「艦これ」の此岸(その1)

BBCやPBSの「太平洋戦争特集」を観ていると、日本側の「常識」と随分異なる認識があちこちにでてくる。
日本語の書籍に出てくる「アメリカ側の観点」は注意して読むとほとんどがSamuel Morisonの「History of United States Naval Operations in World War II」
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_United_States_Naval_Operations_in_World_War_II_(series)
に準拠している。

「History of United States Naval Operations in World War II」が企画されたのは1942年で、刊行は1947年から1962年に行われたので、1942年に企画されたことからはシリーズ全体の姿勢が、1962年に最後の第15巻が発行されたことからは扱われた現実や証言が、まだ戦争の記憶が生々しい一方で、将校間の遠慮や、まだ発見されていなかった事実、政府が公表を望まなかった事柄は記載されていないことなどが容易に想像される。

半藤一利が日本でよく攻撃にさらされるのは、「足をつかって本人に会いに行って取材する」という「調査取材」をメインにした戦争記録の作り方をしたのが、ちょっと驚くべきことだが、この文藝春秋社の編集者だった人だけだったからで、文春の人に聞くと、それでも人間と人間の関係が理由で公表できなかったことがたくさんあるようだが、たとえば帝国陸軍のみならず海軍までドイツとの軍事同盟に急速に傾いていった理由が「美人をあてがわれたから」だったというようなことは、半藤一利の対面取材がなければ永遠に活字記録の下に埋もれて日の目を見なかったに違いない。
ナチはヨーロッパでは当時からよく知られていたことで、高級売春婦から美人でお行儀がよい人間を選んで「某公爵夫人」というようなことにして、外交官や武官、軍人を籠絡するのが常套手段だった。
昭和天皇が松岡洋右を指して「ヒットラーから何か便宜をうけたのではないか」と怒りの言葉を述べたのは、言い方が婉曲なだけで、かねてから欧州の外交事情を聴いていた昭和天皇は、今日受け取られているより、ずっと具体的な危惧を述べたのであるにすぎない。

日本側では書誌ベースに終始して、簡単に言ってしまえば、戦争取材はどんどん薄っぺらなものになって、間近な歴史でいえば福島第一事故というようなものを観察していればわかるとおり、都合の悪い記録はどんどんなかったことにされ、書き換えられて、つい先週でもマンガ家が「福島に行ったら鼻血が出た」と書いたくらいのことで大臣が「不快感」を示したり、たいへんに日本ぽい「福島人に悪いとおもわないのか」の輪唱が現れたりして、歴史というものは何が記録され、何が葬られるのか、間近に観られて興味深い。

BBCやPBS、あるいは大小の英語メディアは方法がいわば日本人とはまるで反対で、個人へのインタビューを中心に事実を掘りだしてゆく。
戦争のようなものは特に有るはずのない記録が存在し、なければならないはずの記録が紛失されていて、極めて簡単明瞭に見える事実さえ、実際にインタビューを行ってみると、意外なくらい模糊としている。
はやい話が、戦場では将校ですらどこで死んだのか、あるいはほんとうに死んでいたのか判然としないことが多い。
日本側で有名な逸話のひとつである「リンドン・ジョンソンが乗っていたB26マローダーを坂井三郎が撃墜しかけた話」でも、そもそもその空域にリンドン・ジョンソンが視察に飛んだ事実そのものがないという人もいて、アメリカ側と日本側の証言を照らし合わせても、ほんとうのことがはっきりしない。

そして、そういう錯綜した事実のなかにわけいっていくためには、書誌よりも個人へのインタビューのほうが現実に近づけるのは犯罪捜査のような作業とあまり変わらないように思われる。

