向こう岸からこちらを見つめる目について

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たとえば大型犬より少しおおきい程度の馬格のちいさな馬に乗って、トコトコ走りながら蒙古騎兵たちは、その「敵から駈け去りながら後ろを振り返って弓射する」という当時としては驚天動地の戦争技術の革新によって朝鮮半島からポーランドまでを席巻した。
チビ馬に乗ってトコトコトコと走り回る姿はかわゆいが、実際に戦争をしてみると、かわゆいどころではなくて、だいたい15万頭程度の馬をつれていたというから一軍団が3万人程度ではないだろうか、トコトコ騎兵たちは追いすがる欧州騎士達を体をかわして逃げ去りながら容赦なく射殺し、相手が怯むと自分たちも止まって矢を射かけ、退却をはじめると同じ間合いを保ったまま追いかけてきて、最後には人間の顔に切りつけるための訓練で有名な馬上の剣術の腕を発揮して、皆殺しにした。
捕虜になることを乞うて集団投降してきた敵兵たちは、いちいちクビをはねるのがめんどくさいので、宴会用の床をもちだしてきて、その下に簀巻きにして並べ、みんなで酒を飲んで酔っぱらって踊りながら踏み殺した。

鐙(あぶみ)が無かったから、というひともいるが、それよりなにより「騎乗する者は選ばれた高貴な身分の者である」というアホな社会通念が祟って、ロシア人などは手もなく女はなぐさみものにされるために連れ去られ、男は全部ぶち殺されて、ロシア人の有名な祖国戦争でだけみせるバーサークな勇猛さを発揮してみたりしたが、それでも全然ダメで、戦争をやるたびに、まとめてぶち殺されてばかりいた。

鄭和の艦隊は東アフリカだけではなくて西アフリカにも達していたという。
それがなぜ東アフリカどまりの記録になっているかというと、「地理的にどこまで到達したか」に敏感な、明を制圧した異民族王朝である清が、アフリカ西岸まで漢民族が達したことを認めるのは不愉快なので、地図を眺めると、そのくらいで十分カッコイイ偉業である東アフリカで引き返してきたことにした。
この説をなす人は鄭和が宦官でなければ遠征艦隊の存在そのものを清王朝は歴史から抹殺しただろうと説明する。
歴史を書き換えるのが暗黙の勝者の権利のひとつだった中国の歴史を考えれば、西洋人が考えるよりも自然な説である。

つむじまがりのドイツ人潜水艦長がなした説はほんとうとは思えないが、いまでもニュージーランドの西海岸から、存在したはずはないカピバラの骨がでてくるのはほんとうで、カピバラはアマゾン川流域にしか生息圏をもったことがなかったので、カピバラを食糧として船に積み込んだ誰かが南アメリカの東南岸から出航して飲料水が豊富なニュージーランドに寄港して、アラビアとインドを周航し東アジアに戻っていくということを(多分)定期的に繰り返していたのは明かである。

外洋に出るボート乗りなら皆しっているが、タスマン海はともかく、オーストラリアの西側の海は有名な荒い海で、しかも航路から陸地が世界で最も遠い。
マレーシア航空機が行方不明になったときに、機長が自殺をはかったのではないか、という説をまっさきになすのが英連邦海軍の人間に多かったのは、飛行機が墜落したあたりの海が、どんな海かよく知っているからである。

しかし、ここに不思議なことがあって、5000メートルというような水深の場所が多いこの辺りでも遭難船の骸がみつかることはあって、音響のぼんやりした像とは言っても、船籍が不明なものは形がどうも明船なのである。

中国人たちと話していると、ふつうの教育のある中国人たちにとっては「宋」が理想の時代であることに気づくが、この時代は、どういう具合によるのか、中国人の創造性・生産性が圧倒的に高まった時代で、科学上の発明も多いが、コンパスも宋人が発明したものである。
一方では造船技術と天文学も飛躍的に向上した時代なので、中国人たちのうち向こう見ずな人間が遠洋航海に出なかったと考えるのは難しい。
なにしろ、天測と羅針盤による航海技術はGPSというブレークスルーが出来るまでは、千年一日の遠洋航海原理だったのである。

中国人はむかしから人種差別主義者ぞろいなので、あちこちの大陸や半島、島嶼に寄っては、「なんだかヘンなやつしかいねえなー」と思いながら、太平洋をうろうろしていたのだと思われる。

「海禁」の思想は中国人が海の向こうにある多様さと豊穣におそれをなした結果にしかすぎない。
とてもではないが自分のコントロール能力を超える、と考えたのでしょう。
中国人は、中国文明の悪口を言う人は「歴史を通じてコントロールフリークだ」というのが通例になっている。

