Monthly Archives: June 2014

オペラの夜

Lorina GoreのViolettaでLa Traviataを演る、と書いてあるのを観て、 「お、行こう」と考える。 ニュージーランド、特にオークランドという町の長所は、どこへでもアクセスがよいところで、家から市の中心部までクルマで15分です。 Aotea Centreは出来たばかりの多目的ホールで、それまで使われていたCivic Centreの隣にある。 インド風の装飾がチョーかっこよかったCivic Centre時代には駐車場がなくてめんどくさかったが、Aotea Centreになってからは地下に駐車場が出来たので、便利になった。 オペラの夜は、コツがあって、オペラの前に夕ご飯を食べてしまうのが良い。 特にクルマを運転していくときは、ワインを飲んで食事をして、だいたい二時間半が多いオペラを見終わると、ちょうど醒めて、よい具合になる。 歌舞伎の幕の内弁当みたいというか、開演時間を考慮したDinner Optionがたいていついているが、Hotel DeBrett’sと書いてあって、Hotel DeBrett’sのレストランはおいしいものを出す良いレストランだが、劇場から遠すぎるのでもっと近いところにあるレストランに電話してモニとわしのテーブルを予約します。 モニさんが、どんな格好で出かけるかを決めるのを待ちながら、コロコロしているのもいつものことである。 少しだけ着飾って、ロングドレスのフィレンツェで買ったおおきな耳飾りをつけてあらわれたモニさんの姿を見定めて、それにあわせてシャツとジャケット。 一年に一回くらいしか穿かないせいで折り目がばっちし入っているズボンを穿いて、モニさんに横に並んでもらって、モニさんはいつものことだが、わし自身も、馬子にも衣装、おおおお、かっこいいと自分で感動してカップルの出来上がり。 あまりにかっこよかったので写真を撮ってしまった。 鏡のなかの自分を撮ると鏡のなかの自分は無様にカメラを構えているということに気が付いていなかったので、情けない写真しかとれない。 カメラを構えていない自分を撮る方法はないものだろーか、と呟いて、モニさんに不安そうな顔で横顔をのぞかれてしまった。 CBDにでかけるときは小さいほうのクルマで行くのがよい。 「小さいクルマ」というのはBMWの3シリーズのセダンのことで、同じ会社の「まんなかのクルマ」、その上に「おおきなクルマ」があって、あと「バス」「サンダーバード2号」と呼ばれるクルマがある。 滅多に乗らないが、マツダのMX5もあります。 NBで、いつもはガレージで寝ている。 よおおおし、今日はMX5ちゃんと遊んでくれるわ、と考えたときにだけ、いつもは外してあるバッテリーのケーブルをつないででかける。 オークランドはやったらめたらBMWが多い町で、オークランドの高速道路は混雑してくると流量調整で高速ランプに信号が灯って、いったん停止してから高速道路に乗るようになっているが、二車線に並んでランプで待っているクルマが前後左右全部BMWだったことすらある。 このブログを読んでくれている人は知っているとおり、わしはシトロンとかも好きだが、ニュージーランドではシトロンは日本車と同じくらいの価格帯で買えても、いったん壊れると、といって、シトロンに乗る人はよく知っていると思うが、ウインドーがなぜか4ついっせいに自動で下がる、とかワイパーが逆さまにとりつけてあったせいで、どっかにとんでいってしまう、いろいろと予期しない壊れかたをするのがシトロンを持つ楽しみのひとつで、楽しいのはいいが、ニュージーランドではシトロンの部品は調達に時間がかかるので有名で、6ヶ月、とかはふつーにかかる。 BMWは新品の部品はもちろん、中古の部品もオーストラリアかニュージーランドのどこかにはあるので、チョーがつくケチのわしでも、にっかりぴん、な値段で手に入ります。 むかし5000ドルで買ったミニ・クラブマンに乗っていたころは、シートのレールを改造してあったにも関わらず「ボリショイサーカスの熊みたい」と言われて、さんざんいじめられて、第一、クルマの床から道路の路面が見えるのをなんとかしなさい、とよくデートの女の子に怒られたが、BMWは小さいほうの3シリーズでも悠々と座れて、高速道路でジャギュアに右後方から、すうううっと近付いて、フォッケウルフのエンジン音を真似しながら、「ダダダダダダッ!」 一機撃墜、などと言って大人の遊びにひたる余裕も生まれる。 欧州では「社交界」というのは、ひとつなわけではない。 おおきく分けて「固い社交界」と「やわらかい社交界」があって、アメリカの芸能人たちや、日本でも、かつて夜の大統領官邸の廊下を跫音をしのばせて歩いて、決死の思いで東京へインドネシア政界の動きを報告していたりした、大統領への「人間の貢ぎ物」だった勇敢な女の人が出入りしているのは「やわらかい社交界」のほうです。 このやわらかい社交界には高級娼婦たちが花を添えるのが伝統で、社会がいまよりもずっと無軌道だった19世紀には、むしろ高級娼婦たちがこちらがわの社交界では中心だった。 その頃、性的な匂いが強いほうの社交界で1ヶ月のうち20日余は白い椿を、残りのピリオドの期間中は赤い椿を胸につけて「営業」していたのがLa TraviataのモデルになったMarie Duplessisで、そう考えるとなんだかものすごいが、「椿姫」は、この現実離れして見える物語を書いた Alexandre Dumas filsの体験に基づく、後半は事実がこうあってほしかった、という願望で書き換えられたドキュメンタリです。 現実のAlexandre Dumas filsは、説教癖から恋に落ちた相手のMarie … Continue reading

