日本語教室1_カタカナ・ブルース

se (14)

フランス語ではromanceは英語よりもずっと狭い意味で、リリカルな、英語でいえばバラードのような曲のことである。
actionにはフランス語では株式の意味があるが英語にはない。
料理をする人は知っていると思うが、cakeは英語では涎がでそうになるお菓子全体の総称だが、フランス語ではフルーツ入りのケーキのことです。
トルテとケーキがどう違うか、ガトゥとトルテとケーキの関係はどうなっているかは、常に家族の食卓のトリビアごっこの格好のタネで、
たとえば、いまちょっと英語のほうのページ (http://cooking.lovetoknow.com/what-is-difference-between-cake-torte)をみると、

At first glance, you might not notice the difference between a cake and a torte. That is because a torte is a cake. To make things more confusing, the word “torte” comes from the Italian word “torta,” which means a round bread or cake. In Europe, most cakes are called tortes. And, to add to the confusion, some French tortes are called “Gateau” which is French for, you guessed it, cake. So if a torte is a cake, what is the difference between a cake and a torte?
The typical description of a torte only muddies the water. A torte can have layers, like a Dobos torte, but might not. Cakes also can have layers, but angel food cake and bundt cake do not have layers. A torte can have a sweet icing like a cake, but if you are making a French torte it might not have any icing at all.
と書いてある。
読んでいるとケーキはトリビアにひたるよりも食べた方が良いものであるのが良く判る。

むかし、かけ出しで「発明」というヘンなもので当時の自分としては大枚の現金がはいったときに浮かれて一棟買いで買ったアパートメントのひとつが、クライストチャーチの地震でダメージを受けてEQC
http://www.eqc.govt.nz
が来るのに、現場はどんなふうかと考えて付き合ったことがあったが、レポートに「hallのドアの上にひび割れ」と書いてあるのが、いあわせたEQC、建設会社、コンストラクターの誰にも判らなくて困ったことがあった。
そのフラットは3寝室のホールがないつくりだったので、全員が
「なんのこっちゃ?」になった。
そのうちにコンストラクターのPが、「あっ、ここだ!」と声をたてたほうに向かって移動してみて、みなで大笑いしてしまった。
その「hall」は1メートル四方で、ドアが四方にあるだけのスペースだったからです。
ま、たしかにこれも定義から言えば「hall」だよねー、と皆で話したが、英語では1㎡のショボイ空間がhallでも、フランス語ではホールは日本語のコンサート・ホールというときの「ホール」に近い意味で、もっと堂々と広い場所にしか使われない。

アスペルガーは、むかしは病気だということになっていて、それから「もしかして、アスペルガーって病気の要件を満たしてないんじゃないの?」ということになって、最近は、「アスペルガーのほうが、現代社会で生き抜くには人間の人格として有利なんではないかしら」というふうに変位してきた、考察が面白い人間の精神の類型だが、日本社会は社会ごとアスペルガー的な、スティフでペダンティックな社会なので、英語人のいいかげんさは常に日本人の想像を越えてしまうようだが、たとえば、デイヴィッド・ロンギをデビッドランギと書いたら、キレてしまって、この人はニュージーランドに住んでいるのでしょう、「あなたはニュージーランド人を侮辱している」と、すごい剣幕で怒鳴り込んできた日本人の女の人がいた。
この人は、大庭亀夫のブログを読むと、自分が住んでいる住宅地の名前ですらラミュエラ、リミュエラ、レミュエラ、と、その時々の気分でテキトーに表記しているのを発見して、あまりの好い加減さに怒りが生み出したエネルギーで発狂死するのではないかと思うが、こちらにも言い分はあって、ラミュエラ、リミュエラ、レミュエラ、で、ルミュエラやオミュエラがいつ発生するかわくわくする文章になる理由は、「カタカナの名前のどれもRemueraと同じ名詞だとおもえないから」です。
アイロンとカタカナで書いてあって、それが、やさしいおかあさんの匂いがするironのことであると理解するには超人的な想像力がいる。
ポール・マッカトニーは昔日本に公演旅行に来て、大麻所持でつかまって留置所にぶちこまれたことがあったが、同じ房にいた日本人が気のいい人で、盛んに「Such a、 Such a」と話しかけてくる。
Such a horrible placeとかなんとか言うのだと思ったが、なんだか発言がSuch aで停止してしまう。
ううううーんと考え込んで、やっと、その人が言いたかったことが「マーガレット・サッチャー」だと判ってすごく嬉しかったそうである。

