Monthly Archives: June 2014

オペラの夜

Lorina GoreのViolettaでLa Traviataを演る、と書いてあるのを観て、 「お、行こう」と考える。 ニュージーランド、特にオークランドという町の長所は、どこへでもアクセスがよいところで、家から市の中心部までクルマで15分です。 Aotea Centreは出来たばかりの多目的ホールで、それまで使われていたCivic Centreの隣にある。 インド風の装飾がチョーかっこよかったCivic Centre時代には駐車場がなくてめんどくさかったが、Aotea Centreになってからは地下に駐車場が出来たので、便利になった。 オペラの夜は、コツがあって、オペラの前に夕ご飯を食べてしまうのが良い。 特にクルマを運転していくときは、ワインを飲んで食事をして、だいたい二時間半が多いオペラを見終わると、ちょうど醒めて、よい具合になる。 歌舞伎の幕の内弁当みたいというか、開演時間を考慮したDinner Optionがたいていついているが、Hotel DeBrett’sと書いてあって、Hotel DeBrett’sのレストランはおいしいものを出す良いレストランだが、劇場から遠すぎるのでもっと近いところにあるレストランに電話してモニとわしのテーブルを予約します。 モニさんが、どんな格好で出かけるかを決めるのを待ちながら、コロコロしているのもいつものことである。 少しだけ着飾って、ロングドレスのフィレンツェで買ったおおきな耳飾りをつけてあらわれたモニさんの姿を見定めて、それにあわせてシャツとジャケット。 一年に一回くらいしか穿かないせいで折り目がばっちし入っているズボンを穿いて、モニさんに横に並んでもらって、モニさんはいつものことだが、わし自身も、馬子にも衣装、おおおお、かっこいいと自分で感動してカップルの出来上がり。 あまりにかっこよかったので写真を撮ってしまった。 鏡のなかの自分を撮ると鏡のなかの自分は無様にカメラを構えているということに気が付いていなかったので、情けない写真しかとれない。 カメラを構えていない自分を撮る方法はないものだろーか、と呟いて、モニさんに不安そうな顔で横顔をのぞかれてしまった。 CBDにでかけるときは小さいほうのクルマで行くのがよい。 「小さいクルマ」というのはBMWの3シリーズのセダンのことで、同じ会社の「まんなかのクルマ」、その上に「おおきなクルマ」があって、あと「バス」「サンダーバード2号」と呼ばれるクルマがある。 滅多に乗らないが、マツダのMX5もあります。 NBで、いつもはガレージで寝ている。 よおおおし、今日はMX5ちゃんと遊んでくれるわ、と考えたときにだけ、いつもは外してあるバッテリーのケーブルをつないででかける。 オークランドはやったらめたらBMWが多い町で、オークランドの高速道路は混雑してくると流量調整で高速ランプに信号が灯って、いったん停止してから高速道路に乗るようになっているが、二車線に並んでランプで待っているクルマが前後左右全部BMWだったことすらある。 このブログを読んでくれている人は知っているとおり、わしはシトロンとかも好きだが、ニュージーランドではシトロンは日本車と同じくらいの価格帯で買えても、いったん壊れると、といって、シトロンに乗る人はよく知っていると思うが、ウインドーがなぜか4ついっせいに自動で下がる、とかワイパーが逆さまにとりつけてあったせいで、どっかにとんでいってしまう、いろいろと予期しない壊れかたをするのがシトロンを持つ楽しみのひとつで、楽しいのはいいが、ニュージーランドではシトロンの部品は調達に時間がかかるので有名で、6ヶ月、とかはふつーにかかる。 BMWは新品の部品はもちろん、中古の部品もオーストラリアかニュージーランドのどこかにはあるので、チョーがつくケチのわしでも、にっかりぴん、な値段で手に入ります。 むかし5000ドルで買ったミニ・クラブマンに乗っていたころは、シートのレールを改造してあったにも関わらず「ボリショイサーカスの熊みたい」と言われて、さんざんいじめられて、第一、クルマの床から道路の路面が見えるのをなんとかしなさい、とよくデートの女の子に怒られたが、BMWは小さいほうの3シリーズでも悠々と座れて、高速道路でジャギュアに右後方から、すうううっと近付いて、フォッケウルフのエンジン音を真似しながら、「ダダダダダダッ!」 一機撃墜、などと言って大人の遊びにひたる余裕も生まれる。 欧州では「社交界」というのは、ひとつなわけではない。 おおきく分けて「固い社交界」と「やわらかい社交界」があって、アメリカの芸能人たちや、日本でも、かつて夜の大統領官邸の廊下を跫音をしのばせて歩いて、決死の思いで東京へインドネシア政界の動きを報告していたりした、大統領への「人間の貢ぎ物」だった勇敢な女の人が出入りしているのは「やわらかい社交界」のほうです。 このやわらかい社交界には高級娼婦たちが花を添えるのが伝統で、社会がいまよりもずっと無軌道だった19世紀には、むしろ高級娼婦たちがこちらがわの社交界では中心だった。 その頃、性的な匂いが強いほうの社交界で1ヶ月のうち20日余は白い椿を、残りのピリオドの期間中は赤い椿を胸につけて「営業」していたのがLa TraviataのモデルになったMarie Duplessisで、そう考えるとなんだかものすごいが、「椿姫」は、この現実離れして見える物語を書いた Alexandre Dumas filsの体験に基づく、後半は事実がこうあってほしかった、という願望で書き換えられたドキュメンタリです。 現実のAlexandre Dumas filsは、説教癖から恋に落ちた相手のMarie … Continue reading

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距離と角度ということ

むかし、たいへんお行儀の悪い女の人の小説家が頻繁に話しかけに来たことがあって、欧州は全部ナチだろう、偉そうにすんな、から始まって、おまえのような白豚は滑稽だ、白人を人種差別できるのは日本人だけだ、その他いろいろ興味深いことを述べる人で、やる気があればこのブログの闇の奥にある過去記事に出て来ます。 最後は心から気の毒だと思うが、ぼくに向かって「白豚死ね!」と述べたら、かのひとはいかがおもいけむ、自分が罵倒されたと思った(←なんで?)日本の人たちの集団的サディズムの反撥にあってツイッタから追い出されてしまった。 勧めてくれる人も何人かいたので、この人が書いた手に入る本はみんな買ったが、欠点があって、物語の構成は良く出来ているのに、日本語の感覚が悪い人におもわれた。 それで物語の舞台になっているフランスの言語で全部書き直したら面白いのではないかと思って、いまのアカウントから2つ前くらいのツイッタアカウントで述べたら、本人も、ファンのひとも、もっとぶっくらこいたことには、この女の人の小説家と喧嘩をしたんだかなんだか、この作家を心底憎んでいるらしい日本人の女の人で、何通もemailを寄越して、作家がいかにフランス語が判っていないか、自分はこの人は狂人だろうと思っている、あんな人とまともに口を利くなんてあなたもおかしいのではないか、とよく書いてきた人まで、ぼくが小説を賞めたのだと考えたようでした。 あんなくだらないせいぜい宝塚歌劇でしかない小説をほめるなんて、あなたは小説が読めないのではないか、とまで書いてあった。 ぼくは結局一冊読んだだけで、「日本語の表現が大事にされていなくて粗い」という理由で読むのをやめてしまったが、物語のつくりかたは企みとして古いと思っても、表現を別にすれば日本では珍しい物語のつくりかただったので、そこまで悪口を述べるのはフェアでないと考えたものだった。 ついでに、sarcasmということが判らない国民性は健全だと恥じ入りました。 sarcasmはイギリス人の忌まわしい天性で、表現の多重性、物語の構造の多重性と並んで、いまでは鬱陶しいだけになってしまっているのに、イギリス人は呪いがかかってでもいるように止められない。 Helter Skelterはポール・マッカートニーやジョン・レノンが育った連合王国の町ではただ螺旋形の滑り台のことで、子供がくるくるまわる滑り台で「きゃあああ」になるというだけの意味だが、カリフォルニア人のチャールズ・マンソンは、白人と黒人の人種間の緊張が生み出す apocalypseを暗示する悪魔的な言葉だと考えてしまった。 ジョン・レノンはイギリス人らしい悪癖の持ち主で言葉の二重性や発言の二重性にひとびとがくびをひねるのを見て楽しむ悪い趣味があった。 チャールズ・マンソンたちが臨月だった女優シャロン・テートを惨殺したあと、インタビューで「皆が盛んに『言葉が真に意味すること』を探し回って右往左往するのが楽しくて、ほんとうは深い意味がないのに、あるようなふりをしてしまった。よくないことだった」と反省しているが、よくないもなにも物語や語彙に多重性を求めるのは欧州ではイナカモノの悪趣味であるにしか過ぎない。 「好きなバンドはたくさんありすぎて言えないけど、嫌いなバンドなら簡単に言えるわよ、ビートルズ! あの、歌詞にカエルでも判るような二重性を持たせて知的な作業だと思い込んでいる頭の悪さがたまらないの! 虫酸が走る」と(調子は静かでも)激しい言葉を述べて、びっくりさせたギリシャ人(母親)とイギリス人混血の大学の女友達がいたが、判らなくはない。 モンティ・パイソンの有名なスキットに「Vercottiインタビュー」がある。 モブのVercottiにレポーターがインタビューする. Dougがいかに無慈悲な人物であるかについてVercottiはこんなふうに説明する。 Doug! I was terrified of him. Everyone was terrified of Doug. I’ve seen grown men pull their own heads off rather than see … Continue reading

