夜に歌えば

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Emiliana TorriniやTina Dicoのようなひとびとの歌を聴いていると、「音楽をつくる」ということから一種のものものしさが消えて、「ふつうのこと」になっているのが実感されて、やはりそれは良いことだろうと思う。

Rihannaのチームはマーケティングにすぐれていて、Rihanna自身が尋常でない「商品としての輝き」を持っている。
商業主義にすぎないとdismissってしまうひともいるが、才能のある人間が自己を商品として投企したときにみせる一瞬の輝きは、あのとき「肉体よりも短命な魂」という言葉でいいたかったのは、人間としての純粋さというよりも人間であることをあきらめてしまえる人間の純粋さのことだった。
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/10/01/「純粋さ」について/

もともと「クリエイティブな人間」が好きではない。
この世界に自分が生み出した新しい価値をつけくわえる、などというのはその人の一生にとっても世界のがわからも余計なことであるようにおもえる。
退屈な人間、無難と判断された、他人と同じことしか言わない人間、他人をくさしたり嫉妬したり、嫌悪することしかできない人間は論外だが、創造的な人間というようなものにも、なるべく顔をあわせないで生きていかれればそれに越したことはない、といつも考えていた。

エマヌエル・スウェーデンボルグによれば、この世界は神の世界のコピペで出来ていて、しかも神の地獄と天国の止揚を理解できなかった人間たちは、パチモンの天国のようなやすっぽい平穏をつくってしまったので、もともとは地獄で永遠に議論を繰り返したかった種類の人間たちを怒らせてしまった。

たとえば西洋語圏の人間の本音はふたつで、ひとつは「ぼくは自分でない人間は嫌いなんだよ」で、もうひとつは「ぼくは自分に入会資格があるようなクラブの会員にはなりたくないのさ」だと思うが、その両方のケーキを手にもってかぶりつくわけにはいかないので、苦し紛れに「クリエイティブがよい」と言い出す。

コピペになりきるだけの能力がないので創造者になりたいというのは、おわらいだが、人間はそういう理不尽で頭のわるい夢を見られる程度には健全な白痴なのである。

砂漠のなかの一本道の脇にクルマを駐めて、すぐそばに見える砂丘をこえてみると、向こう側には赤い岩と赤い砂と赤い夕陽のほかにはなにもない。
まるでオブンのなかに立っているような夏の乾いた空気でかさかさになった皮膚が、あっというまに赤くなってゆく。
荒涼と豊穣はとても似ている。
月の荒涼たるひからびた岩の広がりに「豊穣の海」と名付けたひとは、そのことの皮肉に気づいていたに違いない。

トルクメニスタンを出て、イランへ向かい、インドに向かった人類の祖先は圧倒的な豊穣に似た虚無の荒野を歩きながら絵を描かずに音楽をつくった。
絵は過去の認識への現在の自分の形式の表明だが、音楽は認識がかなわないことからの自己の魂の解放でありうる。
その点ではもともと音楽はとても詩に似ている。
人間がチャンツに意味を持たせて、「歌う」ことにすぐになじんだことには必然性以上のものがある。

だからクリエイティビティなどは、どうでもよいことで、人間は魂が自分で剥がれておちてしまわないために歌うのである。
現代の人間にとっては、どちらかといえば歌ったり踊ったりすることは呼吸したり歩いたりすることに似ている。
日本の政府が夜12時以降に踊ることを禁じたのは、日本人たるもの日本という生産性の部品であって人間ではないのだから夜12時すぎというような労働に向かない時間には出来れば呼吸もとめて棺桶の置き場にもどって労働が再開される次の日の朝までおとなしく寝てろ、という日本人らしい親切心なのだろう。
あるいは頼まれもしない自分たち役人の役をやりたがる国民の頭の悪さにうんざりした若い役人が忙しいだけで退屈な仕事に飽きて試みた国民への謎かけに似た皮肉か。

ガールフレンドと別れて、青空が粉々になって落ちてきてしまったような、茫然とした気持でひと夏をすごしたコスタブラバのホテルで、テラスに出て、ベタ凪ぎに凪いだ海をみていたら、どの通りにも南米の国の名前がついているホテル裏の別荘地から、どういうことなのか、絹のようになめらかであるのに張り詰めて強い、素晴らしい声で、トスカの「Vissi d’arte」が聞こえてきたことがあった。
誰かがステレオを聴いているわけではなくて、肉声で歌っているのです。

Vissi d’arte, vissi d’amore
non feci mai male as anima viva!

で、歌詞が歌詞なので、マンガじみて、チョーかっこわるかったが、両手で顔をおおって泣いてしまった。

その夜、暗いテラスの椅子に座って、一年ぶりに天使の絵を描いたのをおぼえている。書き上げたエメラルドを散りばめたティアラをつけて麻のドレスを着た天使の絵を眺めながら、「なんだ、また絵が描けるようになったのか」と、まるで他人の描いた絵をみるような気持で考えた。

神様にこの世界を表現するために単語をひとつ選べと言われたら「tacky」という言葉を選ぶと思う。
相手にする価値のない安っぽい世界に、きみもぼくも、生まれついてしまった。
値札のつかない真実などひとつもなくて、きみとぼくのかけがえのない友情は、いまの順調な相場ならば3000万円くらいの価値なのではなかろうか。
それでも、友情の平均価格が3万ドルだと見積もられるアメリカ人よりはマシだろう。

ここにギターがある。
一緒に、歌でも歌おう。
Fauxliageの「Without You」なんてどうだい?

こんなふうな歌詞なんだ。

If you’re staying, I should leave 
   
Get my things and I’ll be gone tomorrow
If you’re leaving, I will stay 
   
Thank you for the heart you let me borrow

この世にやってみる価値があることなんてあるのか?

(画像はレオン王国の青空の高い所を飛行機雲をつくりながら音速で横切る鉄腕アトム)
(もちろん、うそです)

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