Monthly Archives: July 2014

うなぎ

1 うなぎはヘンな魚である。 うなぎは後進する。 これだけでも十分ヘンである。 うなぎは湿った地面を伝ってひとつの川から隣の川へ陸上を移動する。 サケや他の淡水と海水のあいだを旅する普通の魚は産卵のために川を遡上するが、うなぎは逆さまで川から海へ産卵しにおりてゆく。 世界の19種類のうなぎは19箇所の産卵の場所を持っていて、すべての同種のうなぎはその授精場所へ帰っていく。 日本のうなぎの授精場所は西マリアナ海、グアム島の西400キロくらいのところにあるのが判っている。 世界で最もうなぎについて詳しいうなぎ知性の東京大学教授塚本勝巳が2011年に天然受精卵を発見したことによって具体的な場所もほぼ判明した。 ほぼ判明した、が研究者たちの永年の夢である「うなぎの受精」そのものは見ることができなかった。 塚本勝巳によれば、たとえば日本うなぎの受精は、日本じゅうから集まってきたうなぎがひとつの超巨大なヌルヌル球体を形成して、お互いにヌルヌルしながら授精に精を出しているはずであるという。 人工授精では実際に発生する個体数が極端に少なく、発生しえた個体は例外なく畸形であるのは、どうやら、この巨大ヌルヌルボールに秘密があるらしい。 世界の養殖うなぎの稚魚は、多く、サルガッソー海由来の北米うなぎで、ほとんどメイン州とサウスカロライナ州、特にメイン州でとれる。メイン州だけで8割、だかなんだか、そういう数字で、これが台湾や中国に空輸されて成体にまで肥育され、日本市場で販売される。 なかには欧州やアメリカに空輸されて日本食レストランで供されるものもあって、なんのことはない、里帰りしている。 メイン州の漁師はうなぎの稚魚捕獲でボロ儲けできて、たったひとりでネットで穫ってバケツにいれる漁法で一夜に邦貨1000万円を越えるうなぎの稚魚をとったりする。 2012年には到頭最高値1kgあたりUS$5800をつけた。おおざっぱに言えば、60万円です。 メイン州に行くと「うなぎ長者」がいるのは、地元では有名な事柄に属する。 http://www.nytimes.com/2012/03/30/us/in-maine-fishing-for-tiny-eels-and-big-profits.html?_r=0 この稚魚(glass eel)を買う方は数千億円規模の巨大産業なので、もう止めるのが難しくなっている。 うなぎも利権化するのである。 2 ニュージーランドでは、マオリ族にとっては、うなぎは神聖な生き物である。 ちょっと西洋世界の蛇に似ていて、ときどき、ぐわあああああな美人のねーちゃんの姿になってワカモノを誘惑したりする。 マオリにとっては、部族的情緒の中心でもあって、うなぎの話になると、涙ぐみながら話をするマオリの老人は、南島に行くと普通に存在する。 わしマオリ人友達も日本料理店でうなぎがショーウインドーにあるのを見ると、「日本人たちの腹を割いて蒲焼きにしたらどんなに気持がいいだろう」という危ない冗談を言う。 顔は笑っているが目は笑ってません。  もっともニュージーランドでも(主に水力発電ダムのせいで)絶滅しかけているうなぎを捕獲しているのは海と水際全部の権利を国から与えられて持っているマオリ族で、あっちもやめないとお話のつじつまが合わないような気がしなくもないが、一緒にでかけたトランピングでお腹を割かれて蒲焼きにされて皆に食べられてしまうのは嫌なので、口にだして言ってみたことはない。 もう少しうなぎが絶滅に近付くとマオリ族のうなぎへのaweがズームアップされて、反うなぎ漁の思想的背景をなして、Eel Shepherdなんちゅうのが出来て、日本の鰻屋さんに突撃するかもしれないが、あっかんびー、クジラをとるのはやめないかんね、国際司法裁判所がなんぼのもんじゃい、を日本の人がやっているかぎりは、そっちに怒りが集まって、突撃うなぎ特殊部隊は、その後だろう。 そのときは、たとえば、「尾花」がある千住でもマオリの戦いの儀式「ハカ」 が見られるかもしれません。 3 初めてうなぎを食べたのは麹町の「秋本」という店で、子供のとき、義理叔父にせがんで連れて行ってもらった。 日本に住んだ、初めの年の終わりだったと思う。 かーちゃんととーちゃんに頼んでも戸惑わせるだけなのは判っていたし、こっそり妹に聞いてみたら「おえええええー」と言われただけだったので、従兄弟とふたりで義理叔父に頼んでみたら、ふたつ返事で連れて行ってくれた。 義理叔父のクルマが大きすぎて鰻屋からいちばん近い駐車場に駐車を断られたというようなくだらないことを鮮明におぼえている。 善国寺坂の途中にある、その店は義理叔父はよく知っている店らしくて、女将さんが出て来て「座敷にあがられますか?」と聞いていたが、今日はテーブルのほうがいい、と義理叔父が勝手に応えたので、従兄弟とふたりで、「あれってガイジン差別だよな」とヒソヒソと話をしたのをおぼえている。 eelだとおもうと、きんもちわるー、だが「うなぎ」なら平気だったところが言葉の妙であると思われる。 鮨屋で「tuna」と言われるとまずそーだが「まぐろ」ならチョーおいしそーな感じがするのと同じことでしょう。 … Continue reading

