Monthly Archives: May 2014

「艦これ」の此岸(その1)

BBCやPBSの「太平洋戦争特集」を観ていると、日本側の「常識」と随分異なる認識があちこちにでてくる。 日本語の書籍に出てくる「アメリカ側の観点」は注意して読むとほとんどがSamuel Morisonの「History of United States Naval Operations in World War II」 http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_United_States_Naval_Operations_in_World_War_II_(series) に準拠している。 「History of United States Naval Operations in World War II」が企画されたのは1942年で、刊行は1947年から1962年に行われたので、1942年に企画されたことからはシリーズ全体の姿勢が、1962年に最後の第15巻が発行されたことからは扱われた現実や証言が、まだ戦争の記憶が生々しい一方で、将校間の遠慮や、まだ発見されていなかった事実、政府が公表を望まなかった事柄は記載されていないことなどが容易に想像される。 半藤一利が日本でよく攻撃にさらされるのは、「足をつかって本人に会いに行って取材する」という「調査取材」をメインにした戦争記録の作り方をしたのが、ちょっと驚くべきことだが、この文藝春秋社の編集者だった人だけだったからで、文春の人に聞くと、それでも人間と人間の関係が理由で公表できなかったことがたくさんあるようだが、たとえば帝国陸軍のみならず海軍までドイツとの軍事同盟に急速に傾いていった理由が「美人をあてがわれたから」だったというようなことは、半藤一利の対面取材がなければ永遠に活字記録の下に埋もれて日の目を見なかったに違いない。 ナチはヨーロッパでは当時からよく知られていたことで、高級売春婦から美人でお行儀がよい人間を選んで「某公爵夫人」というようなことにして、外交官や武官、軍人を籠絡するのが常套手段だった。 昭和天皇が松岡洋右を指して「ヒットラーから何か便宜をうけたのではないか」と怒りの言葉を述べたのは、言い方が婉曲なだけで、かねてから欧州の外交事情を聴いていた昭和天皇は、今日受け取られているより、ずっと具体的な危惧を述べたのであるにすぎない。 日本側では書誌ベースに終始して、簡単に言ってしまえば、戦争取材はどんどん薄っぺらなものになって、間近な歴史でいえば福島第一事故というようなものを観察していればわかるとおり、都合の悪い記録はどんどんなかったことにされ、書き換えられて、つい先週でもマンガ家が「福島に行ったら鼻血が出た」と書いたくらいのことで大臣が「不快感」を示したり、たいへんに日本ぽい「福島人に悪いとおもわないのか」の輪唱が現れたりして、歴史というものは何が記録され、何が葬られるのか、間近に観られて興味深い。 BBCやPBS、あるいは大小の英語メディアは方法がいわば日本人とはまるで反対で、個人へのインタビューを中心に事実を掘りだしてゆく。 戦争のようなものは特に有るはずのない記録が存在し、なければならないはずの記録が紛失されていて、極めて簡単明瞭に見える事実さえ、実際にインタビューを行ってみると、意外なくらい模糊としている。 はやい話が、戦場では将校ですらどこで死んだのか、あるいはほんとうに死んでいたのか判然としないことが多い。 日本側で有名な逸話のひとつである「リンドン・ジョンソンが乗っていたB26マローダーを坂井三郎が撃墜しかけた話」でも、そもそもその空域にリンドン・ジョンソンが視察に飛んだ事実そのものがないという人もいて、アメリカ側と日本側の証言を照らし合わせても、ほんとうのことがはっきりしない。 そして、そういう錯綜した事実のなかにわけいっていくためには、書誌よりも個人へのインタビューのほうが現実に近づけるのは犯罪捜査のような作業とあまり変わらないように思われる。 真珠湾攻撃についてアメリカ側の本省課長級へのインタビューを観ると、開戦陰謀説のようなものは、仮にそういう「気持」が存在しても、主因ではありえないという印象をもつ。 日本が攻めてくるわけはない、と蔓延した気分のようにして思い込んでいた理由は、 ひとつには「ただの人間を神様だとおもっているような未開な連中が、そんな近代思想を前提にしなければ計画を組織できない複雑な作戦を実行できるわけはないと思っていた」というようなものが多くて、日本側で印象するような人種差別意識が前面に立った「日本は遅れた国だ」という意識よりも「天皇=現人神」国家体制であることを理由として述べる人が多くて、戦後の天皇処刑中止につながる、日本人=天皇絶対崇拝者のイメジがこの頃からのことだとわかるが、インタビューを観ていて気が付くのは、どうやらアメリカ海軍においては将校教育の一環として日本のシステム化された国家神道ネットワークをインフラストラクチャとした絶対天皇制を教えていたらしいことで、靖国神社に対する日本人とアメリカ人のいまに続く印象の違いは、こういうところからすでに始まっている。 もうひとつの、軍令側の艦隊側とのインターフェースにあたるくらいの若い軍官僚達にとってはより大きな説得力をもっていたらしいほうの理由は「日本の艦隊は侵攻艦隊阻止の迎撃艦隊で、そもそも技術的な仕様がハワイ攻撃にでかけられるように出来ていない」というもので、こっちは詳細なインタビューであるほど現実味を帯びている。 まず艦隊としての航続距離が日本海軍の艦隊は短い。 もう少し正確に言うと個々の艦船はおおきな艦艇は8000海里内外だが駆逐艦程度では5000海里あれば良いほうだったはずで、そうであれば必須の洋上補給のための体制が貧弱であった。 艦隊として商船ルート・補給船保護を根底的な目的とするイギリス海軍のような「巡洋型」の艦隊と異なって、近海防御型というか、日本海軍はすべての艦船が、要するに太平洋を西に侵攻して日本をめざすアメリカ海軍を近海で撃滅することに特化されていた。 … Continue reading

