Living in Obscurity

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最近ニュージーランドにばかりいて、大好きなマンハッタンのアパートは放っぽらかしだし、バルセロナのアパートに至っては他人に貸している。
第一の理由はモニさんが小さい人が小さいあいだはニュージーランドが住むのに最も良い国である、あるいは南半球の土地勘をつくっておくことが家族の将来のためにとって重要だという考えをもっているからです。
モニさんは大陸欧州で生まれて、わしはもうちょっと田舎の島国の欧州で生まれた。
モニさんは思春期から結婚するまでの大半をマンハッタンのアッパーイーストサイドで過ごした。
パークアベニューといって、マンハッタンに住んでいる人は知っているとおもうが、わしのアパートがあるチェルシーのようなごみごみした所とは違って、なんだかやんごとない店やなんかがいっぱいある通りに、玄関を入ると目の前に螺旋形をなしたチョーカッコイイ階段がある豪勢なアパートをモニさんはもっている。

いまはニュージーランドのオークランドという町に住んでいる。
人口は140万人くらいで、英語圏の町で140万人くらいというとアジアの町の300万人くらいの町と同じ規模で、だから、名古屋みたいなもんだとおもえばちょうどいいのかもしれません。

最近は600平方メートルどころか、そのまた半分の300平方メートルしかない敷地に家を建ててしまう人もいるが、わしが住んでいるリミュエラという地区は、もともとは一区画が1000-1200平方メートルの家が建ち並んでいる広大な住宅地で、わしの家がある辺りは、二区画や三区画にまたがった家が多い。
特に贅沢なことではなくてテニスコートやプールがある家は、やる気がある人はグーグルサテライトでみてみれば一目瞭然だが、たくさんある。
両方ある家もいくつかあります。
いちばん近いマリーナまでクルマで5分、CBD(と言って、意味がわからない、とこのあいだ言われたので意味を書くと「都心」という意味です)まで10分、CBDのクイーンストリートに次いでおおきな繁華街であるニューマーケットまで5分、というような立地で、そう書くと得心がいく人もいると思うが、ニュージーランドの町は、ついこのあいだまでのオーストラリアの大都市と同じで、一戸建ての、木に囲まれた、広い芝生の広がる、朝はブッシュに集まる鳥が最大の騒音源である家から、クルマに乗ってほんのちょっと行くと繁華街に着くのが特徴であると思う。
繁華街と静まりかえった住宅地が常に隣り合っている。

生活のスタイルもそれにあわせて、一日に2,3回はクルマででかける。
この家からだと、オラケイビーチ、ミッションベイ、コヒマラマ、セントヘリオスというような浜辺が何れもクルマで数分の所にあって、たとえばセントヘリオスならば、モニとふたりでベトナム人夫婦がやっている滅茶苦茶おいしいサンドイッチをつくるベーカリーに行って、サンドイッチとラテを買って、海が見渡せる、浜辺に並んでいるベンチのひとつに腰掛けて食べる。
ミッションベイは海辺の繁華街で、むかしからある映画館があるような下町なので、イタリア料理やメキシコ料理、インド料理、タイ料理、軒をならべていて、普段は人が多いからいかないが、たとえば道路封鎖で遠くからの人が来られなくなる自転車レースがある日の午後などには、歩いてでかけて、イギリス式の噴水がある広い芝の公園のピクニックテーブルに腰掛けて、やっぱり近くのレストランでつくってもらったお弁当を食べる。

リミュエラのまんなかを走っているリミュエラロードの反対側には、こちらは、新興のショッピング街ができていて、というか出来つつあって、ニュージーランドでは新顔のCarl’s Jr.のような店は、こっちがわにあります。
スーパーマーケットも、旧市街より大規模で、駐車場も広いので、家事を手伝ってくれているひとびとなどは、こっちがわに来て買い物をするのを好むようだ。