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距離と角度ということ

むかし、たいへんお行儀の悪い女の人の小説家が頻繁に話しかけに来たことがあって、欧州は全部ナチだろう、偉そうにすんな、から始まって、おまえのような白豚は滑稽だ、白人を人種差別できるのは日本人だけだ、その他いろいろ興味深いことを述べる人で、やる気があればこのブログの闇の奥にある過去記事に出て来ます。 最後は心から気の毒だと思うが、ぼくに向かって「白豚死ね!」と述べたら、かのひとはいかがおもいけむ、自分が罵倒されたと思った(←なんで?)日本の人たちの集団的サディズムの反撥にあってツイッタから追い出されてしまった。 勧めてくれる人も何人かいたので、この人が書いた手に入る本はみんな買ったが、欠点があって、物語の構成は良く出来ているのに、日本語の感覚が悪い人におもわれた。 それで物語の舞台になっているフランスの言語で全部書き直したら面白いのではないかと思って、いまのアカウントから2つ前くらいのツイッタアカウントで述べたら、本人も、ファンのひとも、もっとぶっくらこいたことには、この女の人の小説家と喧嘩をしたんだかなんだか、この作家を心底憎んでいるらしい日本人の女の人で、何通もemailを寄越して、作家がいかにフランス語が判っていないか、自分はこの人は狂人だろうと思っている、あんな人とまともに口を利くなんてあなたもおかしいのではないか、とよく書いてきた人まで、ぼくが小説を賞めたのだと考えたようでした。 あんなくだらないせいぜい宝塚歌劇でしかない小説をほめるなんて、あなたは小説が読めないのではないか、とまで書いてあった。 ぼくは結局一冊読んだだけで、「日本語の表現が大事にされていなくて粗い」という理由で読むのをやめてしまったが、物語のつくりかたは企みとして古いと思っても、表現を別にすれば日本では珍しい物語のつくりかただったので、そこまで悪口を述べるのはフェアでないと考えたものだった。 ついでに、sarcasmということが判らない国民性は健全だと恥じ入りました。 sarcasmはイギリス人の忌まわしい天性で、表現の多重性、物語の構造の多重性と並んで、いまでは鬱陶しいだけになってしまっているのに、イギリス人は呪いがかかってでもいるように止められない。 Helter Skelterはポール・マッカートニーやジョン・レノンが育った連合王国の町ではただ螺旋形の滑り台のことで、子供がくるくるまわる滑り台で「きゃあああ」になるというだけの意味だが、カリフォルニア人のチャールズ・マンソンは、白人と黒人の人種間の緊張が生み出す apocalypseを暗示する悪魔的な言葉だと考えてしまった。 ジョン・レノンはイギリス人らしい悪癖の持ち主で言葉の二重性や発言の二重性にひとびとがくびをひねるのを見て楽しむ悪い趣味があった。 チャールズ・マンソンたちが臨月だった女優シャロン・テートを惨殺したあと、インタビューで「皆が盛んに『言葉が真に意味すること』を探し回って右往左往するのが楽しくて、ほんとうは深い意味がないのに、あるようなふりをしてしまった。よくないことだった」と反省しているが、よくないもなにも物語や語彙に多重性を求めるのは欧州ではイナカモノの悪趣味であるにしか過ぎない。 「好きなバンドはたくさんありすぎて言えないけど、嫌いなバンドなら簡単に言えるわよ、ビートルズ! あの、歌詞にカエルでも判るような二重性を持たせて知的な作業だと思い込んでいる頭の悪さがたまらないの! 虫酸が走る」と(調子は静かでも)激しい言葉を述べて、びっくりさせたギリシャ人(母親)とイギリス人混血の大学の女友達がいたが、判らなくはない。 モンティ・パイソンの有名なスキットに「Vercottiインタビュー」がある。 モブのVercottiにレポーターがインタビューする. Dougがいかに無慈悲な人物であるかについてVercottiはこんなふうに説明する。 Doug! I was terrified of him. Everyone was terrified of Doug. I’ve seen grown men pull their own heads off rather than see … Continue reading