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流砂としての「知」_1

「頭のいい人が捏(こ)ね上げた意見ではない。 眼力の優れた人が看破した実相の描写である」と小林秀雄が「感想Ⅱ」という文章で述べている。 誰を眺めて感嘆しているのかというと福沢諭吉です。 福沢的知性と小林秀雄的知性は本来相容れないが、小林は伊達に「評論家」と称していたわけではなくて、ものを見るとそれが本物か贋物かすぐに判って、まだ前頭葉が十分に働かないうちから言葉の方はとっくに確信している所があった。 福沢が日本の近代化に果たした役回りは気に入らなくても、福沢諭吉そのひとが「明治時代」という時代の時代精神そのものであることは誰よりもよく判っていたでしょう。 小林秀雄が繰り返しのべたことは簡単に言えば本を読みあさって頭の良い人間が辻褄があうようにつくりあげた「作文」になど何の意味もない、ということだった。 有名な志賀直哉への激賞は、つまりは、上の発言の「眼力」がすべてで「頭のいい人が捏ね上げた意見」がいかに無価値かということの表明だった。 小林秀雄は志賀直哉の「見ていないようでいて何もかも見ている目」の恐ろしさについて書いているが、そういう場所にたどりつくことになったのは、大岡昇平が何度も書いているように小林秀雄は中原中也という、良いはずのない詩がダイアモンドのように輝き、見当外れの塊のような人生論が誰よりも人生の実相に届いているという、知力の人であった小林からすれば、理不尽で、やりきれないような、憤懣やるかたないような「友達」と血肉を削り合うようなすさまじい交渉を持ったからでした。 小林秀雄に直截反応したのが、ばななとーちゃんの吉本隆明で、この下町生まれの「吉本さんのところの頭のいい倅」は入学した東京工業大学で後年文芸評論家になる奥野健男と「遠山啓の下で学ぶ者同士」として知り合い、日々長い時間を一緒に過ごし、やがてふたりとも文学の方法におおきく魅せられて一緒に同人誌を出すまでになってゆく。 詩のレベルが他言語に較べても突出して高かった日本の戦後の40年代から70年代にかけてあらわれたたいていの才能のある文学人の例に漏れず、吉本隆明もまた本質的に詩人だった。 「あっちからこっちへ非難を運搬して  きみが口説を販っているあいだ  わたしは何遍も手斧をふりあげて世界を殺そうとしていた  あっちとこっちを闘わせて  きみが客銭を集めているとき  わたしはどうしてもひとりの人間さえ倒しかねていた」(「恋唄」) というような「自分だけが実効的な戦士である」という感情は吉本隆明の詩によく出てくるが、それをナルシシズムと受け取って嘲るのは酷で、ばななとーちゃんにしてみれば、机の上に本を積み上げて屁理屈を捏ねていやがるおれの信者なぞ皆ぶち殺してやる、と思っていただけであるのは、当時の、「情況」シリーズのような本や、読書新聞などを読むとよく判る。 吉本隆明はまた中島みゆきをたいへん尊敬していて、日本の詩人で最もすぐれているのは誰か、と問われると「中島みゆき」と答えていた。 特に「化粧」に感動したようで、自分でもよく歌っていたようでした。 また、ばななとーちゃんは21世紀になっても新宿ゴールデン街のバー「H」によく顔を出していた。噂を聞きつけて団塊世代の「ゴールデン街的ルール」を知らない元全共闘世代のおっちゃんたちが馳せ参じるようになると足を運ばなくなってしまったようだが、相手がまともだと見れば質問にも論争にも応じていたようです。 このバーはあとで小沢ガールズと呼ばれるようになる一団の衆院議員になったひとびとのひとりが主人だが、バーが開いた当初によく姿を現したのは、新しく生活を起こさなくてはならなくなった主人を少しでも応援しようという吉本隆明らしい心使いだった、という人もいる。 小林秀雄は面白い対談をたくさん残しているが、剣豪小説とオーディオマニアぶりで有名だったらしい五味康祐との対談で五味が高級オーディオの音質の素晴らしさについて機器の名前を挙げて述べはじめると、たちまちのうちに機嫌が悪くなって、「そんなものはくだらない」と吐き捨てるように言う。 「いえ、先生、そう仰らずに是非いちど試してみられては」と五味が機嫌をとるつもりで言い募った途端に怒りが爆発して、きみのようなバカと話したくない、と述べたきり対談にならなくなってしまう。 小林秀雄という人は「知識が動員される前に目が勝手に価値を見抜いてしまう」ていの「本質的価値」以外について勧奨されたりすることを毛嫌いしていた。 もったいをつける人間、どの本にはこう書いてあって、世人は気が付かないが、この本にはこういうことが書いてあるので、私見によれば云々というような人間があらわれると、作家や編集者が集まっている銀座のバーだろうが新潮がセットした対談の場だろうが、無言のまま、すっくと立ち上がって、さっさと鎌倉へ帰ってしまうので有名だった。 奇妙なことを言うと、と言ってもその奇妙なことこそが、ここに書き留めておこうと思ったことの内容そのものだが、こういう小林秀雄の姿を見ていると、それにそっくり重なるのは、吉本隆明なのである。 通常、吉本隆明と小林秀雄の関係は文学系譜上の批判的な継承という観点で書かれているのだと思うが、このふたりにはそれ以上に本質的な共通点があって、小林秀雄は中原中也によって、吉本隆明は田村隆一と(より自分に資質が近い)鮎川信夫とによって、いやというほど味わわされた自分の詩人としての資質の低さを何とか知力でカバーするという、切実な、というよりは危機感に満ちた「場」の獲得への渇望があった。 古典としてすら読まれなくなった小林秀雄もそうだが、なんだか政治好きの衒学おじちゃんみたいな人の愛玩物と化した観のある「共同幻想論」作者として吉本隆明が語られるのは、これ以上ないほどの皮肉である。 下町に生まれた吉本隆明は「先生」と呼ばれても照れもしないことを都会っこの奥野健男にからかわれたりしているが、平たく言えば「庶民の味方」という言葉にすれば噴きだしそうな素朴な形の正義に駆られて生きた人であって、通りに立って石を投げもせず、警官のひとりをなぐりたおしもせず、賢げにふるまうだけの人間が自分の名前をあげて褒めたりすると躊躇せずになぐりかかるような人だった。 隆明に好意を抱いているのになぐられたほうの「吉本シンパ知識人」は、なぜ自分がそんな目にあわなければならないのか、さっぱり判らなかったに違いない(^^  小林秀雄と吉本隆明に共通しているのは、「頭のいい、意見を捏ね上げるひとびと」の醜悪さへの嫌悪と怒りで、その嫌悪と怒りがどこから来たのかといえば、両人ともに、それこそが日本の一種言うに言われない「邪悪さ」の源であって、常に日本を無力感の泥沼にひきずりこみ、変化を受け付けなくさせた元凶であることを熟知して、それに苛立ってもいたからだろう。 小林秀雄とばななとーちゃんはともに、「物事の真実性はどこにあるのか」という人間の一生の最も根源的な問題が念頭から離れなかったにすぎない。 いま見たら該当のツイート無いので削除してしまったのかもしれないが年長の友人で、一年考えてもよう答えられんような質問を一週間で10個くらい投げて寄越す因業な「哲人さん」(@chikurin_8th )という人がいるが、「『事実というのは手のつけようのないモノだ』というナマな感覚を、『すべてはお前がそう思ってるだけだ』という切り返しから救い出す。根源的な哲学の課題と思います」とツイッタで述べている。 個人から見れば不条理といいたくなるような絶望的な出征を強いられた戦争の時代を生きた小林秀雄や60年安保反対運動から実効性のない反体制人というレッテルのもとで拳をふりあげなければならなかった革命家であった吉本隆明が、安物の髪飾りに似た「思想」や「似非知識人」を激しく憎悪したのは当然であったろう。 いまは政治らしきものや思想らしきものについて茶飲み話をするのが楽しみのひとびとのヒマ人の悪い息で濁った空気の茶の間でのみ名前があがる存在になった自分達の姿を見て、ふたりはどんな感想をもつだろう、と思うことがある。 小林秀雄は、そっぽを向いて、空をみあげているだろうが、ばななとーちゃんのほうは案外と、娘であるばななさんがいまも惜しむ、やさしい笑顔を向けて、それでいいのさ、と静かに述べるのかも知れません。