ポール・マッカートニーが実体験した笑い話として述べている、この逸話には、教訓的なところがあって、カタカナ外来語とは要するにそういうものだということを現している。日本語から英語への一方向の理解しかない特殊な言語で、その実、当該の英語語彙をあらわしているものは有効数字4桁が理解に必要な語彙であるとして、2桁程度しか対象語彙の意味をあらわしていない。
もっと現実に即して言うと、かなり多くの場合には、単純に「気分」だけをあらわしていて、英語としての意味の実体はなにもなくなっているように見える。
「日本人のあいだだけで通じる英語」なので、この英語になじんでしまうと、悪魔に魂を売って幸福を買ってみたら、幸福でなくてただの便宜が袋にはいっていた人のようなもので、英語とは永遠におさらばになる。
面白いことに、60年代の雑誌を読んでいると、色魔みたいな識者が、盛んに「カタカナは日本語を破壊する。使うな」と述べていて、ライスとはなんだライスは、ご飯という美しい日本語があるんだから、そっちを使え、だいたいBG(註:ビジネスガール。むかしはOLではなくてBGと呼んだらしい)とはなんだ、BGとは。
女子社員となぜ呼べない、売春婦じゃあるまいし、とすごい剣幕です。
一方のカタカナ便利だ派も負けてはいなくて、それじゃあんたはズボンを股引(ももひき)と呼ばせるのか、ブラジャーは「チチあて」か、と攻勢防御の姿勢を見せている。

日本の社会で「英米と戦争しているのに敵性語を使うのはけしからん」ということになって、野球の放送用語を、堀田善衛のおにいさんが必死に頭をめぐらして、デッドボールは死球、セーフは「よし」、アウトは「ダメ」というように日本語に変えてアナウンサーが苦労してから、あまり時間が経っていないころのことなので、カタカナがダメなんていうのは軍国主義復活の兆しだ、というひとびともあらわれて、混沌の相を呈している。
そのうちに国語学者たちがカタカナはもともと日本の文章のうち交換可能な部分に消耗部品のように装着されていて、カタカナをいくら交換しても文章の骨格には影響がないと述べて、どういうことなのか学者というものが大好きな日本の人は、全員が、そーかー、と納得して落着したように見えるが、これは、とんでもない罠だった。

ついこのあいだ、福島事故後処理に関する政治活動をライフワークにしたようにみえる、以前には火山学者としてのプライドをもって意見を述べていた人をリンチしろ、とツイッタで述べている日本では有名らしい人がいて、人間を木に吊してぶち殺しちまえ、は、いくら礼儀しらずな悪罵にチョー寛容な日本語社会とはいっても、これはすご杉である、と思って眺めていたら、そのうちにリンチは英語とは違って人を殺すという意味は含まれておらず、ただみんなでいじめましょう、と呼びかけたに過ぎない、ということになった。
lynchingはもちろん、定められた手続きを経た法的経過によらないで憎悪の対象になった人間を殺すことで、それも「木に吊す」というはっきりしたイメージを持っている。
むかしはアメリカ人たちが週末の娯楽に、黒人のくせしやがって自分のガールフレンドに目配せした、という情けない理由でむかつくアフリカンアメリカンをぶち殺したりしていたからです。
この出来事はふたつのことでオモロイと感じさせた。
ひとつは、日本人留学生で、日本ではリンチがよくある、と述べてまわりをぶっとばせていたひとがいたのをおぼえているからで、もうひとつは、この「火山学者をやっちまえ」の人はどんな人だろうと思って経歴をみるとフルブライト奨学生でシラキュース大学に留学して、英語の力を買われて海外特派員として活躍した人だからで、
1 リンチの本来の意味を知っていて使った
2リンチの本来の意味を知らないで使った

として、1ならば、当然、犯罪で日本の社会には最早犯罪を告発する能力がないことになる。
2ならば、日本という言語的洞窟の入り口に立って、長く国外で起きていることを洞窟内の仲間たちに伝えてきた人の英語が、世界を誤解させることの役にしか立っていなかったことの良い証明で、
3 1の意味で使ったが、雲行きがやばいので2の意味だということにすりかえた、という可能性もなくはないが、いくらなんでも、そこまで道徳的に破滅した人間が、日本のような文明社会で活躍できるわけはないので、そういう仮定を立てるだけでも、当のジャーナリスストの人に失礼であると思う。