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No worries

頑張らない、我慢しない、やりたくないことはやらない、と書くと日本語なら「座右の銘」みたいになってしまうが、こうやって意識にのぼるのは多分日本語で話をしているからで、そんなのはずっとあたりまえのことだと思っていた。 父親も母親もやりたくないことはやらないひとびとであるし、妹も同じ。 本人にいたってはやりたいこともやらないでずるずる午寝してしまう怠けものなので、頑張る、とか我慢するとかは、やろうと思っても、そもそも能力的に無理、ということがあったと思う。 それでも30歳くらいまで支払いが予定されていた両親からの金銭的援助は20歳のときにはいらなくなったので、ご辞退いたします、になったし、スーパーマーケットからカーヤードまで、何かを購買するときに値札をみる必要がなくなった(と言ってもケチなのでやはり値段を見て安いところで買うが)ので、人間などは努力しても努力しなくても、たいして行く末に変わりはないのではないだろうか。 かーちゃんのとーちゃんは、よく、「人間にとってもっとも大事なことは、青空を見て青いと認識できることではなくて、青空を感じられることである」というようなことを述べた。 いま考えても説教師じみてヘンなじーさんだが、多分、クリケットの試合が終わるとダッシュで戻ってきて、そのまま夕飯を食べるのもめんどくさそうに本ばかり読んで、それどころか放置しておくとデスクの明かりを灯してなんだか一心不乱に計算したりしている孫を「このまま放っておくとアホになる」と憐れんだからでしょう。 数学が好きな子供はほっておいても数学のことばかり考えているし、クリケットが好きな子供はクリケットばかりやっている。 どんな怠けものの子供でも本が好きな子供は、おとなの数倍というような量の本を読むし、音楽が好きな子供は、手に入るだけの数の楽器をあっというまにひきこなして、曲までつくるようになる。 「言語が好きだ」というヘンタイな趣味を持つ妹などは、きみは人間シャープ自動翻訳機か、というくらいいろいろな言葉を話して、しかもたとえばドイツ人と話していると「ああ、あなたはミュンヘンのご出身ですね?アクセントでわかります」と言われるほど手が込んでいる。 妹と兄(←わしのことです)に共通した欠点は、夢中になりやすいことで、青空を感覚せよ、と述べた祖父は同時に、1時間かけてやるべきことを40分でやってしまうのは愚か者のやることだ、ともよく述べたが、きっとゲーム好きの孫達が、要領ばかりよくて、他人が3時間でやることを1時間で片付けてしまったりするのを見て、若いのにアホだな、とげんなりしていたのでしょう。 人間の大脳は、もともと周囲から感覚器を通じて不断に流入する情報を処理するために発達した。 風が木の枝を揺らすいつもの枝音とは違った不協和な音、風のなかに微かに混ざる生物の匂い、闇にむかって耳をすますと、ほとんど、沈黙にほんのわずかなしわが寄ったとでも言うような微小な息づかい、そういうすべての情報を統合して次の瞬間の行動を決めるために神経系が集中して塊をなしていった。 あるいはアンテロープの群れを遠望して、あの二頭は群れから遅れ気味についていっている。 臭いで悟られないように風下から攻撃するのは当然として右からまわりこめば左の草原に逃げられてしまうが、左の中心の群れにいったん向かうふりをしておおきく回り込めば、きっとあの二頭は群れとは反対の方向に逃げて孤立するだろう、と思いをめぐらせる。 情報処理能力が発達の極に達して、ついに自分自身を情報処理対象とするに至ったのが人間の大脳なので、鏡を見て、ふり返る仕草をしてみて、現実よりもややハンサムに見えている自分の顔が、しかし、もう少し鼻が短ければよかった、と思ったりするのは、大脳の情報処理能力が生活に必要な能力よりも過剰になってしまった証拠で生物としては慶賀の至りなのだとは思う。 しかし大脳という情報処理システムの淵源を考えれば、与えられた情報からアウトプットとして出てくる判断は、意志が介在するものではなく、自動的なものであることは推論しやすい事柄に属しているはずで、あいだをとばして必要なことだけを述べると、絵を描くのが大好きな子供を弁護士にしようとする親の企みのバカバカしさは、そこにある。 自分でない何かになろうとすることほど人間にとって危険なことはない。 医学は間口が広い学問で、数学にしか興味がない人間でも文学にしか関心がもてない人間でも、絵を描く以外に時間の過ごし方が考えられない人間にとってさえ「医学」の名のもとにやれることが残っているが、そうであってもどうしても絵を描いてすごすほうが人間の身体を見ているよりもずっと好きで、生化学の本を読んでいると退屈で発狂しそうになる人間にとっては、高収入な医師であるほうがビンボな画家であるよりも遙かに危険で破滅の可能性が高い一生を送ることになる。 親の企み、と言ったが、遡れば、優秀な人間は医師や科学者や法曹家にしよう、というのは「社会の企み」である。 親は、そういう事柄に関しては、ときに、社会の側の子供に対するインターフェースとして存在しているだけにすぎない。 高度な段階の社会はテクノクラートを大量に消費する。 個々の家庭から優秀な能力をスポイトで吸いだしてITならITの分野のシャーレに容れて培養しようとする。 人間の大脳はもともと「気象」をイメージすれば最も類似している、変わりやすく破天荒でも一定の傾向をもつシステムだが、それを社会の側からの要請によって「有益」なものに変えようとするのが学校教育制度の、秘匿された、品の悪い目的で、「がまん」や「努力」が美徳として教え込まれるのは、そういう事情によっている。 成績がよいのに頭がわるい人間はトーダイでもよければハーバードでも構わない、その社会で有名な大学に行ってみれば群れをなして存在するが、そのうちの何割かは、鋳型に自分を押し込む途中で壊れてしまった人格なり知性なのであると思う。 そういうことにまったく気が付かないまま、学校のような、しょもない期間を終えて、食べたくない夕食はそのままテーブルに残し、行きたくないと思えば学校をさぼって庭の芝生に寝転がって猫とスパーリングをして遊びほうけ、それにも飽きると、目を細めて、深い、広大な青空を見ながら、世界はなんて綺麗な場所なんだろう、と放心したもの思いにひたりながらお午寝をしてしまう、という生活を許して、家のなかに「社会からの要請」が一歩も入らないように守ってくれた親の努力をありがたいと思うことがある。 家はときに社会のわがままから子供を守る為に存在する。 親は子供のわがままを社会のわがままに優先させられるただひとつの存在なのである。 この頃30歳をすぎて、小さい人が家のなかを走り回り、ときどき転んで思い詰めた顔で世界と廊下を呪い、猫にからかわれて地団駄を踏んでいたりするのを観察する毎日になると、それまでベールの下に顔を隠していた世界が、少しづつ姿を見せてくる。 主要なこともあれば些細なこともある。 あ、そーゆーことだったのか、と思う。 努力しても努力しなくてもアウトカムは同じようなものだ、とか、 頑張るとろくなことはない、とか、 我慢などにいたっては、健康にわるいだけで良いことはまったくない、というような知見は最近のものに属する。 いままで、30年余、さぼり続けてきてよかったなあー、と心から思う。 社会のほうでは不満かも知れないけど。 社会くん、すまんが我慢してくれたまえ、わるいね、としか思わなくなった。 それでも収入も幸福も単調に増加してゆくところをみると、社会くんのほうでも、悟るところがあったのではあるまいか。 アホに見えて、案外、思ったよりも理解力があるようです。 (Touch wood)

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ある物理学者の友達への手紙3

(この記事は、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/04/ある物理学者の友達への手紙2/ https://gamayauber1001.wordpress.com/2013/09/02/ある物理学者の友達への手紙1/ の続きです。) データがない事象をおそれよ、と述べるのは科学者にとってはたいへん勇気が必要な行動であるのは誰にでもわかる。 ちょっとくらい放射能あびたってダイジョブですよ、そんなもの、と思っているほうは、「きみは非科学的な根拠によって被災地のひとびとの恐怖を煽っている」と軽く皮肉な笑いを浮かべて「きみは、それでも科学者か」と言っていればいいだけのことで、なにしろ科学的に考えようにもデータそのものがないのだから、データの解析を出発点とする科学にとっては手も足も出ないのは高校生にでもわかる理屈であると思う。 だから、きみが、「福島県の浜通ではたいへんなことが起きているようだ。メルトダウンが起きるほどの事故で、いまくらいの安全対策で無事にすむわけがない」と言のを見て、ぼくはひどく驚いた。 日本人にもこんなひとがいるのか、と思って、それから、なんて偉い奴なんだろう、と考えた。 科学者は科学者であるよりもまず先に人間でなければならない、というアホでもわかる理屈の、ぼくは、信奉者だからです。 そうして、科学者が科学ぽい情緒に固執することによってときに悪魔でも顔をしかめるような存在になるのは、人が考えるよりもずっと簡単なことなのでもある。 その頃、日本ではどんなことが起きていたかというと、政府が、ここで従来の放射能の安全基準を適用すると国の財政は破綻するしかない、という、主に金銭的な理由から事故原子炉30キロ以遠の福島県住民は退避しなくてもよい、と官房長官が公式に述べて、アメリカ政府やフランス政府のような、自国の住民が東北に住んでいて、いったんは、こういう場合の通常のやりかたに従って「日本政府が提供する情報をよく聞いて、それに従って行動するように」というメールを出すことになっていた国ぐにを慌てさせていた。 結局、当該政府が信用できない開発途上国の大使館なみに自国独自の避難方針を個々にemailで連絡するという異例の対応になってゆく。 外国にいるぼくたちを最もびっくりさせたのは、当初から「日本政府は広義の財政的な理由によって住民を退避させない可能性が高い」と言われていた政府の「当面はダイジョブ」アナウンスメントではなくて、日本の科学者たちが、放射能をおそれる必要はない、と口々に言い始め、あまつさえ、「でも、わたしには幼い子供がいます。ほんとうに、ここにいていいのですか?放射能がやはり怖いのですが」と訊ねる母親たちを、「非科学的だ」と罵りはじめたことだった。 それは世にも奇妙な光景だった。 さて、こういう「科学者」たちは、どんなひとたちなのだろう、と、それまで名前を聞いたことがない「科学者」たちだったので、インターネットを使って調べてみると、ほとんど何の情報もない。 仕方がないので、日本にいる年長の大学人に問い合わせると、もう大学という業界では「えらく」なっているひとたちなので、割と簡単に専門分野や背景、それぞれの分野での本人の評判というようなことまで、あっさり教えてくれた。 原子力の専門でも医学の専門でもない人が多かった。 山下俊一という人だけが名を知られた、この分野の医学者で、チェルノブルにも派遣されたこの人は、カトリック教会の敬虔な信者で、「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。クヨクヨしてる人に来ます。これは明確な動物実験でわかっています」 と述べている。 日本の科学者は科学者としてのプライドに従って行動するよりも「科学者という肩書き」を使ってする政治的な行動のほうが好きらしかった。 ツイッタのアカウントから「誰それは非科学的なデマをとばしている」 「この人の言う事は、科学者として聞いていられない」 と述べたり、ぼくは日本のテレビを観ないのでわからないが、テレビにまで出て、「科学的な考え」を述べた人もいるそうだったが、そういうことは無論人間の社会行動のカテゴリとしては「政治行動」で、科学とは何の関係もない。 2010年はスティーブン・ホーキングが「神は不要になった」と述べて、永遠の科学弾圧者であるカトリック教会を中心とした宗教人の激しい攻撃や嫌がらせにあった年だったが、傍観者には終始科学者としての立場から一歩も出ないで神が不要である根拠を述べて、政治的行動にあたる部分を避けようとして、おおむね成功していたのに対して、宗教側はムスリム人は宗教家として攻撃していたと言えなくもなかったが、キリスト教勢は、神とはあんまり関係のない哲学のようなことばかり述べていて、しかも行動は常に政治的なものだった。 日本の科学者は、政府の要人に呼ばれて舞い上がってしまったのだと思うが、ほとんど政治家として行動することになった。 コピーライターのひとのインタビューにこたえて「いよいよ危なくなったときに住民に動くなという腹がすわったことが言えるか、と要路の政治家たちに述べた」と自分がいかに救国の使命感に燃えたか、という調子で答えている物理学者の姿をみて、普段の地味なモグラのような研究から陽の光の中に出て、スポットライトを浴びて、得意になって、正視に耐えられない調子っぱずれの見栄をきるひとの無惨な姿を見るおもいだった。 このひとも、別に、放射能禍に関連するような専門を勉強したことがあるわけではないそうでした。 科学者が政治的スポットライト、というか、簡単に言えば社会との手応えのある関わりを求めて「自分は科学者である」という肩書きで政治的行動に走ることは歴史上たくさん例がある。 今回の日本の科学者たちのように、ちょうど昔日本で流行った押し売り手口に、家庭を「消防署のほうから来ました」と言って訪問して、なんとなく消防署員ぽい服を着て、応対に出た主婦を、「そんなに火事について無知でいいわけがないでしょう。もっと勉強してください」と恫喝したりして、説教を述べて、消火器を売りつけるという自己満足とボロイ儲けの一石二鳥の商売があったそうだが、「科学の方から来ました」で東大教授や阪大教授の肩書きの、まだ「学者」が偉いアジア的後進国性を残した日本人の純朴なアカデミア信仰を利用して、さんざん相手を説教して、なんだかよく判らない溜飲をさげたり、研究者としての迂遠な社会との関わりから、一挙に何十万というフォロワーを従えるスポットライトに出た興奮に酔って「春雨じゃ濡れていこう」と述べたりして、子供じみた浮かれ方だが、そういう「科学のほうから来ました」のインチキな科学者と社会の関わり方では、科学者が政治的行動をとることの真の恐ろしさが判らないので、正真正銘科学者が科学者として関わって、しかもなおたくさんのひとびとを地獄に突き落とし、科学の名のもとに大量殺人まで起こした例を一緒におもいだそう。 ワイマール共和国時代のドイツは医学水準において、問題にもならないくらい世界のなかで傑出していた。 当時のドイツ医学は「pinnacle of the world」というような表現がぴったりで、ライプチヒ大学やミュンヘン大学、ベルリン大学で医学を学ぶことはアメリカ人の医師志望の青年にとっては最上の「箔付け」だった。 アメリカ人にとっては、いまで言えば、ちょうどハーバード大学かジョンズ・ホプキンス大学に行くようなものだったでしょう。 ドイツ医学のおおきな特徴のひとつは「人種」に対する意識が大きかったことで、19世紀に終わりに生まれたEugenics(優生学) http://en.wikipedia.org/wiki/Eugenics はドイツでおおきな発展をみることになる。 このドイツ式医学思想はアメリカのエリート医師たちの頭に叩き込まれることによって、アメリカにも渡って、アメリカ人たちは真剣に「sterilization」(断種)によって自分達の人口構成を「より良い」ものにしようと考え始める。 英語の本にはsterilization運動をドイツ人が始めてアメリカ人に影響したように書いてあることが多いが、事実は逆で、アメリカの運動にヒトラーが感動して、逆輸入することになったもののようである。 … Continue reading