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Orphan Black的日常世界について

Tatiana Maslanyが主演しているというのでカナダのテレビドラマ「Orphan Black」を観だしたら止まらなくなってしまった。 http://www.imdb.com/title/tt2234222/ カナダではSpaceでアメリカではBBC Americaで放映しているこのSFドラマは、カテゴリーはSFでも時代は近未来ですらない「いま」で人間のクローンが主人公だが、これだけ英語圏で話題になれば日本の会社でもどこかが放映権を買うだろうから、筋立ての詳細に立ち入るのはフェアではない。 初め、なんの気なしに番組を見始めて数分間はイギリスのドラマだと思い込んでいたのは、初めに出てくる主人公と弟がイギリスアクセントの英語を話していたからで、それにしては駅がイギリスぽくないな、とか、なんでここで北米人が出てくるのかな、とおもっているうちに、舞台がモントリオールで、主人公たちはイギリスからの移民であると気が付いた。 カナダは自分にとって馴染みのない国なので、これはオモロイかも、と思ってマジメに見始めたら、いきなり過去のエピソードを全部観てしまうくらい出来のよいドラマだった。 何人か知り合いがいるだけで見知らぬ国であるカナダの町を画面のなかで眺めるのは、それだけでも楽しい。 主人公の弟の部屋でラジオから流れてくるのが、さっきまで観ていたフランスのドラマでも流れていた、Coeur de pirate であったりするのも楽しいが、カナダという国を知らない人間の目には、イギリスにもアメリカにも、ときには大陸欧州的にも見える町は、魅力的である。 日本のことを思い出してみると、Orphan Blackを観ることは日本の人にとっては現代世界について勉強することにもなるのではないかと、ふと考えた。 クローンのひとりである刑事の仕事上のパートナーはアフリカン・カナディアンで、他のクローンのひとりはウクライナ人、弟はバリバリのハードゲイで、クローンのなかで研究者になったひとりのセクシュアリティも女同士のあいだにある。 物理的な産みの親はイギリスのアフリカ移民、また別のクローンのふたりの養子は両親とは肌の色が違う子供である。 モントリオールがフランス語を公用語のひとつとするケベックの首都であることを別にして、登場人物たちが英語の会話にときどきフランス語を混ぜて、会話のアクセントにするのも他の英語圏の国と共通している。 このドラマの背景として出てくる「多文化社会」は特にこのドラマの嗜好がそうなのではなくて、もともと英語圏全体、いまは欧州の過半も含めた世界中の「新しい社会のありのままの姿」であると思う。 特に文化という、場合によってはとらえどころがないことでなくても、太平洋を巡る船乗りのあいだでは、「バンクーバーとオークランドが(町として物理的に)そっくりである」という話はよく出てくる。 いまはもう死んだはずの日本人の船医のエッセイにも酔っぱらってホテルに帰ろうと思って自分がバンクーバーにいるのかオークランドにいるのか判らなくなって途方にくれる話があったと思うが、バンクーバーとオークランド、場合によってはシアトルの町の類似性はよくいろいろな話にでてきて、「国」というようなものは、そういう町の通りの姿からも存在の必然性が怪しくなっている。 日本では面と向かって訊ねてみると「アメリカが好きだ」という人は少ない。 特に年齢層が40代以上になると日本は洋化されたと言ってもアメリカの影響よりもヨーロッパの影響のほうが強いと考える人が多いように見えたが、ぼくの眼には日本の人の考える「西洋」はほとんどそのままアメリカであるようにみえた。 ややこしいことを言うとおもいのほかフランスを始めとした大陸欧州文明の影響を強く受けているアメリカのほうが日本の人が考えるヨーロッパよりも欧州的であることに、そういうことを考えるためのヒントがあるだろう。 アメリカの流行については敏感だがヨーロッパの話になると古色蒼然としたイメジが語られて、よくて、せいぜい80年代の欧州の話なので、聞いていると「いったいいつのヨーロッパの話ですか?」と茶化したくなって困るのでもある。 アメリカは英語圏のなかでは最も保守的な国で、移民の国でありながら、頑なに伝統価値にこだわって変わろうとしない国として知られている。 髪型ひとつとってもアメリカ人は髪型で人間性を判断しようとする、ほぼ無意識なすごい癖がある。 テレビを観て観察していると判るがアメリカでは女びとの「ショートカット」ですら、やや反社会的である。 「ええええええー、わたし、アメリカに20年住んでるけど、そんなことないよおおお」という声が聞こえてきそうだが、髪を緑色に染めて3フィートくらいおったててみせるのと異なって、そういうことは(subtle)x0.2なことなので、髪をおもいきって短くした当の女びとすら自分が求めている「効果」に気づかないことがあって、まして非英語人に見えにくい。(←ちょっとひどい) あるいはニュージーランドのオークランドに住む人間は、ふつーにTシャツにショーツ、裸足でクルマを運転していって、裸足のままスーパーマーケットで買い物して帰ってくるが、マンハッタンではショーツで歩くのには、いろいろ心理的な制約が生じる。 これも「ええええー。マンハッタンなんども行ったけど、ショーツにスニーカーの人いっぱいいるじゃない。ばかみたい」という人がいるだろうが、あれは観光客であることを自己主張しているような恰好なだけで、自分のアパートのまわりにある馴染みの店にショーツででかけるのは巨大な心理的抵抗を伴う。 わかりやすいほうの例を挙げると、「裸足はダメよ」サインはアメリカの観光地の至る所にあるが、ニュージーランドでは見たことがない。 男の髪型に至っては、もっと了簡がせまくて、オフィスワーカーカットでなしに普通の人間として扱ってもらうためには、よほど特別な人間であることを要する。 そういうことについてはイギリスのほうが遙かに自由で、どういう奇怪なかっこうで出かけても、扱いが変わるということはまずないと思われる。 もちろんショーツ姿や登山に行くような恰好でシナモンクラブに行けばウエイターがテーブルにやってこないかもしれないが、それはどちらかといえば、あまりのことに畏れをなしているので、話が異なる。 ニューヨークを「人種のるつぼ」というが、他の英語圏の都市に較べると、どちらかというと「人種のモザイク」で、エスニックグループが、それぞれ同種人で寄り添って、CBDで他グループからやってきた人間と協同で作業をしているだけだ、と言えば言えなくも無い。 ひとつの社会が人種差別の壁を乗り越えて、やがて壁があとかたもなく崩壊するまでの行程は、ふつう、異人種間のカップル→異人種間の友達という方向ですすむのであって、その逆ではない。 ある町に、たとえばアジア人に対する差別があるかどうかを知るには高校の門の前にクルマを駐めて、下校する生徒たちがどんな組み合わせかを観察するのが最も簡便で正確だと思う。 金髪碧眼でいかにも学校のなかで人気がありそうなすらりとした女の子とインド人の子や肌が真っ白で赤毛の女の子と東アジアの子が手をつないで帰ってゆくような学校がある町には人種差別は通常存在しない。 最も人種差別が激しい町は、異人種同士のカップルを、そっと盗み観る人がいる町である。 … Continue reading

