「艦これ」の此岸(その2)戦艦大和

「われわれは空の支配者である」「すべてのヨーロッパ諸国はわれわれの空中の帝国からの雷鳴を聞くだろう」とナチはたびたび述べている。
ナチの第三帝国理論は、フランスが陸を支配しイギリスが海を支配している現状においては、ドイツは空を支配するしかない、という「理論」を骨格として持っていて、「ダジャレでやってんのか?」と思わなくはないが、そんな軽口を述べるといきなり処刑されてしまうので、そういう怖い冗談を口にだしてみる人はいなかった。

1919年からたった20年しか経たずに勃発して、しかもその20年の大半を「世界は恒久平和を達成した」「戦争なんて、もう起きるわけがない」「軍縮っきゃない」という「ぬはは、あまい」な観念のもとで過ごしたせいで、第二次世界大戦はひとくちでいえば、どの国にとっても「準備が足りない戦争」だった。

ソビエトロシアは突然怒濤のように侵攻してきたドイツ軍に対して、前線でさえ歩兵3人に一挺のライフルという冗談みたいな装備で戦わねばならなかった。
ライフルをかまえてひとりの兵士が突撃をはじめると、そのうしろを手ぶらのワカモノがふたりで追いかける。
そんなアホな装備で攻勢に出てチャージすれば当然だが正面の兵士はあっけなく機関銃に薙ぎ倒される、すると後ろを追従していたワカモノが死んだ兵士のライフルを拾い上げて突撃を継続する。
当時のソビエト共産党は兵器をムダにしない点で、このやりかたがたいそう自慢だったようだが、いまなら人命軽視だと言ってアムネスティが怒るだろう(←よくない冗談)

例外はフランスで、慢性的な戦車や砲弾の配備の遅れはあったが、戦争なれした国らしく、十分な準備をして防御体制を整備してあった。
「ほんなら、なんですぐ負けたの?」という当然な質問に答えなければならないが、簡単に言えば軍事思想が古くて、通信網ももたない前線を寸断されて、リデルハートたちイギリス人が発明したが、いつものことで、イギリスではアホ役人達が葬り去った「戦車を艦隊のように使う」機甲師団思想をドイツの用兵の天才グデーリアン将軍が採用して、防御線の「穴」を素通りされてしまい、後ろにまわられてボロ負けした。

ルフトバッフェも例外で、ほとんど新鋭機からなる3000機を越える「航空艦隊」は、圧倒的で、その矛先が向けられたときには、以前にも書いたようにイギリス人は、「いいからナチと仲良くしちゃおうぜ。アングロサクソンは兄弟みたいなもんだ、つーてんだから、いいじゃん」と臆病風にふかれたりしたが、それも無理もない、というか、イギリスはつい前年まで「恒久平和」で「尖閣で戦争が起きる、とかいうヤツは頭がおかしいんじゃねえの?」とほぼ全員の国民が信じていたので、軍事予算がチョー少なくて、戦車の帳尻をあわせるにもカーデンロイド
http://en.wikipedia.org/wiki/Carden_Loyd_tankette
という、武装が機関銃一丁しかない上に、信じがたいことにオープントップで、敵兵に手榴弾を放り込まれると車体がそのまま棺桶になって便利だというアホな戦車をいっぱいつくってやっと年次軍備計画にまにあわせるほどだった。

そうして、もっとおおきな例外が現人神の大元帥、昭和天皇陛下が直率する大日本帝国陸海軍だった。
日本軍の装備や戦略が第二次世界大戦を通じてなんとなくマヌケなのは日本がチンタオのような事例をのぞいて第一次世界大戦に参加しなかったという事実によっているが、それは同時にじっくり軍備を準備できたということであって、
1941年と1942年に日本軍と交戦したアメリカ軍やイギリス軍、オーストラリア軍の兵士や将校たちが異口同音に述べるのは「日本軍の装備のよさ」で、機関銃から重砲まで、日本軍はマレー半島、シンガポール、フィリピンと、常に圧倒的な火力で攻勢に立った、一方の連合軍は、なにしろヨーロッパの大魔王と全力を挙げて死闘ちゅうだったので、残りカスで応戦せざるをえず、日本海軍が見る目にもカッコイイ零戦でやってきているのに、こちらはブルースターバッファロー
http://en.wikipedia.org/wiki/Brewster_F2A_Buffalo
という「一応、単葉機なんですけどね」な、空飛ぶふとったおばちゃんみたいな、とんでもない戦闘機で戦わねばならなかった。

