ゴジラ、再び

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映画館のオットマンのあるカウチ席に半分寝そべって腰掛けて、ポップコーンとシャンパンをテーブルにおいて、ゴジラの雄叫びを聴けるときが来るとは思わなかった。
モニさんは前半やや退屈したようでしたが、まるでなつかしい友達に、ふたたび栄光のときが巡ってきたのを眺めるような気持で、自然と浮き立って嬉しくなる気持を抑え込むのがたいへんだった。

公開初日に観に行ったGareth Edwards版の「ゴジラ」は評判がよかったようで、いきなり3作目までの製作が決定されて、常に「新しいゴジラ映画」に飢えているゴジラファンとしては、やはり嬉しい。

ファンというのはめんどくさい人の異称なので、いろいろ言いたいことはあるが、聞けば、日本での公開は7月だそうで、そのまえにいろいろ述べては、そもそも行こうか行くまいかという判断にすら影響するだろうから喉元までこみあげている言葉を呑み込んで、いまはただ黙って微笑しているにしくはない。

子供のときからゴジラが好きなので、このブログにも夥しいゴジラへの言及があるのは、右下にある検索ウインドーに「ゴジラ」といれてみればすぐに判る。
世の中の映画シリーズのなかで「ゴジラ」シリーズくらい駄作が多いシリーズはないと思うが、「どこがゴジラやねん」の造形でアメリカゴジラファンを激怒させた1998年のハリウッドゴジラを別にすれば、妙に顔がかわいくなったゴジラが巨大化した正月のおせち料理の伊勢エビをぶん投げるだけの映画でも、振り付けするのに事欠いてゴジラが赤塚不二夫の「おそ松くん」に出てくる「イヤミ」のまねをして「シェー」
http://www.geocities.jp/hasu58/sepia/shee/shee.html
をしても、顔をおおい、壁をたたいて悔しがりながらも、すべて赦してきた、その甲斐が、ついに報われつつある、と感じる。
ツイッタでは十全ガイジンの大庭先生も
「駄作がこわくてゴジラファンがやれると思っておるのか」と言っておられる。

ゴジラの出生や、由来、大きさ、強さ、すべて監督によって異なるが、これはすでにゴジラ研究者によって、異なるパラレルワールドのものだと説明されている。
監督のなかでは大河原孝夫と手塚昌明が最良の深刻なゴジラ観をもっているが、ゴジラ自体のキャラクタは1954年のゴジラがすべての「ゴジラ的なもの」の産みの親です。
異なる言語や社会にまたがるゴジラコミュニティは、それぞれ異なる嗜好や仮説、解釈をもっているが、1954年のゴジラこそがゴジラなのだという強い信念に異を唱えて挑戦するひとは、いままで観たことがない。

新作のゴジラ世界では放射能が危ないことになっているので日本では公開されないのではないかと言う人が何人かいた。
英語人でみかけたほうは何れも意地の悪い冗談だったが、日本のひとのほうはマジメに心配して、放射能が危険であることを示したところは全部シーンとしてカットされて、映画の最後のcredit(エンドロール)に
監修:「東京大学教授 早野龍五」
とか出てしまうのではないかと、いまからうつうつとしている人もいるよーです。

ゴジラはもともと核エネルギーを手にした人間を破滅させるためにやってくる「破壊の王」として形象された。
それは核エネルギーをもつことによって人間と自然の関係の「決定的な一線を越えてしまった」人間に対して地球そのものが送りこんできた絶対的な破壊の体現者として造形されている。
ゴジラはヒロシマでありナガサキでありビキニ環礁で高空にキノコ雲とともに放射性物質をふきあげる水爆そのものだった。
人間のレベルでの善なるものも悪も判別躊躇することなく人間の文明自体を絶対悪として善悪無差別に破壊するゴジラの始原的なキャラクタはそうやって出来上がった。

