「死」を定義しなおす

se (9)

死んでしまえば感覚器官がないのだから真っ暗で音のない空間にぼくはいるはずである。
意識の洞窟にひびく幽かな囁き声(のようなもの)にいくら耳を澄ましてもなにを言っているのか判らない。
手探りをしようとしても、きみがどこにいるか判らない。
あんなに、はっきり聞こえたような気がしたのに、ぼくにはもうきみがどこにいるのか判らなくなってしまった。
ただ、濡れたような、漆黒の感覚があるだけです。

生きていたときには、呼吸をすることも食べることも、足を交互に動かして歩いてゆくことも、あたりまえのことにしか過ぎなかったのに、死んでしまったぼくには、かなうわけのない贅沢になってしまった。

幽霊なんかいるわけないさ。
死後の世界もあるわけはない。
人間の、偉大で退屈きわまる科学的知性は、とおの昔にそんなことは証明してしまった。
それどころか、ぼくはきみのために人工的に幽霊をつくってみせることすらできる。
そんなに難しい仕掛けがいるわけじゃない。
きみを拘禁して、ベッドにしばりつけて、経験と実験が教える一定の状態においてやれば、きみはすぐに幻聴を聴きはじめる。
悲しいことに、われわれの「人間性」というものの惨めさを反映して、たいていは自分の悪口なんだけど。
やがて天井に、きみは不思議な動く紋様をみはじめる。

それから、きみは自分のベッドの脇に立つ「愛しい人」を見いだすだろう。
子供のときに死んでしまった、やさしい、胸元からとてもいい匂いのする母親かもしれないし、愉快なシャンソンを歌いながら、手をつないで、よく買い物に田舎道を歩いていった、きみを育ててくれたあの若い女の人かもしれない。
あるいは、きみを捨てて遠くにいってしまった、きみがあれほど愛した女の人かもしれない。
そうして、最後には、きみは、思い出そうとしても到底無理だった細部に至るまで、ありありと再現された「最愛の人」を視るだろう。

でも、それは死後の世界から、きみを孤独から救いだしにやってきた幽霊と同じことで、ただの幻覚なのさ。
一冊で納得できなければ二冊、二冊で納得できなければ三冊、それでも納得できなければ五冊でも六冊でも、ぼくはきみの目の前に幽霊など存在しないことを示す記述を積み上げてみせることが出来る。
いや、それどころか、十冊でも二十冊でも!
きみの肉体が滅びたあとの死後の世界なんて、ありゃしないんだ。
幽霊も死後の世界も、自分の存在の惨めさと孤独に耐えられなかった人類の、あきらめの悪い願望にしかすぎない。

クルマ椅子に埋もれるように座った物理学者が、人工声帯を喉にあてて、「ついにわれわれは神が存在しないことを証明した」と述べている。
きみもぼくも知っているとおり、それは頭のわるい教会人や宗教人が直感するよりも遙かに本質的な言明で、もう人間は宇宙を説明するために、どんな意味においても神を仮定する必要はなくなってしまった。
神を仮定することによって返って宇宙の説明に齟齬を来すようになってしまった。

信仰者はそれでも頑迷に「ふん、科学者が何を証明しても、その証明の外側には神がいるのさ」とつぶやくに決まっているが、それは言葉が成立の事情によって絶えず生み出し続けている神にしかすぎない。
言語が成立するためにあるだけの神、言語が言語であるための神、
そして、われわれは所詮、自分達の社会の言語が夢見ているだけの存在にしかすぎない。
欲望としての言語が現実世界に投射してみせた虚しい願望にしかすぎない。

ある日、目がさめて、ドアを開けて外に出たぼくは、もうこの世界から神がいなくなってしまったのを知るだろう。
死後の世界も、そこで愛する妻や子供に再会する夢も、すべては無惨にかき消されてしまったことを知るだろう。

もうすぐ真実の怖ろしい影がさしてくる町の通りを歩いて、ぼくは何事かを思いだそうとするに違いない。
この言語の透明な影の堆積の向こうにある、たしかにあったはずの、何か暖かい記憶、冬の日だまりのような知性の光、誰かが永遠に向かって開け放ってくれたドア、かすかに聞こえてくるやわらかな声。

でも、もうぼくは知っている。
その声も生きているあいだにしか聞こえない。
永遠などは、この宇宙にはなくて、永遠とわれわれが信じたものは須臾にしかすぎなかった。
きみは通りのまんなかに立って、ふり返っている。
知ってる。
きみは、かすかなきみを呼ぶ声を聞いたんだよね?
ぼくにも同じ経験がある。

でも、あれはきみやぼくを呼んでるわけじゃないんだ。
そうして、ぼくときみの一生は唐突に、でも永遠に終わる。
青空の穏やかな日に、いつのまにか水面にできた波紋が消えるように。
なにごともなかったかのように。
波紋すらも起こらなかったかのように。

静かに。

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2 Responses to 「死」を定義しなおす

  1. coyu says:

    wordpressからメールが来て、犬さんと酔っ払ってたから、記事を声に出して読んでたら、泣いてしまいました。なんででしょう。tumblrの片隅にいたあなたを、偶然に見て、こんなに色々なこと、教えてもらったの、何かがあった気がする。今ただ潮が引いてしまっただけなのだと、そんな気がします。

  2. 眠れる森のおっさん says:

    なんちゅう良い文章だろう。 すごい。

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