英語人がどんなふうにフランス語から、ぽんぽんと語彙を借りて、いまの英語をつくるに至ったかは、たとえばモニがランジェリを買うのに付き合って、ぼっけーと、壁の茶色やピンクや赤や黒のブラジャーの大群を眺めていると、背中のほうから「Excusez-moi」という声が聞こえる。
Excuse me、ばかりでは退屈なので、英語人はふつーに使います。
これと同じことは、たとえばニューヨーク人の友達同士で、ね、今日デートなんだけど家に帰って出直すのは遠いから、きみの家でシャワー借りてでかけちゃダメかな、というと、相手は「Hey, mi casa su casa!」とスペイン語でふつーに答えるのと同じであると思われる。
ほんじゃ、カタカナ外来語の展開と同じじゃん、という人がいそうだが、そこには重大な違いがあって、カタカナは「日本人にしか認識できない音」で出来ている。
前にバジルさんに述べて遊んだことがあるが、フィラデルフィア、は日本人の留学生がいくら必死になって発音しても通じない地名としてむかしの日本では有名だったようで、留学生へのアドバイスとして「古豆腐屋」と言うのが最も良い、と重々しくもマジメに書いてあります。
しかし、日本の人で相当に英語が得意な人と英語で話しているのであっても、さっきのポール・マッカートニーの話に出てくるようにThatcherをサッチャー groundをグラウンドと言われると、もう相当に日本語になれている人でも全然ダメで、なにを言っているのかわからなくなる。
まして、連合王国語やニュージーランド語はヘンタイみたいな言語なので、たとえばニュージーランド南島の有名な温泉、「Hanmer」
http://hanmersprings.co.nz
をハンマーと書かれて、「昨日はハンマーでひさしぶりに楽しみました。」というようなブログを読むと、げっ、この人は殺人鬼だったのか、と思って狼狽するが、落ち着いて考えてみると、多分、この人はカタカナで書けば「ハムナー」に行ったので、日本の人が聴覚よりも視覚にしたがって言語を認識する習慣にしたがって、よもやHanmerをハムナーと発音する人たちが集団で住んでいる国が存在するとは思わなかったのだろう、と推理できる。

ほかにも、これまでも、わかりやすくするつもりで何回も同じ例を出したように、Costcoを「コストコ」と言われると、考えてみて理解したあとでもCostcoぽいパチモンのスーパーマーケットが出来たのだろうか、と一瞬考えたり、そういう地名や店名ならばいいほうで、
ゴッドと発音されて、それがほんとうにGodであると考え得るものなのか、英語で話しているときにライフとカタカナぽい発音で述べている日本の人を見て、あのライフがほんとうにlifeでありうるわけはない、と自然に感じることを考えてみればわかるが、フランス語と英語のあいだに横たわっているギャップよりも、なんだか、遙かに遠い、しかも、より本質的な相違を、日本の人はカタカナ語を生産するたびに盛大に増大させている気がする。
あるいは韓国のひとびとを民族差別として憎悪する日本人たちが社会として許容されている(例:警察が厳重に防御している)事実に我慢できないひとたちが、自称は右翼のひとびとを「レイシスト」と呼ぶことは、論理的には、たいへんな危険をはらんでいる。

もともとは、「日本語を捨てて国語を英語に」とか言う人をみると、ええええー、ジョーダンはよし子さん(←60年代に人気があった林家三平というコメディアンに淵源をもつ、おじんギャグ。わし、これ大好き)と思うほうだが、
いままで日本の友達たちと一緒に観てきて、共に言葉を交わして考えてきたように、どうも日本語そのもののなかに、日本社会が懸命に出口を探して、そのなかを彷徨っている迷宮の製造元があるらしい。
それを次回(←本当に書くもん)から一緒に出かけて訪問しようと思います。

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One Response to 日本語教室1_カタカナ・ブルース

  1. 時々、穴の空いたジーンズ生地のズボンをファッションではいている人が、「ダメージドジーンズ」と呼んでいるので、自分も穴の空いたよれよれの臭い靴下を履くとき「ダメージドソックス」などと言ってみたりしています。

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