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アスペルガー文明_1

1 宮崎駿は自分の認識のなかから「日本の美」を拾い集めてきて表現するのが神秘的なくらい上手な作家である。 「風立ちぬ」に出てくる堀越二郎の実家の黒光りする階段の美しさは普通のものではない。 御影用水の脇の散歩道、高い煉瓦のアーチ橋を走る草軽鉄道、いまでは進駐軍によって接収され廃棄されたせいで永遠に失われた技術である九六式艦戦から零戦へとうけつがれる「さばの骨」の曲線で組み立てられたやさしい流線形の「畳と布団で出来た工業デザイン」、そのうえで、宮崎駿は「魔の山」をもちだすことによって日本人が軽井沢につくりあげた「小さな小さなヨーロッパ」でさえ、その不完全性の切なさを以て「美」であると認識した。 この映画が欧州人やアメリカ人にとって、どう評価すればよいかとまどわせるような、ひどくわかりにくいものに映ったのも無理は無いことだと思います。 日本の社会は一種のアスペルガー社会であるとみなすことができる。 その上に「正常人」という頭がいいだけの愚か者たちが神輿の上の痴愚神のように載っている。 適者生存という言葉は、むろん強者が生き延びる、という意味ではない。 適者生存が強者の生存競争における勝利を意味するならいるはずのない生き物が無数にいて、生きていることは、夏の晴れた一日、ボートを出して、沖合に出て、どんな面々が水の上や下でのんびり遊んでいるか観察すればすぐにわかる。 強者は意外と儚い生命力しかもっていなくて、観ているとかえって同情したくなるほど攻撃に攻撃を重ねた毎日をすごさなければならない。 キングフィッシュが鰺を襲い、そのキングフィッシュをサメが襲撃し、そのサメの腹を海底から海面に突進して突き上げて気を失わせて、悠々とおいしいところだけを食べて、あとは省みることもせずの海底へと捨てて泳ぎ去って行くオルカたちを観ていると、その傍らでのんびりと海面にぷかぷかしていて、ちらっと横目でアホどもの激闘に一瞥をくれているブルーペンギンのほうが繁栄の保障を得ていることは、どんな人でも気が付く。 日本以外のすべての世界の文明がextrovertな人格性を帯びているのに対して、ただ日本の文明だけがintrovertな人格性の上に建設されているのは真に驚くべきことであると思う。 アスペルガーはむかしは精神病のひとつに数えられることがあった。 念のために述べると「精神病」の定義は純粋に社会的なもので、たとえば有名な例ならば60年代のアメリカに旅行してなんらかの理由で入院したフランス人は、診断されれば、十中八九、アルコール依存症であると宣言される可能性が高かった。 フランスの病院ならば、そんなことはありえなかったが、アメリカの病院では一滴のワインも昼食につかないので、急にアルコールを断たれてショック死した例もある。 当時の「正常な」フランス人は、アメリカでは紛うことないアル中だったからです。 数学者の岡潔は講義の前に碁石を投げて碁笥につづけて3つはいらないと講義に出なかった。 ときどきはうまくはいらないことが続いて癇癪を起こして講義に出ないこともあったという。 ここで碁石が「3つ」だから正常なので、世の中には百個続けてはいらなければ次の行動に移れないという人もいる。 百個になってしまえば、奇癖ではなくて精神病です。 精神的な「病気」の定義が社会性を決定的に阻害しているかどうかにあることが端的に出ている。 アスペルガーの特徴とみなされる、細部にこだわる訓詁的なペダンティズム、相手の目をじっと見つめることができないアイコンタクトの能力の欠如、他人に自分の主張を否定されることへの激しい嫌悪などは20世紀的な社会では病気と判断されかねない反社会性をもっていた。 20世紀の社会ではおおかれすくなかれ公共優先思想が生きていて、それと西欧的な個人主義を共存させるためにはextrovertな人格性がなければ成り立ちえなくて、例外なくintrovertな人格を持つアスペルガー人は、激しい社会の反撥をかうことになったからです。 憎まれ役にしかすぎなかった。 社会のお荷物。 態度の悪い反逆者。 よくて、「笑いもの」。 このブログでずっと眺めてきた日本の社会の特異性は、introvertなアスペルガー人をごく少数のextrovertな人格性をもった非アスペルガー人が支配してきた社会の特異性だとみなすことができる。 なぜ、そんな倒錯した社会がありえたかというと、なんだかくだらなさすぎて信じてもらえないかもしれないが、東大と京大の試験が、人格もなにも関係なくて、ただ「点数」のみによっていたからでしょう。 一般に「正常人」よりも高い知的能力を示すアスペルガー人は東大や京大のなかでは往々にして「多数派」だった。 アメリカにも似たような大学にMITというパラダイスがあるが、日本は戦前からアスペルガーパラダイスを実現していたと、言えば言えなくもない。 知性に論理的かつ枚挙的な手続きの処理が要求されるITの時代になってみると、もともとアスペルガー人にとっては地獄に等しい社会だったアメリカでさえアスペルガーが正常な人格の類型のひとつであることはもちろん、20世紀的な正常人よりもかえって優位な人格であることが明らかになってきた。 特に調査してみる必要もなくて、スティーブ・ジョブズ、スティーブ・ウォズニアック、ビル・ゲイツ… というようなコンピュータ・コミュニティの初期の大立て者を考えるだけでも、みなアスペルガー人で、もともとモンティパイソンをザ・クラシックとして必須の教養に数え、ガールフレンドを微分しようと試み、「正しい製法の」オーセンティックなコカコーラをわざわざ南米から輸入して、「正統な」ハワイアンピザとともに食べるコンピュータコミュニティの、すっかり頭がいかれたカルチャは、どこからどうみてもアスペルガー人がつくった新しい文明である。 記事が長くなってまた文句を言われるのはかなわないので、詳しくは書かないが、日本はextrovertな(どちらかといえば凡庸で退屈な才能しかもたない)秀才たちがintrovertなアスペルガー人の突出した知的能力をいいように利用して国を切り盛りしてきた近代の歴史を持っている。 職人やエンジニア、一部の研究者が極めて優秀なのに、その上に座る管理職が唖然とするほどバカなのは、いまでは全世界にあまねく知られた日本の社会の特徴だが、それはつまりアスペルガー人の上に「正常」なだけで、他には何の才能もないマヌケが君臨できる社会の体制のせいであるように見える。 ここから何回かコンピュータ社会の外側から、日本のアスペルガー人たちが築いた文明の「美」を共感のこもった暖かい目で、絵柄の細部という形で描ききった、「もうひとりのアスペルガー人」宮崎駿のアニメを思い出しながら、日本の特異な成り立ちを日本の社会のアスペルガー的な特徴を照合しながら、観ていきたいと思う。 もしかすると、この角度からの観察は日本が急速に世界にcatch upして、catch upするだけでなくて、まるで異なるマイクロ文明で、もういちど世界を腰がぬけるほど驚かせる可能性があると思うからです。 安倍晋三が首相として勝ち鬨の声をあげているように、日本はこのまま戦前の、退屈で粗野で暴力的な、いかにもバカタレな「美しい国」に退行してしまうのかもしれないが、それでも可能性を考えることに意味がゼロということはないでしょう。 … Continue reading