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No worries

頑張らない、我慢しない、やりたくないことはやらない、と書くと日本語なら「座右の銘」みたいになってしまうが、こうやって意識にのぼるのは多分日本語で話をしているからで、そんなのはずっとあたりまえのことだと思っていた。 父親も母親もやりたくないことはやらないひとびとであるし、妹も同じ。 本人にいたってはやりたいこともやらないでずるずる午寝してしまう怠けものなので、頑張る、とか我慢するとかは、やろうと思っても、そもそも能力的に無理、ということがあったと思う。 それでも30歳くらいまで支払いが予定されていた両親からの金銭的援助は20歳のときにはいらなくなったので、ご辞退いたします、になったし、スーパーマーケットからカーヤードまで、何かを購買するときに値札をみる必要がなくなった(と言ってもケチなのでやはり値段を見て安いところで買うが)ので、人間などは努力しても努力しなくても、たいして行く末に変わりはないのではないだろうか。 かーちゃんのとーちゃんは、よく、「人間にとってもっとも大事なことは、青空を見て青いと認識できることではなくて、青空を感じられることである」というようなことを述べた。 いま考えても説教師じみてヘンなじーさんだが、多分、クリケットの試合が終わるとダッシュで戻ってきて、そのまま夕飯を食べるのもめんどくさそうに本ばかり読んで、それどころか放置しておくとデスクの明かりを灯してなんだか一心不乱に計算したりしている孫を「このまま放っておくとアホになる」と憐れんだからでしょう。 数学が好きな子供はほっておいても数学のことばかり考えているし、クリケットが好きな子供はクリケットばかりやっている。 どんな怠けものの子供でも本が好きな子供は、おとなの数倍というような量の本を読むし、音楽が好きな子供は、手に入るだけの数の楽器をあっというまにひきこなして、曲までつくるようになる。 「言語が好きだ」というヘンタイな趣味を持つ妹などは、きみは人間シャープ自動翻訳機か、というくらいいろいろな言葉を話して、しかもたとえばドイツ人と話していると「ああ、あなたはミュンヘンのご出身ですね?アクセントでわかります」と言われるほど手が込んでいる。 妹と兄(←わしのことです)に共通した欠点は、夢中になりやすいことで、青空を感覚せよ、と述べた祖父は同時に、1時間かけてやるべきことを40分でやってしまうのは愚か者のやることだ、ともよく述べたが、きっとゲーム好きの孫達が、要領ばかりよくて、他人が3時間でやることを1時間で片付けてしまったりするのを見て、若いのにアホだな、とげんなりしていたのでしょう。 人間の大脳は、もともと周囲から感覚器を通じて不断に流入する情報を処理するために発達した。 風が木の枝を揺らすいつもの枝音とは違った不協和な音、風のなかに微かに混ざる生物の匂い、闇にむかって耳をすますと、ほとんど、沈黙にほんのわずかなしわが寄ったとでも言うような微小な息づかい、そういうすべての情報を統合して次の瞬間の行動を決めるために神経系が集中して塊をなしていった。 あるいはアンテロープの群れを遠望して、あの二頭は群れから遅れ気味についていっている。 臭いで悟られないように風下から攻撃するのは当然として右からまわりこめば左の草原に逃げられてしまうが、左の中心の群れにいったん向かうふりをしておおきく回り込めば、きっとあの二頭は群れとは反対の方向に逃げて孤立するだろう、と思いをめぐらせる。 情報処理能力が発達の極に達して、ついに自分自身を情報処理対象とするに至ったのが人間の大脳なので、鏡を見て、ふり返る仕草をしてみて、現実よりもややハンサムに見えている自分の顔が、しかし、もう少し鼻が短ければよかった、と思ったりするのは、大脳の情報処理能力が生活に必要な能力よりも過剰になってしまった証拠で生物としては慶賀の至りなのだとは思う。 しかし大脳という情報処理システムの淵源を考えれば、与えられた情報からアウトプットとして出てくる判断は、意志が介在するものではなく、自動的なものであることは推論しやすい事柄に属しているはずで、あいだをとばして必要なことだけを述べると、絵を描くのが大好きな子供を弁護士にしようとする親の企みのバカバカしさは、そこにある。 自分でない何かになろうとすることほど人間にとって危険なことはない。 医学は間口が広い学問で、数学にしか興味がない人間でも文学にしか関心がもてない人間でも、絵を描く以外に時間の過ごし方が考えられない人間にとってさえ「医学」の名のもとにやれることが残っているが、そうであってもどうしても絵を描いてすごすほうが人間の身体を見ているよりもずっと好きで、生化学の本を読んでいると退屈で発狂しそうになる人間にとっては、高収入な医師であるほうがビンボな画家であるよりも遙かに危険で破滅の可能性が高い一生を送ることになる。 親の企み、と言ったが、遡れば、優秀な人間は医師や科学者や法曹家にしよう、というのは「社会の企み」である。 親は、そういう事柄に関しては、ときに、社会の側の子供に対するインターフェースとして存在しているだけにすぎない。 高度な段階の社会はテクノクラートを大量に消費する。 個々の家庭から優秀な能力をスポイトで吸いだしてITならITの分野のシャーレに容れて培養しようとする。 人間の大脳はもともと「気象」をイメージすれば最も類似している、変わりやすく破天荒でも一定の傾向をもつシステムだが、それを社会の側からの要請によって「有益」なものに変えようとするのが学校教育制度の、秘匿された、品の悪い目的で、「がまん」や「努力」が美徳として教え込まれるのは、そういう事情によっている。 成績がよいのに頭がわるい人間はトーダイでもよければハーバードでも構わない、その社会で有名な大学に行ってみれば群れをなして存在するが、そのうちの何割かは、鋳型に自分を押し込む途中で壊れてしまった人格なり知性なのであると思う。 そういうことにまったく気が付かないまま、学校のような、しょもない期間を終えて、食べたくない夕食はそのままテーブルに残し、行きたくないと思えば学校をさぼって庭の芝生に寝転がって猫とスパーリングをして遊びほうけ、それにも飽きると、目を細めて、深い、広大な青空を見ながら、世界はなんて綺麗な場所なんだろう、と放心したもの思いにひたりながらお午寝をしてしまう、という生活を許して、家のなかに「社会からの要請」が一歩も入らないように守ってくれた親の努力をありがたいと思うことがある。 家はときに社会のわがままから子供を守る為に存在する。 親は子供のわがままを社会のわがままに優先させられるただひとつの存在なのである。 この頃30歳をすぎて、小さい人が家のなかを走り回り、ときどき転んで思い詰めた顔で世界と廊下を呪い、猫にからかわれて地団駄を踏んでいたりするのを観察する毎日になると、それまでベールの下に顔を隠していた世界が、少しづつ姿を見せてくる。 主要なこともあれば些細なこともある。 あ、そーゆーことだったのか、と思う。 努力しても努力しなくてもアウトカムは同じようなものだ、とか、 頑張るとろくなことはない、とか、 我慢などにいたっては、健康にわるいだけで良いことはまったくない、というような知見は最近のものに属する。 いままで、30年余、さぼり続けてきてよかったなあー、と心から思う。 社会のほうでは不満かも知れないけど。 社会くん、すまんが我慢してくれたまえ、わるいね、としか思わなくなった。 それでも収入も幸福も単調に増加してゆくところをみると、社会くんのほうでも、悟るところがあったのではあるまいか。 アホに見えて、案外、思ったよりも理解力があるようです。 (Touch wood)

