アベノミクスが開いたドアの向こう側(その2)

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小泉純一郎ほど日本の国内と英語世界で評価が異なる政治家はいないだろう。
この人が首相になったとき、わしは20歳だったと思うが、新聞の記事を読んで
「ずいぶん、わかりやすい人が出て来たんだな」と思ったのをおぼえている。
それまでの日本からのニュースは複雑というよりも脈絡がなく理解不能で、第一、首相になるどのひともこのひとも言うことがやることと整合性がなくて、チンプンカンプンで、なんのこっちゃな人が多かった。

政府がでかくなりすぎて非効率なので小さくする。
ついては郵政民営化を、その象徴にする、というやりかたは、いえば「西洋型」で、
政治目標として理解しやすかった。

経済の観点からは郵政民営化には別の意味があった。
日本の経済の停滞の最もおおきな理由だった、貯金好きが国民性の日本人が積み上げた莫大というのもバカバカしいようなすさまじい金額の個人資産を市場に向かって放出させる、という重要な意味があった。
一方で強烈な抵抗にあいながら金融を他国なみに自由化しようとしつこく財務省や銀行家に圧力をかけつづけていたところをみれば、政治家としての「郵政民営化」の意図は、こちらのほうにあったのが明かで、この改革がうまくいっていれば、いまの日本経済の目をおおいたくなるような凋落はなかったはずである。

もっともおおきいのは、郵貯の密室のドアを開けて個人資産を市場のなかで機能させ前世紀的な規制と現代数学的素養を欠いた運営で仮死状態におちいっている金融業界に再び金融機能をとりもどさせる試みに失敗した結果、社会のIT化に最も必要な若い世代の起業に必要な資金調達が不可能になってしまったことで、簡単に言ってしまえば、日本が自力で経済を回復する方法はここで閉ざされてしまった。

外から観ていて、ちょっとびっくりしたのは、この経済改革をご破算にして象徴的な名前をあげればトヨタや日立東芝というような旧勢力に国を預ける道を選んだのは、日本の場合、ほかでもない国民自身であったことで、当時はなぜ自分達の未来を自分達の手で閉ざすのか理解できなかったわしに「将来、日本に行ってみたほうがいいかな?」という気を起こさせた。

2006年から2010年まで断続的に日本へ出かけて、最長半年日本に滞在した事実は、いまでも軽井沢の山の家の裏庭の石碑に「十全外人文功」として誌されている。
(家を売り飛ばしてしまったので新しい持ち主が壊してしまったかもしれないが)
その5年間11回に及ぶ日本遠征で学んだ事は、日本のひとが小泉純一郎の改革を「不平等」を助長するものとして嫌悪して、「反改革」を支持し、小泉純一郎に対しては社会格差を広げただけの政治家としてのネガティブな評価を与えているにすぎない、ということだった。

日本のひとは「不平等」を嫌う。
むかし居間でごろごろしながらテレビを観ていたら、三菱グループを取材した番組をやっていて、「日本では巨大企業の社長の年収が熟練工の年収の50倍を超えることは滅多にない」というのでびっくりしてしまったことがある。
例えばアメリカでは1000倍を超えることが普通にあるので、そんな社会があるのか、と新鮮な驚きを感じた。
日本の社会がソビエトロシアの社会にたいそう似ているのは、そのせいだろうか、という印象をもった。

小泉純一郎を社会の外に蹴りだして、「経済格差が少ない社会」をめざしだした日本はしかし、郵貯というオカネの巨大な塊が再び座り込んでしまったことと金融の自己改革否定を許してしまったことによって、当然のことながら、すさまじい不振に陥っていった。
変化の速度がはやくなって動的な状態の瞬間瞬間を把握しながらすすんでいくことに慣れてきた世界の動きに逆らって、「安定した」という変化についていけなくなった集団が必ず好む言葉をつぶやきながら、ちょうど単葉レシプロ機からジェット機に切り替わっていった世界に背を向けて、「格闘性能が足りない」と新型複葉機の開発に熱中しだすひとびとの情熱で、旧産業を盛り立てていった。

余計なことを書くと、テクノロジー開発のインフラの点で日本が最も脱原発に適した環境をもちながら、東海村JCO臨界事故や福島第一事故の究明もなおざりにしたまま、いちもにもなく原発の再稼働に向かって遮二無二走ってゆく理由のひとつは、日本が金融にダイナミズムを与えるのに失敗したこと、その結果として社会のIT化が不可能になったことが直截に関係している。

