花束を、きみに

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人種が科学的にはすでに否定された概念であることは以前にも書いた。
たった5万年まえに次第に緑を失う村に不安をもって、たちあがって、緑の道をたどって北東へ歩き出したアフリカ人の小集団が、いまの、すべての人類の祖先である。
「5万年」という直感的には短すぎる年月で、これほど形態が異なるということを信じられなかったために、こんなにも長く人間はお互いを傷つけあい、システム化された殺戮までおこなってきたことを考えると、誤った直感が大災厄をもたらすのは科学の世界だけではないのがわかる。

オークランドの東側にあるリミュエラの家から20分ほどクルマを運転して高速道路を西へ行くと、サンドリンガムを中心としたインド人たちの街があって、ポリネシア人やミドルイースタンやパキスタン人、シュリランカ人たちが混在している。
ニュージーランドは「隣国」のオーストラリアまで2200キロあるという途方もないド田舎だが、それでも21世紀の国で、21世紀の社会なので、クルマを駐めて街を歩くと、白い優美な民族服を着たムスリムのアフリカ人たちや、ブルカをかぶった女たちがたくさん歩いている。
いつかはBPのペトロ・ステーションの前で8人ほどのノーマッドの男達が信号を待ってたたずんでいて、その場でそこだけ異次元であるような、ノーマッドたち特有の姿勢のよさ、すらりとした姿が浮き立って、その姿のあまりの美しさに、モニとふたりで息をのんだりした。

モニとわしの他はアフリカ人たちしかいないハラルフライドチキンの店で昼ご飯を食べて、エチオピアン・カフェやパキスタニ・カフェがあるモールをのぞいたり、この辺りではたいへんな人気があるハラル肉店で、チキンティカ用につけこんである鶏肉を買ったりする。

他民族の人間をみるときには「人間の姿の美しさ」というものがわかりやすい。
犬さんや猫さんは人間をみて、どう審美の対象にしているか、あるい、2本足でのびあがって移動するヘンなやつらだとうんざりしているかわからないが、人間の眼には人間の肉体が最も美しい自然であると感じる。

むかしから木が好きで、夏の暑い日に木陰をつくってくれるオリブの木やマンゴーの木、なにもない乾燥地で目印をつくってくれるガム・トゥリー、風にゆれる楡の木や。リムや黒松の森林が好きだったが、あるいは陸影のみえないブルーウォーターにでて、モニとふたりで素裸で泳いであそぶ海の、じっとみていると狂気におちいりそうな無限の水のひろがりや、フランスやアイルランド、ブリテン島の形をまねしてみたり、いつかはまるで人工的にそうしたような白く輝く十字架があらわれたりして、おもしろがらせたり、畏れさせる積雲が浮かぶ青空の美しさは子供のときからなじみのある美しさだったが、人間としての意識が充実して、宇宙を眺めるための言語が成熟した体系を整えはじめると、人間の美しさにかなう自然はこの惑星の上には存在しない、と気が付く。

砂漠の民たちは、オークランドの雑踏のなかを歩いているときでも砂漠を歩くような歩き方で、背筋がのびて、人間の立ち姿には「ポスチュア」というものがどれほど大事なものか教えてくれる。
ラテをにっこり笑ってさしだすエチオピア人の女の人の眼は、漆黒、という言葉を思い出さないひとはいないほど深い黒で、感情という感情をのみこんでしまいそうな色をしている。
4万年以上も、ビタミンDの不足のせいで実際に短命だったほど太陽の光が少なかった北欧人は、青ざめたように白い肌で、でも家具を説明しながら微笑みかける眼は、あたたかい明るい灰色で、スウェーデンの自分の故郷からやってきた家具を、誇りが隠せない様子で説明してくれる。

子供のときのイギリスは退屈な国で、なによりも文化が単一で価値の体系がひとつしかないということが退屈で、その頃から中国の人や日本の人はたくさんいたが、なんだかそれは「よそのひとたち」ということになんとなくなっていて、ひどい言い方をすると、眼の前にいるのに、いないことになっていた。
特に不礼儀を怒るという人もいなくて、いないものには怒りようがなかった。

こうやって思い出してみると、まるで前世の記憶のようだが、街にはコーヒーといゆようなものさえ稀で、ファウンテンに行こうが、いまはもうなくなったフォルテに行こうが、飲み物は紅茶と決まっていて、スコーンにclotted creamやジャムをごっちゃりのせて食べたり、チョコレートサンドイッチや、クリームバン、アイスクリームがのった熱々のブラウニー、そういうものはもちろんおいしくて、貪り食べたが、バラエティという点では初めて真冬に夏の太陽をもとめて出かけたニュージーランドで「アフガン」を発見して妹とふたりで、あまりにエキゾチックなので欣喜雀躍して、店のひとに笑われたりした。

北のヨークへ行けば、いよいよ「白人」ばかりで、最大のパキスタン人人口をもつといういまでは想像もできないが、スワンホテルで昼ご飯のサンドイッチを食べて、表に出てみると、昼ご飯が遅ければもう夕方になるイギリスの冬の一日のばかばかしさで、もう夕陽がラグビーグランドをオレンジ色に染めはじめていて、子供の心に、もしかするとこの町はここ200年ほども同じ姿のままでこれから先も200年くらい同じなのではないか、と考えて、げんなりして、同じ年の夏にかーちゃんに連れられてでかけたマンハッタンを思い出して、うらやましい、と考えた。

ベトナム人たちがおおい町に行って、ベトナム人たちがやっている料理屋で、友達のもじんどんがうらやましがらせたフォーを食べて、ウガンダやエチオピア、ジンバブエからやってきたいろいろな土地のアフリカ人たちが日がな一日コーヒーを飲みながらだべっている店で、なぜかエチオピア人が淹れるとチョーうまいコーヒーを飲みながら聞くともなしにアフリカの国々の噂話を聞く。

そういう毎日が普通になると、とてもではないが、退屈な単一文化の毎日にはもどれない。
まだ人間が遠距離を移動する手段をもたず、英語という共通語ももたなかった頃は、
神様だけがこの光景を眺めて、「世界は多様でよいなあ」と雲の上で寝転びながら楽しんでいたのだとおもうと、神様と名前のつくひとは、なんという嫌なやつだろうと考える。

でもいまは人間も、たくさんの人種の、外形が異なる美しさを眼でたのしみ、言葉をかわして、そんな考えかたがあったのか、と眼をまるくして驚き、笑い転げて、いやしいことをいうと、ありとあらゆる種類のおいしい食べ物が15ドルもだせば食べられて、なんという良い世の中だろう、としみじみ考える。
子供のときの「真っ白な世界」のままだったら、と思うとぞっとする。

もしかすると、アフリカで爆発がはじまっている人口増に対して資源も絶対的に足らないし、人間はいつまでたってもバカで、進歩も何もなく貪欲で自分勝手でよいことはなにも理解できなくて気の毒なので、神様がついに人類が第4コーナーをまわったところで、せめてもの餞(はなむけ)に、一堂にならんだ、さまざまな人種とさまざまな文化という、最後の花束をおくりとどけてくれたのかもしれません。

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