TCP/IPは世界そのものの意味を変えてしまった。
たった50万人しかいない民族にながいあいだ全ユーラシア大陸に及ぶ苛政を許した「後ろ向き騎射」技術や明人からヨーロッパ人にうけつがれた大航海時代を現実のものにしたコンパスなどは、TCP/IPに較べれば些細な技術であるにすぎない。

まだインターネットの時代ははじまったばかりなので、うまく見えてこないところが多いが、たとえばそれがデータにしろ人間そのものしろ「おおきな数の動的集団が次の瞬間にどこにあるか」を直截数学によって予測できるようになったのは、あるいは、そういう「範囲の評価」が重要になったのはインターネットがもたらしつつある認識哲学そのものの変化の初めの徴候である。

世界で使われる言語が、ぶっくらこいちまうスピードで英語になりつつあり、しかも、(こちらの変化のほうが重要だが)英語に集約されつつあることもインターネットが現実そのものを変質させつつあることと密接な関係がある。

いま一般に考えられているインターネットのイメージは「便利な情報交換技術の道具」だろうが、現実にはインターネットは現実社会よりも上位の実効性を持つ「世界」であって、パラダイムシフトという言葉があるが、シフトどころかパラダイムの創造にぼくは立ち会っている。

人間は遠からず、いま「仮想社会」と呼ばれるものの側の都合に立って現実社会のほうを変更することを迫られるようになるだろう。
あまり手を広げて説明するとわかりにくくなるだけなので個人の立場に即して述べると、これから20年後に生まれてくる子供に集積回路のチップの埋め込みが義務づけられていないとは考えるのが難しい。
クルマは運転という文化と移動の便宜の混淆から、インターネット世界の生産性と個人の脳髄を繋げる移動体装置になってゆくと思われる。

すべての個々人が、ちょうどいまデスクの前に座ってスクリーンをのぞきこんでいるように、仮想社会の側から現実をのぞきこむ思考スタイルに馴染んでゆくだろう。

著作権のような概念は、もともと単に便宜的で古いビジネスモデルにすぎないという事情もあって、まっさきになくなる概念に違いない。
インターネットが世界を変質させてゆくにつれて、個人にとっての最もおおきな変化は、すべての静的な認識の仕方(たとえば平たい例で言えば、あの店にいけばカウンタの向こうにはあのひとがいてコーヒーをつくってくれるだろう、というようなことを含む)が、動的な認識(ふたたび平たい例:不動産価値が収益性の算出によって株価と同じスピードで変わる)に取って代わられるに違いない。

プライバシーのようなものが50年後にも概念として生き残っているとは考えにくい。
50年も待たなくても、いま日本語インターネットでよく述べられている「匿名か本名か」というような議論は議論自体が無意味になるのは、相当のんびりした頭のひとでも想像がつくと思う。
あるいはプライバシーという概念そのものの消滅ということを、ぼくは疑ったことはない。
プライバシーの意義を認めないUNIXの伝統ということを離れても、インターネットがこれからの世界ではたすべき生産性変革の役割を考えると、(インターネットの側からみて)プライバシーのような陳腐な概念には生き延びる余地は無い。

もうひとつ日本の人が関心があるかもしれない「日本語の運命」というようなことに関しては、1920年代から1990年代くらいまでには可能性を感じさせた(地方的な)普遍語としての機能を日本語が保つことにはもう望みがなくなっていることはアカデミックのみならず、ビジネスのひとびとも知っている。
炬燵に足をいれての、親密な地方語として生き残れるかどうか半々ではないだろうか、と考えるが、インドの諸州を別々に観察することが有益なこの話題は、また違う記事で考えたい。

日本語を意識的に読めるひとにとっては、明瞭だが、ぼくが自分がブログ記事を書くために選択した日本語は1960年代に生まれた世代の日本語と明治時代の混淆である。
まともな日本語を書くことを意識して書く日本語は、平安の日記文学のリズムをコピペして採用していることは、日本の古典を読んだことがあるひとなら、いっぺんで判るものであるらしい。

なぜそんなことをするかというと、現代日本語には「言えないこと」が多すぎるからで、そういう面から言うと日本語はすでに言語として死語化していると言えなくもない。

人間の世界全体が、この先50年間で生産性を少なくとも3倍にして、しかもいまの資源の使い方ならば地球が5個必要なことはいまの世界のほとんど誰でもが知っていることであると思う。
とりあえず(という言い方はひどいが)中国人たち全体が、まともな暮らしを送るためには、もう一個の地球、あるいは、仮にもう一個テーブルの上のシルクハットから地球をつくりだすことが出来ないとすれば、食糧、水、エネルギーについて、いままでの技術の延長上にはないブレークスルーが必要である。

インターネット側の価値に立てたものが次の時代を生き残る、と思うが、
それがどんな人間の集団(あるいは、もっと現実に即して述べると「集合」)になるのか、いまから楽しみな気がします。

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