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木の言葉、森の言語

日本にいたときには、ときどき稲城にある米軍多摩キャンプのキャンプ場へ行った。 たしか「Tama Hills Recreation Center」という名前だったと思う。 門をはいって、チェックインしてから奥へはいっていくと、「日本の森」の匂いがぷううーんとして、まるでトトロの世界にはいりこんだようだった。 軽井沢の森よりもずっと深くて、濃密で、おおげさに言えばアニミズム的な感興を起こす森で、その森の空気がなにかに満たされているような感じにひたりたくてでかけた。 シャワー室からなにから「西洋式」で、とまどいがないというか、いちいち、えええとここは日本だからこれはこうするのだな、と頭のなかで習慣の変換を行わなくてもよいので楽だったということもある。 物理的にシャワーヘッドがちゃんと自分の頭より高いところにあったりするのは、心地が良くて、なんだか場所ごと歓迎してくれているような気がした。 全部英語で用が足りるので、その点でも気楽なものだった。 お互いの区画が茂みやヘッジで見えないようになっている600平方メートルくらいの空き地があちこちにあって、それが一家族用のテントを張るスペースになっている。 いまはニュージーランドも同じやりかたをする人が増えたが、アメリカ人はむかしから、飲み物用テント、キッチン用テント、めいめいのベッドルーム用のテント、ラウンジテント、といくつものテントを張って、おおげさなキャンピングをする。 まるで基地の設営だが、アメリカ人たちは実際にも軍人なので手際がよくて、ぼくが自分のテントを完成させて他人のテントを手伝いはじめるころには、あっというまに他用途のいくつものテントをつくって、ビールをテーブルに出し始めているのが常だった。 池子の森は旧帝国海軍の弾薬庫だが、稲城の森は旧陸軍の弾薬庫で、森のあちこちにあるコンクリートの弾薬庫を探検した。 道から外れた、濃い緑に埋もれるように残っているコンクリートの建物群は、ちょうどサイパンかどこかの要塞のあとのようで、古代遺跡のようにもみえた。 アメリカ人達は「日本人たちに土地を返しても、どうせラブホテルやパチンコ!になるだけさ」と言って笑っていたが、ぼくのほうは、夜中にひとりで起き上がって森のなかを散歩すると、映画や本に出てくる「むかしの日本」、それも初めてジブリのアニメで観たとき、あれほど感動した「多摩の森」が現実のものとして目の前にあることが信じられなかった。 米軍の占領によって、多摩の森の一角が、切り取られて、そこだけ時間が止まってしまっていた。 夜中に稲城キャンプを散歩した人はわかると思うが、ほんとうに「猫バス」の停留所があって、精霊たちのバスが走ってきそうな感じがする。 宮崎駿のアニメ世界全体は宮崎の「miss」の感覚でできているが、その英語の「miss」が適当で日本語ではうまくあてはまる言葉が見あたらない感情が、具体的には何を対象としているのか、深夜の稲城の森のなかにじっと立っているとわかってくるような気がする。 ラフカディオ・ハーンの書いたもののなかに鳥取の伐られるところを助けられた柳の木の精霊がお礼を述べにくる民話にもとづいた物語があるが、日本人はよく知られているように「生きとし生けるものすべて」に精霊をみてきた。 いまでは虫から人間まで生命の尊さはみな同じだからだと伝統を説明する日本の人が多いが、多分、それは仏教を援用した後付けの理屈で、もともとは深い森をもつ山々が平地に迫っている地形で毎日を過ごした日本人が自然に対してもっていた「畏れ」の感情だろう。 特に夜には山は黒々として、一種宗教的な威圧を人間に対して加える。 子供の時に富士急ハイランドの近くのホテルだったと思うが、かーちゃんに連れられて一泊の旅をしたことがある。 箱根・富士の方角にでかけるときは、たいてい西武系のホテルだったが、そのときはどういう事情か忘れたが箱根側でないホテルにとまった。 まわりを見渡して「夜だと富士山みえないね」と述べていると、目の前に妹がなんだか怯えたように目をまんまるに見開いて「おにーちゃん、うしろ…」という、言われてふりかえったら、転びそうになった。 真っ黒な、人間味を帯びたような巨大な富士山がそこには立っていて、泣き出したくなるほどの怖さだった。 あるいは、ずっとあとで、高校生のときに立ち寄った日本で、従兄弟と中禅寺湖のまんなかへカヤックで出ていったことがある。 他にはまったくボートがなく、人影さえもなくて、のんびり湖面をみながらカヤックを並べて駄弁っていたが、ある瞬間から急に奇妙に落ち着かない気持になって、遠くに見えている山や、低く垂れ込める層雲や、湖畔の木々まで奇妙なくらい霊的な感じがしはじめて、ふたりで同時にあわててパドルを動かして逃げ帰ってきたこともあった。 