淆ではあっても、なかには純粋に「大アジア主義」の夢を燃やす人間もいた日本側にも、なんとかウクライナ人と手を組んで大アジア主義実現の当面の最大の敵であるソビエトロシアを倒せないものか、と頭をふりしぼったひとびともいたようです。

現今のウクライナとロシアの対立は、いろいろな日本語世界「識者」の意見とは異なってほぼ完全にプーチンの大時代で国権主義的な野心の産物にすぎないが、アメリカ・オバマ政権のヒラリー・クリントンが去ったあとの「マヌケ」としか形容しようがない無能ぶりを見れば、悲観するしかなくて、黙ってみていることくらいしか出来ないが、あるいは(ちょうどオーストラリアやニュージーランドで日本・韓国・中国のひとびとがそうであるように)欧州では同じ職場で肩を並べて働いていることが多くて、敵国同士になりそうな者同士が、同じカウチに座って、両方とも目に涙をためて黙ってニューズに見入っている光景は気の毒でたまらないが、どうにも、やれることはなにもない。

せめて、ウクライナの風土でもベンキョーして、ウクライナとは何か、を理解しようと勤めるくらいしかやれることはないかも知れないので、最後にウクライナの基礎データを挙げておきます。

*国土面積 60万3700平方キロメートル (日本の1.6倍)

*人口 4500万人

*首都キエフ

*エスニック構成
ウクライナ人77.8%
ロシア人17.3%
ベラルーシ人0.6%
モルドバ人、クリミア・タタールほか

*言語
ウクライナ語 他ロシア語など

*宗教
ウクライナ正教、
ウクライナ・カトリック
ユダヤ教
イスラム教

*GDP(世銀)
US$176309mil (51位)

*GDP per capita (世銀)
Int$7421 (98位)

*主要輸出品
鉄鋼、鉱物資源、機械、農作物

*主要輸入品
鉱物性燃料、機械、化学製品、自動車

*主要輸出相手国
ロシア 30%
トルコ 5.5%
イタリア 4.5%

*主要輸入相手国

ロシア 35%
ドイツ 8.3%
中国 7.6%

*通貨

フリヴニャ (1US$=9 hryvnia)

*日本人居住者
212人

*在日ウクライナ人
1479人

(以下の数字に、ついでに付け加えると大陸欧州人のウクライナへのイメージは「フランスの二倍の耕地面積がある肥沃な黒土の国、かもしれません)

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s