ドイツ人たちが名付けたハワイの南東2700マイルにある「ビキニ」という環礁は戦後すぐにアメリカが立て続けに行った原爆実験によって世界じゅうに名前を知られてゆく。
ピュリツアー賞を受賞した核ジャーナリストのRichard Rhodes
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Rhodes
は、インタビューに答えて、
「当時、ビキニ、という名前は原爆の力強いイメージのせいでカリスマ的な響きを持っていた。
カリスマ的どころか、セクシーな名前だとすら考えられていてね、1946年にフランス人たちが考えた世界で最もセクシーな水着が『ビキニ』という名前になったのは、そのせいなんだよ」
と述べている。

ビキニ環礁と、そのまわりのマーシャル諸島が無人の列島だったわけではなくて、人間が住み、集落もあったが、アメリカ人たちに「放射能の健康への害はたいしたことはない。気を付けていれば大丈夫だ」と言われて、その「科学者」たちの言葉を信じた、この気の毒な、「白人」という権威に従順だった列島の住人たちは、いま当時のフィルムのなかの笑顔を観ても、屈託がなくて、世界じゅうの注目が自分達に集まっていることをまっすぐに喜んでいたのがよく伝わってくる。
そのあと十数年を経て島に現出した、地獄としか呼びようのない出来事の数々をまったく予期していない幸福の表情がそこにはある。

1954年3月、焼津の漁船第五福竜丸はビキニ環礁の近くで操業していた。
いま、第五福竜丸乗組員たちが放射性物質について無知だったと誤解する人がいるようにみえるが、現実には船員たちはアメリカの水爆実験「Operation Castle」
http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Castle
の実施計画を詳細に知っていて、十分に注意を払って、アメリカ合衆国が広報した「避難区域」外で操業していた。
アメリカが設定した「絶対大丈夫」なはずの安全区域が、小さすぎて、現実には人体にとって危険だったのにすぎない。
無知だったのは日本人の漁船員たちではなくて、自信満々のアメリカ人「科学者」たちのほうだった。

第五福竜丸に限らず、同じ海域で操業していた数百隻のマグロ漁船が同じように放射性物質の降灰を浴び続けたが、そのなかで第五福竜丸だけが有名になったのは、久保山愛𠮷という名前の機関長が死亡したからです。
結局、膨大な数の船員がさまざまな「病気の花束」を発症したが、当初、反米運動を怖れて動揺したアメリカ合衆国政府も事態の深刻さに気づいて漁船員たちの病気と放射性物質との因果関係を全否定することにした。
久保山愛𠮷についても死因が肝機能障害であることをあげつらって、「放射能で肝機能が起きることはありえない」と述べて正面から因果関係を突っぱねることに成功した。
補助金を握っている日本政府とついこのあいだまで占領軍として絶対の権力をふるっていたアメリカ人たちをおそれて、日本の科学者たちも「アメリカのすすんだ科学分析が出した結論」に追随していく。

科学者によれば「ただの偶然」にすぎない肝機能障害は、よっぽど第五福竜丸がお気に入りだったようで、乗組員22人のうち、12人が死亡していて、内訳は肝癌が6人、肝硬変が2人、肝線維症が1人、だった。
アメリカ側の公式見解は、いまでもこれらはすべて偶然の肝炎ウイルスの感染によるものであり、他の障害はおそらく珊瑚から生じる塵による、ということになっている。

前の記事「怪獣王ゴジラ」
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/10/08/godzilla/
でも引用した山之口貘の詩、

鮪の刺身を食いたくなったと


人間みたいなことを女房が言った


言われてみるとついぼくも人間めいて


鮪の刺身を夢みかけるのだが


死んでもよければ勝手に食えと


ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ


女房はぷいと横にむいてしまったのだが


亭主も女房も互いに鮪なのであって


地球の上はみんな鮪なのだ


鮪は原爆を憎み

水爆にはまた脅かされて


腹立まぎれに現代を生きているのだ


ある日ぼくは食膳をのぞいて


ビキニの灰をかぶっていると言った


女房は箸を逆さに持ちかえると


焦げた鰯のその頭をこづいて


火鉢の灰だとつぶやいたのだ。

鮪を食べるのに勇気が必要だった当時の世相のなかで
は、この「第五福竜丸事件」が原因となった「焼津に水揚げされたマグロは危ない」、ひいては、マグロを食べるとあぶないらしい、と言われて、日本中の食卓からマグロの刺身が消えた世相を反映している。
「風評被害」という言葉がやかましく言われるようになったのも、この頃で、市場に「原爆マグロ塚」までが立てられた築地市場のある東京では、一時は鮨店からもマグロの赤身やトロが姿を消す騒ぎだった。