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ネオ自民党

1 オークランドでは、同じレストランにでかけても、味もサービスもまったく異なるものになっていることがよくある。 「ビジネスブローカレジ」(←英語の会話では聞かれない表現だが日本語のカタカナにすると他にいいようがないのが面白い)が発達しているからで、たとえば自分で10年前にラーメン屋を始めて、そこそこうまくいっているが、もうラーメンをつくって暮らすのは飽きたので、ラーメンは食べるほうだけにして、今度は画家になりたい、というような場合、ビジネスブローカーに頼んで、レシピ、仕入れ先、というようなものまで含めてすべて込みでラーメン屋をやってみたい人に「ビジネスごと」売ることが出来る。 日本でもたしか1990年代に営業権の売買をしてもいいことになったので法律的には他国なみにビジネスの売り買いが可能なはずで信用金庫やなんかでビジネスブローカーを部門として持っているところはあるが、ニュージーランドのように店頭にビジネス売買の写真がいっぱい貼ってあって「デイリー、現況売り上げ年8万ドル、7万ドルで売ります」と書いてある、というふうにはならなかったようです。 自民党は、もともとは政治学者にとっては大変興味深い政党で、どのくらい興味深い政党だったかというと、たとえば宇都宮徳馬というような自民党代議士のことを考えると直ぐに判る。 戦前、河上肇に師事したマルクス主義者として出発した宇都宮徳馬は京都大学時代には2階の教室から警察官たちに椅子や机を投げつけて抵抗するというような武勇伝を残したあとに治安維持法で逮捕投獄されると転向するが転向後は今度はばりばりの国家主義者になってしまう人が多かった日本の他の転向共産主義者とは鮮明に異なって、現実主義者の宇都宮徳馬は「表向きだけ転向して」内なる共産主義を育て上げ、年齢を重ねれば重ねるほどチョー過激な共産主義者になっていきます。 満州事変が起きると、当分、日本は戦争ばっかりやるに決まってる、と考えた宇都宮徳馬は軍事産業に株式投資してボロ儲けする。 今度は、その資金を使ってミノファーゲンという肝臓の薬をつくる会社を設立して、株式投資であげた利益に数倍する利益をあげる。 ミノファーゲンがバカ当たりしたあと、「しめしめ、これで革命資金が出来たわい」と思ったでしょう。 戦争が終わった1952年になると、日本共産党や社会党の観念的で反革命的な体質を知り抜いていた戦前からの筋金入りの共産主義者宇都宮徳馬は、現実主義を政治の場でも発揮して自民党から東京2区に出馬して当選する。 この人についてのwebページ記事を見ると「最左派のために党内から孤立していった」と書いてあるが、なにしろ自分がチョー過激な共産主義者であることを知り抜いているこの人は別段に「孤立した」という実感はなかったでしょう。 初めから党内に同志をみいだす、というような考えはなかったように見える。 衆院議員としてキャリアを積んでいったのは、まったく別の理由に拠っていて、日本の外にあって、日本では自民党を相手にする以外には実効的な政治活動は出来ないことを知悉していた外国の共産主義者たち、すなわち中国共産党の中国との国交の正常化、というようなことを表面からは見えない世界ですすめるためだった。 実際、この人が自民党のベテラン議員としてつくった人間関係を通じて、たくさんの中国通の人材がNHKをはじめとした日本のメディアや大会社、コネ採用しか考えていないような機関や会社に入っていく。 一方では、むかしは華僑と呼ぶことが多かった在日の中国人ビジネスマンたちとも「腹を割って」話し合い、手分けして活動して、田中角栄の日中国交正常化に結びつけてゆく。 具体的なことはブログ記事に書いていいようなことではないので書かないが、昔からアジア外交に通じている人達にとっては常識にあたることのようで、インタビューしてみると、何の記録もない、起こらなかったことになっているはずのことを、案外とニコニコ顔で話してくれたりして、「歴史は必ずふたつ存在する」と述べた歴史学者の言葉をかみしめたりした。 1955年に保守合同で出来上がった自民党には宇都宮徳馬とともに岸信介もいた。 いまの日本国首相安倍晋三のおじいさんです。 東條英機たち大日本帝国陸軍将校団と結んで日本の行政を牛耳っていた国家社会主義官僚群のチャンピオンで、実際、戦争中の1941年にはいまの経産省大臣にあたる商工大臣として軍国日本の経済を企画して、1943年に日本が持つすべてのリソースと産業の力を戦争に注ぎ込む「総力戦」であることが明らかになると、東條英機が兼任した軍需省大臣に次ぐナンバー2として辣腕をふるう。 右翼、左翼というのは日本では途方もなく不適切な実情にあわない言葉で、常に日本の政治を見誤らせる原因になってきた言葉だが、どうしてもそういう言葉を使いたければ左翼も左翼、左翼の左のはしっこの、もっとずっと左にいて、全共闘の理論家もあきれかえるような、チョー左翼の宇都宮徳馬に対して、こっちはまたまた右翼よりもずっと右にいて、あとでリー・クアンユーが採用して、それを見習った香港も成功したので、自分達も取り入れることにした中国共産党がいまこの瞬間にとっている経済のつくりかたの手法は、よく考えてみると、皮肉にも岸信介たちが考えた国家社会主義経済手法だが、その産みの親の右翼よりも右にいる岸信介も同じ船にのっているという奇妙な政党が自民党だった。 自民党が左の端っこから右の端っこまでの政治信条の人間がいる奇妙な政党になった理由は、政治の表側からは見えなくて、たとえば後藤田正晴の伝記をよく読めば、ようやくうっすらと見えてくる日本の政治の姿、特に、選挙はオカネがかかりすぎる、ということにいきつく。 政治の世界では田舎の小村から大都市まで、おいてけ堀の手のひらのように国民がいっせいに手のひらを突き出して「くれくれ君」をしているという図式があって、日本にいたときに選挙の頃に田舎をクルマで旅行すると、相手が外国人である気楽さで、 「あらあー、あんた、ガイジンなのに、そんなことまで知ってるのー? ソ連のスパイなんじゃない? あっ、もうソ連ないのか」はっはっは、と怖い冗談をとばしながら、 「あのHさんて人はね、もうダメなのよ。ご祝儀も昔は万札が二枚はいってたけど、今度は五千円だから。