「日本のいちばん長い日」を観た

もう誰だか忘れてしまったが終戦からしばらくした日の夜更けに偶然お堀端で米内光政にでくわした人が書いた文章を読んだことがある。
この聴き取りにくいほど東北訛りのつよい、最初から最後までアメリカとイギリスを敵にする戦争をやって勝てるわけがないと主張して、開戦の前も終戦のときも、内閣に席をしめていた海軍大将は、かすりで、暗闇のなかで、たったひとり、お堀端の草地に吹上御所のほうを向いて正座して、号泣していたのだそうでした。
あまりの異様な光景に米内光政を見知っていたこのひとが声をかけられないでいると、そのうちに、元海軍大将は、「陛下、申し訳ありませんでした、陛下、米内をおゆるし下さい」と言いながら、その場でくずれおちるように地に伏してしまった。

このブログ記事でずっと見てきたとおり、戦後の日本マスメディアの太平洋戦争観は美化されすぎていて、とてもではないが、まともに相手に出来るものではない。
ツイッタでも「特攻などは、ただの犬死にで、そこには美しさなどかけらもない」と書くと、長くフランスに住んでいる日本人の女のひとが「国を思って身を捧げた特攻隊員の気持ちを『ただの犬死に』だなんて許せない」と言ってくる。
だが当時の「特攻隊員」が戦後になって残した証言は、たくさん残っていて、名のあるひとならば城山三郎のような作家から西村晃のような俳優がいる。
あるいは、なぜか同じ人であるのに日本のマスメディアのインタビューに対しているときよりは遙かに率直明瞭に証言を述べているBBCやPBSに出てくる無数の元「戦士」たちは、異口同音に、「志願制」のからくり、特攻強制のために故郷に残された家族を人質にとってしまう日本社会の残酷さ、ある場合には、このひとは本人が中国戦線以来の歴戦のパイロットで、軍隊のなかで一目も二目もおかれる立場で、上官といえども、星の数よりメンコの数、無暗に居丈高になれる相手ではなかったからだろうが、日本社会の文化慣習からおおきく外れた行動をとったひともいて、
「自分は通常の急降下爆撃のほうがおおきな戦果をあげる自信がある。
出撃して艦船を沈められなかったら、そのときは殺してくれ」と上官に直訴しても退けられ、ではせめて敵がみつからなかったら帰投することを認めてくれ、と述べると、
それも許されない、死ぬ事が最も肝要なので、そうまで言うなら爆弾はボルト止めすることにする、と告げられた飛行隊長もいた。
爆弾をボルト止めする、というのは着陸しようとすれば爆弾が爆発して間違いなく死ぬということを意味しています。

むかし、ロンドンのカシノで会ったアメリカじーちゃんに、じーちゃんが目撃した彗星艦爆パイロットの話
https://gamayauber1001.wordpress.com/2009/06/10/彗星_ある艦爆パイロットの戦い/
を聞いたときには、いまひとつピンと来なかった自爆の理由が、いくつかのドキュメンタリを観て判った。
たとえ生還しても銃殺かボルト止めした爆弾を抱えた再度の特攻出撃命令が待っているだけで、それほどの屈辱的な死を選ぶより、自分が戦場として数年間を戦った海で死んだほうがよい、と考えたのでしょう。
「帰ってくるな」と言われた屈辱を、あの人は思いきり海に自分の生命を叩きつけることで表現したのであるに違いない。

ありとあらゆる人間性の弱点に不思議に通じていたナチはヨーロッパでは擡頭期から、ここという内政・外交の切所にさしかかると「美しい女を抱かせる」のを常套手段としたが、日本の、しかも一般世界から隔離されて生活してきた日本の軍人武官のようなナイーブさではひとたまりもなくて、当初はドイツをバカにしきっていた海軍軍人たちも、「親独派」に変わっていった。
イギリスには、ドイツにおけるのと同じもてなしを期待した日本の軍人が、「わたしのご婦人のほうはどなたに世話していただけるのでしょうか?」と訊いて、にべもなく、世話をする担当将校に
「われわれの国では、ご婦人と同衾するためには、その前に『恋愛』が必要なので、ご面倒でも、そこから始めていただかなければなりません」と言われたという話が残っている。
日本側には、これと同じ話が親日本的なドイツ人と較べてイギリス人の度しがたい人種差別の証拠として伝わっていたそうです。