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日本語教室2_漢字という借り着

(この記事は https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/19/日本語教室1_カタカナ・ブルース/ の続きですのい) 口語と話し言葉が異なるのは当たり前で英語人は国語(つまり母語としての英語)の授業でたいてい教わるので日本語人の国語(つまり母語としての日本語)の授業でも教えることだろうと想像がつく。 日本人は明治時代までは「国家」という概念をもたなかったので統一王朝以前、たとえば戦国時代の中国の国家の概念を借用するほかなかったが、当然、この「国家」は日本自身が「中国でない国」という意味においてのみ国家として意識されていた。 宋統一王朝以後の中国では海内はあっても国家は存在せずに中華という宇宙の広がりがあって、それが辺境に及び蒼茫の向こうの未開の地になる、というグラディエーションのかかった意識が一般的で世界に各個に独立した国家があるというような迷妄は蔑まれていた。 ところが日本語は言語そのものが漢文を読む方便として発達したという重要な一面があって、漢文を読み下すために中国人が書いた「漢文」という形式の文章の余白に、レ点をつけ、送り仮名を書いて中国音がわからなくても、当時の日本人にとっては抽象的思考のゆいいつの方法であった中国語漢文という言語を使えるように工夫した。 18世紀になると本居宣長という人が、当たり前だが、日本人の実情や情緒とおおきく異なることも多かった漢文による思考を離れて、「漢意」(からごころ)を排して、ひらがなのやまとことばによる抽象的思考の必要を訴えたが、本居宣長自身の著作を読めばわかる、惨めなほどの失敗に終わった。 「漢字・漢文」への思考の依存は、18世紀の段階でどうにかしようと思っても到底できないほどおおきいものだったからです。 言語が意識の実体であることを考えると、そういう、言わば「中国人の頭を借りて」日本の事情を考察するのが日本人の思考の歴史的特徴で、明治時代に行われた近代文語は、言わば「読み下された中国的思考」の様相を呈するが、ここで大事なのは、明治人が頭のなかで観念的抽象的思考をするときには実際に文語で行っていたことで、典型的な例として夏目漱石を考えるとわかるが、漢文読み下しで思考したものを、教養がない者たちでも理解できる、ちょうどある種の動物の母親が食べ物を咀嚼してから子供に口移しに与えるようなものとして「わかりやすい日本語」で伝えるために日本語の口語は発達した。 夏目漱石の文章に新造語が無暗矢鱈に多いのはそのためで、ペンネームですら枕水漱石からとった、この漢文の巨人は、また、そういう作業をやすやすと行える思想翻訳の天才でもあった。 一方の、並び称される森鴎外のほうは漢文を欧州語にいれかえることによって日本語、つまりは日本人の思考を「近代化」しようとした、いいかえれば欧州人の頭を借りて日本の事情を考えようとしたが、これはいまではよく知られているとおり手ひどい失敗に終わってしまっている。 鴎外の漠然と意識された試みが実際に行ったことは現実の効果としては欧州語の思考を読み下された漢文という形式の中国語の思考に置き換えるという行為で、その結果シュルレアリストたちが言う「遠くのものを結びつける」面白い効果は起きたが、それ以上のものにはならなかった。 生き残って日本人の思考に重大な影響を与えるようになったのは夏目漱石金之助のほうであるように見えます。 日本人はたいへん不思議な民族で、自分たちの体型にあわない言語を裁断することさえなく、すそをたくしあげたり、本来は前をあわせてしめる服を、前を開け放ったまた着たりすることによって「使って」きた。 モンゴル人やチベット人は漢族と同じ漢字を表記法とすれば漢族の思考に自分達の思考が侵略されるのは当然だとして、パスパ文字を発明した。 もうひとつの理由は自分たちの文化の内側から発生しない言語を借用することの危険さをウイグル文字の時代に身にしみて感じていたからでしょう。 13世紀クビライ汗の時代になると国家事業として言語を創設している。 日本の人に「あなたが使っているのは中国の辺境語だ」と最近の中国人知識人がよく述べる意見を述べても怒り出すか一笑に付すかだろうが、日本語の側からでなくて中国語の側からはよく見えることであるらしい。 「らしい」というのは、これを書いているぼくが中国語は白痴に等しいからで新聞や薄い本くらいは読めるが、音が伴っていない(四声がちゃんとしていない)ので、なんだかヒエログリフを高速で解読している人のようなもので、音が壊れているのだから、言語としてはまるで理解できていないのは当たり前です。 中国人たちと話していると、現代中国語には辺境語のよく知られた特徴として日本語の語彙がたくさんはいっているそうで、これは言語意識のありかたからいえば、日本語には戦前の朝鮮語の語彙はたくさんはいっているのに、戦後、韓国が日本から独立してからの語彙は極端に少ないことによくあらわれている。 「自分達の言語圏から自分達に隷属している文明世界に向かって手を伸ばして語彙をつまみ食いしている感じ」と言えば良いだろうか。 