勢いがない。年をとるとさびしいもんよねー、てみんな 言ってるの」と言うおばちゃんおじちゃんたちがたくさんいたし、義理叔父に至っては某県某町の町道を運転していたら向かいから軽トラックを運転してきた別荘出入りの顔見知りの大工のじーちゃんが何を勘違いしたのか、「あんた、こっちから来たんだったら、選挙、Kさんだろ? あのひと、もうダメだよ。ダメ、ダメ。このあいだの選挙のときは出すひるめしも鯛のおかしら付きで、毎回、ご祝儀袋もたんまり出たけど、今度はしみったれて、一文もださねえ。KさんなんかやめてM先生のほうに鞍替えしないと損だよ!」と言われたと述べてげんなりしていた。 自民党は巨大な「マネーバッグ」で、いろいろな思想の持ち主や、思想がない政治家や、たいしてカネをまかなくても票が期待できる安上がりに員数をあわせるためのタレント、宇都宮徳馬や藤山愛一郎のように自前の財産はあるが、マネーバッグとしての自民党の巨大な規模とオカネだけの結びつきであるがための「政治信条や思想はどうでもいい」政党内の空気のせいで自民党に党籍を持っていた人もあわせて、「オカネでまとまっている集団」として存在していた。 存在のありようは「この世はカネさ」で下品だが、当時の世間で悪く言われたほど悪いことばかりではなくて、なにしろカネさえ集まってくれればなんでもいいや、というありようだったので、アメリカが突然日本を公然としかも明瞭に裏切って頭越しに中国と国交を結んでしまったりしたときには、党内に中国共産党の要人と秘密裏に通じている議員や台湾派、アメリカ通、通常ならばありえないバラエティを自前でもっていることが、たいへんな幸運として機能した。 あるいは政策的にも自民党内部にさまざまな派閥があって、憲法第9条ひとつとっても、明日にも徴兵制をやっちまおうと思っている中曽根康弘のような代議士もいれば、そんなことばかり言っているからきみはダメなのさ、と考えている田中角栄や大平正芳のような代議士もいた。 しかも、代議士の数を読みあいながら、まったくの敵同士が手をつないで連合したりもして、自民党の党内だけで「政治」が存在するような奇妙な図式になっていた。 悪い方は、日本の政治からは本来の意味での「野党」というものがなくなってしまったことで、自民党が「オカネだけのまとまり」のなかで十分すぎるくらいの政治的バラエティを持ってしまったために野党のほうは「現実および現実主義に反対する党」というようなおかしな立場になってしまった。 土井たか子などは、いまでも北朝鮮について述べたお伽噺のような認識のせいで笑い話になっているが、その遠因は、要するに現実を扱いうるような思考を持った人間は「野党」ではありえない、という当時の日本の特殊な政治事情にある。 自民党の落日の始まりは、田中角栄がオカネ集めに有能すぎたことで、毎日お昼になると鬱勃とした性欲が堆積して気が狂いそうになるので赤坂の芸者に「布団のなかにはいって待っててくれ」と頼んで、せかせかと出かけては短い昼休みにイッパツやってからでないと午後がおくれなかったという、この異常な精力家は、ふつうのビジネスでは失敗ばかりだったが、政治というからくりからオカネをひっぱりだしてくることにかけては天才的な腕前をもっていた。 後藤田正晴は、警察向きな、極めて明確な判断をもたらす知性をもった官僚人で、好戦的な政治家たちが憲法第9条を改正することが出来なかったのは半ばは、この切れ味の鋭い論理の感覚を持っていた官僚政治家が護憲の鬼のような姿で憲法の門前に仁王立ちしていたからだが、この人の明瞭な日本語が田中角栄のロッキード汚職や自分がはじめての選挙でオカネをばらまきすぎて金権候補と名指しされたことになると途端に訳の判らないモグモグ語になってしまうのは、ほんとうは「だって、あんた、日本の政治家であるかぎり、みんながやってることなんだから仕方がないじゃないか。日本では日本共産党員か創価学会員でないかぎり、オカネの泥沼のなかで何億かをつかみだして、それを選挙民に向かってばらまく以外には政治家になる方法が他にはないのは、政治家なら誰でも知っている。つまりは、国民の卑しさが悪いのさ」という「ほんとうの気持」が言えなかったからである。 人心にしろなににしろ、万事、本質をつかむのが早かった田中角栄は、「政治はカネだ」という明瞭な「自民党の理屈」を呑み込んで、誰よりも効率的に処理して権力を積み重ねていったが、ロッキード事件で有罪になってからは、高層ビルの屋上の端っこに追い詰められて、なおも胸を押されて爪先だちしている人の必死さでオカネを集め議員を増やしていった。 その結果困ったのは自民党内の多様性のバランスが壊れて、ほんとうに政党みたいなものになってしまったことで、その瞬間から自民党は政党としての本質の最奥からふきだしてきた腐敗ガスによって自らが窒息してゆく。 多分、あいつらじゃダメだが、もう、ここまで来てしまえば仕方がない、現実処理能力のなさには目をつぶって二大政党制を自分たちの力で生み出すためにイチかバチかやってみるほかにはない、と悲壮な決心を固めた日本人たちが民主党に投票して、大勝した民主党が浮かれて愚かな夢に溺れていたころ、自民党は、「たかが民間銀行風情」の某市中銀行に政党としての借金の返済を恫喝的に迫られるほど落ちぶれていた。 マネーバッグから借金バッグに変わった自民党からは、ひとりふたりと「オカネにだけ用事があった」ひとびとが離れて、あとに残ったのは岸信介の孫を中心にした赤穂浪士じみた議員たちだけだった。 この頃の自民党議員たちは、頭数で借金を割るといくらになるのだか忘れてしまったが、たしか何億だかの借金を論理的には負っていたはずです。 そうやって看板は「自民党」だがまったく内容は異なる、むかしの国家社会主義の夢に極めて近い夢をみる人間の集団として自民党は政権に帰ってきた。 安倍首相の第一期目の失敗は、自分が本来やりたいことである、「強い日本」「海外で肩で風を切って歩ける日本」「若者が国を愛し、日本を愛し、そのためには死もいとわない美しい日本」の実現に夢中になりすぎて、経済はどうでもよくなってしまい、選挙での姿を思い起こせば安倍晋三も気がついたはずの、見渡す限りの「美しい日本」から突き出された「くれくれ君の手のひら」の持ち主たちを失望させてしまったことだった。 … Continue reading