太平洋戦域では連合軍側で最も装備がよかったアメリカ海軍にしても「空飛ぶサンドバッグ」グラマンF4F
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/08/31/f4f-ワイルドキャット/
がもっとも強力な対零戦要員だった。

「艦これ」の主題である艦船に至っては、わっはっはというか、天と地ほども異なる戦力で、日本海軍の戦意が他の海軍国なみに旺盛だったら、イギリス、アメリカあわせて、あっというまに海の藻屑に壊滅していただろう。

しかも当時は連合国側に知られていなかったが日本には、戦艦大和・武蔵という日本の科学技術の粋を集めた、スーパー戦艦が秘匿されていたのである。

海軍軍令部に石川信吾という、やや軽躁な、しかしやたらと弁が立つ課長がいた。
本省課長、なのだから、多分、階級は大佐ではなかろうか。
年齢でいえば課長になったときに40代半ばであったはずです。
今回は記事の目的からおおきく外れるので経緯を書かないが、このひとは「思いつき」が多いひとで、調べてみると思いつきで海軍を滅ぼし、ひいては日本を滅ぼしてしまった張本人のような人だが、この人があるとき「天才的な着想」を得たのだという。
その着想の根源は大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河が、チョー狭いという事実だった。

「戦艦」の本質はなにかというと、「でかい大砲を運ぶ移動砲台」で、大砲がでかければ、より強烈な砲弾をより遠くまで飛ばすことができる。
その砲弾をぶっ放すための砲塔キャリアが戦艦で、戦艦のおおきさちゅうか排水量は、そこから逆算して決まる。
石川信吾の「天才的着想」は、ほんじゃ、パナマ運河を通れないおおきさの艦体がないと載せられないでかい大砲をのせた戦艦をつくれば無敵なんじゃね?ということで、46センチ砲を主砲とする戦艦大和ができあがる。
天才石川信吾の理論によれば戦艦大和は敵に沈められる可能性が存在しない(相手の主力艦の大砲の弾がとどかない)ので、これは不沈戦艦だということになって、この46センチ砲を備えた戦艦に日本海軍はありとあらゆる新技術をそそぎこむことになります。

世界で初めての機動部隊を着想した割に日本海軍艦艇が対空戦能力に著しく欠けることは戦争初期からよく知られていた。
本来、対空戦の要になるべきだった軽巡洋艦級のたとえば「阿武隈」の14センチ砲は実は平射砲で空を飛ぶものを射撃する能力がゼロだったのは論外としても機銃や高射砲も肝腎の急降下爆撃機に対応できなかった。

いまちょっと、興味が湧いたので日本語のサイトをのぞいてみると、日本海軍で初期に多用された最大仰角が55度しかない50口径12.7センチC型砲がつかいものにならないという認識は当時からあったようだが、しかも本来は近接対空戦闘の主役であるべき機銃は初速が遅いせいの弾道低落でカタログスペックにおおきく劣る900メートル(!)程度の射程しか持たなかった悪名高い96式25ミリ機銃はまったく役に立たなかったので、実際に空襲、特に急降下爆撃機があらわれた場合には、40口径89式12.7センチ高角砲に頼る他はなかった。
南雲部隊でみると、だいたい120門程度の40口径89式12.7センチ高角砲を持っていたが、その半分は実は空母自体に搭載されているもので、日本海軍の対空戦闘マニュアルにしたがえば、この約60門は各個の対空戦闘指揮所の指揮下で自艦の対空に使われるので、なんのことはない、残りのたった60門の高射砲で、全機動部隊を守っていたのである。

ここで筆をやすめて、頬杖をついて考えてみると、この60門の高射砲だけで現実には「虎の子」であったはずの空母を守るというのは、なんだか気が遠くなるくらい無茶苦茶な話であると思う。
この無茶への危惧はミッドウェー海戦
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/09/08/ミッドウェイ海戦__官僚主義の敗北/
で現実のものになって、全員戦死を覚悟して海面すれすれを突撃する囮のアメリカ海軍雷撃機隊を撃墜するために低空に舞い降りていた日本海軍の直掩戦闘機隊が高空から逆落としに急降下してくる30機のSBDドーントレスを発見したときには、もうすべてが遅かった。