他の言語でいえばフランス語と英語のあいだによく似た関係が歴史を通じて見られるのはよく言われることだと思います。 その反対に極めてよく似た言語であるスペイン語とイタリア語のあいだには、不自然なくらい少ない事例でしか起こらない。 このブログをずっと読んでくれている人はよく知っているように、韓国語が日本語とそっくりで、したがって情緒や思考の癖が日韓はほとんど区別がつかないくらい、というよりも「日本人と韓国人」と区別を立てようとおもうほうが不自然な感じがするくらい「同じひとたち」であるのは当たり前として、中国人と日本人が(ぼくの事前の予想からすると)意外なくらい似ているのは、12世紀以来「(影響は受けているが)中国でないこと」を民族的なアイデンティティにしてきたようにみえる日本のことを考えると、謎だった。 儒教圏ですから、と、あっさり言ってくるひともいたが、年がら年中肌をみせて、幕末にやってきた欧州人を「こんなに裸でうろうろするのが好きな民族は見たことが無い」と驚かせた日本民族が「儒教圏」では中国人や韓国人は自分達の二千年を越える孔子の頭に宿った観念を現実より優位においたすさまじい訓詁的努力を思って泣くと思う。 オオマヌケなことに日本人は漢字仮名交じり文を読むときには「漢字」を読んでいるので、その漢字には中国人の情緒や思考の癖がいっぱい詰まっていることを忘れていたのでした。 木とひとつ書けば一本の木、林になれば木がやや間隙をなして群集している様子、森になれば薄暗いほどの密度の木の密集、孟子を読むと木を4つ書いてジャングルを表してあったりして、漢字は本質的に観念的な表記だが、そのことはまた次のときに述べる。 巧みな日本語の使い手だった吉行淳之介が書いたものを読むと、この人が日本語で書かかれた文章の「腐りやすさ」に頭を痛めていたことがわかる。 日本語の「死語」の生まれやすさは驚くほどで、むかしの週刊誌を読んで、聞きかじっておぼえた「ギッて」というような表現を使って、「そんな表現もう使いませんよ」と日本の人に大笑いされたり、文章全体から見て70歳代の日本人に違いない、と言われたりで、ぼくもさんざんだが、言い訳をすると、その理由の幾分かは日本語の目立った、食べ物でいう「足のはやさ」、表現が腐って、使い物にならなくなるスピードの速さにあると思う。 他の言語では、わざわざ流行語を使ってみせない限り、あまり起こらないことだからです。 ニュージーランド人の英語は「クールに決めた高校生達が、じーちゃんばーちゃんの英語を使っている」と、よくUK人やアメリカ人に笑われたものだったが、あるいはたとえばWhoopsy daisyというような言葉はUK人はいまだに使ってもアメリカ人は横で聞いていてひっくりかえって笑うような言葉で、そうやって死語が生まれ、意味のずれが起きてくるのはどんな言語でももちろんあるが、日本語の場合は、なんだか表現の寿命が極端に短くて、これでは世代間の会話など成り立たないのでないかと思うほどである。 よけいなことを書くと、日本人がほんとうに言語習得の苦手をはねかえして、英語を身につけていける日が来たとすると、論理的に当然な結果によって、いま使われている「カタカナ」は一挙に陳腐化してなくなるはずです。 それは英語人から言えば、チョー簡単な予測で、日本のバンド人がステージの上で「ロックン・ロール!」と叫ぶと、英語人の聴衆が失礼にもゲラゲラ笑ったり、自分のことを考えても外国語と日本語が混ざった放送だった「インターFM」(たしか、そんな名前)は、クルマに乗っているときにときどき聞いたが、「今週のビッグ・ヒット!」という、その「グ」と「ト」のところで、モニもぼくもどうにも決まりがわるくなって、恥ずかしいような気がして、ふたりだけの車内なのに、声にだして笑ってしまう。 カタカナ音は英語とは、まったく親和性が悪いからで、英語ができないかカタカナがまるごと死語化して日本語からなくなるかどちらかでしかありえないのは、日本にいたときには友達うちで「カタカナ英語発音の権威」と呼ばれて、「アメリカ」でも「インディビデュアリズム」でもすもももももももものうちでも、なんでもかかってきなさいだった、ぼくがいうのだから間違いはない。 日本文明のマイクロ文明としての最大の特徴は初めから最後まで「借り着」の言語で終始したことで、このことはたとえば日本の人から現実感覚を奪ったと思う。 頭の中がものすごく観念的で、言葉はどうせシンボルにしかすぎないが、それにしても、言葉が表象しているはずの現実が言語から剥がれ落ちていて、言語がどうにでも組み立てていけてしまうような、修辞的危うさがある。 現実が剥離した言葉を使えば、当然、組み立てた論理の数だけ「真実」が生まれてくるのは当たり前の当たり前で、放射能が突然安全になったり、南京虐殺がなかったことが「証明」されてしまったり、しまいには憲法もバイパスできることになってしまったりするのは、現実が剥がれ落ちてしまえば詭弁と論理の区別もなくなる、言語というものの、古代ギリシャ以来、人間のあいだで知られてきた事情をよく示している。 借り着の言語を使うことには、実は、もっと深刻な弊害があると思うが、長くなって、またいろいろな人に苦情を言われそうなので、それはまた次の回にします。