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日本語教室1_カタカナ・ブルース

フランス語ではromanceは英語よりもずっと狭い意味で、リリカルな、英語でいえばバラードのような曲のことである。 actionにはフランス語では株式の意味があるが英語にはない。 料理をする人は知っていると思うが、cakeは英語では涎がでそうになるお菓子全体の総称だが、フランス語ではフルーツ入りのケーキのことです。 トルテとケーキがどう違うか、ガトゥとトルテとケーキの関係はどうなっているかは、常に家族の食卓のトリビアごっこの格好のタネで、 たとえば、いまちょっと英語のほうのページ (http://cooking.lovetoknow.com/what-is-difference-between-cake-torte)をみると、 At first glance, you might not notice the difference between a cake and a torte. That is because a torte is a cake. To make things more confusing, the word “torte” comes from the Italian … Continue reading

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The Cove

ドキュメンタリが事実だけで出来ていると思うひとはいないだろう。 映像は説得力をもたなければ見る人間にとっては退屈なだけだからで、ドキュメンタリが真実性を追求しなければいけない一面で映像は現実にしがみついてばかりはいられないのは、時代劇の考証がいくらすすんでも現実のお侍がそうやって歩いていたように、右足と右手を一緒に出して歩いていては、赤穂浪士も47人のマヌケなおじさんの集まりにしか見えなくなってドラマにならないのと事情は似ている。 BBCは比較的まともなドキュメンタリをつくるので有名だが、有名な太平洋戦史のシリーズの始まりで、「そして、ついに日本人は真珠湾を攻撃した」と厳粛なアナウンスと重々しい音楽が流れたあと、大編隊の96式陸攻が飛んでいる場面に切り替わる、という腰が抜けそうな画面が出るくらいは日常茶飯事で、適当な実写フィルムがなかったんだろうけど、せめて単発機にしなよねー、と思う。 なんで南雲機動部隊の空母から双発爆撃機が飛び立つのだ。 アメリカの3大ネットワークのドキュメンタリになると、もっと酷くて、戦艦アリゾナめがけて高空から急降下してくる艦上爆撃機は、たいてい、SBDドーントレスです。 このあいだ観たナショナルジェオグラフィックの真珠湾特集も、そうだった。 しかし、だからといって、たとえば同じBBCの番組のなかで、香港のビクトリア・ピークの赤十字病院に勤めていた、当時は19歳のイギリス人看護婦が、インタビューの部屋の窓の外の、夏の太陽に輝く芝生を眺めながら、「それから、一列に並ばされたあと、日本兵たちは、わたしたちを二階に連れて行って、…わたしたちはみな代わる代わる強姦されました」と静かに述べるのを嘘であると考えることはできない。 The Coveは、人気テレビ番組「フリッパー」の調教師で、イルカの人間による調教の最初期のひとであって、イルカの毎日の観察の結果、人間がイルカを飼うことの悲惨に気づいて、「イルカ産業」に反対する活動家に転じたRic O’Barryをまんなかにすえて作られた、出来の良いドキュメンタリだった。 全篇を通じて、太地のイルカ漁に反対する側が見せるエモーショナルなシーンは、ダイバーが、海で虐殺されるイルカたちを観ながら、涙ぐんでみせるところで、それを太地の漁師達が笑い声をあげながら観ている。 感情にまかせて怒りを爆発させるのは、専ら太地町の日本人たちの役割で、「出ていけ!」と大声で怒鳴り、ビデオカメラに向かって中指を突き立ててみせ、声を荒げて罵り続けて、カメラに顔をくっつけんばかりにして喚きちらしている。 ここで、日本の人の訓詁癖につられて余計なことを書くと、このマンディというダイバーとボーイフレンドが海を血に染めてのたうつイルカたちを眺めて涙を流す場面は、だれでも気が付くような明瞭さで、あとで画像をつくるための演技で、すぐにそれと判るのは、周りにたくさんの人が映っているのに誰も海のほうを見ていなくて、いくら「冷酷非情な日本人たち」でも、目の前で海を血に染めて死んでゆくイルカたちよりも海を眺めているアメリカ人カップルのほうにずっと興味がある、と考えるのは無理なので、なんだか素人っぽいくらいとってつけたような場面です。 映画のクライマックスは複数の岩の形にみせかけた隠しカメラや、カメラ付きの模型ヘリコプター、あるいは小型の飛行船を動員して撮影した、太地のイルカ追い込み漁で、これも古いフィルムを流用しているように見えるが、白いヘルメットをかぶり、時に笑い声をあげながらイルカたちを棒で突き刺して殺してボートに引き揚げる様子や、刺された赤ちゃんイルカが血まみれになりながら、なんとか網をくぐって出て来て陸にのりあげようとするのを漁師が屠殺場へ追い返すところが延々と映し出されてドキュメンタリが持たねばならない迫力に満ちている。 ぼくは、ここまでに「科学調査捕鯨」についてたくさんの記事を書いている。 それによっていかに日本人自体の信頼性が損なわれているか知っていたからです。 メルボルンのドックランズの桟橋に停泊していたシーシェパードの妨害船に、トントントンと上がっていって(ぼくも捕鯨は嫌だったがシーシェパードの日本人のウソに寄生するようなやりかたが不愉快だったので)シーシェパードのおっちゃんたちと喧嘩したりしていた。 2006年の「このまま『科学調査捕鯨』を続けてゆくことによって、日本人全体がどういう立場に追い込まれてゆくと考えられるか」に始まって、やがて日本が調査捕鯨を強行することによって、どういう立場に立ってしまったか、という記事になり、その間に捕鯨を理由に各地で日本人の子供が殴られたり、大怪我をした日本の子供も出るというふうに問題がだんだん深刻化してきて、アメリカが当初のニュージーランド案を換骨奪胎してしまったTPPと組み合わせた新太平洋戦略を準備するにあたって、どういうふうに「調査捕鯨」を利用しつくしたか、というふうに記事が変わっていったかは、ブログのアカウントを閉めて、また全然ちがうアカウントで予告もなにもなく始めたりしたときに、ぶっとんでどっかにいってしまったいくつかの記事を除いては、いまでも過去記事に残っているので、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/04/13/勇魚が沈んだ海で/ を最新とする記事に興味がある人は読んでみればわかります。 The Coveで、これは面白いな、と感じたのは、自由党内閣で大臣を歴任したオーストラリアのIan Campbellをはじめ、登場する人物たちが、イルカ漁そのものよりも、日本人の詭弁、嘘、あつかましさ、恥知らずぶり、恫喝癖、… つまりは日本社会がもつ反文明性に対して軽蔑を隠そうともしていないように口吻にみえることで、日本では警察が、裁判もなしに、勝手に「容疑者」の身柄を「拘置所」に長期拘留できること、有罪判定が、中世さながらに、ほとんどの場合自白によること、給食が強制でしかも残さずに食べなければならないこと、国民は不正を観て見ぬ振りをすることを卑怯なふるまいだと思っていないこと、マスメディアが政府の方針に沿って事実を隠蔽してしまう存在であること、… そういう「北朝鮮の話かと思ったら、日本も同じなんだ、へー」と見る側が知見を新しくする「日本の文明の危険性」に焦点をしぼって、しかも、それを英語人以外には伝わりにくいようなやりかたで、というのは明示的な科白にするのを避けて、映画のそこここに漲らせている点で、もともとは捕鯨にも反捕鯨にもたいした関心がないぼくは、ぼんやり映画を観ながら、「いまは反捕鯨のひとびとは、こういう感じになってるのかー」と観ていてびっくりしてしまった。 1970年代の反捕鯨ロンドンデモの頃でも連合王国人たちが日本の国旗を焼いたりしていたが、ここまでの「深い軽蔑」は当時のドキュメンタリを観ても感じられない。 この映画にも日本人が捕鯨肯定の趣旨で述べる「日本の文化ではないか」「伝統を守ってはいけないのか」「西洋人は牛を食べ、われわれはクジラを食べる、それのどこがおかしいのか」という、いまではニュージーランドの小学生でもよく知っている「日本人の弁明」が述べられて、日本の捕鯨への強い意志がナショナルプライドと結びついて、むかし大日本帝国と自ら「大帝国」と称していた往時の夢と密接に関わっていることが語られる。 The Coveは日本では上映されなかったようで、いま観るとiTunesも、日本版iTunesにはないが、アカデミー賞を受賞したこともあって、英語圏ではいまでもよく上映会がある。 多分、後でウエブを見てみると、日本の人のほうは、自分達が攻撃されていると感じると、懸命に否定の根拠を探す性質なので、たとえば冒頭述べた女のひとが海を見ているのは演技だ、ということに気が付く人がいて、だからこの映画は全部ウソで作り話だ、というような意見が日本語ネットじゅうに溢れているのではないかという嫌な予感がするが、あるいは実名で顔が映画に出て、ウソや恫喝的な態度を記録されてしまったひとは、「あれは、こういうふうにウソで、でっちあげだ」と書いていないわけがないような気がするが、日本のひとにひとこといわねばならないことがあって、ヘロドトスの有名な言葉「エジプトはナイルの賜物である」がヘカタイオスの言葉だと判明しても、だからヘロドトスは他人から聴いたことを丸写しにしただけだと「歴史」全体を否定することはできない、あるいはもっと踏み込んでいってしまうと、慰安婦のなかに、仮に、ほんとうは慰安婦でない人が混ざっていたとしても、だからといって慰安婦問題自体が存在しなかったことにはならない。 事象の一部分や他人の発言の部分が信頼できないと主張することによって、相手を全部否定する、というような試みが、さして卑劣なやりかたを思われないのは日本人だけの習慣で、それを日本人以外の相手に試みても、まったく意味がないどころか、「わたしは卑劣な人間です」とクビからサインをぶらさげているようなものである。 なんで、こんなことを書いているのかというと、さっき過去の英語フォーラムの発言をひさしぶりに読み返していたら、「日本人には、相手の片言(へんげん)をとりあげて、あるいは誤謬を見つけて、それによって人格を貶め、その発言者全部の信頼性を低下させてしまおうという極めて卑怯な癖と、また、それにまんまと瞞されて『こういう意見があるからには、やはり信頼できないところがあるにちがいない』と思い込む、こちらも卑しい追随主義の聴き手、という深い病癖がある」と述べている人がいて、自動的に内藤朝雄やバジルさん…というような身近なひとたちが同じ趣旨を述べていたことを思い出して、それが日本人の常套手段で、そんなことばかりやっていると、やがては日本という言語全体が「ならずもののたわごと」という扱いになるよねー、と考えたからです。 日本のひとは、あんまり危機意識を持っていないが、南京虐殺、シンガポールの中国系市民虐殺、インドネシアでのオランダ人を対象にした集団強姦・慰安婦問題、ちょうど証言できる人が人生の終わりに近付いたのと、日本の、傍目にはどうみても無理な強弁にしかみえない辯疏を見て、これまで黙っていたが、これ以上黙っていては日本人は必ず同じことを繰り返すと見たのとで、世界中のあちこちで吹き出しはじめた「日本人の過去への糾弾」とあいまって、捕鯨や安倍政権の露骨な国家主義化で、日本社会はせっかくいちどは回復した信用を、ほぼ失いつつある。 この場合の信用とは「言語の真実性」のことで、ぼくが日常生活でみたかぎりでは、またぞろ、ぼくが子供の頃によく見聞きして従兄弟や義理叔父を気の毒におもった「日本人の言う事だから、ほんとうかどうかは極めて疑わしい」という気持が蔓延しはじめている。 若い日本人には想像もできないことに違いないが、むかしは日本人と言えば「恥知らずな嘘をつく国民」の代名詞だった。 気の毒な安倍首相は「フクシマはアンダーコントロールだ」と述べたことでタイミングよく決定打を打ってしまったようにも見える。 えー、わたし、アメリカに住んでるけど、そんなこと言われたことありませんよ。 捕鯨に反対する人もまわりでは見ないから、たいした問題になっていないんじゃないかしら、という人がたくさんいるだろうが、それは英語人の社会を知らないからで、当の日本人の耳に、自分の日常生活で知っている人が「クジラ殺し」と言っていた、というような話が耳にはいる状態では、もう悪化しつくしていて、元には戻れなくなっている。 この頃ツイッタで、欧州やアメリカで働く人が、職場の同僚に面と向かって「なぜ日本人はクジラを殺したがるのか」と聞かれた、というようなことが目にはいるようになって、うーむ、そこまで来ちゃってるのか、と考える。 自分がアメリカ人に「なぜ広島に原爆を落としたのか?」と聞かないのと同じことなのだと気が付けば、足下で掘り返された地面の穴の深さは歴然としている。 ぼくは、たいして考えたことがない、といってもクジラ漁もイルカ漁も反対だが、ときどき日本の人が観念の上で調査捕鯨を正当化しようと思うのは、実際には本人たちは海に出ないからではなかろーか、とヘンなことうぃ思うことがある。 イルカと一緒に泳いでみて、イルカが人間の最高の友人であると感じない人はいないし、夕暮れ、湾口を横切って、あの深い不思議な呼吸音をたてながら悠然と泳いでいくクジラを見て、自然への畏れに似た気持ちをもたない人はいない。 … Continue reading