このときの日本の対空射撃が下手をきわめたのは、ミッドウェー海戦は、もともと勇猛であった敵が不運にも壊滅した戦闘であって、その「強かった敵」に敬意を表してあんまり言わないことになっているが、英語世界では有名です。
射撃がてんでばらばらで、後追い・後落する射撃が多かった。
いっぽう、注意深い人は戦史を読んでいて気づいたと思うが、ミッドウエーでは技量の高い対空員が防空に任じていたのに、急降下爆撃後直掩機に捕捉された分を含めても、撃墜されたドーントレスは14機だが、後年、沖縄に特攻出撃して撃沈された戦艦大和は、ほぼ対空戦力としては単艦で、しかも直掩が低空もなにもゼロの状態で、対空砲火によって6機が撃墜され、5機が中破後基地帰投後に破壊処分、47機が被弾している。
戦艦大和の対空指揮能力がかなり早くから破壊されたことを考えると不思議な数字だが、どうやらこれは大和に装備されていた5メートル高角測距儀と94式高射装置によるもののようです。
特に後者の94式高射装置
http://www17.big.or.jp/~father/aab/kikirui/navy_director.html#type94
は、いまの目で見てもよく出来ていて、この記事を書いてみるべ、と思った動機のひとつである「なんで大和と武蔵を機動艦隊の防空に使わなかったんだべ?」という疑問を強くする。

ミッドウェー海戦の直截の敗因は、海戦当日の二日前、「敵機動部隊がミッドウェー近海で行動中」という東京の大本営からの通信を宛名に並んでいた艦船のなかで戦艦大和は受信し空母赤城は受信しておらず、空母部隊の600海里後方を続行していた戦艦大和内の連合艦隊司令部が赤城に確認の通信を行わなかったことにあるが、海上35メートルの高さに無線空中線を持つ戦艦大和の通信能力を機動部隊の旗艦である赤城は持っていなかった。
ついでに述べると、南雲機動部隊は海戦当日の「蒼龍」搭載機からの「敵航空隊発見」「敵機動部隊発見」の通信も受信しそこなっている。

戦艦大和と武蔵は通信機能を充実させ情報能力を集中させた「連合艦隊の頭脳」として開発されたが、驚くべきことに日本の提督たちは、その事実を理解しなかった。
頭脳は家に置いて戦闘にでかけるのを習慣とした。
レーダーも備えた、当時としてはほとんどアバンギャルドなハイテク戦艦を建造しておきながら、戦争には使わなかったので、たとえばイギリスの子供向けの戦記本には、よく「枢軸国側最大の戦艦ビスマルクは…」というような記述があって、戦艦大和は「ガン無視」されている。
もっとひどい例をあげると、世の中には「戦艦大和は存在しなかった」という奇説をなすひともいて、わしは子供向けの雑誌で、戦艦大和は日本軍が国威発揚の宣伝にでっちあげた幻の新鋭艦で、現実の大和は40センチ主砲級のもっと小さな戦艦だった、という記事を読んだ記憶がたしかにある。
戦艦大和と武蔵はもちろんたしかに存在したし、国威発揚の宣伝もなにも、当時は日本国内向けにも外国向けにも存在が秘匿されていたはずなので「大和はなかった」説は考慮にあたいしないが、そういう説を頭がいかれた戦争好きのおっさんが唱えてみようと思った事実には戦艦大和と言えば英語戦記の世界では臆病と怯懦の象徴である、という日本のひとが知ったら涙を流してくやしがりそうな現実がある。
つい最近のアメリカのCG戦史番組でも戦艦大和は駆逐艦隊の突撃に驚いて逃げた「臆病な巨人」として嘲笑的に描かれていた。

日本では「栗田艦隊の謎の反転」というカッコイイ名前で呼ばれている、英語世界では通常「臆病提督栗田の遁走」というような表現で記録される、栗田健男の「逃げ癖」を危惧する連合艦隊本部から「逃げるな」「突っ込め」と屈辱的な再度の念押しまで受けながら、「敵艦隊を見た」というウソまでついて、こちらは小沢治三郎の豪勇で有名になった囮艦隊が全滅しながら見事に役割をはたしたにも関わらず、さっさと本国めざして逃げ帰ったレイテ突入部隊の栗田提督が座乗していたのが大和であったことにも拠るのでしょう、英語圏での戦艦大和のイメージは、常に「図体ばかりおおきい臆病戦艦」になってしまう。
しかもアメリカ人たちに「最後はアメリカ航空隊の標的艦として沈没した」と嘲られるような、これが本当に「ツシマ」を戦ったのと同じ海軍かというような、情緒だけにおもねった愚かを極めた作戦の途中で沈没する。