特撮映画を撮りたくてたまらなかった東宝の本多猪四郎たちが、この機会を見逃すわけはなかった。
すでにアメリカで、北極海で行われた核実験のせいで氷のなかから蘇った怪獣Rhedosairusがブルックリンのコニー・アイランドを襲う、という映画
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Beast_from_20,000_Fathoms
が封切られていたこともあって、東宝も「アメリカ政府を刺激せず、風評被害を立てないで、直截水爆実験や第五福竜丸事件に言及しない」ことを条件に制作費をだすことに同意する。

そうやって生まれた「ゴジラ」は、伊福部昭のすばらしい音楽のせいもあったでしょう、日本で大ヒットになっただけでなく、レイモンド・バーの主役を無理矢理押し込んだ、訳がわからない上に反核メッセージをまるごとカットしたゴジラ映画
「Godzilla,King of the Monsters!」までが低予算のわりにものすごい利益を生んで、この映画がカルト的な人気を維持しつづけたことが、1982年の1954年版「ゴジラ」のサブタイトル版の公開につながり、やがて、世界中に広汎なファン層を獲得して、英語圏では2014年5月初めに封切られて、日本では7月半ばに公開になる、いまの「ゴジラブーム」につながってゆく。
言うまでもなく、今回の「ゴジラ」ブームの最大の皮肉は、かつては核エネルギーに対して最も強烈で鋭い抗議の声を挙げて、核エネルギーを手にしたソビエトロシアとアメリカこそが世界を滅ぼすものだ、と、ヒロシマとナガサキの被爆を背景に、ソビエトロシアとアメリカがもぞもぞと居心地が悪くなるような、本質的で的確な主張を行い続けて、フランス知識人やイタリア知識人をも動かしていった日本人が、時をはさんで、不思議なロジックを国民ごと信じこんだ「放射能ダイジョブ国民」の代表になって、ゴジラの配給会社が原子力発電所がらみのシーンを日本公開ではどう扱うか検討する会議を開かなければならない事態になって、かつては「放射能なんてたいしたことないんだから心配しなくてよい」とビキニ周辺の住民達に述べて安心させ、日本の漁船員たちの死や疾病を「無知なものたちのたわごと」と笑ったアメリカ人たちのほうが放射性物質の危険を当然と考えるようになっている立場の逆転で、ゴジラが上陸して例の原子炉を壊しても別に日本人は放射能の危険を知らないからヘーキなんじゃないの、というよくない冗談が出るくらいで、もしかすると日本公開が7月になったのも、放射能を怖いと思わない国民ではゴジラも怖くないんじゃない?というマーケターたちが、全然あぶなくない放射能を帯びたモンスターなんて日本でうけるかなあー、とクビをひねっている結果なのかも知れません。
放射能への恐怖心は、日本とアメリカで180度回転して逆になってしまったが、ゴジラだけは、自分自身がサンフランシスコのまんなかで核攻撃にノックアウトされながらも、まだ蘇生して、やってきた海へと帰ってゆく。
本多猪四郎たちが、多分、純粋に「面白いものをつくろう」と考えてつくった怪物は、いつのまにかマーケティングを離れて「核エネルギー」という恐怖の象徴としてひとりで歩き出して、英語圏や欧州の映画館で咆哮している。
「時代意識」というものが自立した生命を獲得する現場に立ち会って、あらためて、ゴジラは決して死なないのだ、という世界中のゴジラファン共通の信念を再確認して、雨のなかを、クルマで帰ってきたのでした。

(画像は日本にいたとき、蒸し暑い8月の空気のなかで死にかけながら必死に屈み込んでチョー苦労して撮った有楽町のゴジラ。
きみ、東宝のひと!あんなちっこいもんつくってないでコンジョだして等身大の50メートルのゴジラ像をつくらんかい)

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