霊的、と書くと笑う人がいるだろう。 ぼくも「霊的存在」というようなものは信じないが、単純にそのときの従兄弟とぼくの心を同時に鷲摑みにした感情を描写するためには「霊的な感じ」と書くほかはない。 そういう体験から考えて、日本人の世界観はもともと地も草も精霊にぐっしょり濡れた世界観であったと考える習慣がぼくにはある。 水木しげるが貸本マンガ家から雑誌マンガに移行したあと、比較的初期の頃によくでてきたキャラクタに「サラリーマン山田」というのがある。 http://diary123go.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=14520151&i=201109/08/12/d0178412_2285695.jpg このひとは、手塚治虫に倣ったスターシステムに従って、いろいろな役柄で登場するが、たとえばこのキャラクタが兵隊になって南方の戦線に送られると、マンガのコマに不思議な光景が現出する。 前面に出て「タハッ」とか述べている山田二等兵は一筆書きのようなチョーいいかげんな絵なのに、よく見ると、後ろのジャングルは微に入り細を穿ち、まったく不必要な細密さで描きこまれている。 会話も筋立てもとんでもないいいかげんさのものが水木しげるの短編マンガには多いが、ところがそれが「名作」で、なんども読み返すことになるのは、理由をせんじつめて追究すれば後景のせいであるということに気が付く。 水木しげるの世界観は、少なくとも絵柄だけからみると、個々の人間になどたいした興味は無くて、自然、それも精霊を水分のようにたっぷり含んだ自然の一部としての人間にのみ関心を持っているようにみえる。 稲城キャンプで夜中に目をみひらいて、森の奥をのぞきこんでいたぼくがみていたものは、宮崎駿がmissの感情にとらわれ、水木しげるがそちらの側から人間世界のほうをみている「人間よりも濃密な意識をもつ自然」なのであると思う。 このブログには繰り返し繰り返し日本語という言語が絶対性とは無関係のところで成立したようにみえることの不思議さと、そのことが社会にもたらす影響についての話がでてくる。 この絶対性の欠落、というよりも相対性の支配は、神という垂直な光の塔がないところで人間同士のあいだに観念の垂直性を欠いた水平な関係のありようから生まれた、と説明するのが最も楽だが、稲城キャンプで実見した、ほんの50年前には多摩のような都市郊外に残っていたはずの「濃密な自然」を考えると、案外と、人間を取り巻いていた「自然」そのものから生まれたものであるかも知れないと考えることがある。 … Continue reading

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カルーツァの水練

ドイツの数学者Theodor Kaluzaは30代になってからまったく水のなかで練習することなしにただ本を読むことによって水泳を学習していきなり長いあいだ水泳をしてきたひとのように泳ぐことができたので有名である。 この話はあまりに有名なので、多分、少なくともヨーロッパでは超弦理論につながったカルツァ=クライン理論よりもよく知られていると思われる。 このひとはまた本人が最も好んだというアラビア語を含む17カ国語を流暢に話したことでも他人を驚かせた。 むかしクリケットのコーチをしたときに面白い子供に出会ったことがある。 「左肘を2インチ上げて、バットを内側に5度いれて」というと、その通りに修正する。それは誰にでもできそうでいて現実には出来るはずがないことなのだが、この子供はそれが出来た。 面白がってフランス語の発音を教えてみると、口の形や舌の位置を言葉で教えると、その通りの発音ができる。 うーむ、と考えました。 観念をそのまま現実に変換できる能力は本来は人間には備わっていないはずの能力で、だからこそ「畳の上の水練」という言葉があり、「Practice makes perfect」という格言がある。 誰もが観念の現実化という怖ろしい難関に直面する、例の、あんな恥ずかしいことやこんなはしたないことをしてしまうに至る、通常は訓練を要する肉体の活動についても、アメリカのSF作家ロバート・ハインラインですら “Sex, whatever else it is, is an athletic skill. The more you practice, the more you can, the more you want to, the more you enjoy it, the … Continue reading

