Dear Marco Polo

se (8)

カウチに寝転がってテレビのチャンネルをザプっていたら、こわいおばちゃんで中国史家の吴芳思(Frances Wood)
http://en.wikipedia.org/wiki/Frances_Wood
の顔が見えたのでリモコンでzapzapチャンネルをとばしまくっていた手をとめて観た。
Frances Woodが出ているのだからきっとそうだろうと思ったようにマルコ・ポーロについての番組で、観ていると最近は「マルコ・ポーロは実在しなかった」という意見が強くなっているようで、へえ、と思いました。
ラジオの出演ばかりだった吴芳思がテレビに進出しているところをみると、もしかしたら「マルコ・ポーロは実在しない」という趣旨の新しい論文か本が出ているのかも知れません。

歴史的紀行文の研究者であるBenjamin Colbertが画面に出て来て、このひとの持論の「アイスクリームとパスタを中国から紹介したという有名な話も含めてマルコ・ポーロの存在はすべてがファンタジーで現実ではありません」と述べている。

ヴェネツィアの図書館には「マルコ・ポーロ」という名前の人物の1323年1月9日付けの遺書が残っている。
wikipediaなんかに載っている「マルコ・ポーロ」の生年や死亡した年や、死んだときの情況などはこのひとのものです。
しかし、ほぼ近年の欧州研究者全員一致の見解として、どうもこのひとは単に同姓同名の人であった、というだけのことで、なにしろ文字になっている「マルコ・ポーロ」の記録がこれしか見あたらないので、これでいいや、ということになってしまったらしい。

このマルコ・ポーロという商人の遺書のインベントリにたくさんの絹やRhubarb(日本語でなんというか知らない)が書かれていて、これを根拠にこの人が中国へ行ったことがある人だと思えば思えなくもない。
だが一方で、この頃のヴェネツィアでは町から出ないで暮らしていても絹もRhubarbも城門のすぐ外に立つ市場で手にはいったので、中国へ行ったどころかヴェネツィアから一歩も出ないで死んだ可能性もある。
可能性があるどころか、この頃、ヴェネツィアで外国物産を扱っていた商人たちの遺書のインベントリにはたいてい絹もRhubarbも入っているので、これをみな中国に行ったひとびとだとみなすと、なんだかジャンボジェットで大汗のいる北京に団体旅行したマルコ・ポーロ様ご一行がいたような妙な具合になってしまう。

ここでちょっとだけ復習すると、「Marco Polo」のPoloは当時のヴェネツィアにもすごおおくたくさんあった名前で「Marco」はイタリアではいまでも普通にある名前です。
早い話が、ぼくのミラノ人の短身でサッカーキチガイの友達もマルコといって、口が悪い従兄弟は内緒で日本語で悪口を言うときには「チビマルコちゃん」と失礼な呼び方をする。
Il Milioneと付けたのは、「オカネモチの」という意味だったのではなかろーか。

テレビの画面のなかではFrances Woodが1938年版の「東方見聞録」がチョー薄っぺらい最も古い時代の「東方見聞録」写本に較べて、死後に、いかにたくさんの話をつけくわえられて、水増しされて、巨大な分厚い本になったかを物理的に並べて説明している。
Fuzhou(福州)についての記述を例にとると、もともとはたった一段落の記述であるのが、数ページに膨れあがっている。

ひとつには活版印刷以前の本は当然人間の手で書き写された写本で、ただ書き写すのが退屈だったのか、書写している人が勝手に自分でおもしろげであると考えたことを書き加えてしまうのは普通のことだった。
東方見聞録が、何世紀にも渡って書写されたので、たくさんの書き手でメタボって、ずいぶん分厚い本になってしまったことについては研究者たちがつくった異同表があって、「東方見聞録」の内容の殆どはマルコ・ポーロ(というか、マルコ・ポーロという名前で知られている人、あるいはマルコ・ポーロという名前で知られている虚構の旅人を生み出した作家)の死後に書き加えられたものであることが判っている。

「東方見聞録」の原本自体が紛失されたままになっていて、いま残っている最も古い「東方見聞録」は、オックスフォード大学のボドレアン・ライブリにある14世紀末の写本だと思うが、これも、いま調べると「装飾写本」といういま初めて学習した日本語がつけられている「Illuminated」Book
http://en.wikipedia.org/wiki/Illuminated_manuscript
で、日本に文化として類似のものが存在しないので、絵巻物とも異なっていて、説明するのが大層むずかしいが、Illuminated Bookというのは、言えば、冨と豪奢を誇示するための宝飾品ぽいもので、モノが与えられた雰囲気として、書いてあることの真偽などはどーでもいい、という性質のものです。
本なのに現実として書かれていることの真偽がどうでもいいというのは、考えてみると不思議な気がするが、本が活字になってからも暫くは「本」というものは真偽という概念に薄いものだった。