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ある物理学者の友達への手紙3

(この記事は、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/04/ある物理学者の友達への手紙2/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/02/ある物理学者の友達への手紙1/ の続きです。) データがない事象をおそれよ、と述べるのは科学者にとってはたいへん勇気が必要な行動であるのは誰にでもわかる。 ちょっとくらい放射能あびたってダイジョブですよ、そんなもの、と思っているほうは、「きみは非科学的な根拠によって被災地のひとびとの恐怖を煽っている」と軽く皮肉な笑いを浮かべて「きみは、それでも科学者か」と言っていればいいだけのことで、なにしろ科学的に考えようにもデータそのものがないのだから、データの解析を出発点とする科学にとっては手も足も出ないのは高校生にでもわかる理屈であると思う。 だから、きみが、「福島県の浜通ではたいへんなことが起きているようだ。メルトダウンが起きるほどの事故で、いまくらいの安全対策で無事にすむわけがない」と言のを見て、ぼくはひどく驚いた。 日本人にもこんなひとがいるのか、と思って、それから、なんて偉い奴なんだろう、と考えた。 科学者は科学者であるよりもまず先に人間でなければならない、というアホでもわかる理屈の、ぼくは、信奉者だからです。 そうして、科学者が科学ぽい情緒に固執することによってときに悪魔でも顔をしかめるような存在になるのは、人が考えるよりもずっと簡単なことなのでもある。 その頃、日本ではどんなことが起きていたかというと、政府が、ここで従来の放射能の安全基準を適用すると国の財政は破綻するしかない、という、主に金銭的な理由から事故原子炉30キロ以遠の福島県住民は退避しなくてもよい、と官房長官が公式に述べて、アメリカ政府やフランス政府のような、自国の住民が東北に住んでいて、いったんは、こういう場合の通常のやりかたに従って「日本政府が提供する情報をよく聞いて、それに従って行動するように」というメールを出すことになっていた国ぐにを慌てさせていた。 結局、当該政府が信用できない開発途上国の大使館なみに自国独自の避難方針を個々にemailで連絡するという異例の対応になってゆく。 外国にいるぼくたちを最もびっくりさせたのは、当初から「日本政府は広義の財政的な理由によって住民を退避させない可能性が高い」と言われていた政府の「当面はダイジョブ」アナウンスメントではなくて、日本の科学者たちが、放射能をおそれる必要はない、と口々に言い始め、あまつさえ、「でも、わたしには幼い子供がいます。ほんとうに、ここにいていいのですか?放射能がやはり怖いのですが」と訊ねる母親たちを、「非科学的だ」と罵りはじめたことだった。 それは世にも奇妙な光景だった。 さて、こういう「科学者」たちは、どんなひとたちなのだろう、と、それまで名前を聞いたことがない「科学者」たちだったので、インターネットを使って調べてみると、ほとんど何の情報もない。 仕方がないので、日本にいる年長の大学人に問い合わせると、もう大学という業界では「えらく」なっているひとたちなので、割と簡単に専門分野や背景、それぞれの分野での本人の評判というようなことまで、あっさり教えてくれた。 原子力の専門でも医学の専門でもない人が多かった。 山下俊一という人だけが名を知られた、この分野の医学者で、チェルノブルにも派遣されたこの人は、カトリック教会の敬虔な信者で、「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」 と述べている。 日本の科学者は科学者としてのプライドに従って行動するよりも「科学者という肩書き」を使ってする政治的な行動のほうが好きらしかった。 ツイッタのアカウントから「誰それは非科学的なデマをとばしている」 「この人の言う事は、科学者として聞いていられない」 と述べたり、ぼくは日本のテレビを観ないのでわからないが、テレビにまで出て、「科学的な考え」を述べた人もいるそうだったが、そういうことは無論人間の社会行動のカテゴリとしては「政治行動」で、科学とは何の関係もない。 2010年はスティーブン・ホーキングが「神は不要になった」と述べて、永遠の科学弾圧者であるカトリック教会を中心とした宗教人の激しい攻撃や嫌がらせにあった年だったが、傍観者には終始科学者としての立場から一歩も出ないで神が不要である根拠を述べて、政治的行動にあたる部分を避けようとして、おおむね成功していたのに対して、宗教側はムスリム人は宗教家として攻撃していたと言えなくもなかったが、キリスト教勢は、神とはあんまり関係のない哲学のようなことばかり述べていて、しかも行動は常に政治的なものだった。 日本の科学者は、政府の要人に呼ばれて舞い上がってしまったのだと思うが、ほとんど政治家として行動することになった。 コピーライターのひとのインタビューにこたえて「いよいよ危なくなったときに住民に動くなという腹がすわったことが言えるか、と要路の政治家たちに述べた」と自分がいかに救国の使命感に燃えたか、という調子で答えている物理学者の姿をみて、普段の地味なモグラのような研究から陽の光の中に出て、スポットライトを浴びて、得意になって、正視に耐えられない調子っぱずれの見栄をきるひとの無惨な姿を見るおもいだった。 このひとも、別に、放射能禍に関連するような専門を勉強したことがあるわけではないそうでした。 科学者が政治的スポットライト、というか、簡単に言えば社会との手応えのある関わりを求めて「自分は科学者である」という肩書きで政治的行動に走ることは歴史上たくさん例がある。 今回の日本の科学者たちのように、ちょうど昔日本で流行った押し売り手口に、家庭を「消防署のほうから来ました」と言って訪問して、なんとなく消防署員ぽい服を着て、応対に出た主婦を、「そんなに火事について無知でいいわけがないでしょう。もっと勉強してください」と恫喝したりして、説教を述べて、消火器を売りつけるという自己満足とボロイ儲けの一石二鳥の商売があったそうだが、「科学の方から来ました」で東大教授や阪大教授の肩書きの、まだ「学者」が偉いアジア的後進国性を残した日本人の純朴なアカデミア信仰を利用して、さんざん相手を説教して、なんだかよく判らない溜飲をさげたり、研究者としての迂遠な社会との関わりから、一挙に何十万というフォロワーを従えるスポットライトに出た興奮に酔って「春雨じゃ濡れていこう」と述べたりして、子供じみた浮かれ方だが、そういう「科学のほうから来ました」のインチキな科学者と社会の関わり方では、科学者が政治的行動をとることの真の恐ろしさが判らないので、正真正銘科学者が科学者として関わって、しかもなおたくさんのひとびとを地獄に突き落とし、科学の名のもとに大量殺人まで起こした例を一緒におもいだそう。 ワイマール共和国時代のドイツは医学水準において、問題にもならないくらい世界のなかで傑出していた。 当時のドイツ医学は「pinnacle of the world」というような表現がぴったりで、ライプチヒ大学やミュンヘン大学、ベルリン大学で医学を学ぶことはアメリカ人の医師志望の青年にとっては最上の「箔付け」だった。 アメリカ人にとっては、いまで言えば、ちょうどハーバード大学かジョンズ・ホプキンス大学に行くようなものだったでしょう。 ドイツ医学のおおきな特徴のひとつは「人種」に対する意識が大きかったことで、19世紀に終わりに生まれたEugenics(優生学) http://en.wikipedia.org/wiki/Eugenics はドイツでおおきな発展をみることになる。 このドイツ式医学思想はアメリカのエリート医師たちの頭に叩き込まれることによって、アメリカにも渡って、アメリカ人たちは真剣に「sterilization」(断種)によって自分達の人口構成を「より良い」ものにしようと考え始める。 英語の本にはsterilization運動をドイツ人が始めてアメリカ人に影響したように書いてあることが多いが、事実は逆で、アメリカの運動にヒトラーが感動して、逆輸入することになったもののようである。 … Continue reading

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日本語教室1_カタカナ・ブルース

フランス語ではromanceは英語よりもずっと狭い意味で、リリカルな、英語でいえばバラードのような曲のことである。 actionにはフランス語では株式の意味があるが英語にはない。 料理をする人は知っていると思うが、cakeは英語では涎がでそうになるお菓子全体の総称だが、フランス語ではフルーツ入りのケーキのことです。 トルテとケーキがどう違うか、ガトゥとトルテとケーキの関係はどうなっているかは、常に家族の食卓のトリビアごっこの格好のタネで、 たとえば、いまちょっと英語のほうのページ (http://cooking.lovetoknow.com/what-is-difference-between-cake-torte)をみると、 At first glance, you might not notice the difference between a cake and a torte. That is because a torte is a cake. To make things more confusing, the word “torte” comes from the Italian … Continue reading