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ビンボについての教科書的な事実

いまのアメリカの苛酷な競争経済社会は、もともと日本という経済上のモンスターと戦うための変革だった。 日本語以外の言語で20世紀後半の経済報道アーカイブを読んでいけばわかるが、死の淵から蘇った国家社会主義経済の亡霊のような姿の日本は手がつけられないほど世界じゅうからオカネをかき集めてしまう国で、1980年代には日本だけが繁栄して他の国はすべてオトーサンの悲劇に陥るのではないか、とマジメに心配しなければならなかった。 なにしろ日本は、といっても具体的には三菱グループだが、ロックフェラーセンターまで買い取ってしまったのである。 日本にはロックフェラーセンターにあたる建物はないが、ヘンな例をだすと靖国神社を中国政府が買い取ってしまったといえばいいか、吹上御所をバンクオブアメリカが買い取ってしまったといえばいいか、そういう事象と等価な衝撃だった。 しかもソニーはコロンビア・ピクチャーズをも買ってしまった。 アメリカ映画人にとっては「魂の一部」を買い取られてしまったのと同じ事なので、ハリウッド人挙げての怨日の声の原因になった。 情報学会ではインテルの発表があるときには日本の若い企業研究者たちの黒々とした頭が最前列に並ぶのが見慣れた光景になった。 発表の勘所が終わると発表の終わりを待たずにどっと出口に向かって駈けだしていって、我先にファックスにとりついて日本にインテルが発表した技術の内容を日本の本社に流すのが学会の風物になっていた。 ずっとあとでインテル本社の近くにチョーおいしいホットドッグ屋が出来て、インテル社員たちの昼食の巣になったときに台湾人たちが、突然、妙にホットドッグ好きになって、インテル技術社員たちのテーブルをまるで包囲するように陣取って、ホットドッグを楽しむふりをしながら、そっとインテル社員たちの会話を録音していたりしていたのと似ているといえば似ている。 円安で日本人自身が気が付かないうちにだんだん貧乏になってゆく、いまのアベノミクスの日本とちょうど逆に、1985年のプラザ合意を出発点にして、円高にむかいはじめ、アメリカドルからみれば戦後ながいあいだ1ドル=360円だったのだからあたりまえだが、日本は1ドル=150円になる頃には1億円が(アメリカ人からみれば)2.4億円になったわけで、日本人は自分自身でも訳がわからないくらい「オカネモチ」になった。 http://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_asset_price_bubble わしガキの頃(90年代初頭)でもたとえばサーファーズパラダイスは日本の町のようだったし、いま調べてみると青木建設が買収したらしいウエスティングループのホテルに泊まると、やたらめたら日本語のサインがあって、異様な感じがしたのをおぼえている。 2011年にマンハッタンの5th Ave.を歩いていたら三菱グループのひとびとが直ぐ前を歩いていて、なかの年長のリーダー格らしい男がロックフェラーセンターを指さして、 「あれもうちの会社のものだったのにアメちゃんに取られちゃったしなあー」と、すごおおく大きな、でも十分に情けない声で叫んだので、可笑しくて、笑いをこらえるのに苦労したことがあったが、ロックフェラーセンターだけではなくて、世界中のめぼしいビルはほぼ日本のものと言いたくなるくらい買い占められてしまって、たとえばクライストチャーチで最もおおきなオフィスビルであるクラレンドンタワーもリフトに乗り込むと「虎ノ門実業会館所有」というようなことが書いてあった。 アメリカ人は、あまりに派手に経済的に敗北したので、とりあえず「日本人は汚い手を使っている」ということにした。 日本の企業は社員を奴隷のように使って酷使することによって生産性の差をつけようとしている。 日本政府、特にMITIは言葉にされた貿易取り決め以外のところで、いろいろな民間企業と談合して、「見えない貿易障壁」をつくっている。 日本はCPUデザインのような基礎技術を盗んで、基礎開発費をまったくかけないまま、いわばアメリカ企業の開発コストで製品をつくっている。 日本ではあんまり報道されなかったが、欧州人のほうはもっとすごくて、報道記事を読んでいると粗衣蓬髪の主婦と子供を掘立て小屋の非文明的生活におきざりにして、朝早くから夜更けまで仕事に明け暮れる日本の会社員で埋めつくされた日本という国のイメージは、新聞や、ずっと敬遠されていて、ようやくその頃人気があるメディアになりつつあったテレビを通じてひとびとのあいだに広まっていった。 いまのアメリカの産業は、当時の、国民全体で、もう少しで国がなくなるところまでいったという実感をもった、日本が繁栄した時代の反省に立っている。 時間稼ぎのためにスーパー301条のような棍棒を発明しなければならなくなる事態はアメリカ人にとっても十分に異常事態で、そんなことばかりやっているとほんとうに国が滅びる、というまっとうな危機意識があったように見える。 まず知的財産権を整備して、基礎技術の核心部分をコピペできないようにした。 たとえばNECの「国民機」PC9801シリーズが急速に衰退に向かった直截の原因は、それまで2バイトコードである日本語の「言語の壁」によって隔てられていた「日本マーケット」と「世界マーケット」がDOS/Vによって壊されて、あっというまに、同じ性能ならば半額以下のIBM互換機に市場を奪われていったからだが、背景の、もっと遠くにある理由にはちょうど9801が全盛期を迎えつつある頃にNECが開発したV30 (英語世界ではV20のバリエーションに数えられるの)のマイクロコードがインテルのものと酷似していたために訴訟を起こされたことにある。 http://digitalcommons.law.scu.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1031&context=chtlj 製造業は個人の生活を犠牲にして企業に献身することになれている労働力が豊富にある日本に太刀打ちできないのは当時でも判りきったことだったが、もうひとつ重要なのは、製造業に拠ってはたとえ成功しても社員ひとりひとりが豊かな生活を送るだけの休暇と賃金をうみだすことができない、という現実だった。 アメリカ人はもともと勤勉な上に手先が器用でものをつくるのが好きな国民である。 その伝統的な手作業の技術の高さは戦前のクライスラーの美しいどころではない流線形のボディを見ればわかる。 実際、かつては日本においてもアメリカ工業製品の品質の高さは有名で、60年代の森繁久弥や小林桂樹、三木のり平が大活躍する「社長シリーズ」や植木等の「無責任男シリーズ」を見ても、身分の高い人間が乗るクルマはどれも左ハンドルのアメリカ車である。 製造業が発達した社会の(指導層からみて)扱いやすい点は放っておいても広汎で分厚い「中間層」が形成されることで、よくハンバーガーにたとえられるが、まんなかのパテ=中間層が充実しておいしければ消費市場で売るほうのマーケティングも楽で、治安を保つのも簡単、政治家やほとんどやることがないというくらいイージーメンテナンスの社会が出来上がる。 欠点は利益率が絶えず縮小することで、インフラストラクチャを整備することを学んだどこかの国が壁をこえて参入してくるたびに価格も利益も劇的に低下する。 大都市で1年の収入が3万ドル以上必要な頃になるとアメリカの製造業中心の社会は、もうこのタイプの競争に耐えられなくなっていた。 よく例にあがるミシガン州のフリント http://en.wikipedia.org/wiki/Flint,_Michigan が典型だが、製造業は、資本を集中させなければならないせいで、いったん下降しだすと治安、教育、雇用の面で社会へのインパクトが強く手がつけられなく傾向がある。 アメリカはそのために高い生産性をめざして、まず産業がソフトウエア化されるところから始まった。 Appleのように、みかけはハードウエアの会社にみえるが、現実は初期にはハードウエアがAppleによってデザインされた「定型」の範疇におさまるソフトウエアを実現するための箱にしかすぎず、どうしてもコンピュータビジネスを理解できなかったスカリーの時代をはさんだあとの後期にはビジネスモデルを実現するためのデバイスにすぎない会社を含めてもよいと思う。 やがてソフトウエアビジネスは、インターネットビジネスに変貌し、現代数学を直截多用することによって常に動的な経済世界という前代未聞の経済思想を獲得したあとは、いわゆる「IT革命」を突き進んでいった。 そうして何が起こったかというと、いま起きていることは経済効率原理主義とでもいうべき運動で、すべての社会の評価が「生産性があるかどうか」に集約されている。 … Continue reading