真珠湾攻撃についてアメリカ側の本省課長級へのインタビューを観ると、開戦陰謀説のようなものは、仮にそういう「気持」が存在しても、主因ではありえないという印象をもつ。
日本が攻めてくるわけはない、と蔓延した気分のようにして思い込んでいた理由は、
ひとつには「ただの人間を神様だとおもっているような未開な連中が、そんな近代思想を前提にしなければ計画を組織できない複雑な作戦を実行できるわけはないと思っていた」というようなものが多くて、日本側で印象するような人種差別意識が前面に立った「日本は遅れた国だ」という意識よりも「天皇=現人神」国家体制であることを理由として述べる人が多くて、戦後の天皇処刑中止につながる、日本人=天皇絶対崇拝者のイメジがこの頃からのことだとわかるが、インタビューを観ていて気が付くのは、どうやらアメリカ海軍においては将校教育の一環として日本のシステム化された国家神道ネットワークをインフラストラクチャとした絶対天皇制を教えていたらしいことで、靖国神社に対する日本人とアメリカ人のいまに続く印象の違いは、こういうところからすでに始まっている。

もうひとつの、軍令側の艦隊側とのインターフェースにあたるくらいの若い軍官僚達にとってはより大きな説得力をもっていたらしいほうの理由は「日本の艦隊は侵攻艦隊阻止の迎撃艦隊で、そもそも技術的な仕様がハワイ攻撃にでかけられるように出来ていない」というもので、こっちは詳細なインタビューであるほど現実味を帯びている。

まず艦隊としての航続距離が日本海軍の艦隊は短い。
もう少し正確に言うと個々の艦船はおおきな艦艇は8000海里内外だが駆逐艦程度では5000海里あれば良いほうだったはずで、そうであれば必須の洋上補給のための体制が貧弱であった。
艦隊として商船ルート・補給船保護を根底的な目的とするイギリス海軍のような「巡洋型」の艦隊と異なって、近海防御型というか、日本海軍はすべての艦船が、要するに太平洋を西に侵攻して日本をめざすアメリカ海軍を近海で撃滅することに特化されていた。

それは個々の艦船のデザインにも顕れていて日本軍の艦船の特徴と言えば、言わずと知れた「トップヘビィ」の通常よりも1サイズおおきな上部構造物で、海軍乙事件と並ぶ重大秘匿事件である第四艦隊事件を引き起こしたりした。

最近、GPS捜索と潜水技術が発達して、ビスマルクなどの沈没した軍艦を海底で調査、撮影したドキュメンタリ番組がいくつもつくられているが、戦艦霧島もその対象のひとつで、ここで面白いことは、霧島の船体は天地さかさまになって海底でみつかったが、およそ知られている軍艦のなかで逆さまの裏返しになって着底していたのは戦艦霧島だけである。
世の中にはもの好きが多いので、ちゃんと「沈没船愛好者コミュニティ」が存在するが、霧島はコミュニティのなかの「沈没軍艦7不思議」のひとつに数えられていて、もしかするとこの転覆した姿勢は、トップヘビィの伝統に関係があるのかも知れません。

さて、いよいよ真珠湾攻撃ということになって、日本海軍は、そういう「玄人たち」の予想を完全に裏切って、見事というしかない真珠湾奇襲に成功する。
あんまり面白がっては不謹慎だが、ここで面白いのは、「Remember pearl harbor!」という怨嗟の掛け声がアメリカでは生まれて、ガキわしがかーちゃんと初めてオアフ島を訪問した頃でさえ、カラカウア通りを歩いていたら、ウルワースの前で、「Remember pearl harbor!」と絶叫しながら歩いている、酔っぱらっているか、もしくはnot quite rightなおじちゃんがいたが、海軍が敵国を奇襲するときに宣戦を布告しないのは戦争の習慣として割とふつうのことで、わしがちゃんと記憶していると仮定すると、イギリス海軍などは何回も宣戦布告なしに奇襲しているような気がする(^^;

harborでは綴りからuが抜けているではないか、というようなことを根に持っているわけではなくて、特に枢軸国は、陸軍ですら第二次アビシニア戦争でもポーランド侵攻でも対ロシア戦争でも、めんどくさいのでたしかめてみていないが、たしか宣戦布告はしなかったはずで、なんで真珠湾だけ、と初めて太平洋戦争の本を読んだときに思ったのをおぼえている。