最も決定的だったのは、最大の陸軍国、軍事的巨人とみなされていたフランスが、あっけなくドイツの機甲師団群に敗北して、インドシナが空白になったことで、当時の標語でいえば「バスに乗り遅れるな」、ドイツがアメリカやイギリスの主力をひきつけているこの隙に、軍事的な空白化している太平洋の西洋植民地をみな機敏に盗み取ってしまおう、という火事場泥棒の焦慮に駆られて、日本は太平洋戦争に突入してゆく。
なにしろオランダ人やフランス人が太平洋に放り出していったものを他人にとられないうちに掠め取りた一心だったので、うまいこと掠めたあとには、これといってやることも思いつかずに、オーストラリアを占領すればどうか、いや、いまこそ北のロシアを攻め取ればどうか、と述べているうちに、まだ工業余力が発生するまえの弱体なアメリカ合衆国の、劣勢な太平洋艦隊にミッドウエイで大敗北を喫するという失態を演じて、茫然自失のまま、アメリカが自分達の戦時工業生産の伸長にかかる時間を計算した結果しかけたガタルカナルという罠に見事にひっかかって、まるでアメリカの本格的な軍事生産を待って足踏みするかのような無意味な消耗戦に巻き込まれてゆく。
ロシアとの二正面から次第にナチを圧倒しはじめた連合軍は、1944年になると強大な正面の敵を打ち負かす見込みがついて、ようやく余力を太平洋にまわせるようになって、インド・マレーでも、それまで戦っていたひと時代前の装備の植民地軍から正規軍を相手にすることになった日本軍はひとたまりもなく本土へ向かって押し返されてゆく。

日本ではいまだに太平洋戦争は軍部や戦争を遂行した軍閥の観点から眺められていて、「白人の人種差別に対するアジア人のための戦いだった」
「白人の反アジア人連合に追い詰められた結果の自衛戦争だった」
ということになっているようだが、前者については、ぼくは面白い経験をしていて、学生たちの討論会で、「日本の戦争は白人からのアジア人解放という面があったと思う」と述べた日本からの(なかなか勇気がある)留学生に、歩み寄って、おもいきり平手打ちをくらわせた中国人女子学生のことをおぼえている。
ぼく自身は、どうとも思っていなくて、むかしのことでもあって、
日本のひとはドイツ人と違って考え方を変えていないのだな、と思うだけで、
平手打ちをしようと思うような強い関心がないようです。

「日本のいちばん長い日」という映画を昨日はじめて観たが、自分の頭のなかに入っている「日本終戦の日」の知識と同じで齟齬がないのは、実は、その知識そのものが、この映画のもとになったノンフィクションが暴いた事実に基づいているからに過ぎないからでしょう。

阿南惟幾が切腹自殺を遂げるところで、あれ?ここで阿南陸相は「米内を切れ!」と言ったはずだがなあーと思ったり、あ、近衛連隊が御文庫を襲撃したときにあの鎧戸を閉めたのは入江相政だったのか、とびっくりしたり、その程度の細部に異同があるだけで、なんだかずっと前にいちど観たことがあるような気がする映画だった。

そういうことがあるからか、映画で印象に残ったのは、まったくくだらないことで、
登場する人物たちが、やたら絶叫し、「声を励まし」、すごみ、慟哭し、感情を叩きつけて、まるで感情に酩酊した人のように振る舞うことだった。
映画の演出としてそうなっているのかと考えて、ぶらぶらとライブリに歩いて行って、戦争期のことについて誌した本を読んでみると、どうやら現実に当時の日本人は大声をだして叫び、怒鳴ることが多かったようで、へえ、と考えた。

英語人のなかではアメリカ人とオーストラリア人は「怒鳴る」人が多いので有名であると思う。
アメリカの人もオーストラリアの人も、喧嘩になると、大声をあげてわめきたてる人が多いのは、たとえば深夜に場末のバーに行くと、実証的に目撃できます。
ウエールズ人には「大声をあげる」という悪評がついてまわっていると思うが、それでも全体としては連合王国人は大声をあげるということを忌む。
たとえばイングランド人とニュージーランド人には観察していると喧嘩に面白い特徴があって、罵りあいをするまえに、まず先に手が出てなぐる。
相手を罵るのは、相手をイッパツなぐってから、たとえば襟首をつかまえて、低い声で「もういちど言ってみろ。この次は歯が折れるだけではすまないぞ」と述べるというふうに展開する。
むかしオーストラリアのボンダイビーチの深夜のバーで、自分のまわりにいた一団のひとびとが喧嘩をはじめて、おお、すげーと考えて眺めていたが、なんだか大声で「てめえ、ぶち殺すぞ」「殴られてえのか」と罵りはじめたので、なはは、子供の喧嘩みたい、かわいい、と思って笑ってしまったことがあった。
一緒にいた友達が、「夫婦喧嘩みたいなことをやってないで、さっさと殴りにいかんかいw」と言って冷やかしていたが、オーストラリア人は変わっておるな、と考えた。

ぼくは柄がわるい通りが好きなので、ろくでもないバーによくでかけたが、ダラスでもアトランタでも同じようなことがあって、だいたいその頃に「アメリカ人やオーストラリア人は喚くのが好きである」という偏見ができたもののよーです。

しかし「日本のいちばん長い日」に出てくる青年将校たちは、それどころではなくて、会話という会話がすべて絶叫でできている。
天皇と重臣が自分達の希望する本土決戦を肯んじないとみるや、ひとりの将校などは幼児のように声を放って泣き崩れる。

