木の言葉、森の言語

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日本にいたときには、ときどき稲城にある米軍多摩キャンプのキャンプ場へ行った。
たしか「Tama Hills Recreation Center」という名前だったと思う。
門をはいって、チェックインしてから奥へはいっていくと、「日本の森」の匂いがぷううーんとして、まるでトトロの世界にはいりこんだようだった。
軽井沢の森よりもずっと深くて、濃密で、おおげさに言えばアニミズム的な感興を起こす森で、その森の空気がなにかに満たされているような感じにひたりたくてでかけた。

シャワー室からなにから「西洋式」で、とまどいがないというか、いちいち、えええとここは日本だからこれはこうするのだな、と頭のなかで習慣の変換を行わなくてもよいので楽だったということもある。
物理的にシャワーヘッドがちゃんと自分の頭より高いところにあったりするのは、心地が良くて、なんだか場所ごと歓迎してくれているような気がした。
全部英語で用が足りるので、その点でも気楽なものだった。

お互いの区画が茂みやヘッジで見えないようになっている600平方メートルくらいの空き地があちこちにあって、それが一家族用のテントを張るスペースになっている。
いまはニュージーランドも同じやりかたをする人が増えたが、アメリカ人はむかしから、飲み物用テント、キッチン用テント、めいめいのベッドルーム用のテント、ラウンジテント、といくつものテントを張って、おおげさなキャンピングをする。
まるで基地の設営だが、アメリカ人たちは実際にも軍人なので手際がよくて、ぼくが自分のテントを完成させて他人のテントを手伝いはじめるころには、あっというまに他用途のいくつものテントをつくって、ビールをテーブルに出し始めているのが常だった。

池子の森は旧帝国海軍の弾薬庫だが、稲城の森は旧陸軍の弾薬庫で、森のあちこちにあるコンクリートの弾薬庫を探検した。
道から外れた、濃い緑に埋もれるように残っているコンクリートの建物群は、ちょうどサイパンかどこかの要塞のあとのようで、古代遺跡のようにもみえた。

アメリカ人達は「日本人たちに土地を返しても、どうせラブホテルやパチンコ!になるだけさ」と言って笑っていたが、ぼくのほうは、夜中にひとりで起き上がって森のなかを散歩すると、映画や本に出てくる「むかしの日本」、それも初めてジブリのアニメで観たとき、あれほど感動した「多摩の森」が現実のものとして目の前にあることが信じられなかった。
米軍の占領によって、多摩の森の一角が、切り取られて、そこだけ時間が止まってしまっていた。

夜中に稲城キャンプを散歩した人はわかると思うが、ほんとうに「猫バス」の停留所があって、精霊たちのバスが走ってきそうな感じがする。
宮崎駿のアニメ世界全体は宮崎の「miss」の感覚でできているが、その英語の「miss」が適当で日本語ではうまくあてはまる言葉が見あたらない感情が、具体的には何を対象としているのか、深夜の稲城の森のなかにじっと立っているとわかってくるような気がする。

ラフカディオ・ハーンの書いたもののなかに鳥取の伐られるところを助けられた柳の木の精霊がお礼を述べにくる民話にもとづいた物語があるが、日本人はよく知られているように「生きとし生けるものすべて」に精霊をみてきた。
いまでは虫から人間まで生命の尊さはみな同じだからだと伝統を説明する日本の人が多いが、多分、それは仏教を援用した後付けの理屈で、もともとは深い森をもつ山々が平地に迫っている地形で毎日を過ごした日本人が自然に対してもっていた「畏れ」の感情だろう。
特に夜には山は黒々として、一種宗教的な威圧を人間に対して加える。

子供の時に富士急ハイランドの近くのホテルだったと思うが、かーちゃんに連れられて一泊の旅をしたことがある。
箱根・富士の方角にでかけるときは、たいてい西武系のホテルだったが、そのときはどういう事情か忘れたが箱根側でないホテルにとまった。
まわりを見渡して「夜だと富士山みえないね」と述べていると、目の前に妹がなんだか怯えたように目をまんまるに見開いて「おにーちゃん、うしろ…」という、言われてふりかえったら、転びそうになった。
真っ黒な、人間味を帯びたような巨大な富士山がそこには立っていて、泣き出したくなるほどの怖さだった。