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影のなかの太陽

自分達の教典(コラン)が悪魔によって改訂されたものではないか、という疑いがムスリム学者にとってのおおきな問題であることはよく知られている。 原典へ向かって時間をさかのぼって研究すればするほど紛失されたとしかおもえないページや、相互に矛盾し、書き換えられている疑いのある箇所がでてきて、ムスリム学者たちを苦しめてきた。 本来、コランは聖書に優越する完璧さを備えていることがムスリムの宗教としての根幹だからです。 神や悪魔について述べると、日本語インターネットでの反応はだいたい決まっていて、「中二病」(子供っぽい妄想のことらしい)治せよ、か、頭のわるいカトリックの神父が立腹したときに述べそうなことを述べるか、だいたいどちらかである。 日本語は「神」を仮定していない言語である、と何度も書いたが、もう少し詳しく述べると、言語体系は神を仮定していないが、日本人自身の世界観は絶対神を仮定している。 どうしてそんな器用なことが出来るかというと、日本語そのものが漢文の脚注として出発した言語なので、レ点と送り仮名の代わりに今度は「カタカナ」を使って、西洋を取り込むことにしたので本文は西洋人まかせで、西洋言語がそもそも立脚する絶対神の仮定から派生するさまざまな問題やissueは、本文制作者の「本家」に考えさせればいいことになっているからである。 神について述べる人間を「中二病」と呼んで薄笑いを浮かべる人間は、だから、要するに絶対神の体系が見いだしてきた哲学と科学の方法の成果によりかかって「神なんているわけねーだろ、おまえバカか」と述べているわけで、なんだか椰子の木を伐ってつくった「飛行機」を原っぱにならべて飛行場にみたてたマイクロネジア人の故事を思わせる。 神と悪魔が二項対立の存在でないことはキリスト教世界に生まれついたものならば感覚的にわかっている。 悪魔がもともと大天使だからで、そこにわだかまっているのは、人間の言葉に無理をして翻訳してもせいぜい「嫉妬」で、より優れたものを嫉妬している人間とその対象とを二項対立だと思う人間はいないだろう。 哲学化された後の仏教では生命のあるものの「此岸」と「彼岸」を川をはさんだイメージで対比させるが、キリスト教では、生と死がひと続きの思想が宗教成立以前の下敷きになってしまっているのに気づく。 スウェーデンボルグが死と生のあいだを自由に行き来するイメージをもったのは、それを聖書から感じていたせいで、意識の経過としての時間と空間が別種の(時間をもたない)空間として視覚化されるイメジで宇宙を考えることが出来たので、「宇宙は人間の形をしていた」という表現が生まれてきたのだと思う。 前にも書いたことがあるが、ところどころにコルクの自生林があるスペインの田舎を歩いていると、だいたい11世紀頃にはネットワークとして完成していたこういう「行商人の道」沿いにはネクロポリスや小さな悪魔の像までがあって、キリスト教の信仰が神への信仰だけで出来ているわけでないことが実感される。 行商人の道ぞいを歩いている時に経験した不思議な感覚の経験は前にこのブログ記事に書いたが、あの「悪意」の感覚は、人間の文明を通過しないでいきなり提示されているというか、世間の都合によらない、そんなものにはおかまいなしの圧倒的なもので、言語が予期するよりも遙かに「絶対性」を帯びている。 日本語を学習して最もよいことのひとつは明示的な形で絶対性をもつものが価値の中心にあるものを外から、というよりも違う場所から、眺められることだろう。 ちょっと失礼な言い方になるが、島から霧が晴れた対岸にみえる大陸を観ている感覚に似ている。 現代日本社会で日本人が苦しんでいる多くの問題の根本は、日本語という言語に絶対中心が欠落していることに由来している。 あらゆる科学的方法を駆使して、手続きを検証して、その場の気温が43℃であると測定されたあとにやってきて、「いや、43℃ではたいへんだから、せめて39℃にしましょう」と温厚な人間が述べると、みなで微笑しながらうなづいて、それもそうですね、39℃のほうがいいかもしれない、と言って、善意でその場の気温を39℃にしてしまう危うさがある。 義理叔父の従兄弟を日本語でなんというのか知らないが、そのひとが政府から都庁に出向して、いならぶ部下が全員自分より年齢が上で給料も高いという不思議な職業生活を送っていたころ、地震被害者数の算定をしたら、次の日に上司に呼び出されて、「こんなものを発表したら世間を騒がせてたいへんなことになるから、ゼロをひとつ落としなさい」と穏やかに諭されたという。 25歳だったというそのひとは、「それもそーか」と思って、あっさりゼロを全文書からひとつ落として、「ワープロの置換機能って便利だなーと初めて思った」と言って笑っていたが、日本語においては、「置換」されてしまった事実はもっとたくさんあるのは容易に想像が付く。 そのくらいのことは、どこの国でもやっているに違いない、ときみは言うだろうが、 ここにひとつおおきな違いがあって、西洋語で思考する人間は「世間のためにゼロをひとつ落とす」ことが重大な悪業であることを知っている。 