黛治夫は「山本五十六が飛行機なんかでハワイを空襲して戦艦を沈めたから戦争が航空機ベースになって負けた。あんなことをやらなければ大艦巨砲の艦隊決戦で日本は太平洋戦争に勝っていた」という恐るべき本末転倒の意見を戦後ながく主張して多くの賛同する元海軍軍人を得たが、前の記事でも少し触れたように、たとえば黛治夫のようなバカみたいな主張が戦後ですら支持されたことの後景には、軍隊はあくまで官僚組織であり、「お役所」、しかも軍人はどこの国でもガッチンガッチンの役人根性のかたまりで、黛治夫で言えば、このひとは砲術科の出身で、砲術科は士官学校の秀才中の秀才が行く科であって、しかも海軍の出世点数表では戦艦に乗って相手のこれも戦艦に大砲をぶっ放したときが最高の点数で、天皇のおぼえめでたく出世できるようになっていた。
水雷戦闘しかわからないはずの南雲忠一が海戦以来空母機動部隊を率い、機動部隊そのものを着想した海軍航空戦略の専門家である小沢治三郎が搭載航空機をもたない囮の機動部隊の指揮が最初で最後の航空機動部隊指揮だったという笑うに笑えない冗談じみた人事も、やはり、海軍という「お役所」の理屈でしか理解できない愚行だった。

あんまり日本の人は聞きたくないと思うが、英語圏で行われるシミュレーションでは戦艦大和と武蔵がイギリス・アメリカ海軍なみに機動部隊とともに行動していた場合、現実にはオンボロ空母ハーミーズだけが撃沈されたインド洋海戦で、南雲機動部隊のコロンボ襲撃のときに戦艦5(ウォースパイト、リベンジ、ラミリーズ、ロイヤル・ソブリン、リゾリューション)空母2(インドミダブル、フォーミダブル)からなるソマーヴィルの極東艦隊は必ず全滅することになっている。

あるいはスミソニアン博物館にシミュレーション室があるミッドウェー海戦でも、600海里後ろで御託をこいていた戦艦大和、長門、陸奥を中心とする第一戦隊が南雲部隊とともに行動していれば、悪くて空母二隻喪失、ふつうにいけば空母被害ゼロ、アメリカ機動部隊全滅の結果になる。

戦争は要するに産業の生産力較べなので、極東艦隊が全滅しても、ミッドウェーでアメリカが全空母を喪失しても、実際にはたいした展開の違いがないのは、普通の頭がある人ならわかって、ミッドウェー海戦などはハリウッド式の誇張された危機にしかすぎないとも言えるが、戦争がひとつの民族の思考の特徴、文明の癖の尖鋭な表現であって、たとえば日本の文明にとって日本人個々の生活や生命がどのように認識されているか、というようなことが戦史を追ってゆくと端的に判明する。

戦艦大和は時代遅れの無用の長物だというが、大和から3年の後に進水・就役した戦艦ミズーリは、1950年には朝鮮戦争の仁川再上陸で主砲をぶっ放して強烈な支援砲台として活躍し、1991年になってもなお、イラクの要塞を112発の主砲艦砲射撃で完全に破壊した。

1945年、戦艦大和に対して3000人の日本人のワカモノをただ殺すためだけに沖縄まで乗せて出かけさせる頽廃の極みの作戦を命じて、「日本の栄光を後世に知らしむるためだ」と悲壮な顔で送り出して何の意味もない犬死にの戦場でぶち殺してしまい、本人は戦後自己弁護を繰り返しながら「畳の上で」死んだ提督や、すっかり好々爺ということになって人気者として生涯を終えた帝王の国といったんつくった戦艦は半世紀を使い倒してもまだ物足りない顔をしている民主国家と、どちらがどうなのか、わしには判らない。

ただ、超ハイテクで、日本がつくる乗り物の常として動力機関が旧弊でやや問題があったほかは、なかなか出来がよかった戦艦が、英語世界では「宇宙戦艦ヤマト」として蘇る余地など金輪際ない臆病の象徴として記憶されるに至ったことが、子供の時からの艦船ヲタクとしては、なんとなく気の毒だなあー、と考えて、ちょっと記事にしておこうと考えたのでした。

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