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さよなら、民主主義

国民の戦意を調査した「特高月報」の1944年10月の記事に、 「戦争はいやだ。日本は必ず負ける。日本は勝手な国いやな国、日本全員米英の政治下領土になれ」という東京本所区の公衆便所に落書きが記録されていると半藤一利がしるしている。 あるいは多くの東京人が、戦争に負けた日の夜、灯りの覆いをとって、窓の目隠しも取り払って、ひさしぶりに明るい夜をすごした日の気持を、たとえば「ざまあみやがれ、これで戦争は終わりだってんだ」と述べている。 ちょうど反戦の主張をもった文学者たちや、地下の共産主義者たちですら、真珠湾奇襲を聞いて「なんともいえないスカッとした気持になった」と述べているのと対をなして、戦争に負けた夏の日の夜、戦争に負けたくやしさよりも、「これでもう抑圧された生活を送らなくもいいんだ」と、頭の上からおもしがとれた気分になった人が殆どであったように見える。 同じ「特高月報」に「戦争に負けたら敵が上陸して来て日本人を皆殺しにすると宣伝して居るが、それは戦争を続ける為に軍部や財閥が国民を騙して言うことで、自分は米英が其の様な残虐なことをするとは信ぜられん」と工場の壁に書かれていたと報告があるので、いま常識とされている、「男はみな性器を切り取られ女はみな強姦されると国民は皆信じていた」 という「証言」がどの程度ほんとうだったか。 実際にやってきたものは、なんだかきょとんとしてしまうようなことで、アメリカ軍が「強制」したのは去勢でも兵隊の妾になることでもなくて「民主主義」というものだった。 実際、「強制」という言葉どおりだったことは、例えば「忠臣蔵」を含む歌舞伎の演目は大半が「非民主的」という理由で上演禁止になったことでも判る。 当時の、「民主主義は天皇陛下よりも偉いのか?」 「民主主義で女も人間のうちに数へられるやうになりますか?」 というような問答を見ると、アメリカ軍が日本人に強制した「民主主義」というものが、どういう驚きと輝きで迎えられたのかわかるような気がする。 それは当時の日本人一般にとっては、なんだかよくわからないがありがたい菩薩観音のようなものだったのではなかろうか。 西欧人が日本にやってくると、日本では民主主義が奇妙なほど理想化されていることに驚く。 簡単に言うと「民主主義はフラストレーションの固まりだ」という基本的なイメージがないように見える。 ものすごくストレスのたまるシステムで、すっきりしない制度だという基本的なイメージがないように見えることがある。 TPPのときだったか「よく話しあって全員が納得するまで議論することが民主主義というものだ」という人がたくさんいて、びっくりしたことがある。 なぜなら制度としての民主主義は「全員が納得する」ことなどあるわけはないから生まれたシステムで、不可能なことを実現できると仮定すれば民主主義そのものの破壊を結果するのは当たり前のことだからです。 暴力を意識しない民主主義は機能しない。 国家という絶対暴力があって、そこに市民の側からの暴力が生まれて拮抗しだしたところに「民主主義」の萌芽が生まれた。 フランス革命は全体としては世にも惨めな失敗に終わってしまったが、しかし、1789年7月14日にバスティーユを襲撃した主婦達が長い鋤の柄の先に門衛たちの生首を刺して行進した姿は、一定の状況下では国家の暴力が絶対たりえないことを殆ど象徴的に「国民」たちに教えた。 パンの値段が暴騰したことを直截の理由とするこの革命によって人間が学んだ最大の政治的知識は市民の側にも国家と匹敵しうる暴力が宿りうることで、この発見は18世紀のヨーロッパを震撼させたが、一方では「民主主義」という不思議な手続きを発達させる基礎になっていった。 民主主義の成立を考えればすぐに得心できるが、もともと民主主義は「わがまま」な市民の「自分はこうしたい。他人のことなんか知らん」という強い欲求から、つまり、個人個人の強烈な欲求の圧力から生まれてくる。 ふたつの対極にある暴力が出会う場所が「公論」なので、民主主義国家においては議論が問題を解決しないとみると政府は暴力的に市民を取り締まろうとし始める。 アメリカのニューヨークで起きたことは良い例で大企業の秘書や航空会社のパイロットでも給料日が近付く頃になると、ひどいときには公園のゴミ箱を漁らなければならないほどの「中間層」の生活の苦しさを反映して起きたデモは自分達が議会に送り込んだ政治家たちに問題を解決する能力がないことを見越して起きた。 一方で、国家の側も、警察を送り込んで過剰にならないはずの暴力を構えて対峙した。 1996年9月10日、ポーリン・ハンソンの「Maiden speech」をきっかけに起こった「反アジア人運動」はオーストラリア全体に広がる国民的な運動になって、1980年代初頭の反日本人運動のような日本人だけを対象にしたものではなくて、全アジア人を排斥しようとする巨大な「One Nation」運動になっていった。 クイーンズランド州から始まったこの運動は他州にも飛び火して、シドニーのあるニューサウスウエールズ州に事務所を構える頃になると、オフィスビルや住宅地のアパートの窓やテラスから「アジア人でていけ」の垂れ幕が次次に掲げられる空前の国民運動になっていったのをおぼえている。 ポーリン・ハンソンは、そこから一歩すすんで、オーストラリアでは最も開明的だとみなされていたビクトリア州のメルボルンに事務所を開いた。 議会に解決能力がなく、放置すれば反アジア諸法案が通過しそうだと見て取ったオーストラリア人たちがとった行動は、反アジア主義者たちの予想を遙かに越えたもので、彼等は反・反アジア主義キャンペーンなどを通り越して、事務所を物理的に襲撃した。 生命の危険を感じた反アジア人運動の中心ポーリン・ハンソンは、有名になった12分間の「Death Video」を録画します。 「Fellow Australians, if you are seeing me … Continue reading