日本語で考える人の頭のなかを、自分でも日本語で問題を(無理だったが)再現しようとしたり、福島第一事故のあとに起きたいろいろな経過を眺めて観察すると、 西洋語文脈からきた「現実を枉げるのはよくない」という部屋にぼんやりと反響する「良心の声」は背景で、力点は「これが現実であると困る」ということのほうにあるらしい。 「たとえ放射能の害が致命的であると判ったときでも、あなたは日本国民にそこから動くなと言う覚悟がありますか?という議論は政治家の方々と何度もしました」と「責任ある要路のひと」として悲壮な口調で述べた東京大学の科学者がいたが、「覚悟」をもちうるのは、問題が人間の世界にとどまっていると誤解しているからで、原子力エネルギーの真の問題はそれがいまの技術レベルでは、火をともすことはできても、そのあとは、人間に制御もできなければ消すことも、拡散することも防ぐことができないことにあって、そういう問題の対処は実は、冗談じみているが、「神学」のほうが詳しい。 わかりやすくするために福島事故の例のような(現実は重大な被害でも)論理としては派生的な事象を挙げたが、人間と人間の情緒がもたれあっていて、上を見上げることなく、お互いの顔色だけを観察しながら「真実」が決まってゆく日本語の世界では主にインターネットコミュニティが原因であるようにみえる「詭弁」のパターンがいくつか定着することによって一層ひどくなった。 2006年に(その頃はゲームブログだったが)このブログ記事を始めた頃は、「日本は全体主義的な傾向を強める可能性がある」と述べると、「ごく一握りの、しかもあなたのようなバカな人間しか読まない2ちゃんねらーのような特殊なクズの集まりが言っていることによって平均的な日本人が右翼的な傾きをもっているようなことを言うなんて許せない」という人が集団でやってきたものだった。 2013年には、なんのことはない、日本の首相が、「クズ」と同じ考えを演説で述べて行動でも示している。 大阪市長などは、インターネット上で開発された詭弁の使い手という点では、さらに洗練されて、名人の域に達しているのではないか。 この大阪市長が議論を「喧嘩の勝ち負け」で表現することが多いのは象徴的で、意識的な方法としての「議論」の発明者ソクラテスの昔から、議論は実際には「なにが正しいのか」を見いだすために行われるが、絶対が存在しない社会では、当然、勝ち負けの問題にそのまま変換されるので、このひとは「日本語」という言語のなかではまったく正しいレトリックを用いているだけであって、他でもない日本語マスメディアから非難されるのは気の毒な感じがする。 一方で、相手にしたくもない、という態度がありありとわかる(英語国である)アメリカ合衆国のほうは、冷笑というか、呆れてなにを言えば良いか判らない、という表情に終始するのを観て、この市長は激昂して演説を繰り返したあとで、「見よ、これこそが私が述べた白人の傲慢というものだ」と勝ち誇ってみせたが、接点がないというか、アメリカ人たちのほうは「なんだかんだ言っても議論は勝ち負けだ」といういかにも神など存在しない幼稚なセリフを聞いて、新入生に小学校の教科書を配布して「講義」をしなければならなくなった大学教師のような気持になっただろう。 自分がやっていることがバカバカしくなったに違いなくて、そういうことをアメリカ人に教え得た点では、大阪市長は有意義な政治行動を取ったのだと言えなくもない。 「絶対」は殆ど定義として言語による思考が及ばない存在を指す。 思考の実体である言語の体系そのものに絶対を欠いている「宇宙のことがなんでも説明できる言語」は、多分、人間にとって最も危険な道具になりうる。 キュビエはラマルクのデッタラメな進化論に憤慨しながら死んだが、このひとの「天変地異説」は極めて「実証科学的」で隙がないもので、この時代にキュビエの本を読んで進化論を否定できなかった人はよほど古生物学の素養がない人だったと思われる。 この例も(本が手に入りやすいという理由で)何度か挙げたがプトレマイオスの天動説の体系は、手続き主義的には「完璧」に近い。 観察事実をつみあげれば、当然こうなる以外にない、というお話しの展開で、当時すでに存在した地動説の「事実を欠いたただのお話し」とは次元が異なる「科学的真実」だった。 17世紀のティコ・ブラーへに至っては、観察科学の鏡のような天文学者だった。 膀胱が破裂して死ぬまで我慢するひとの忍耐力で観察をつづけたこの偉大な科学者は、しかし、言うまでもなく天動説の支持者だった。 では進化論や地動説が、チョーいいかげんな「現実観察」に基づいていながら、なぜ発掘と発掘事実の解釈の水準に(主に他分野からきた)ブレークスルーが出来、観測機器の精度があがって、次第に真理であると認められるまで生き延びられたかといえば、なにしろ「絶対」が存在するので、その絶対が映し出す地上の影にすぎない人間の頭から生まれた仮説は、どうがんばっても、すべて相対的なものにしかすぎなくて、どんなに100%真実にみえても、ほんとでないことがあるみたい、と人間のほうでも知っていたからである。 神さえ存在しなければ南京虐殺くらいはなかったことにするのは「お茶の子さいさい」で簡単なことだろう。 … Continue reading

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