トヨタに代表される旧産業にとって国際競争力を維持するためには、原発停止で足下を見られて巨額の「ジャパンプレミアム」を余計に支払わねばならない状態のままでは、円安をすすめて価格競争力をつけても、それにつれてエネルギー調達コストがあがりすぎるので、貿易赤字はどんどん増えて積み上がってしまい、やがて経済ごと転覆してしまうに決まっているからです。
「風が吹けば桶屋がもうかる」という、風変わりな、あの論法をまねていえば、
「反郵政改革によって3番目の原発事故が必ず起きる」と、言えなくもない。

安倍政権が長期政権になる可能性が高いことは、安倍政権の第一期をふりかえってみれば判る。
安倍晋三が「美しい国」の失敗から学んだことは、自分の国家主義的主張に政策の比重を置きすぎると国民に嫌われるということで、国民は口ではいろいろな理想を述べても「おれはどこに行けばゼニがもらえるんじゃ」という、ほとんどそれだけで政治を評価する、ということだった。
金銭で苦労したことがない安倍晋三にとっては、国民の「本音」が要するに「カネクレ」だったことが新鮮な驚きだったと思います。

そこで「美しい国」の代わりに「アベノミクス」という言葉を採用した。
アベノミクスの特徴は小泉純一郎の政策が基本的に「郵貯に代表される市場から切り離された巨額の個人資産を金融革命をすすめる金融市場に放出して起業家を育てる」ことを目標にしていたのに較べて、「通貨の流通量を増やすことによってインフレを起こし結果的に個人資産を政府の軍資金をゆたかにして経済の選択肢を増やし、繁栄が回復されたあとに、出来上がった冨を再分配する」ことを目指している。
乱暴ないいかたをすると、産業構造そのものを新世代化してしまいつつあるアメリカ型の産業改革をやめて、欧州型の旧産業構造に依拠した経済回復を狙いだしたわけで、「ドイツはそれでうまくやっている」というのが経済官僚の心の支えなのかもしれません。

このあいだ英語のニュースを眺めていたら、28歳のオーストラリア人の女のひとがメルセデス・ベンツの親会社であるダイムラーAGの役員になったことが報じられていた。「ドイツ語はぜんぜんダメだが、別に困りません」「シェフになろうと思っていたが、会計も好きなのでやってみたら料理よりもおもしろくなってしまったのが昂じて会計担当役員になってしまいました」と屈託のない顔で笑っている。

もう長くなってしまったので、詳しく書いていかないが、この記事には日本とドイツのふたつの国の違いが凝縮されていると感じられて、
1 28歳という年齢で並み居る経験豊富で社歴がながいおっちゃんたちをごぼう抜きにして役員に任命されている
2 女のひとを男と区別なしに採用している
3 会社が属している国の言語(ドイツ語)をまったく話せない人間を採用している
4 外国人の登用を躊躇していない
5 特に割烹着を着ている必要がない

というところが異なる。

ついでにいえば、このひとは有名大学の出身でもないので、ダイムラーグループでは人事評価システムが「仕事の効率」という面からだけ、しっかりとつくりこんであることが判る。

平等と機会均等は違うのだ、あるいはもっと思想史に近づけて言うと、機会均等が真の平等の意味なのだ、というのは日本文化に真っ向から反している。
日本人の信じる平等は、同じ年齢で同じだけ努力していれば収入も同じでなければならない、という意味で、年収が10億円もあれば、それだけで邪悪な人間だと感じられる。
日本では成功した人間が出ると、社会が手をひいて雛壇にのぼらせ、初めは散発的に、小さな石礫がどこからともなく投げられ、やがて、みなが手に手に石礫をもって投げつけ始めて、最後には猿のように歯をむきだし、オウムのように叫喚して、雛壇の上に立った人間が崩れ落ちてしまうまで礫の嵐をぶつけつづける。
言い換えてしまうと「成功がない社会」において最も平静でいられるのが日本人の国民性で、機会均等の「機会」が成功をめざすための機会であることを考えれば、奨学金制度の不備、大学入試の画一的な学生採用方法、あるいは銀行の融資条件にみられる「不動産担保」一点張の不合理、そういう諸々の「機会均等への無関心」も、その国民性から来ているのでしょう。
機会均等を無視した社会では2代目3代目が父親の職業を踏襲する例が増えて、同じ姓の人間が世代を超えて綿綿と同じ職業につくのはインド社会の研究その他でよく知られているが、日本にも、かなりその徴候がでてしまっている。