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3つの断片

1 piety 落ち着いて考えてみればわかるが、この世界の「先進国」(ヘンな表現だが便利な表現ではあるので仕方がない)のなかで信心深い人間がたくさんいるのはアメリカ合衆国だけです。 理由はとても簡単で、たとえばアメリカ人の破産の第一原因は「病気」で、病気になると人生がなくなる。 労働者の権利というようなものは無いのも同然でランチブレイクに同僚と昼ご飯を食べに行って戻ってきたらクビになっていた、ということも十分ありうる。 州によっては社会に銃があふれているので、ビンボな町に住んでいれば向こうから歩いて来たローティーンの子供に100ドルはいった財布をめあてにあっさり撃ち殺される、という可能性も十分にある。 一方で巨大な金銭的成功が存在する国で、アイビーリーグ以上の学歴があり、素早い判断ができれば、だいたい10年くらい過労死寸前の労働をすることによって、すさまじい高収入をあげることが出来る。 実際、アメリカ人の友達に「スキーに行かない?」と言われて、いいよ、と述べると自家用ヘリコプターのお迎えが来て直截山小屋に行く、というようなのは普通で、結婚するまえは、チェルシーのろくでもないアパートメントでヒマをこいていると、ストックブローカーの女びと友達から電話がかかってきて、 「おーい、ガメ、遊びに行こうぜ。今度、おれ、無人島を一個買ったんだよ。誰も見てないとこでチンポコ潜水艦やって遊べるぞ。おれはチ○チンついてないから付き合えないけどな、ガハハハ」というような電話がかかってくる。 20代の勤め人なのに、「給料」が40億円を超えている。 物理的な姿も、このひとに特徴的な圧倒的な言葉の下品さをギリシャ人風(←実際におかあさんギリシャ移民)の気高い美貌に包んで、見た目は、大理石ぽい上品さです。 そういう「成功者」がごろごろしている国でもある。 いまの世界でははなはだしく信用がない神様がアメリカでだけは関心を持ってもらえるのは、要するに、生活が諸行無常、運次第で不安定な、明日をも知れぬ生活であるからで、神様と片務同盟を結ばないとやってられないのであると思われる。 2 炎 「ヘンなガイジン」が、この頃、朝まで起きて絵を描いていることが多いモニさんを待ってカウチに腰掛けてテレビを観ている。 「神も仏もあるものか」と日本語で頭のなかでつぶやいている。 テレビ画面に映っているのはHDMIでつないだMacMiniから流れてくるインターネットのCNNニュースです。 イスラエルの戦闘爆撃機がガザを空漠している。 手元のMacbookProでは「シオニストは狂人集団化している」 「あれをユダヤ人だと思われたら、ムスリムがいっそうはびこるだけだ」 「アッラー・アクバル!」 「ムスリムの兄弟たちに援助を」 さまざまな声が飛び交っている。 静かに立ちあがって、キッチンへきゅうりのサンドイッチをつくりにいく。 料理の人が残していってくれたインダクショントップの上のミネストローネスープを温め直す。 ログバーナーに新しい薪を二本ほうりこんで、床暖房の目盛りをひとつ上げる。 カブールと少しの地域を除いては、ほぼタリバンが再制圧に成功して、自分達が不在のあいだ学校へ通って教育をうけようとした宗教的に不埒な女たちを捕らえて、鞭で打ち、街頭を引き回して殴りつけるアフガニスタンや、インフラストラクチャすら機能しなくなってほぼ社会としての機能を停止しつつあるエジプト、戦場と化したイラク、 アメリカの宣伝とは異なって、ついこのあいだまで欧州とあまり異ならない女の人達がいる風景があった https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/10/01/踊るイラン人/ のに、いまは暗い色の長衣に身を包んで息を潜めて町を歩かねばならなくなったイラン、世界が関心そのものをなくしてしまったなかで、兵士に見せしめの強姦をうける女たちの泣き叫ぶ声や、殴打された男達のうめき声が暗闇の隅で響き渡るチベット、アメリカの衰退を見切った私服のロシア兵たちが静かに散開するウクライナの町、麻薬シンジケートが流行のスポーツとして楽しむ誘拐強姦の数を競って、被害にあった女たちの下着を枝にかけるせいで、まるでいつも花が咲いているように見えるメキシコの森、AK47を小脇に抱えて、まだあどけない顔で一心にとうもろこしをむさぼり食う少年兵たちのアフリカ、ゆっくりと、しかし着実に新しい混乱の時代にはいってゆく世界のなかで、神など信じないで、両側に切り立った崖がある細い尾根のような「理性の道」を歩いてゆくには、どうすればいいのだろう? このミネストローネはうまいな、と考える。 コモ湖の西岸の小さな村の、そのまたずっと上の丘の上にあるレストランのミネストローネが、多分世界でいちばんうまいミネストローネだが、それに近い感じがする。 料理人のFが、なんどもなんどもレシピを変えてはつくってくれて、とうとうこんなにおいしくなった。 きゅうりのサンドイッチは子供のときから大好きで、ほとんど毎日食べているので、なんだかきゅうりのサンドイッチの名人のようなものになってしまった。 CNNのニュースを消すと、残っているのは欧州から運んできた人の背丈と同じくらいあるアールヌーボーのライトと、ログバーナーのなかで揺れているオレンジ色の炎だけです。 急に気持が暗くなる。 気圧のせい、ということにすればどうか、と考えて、逃避のためのヘリクツはなんて素敵なんだろうと思う。 冬の朝の、暖かいベッドのようである。 3 わがまま礼賛 アメリカ人は神に祈り、中国人たちは少しでも他人より豊かになろうとし、アフリカ人たちがいのちがけでヨーロッパをめざすのは、自分を救済したいという必死の願いのあらわれである。 … Continue reading

