中身のないパイについてのノート

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日本は社会における競争が少ない、という点で良い国であると思う。
英語圏は「国」としては、70年代80年代のスランプから蘇ったが、個人からすれば競争地獄の悪夢のような社会になったとも言えるだろう。

向こうに用事があって、この頃、家にはオークランド大学の学生がよくやってくるが、見ていると、はっきり言ってしまえば職業訓練校の学生のようなもので、21世紀にもなって「自分の職業的な将来」のために大学で学問をする学生がたくさんいる。
「役に立つ学問」なんて、やっても面白くないんじゃないの?という質問が、そもそも何を実質としているのか理解できないほど「実用の学」しか眼中にない学生が多くて、大学として退屈であると思う。

しかし、人間としての自制心は立派なものでインターネットは2時間に限っている。
コンピュータのスクリーンの前に座る、というような機会は長い文章を書くときにしか起こらなくて、彼等にとってはインターネットはスマートフォンの小さな画面のなかのものである。
「細切れの時間」を埋めるためのもので、「楽しいムダ」としか意識されていない。

こっそり日本語で述べるのは酷いが、それもこれも競争の激しさのせいで、たとえばいまオークランド大学一年生で第二学年はカリフォルニアのバークレーで過ごそうと考えている都市計画の学生は、世界中に英語を母語とする競争相手が充満しているのをよく知っている。

いったん社会にでれば、たとえばニュージーランドは世界で最も起業をしやすい社会なので、銀行にビジネスプランを説明して、テキトーにいま頭のなかでありそーな初めのビジネスをでっちあげると、会社をやめて園芸店用のDBをつくる会社を興すことを決心した30代後半の情報科出身者がいるとする。
こういう場合、ニュージーランドではベースになるDB付きソフトウエアと顧客と経営環境がセットになったビジネス全体として7万ドル(600万円)程度で買えるでしょう。
ビジネスブローカーと交渉して、事務弁護士を立ててビジネスごと買う。

園芸店用の売り上げ・在庫管理ソフトウエアというようなものはニッチビジネスなので、オカネが儲かる上限のキャップも低くてどう成功しても年20万ドルもいかないと思うが、ビジネス自体の競争は小さい。

彼はまず7時半に起きて朝食をつくり、起きてきた配偶者とふたりの子供と食べて、8時になる頃には子供をクルマに乗せて学校へ連れていかねばならない。
営業職の奥さんは、タウロンガに出張なので、明日の夜帰ってくるから、と述べている。
空港へは自分のクルマで行くから、送ってくれなくても大丈夫です、という。

朝から顧客と電話で話しあって、ソフトウエアのバグ取りや改善、カスタマイズとやることは山のようにあって、3時半になれば子供を学校へ拾いに行かねばならない。
4時半までは自分で子供の相手をして、ベビーシッターが5時に姿をあらわすと、子供を預けて、また会社にもどって、そこから8時まで仕事をする。

家に帰ると、皿洗い機に汚れた皿を並べ、洗濯機をまわして、やれやれ今日も一日が終わったと人心地がつくのは10時くらいのことになる。

だいたいこのくらいが最も楽な一日の姿で、たとえば大学でディグリーをとっていなければ体育館よりもおおきな巨大な倉庫のなかで、東3番の棚の上から3段目にあるクリートをフォークリフトでとって、トラックが集まっている集積所にもっていけ、というような指示が出るモバイル端末に、しかし、よくみると画面の右下には「合計2分40秒」というような「推奨作業時間」も出ている。
常に急かされている。

事務職は事務職でマネージャーが統括しているのは、8時間の勤務時間ちゅう、いかに部下を絶え間なく労働させて、隙間無く生産性で埋めつくすかが問題で、管理側も労働側も、考えてみればわかるが、「仕事をするふり」が入る余地の無い「8時間」というのはたいへんな労働で、夕方の退社時間になれば、みな青ざめた顔をして、疲労困憊の表情になる。

大学の研究職ならば、もう少し創造性を発揮するのにふさわしい時間のペースがもらえるかというと、全然そんなことはなくて、そもそも契約が二年であったりする。
二年経って目立った業績があがるとか、指導する学生が顕著に進歩する傾向をみせるというような「明瞭な」変化を研究室に与えられないとクビになってしまう。
なぜ落ち度がないのにクビになるかというと、同じ生産性ならばあとから来る、より若い研究者のほうが好ましいからで、あるいは同程度の能力でも2年前と同じ人よりは違う人のほうが大学から見ると好ましいからです。