オークランドは住みやすい町で、公共交通手段のインフラストラクチャが貧弱なのが欠点だが、高速道路と、今月になってやっとディーゼルから電車に変わった鉄道、リミュエラなら五分に一台くらいの間隔でやってくるバスで、なんとか140万人の人口の毎日の移動をまかなっている。
良いのはエスニックフードがおいしいことで、わしは中華料理が嫌いだったのが、オークランドに住んでから好きになった。
チャイニーズといえばあぶらじみてMSGがはいった下卑た味の食べ物だと思っていたのが、エプソンの富裕な中国人たちが住む地区の中国料理屋に行くと、軽い、東京でいえば赤坂離宮銀座のような味付けの料理がふつうに並んでいる。
メルボルンのヤラ川ぞいにも一軒あるが、ほんとうはもともと中華料理の味というのは、そういう品の良いもののよーです。
インド料理もレバノン料理も、イスラエル料理、エチオピア料理もおいしい店がある。
どの店もたとえばエチオピア料理をつくっているのはエチオピア人で、地元の移民相手の商売なので味を欧州人の味覚にあわせるということもなくて、おいしいと思う。

知らない人、たとえば料理屋のウエイトレスやウエイターと駄弁って遊ぶのは好きだが、知ってる人間とはあんまり会って話したくない、という奇妙な習慣がわしにはある。
アメリカ式の社会では名前が売れれば売れるほどオカネモーケの機会が増えて、たとえばウォーレン・バフェットじーちゃんのような人でも、いまのような集金力を発揮するようになったのはワシントンポストのKatharine Grahamに出会って、社交界とメディアに名前が広く知られるようになったからだった。

ソニーが企画してあっさりダメになった「携帯型音楽プレーヤー+音楽配信」のビジネスモデルをスティーブ・ジョブズのほうは実現してしまったのは、毎日パーティを開いて、ミュージシャンたちに、「レコード会社のマーケティング音楽なんかくだらないから、みんなで音楽の世界に革命を起こそう」と呼びかけたからである。
ミュージシャンたちのなかの力のあるひとびとは、早速、レコード会社を脅しにかかって、iTunesがやれないのなら所属会社を変える、と言い出した。
おそれをなしたレコード会社は、しぶしぶミュージシャンたちの言うことを聞くことにした。
iTunes+iPodを現実にしたのはスティーブ・ジョブズの「名前」の神通力だった。

マッキントッシュプラスのユーザ第一号は誕生日に箱を抱えてやってきたスティーブ・ジョブズから直截手渡しで発売日の一日前にプレゼントされたジョン・レノンの息子ショーン・レノンだが、日本で言えば京都大学人の駸々堂みたい(←冗談)というか、アメリカには有名人コミュニティがあって、有名人同士の親密な付き合いがある。
そういう有名人コミュニティを背景にした有名人パワーで出来たのがiTunesで、スティーブ・ジョブズが自分でも認めていたとおり、iTunes+iPodは、もともとは日本人のアイデアです。
もっとも、当時から「音楽文化キラー」JASRACのお代官さまぶりは海外でまで有名だったのと、ソニー自体がソニーエンタテインメントという利益が相反する会社を抱えていたのとで、まじめに「携帯型音楽プレーヤー+音楽配信」ビジネスモデルを日本人が実現しうると考えたひとはいなかったようだが。

世界はどんどんアメリカ風になって、オープンの吹きさらしになってゆくが、モニが「ガメは旧世代人だな」と笑うとおり、わし自身は「表にでる」ということが嫌いで、折角機会をつくってくれるひとがあっても断ってきた。
そういう態度を快く思わない人はおおくて、某有名経済雑誌の記者などは、驚くべきことに、「インタビューを断るなんて生意気な。若くて成功したからといっていい気になると、この先よいことはないぞ」と述べた。
あとで「お詫び」を述べていたが、それはおそらく他人に言われたからで、初めの態度のわるいセリフのほうが「本音」でしょう。