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Cogito ergo sum

クオークの発見は人間の一生の意味を変えてしまった。 「発見」といっても、ぼく、クオークを見たことないんだけど、というきみの声が聞こえそうだが、あたりまえと言えばあたりまえで、人間は自分の頭脳のなかでクオークを「発見」したので、科学者がナノサイズのそのまた何兆分の一のロケットをつくって物質のなかを探検して、「翼よ、あれがハドロンだ!」なんちゃったわけではない。 クオークには物理的な姿はない。 姿がみえないのに「発見」はヘンだろう、というひともいるのかもしれないが、その姿がないものの発見こそがクオークが人間の認識にもたらした衝撃の本質で、クオークはそれが極小な物理現象を説明する限りにおいて実在している。 仮にクオークが不要な極小物理現象の説明が可能であれば、クオークは「存在が疑われる」のではなくて存在しないことになる。 と、ここまで書いてきて、もう気が付いた人がいると思うが、クオークの実在の仕方は気味がわるいほど神の「実在」の仕方に似ている。 だいたい、そのへんのところで、科学への理解力がある大司教たちは、嫌な予感にとらわれたものであると思われる (^^;  人間の視覚はふつうのひとがイメージするよりも遙かにぼろくて、腕を、まっすぐ、いっぱいに伸ばして親指を立てたときに親指で隠れている範囲だけが事物の認識に必要な解像度を持っている。 視野のほかの部分は「なんかあるんだな」という程度の極度にぼんやりした映像です。 その上に言うまでもなく、人間の目と視神経の構造はイカやタコよりもだいぶん劣った劣悪な構造になっているので、ほとんど手順を間違えたとしかおもえない発生の都合によって視神経がいったん眼球内部に突起してしまっているので、それを眼球外の視神経と連絡するために、ぶざまな、「盲点」と呼ぶ暗黒点がふたつある。 欧州で上司のすさまじいオーデコロンのにおいに悩まされながら天文研究生活を送っている「もじんどん」とツイッタで冗談を述べていたら、もじんどんが途中で、このひとの地ベタに足が貼り付いてしまっているようなマジメさを発揮して、「でも、光学望遠鏡の天体写真といっても複数の写真の合成だからCGと言えなくもないけど」と述べていて、そのときはパンケーキを食べる直前だったのでメープルシロップをかける手をとめて述べるのはめんどくさいので、そのままツイッタ上の会話から離れてしまったが、そのときに、「言ってみてもいいけどねー」と思ったのは、人間の目も、要するにCGで、大脳が人間が日常みていると思っている映像をつくっているのは、たかだか親指のおおきさの視野から大脳が合成したグラフィックで、肉眼もCGにしかすぎない、ということだった。 ルネ・デカルトが「Cogito ergo sum」(I think,therefore I am) と述べたように人間は肉体というハードウエアとmindというソフトウエアに分かれている。 mindというソフトウエアのプロセッサーが肉体の部品である大脳で、この大脳というプロセッサは自由意志がノーテンキに信じられていたむかしとは異なって、現実には、人間の肉体がその部分であるchaoticな物理現象そのもので、いつも嵐が吹き荒んでいる内部宇宙というか、絶え間なく何万というダイスが転がされているとでもいうような、コンピュータゲームなら8ビット時代から有名な「ライフ」をイメージしても悪くはないが、人間が「意志」という言葉で自分で意識するよりもずっと物理法則に支配された、初期条件によってほぼ一意的に導き出される、予定的なものです。 初期諸条件が多すぎるので、かつては、解きほぐすわけにもいかず、めんどくさいので、自由意志みたいなものがあるとされていたもののよーである。 ハードウエアである大脳がmindという機能の総称をもつ情報処理系にしたがって結果としてはきだしたものが人間のこの世界への認識、つまり現実だが、視覚のようなごく基礎的な情報がすでにCG処理で出来ていることでわかるとおり、「現実」はmindよりも下位の真実性をもつものにしかすぎない。 たこ焼きの香ばしいにおいや、出来たてのたこ焼きの上でヘニョヘニョダンスを踊っている花かつをが、いかに頼もしげな「現実」に見えても、BBCが最近惑溺している、CGを駆使した最新の恐竜サファリプログラムというようなものを観れば一目瞭然で、もういちどしつこく繰り返すと現実はmindよりも下位の真実性しか持っていない。 「生きがいとはなにか?」「どうすれば意義深い人生が生きられるのか?」というようなワニブックスのハウ・トゥーブック的な深刻さをもった人生の意味を考えるときに、意識されなければならないのは、人間が宇宙の物理法則の支配下にある100%物理的な存在で、カオス的な精神や意識というようなものも含めて、宇宙の物理現象内に限定される存在であることがまず第一だろう。 人間の大脳内を3.5V程度の電圧を閾値にして駆けめぐる信号は、たとえば群れから少し離れたアンテロプをどうやって捕食するか、というような莫大な情報の処理を必要とする雌ライオンの大脳とほぼ同じ思考傾向をもつが、そうやって形成された人間の思考と意識は、同じ結論に到達する強い傾向をもっていて、だんだんに理を詰めて考えていくと、人間の「自由意志」などは実際には与えられた初期条件にしたがって起こる物理的諸法則にしたがった結果で、「人間性」というようなものは、強固な意志であるよりは初期条件に依存していることに思いいたる。 人間の一生はアミノ酸の生成と消滅、雲の生成と消滅、銀河の生成と消滅、と本質的に変わらない生成と消滅の事象にしかすぎないが、ハードウエアとして(枚挙の筋道がおおく、通常の事象よりも桁違いに偶然性が高いために混沌とした)有機的ハードウエアを選んだために情報処理、つまり意識の対象として自己も選択してしまった、ということに人間というハードウエアとソフトウエアのセットの特徴がある。 人間が「なぜ?なぜ?なぜ?」と知性それ自体が狂気であるかのような巨大で無意味な好奇心を持ち、あらゆることを問い続ける存在であるのは、そもそも、まるで天気そのものが頭のなかで発生しているような、気まぐれで、混沌としていて、ちょっとしたきっかけで、あっというまにおおきく変化する「自然物としての集中神経系」を耳と耳のあいだにもっているからである。 混沌を制御する最も有効な方法として人間の大脳とmindのセットは「疑問」を採用した。 人間が解答が存在するはずのないことにまで疑問をもつのは、要するに疑問をもつことそのものがchaoticな内部宇宙である人間の意識が拡散してしまわないためのバインダの役割をはたすからである。 厄介なのは、ここで制御方法として人間というシステムが採用した「疑問」は自動的に自意識に対しても向けられてしまうことで、自分自身を処理対象とした情報処理は、その論理的不可能性に従って、つきつめる速度がはやすぎると自殺に至ることまである。 人間の認識の方法が発達していくに従って、現実はあってもなくてもどちらでもよいことになっているのは、ほとんど自明であると思う。 自分の存在を疑いのない実在であることを前提にしている「生きがい」というような自分の存在への認識の仕方も、古い時代の言語の金魚鉢のなかから人間が世界を眺めていた時代の、屈曲でひどく歪んだ自己存在への認識として笑い話のタネになってゆくだろうと思われる。 人間が宇宙が生み出した最高の美しさを持った系であることと、それを「自分」として意識する輝かしい病を獲得したことは別の問題に属する。 ほんとうは人間の一生の意味、というようなものが、1ページ目から書き直されなければいけない時に来ているのだと思います。

