流砂としての「知」_1

「頭のいい人が捏(こ)ね上げた意見ではない。
眼力の優れた人が看破した実相の描写である」と小林秀雄が「感想Ⅱ」という文章で述べている。
誰を眺めて感嘆しているのかというと福沢諭吉です。
福沢的知性と小林秀雄的知性は本来相容れないが、小林は伊達に「評論家」と称していたわけではなくて、ものを見るとそれが本物か贋物かすぐに判って、まだ前頭葉が十分に働かないうちから言葉の方はとっくに確信している所があった。
福沢が日本の近代化に果たした役回りは気に入らなくても、福沢諭吉そのひとが「明治時代」という時代の時代精神そのものであることは誰よりもよく判っていたでしょう。

小林秀雄が繰り返しのべたことは簡単に言えば本を読みあさって頭の良い人間が辻褄があうようにつくりあげた「作文」になど何の意味もない、ということだった。
有名な志賀直哉への激賞は、つまりは、上の発言の「眼力」がすべてで「頭のいい人が捏ね上げた意見」がいかに無価値かということの表明だった。
小林秀雄は志賀直哉の「見ていないようでいて何もかも見ている目」の恐ろしさについて書いているが、そういう場所にたどりつくことになったのは、大岡昇平が何度も書いているように小林秀雄は中原中也という、良いはずのない詩がダイアモンドのように輝き、見当外れの塊のような人生論が誰よりも人生の実相に届いているという、知力の人であった小林からすれば、理不尽で、やりきれないような、憤懣やるかたないような「友達」と血肉を削り合うようなすさまじい交渉を持ったからでした。

小林秀雄に直截反応したのが、ばななとーちゃんの吉本隆明で、この下町生まれの「吉本さんのところの頭のいい倅」は入学した東京工業大学で後年文芸評論家になる奥野健男と「遠山啓の下で学ぶ者同士」として知り合い、日々長い時間を一緒に過ごし、やがてふたりとも文学の方法におおきく魅せられて一緒に同人誌を出すまでになってゆく。

詩のレベルが他言語に較べても突出して高かった日本の戦後の40年代から70年代にかけてあらわれたたいていの才能のある文学人の例に漏れず、吉本隆明もまた本質的に詩人だった。

「あっちからこっちへ非難を運搬して
 きみが口説を販っているあいだ
 わたしは何遍も手斧をふりあげて世界を殺そうとしていた
 あっちとこっちを闘わせて
 きみが客銭を集めているとき
 わたしはどうしてもひとりの人間さえ倒しかねていた」(「恋唄」)

というような「自分だけが実効的な戦士である」という感情は吉本隆明の詩によく出てくるが、それをナルシシズムと受け取って嘲るのは酷で、ばななとーちゃんにしてみれば、机の上に本を積み上げて屁理屈を捏ねていやがるおれの信者なぞ皆ぶち殺してやる、と思っていただけであるのは、当時の、「情況」シリーズのような本や、読書新聞などを読むとよく判る。

吉本隆明はまた中島みゆきをたいへん尊敬していて、日本の詩人で最もすぐれているのは誰か、と問われると「中島みゆき」と答えていた。
特に「化粧」に感動したようで、自分でもよく歌っていたようでした。
また、ばななとーちゃんは21世紀になっても新宿ゴールデン街のバー「H」によく顔を出していた。噂を聞きつけて団塊世代の「ゴールデン街的ルール」を知らない元全共闘世代のおっちゃんたちが馳せ参じるようになると足を運ばなくなってしまったようだが、相手がまともだと見れば質問にも論争にも応じていたようです。
このバーはあとで小沢ガールズと呼ばれるようになる一団の衆院議員になったひとびとのひとりが主人だが、バーが開いた当初によく姿を現したのは、新しく生活を起こさなくてはならなくなった主人を少しでも応援しようという吉本隆明らしい心使いだった、という人もいる。

小林秀雄は面白い対談をたくさん残しているが、剣豪小説とオーディオマニアぶりで有名だったらしい五味康祐との対談で五味が高級オーディオの音質の素晴らしさについて機器の名前を挙げて述べはじめると、たちまちのうちに機嫌が悪くなって、「そんなものはくだらない」と吐き捨てるように言う。
「いえ、先生、そう仰らずに是非いちど試してみられては」と五味が機嫌をとるつもりで言い募った途端に怒りが爆発して、きみのようなバカと話したくない、と述べたきり対談にならなくなってしまう。