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The Cove

ドキュメンタリが事実だけで出来ていると思うひとはいないだろう。 映像は説得力をもたなければ見る人間にとっては退屈なだけだからで、ドキュメンタリが真実性を追求しなければいけない一面で映像は現実にしがみついてばかりはいられないのは、時代劇の考証がいくらすすんでも現実のお侍がそうやって歩いていたように、右足と右手を一緒に出して歩いていては、赤穂浪士も47人のマヌケなおじさんの集まりにしか見えなくなってドラマにならないのと事情は似ている。 BBCは比較的まともなドキュメンタリをつくるので有名だが、有名な太平洋戦史のシリーズの始まりで、「そして、ついに日本人は真珠湾を攻撃した」と厳粛なアナウンスと重々しい音楽が流れたあと、大編隊の96式陸攻が飛んでいる場面に切り替わる、という腰が抜けそうな画面が出るくらいは日常茶飯事で、適当な実写フィルムがなかったんだろうけど、せめて単発機にしなよねー、と思う。 なんで南雲機動部隊の空母から双発爆撃機が飛び立つのだ。 アメリカの3大ネットワークのドキュメンタリになると、もっと酷くて、戦艦アリゾナめがけて高空から急降下してくる艦上爆撃機は、たいてい、SBDドーントレスです。 このあいだ観たナショナルジェオグラフィックの真珠湾特集も、そうだった。 しかし、だからといって、たとえば同じBBCの番組のなかで、香港のビクトリア・ピークの赤十字病院に勤めていた、当時は19歳のイギリス人看護婦が、インタビューの部屋の窓の外の、夏の太陽に輝く芝生を眺めながら、「それから、一列に並ばされたあと、日本兵たちは、わたしたちを二階に連れて行って、…わたしたちはみな代わる代わる強姦されました」と静かに述べるのを嘘であると考えることはできない。 The Coveは、人気テレビ番組「フリッパー」の調教師で、イルカの人間による調教の最初期のひとであって、イルカの毎日の観察の結果、人間がイルカを飼うことの悲惨に気づいて、「イルカ産業」に反対する活動家に転じたRic O’Barryをまんなかにすえて作られた、出来の良いドキュメンタリだった。 全篇を通じて、太地のイルカ漁に反対する側が見せるエモーショナルなシーンは、ダイバーが、海で虐殺されるイルカたちを観ながら、涙ぐんでみせるところで、それを太地の漁師達が笑い声をあげながら観ている。 感情にまかせて怒りを爆発させるのは、専ら太地町の日本人たちの役割で、「出ていけ!」と大声で怒鳴り、ビデオカメラに向かって中指を突き立ててみせ、声を荒げて罵り続けて、カメラに顔をくっつけんばかりにして喚きちらしている。 ここで、日本の人の訓詁癖につられて余計なことを書くと、このマンディというダイバーとボーイフレンドが海を血に染めてのたうつイルカたちを眺めて涙を流す場面は、だれでも気が付くような明瞭さで、あとで画像をつくるための演技で、すぐにそれと判るのは、周りにたくさんの人が映っているのに誰も海のほうを見ていなくて、いくら「冷酷非情な日本人たち」でも、目の前で海を血に染めて死んでゆくイルカたちよりも海を眺めているアメリカ人カップルのほうにずっと興味がある、と考えるのは無理なので、なんだか素人っぽいくらいとってつけたような場面です。 映画のクライマックスは複数の岩の形にみせかけた隠しカメラや、カメラ付きの模型ヘリコプター、あるいは小型の飛行船を動員して撮影した、太地のイルカ追い込み漁で、これも古いフィルムを流用しているように見えるが、白いヘルメットをかぶり、時に笑い声をあげながらイルカたちを棒で突き刺して殺してボートに引き揚げる様子や、刺された赤ちゃんイルカが血まみれになりながら、なんとか網をくぐって出て来て陸にのりあげようとするのを漁師が屠殺場へ追い返すところが延々と映し出されてドキュメンタリが持たねばならない迫力に満ちている。 ぼくは、ここまでに「科学調査捕鯨」についてたくさんの記事を書いている。 それによっていかに日本人自体の信頼性が損なわれているか知っていたからです。 メルボルンのドックランズの桟橋に停泊していたシーシェパードの妨害船に、トントントンと上がっていって(ぼくも捕鯨は嫌だったがシーシェパードの日本人のウソに寄生するようなやりかたが不愉快だったので)シーシェパードのおっちゃんたちと喧嘩したりしていた。 2006年の「このまま『科学調査捕鯨』を続けてゆくことによって、日本人全体がどういう立場に追い込まれてゆくと考えられるか」に始まって、やがて日本が調査捕鯨を強行することによって、どういう立場に立ってしまったか、という記事になり、その間に捕鯨を理由に各地で日本人の子供が殴られたり、大怪我をした日本の子供も出るというふうに問題がだんだん深刻化してきて、アメリカが当初のニュージーランド案を換骨奪胎してしまったTPPと組み合わせた新太平洋戦略を準備するにあたって、どういうふうに「調査捕鯨」を利用しつくしたか、というふうに記事が変わっていったかは、ブログのアカウントを閉めて、また全然ちがうアカウントで予告もなにもなく始めたりしたときに、ぶっとんでどっかにいってしまったいくつかの記事を除いては、いまでも過去記事に残っているので、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/13/勇魚が沈んだ海で/ を最新とする記事に興味がある人は読んでみればわかります。 The Coveで、これは面白いな、と感じたのは、自由党内閣で大臣を歴任したオーストラリアのIan Campbellをはじめ、登場する人物たちが、イルカ漁そのものよりも、日本人の詭弁、嘘、あつかましさ、恥知らずぶり、恫喝癖、… つまりは日本社会がもつ反文明性に対して軽蔑を隠そうともしていないように口吻にみえることで、日本では警察が、裁判もなしに、勝手に「容疑者」の身柄を「拘置所」に長期拘留できること、有罪判定が、中世さながらに、ほとんどの場合自白によること、給食が強制でしかも残さずに食べなければならないこと、国民は不正を観て見ぬ振りをすることを卑怯なふるまいだと思っていないこと、マスメディアが政府の方針に沿って事実を隠蔽してしまう存在であること、… そういう「北朝鮮の話かと思ったら、日本も同じなんだ、へー」と見る側が知見を新しくする「日本の文明の危険性」に焦点をしぼって、しかも、それを英語人以外には伝わりにくいようなやりかたで、というのは明示的な科白にするのを避けて、映画のそこここに漲らせている点で、もともとは捕鯨にも反捕鯨にもたいした関心がないぼくは、ぼんやり映画を観ながら、「いまは反捕鯨のひとびとは、こういう感じになってるのかー」と観ていてびっくりしてしまった。 