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マンガノート1

日本の戦後文化を最も特徴付けるのはマンガで、ひとつの民族がおもいっきり独創性を発揮するためには、自分達の民族性に合った「定型」を見つけ出さなければならないが、 日本人は「マンガ」という形式のなかに、自分達が最ものびのびと民族としての才能を発揮する形式を見いだした。 いっぽうには現代詩がある。 70年代初頭には松本清張や北杜夫、三島由紀夫というような人達は、それぞれ推理小説、船医の経験を述べたかるい随筆、純文学を土台にした娯楽小説(例:宴のあと)というようなキャラクタの文章で、だいたい1億円、40年も昔の貨幣価値は較べようがないが、さっきたまたま他のことで調べていた山手線の「初乗り料金」が30円なので、いまの貨幣価値になおせば10億円くらいにあたるのだろうか、そういうおおきな年収を得ていた。 小説家は、たとえば純文学、つまり小説家が少数の理解能力をもつ読者のために自分が最も書きたい物語を書くという立場にあって、本来は、そんなに高収入を得られるはずのないマーケティングに立っていた三島由紀夫でさえ、「宴のあと」を読めばわかるが、読み捨ての消費物としてではない物語を書いて、しかも豪奢な暮らしを送ることができた。 やや日本語の感覚が鈍い文章で、せめて欧州式の堅牢な「たくらみ」のある物語をつくろうとしても、ついてくるひともたくさんはいなくて、小説家なのか講演業者なのか判らない収入が内容のいまの「小説家」とは経済基盤が異なっていて、そのせいで、「文学青年」というような、売れるかどうかも判らない小説を書いて、一生を文学に投企してみる、というような若者もいたが、現代詩は、そういう「文学が儲かる時代」にあってすら、すぐれた詩を書くことによって生活に必要な収入を得るのはまったく無理で、書店に並ぶ現代詩の雑誌に自分の詩が印刷されて流通しても、よくて詩一篇で5000円、たいていはわずかでも払ってもらえるはずの原稿料も払ってもらえなかった。 詩集のベストセラーなど、本質的にマーケティングが成功したベストセラーだった谷川俊太郎の例をのぞけば、なんだか冗談みたいだが「千部」というような数だったでしょう。 余計で、くだらないことを書くと、日本の文学史上唯一の「詩集のテレビコマーシャル」は東京12チャンネルの深夜で流されたはずの岡田隆彦の「史乃命」で、もちろん、テレビコマーシャルを流した出版社は、あとであえなく倒産しました。 詩を作る能力とは別に、職業として詩人でありえたのは、戦後すぐから見渡していって、谷川俊太郎、田村隆一、吉増剛造の3人のみで、谷川俊太郎は「鉄腕アトム」の歌詞というようなものや全国にたくさんある校歌の作詞を観れば判るが、あとの糸井重里のようなコピーライターの才能がある人で、「定義」のような詩集と、歌詞とを見較べると、マーケティングで発語することが出来る以上に、世の中一般の人間の言語能力への深い軽蔑がみてとれるような趣の人だった。 田村隆一は、つまりは「破滅型」の人で、破滅を悲壮とおもわない点でいっそう破滅型で、いつか日本にいたときに、どんなものだろうと思って古本屋で買ってきてみたら、誤訳だらけのすさまじいハヤカワミステリの翻訳や、面白いのは、テレビや雑誌でヌードモデルをやってみたり、あるいはよく読んでみると5ページの記事のうち4ページ半は引用で、自分で書いた文章はほんの数行しかない、というような、こちらは自分の純粋に文学的、あるいは詩的感受性における天才を換金する方法で暮らしていけたひとだった。 最後の吉増剛造は「詩人」という言葉がもつ内容に自分を鋳型しようとした人で、 「オシリス、石ノ神」というような詩集をみると、これから自殺する人の詩集だが、花椿賞授章を境に持ち直して、ちょうどいまの低収入の若い人が節約して、工夫を重ねて、生活を小さくするやりかたで、この人はほんとうに「詩人」として生きていけた人だった。 マンガの話を述べていこうとしているのになぜ長々と現代詩人の話をすることから出発しているのかというと、マンガがノートブックの余白から生まれたからです。 「リボンの騎士」のような少女マンガも含めて、その後のさまざまなマンガの前駆体となるマンガを膨大な数で描いた手塚治虫にしてからが、やがて大阪医専にいきつく、仮面的なマジメな学生生活のあいまに、授業ちゅうに教師の目を盗んでマンガを描くことから始めたひとだった。 この人が憧れたウォルト・ディズニーも、たしかチェーンとしてのマクドナルドを創業したレイ・クロックだったと思うが、若いときに、ランチタイムにたくさんの若い兵隊たちに囲まれながら後年のミッキーマウスやドナルドダックを描いてみせて、食堂の人気者になっているのを目撃されて記録されているが、ウォルト・ディズニーと手塚治虫のあいだには若いデビュー前ですら重要な違いがあって、みんなの前で手品を披露するようにマンガを披露して驚かせるのを趣味としたウォルト・ディズニーと異なって、手塚治虫はあくまで自分が読んで楽しむのが本来の目的だった。 世界戦争が起きて、自分たったひとりがこの世界に生き残ってしまい、食べ物と紙とペンがあるとして、その状況で詩を書く人間はいるが小説を書く人間はいない、とは大学の文学の教室で、入ってきたばかりの新入生たちに大学の教師がよく例として話すことである。 日本人ならばマンガを描くのではないだろうか? と考えたのが、この記事を書こうと思った理由なのかもしれません。 日本の人にはごく明瞭な特徴があって、なにごとによらず、俯いて、自分の手のなかやテーブルの上で、細かくつくりこんでいくようなことには常に大変な才能を持っている。 それが顔をあげて、水平かそれより上に視線をもって作るようなことになると、だいぶん苦手な趣になる。 建物なら室内や庭園のディテールは素晴らしいのに、できあがった建築や町並は、これが同じ民族のものだろうかというくらい凡庸で醜いものだった時代が近代以降、長くつづいた。 日本人に顔をあげさせて、空が目に入るような仰向いた視線をもたせるためには、西洋的な「観念」で自分の顎をあげさせる作業が必要だった。 戦後建築初期には(特に関西の)建築家には共産主義者が多くて、いよいよ仕事の予定がたてこんでくると、スタジオの全員が「インターナショナル」を合唱しながら徹夜で仕事をしあげた、というような日本の建築家に多い逸話は、案外と、日本人の創造性の本質に根ざしているのかもしれません。 職業にするというあてがあってマンガを描く若い女びとや少年が数多く登場するのは、せいぜい70年代にはいってからで、それまでは、ほんとうに手すさび、「自分が描くのが楽しいから描いた」のに過ぎなくて、その頃、どのくらい広汎な数の中学生や高校生が、自分の一生を塗りつぶしてしまう勢いで、勉強もほうったらかしにして、マンガを描いていたかを考えると、おおげさでもなんでもなくて、それまでの人類の歴史にはなかった姿で、なんだか、あまりのことに楽しくなってしまう。 前から何度もこのブログに出てくるように、初めにしばらく住んでいた子供の頃をのぞいて、ぼくは日本にいるあいだじゅう、「雑誌」を蒐集していた。 週刊朝日、話の特集、平凡パンチ、パンチOh!、ボーイズライフ、ミセス、主婦の友、ありとあらゆる雑誌を創刊号から蒐集して、いまでもロンドンの実家には、雑誌の洪水というか、とんでもない量の雑誌が棚にはいっていて、ぼくの老後の楽しみに向かって待機中だが、 そのなかには少年サンデーや少年マガジンというようなマンガ雑誌もはいっている。 「義理叔父」というのは、かーちゃんシスターという名前でずっとこのブログに出てくるかーちゃんの妹の夫で、言語が不分明な日本人のおっさんだが、この人の父親はむかし毎週木曜日(?)になると書類鞄にこっそり、当時はたいそう薄かった一冊40円の「少年サンデー」を忍ばせて家に帰って来て、自分が読み終えると、「かあさんには、内緒だぞ」と述べて、じれまくって待っていた義理叔父にこっそり書斎で、ヤクの売人の厳粛さで、少年サンデーを渡したものだったという。 いま、その頃の「少年サンデー」を見ると、ぶっくらこいてしまうような「軍国雑誌」の趣で、横山光輝の「伊賀の影丸」というような線が綺麗な忍者マンガや、「おそ松くん」という赤塚不二夫の、その頃はまだおとなしいストーリーラインの、「チビ太」という濃厚に戦後孤児の姿を残しているキャラクタがあるコメディマンガに混じって、たとえば「大空の誓い」という加藤隼戦闘隊の少年操縦士たちを主人公にした「にっくき英米をさんざんやっつける」、当の英国人からみると、そーか、わしらそんなにマヌケで極悪なのか、と納得がいくような、いかないような、その頃、戦争はもう終わって20年以上経っているのに戦意昂揚マンガが載っていて、これからマンガの歴史をざっとみていきながら、とつおいつ書いていこうと思うが、いまのネット右翼や、右翼、もっと言えば安倍晋三のような「底が浅い」感じがする国家主義の淵源が、どのへんにあるのか見て取れる。 たとえば百田尚樹という人がNHKの委員というメディア上の重職につくのは、右翼的であるとかサヨク的であるとか言う以前に、小説からみてとれる「世界への理解の底の浅さ」というか、もっと簡単に言えば世界への認識のケーハクさにおいてNHKのように「ものをうみだすことを仕事にしている会社」には最も不適格だと思うが、あのケーハクさをどこかでみたことがある、と思って考えると、それは「大空のちかい」であり「ゼロ戦レッド」であり、なんだかちょっと言い方がひどくなってしまうようで百田尚樹さん、ごめんね、という感じがしなくもないが、作者のちばてつやはインタビューで、「紫電改のタカ」というマンガは、シリアスな戦記マンガを描きたかったちばてつやと、これはそんなたいそうなものでなくて、ガキがよろこべばいいだけなんだから、「戦争の悲しさ」みたいなひとりよがりのくだらない深刻ぶりはやめて、ひとつ「ゼロ戦レッド」みたいな「消えるゼロ戦殺法」や、特殊な高性能の「黒ゼロ戦」というような話をどんどんいれて、読者数をばんばん増やしましょう、先生はマンガを深刻に考えすぎて困る、ただのガキの荒唐無稽な遊(すさ)びものはないですか、という編集者とのあいだの不断の戦いから生まれたマンガで、結局は編集者に押し切られて、いいマンガになったかもしれないのに、いま読んでも残念で仕方がない、と述べていたが、その深みをつかむことができなかった「紫電改のタカ」にも似ている。 手塚治虫の「鉄腕アトム」のアニメを観ると、明らかに「人間と同じなのに人間として扱ってもらえない」ロボットたちは戦争にぼろ負けに負けた日本人の暗喩であり、ロボットの主人で、普段はロボットたちにも親切だが、いざ利益が相反すると、まったく無慈悲にロボットを殺戮して、少しも良心の痛みを感じない傲慢で理不尽なほど暴力的な「人間」たちは白人の暗喩である。 そうして人間たちからの差別に、傷付いて、苦しみながら、平和と非暴力を信じて、結局は人間(白人)たちがつくった文明の価値を信じようと決めて「人間の心」を失わずに生きようと決意するロボットたちは、アメリカ人たちのご都合主義に苦しみながら、戦後民主主義を信奉しようと決めた日本人たちとぴったり情緒が重なっている。 60年代の少年マンガ雑誌の印象は、戦後からいままでの日本そのものとも言えて、どうやら売り上げをおおきく左右したらしい巻頭の「図解」には、いかに日本のゼロ戦が強かったか、開戦百日の日本軍がいかに強かったか、というような、ほとんど軍国少年向けのような絵入りの物語が並び、「大空のちかい」のようなスーパーマン少年操縦士たちの物語には熱狂的な「読者からのお便り」がついている。 この「お便り」を書いていた子供たちは、いまなら、50代後半から60代前半のはずです。 マンガをいまの社会的な地位に上昇させる契機をつくったのは、意外にも、当時は「超」がつく売れっ子作家であった上に、日本人の好尚にあって麻布学園から東北大学を卒業した医師であり、しかも大歌人斎藤茂吉の息子であるという、階級制度をアメリカ人によって破壊された日本人にとっては、望みうるだけの最上の「疑似上流階級」のひとであった北杜夫であり、やはり麻布学園を出て、慶応大学の医学部を卒業して、当時は珍しかったに違いないフランス人を妻にした「なだ・い・なだ」たちだった。 一方ではマスメディアの「低俗なマンガを排斥しよう」キャンペーンが、新聞と、テレビの朝のバラエティショーを中心に頻繁に起こり、少しあとになるが永井豪の「ハレンチ学園」というようなマンガは、法律で禁止すればどうか、という議論を起こす。 「マンガは低俗で子供にマンガを読ませる親など親としての義務を放棄している」というのが60年代の常識で、それに真っ向から当時の「知識人」だった北杜夫たちが反駁して、ああいう「育ちが良くて頭の良い人達」が言うのなら、ということで、だんだんと社会の承認を得ていく。 このすぐあと「マンガ」は、実は、絶滅寸前にまで追い詰められるが、それはマスメディアのキャンペーンや文学によって起こったわけではなくて、「劇画」という「マンガみたいなくだらないものはダメだ」という側がマンガを模倣してつくった奇妙な「深刻マンガ」によって絶滅寸前まで押し込まれていくので、意外な展開で、おおきく見れば、マンガのマンガ自身による自己否定運動が起きてくるが、この「劇画」の担い手は団塊世代、全共闘世代の名がある、いまなら50代後半から60代の人たちです。 いっとき、明治大学裏の材木屋の倉庫の二階といういかにもな建物に事務所を構えた「青林堂」が発行していた「ガロ」は、それで長井勝一が会社の基礎を築いた、熱狂的に全共闘学生たちに支持された「カムイ伝」から半ばは意図的に出立して、遙かに内向的な、つげ義春の世界に沈潜してゆく。 あるいは手塚治虫がマンガの文学性を希求してつくった「COM」が破綻してゆくが一方で、この雑誌は、あだち充、諸星大二郎、西岸良平、長谷川法世、というような「現代マンガ」、マンガのルネッサンスというべき世代を生み出してゆく。 … Continue reading