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自称ジャーナリズム

1 大笑いしてしまった。 他人が一生懸命書いたものを「大笑い」しては大失礼というものだが、笑ってしまったものはしかたがない。 こういう記事です。 「3D(三次元)プリンターを使い、女性器を造形するためのデータを頒布したとして、警視庁保安課は14日、自称芸術家、五十嵐恵容疑者(42)=東京都世田谷区野毛2=をわいせつ電磁的記録頒布容疑で逮捕したと発表した。「わいせつ物とは思わない」と容疑を否認しているが、同課は全国の30人以上にデータを送ったとみている。五十嵐容疑者は「ろくでなし子」の名前で、女性器をテーマにした創作活動で有名。  逮捕容疑は今年3月20日、香川県の会社員男性(30)ら不特定多数に、3Dプリンターで出力すると、女性器の造形物ができるデータをメールで送信したとしている。  同課によると、五十嵐容疑者は女性器をかたどった小型ボートを制作するためネット上で寄付を呼びかけ、寄付をした人にデータを配ったとみられる。 【林奈緒美】」 新聞社は毎日新聞で、お堀端の、きっと出来た頃にはかっこよいので評判になったに違いないこの新聞社の社屋をおぼえている。 首都高速道路で、びっくりするほどの間近を通るので、渋滞して止まってしまったりして、手持ち無沙汰なので眺めていると夜遅くでも人が働いていて、たいへんな商売だのおー、とよく考えたが、この記事を書いた人も、あのなかのひとりだったに違いない。 義理叔父という人は裕かな家に生まれたので、まだビデオテープが高価だったVHSが発売されたばかりの頃から始まって、膨大な数の録画を持っている。 Apple IIから始まる私設コンピュータ博物館みたいなヲタク部屋と並んで、本人の自慢でもあるよーだ。 そのテープのコレクションのなかに尾辻克彦が芥川賞を取ったときのインタビューがあって、大勢の記者に囲まれた尾辻克彦が ひどく情けなさそうな顔で「また、捕まったのかと思った」と述べたのが可笑しくてよかった。 尾辻克彦は美術家・赤瀬川原平の小説家としてのペンネームで、Yoko Onoから、オノ・ヨーコ、読売アンデパンダンから、ハイレッドセンターと調べていく途中で 「千円札事件」 http://artscape.jp/artword/index.php/%E5%8D%83%E5%86%86%E6%9C%AD%E8%A3%81%E5%88%A4 で逮捕されたのを知っていたからです。 丁度チョー悪趣味な「子供ぽい顔の女の子が性行為のなかで顔を赤らめている」というようなマンガやイラストがおもいがけずどこにでも飛び出してくる日本のウエブサイトにげんなりしていて、調べてゆくとそういう画像を洪水のように吐き散らしているひとびとは異口同音に「表現の自由だ」と述べていて、日本社会の「表現の自由」に興味があった頃なので、 どんどん調べていった。 そのときに気が付いたのが、日本のマスメディアが赤瀬川原平に与えた肩書きが 「自称芸術家」であったことで、なんでもすぐ可笑しがる悪いくせがあるぼくは、足をバタバタさせて笑い転げてしまったが、よく考えてみると、笑いごとではないようでした。 結局、千円札裁判は弁護側に瀧口修造や中原祐介を立て、このあいだまで「自分達は芸術活動などという欺瞞は嫌いだ、われわれがやっているのは芸術なんて、そんなかっこわるいものではない」と述べていたのに「あれもゲージツ、これもゲージツ」と本人が自嘲して言っているように、千円札の模写は芸術行為であって法には触れない、と言う主張にも関わらず、1970年4月の最高裁判所で上告が棄却されたことによって有罪が確定してしまう。 2 詩か、詩でないかは、言語的訓練を受けた人には明らかで、ひとつの詩句が意味していること、あるいは意味していることの範囲についても、「詩の解釈はひとによってそれぞれだから」というのは詩を読む訓練を自分に課さなかった怠け者の言うことで、実際には精密な質量天秤で計測できそうなほど意味は厳格に表現によって規定されている。だから詩は詩なので、もし詩の意味が受け手によってとりようがある模糊としたものならば詩はただの情緒的なたわごとで、つまり、その詩はダメな詩なのは常識である。 しかし詩人は自分が詩人であると思えば詩人だろう。 