職業別に事情をずらずらと書いてゆく気はしないが、考えの基本は「雇用継続の保障を与えずに絶えず不安定な状態におく」「常に(自分よりも少ない賃金で)同じかそれ以上の仕事をする人間が自分の後ろに控えていることを意識させる」ことが現代社会の雇用の根本で、もうひとつだけ、あたりさわりがないように過去の事例のなかから典型的な例を挙げるとイングラムに競争者として破れた流通会社のミラセルは、正社員の営業担当者がトイレに立ったり、昼食に出るときだけかかってきた電話を取っていいインターンを営業部署のベンチに控えさせていた。
営業正社員がランチにいっているあいだにインターンがおおきな注文を取ったり、あるいは、ジャマイカへ短い休暇をとって遊びにいっているあいだにインターンが大活躍をしたりすれば、戻って来たときにはもう机は無くなっている。
段ボール箱に私物をいれて、終業までまたず、その場で退職することになる。

卸業の勝者として生き残ったイングラムのほうは、もちろん、これより厳しいシステムをとっていたので生き残った。

競争原理を導入して、ムダをなくし、ひとりひとりの労働者の生産性をしぼりだすように吸い尽くすシステムを社会を挙げて推進した結果、英語圏諸国は、経済世界に帰り咲くことになった。

具体的には労働人口の1割が突出して生産性が高い社会、と言われていた1割が、2%になって、そのかわりこの突出した部分は生産性の高さというよりも労働価値の創造を求められるようになった。
このブログ記事をさかのぼると過去記事には実名で登場する数学科出身の22歳の女のひとが典型で、このひとは数学の手法を駆使して、銀行が貸し出しに用いうるクレジットを従来の数倍にひきあげた。
1千億円しか貸せなかったのが数千億円の貸し出しができるようになった。
日本ではクレジットクランチで、こういう新しい金融方法全体が崩壊したのだと誤解している人が多いが、そんなことはなくて、クレジットクランチを引き起こしたのは、実際には(年齢でいえば)40代50代の理論を理解できないまま、「ほんじゃいくら貸してもいいんじゃん」になった金融人たちで、金融革命そのものは、クレジットの創出理論も含めて、奇妙な例をだせば馬車が自動車に変わったのにいまさら交通事故が増えたからといって馬車の時代に押し戻せないのと同じ理由で、旧式のやりかたに戻るどころか、もっと先へ段階がすすみつつある。

「2%」の役割は、「突出して仕事の成果があがる」役割から創造へと変わったわけで、会社側からみると、ここにしか賃金を払う必要を感じなくなったせいで、「まんなか」というようなものは会社のなかでも不要になってしまった。

アメリカでは「good life」はもう存在しない、というのは常識になっている。
企業でいえば、かつてのヒューレットパッカード社に代表されるような、「社員はみな家族」というようなコミュニティをグループ内にもち、敬意をもたれるマネージャー達が存在して、年収でいえば1億円内外をもらい、会社のなかで「重鎮」として育ってゆく、というような社員生活はいまではなくなってしまった。
「good life」というようなものはなくなって「great life」と「shitty life」だけが残った。

great lifeは、たとえばアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズの職業的な人生が典型で、夢をもち、夢を実現し、さまざまな困難に打ち勝って世界の変革につながる企業を打ち立て、自らも富裕になる、というような一生がイメージで、shitty lifeのほうはと言えば、ただ「食べるため」に働き、それも共稼ぎでやっとで、一日の時間は生活費をうむための活動でうめつくされ、ラットレースから抜け出すみこみもない。

むかし、というのは20世紀の終わりにはアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドが、中間層のない「まんなかのおいしいところが欠落したハンバーガー」国家だと言われたが、いまはイギリスや他の国も加わって、およそ社会間や国家間の競争で勝ちそうな国家は、北欧諸国の他は、すべて、2%のgreat lifeと98%のshitty lifeの組み合わせの社会になっている。

日本のひとは人民戦線的な「国民はみな平等」という強い観念を抱いている。
そういう同じ人間に生まれて能力の違いだけで収入が二桁も違ってよいわけはない、という強い社会信念は、たとえば会社のCEOと工場熟練工の給与格差が先進国ちゅう最小であることに現れている。

日本社会の問題は相対的な問題として(国民ひとりひとりにとっては)無慈悲としか言いようが無い競争原理の全面的導入をはたした英語圏諸国に較べて、社会全体として敗者になりつつあることで、伝統にしたがった範囲で、常に英語圏の「アホなんかいらん」の競争社会に対して重税高福祉の社会体制とともに教育や資源からの利益の再分配を中心に英語圏と対抗しうるまったく異なる思想に基づいて競争力を形成してきた北ヨーロッパ諸国の変革も模倣しえないまま、ソビエトロシアに似ている、というか、社会の生産性という函数箱に100の原料をいれると200になって出て来ていたのが、いまは感覚的には105というようなものだろう。ソビエトロシアは100のインプットに対して70だと、よく冗談の種にされていたが、日本はそこまではいかないが、生産性の低下が慢性病化して、命取りになりつつあるのは、「なんでもダイジョブ」な不思議な「ダイジョブ理論家」がたくさん存在しているのでよく知られた日本社会の内側でさえ、しだいに感得されてきているようにみえる。