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夜の闇のなかで

“The best audience I ever had made not a single sound at the end of my performances” と、オードリー・ヘップバーンが述べている。 その頃、後年、ほっそりとした清楚な姿の美しさで、全盛だったハリウッドのグラマー女優たちを一挙に田舎のストリッパーなみの印象に蹴落としてしまい、それまでは売り物だった胸の大きさを恥ずかしがらせた、「ローマの休日」「ティファニーで朝食を」の女優は、若いバレー・ダンサーとしてオランダの対ナチレジスタンス組織の資金稼ぎのための地下公演の舞台に立っていた。 公演のあいまには、レジスタンス組織の連絡員として、仲間がつかんできたナチの情報を夜の道を駆けて、支部から支部へ、伝えて歩いていた。 女優になってからのユニセフを軸にした活動は、この頃の情熱からまっすぐに続いている。 ひさしぶりに「ローマの休日」を観たので、ヘンな例からはじめてしまったが、欧州人の政治活動の特徴は、つかまれば拷問・処刑が待っている文字通り生命を賭けた政治活動であっても、政治活動がその人のたたずまいに影響を与えていない「普通の人」が担い手であることで、戦争のときだから特殊だったのではなくて、いまでもたとえば図書館の司書のアイルランドおばちゃんと打ち解けて話していると、ちょっといたずららしい顔をして、「わたしもイギリス人をふたり殺したことがあるのよ。IRAには、私の家族は全員がはいっていたの」と言われて、どひゃ、と思ったりすることがある。 だから特にどうということではないと思うが、日本にいたときには政治活動をする人がいかにも政治活動をしそうな感じの人で、元全共闘活動家、というような人にあうと、顔はもうしわしわだが、いかにもヘルメットをかぶって出かけたそうな風情で、キャプテンアメリカの映画を観て盾を持って走りまわっている子供みたいというか、スーパーマンを観てスーパーマンスーツを着て二階の窓から唇をきりっと結んで空をにらんでいる人みたいというか、政治と自分という個人との関係がやや過剰に人格を染めあげているタイプの人が多かった。 そういう、観察して「ちょっとカッコワルイ」と思っていたことが、社会という観点からは、日本では、やや本質的なことなのではないかと思い始めたのは、やはり福島第一事故があってからのことです。 自分のなかの「政治」がどのような形をとっているかは、当然ながら、人によって異なる。 日本の人は、どうしてあんなに政治や社会の問題が好きなのだろう、と述べたら、日本語フォーラムの友達が、「あれは、一生懸命おぼえたことを答え合わせをしているだけなんだよ」と応えて、頭の良いひとはなんにでもぴったし寸法のあった言葉を持ってるもんだなー、と感心してしまったが、言われてみれば初めて見えてくる、その通りで、はてブや2ch、最近ではツイッタでも、みなで勉強した、表紙に「政治・社会」と書いてあるノートブックを持ち寄ってきて、「安倍首相? ああ、あれはね、アベノミクスを否定するかどうかがポイントで、安倍政権を否定する人はアベノミクスをも否定するのか、と問いかけるのが主要点で+15点、クルーグマンがほめてることに言及してあれば+3、通貨供給量と市場経済について書いてあれば+1点…」 というふうに正解をどれだけおぼえているか確認しあっているのだと思えば思えなくもない。 ちゃんと参考書執筆者・予備校講師の役の人がブログを持っていて、正解を作製するのを業として、そういう所におおぜいの人が集まるのも、なんとなくうまく出来ていて、笑いがこみあげてくるよーです。 一方で、自分が正解集で見たことがない意見を述べる人があると、「あんたの答えは間違ってる! どの参考書の正解集に、そんな意見が出てるんだ? バッカじゃねーのw」と皆で全速力で駆けて集まってきて、勝ち誇って囃し立てるのも、日本社会では「みなが判り切っていると信じていることを答え合わせすることだけが議論」なのだと仮定すると、説明が付きやすいように見える。 正解が初めから判っているので、「いじめをなくすためには学校そのものを無くさなければダメだ」というような社会学者があらわれると、自分が持っている「教室内を改革して、よりよい学級をつくりましょう」というような正解例と異なるので、なんでこんな奴の誤答を読むバカがいるんだ、と、いらいらして、だが考えてみると自分の頭で考えた経験は皆無なので「正解は正解なんだよ!この誤答者めが」としか言いようがないので、矛先を転じて、あいつは駅前の店でアイスクリームをクリームアイスと言い間違えるような好い加減な奴だ、とか、ツイッタのアカウントを探してきて、中国では反政府人の要塞にもなっている、自由な社会のためのスリングショットであるツイッタを骨抜きにすることに成功したtogetterというツイート・コラージュ装置があるので、社会学者のツイートを巧みに編集して、発言そのものよりも発言者の人格を中傷して、信用の足下を掘り崩すことを狙う。 そういうことに熱中しだすと止まらなくなってしまうのも、やはり、正解集で採点してもらって、いつだかは100点満点で85点もとって、偏差値も62くらいまであがったことがある「教育・学校」問題で正解でないことをいいつのる社会学者が憎らしくてたまらないからでしょう。 政治はもともと何千万人という社会の構成員が、ひとりづつ完結した自分の宇宙をもち、異なる価値を信じ、てんでんばらばらな宇宙の法則をみつめているのを、調整して、社会という装置自体が崩壊してしまわないように「全体」へつなげていくために存在する。 なんだかものすごく当たり前のことだが、だから、政治は普通の人の普通の生活に少しづつ存在するもので、家族の夕食の団欒では年がら年中政治の話が出て父親も母親も、娘達も懸命に議論するし、その完結して自足している宇宙であるはずの「個人」が滅せられそうになれば、バレーの足のバンデージをほどいて、その足で、夜中の道をドイツ親衛隊の誰何(すいか)を微笑でやりすごしながら、地下運動の仲間へ伝言をとどけに行く。 あくまで「個」の欲求にねざしているので、正解集を広げてみると白紙で、「自分で書き込むこと」と書いてあるだけです。 政治や社会正義が服を着てしまったような人間には、あるいはアルコール中毒の人が酒の臭いを体中からぷんぷんさせているように政治や社会の「正義」が臭ってくるような人の「個人」には、「正しいこと」しかつまっていなくて、その頭のなかに映っている夕日は政治のせいで少し黒ずんで、真っ白であるはずの青空に浮かぶ白雲も、正義のせいで灰色にくすんで底が汚れている。 そうなってしまえば、あるいはそういう人間に耳を貸すようになってしまえば、本地も垂迹して、個人のために社会があるのか、社会のために個人が存在するのかわからなくなってしまう。 Arnhemの夜更けの街を自分の自由のために命を賭けて駆けた少女は、連合軍の失敗した作戦として有名なマーケットガーデン作戦で荒廃した町の、ドイツ軍による封鎖で起きた飢餓をも生き延びて、やがて女優として輝くような姿をスクリーンにやきつけたあと、(もちろん政治発言として述べたわけではないが)自分の政治的信条をこんなふうに述べている。 「The most important … Continue reading

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「死」を定義しなおす

死んでしまえば感覚器官がないのだから真っ暗で音のない空間にぼくはいるはずである。 意識の洞窟にひびく幽かな囁き声(のようなもの)にいくら耳を澄ましてもなにを言っているのか判らない。 手探りをしようとしても、きみがどこにいるか判らない。 あんなに、はっきり聞こえたような気がしたのに、ぼくにはもうきみがどこにいるのか判らなくなってしまった。 ただ、濡れたような、漆黒の感覚があるだけです。 生きていたときには、呼吸をすることも食べることも、足を交互に動かして歩いてゆくことも、あたりまえのことにしか過ぎなかったのに、死んでしまったぼくには、かなうわけのない贅沢になってしまった。 幽霊なんかいるわけないさ。 死後の世界もあるわけはない。 人間の、偉大で退屈きわまる科学的知性は、とおの昔にそんなことは証明してしまった。 それどころか、ぼくはきみのために人工的に幽霊をつくってみせることすらできる。 そんなに難しい仕掛けがいるわけじゃない。 きみを拘禁して、ベッドにしばりつけて、経験と実験が教える一定の状態においてやれば、きみはすぐに幻聴を聴きはじめる。 悲しいことに、われわれの「人間性」というものの惨めさを反映して、たいていは自分の悪口なんだけど。 やがて天井に、きみは不思議な動く紋様をみはじめる。 それから、きみは自分のベッドの脇に立つ「愛しい人」を見いだすだろう。 子供のときに死んでしまった、やさしい、胸元からとてもいい匂いのする母親かもしれないし、愉快なシャンソンを歌いながら、手をつないで、よく買い物に田舎道を歩いていった、きみを育ててくれたあの若い女の人かもしれない。 あるいは、きみを捨てて遠くにいってしまった、きみがあれほど愛した女の人かもしれない。 そうして、最後には、きみは、思い出そうとしても到底無理だった細部に至るまで、ありありと再現された「最愛の人」を視るだろう。 でも、それは死後の世界から、きみを孤独から救いだしにやってきた幽霊と同じことで、ただの幻覚なのさ。 一冊で納得できなければ二冊、二冊で納得できなければ三冊、それでも納得できなければ五冊でも六冊でも、ぼくはきみの目の前に幽霊など存在しないことを示す記述を積み上げてみせることが出来る。 いや、それどころか、十冊でも二十冊でも! きみの肉体が滅びたあとの死後の世界なんて、ありゃしないんだ。 幽霊も死後の世界も、自分の存在の惨めさと孤独に耐えられなかった人類の、あきらめの悪い願望にしかすぎない。 クルマ椅子に埋もれるように座った物理学者が、人工声帯を喉にあてて、「ついにわれわれは神が存在しないことを証明した」と述べている。 きみもぼくも知っているとおり、それは頭のわるい教会人や宗教人が直感するよりも遙かに本質的な言明で、もう人間は宇宙を説明するために、どんな意味においても神を仮定する必要はなくなってしまった。 神を仮定することによって返って宇宙の説明に齟齬を来すようになってしまった。 信仰者はそれでも頑迷に「ふん、科学者が何を証明しても、その証明の外側には神がいるのさ」とつぶやくに決まっているが、それは言葉が成立の事情によって絶えず生み出し続けている神にしかすぎない。 言語が成立するためにあるだけの神、言語が言語であるための神、 そして、われわれは所詮、自分達の社会の言語が夢見ているだけの存在にしかすぎない。 欲望としての言語が現実世界に投射してみせた虚しい願望にしかすぎない。 ある日、目がさめて、ドアを開けて外に出たぼくは、もうこの世界から神がいなくなってしまったのを知るだろう。 死後の世界も、そこで愛する妻や子供に再会する夢も、すべては無惨にかき消されてしまったことを知るだろう。 もうすぐ真実の怖ろしい影がさしてくる町の通りを歩いて、ぼくは何事かを思いだそうとするに違いない。 この言語の透明な影の堆積の向こうにある、たしかにあったはずの、何か暖かい記憶、冬の日だまりのような知性の光、誰かが永遠に向かって開け放ってくれたドア、かすかに聞こえてくるやわらかな声。 でも、もうぼくは知っている。 その声も生きているあいだにしか聞こえない。 永遠などは、この宇宙にはなくて、永遠とわれわれが信じたものは須臾にしかすぎなかった。 きみは通りのまんなかに立って、ふり返っている。 知ってる。 きみは、かすかなきみを呼ぶ声を聞いたんだよね? … Continue reading