日本語で(ほとんど誰も読まない)このブログ記事を書く理由の最大のものは、「誰にも読めない」からであると思う。
自分のまわりで見渡して、このブログを読める人は知っている人のなかでは義理叔父と従兄弟だけで、かーちゃんシスターもやってみれば読めるとおもうが、なにしろ最後に読んだ日本語の本が日本通のフランス人友達にすすめられた「佐賀のがばいばあちゃん」で、5年くらい前だそうなので、変人の甥っ子がもの好きで書いているブログを読んでみようと思うとは考えられない。
日本語では何を書いても誰の目にも触れないし誰にも聞こえない、というのが最大の理由なのであると思う。

ロンドンは伏魔殿というか、迷宮というべきか、やはり欧州の町で、何十年住んでいても自分の場所から水平方向に見えている生活以外はみえない。
ツイッタで会った連合王国に住むバジルさんと医師の女の人が「イギリス人はみな親切で嫌な人なんていませんよ」というのは、多分、わしが当のイギリス人だからではなくて、ふつーの実感だろう。
あんまりばらすと怒られるが、バジルさんはオックスフォードという頭がいかれた学生(と元学生)がたくさん収容されている大学がある町に住んでいて、旦那さんは、そのオックスフォード大学の先生である。
京都人はコンジョワルで有名で、しかしガイジンと大学人にだけは親切である、と日本のひとは言うが、オックスフォードも同じことで、そういう状況で失礼な人間に邂逅するのはほぼ不可能であると思われる。

医師のお友達のほうも、サッカーの試合があった晩にテーブルをぶん投げてあばれる倶利伽羅紋紋のおっちゃんたちのあいだで宙をとびかうマグや椅子をひょいひょいと避けながら、友達と談笑する、というような機会は少ないだろうから、やはり、見たままを述べているだけなのだと思います。

一方には、同じ国の社会には、わしが好きな「名前のついていないバー」が地下にある建物がある。
名前がついていないので、呼びようもなくて、客は友達同士待ち合わせるときにも建物の名前を述べあっておちあう。
JFのようなオールドマネーの魔王のようなひとは、クラブよりもそういう場所にすくっていて、あんまり書いてはいけないが、たとえば金の価格のようなものがほんとうに自由相場で価格が決まっていると思うのは、よほど幸せな人だと思う。

わしは同業者に対してもなんだかいつも行方不明のヘンなひとのままでいいと思っている。
自分が生まれた国がアメリカと異なって、まだまだそれですんでしまう社会をもっていることにも満足している。
その不可視の影のなかにも、あたりまえだが、善意の人間がいて、魅力的な人間がいて、友達ができ、影のなかで活動して、影のなかで消えてゆくが、それで困ることはなにもない、と思っています。

ときどき、きみに会ってみたいと思うことはあるけど

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3 Responses to Living in Obscurity

  1. 大石幹夫 says:

    今日は!ツイッター(@mikionz)からこちらのブログサイトにお邪魔します。オークランドはずいぶん昔、クライストチャーチに移動する前に10か月ほど住みましたが、開放的でいいところですね。そこの超高級地区リミュエラに住んでらっしゃるとは素晴らしいです。私も、長男の大学入学の関係で来年からオークランドとの関わりが復活しそうということもあって、オークランドの現在を懐かしく読ませていただきました。

  2. Koichi says:

    拝読させていただきました。とても興味深かったです。

  3. hushmotor says:

    ツイッターでも時々お話させてもらってる橋本です。
    オークランドだから自分が暮らしている場所で、何処もそれなりに馴染みがある場所なのに、ガメさんがこうやって書くとまるで違う場所の話を聞いているように思えてしまう。まだまだ自分がオークランドを知らない事に気付かされます。
    コヒビーチはお気に入りのランチ場所で、夏には結構な頻度で昼に一人で泳いでました。かなりに怪しいおっさんだったと思う。
    隣のミッションベイでは友人が自転車レンタルしてますよ。
    いつかガメさんをガメさんだと分る事が出来ると良いな、と思います。

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