小林秀雄という人は「知識が動員される前に目が勝手に価値を見抜いてしまう」ていの「本質的価値」以外について勧奨されたりすることを毛嫌いしていた。
もったいをつける人間、どの本にはこう書いてあって、世人は気が付かないが、この本にはこういうことが書いてあるので、私見によれば云々というような人間があらわれると、作家や編集者が集まっている銀座のバーだろうが新潮がセットした対談の場だろうが、無言のまま、すっくと立ち上がって、さっさと鎌倉へ帰ってしまうので有名だった。

奇妙なことを言うと、と言ってもその奇妙なことこそが、ここに書き留めておこうと思ったことの内容そのものだが、こういう小林秀雄の姿を見ていると、それにそっくり重なるのは、吉本隆明なのである。
通常、吉本隆明と小林秀雄の関係は文学系譜上の批判的な継承という観点で書かれているのだと思うが、このふたりにはそれ以上に本質的な共通点があって、小林秀雄は中原中也によって、吉本隆明は田村隆一と(より自分に資質が近い)鮎川信夫とによって、いやというほど味わわされた自分の詩人としての資質の低さを何とか知力でカバーするという、切実な、というよりは危機感に満ちた「場」の獲得への渇望があった。

古典としてすら読まれなくなった小林秀雄もそうだが、なんだか政治好きの衒学おじちゃんみたいな人の愛玩物と化した観のある「共同幻想論」作者として吉本隆明が語られるのは、これ以上ないほどの皮肉である。

下町に生まれた吉本隆明は「先生」と呼ばれても照れもしないことを都会っこの奥野健男にからかわれたりしているが、平たく言えば「庶民の味方」という言葉にすれば噴きだしそうな素朴な形の正義に駆られて生きた人であって、通りに立って石を投げもせず、警官のひとりをなぐりたおしもせず、賢げにふるまうだけの人間が自分の名前をあげて褒めたりすると躊躇せずになぐりかかるような人だった。
隆明に好意を抱いているのになぐられたほうの「吉本シンパ知識人」は、なぜ自分がそんな目にあわなければならないのか、さっぱり判らなかったに違いない(^^ 

小林秀雄と吉本隆明に共通しているのは、「頭のいい、意見を捏ね上げるひとびと」の醜悪さへの嫌悪と怒りで、その嫌悪と怒りがどこから来たのかといえば、両人ともに、それこそが日本の一種言うに言われない「邪悪さ」の源であって、常に日本を無力感の泥沼にひきずりこみ、変化を受け付けなくさせた元凶であることを熟知して、それに苛立ってもいたからだろう。

小林秀雄とばななとーちゃんはともに、「物事の真実性はどこにあるのか」という人間の一生の最も根源的な問題が念頭から離れなかったにすぎない。

いま見たら該当のツイート無いので削除してしまったのかもしれないが年長の友人で、一年考えてもよう答えられんような質問を一週間で10個くらい投げて寄越す因業な「哲人さん」(@chikurin_8th )という人がいるが、「『事実というのは手のつけようのないモノだ』というナマな感覚を、『すべてはお前がそう思ってるだけだ』という切り返しから救い出す。根源的な哲学の課題と思います」とツイッタで述べている。
個人から見れば不条理といいたくなるような絶望的な出征を強いられた戦争の時代を生きた小林秀雄や60年安保反対運動から実効性のない反体制人というレッテルのもとで拳をふりあげなければならなかった革命家であった吉本隆明が、安物の髪飾りに似た「思想」や「似非知識人」を激しく憎悪したのは当然であったろう。

いまは政治らしきものや思想らしきものについて茶飲み話をするのが楽しみのひとびとのヒマ人の悪い息で濁った空気の茶の間でのみ名前があがる存在になった自分達の姿を見て、ふたりはどんな感想をもつだろう、と思うことがある。
小林秀雄は、そっぽを向いて、空をみあげているだろうが、ばななとーちゃんのほうは案外と、娘であるばななさんがいまも惜しむ、やさしい笑顔を向けて、それでいいのさ、と静かに述べるのかも知れません。

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