真珠湾奇襲は、日本側に立って述べると、よく知られた信号弾の不手際を含めて、いくつかの混乱はあったが、緒戦としてはびっくりするくらいミスの少ない戦闘だった。
軍隊は最も典型的な「お役所」で、どの戦争でもその行きすぎた官僚主義が巨大な悲劇を引き起こすが、真珠湾では官僚主義においてさえ、アメリカ側のほうにバカタレぶりが目立った。

最も有名なのは弾薬庫の管理者であった曹長で、目の前でゼロ戦や99艦爆が飛び交って仲間の兵士がぶち殺されているのに、サインされた正式な書類がなければ弾薬庫を開くわけにはいかない、と言って頑張る。
どうにも埒があかないので、上官の中尉を呼びに走って連れてきてもなお、「あなたには、弾薬庫を開ける命令をする権利はないはずです、サー!」などと述べて一歩もゆずらない。
結局、みんなで殴り倒して鍵を強奪されるまで、この曹長はドアを開けずに頑張り通したという。

真珠湾をあれほど見事に警戒の間隙をついて攻撃しながら、なぜ日本軍が港湾設備、特に給油施設を攻撃しなかったかというのは長いあいだの謎だったが、そのうちに誰かが日本海軍の考課表(つまり、勤務評定点数表)を発見するに及んで理由は分明になった。
港湾施設など攻撃しても昇進の足しになる点数など微々たるものだったからで、地上砲火という飛行機乗りにとっては最も怖ろしく嫌な相手に向かって突っ込み、母艦の機動艦隊の側では所在が知られる危険を冒してまで試みる価値がない作戦行動だった。
この日本軍の旧態依然の考課表は、結局戦争が終わるまで大厄災を日本軍にもたらし続けて、ミッドウエイ作戦で前面に出た機動艦隊よりも、500キロ後方にいた「支援部隊」の戦艦大和乗り組み将兵のほうが考課点数が高かったり、フィリピンのレイテ突入作戦では、それまで太平洋戦争を通じて「臆病」の定評を勝ち取りつつあった日本連合艦隊の提督としては珍しく、剛胆な囮作戦に成功した小沢治三郎以下の将校たちの考課点数が実質ゼロであったりして、結果としては日本海軍の「ことに及んで卑怯・臆病」という日本の人が知ったら気絶しそうな日本海軍の定評をつくっていくことになる。

潜水した途端に水が漏ってきて、あっというまに床が水びたしになる、工作精度が悪い、読んでいると結構こわい出来の潜水艦に乗り組んで、浸水箇所にタオルを詰めながら、えっちらおっちらサンタバーバラまで航行して、浮上するなり大砲をぶっぱなして、いしいひさいちの地底人に対する最底人に対する勝ち鬨のように「勝った勝った、また勝った。勝たんでもええのに、また勝った」と意気揚々と日本に引き揚げた、わしが太平洋戦争中の日本海軍の作戦のなかで最も好きな作戦のひとつである「エルウッド砲撃作戦」
http://en.wikipedia.org/wiki/Bombardment_of_Ellwood

の顛末についても書きたかったが、長くなってしまったので端折る。
わしは正統的ハードゲーマーなので、艦これみたいなのはいまいちで、
HPSシリーズのほうがぜんぜん良いが、我が友オダキンは職場である大学と艦コレの、(オダキンによれば)旧日本帝国連合艦隊艦船の亡霊たちの戦場である海域を往復するだけで暮らしているようで、沈没してみたらデカ目アニメ娘になってしまった旧帝国海軍の艦船が生前はどんな生涯を送ったのか、これから、ときどき書いてみようと思います。

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