「日本のいちばん長い日」には、旧日本帝国陸軍の特徴である上官を恫喝する軍紀の弛緩、軍隊としての規律のなさ、命令不服従の悪習、がすべてみてとれる。
南京での虐殺・集団強姦、シンガポールでの中国系商人の虐殺、インドネシアでの女のオランダ人たちに対する誘拐と集団強姦、香港での病院襲撃とイギリス人看護婦たちの集団強姦、というようなことは日本では「そんなことはなかった」あるいは「戦争なのだからあたりまえで仕方がない」ということになっていて、そういうものの見方をする人間と議論をする余地はあるわけはないので議論をするつもりはないが、しかし「北京の55日」での日本軍の粛正な軍紀を考えれば、歴史家たちが誌している「二二六事件後の日本軍の頽廃」という意見にも耳を傾けないわけにはいかないだろう。

映画にも出てくるように7月26日にポツダム宣言を受信した日本の政府の反応は「まあ、まずなにもせずに待とう」だった。
何もしないが、何も発表しないのは「政府が動揺しているようにとられて、まずい」から、「あたらずさわらず」新聞各社に「調子をさげて」取り扱うように指導し、公式声明はださずに、政府はこの宣言を「無視するらしい」と報道しても差し支えはない、と新聞各社にほのめかす。
政府の指示をていした新聞は、ポツダム宣言をかるく、軽侮して取扱い、「笑止」という言葉で伝える。
明確な反対ではないのか、という前線からの軍隊の問い合わせに動揺した陸軍本部は、政府を動かして記者会見を開く、そこで「ポツダム宣言を重要視しない」と繰り返す鈴木貫太郎首相から、やがて「答える必要を認めない」という言葉をひきだした新聞記者は「帝国、ポツダム宣言を『黙殺』」と書き立てる。

黙殺は英語では「ignore」なので英語圏の新聞は、
「Japan Ignores Surrender Bid」というヘッドラインで書き立て、日本政府のポツダム宣言拒絶の意志にショックをうけた連合軍は、(当時の戦争指導部の信念によれば)残された戦争早期終結のゆいいつの手段である原子爆弾を広島と長崎に投下する。

8月8日にロシアが満州侵攻を開始したあと、(驚くべき鈍感さだが)日本がゆいいつ信頼できる国と信じていたロシアの宣戦布告に驚いて、日本は茫然自失、どうすればよいかわからなくなってしまう。
ノモンハンで思い切り顔をなぐりつけて、ロシアを破滅の淵にまで運んだヒトラーと同盟していたことを忘れてしまう都合の良さが日本政府のいまにいたる伝統的な持ち味と言えなくもない。

毎日会議がひらかれ、毎日意見が割れて、こういうところが面白いところだが「ここまで来てしまっては相手の意見をのむしかない」という海軍と文民大臣たちと「相手の意見は正しくない」と激烈に主張して一歩もひかない陸軍とのあいだで、論議がつづいてゆく。
正しいか正しくないかということと、そうすべきかいなかという異なる平面のことが、ちゃんと同じ議論にのぼせられるところが日本語というものの醍醐味だが、
正しくなくても、現実の問題処理にはこれしかないんじゃない?という理屈は通らないのは日本語議論の特徴で、ここで本土決戦を叫ぶ軍人たちは、いまの年金制度を維持していると国が倒産する、という人々に対して、年金がなくなるのは正しくない、と激昂するひとびとと軌を一にしているとも言える。

今度は「subject to」の解釈をめぐって紛糾して、いつまでたってもポツダム宣言を受諾するかどうか決められないでいるうちに、戦争をやめたくない近衛師団の青年将校たちは天皇を奪取して、終戦を阻もうとする。
有名な成り行きによって「聖断」が下ったあと、ここもまた楽しませる、というか、もっと早く放送されるはずだった玉音放送が15日にまでずれこむのは、ここは字句がまちがってる、ここに脱字があるといって原稿の清書に時間がかかるからである。
チョー日本ぽい。

青年将校たちのお互いに対して喚き散らす言葉には、「おまえの純粋さは買う」
「日本という美しい国をおもえ」というような情緒だけで中身がなにもない無責任な人間が愛好しそうな語彙に満ちていて、静かに語る文明を身につけた重臣たちは何も決断できないとう構図は、実は共和制初期のローマにあったのとまるで同じ構図で、叫喚と優柔が常に文明を破壊してきた人間の歴史を思いおこさせる。

映画の結末は無論史実と同じで、官僚組織としての軍隊の性格を強くもつ東部軍が近衛歩兵連隊を粛正し、放送は行われ、日本は戦争の敗北を認める。

和平をすすめる軍隊上司を「腰抜け」「生き恥さらし」「卑怯者」と呼び、師団長と和平派の将校を殺害し、一億総玉砕の国民全員戦死を主張して、このクーデター「宮城事件」を企てた
首謀者井田正孝は、戦後、広告代理店電通に入社して常務取締役になり、2004年2月6日に死ぬ。
もうひとりの首謀者竹下正彦が死んだのは1989年4月23日で、
自衛隊第4師団長、陸上自衛隊幹部学校長を歴任した。
常々「自衛隊などに入るな」と陸軍士官学校の同期生に言っていたのに、本人はさっさと自衛隊に入って出世してしまったので、皆が驚いたそうです。

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