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Dear Marco Polo

カウチに寝転がってテレビのチャンネルをザプっていたら、こわいおばちゃんで中国史家の吴芳思(Frances Wood) http://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Wood の顔が見えたのでリモコンでzapzapチャンネルをとばしまくっていた手をとめて観た。 Frances Woodが出ているのだからきっとそうだろうと思ったようにマルコ・ポーロについての番組で、観ていると最近は「マルコ・ポーロは実在しなかった」という意見が強くなっているようで、へえ、と思いました。 ラジオの出演ばかりだった吴芳思がテレビに進出しているところをみると、もしかしたら「マルコ・ポーロは実在しない」という趣旨の新しい論文か本が出ているのかも知れません。 歴史的紀行文の研究者であるBenjamin Colbertが画面に出て来て、このひとの持論の「アイスクリームとパスタを中国から紹介したという有名な話も含めてマルコ・ポーロの存在はすべてがファンタジーで現実ではありません」と述べている。 ヴェネツィアの図書館には「マルコ・ポーロ」という名前の人物の1323年1月9日付けの遺書が残っている。 wikipediaなんかに載っている「マルコ・ポーロ」の生年や死亡した年や、死んだときの情況などはこのひとのものです。 しかし、ほぼ近年の欧州研究者全員一致の見解として、どうもこのひとは単に同姓同名の人であった、というだけのことで、なにしろ文字になっている「マルコ・ポーロ」の記録がこれしか見あたらないので、これでいいや、ということになってしまったらしい。 このマルコ・ポーロという商人の遺書のインベントリにたくさんの絹やRhubarb(日本語でなんというか知らない)が書かれていて、これを根拠にこの人が中国へ行ったことがある人だと思えば思えなくもない。 だが一方で、この頃のヴェネツィアでは町から出ないで暮らしていても絹もRhubarbも城門のすぐ外に立つ市場で手にはいったので、中国へ行ったどころかヴェネツィアから一歩も出ないで死んだ可能性もある。 可能性があるどころか、この頃、ヴェネツィアで外国物産を扱っていた商人たちの遺書のインベントリにはたいてい絹もRhubarbも入っているので、これをみな中国に行ったひとびとだとみなすと、なんだかジャンボジェットで大汗のいる北京に団体旅行したマルコ・ポーロ様ご一行がいたような妙な具合になってしまう。 ここでちょっとだけ復習すると、「Marco Polo」のPoloは当時のヴェネツィアにもすごおおくたくさんあった名前で「Marco」はイタリアではいまでも普通にある名前です。 早い話が、ぼくのミラノ人の短身でサッカーキチガイの友達もマルコといって、口が悪い従兄弟は内緒で日本語で悪口を言うときには「チビマルコちゃん」と失礼な呼び方をする。 Il Milioneと付けたのは、「オカネモチの」という意味だったのではなかろーか。 テレビの画面のなかではFrances Woodが1938年版の「東方見聞録」がチョー薄っぺらい最も古い時代の「東方見聞録」写本に較べて、死後に、いかにたくさんの話をつけくわえられて、水増しされて、巨大な分厚い本になったかを物理的に並べて説明している。 Fuzhou(福州)についての記述を例にとると、もともとはたった一段落の記述であるのが、数ページに膨れあがっている。 ひとつには活版印刷以前の本は当然人間の手で書き写された写本で、ただ書き写すのが退屈だったのか、書写している人が勝手に自分でおもしろげであると考えたことを書き加えてしまうのは普通のことだった。 東方見聞録が、何世紀にも渡って書写されたので、たくさんの書き手でメタボって、ずいぶん分厚い本になってしまったことについては研究者たちがつくった異同表があって、「東方見聞録」の内容の殆どはマルコ・ポーロ(というか、マルコ・ポーロという名前で知られている人、あるいはマルコ・ポーロという名前で知られている虚構の旅人を生み出した作家)の死後に書き加えられたものであることが判っている。 「東方見聞録」の原本自体が紛失されたままになっていて、いま残っている最も古い「東方見聞録」は、オックスフォード大学のボドレアン・ライブリにある14世紀末の写本だと思うが、これも、いま調べると「装飾写本」といういま初めて学習した日本語がつけられている「Illuminated」Book http://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript で、日本に文化として類似のものが存在しないので、絵巻物とも異なっていて、説明するのが大層むずかしいが、Illuminated Bookというのは、言えば、冨と豪奢を誇示するための宝飾品ぽいもので、モノが与えられた雰囲気として、書いてあることの真偽などはどーでもいい、という性質のものです。 本なのに現実として書かれていることの真偽がどうでもいいというのは、考えてみると不思議な気がするが、本が活字になってからも暫くは「本」というものは真偽という概念に薄いものだった。 テレビ番組のなかでも「東方見聞録」の、デコにでっかい角が生えている着ぐるみを着たような毛むくじゃらのおっさん族や、チベットの国境でマルコ・ポーロが観たという、ものすごくイロキチガイの売春婦たち、頭が犬の「犬頭人」、1本しかない足で跳ね回る種族、1960年代の日本テレビ界の傑作でいまでも世界じゅうにカルトファンを持つウルトラQを観て書いたんかいな、それともゲゲゲの鬼太郎のコピーなのか、著作権マフィアJASRACの上納金強奪にあわないですむものなのか、という話が絵入りで並んでいたが、中世ヨーロッパでは欧州から外の現実世界は同時にファンタジーの世界で、現実という言葉の意味も虚構という言葉の意味も不分明な霧のなかの世界であったので、そんなわけねーよな、と読んだ人がおもっても、だからといって殊更に書かれている内容がフィクションであると断ぜられることもなかった。 「東方見聞録」には面白い特徴があって、一角獣着ぐるみ男や一本足でぴょんぴょん跳ね回るヘンなおっさんたちが跳梁跋扈する割には、中国に行けばどんな西洋人でもぶっくらこいたはずの、纏足や喫茶の習慣、箸、マルコポーロの旅のルートから云って通らなかったはずのない万里の長城が、どれも出てこない。 あるいは中国ではフビライ汗そのひとに気に入られたマルコ・ポーロは重要な役職についていたが、記録キチガイのお国ぶりを反映して、いまでも膨大な量をなして残っている宮廷人・役人名簿に、マルコ・ポーロあるいはそれらしき人名は載っていない。 gazetteerは日本語なら「地誌」だろうか、元代中国は詳細を極めるgazetteerで有名で、ちょっとでも名のある町のちょっとでも重要性のある人間ならば「地誌」に残っているはずだが、そこにもマルコ・ポーロの名前はない。 もっと簡単に言うと、中国語で誌された記録には、(中国人が音に聞こえた記録キチガイであるにも関わらず)いっさい「マルコ・ポーロ」あるいはそれらしき人物は登場しない。 テレビでもFrances Woodが例の「イギリスの怖いおばちゃん」然とした話し方でつばをとばしながら力説していたが、東方見聞録のなかでも最大の事件であるThe Mongol Siege of … Continue reading

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Sfumato

レオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」ということになっているが、あの飛行機械のスケッチ を見て、ヴィンチ村のレオナルドにエンジニアとしての素質があったと思う人はいないだろう。 実際、さまざまな形のダ・ヴィンチの「飛行機械」のスケッチをみると、オモチャの飛行機のそれで、材料の強度の点でも、あるいは仮に十分な強度をもたせると重量の点で、強度と重量を解決しても今度は機関出力(と言っても人力だが)の点で、みるからに空を飛べないレオナルド・ダ・ヴィンチの飛行機で空を飛んでみようとする人間はいなかった。 タンク(戦車) http://en.wikipedia.org/wiki/Armoured_fighting_vehicle#mediaviewer/File:DaVinciTankAtAmboise.jpeg のほうは、もう少しマシだが、ここには秘密があるというか、レオナルド・ダ・ヴィンチのこうしたアイデアは有名なノートブックに彼が描いたスケッチの数々が発見したドイツ人の手から離れて世界じゅうに広まっていったものであって、レオナルドは当時の習慣に従って、見聞し議論してものをノートブックに描きこんでいったものであることがいまでは判っている。 Konrad Kyeserは13世紀を生きた頭のいかれたマッドサイエンティスト、もう少し具体的に言うと物理学者で軍事技術者だったが、タンクのアイデアは、この頭のいかれたおっちゃんの独創的なひらめきが氾濫する頭のなかで作られた「War wagon」 http://en.wikipedia.org/wiki/Konrad_Kyeser#mediaviewer/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_01,_Blatt_01v_(Ausschnitt).jpg が淵源で、この考えにさまざまな人が改良をくわえて、レオナルドの戦車もそのひとつである。 Konrad Kyeserは攻城兵器 http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_13,_Blatt_74v.jpg http://www.pinterest.com/pin/563512972097100497/ ロケット http://manuscriptminiatures.com/3975/11005/ よく訳がわかんない凧 http://en.wikipedia.org/wiki/Konrad_Kyeser#mediaviewer/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_21,_Blatt_91v.jpg に始まって、貞操帯まで http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Konrad_Kyeser,_Bellifortis,_Clm_30150,_Tafel_15,_Blatt_82v.jpg 莫大な数の発明アイデアを絵入り図解本の「Bellifortis」というチョー有名な軍事マニュアルに描き残したが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、Francesco di Giorgioを通じて、この本にアクセスがあって、大好きだったことが判っている。 「なんだ模倣だったのか」というのは、現代人の考えることで、知識のあるもの同士がアイデアを共有して、「ここはこうしたらどうか?」「そこは、ほら、こういうふうに変えるとうまくいくんじゃない?」というスタジオ主義とでも言うべき集団作業の時代を生きていたレオナルドが、鼻歌をうたいながら、「Bellifortis」にでてくる機械にデザインを変更を加えては、かっこよくして、悦にいっているところが見えるようである。 レオナルド・ダ・ヴィンチのトレードマークになっているVitruvian Man http://en.wikipedia.org/wiki/Vitruvian_Man#mediaviewer/File:Da_Vinci_Vitruve_Luc_Viatour.jpg からして、もともとはSienaの偉大な天才技術者で芸術家のMariano di Jacopo il  Taccolaのアイデアで、 https://plus.google.com/+ZephyrLópezCervilla/posts/8Tv1CeouZ9Y レオナルドのオリジナル・アイデアではないが、こうやってみても、レオナルドのほうがぜんぜんかっこよくて、レオナルド・ダ・ヴィンチの才能がデザイナー&画家としての洗練と表現にこそあったのがよくわかります。 えー、ほんとですかー、という疑い深い人のためにつけくわえると、レオナルドがFrancesco di Giorgio http://en.wikipedia.org/wiki/Francesco_di_Giorgio が描いたものを通じてタコラの描いたアイデア群を読んでいたことは文字の記録になって残っている。 レオナルドが考えたとされる機械や道具にはタコラのものが多くて、 … Continue reading

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ふたつの太平洋戦争

ドキュメンタリのインタビューに答える元アメリカ人兵士たちの口からは The Japanese didn’t know how to lose. (日本人は負け方を知らない)という言葉がよく出てくる。 くだらないことをいうと英語がわかるひとは「the Japanese」に注意するとよいが、「文明人ではないんだ」というニュアンスの点で、かなり「うんざりだ」という感じの言葉です。 日本では「若者の気持の純粋さ」「国を思う戦士の悲壮な戦い」という「神風特攻隊」についても「初めのカミカゼ以来日本人をケダモノとしか思えなくなった」 「こいつらは人間ではない、と思った」という感想が多くて、 日本での特攻隊員への「方法はあやまっていたが国を思う純粋な気持はわかる」という評価を思い出すと、間がぬけた感想でも、「随分、ちがうなあ」という気持になる。 3000mから浅角度で降下しはじめて、1500mで60度の急降下にはいる、という特攻体当たり訓練を積み重ねて艦船に体当たりした「特攻」は、物理学的な勘があるひとならすぐわかるとおり、爆弾を投下した場合に較べて、衝撃時の速度が遅く、おおきな破壊効果はもともと期待できなかった。 もちろん力学で戦争をするように徹底的に教育される海軍将校たちも、そのことは熟知していた。 下がウルシー泊地で不意をつかれて高空からほぼ一直線に、特攻機の側からは理想的な情況で突入された航空母艦ランドルフの被害写真だが、装甲が薄いアメリカ空母の飛行甲板にすらおおきなダメージを与えられていないのがみてとれる。 母国の戦史において、ほぼ「忘れられた艦隊」である沖縄のイギリス太平洋艦隊はVEデー(ドイツが降伏した日)の翌日、乗員たちがロンドンのピカデリーサーカスを埋めつくして歓喜する群衆のニュースを聴いていた空母フォミダブルに2機、同じく空母ビクトリアスにも2機の特攻機が対空砲火をくぐって見事まっすぐに突入するが、戦果は「甲板にへこみ」をつくっただけだった。 連合国側からみると神風特攻作戦の最大の戦果は、連合国側兵士に与えた、正体のしれない、しかし激しい日本人への嫌悪感とやりきれなさで、ひとりのイギリス人空母搭乗パイロットは「特攻は自分達の艦に対するというよりもずっと個人的な攻撃、自分個人に向けられた攻撃だと感じた」と述べていて、神風攻撃のあとでは日本人を敵というよりも遙かに個人として激しく憎み軽蔑するようになったとインタビューに答えている。 日本のひとの興味をひきそうな点で、アメリカ復員兵士たちが、ほぼ全員口にするのは「広島と長崎に原爆を落とすことになったのはカミカゼの直截の結果だ」ということで、つまり、神風攻撃を肯んじるような「人間とは異なる何か違う生き物」と日本本土で戦えば、いったいどれだけの人間が死ぬだろう、という意識を全員がもっていたようにみえる。 戦争指導部も「トルーマンに原爆投下を決心させたのはカミカゼだよ」というが、 この認識は日本で見聞きした日本人の考える投下理由とおおきく異なっている。 日本では原爆の投下は「アメリカ人の日本人への人種差別のあらわれ」 「日本人が自分達より劣った人種だと考えたアメリカ人たちの日本人を利用した生体実験」と理解されていて、アメリカ人たちの「原爆が投下されたから多くの人命が救われた」というアメリカ政府の公式見解でもある主張は「とんでもない恥知らずな言い訳」と捉えられている。 何度かアメリカ人たちに、「きみらはそういうけどさ、日本人はヒロシマを、つまるところ人種差別のあらわれだと思ってるのね」と言ってみたことがあるが、顔を真っ赤にして怒りだす人や、軽蔑の冷笑を浮かべる人がいるだけで、「そういうこともあるかも」という反応をみたことはない。 日本の人の思惑とは別にアメリカ人たちのほうは、ごくマジメに「原爆は多くの人命を救った」と考えている。 面白い事に、アメリカ人のうちの日系の人も他のエスニックグループのアメリカ人と反応が同じだった。 ドイツの降伏(5月8日)は沖縄戦でいうと日本軍第32軍の反転攻勢の最中で、特攻作戦では菊水5号、第6次航空特攻総攻撃の真っ最中です。 沖縄戦を通じて、アメリカ兵たちにとって、ひいては全アメリカ人にとって最もおおきな喪失はアーニー・パイルの死だが、The Ernie Pyle billを生んで底辺の歩兵たちを大喜びさせた写真家は、すでに4月18日に伊江島で日本軍の機関銃によって殺されている。 人間の気持ちというものを考えれば簡単に想像がつくことだと思うが、どの連合軍兵士にとっても5月8日以降の死は全部ムダ死にで、当然、戦場でも著しく消極的になっていった。 沖縄戦に参加したアメリカ人やイギリス人は、「ひどい不公正だと感じた」と言い、空でも陸でも「自殺攻撃」してくる日本人をみるたびに、「なんでこいつらは親玉のドイツ軍が降伏したっていうのに、まだ戦争をやりたがるんだ」と考えたもののようだった。 なんのために? 日本人からみれば、(当然だと思うが)民族の力を傾けて華々しく、アジア人同胞のために、少なくとも初期には互角以上に「白人」と戦ってみせたつもりの太平洋戦争は、アメリカ人やイギリス人にとっては、ナチと四つに組んで戦っているのをいいことに、後ろから襲いかかってきた卑怯者との戦争にしかすぎない。 正面の門に大悪魔の軍勢が攻め寄せてきたときに裏庭からこそこそとはいってきて不意打ちをくらわせた卑劣な敵、というのが日本人のイメージで、まさか日本人に面と向かってそうは言わないので、日本の人はのほほんと「割とよくやった」と思っているが、当の「白人」たちのほうは、まったく異なる印象をもって戦争を記憶している。 考え方の癖というか、「どっちがほんとう」というようなことを考える習慣がないので、ぼくは、ここでも「随分、ちがうんだな」と思っているだけだが、認識を較べてみることはして、そうやって眺めてみると、日本人と例えばニュージーランド人の認識はびっくりするほど、違う。 日本人は八紘一宇の大義に燃えて、文字通り国運と自分の身命を賭してアジアのためにたちあがって反人種差別戦争を戦ったが、同じ戦争をアメリカ人は、ヒトラーが連戦連勝で勝ちすすみ、イギリスもロシアも全力を挙げて戦っても勝てず、欧州のパワーがアジアで萎んだのをみて、いまならアメリカが参戦しても二正面なので勝てる、と踏んではじめた「計算高い卑怯者相手の戦争」として戦った。 フランクリン・ルーズベルトとエレノア夫妻の親友として知られていた宋美齢が語る日本人の残虐と傲慢に、ハンフリー・ボガートやイングリッド・バーグマン、キャサリン・ヘップバーンというような有名人たちを含めた広汎な層のアメリカ人たちが中国人たちの悲運に深い同情の気持を持ち、日本人の行いを憎んで、せめて義援金をというので莫大な金額を中国に献金していたりしていた。 … Continue reading