あるいは、ずっとあとで、高校生のときに立ち寄った日本で、従兄弟と中禅寺湖のまんなかへカヤックで出ていったことがある。
他にはまったくボートがなく、人影さえもなくて、のんびり湖面をみながらカヤックを並べて駄弁っていたが、ある瞬間から急に奇妙に落ち着かない気持になって、遠くに見えている山や、低く垂れ込める層雲や、湖畔の木々まで奇妙なくらい霊的な感じがしはじめて、ふたりで同時にあわててパドルを動かして逃げ帰ってきたこともあった。

霊的、と書くと笑う人がいるだろう。
ぼくも「霊的存在」というようなものは信じないが、単純にそのときの従兄弟とぼくの心を同時に鷲摑みにした感情を描写するためには「霊的な感じ」と書くほかはない。

そういう体験から考えて、日本人の世界観はもともと地も草も精霊にぐっしょり濡れた世界観であったと考える習慣がぼくにはある。

水木しげるが貸本マンガ家から雑誌マンガに移行したあと、比較的初期の頃によくでてきたキャラクタに「サラリーマン山田」というのがある。
http://diary123go.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=14520151&i=201109/08/12/d0178412_2285695.jpg
このひとは、手塚治虫に倣ったスターシステムに従って、いろいろな役柄で登場するが、たとえばこのキャラクタが兵隊になって南方の戦線に送られると、マンガのコマに不思議な光景が現出する。
前面に出て「タハッ」とか述べている山田二等兵は一筆書きのようなチョーいいかげんな絵なのに、よく見ると、後ろのジャングルは微に入り細を穿ち、まったく不必要な細密さで描きこまれている。

会話も筋立てもとんでもないいいかげんさのものが水木しげるの短編マンガには多いが、ところがそれが「名作」で、なんども読み返すことになるのは、理由をせんじつめて追究すれば後景のせいであるということに気が付く。

水木しげるの世界観は、少なくとも絵柄だけからみると、個々の人間になどたいした興味は無くて、自然、それも精霊を水分のようにたっぷり含んだ自然の一部としての人間にのみ関心を持っているようにみえる。

稲城キャンプで夜中に目をみひらいて、森の奥をのぞきこんでいたぼくがみていたものは、宮崎駿がmissの感情にとらわれ、水木しげるがそちらの側から人間世界のほうをみている「人間よりも濃密な意識をもつ自然」なのであると思う。

このブログには繰り返し繰り返し日本語という言語が絶対性とは無関係のところで成立したようにみえることの不思議さと、そのことが社会にもたらす影響についての話がでてくる。
この絶対性の欠落、というよりも相対性の支配は、神という垂直な光の塔がないところで人間同士のあいだに観念の垂直性を欠いた水平な関係のありようから生まれた、と説明するのが最も楽だが、稲城キャンプで実見した、ほんの50年前には多摩のような都市郊外に残っていたはずの「濃密な自然」を考えると、案外と、人間を取り巻いていた「自然」そのものから生まれたものであるかも知れないと考えることがある。

西洋にもアイルランドという自然との関わりという点で日本とそっくりの世界観をもった民族文化がある。
もうだいぶん長くなったのでここでは書かないが、アイルランド人と日本人の文化はびっくりするほど質的に異なるものと、理解不能なくらいそっくりなものとの奇妙な混淆です。
似ているほうは万遍なく地をみたす精霊的世界で、異なるのはアイルランド人たちは有名な人面のガーゴイルで精霊に対抗して、いわば「結界」をつくって、それ自体をもって人間の文明世界の境界としたようなところが異なる。

とてもくだらないことを述べると「怒り方」という、その社会と神との関係を端的にあらわすものが、アイルランド人と日本人とではとても似ているのでもある。

あるいは神様が踏み荒らしていった土地の下には、一神教とは異なるタイプの普遍性をもった八百万(やおよろず)の精霊に満ちた世界があり、トトロを観て感動するぼくの心は、いつか聞いた精霊たちのどよめきを思い出しているのかも知れません。

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