前に「アベノミクス」についてブログ記事

https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/04/23/アベノミクスが開いたドアの向こう側/

を書いたときにめんどくさがって書かなかったことを書いてみようと思って、この記事を書き始めたが、「アメリカ社会の格差」という日本人が重大な誤解をしている部分にたどりつかないうちに飽きてしまった。
この続き、「アメリカ人が格差に怒って国がダメになるポイ、はほんとうじゃないのよ」は、そのうち、教育制度と絡めて書くことになると思います。

でわ

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One Response to アベノミクスが開いたドアの向こう側(その2)

  1. midoriSW19 says:

    昨日だったか一昨日だったかTwitterのタイムラインに小泉純一郎待望論みたいなのが流れて来たので(という今は、安倍首相が意味もなく衆議院を解散し、無駄金使って前倒し選挙やることがはっきりした今です)、思わず「雇用の自由化を推進して格差社会を作った張本人じゃん」みたいなことをさえずってみたわけですが、さっき初めて読んだガメさんのこのブログによると、わたしは「機会均等」を嫌うおたんちんってことになってしまい、うれしくない。なので言い訳してみる。まとまらないかもしれないけど。眠いし。

    言い古された表現になるけど、長いこと日本では世界に名だたる会社社会主義が機能しており、企業の一つ一つが小さな福祉国家のようなものだった。企業に入る時点では(あるいは大学に入る時点では)競争があるけれど、ひとたび入社してしまえばそこには機会の均等があったと思う。中途採用はほとんどなく、ヘッドハンティングで外部からキレものがやってくることもない。入社するのはみな大学出たての(あるいは高校出たての)フレッシャーズだけで、大学で(高校で)何を勉強しようがどんな成績であろうが同じように扱われ、その企業のカラーに合うように教育された。そして(建前とはいえ)誰でも社長になれるチャンスがあったはず。

    企業は若い社員のために低家賃の住宅を作り、全社員に交通費を支給する。健康診断を実施し、懇親会を兼ねた旅行や運動会なども企画する。社員の家族に不幸があれば葬式の手伝いまで企業が派遣する。中小企業なら家族のように、大企業なら小規模な自治体のように機能し、国の福祉に足りないものを補っていた。コミュニティの結束も強い。ほとんどの被雇用者に終身雇用が約束されていたから先々の計画も立てられ、安心して子育てもできた。サッチャーに破壊される前のイギリスの鉱山コミュニティも同じような機能を持っていたのではないかと想像する。

    サッチャーは鉱山労働者や工場労働者を失業者の群れに替え、コミュニティを破壊した。悪名高いイギリス病は解消されたけれど、職場を負われた人々の多くも彼らの住む場所もそのまま捨て置かれた。なぜそんな乱暴な改革ができたかと言えば、イギリスには手厚い公共福祉があったから。仕事がなくても路頭に迷うわけではなく生活保護も受給できた。労働者としてのプライドをズタズタにされたとしても少なくとも生きてはいけた。サッチャー改革から30年経ち、解決されなかった諸問題は、失業労働者家庭に生まれた第二世代で増幅され、いまイギリスはそのつけを払わされている。

    イギリスのような確立した福祉のない日本で雇用の自由化を実施したらどうなるかは、やるまえから目に見えていた。雇用を自由化するならその前に、せめて同時に福祉の充実も実施すべきだった。

    会社社会主義による機会の均等を素晴らしいものと思っているわけではないです。一度も就職したことがないので、それがどんなものなのか一次体験として知らないし、欲しいと思ったこともない。第一に女なので、日本の会社社会主義ではあまりいいポジションは与えられないし。でも、たぶん日本の文化・日本の人にはあっていて、企業単位での機会の均等ぐらいが、ちょうどいい大きさ・負担だったのではないかと思う。長々書いたわりに、まとまりないわ〜、やっぱし。でもせっかく書いたから投稿しちゃう。

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