テレビ番組のなかでも「東方見聞録」の、デコにでっかい角が生えている着ぐるみを着たような毛むくじゃらのおっさん族や、チベットの国境でマルコ・ポーロが観たという、ものすごくイロキチガイの売春婦たち、頭が犬の「犬頭人」、1本しかない足で跳ね回る種族、1960年代の日本テレビ界の傑作でいまでも世界じゅうにカルトファンを持つウルトラQを観て書いたんかいな、それともゲゲゲの鬼太郎のコピーなのか、著作権マフィアJASRACの上納金強奪にあわないですむものなのか、という話が絵入りで並んでいたが、中世ヨーロッパでは欧州から外の現実世界は同時にファンタジーの世界で、現実という言葉の意味も虚構という言葉の意味も不分明な霧のなかの世界であったので、そんなわけねーよな、と読んだ人がおもっても、だからといって殊更に書かれている内容がフィクションであると断ぜられることもなかった。

「東方見聞録」には面白い特徴があって、一角獣着ぐるみ男や一本足でぴょんぴょん跳ね回るヘンなおっさんたちが跳梁跋扈する割には、中国に行けばどんな西洋人でもぶっくらこいたはずの、纏足や喫茶の習慣、箸、マルコポーロの旅のルートから云って通らなかったはずのない万里の長城が、どれも出てこない。

あるいは中国ではフビライ汗そのひとに気に入られたマルコ・ポーロは重要な役職についていたが、記録キチガイのお国ぶりを反映して、いまでも膨大な量をなして残っている宮廷人・役人名簿に、マルコ・ポーロあるいはそれらしき人名は載っていない。
gazetteerは日本語なら「地誌」だろうか、元代中国は詳細を極めるgazetteerで有名で、ちょっとでも名のある町のちょっとでも重要性のある人間ならば「地誌」に残っているはずだが、そこにもマルコ・ポーロの名前はない。
もっと簡単に言うと、中国語で誌された記録には、(中国人が音に聞こえた記録キチガイであるにも関わらず)いっさい「マルコ・ポーロ」あるいはそれらしき人物は登場しない。

テレビでもFrances Woodが例の「イギリスの怖いおばちゃん」然とした話し方でつばをとばしながら力説していたが、東方見聞録のなかでも最大の事件であるThe Mongol Siege of Xiangyangは、ペルシャ人技師によって決着が付いた経緯も現実と違っていれば、第一、マルコ・ポーロが中国に到着する二年前に終わってしまっている。

一般に、特にイタリア人にとっては、マルコ・ポーロについて考えるときのヒントになっているのは、マルコ・ポーロがそのせいで獄につながれたと述べている、Battle of Curzolaを誤解した結果であるらしい帰国後のジェノアとベネツィアの戦闘が現実の歴史には存在しないことで、「東方見聞録」はこの存在しない獄中でマルコ・ポーロとRustichello da Pisaが出会って、ルスティケロがマルコ・ポーロから聞き書きしたことになっている。

そ。知っている人もたくさんいると思われるが、このRustichello da Pisaという名前はイギリス人には大変なじみがある名前で、アーサー王物語、フランス語で書かれたRoman de Roi Artusの作者と同じ人です。
そうして、「東方見聞録」には「アーサー王物語」と寸分異ならない文章が散見されるのが知られている。

現実の存在であるにしろ架空の人物であるにしろ、マルコ・ポーロはバクトリアのバルフの、そのまた向こうにも「現実」が存在することを広汎な層のヨーロッパ人に教えた初めての人だった。
ヨーロッパ人はマルコ・ポーロの旅行記によって初めて自分たちの文明を相対化する視座をもった。
そうして、その「自分達の文明を相対化する目をもった」ことは、そのあと、いまに至るまでの八百年という長いあいだ、ヨーロッパ人にびっくりするほど巨大で本質的な影響を与えた。
コロンブスのアメリカ大陸「発見」よりも、じわじわして、ゆっくり影響を与えただけで、影響全体としてはずっとおおきかったと思います。

ニューヨーク・チェルシーの、冗談がうまいウエイターがたくさんいる「Vynl」で、カクテルをはさんで楽しそうに談笑しているアフリカンアメリカン、ヨーロピアン、アジアンの、まぜこぜのグループが、遠慮も立ち消えになって、お互いの違いを笑い、違いに感心して、笑い合ったり、涙ぐんだりしている、いまの、人種の区別もなにもなくなって、きみがきみで、ぼくがぼくでしかない現代世界は、13世紀のベネツィア商人の、あるいは架空だったかもしれない旅の終点なのだと思う。

マルコ・ポーロは、スパゲッティやアイスクリームより、ずっと重大なものを架空の中国への旅から持ち帰ったのだと思います。

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