1970年代の反捕鯨ロンドンデモの頃でも連合王国人たちが日本の国旗を焼いたりしていたが、ここまでの「深い軽蔑」は当時のドキュメンタリを観ても感じられない。 この映画にも日本人が捕鯨肯定の趣旨で述べる「日本の文化ではないか」「伝統を守ってはいけないのか」「西洋人は牛を食べ、われわれはクジラを食べる、それのどこがおかしいのか」という、いまではニュージーランドの小学生でもよく知っている「日本人の弁明」が述べられて、日本の捕鯨への強い意志がナショナルプライドと結びついて、むかし大日本帝国と自ら「大帝国」と称していた往時の夢と密接に関わっていることが語られる。 The Coveは日本では上映されなかったようで、いま観るとiTunesも、日本版iTunesにはないが、アカデミー賞を受賞したこともあって、英語圏ではいまでもよく上映会がある。 多分、後でウエブを見てみると、日本の人のほうは、自分達が攻撃されていると感じると、懸命に否定の根拠を探す性質なので、たとえば冒頭述べた女のひとが海を見ているのは演技だ、ということに気が付く人がいて、だからこの映画は全部ウソで作り話だ、というような意見が日本語ネットじゅうに溢れているのではないかという嫌な予感がするが、あるいは実名で顔が映画に出て、ウソや恫喝的な態度を記録されてしまったひとは、「あれは、こういうふうにウソで、でっちあげだ」と書いていないわけがないような気がするが、日本のひとにひとこといわねばならないことがあって、ヘロドトスの有名な言葉「エジプトはナイルの賜物である」がヘカタイオスの言葉だと判明しても、だからヘロドトスは他人から聴いたことを丸写しにしただけだと「歴史」全体を否定することはできない、あるいはもっと踏み込んでいってしまうと、慰安婦のなかに、仮に、ほんとうは慰安婦でない人が混ざっていたとしても、だからといって慰安婦問題自体が存在しなかったことにはならない。 事象の一部分や他人の発言の部分が信頼できないと主張することによって、相手を全部否定する、というような試みが、さして卑劣なやりかたを思われないのは日本人だけの習慣で、それを日本人以外の相手に試みても、まったく意味がないどころか、「わたしは卑劣な人間です」とクビからサインをぶらさげているようなものである。 なんで、こんなことを書いているのかというと、さっき過去の英語フォーラムの発言をひさしぶりに読み返していたら、「日本人には、相手の片言(へんげん)をとりあげて、あるいは誤謬を見つけて、それによって人格を貶め、その発言者全部の信頼性を低下させてしまおうという極めて卑怯な癖と、また、それにまんまと瞞されて『こういう意見があるからには、やはり信頼できないところがあるにちがいない』と思い込む、こちらも卑しい追随主義の聴き手、という深い病癖がある」と述べている人がいて、自動的に内藤朝雄やバジルさん…というような身近なひとたちが同じ趣旨を述べていたことを思い出して、それが日本人の常套手段で、そんなことばかりやっていると、やがては日本という言語全体が「ならずもののたわごと」という扱いになるよねー、と考えたからです。 日本のひとは、あんまり危機意識を持っていないが、南京虐殺、シンガポールの中国系市民虐殺、インドネシアでのオランダ人を対象にした集団強姦・慰安婦問題、ちょうど証言できる人が人生の終わりに近付いたのと、日本の、傍目にはどうみても無理な強弁にしかみえない辯疏を見て、これまで黙っていたが、これ以上黙っていては日本人は必ず同じことを繰り返すと見たのとで、世界中のあちこちで吹き出しはじめた「日本人の過去への糾弾」とあいまって、捕鯨や安倍政権の露骨な国家主義化で、日本社会はせっかくいちどは回復した信用を、ほぼ失いつつある。 この場合の信用とは「言語の真実性」のことで、ぼくが日常生活でみたかぎりでは、またぞろ、ぼくが子供の頃によく見聞きして従兄弟や義理叔父を気の毒におもった「日本人の言う事だから、ほんとうかどうかは極めて疑わしい」という気持が蔓延しはじめている。 若い日本人には想像もできないことに違いないが、むかしは日本人と言えば「恥知らずな嘘をつく国民」の代名詞だった。 気の毒な安倍首相は「フクシマはアンダーコントロールだ」と述べたことでタイミングよく決定打を打ってしまったようにも見える。 えー、わたし、アメリカに住んでるけど、そんなこと言われたことありませんよ。 捕鯨に反対する人もまわりでは見ないから、たいした問題になっていないんじゃないかしら、という人がたくさんいるだろうが、それは英語人の社会を知らないからで、当の日本人の耳に、自分の日常生活で知っている人が「クジラ殺し」と言っていた、というような話が耳にはいる状態では、もう悪化しつくしていて、元には戻れなくなっている。 この頃ツイッタで、欧州やアメリカで働く人が、職場の同僚に面と向かって「なぜ日本人はクジラを殺したがるのか」と聞かれた、というようなことが目にはいるようになって、うーむ、そこまで来ちゃってるのか、と考える。 自分がアメリカ人に「なぜ広島に原爆を落としたのか?」と聞かないのと同じことなのだと気が付けば、足下で掘り返された地面の穴の深さは歴然としている。 ぼくは、たいして考えたことがない、といってもクジラ漁もイルカ漁も反対だが、ときどき日本の人が観念の上で調査捕鯨を正当化しようと思うのは、実際には本人たちは海に出ないからではなかろーか、とヘンなことうぃ思うことがある。 イルカと一緒に泳いでみて、イルカが人間の最高の友人であると感じない人はいないし、夕暮れ、湾口を横切って、あの深い不思議な呼吸音をたてながら悠然と泳いでいくクジラを見て、自然への畏れに似た気持ちをもたない人はいない。 … Continue reading

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