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「日本のいちばん長い日」を観た

もう誰だか忘れてしまったが終戦からしばらくした日の夜更けに偶然お堀端で米内光政にでくわした人が書いた文章を読んだことがある。 この聴き取りにくいほど東北訛りのつよい、最初から最後までアメリカとイギリスを敵にする戦争をやって勝てるわけがないと主張して、開戦の前も終戦のときも、内閣に席をしめていた海軍大将は、かすりで、暗闇のなかで、たったひとり、お堀端の草地に吹上御所のほうを向いて正座して、号泣していたのだそうでした。 あまりの異様な光景に米内光政を見知っていたこのひとが声をかけられないでいると、そのうちに、元海軍大将は、「陛下、申し訳ありませんでした、陛下、米内をおゆるし下さい」と言いながら、その場でくずれおちるように地に伏してしまった。 このブログ記事でずっと見てきたとおり、戦後の日本マスメディアの太平洋戦争観は美化されすぎていて、とてもではないが、まともに相手に出来るものではない。 ツイッタでも「特攻などは、ただの犬死にで、そこには美しさなどかけらもない」と書くと、長くフランスに住んでいる日本人の女のひとが「国を思って身を捧げた特攻隊員の気持ちを『ただの犬死に』だなんて許せない」と言ってくる。 だが当時の「特攻隊員」が戦後になって残した証言は、たくさん残っていて、名のあるひとならば城山三郎のような作家から西村晃のような俳優がいる。 あるいは、なぜか同じ人であるのに日本のマスメディアのインタビューに対しているときよりは遙かに率直明瞭に証言を述べているBBCやPBSに出てくる無数の元「戦士」たちは、異口同音に、「志願制」のからくり、特攻強制のために故郷に残された家族を人質にとってしまう日本社会の残酷さ、ある場合には、このひとは本人が中国戦線以来の歴戦のパイロットで、軍隊のなかで一目も二目もおかれる立場で、上官といえども、星の数よりメンコの数、無暗に居丈高になれる相手ではなかったからだろうが、日本社会の文化慣習からおおきく外れた行動をとったひともいて、 「自分は通常の急降下爆撃のほうがおおきな戦果をあげる自信がある。 出撃して艦船を沈められなかったら、そのときは殺してくれ」と上官に直訴しても退けられ、ではせめて敵がみつからなかったら帰投することを認めてくれ、と述べると、 それも許されない、死ぬ事が最も肝要なので、そうまで言うなら爆弾はボルト止めすることにする、と告げられた飛行隊長もいた。 爆弾をボルト止めする、というのは着陸しようとすれば爆弾が爆発して間違いなく死ぬということを意味しています。 むかし、ロンドンのカシノで会ったアメリカじーちゃんに、じーちゃんが目撃した彗星艦爆パイロットの話 https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/06/10/彗星_ある艦爆パイロットの戦い/ を聞いたときには、いまひとつピンと来なかった自爆の理由が、いくつかのドキュメンタリを観て判った。 たとえ生還しても銃殺かボルト止めした爆弾を抱えた再度の特攻出撃命令が待っているだけで、それほどの屈辱的な死を選ぶより、自分が戦場として数年間を戦った海で死んだほうがよい、と考えたのでしょう。 「帰ってくるな」と言われた屈辱を、あの人は思いきり海に自分の生命を叩きつけることで表現したのであるに違いない。 ありとあらゆる人間性の弱点に不思議に通じていたナチはヨーロッパでは擡頭期から、ここという内政・外交の切所にさしかかると「美しい女を抱かせる」のを常套手段としたが、日本の、しかも一般世界から隔離されて生活してきた日本の軍人武官のようなナイーブさではひとたまりもなくて、当初はドイツをバカにしきっていた海軍軍人たちも、「親独派」に変わっていった。 イギリスには、ドイツにおけるのと同じもてなしを期待した日本の軍人が、「わたしのご婦人のほうはどなたに世話していただけるのでしょうか?」と訊いて、にべもなく、世話をする担当将校に 「われわれの国では、ご婦人と同衾するためには、その前に『恋愛』が必要なので、ご面倒でも、そこから始めていただかなければなりません」と言われたという話が残っている。 日本側には、これと同じ話が親日本的なドイツ人と較べてイギリス人の度しがたい人種差別の証拠として伝わっていたそうです。 最も決定的だったのは、最大の陸軍国、軍事的巨人とみなされていたフランスが、あっけなくドイツの機甲師団群に敗北して、インドシナが空白になったことで、当時の標語でいえば「バスに乗り遅れるな」、ドイツがアメリカやイギリスの主力をひきつけているこの隙に、軍事的な空白化している太平洋の西洋植民地をみな機敏に盗み取ってしまおう、という火事場泥棒の焦慮に駆られて、日本は太平洋戦争に突入してゆく。 なにしろオランダ人やフランス人が太平洋に放り出していったものを他人にとられないうちに掠め取りた一心だったので、うまいこと掠めたあとには、これといってやることも思いつかずに、オーストラリアを占領すればどうか、いや、いまこそ北のロシアを攻め取ればどうか、と述べているうちに、まだ工業余力が発生するまえの弱体なアメリカ合衆国の、劣勢な太平洋艦隊にミッドウエイで大敗北を喫するという失態を演じて、茫然自失のまま、アメリカが自分達の戦時工業生産の伸長にかかる時間を計算した結果しかけたガタルカナルという罠に見事にひっかかって、まるでアメリカの本格的な軍事生産を待って足踏みするかのような無意味な消耗戦に巻き込まれてゆく。 ロシアとの二正面から次第にナチを圧倒しはじめた連合軍は、1944年になると強大な正面の敵を打ち負かす見込みがついて、ようやく余力を太平洋にまわせるようになって、インド・マレーでも、それまで戦っていたひと時代前の装備の植民地軍から正規軍を相手にすることになった日本軍はひとたまりもなく本土へ向かって押し返されてゆく。 日本ではいまだに太平洋戦争は軍部や戦争を遂行した軍閥の観点から眺められていて、「白人の人種差別に対するアジア人のための戦いだった」 「白人の反アジア人連合に追い詰められた結果の自衛戦争だった」 ということになっているようだが、前者については、ぼくは面白い経験をしていて、学生たちの討論会で、「日本の戦争は白人からのアジア人解放という面があったと思う」と述べた日本からの(なかなか勇気がある)留学生に、歩み寄って、おもいきり平手打ちをくらわせた中国人女子学生のことをおぼえている。 ぼく自身は、どうとも思っていなくて、むかしのことでもあって、 日本のひとはドイツ人と違って考え方を変えていないのだな、と思うだけで、 平手打ちをしようと思うような強い関心がないようです。 「日本のいちばん長い日」という映画を昨日はじめて観たが、自分の頭のなかに入っている「日本終戦の日」の知識と同じで齟齬がないのは、実は、その知識そのものが、この映画のもとになったノンフィクションが暴いた事実に基づいているからに過ぎないからでしょう。 阿南惟幾が切腹自殺を遂げるところで、あれ?ここで阿南陸相は「米内を切れ!」と言ったはずだがなあーと思ったり、あ、近衛連隊が御文庫を襲撃したときにあの鎧戸を閉めたのは入江相政だったのか、とびっくりしたり、その程度の細部に異同があるだけで、なんだかずっと前にいちど観たことがあるような気がする映画だった。 そういうことがあるからか、映画で印象に残ったのは、まったくくだらないことで、 登場する人物たちが、やたら絶叫し、「声を励まし」、すごみ、慟哭し、感情を叩きつけて、まるで感情に酩酊した人のように振る舞うことだった。 映画の演出としてそうなっているのかと考えて、ぶらぶらとライブリに歩いて行って、戦争期のことについて誌した本を読んでみると、どうやら現実に当時の日本人は大声をだして叫び、怒鳴ることが多かったようで、へえ、と考えた。 英語人のなかではアメリカ人とオーストラリア人は「怒鳴る」人が多いので有名であると思う。 アメリカの人もオーストラリアの人も、喧嘩になると、大声をあげてわめきたてる人が多いのは、たとえば深夜に場末のバーに行くと、実証的に目撃できます。 ウエールズ人には「大声をあげる」という悪評がついてまわっていると思うが、それでも全体としては連合王国人は大声をあげるということを忌む。 たとえばイングランド人とニュージーランド人には観察していると喧嘩に面白い特徴があって、罵りあいをするまえに、まず先に手が出てなぐる。 相手を罵るのは、相手をイッパツなぐってから、たとえば襟首をつかまえて、低い声で「もういちど言ってみろ。この次は歯が折れるだけではすまないぞ」と述べるというふうに展開する。 むかしオーストラリアのボンダイビーチの深夜のバーで、自分のまわりにいた一団のひとびとが喧嘩をはじめて、おお、すげーと考えて眺めていたが、なんだか大声で「てめえ、ぶち殺すぞ」「殴られてえのか」と罵りはじめたので、なはは、子供の喧嘩みたい、かわいい、と思って笑ってしまったことがあった。 … Continue reading

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言語と美神

The force that through the green fuse drives the flower Drives my green age; that blasts the roots of trees Is my destroyer. And I am dumb to tell the crooked rose My youth is bent by the same wintry … Continue reading

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