60年代から80年代の日本社会の国際社会への登場は、ゲームのルールを変えてしまった。
それまでのルールは、週5日年に60日は休暇をとって、人間らしい暮らしをしながら、出来る範囲で仕事をやっていく、というルールだったが、戦後日本はいわばサッカーのフィールドで、ただひとりボールを脇に抱えて走るプレーヤーだった。
「働き蟻」「うさぎ小屋の住人」
自分達は「生活を楽しむための最低条件」を譲歩してまで生産性をあげる気はまったくなかったアメリカ人や欧州人たちは日本人の狂気のような労働ぶりを呪詛したが、変わったのは国家的な「ブラック企業」の日本のほうではなくて世界のルールのほうだった。
日本のつくった新しいルールでのゲームに勝つために英語圏がつくったのがいまの2%ルールであると思う。
98%の人間は惨めなものだが、2%に加わることを夢見て、あの手この手をつくして「shitty life」のラットレースから抜けだして、「great life」に連なることを目標にすることが、社会の常識になってしまっている。

日本が、この後、西洋諸国家の「日本によって変更されたルール」への答案に対抗できず、ずるずると後退していくのか、あるいは日本人らしい西洋人には思いも付かない方法で、また新しいルールを見いだして世界をそれに従わせるのか、わからないし、あまり興味もない。
興味が感じられない最もおおきな理由は「中国」という、今度は文明の本質から異なるゲームチェンジャーが登場して、そのあとにはインド、そしてそのすぐあとには「真打ち」というべきすさまじい人口爆発を抱えるアフリカが控えているからです。
欧州人は悪いくせで北アフリカ、エジプト、シリア等々の争乱を、欧州周辺の争乱とみなしているが、現実にはアフリカがゲームのルールを変えようとする、その初めの徴候が北アフリカの争乱なので、よく考えてみれば歴史的にも、われわれがよく知っている光景で、しかし、こっちのことは日本語で述べることにはまったく意味がない。

日本が二極に分化する現代社会の傾向に、どう対処するか、あるいは対処できないかを観察するスタートとして、この記事をここに置いておこうと思います。

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One Response to 中身のないパイについてのノート

  1. snowpomander says:

    いまここ:2016年3月28日。日本の「働き蟻」、ある時期「モンキービジネス」と揶揄されていた日本を差し障り無く言えばチョー勤勉でした。日本のビジネスは戦後、それ以前は幕末から西欧パラダイスの幻想と妄想の中にあった。皮肉なことに西欧がちょー勤勉家族社会を真似たらその突出してシリアスな部分だけが刃となって日本に舶来ビジネスモデルとして戻って来た。舶来、白人崇拝に近い鵜呑みのおっちょこちょいが旗を振ると、運動会の玉入れ競争のごとく資本や人材を西欧文明様の籠に投げ入れた。嬉々としてバナナと言われてさえ誇らしげに「世界のセレブと同じだよねー」とブランド商品に群がる元祖爆買い時代でした。
     80年のロンドンでしたがバーバリーの雨傘をお土産用に10本ほど購入した日本婦人がいました。ツアーでロンドンからジュネーブとパリに行き帰国。最初の滞在地で購入した大量の傘と移動する快挙に驚いたものです。

    「日本によって変更されたルール」の根底にあった日本の西欧への切ない羨望は忘れられたのでしょうか。戦後の昭和の経済の爆進の後ろに、農地解放で田園の管理が荒んだ田舎や町工場の鉄鋼屋さんの立派な新築家屋、学歴はあっても長屋住まいの公務員、上野駅には地方からの集団就職の中卒の若者を迎える中小企業主、その延長線上には既に今のブラック企業国家の布石が敷かれていました。

    今日、Amazon.ukにオーダーする”DOWNTON ABBEY”のラストシーズンがなかなか面白そう。日本の旧庄屋と村の地主は農地解放で壊滅しましたが英国の貴族地主は経営難が原因のようです。
     私の父方の曾祖父と祖父は民間療法と発明の達人で村人の病気を治したり、道の整備や生産物の指導もしていました。曾祖父の敷いた駅までの一本道は敗戦後に雑草の中に埋もれ、今は建て売り住宅が建っているそうです。農地解放で田畑を廉価で購入できた旧小作人の方達の立派な瓦屋根の家の傍らに朽ち果てた蔵と旧家を囲む竹林があったのを憶えています。この地方都市は東京のベッドタウンと呼ばれています。

    西欧社会と同化しようとする日本の健気な努力が思いもがけない現象に化けてゴジラになってしまいました。今も西欧社会に片思いのままの「あほのみくす」が開かぬ天岩戸の前で踊っています。

     「何か思い残すことも無き惜しくも無い空へと渡り鳥」 詠み人いまここ

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