「現代詩だけで食べる」ということはありえないことで、日本では谷川俊太郎が「職業として詩で食べていけたひと」として有名だが、仕事の内容を細かくみていくと、ちょうどライプニッツが「食べていくための哲学」と「真の哲学」に分けて仕事をしたように、谷川俊太郎も「食べていくための詩」(例:校歌)と「真の詩」に分けて仕事をしてきた人で、前者はコピーライターの仕事にとてもよく似ている。 実際、田村隆一というような人でも晩年でさえ、「旦那は、どんなお仕事です?」と聞かれて、「ぼくは詩人だ」というと、噴きだされてくさっている。 真正な「詩」を書くことももちろんだが「詩人」であることに一生を賭けた吉増剛造が、「聴いたことがない名前ですね?」「同人誌かなにかですか?」「自称、ですかね?」という反応にいかに傷付いたかは吉増剛造の友人が証言している。 近代を通じて、どれほどたくさんの詩人が、その嘲笑的な視線を避けるために「大学講師」というような肩書きを職業欄に記入してきたことだろう。 日本は「詩人」を許容しない社会なのである。 すべての詩人を「自称詩人」に変え、すべての芸術家を「自称芸術家」に貶める権能を有した社会なのである。 そういう社会は、もしかすると「自称・社会」なだけで、なんだか軍隊に似たものなのではなかろうか? 3 日本の社会には、なんともいえない「低み」があって閉口させられるところがある。 この零細ブログに対してさえ「一銭も稼げないのに有名になりたい一心で毎回毎回ご苦労なことです」という人が定期的にやってくるし、はてなブックマークというようなところへ行けば、ボクシングなら下半身攻撃、というか、名状しがたい品のわるさで、なにが日本という社会の足枷になっているのかよく判る。 「出る杭は打たれる」「社会のもつ均質と異なるものを嫌う」と説明されていて、それはそうなのかも知れないが、ネットのあちこちで誹謗、中傷、悪罵を吐き散らす膨大な数の日本人たちは、それ以前に人間としての品質に劣っているように見える。 人間としての品質が由来するところを考えれば、それは言語の問題であるに決まっていて、使う言葉の品質がそもそも粗悪で、自分では「真実の自分はもっとまともだが、ネットでは仮の姿で悪態をついているだけさ」と思っているのかもしれないが、言語と人間の意識から言っても、それは紛れもない錯覚で、自己防御の心理機制が働いて、なんとなくそう感じているだけで、自己というものは、要するに自分が書いたり言ったりする言語そのものでしかありえない。 … Continue reading

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Wasting My Young Years

1 クルマを運転していてFMから流れてきた曲が突然きみの心のなかに流れ込んできて魂を水浸しにしてしまうことがある。 涙があふれてきて、前がよく見えなくなって困る。なにしろ、 You crossed this line Do you find it hard to sit with me tonight? I’ve walked these miles but I’ve walked ’em straight lined You’ll never know what was like to be fine という「Wasting My Young Years」の歌詞は、歌の始まる、いきなりの4行なのです。 … Continue reading

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Dominion Road

1 オークランドでいちばん好きな道をひとつあげろと言われたらドミニオンロードと答えるだろう。 日本の人達にも人気があるアジアンスーパーマーケットで始まって、華人の店が多いエスニックレストランが並ぶ商店密集地がところどころにあって、インド人たちが住むサンドリンガムに続いてゆくこの道は、その先に広がる中東人やアフリカ人たちの町とあわせてオークランドの多文化性を象徴するような道です。 画像を貼ってゆくのは簡単だが、いまはグーグルウォークがあるので興味がある人は地図のなかに降りたって、CBD側から始めて、ずっと歩いてみればよいと思う。 モニさんはアジアのものはあんまり興味がないので、ドミニオンに散歩に行くときはたいていひとりで行く。 モニさんがヘアドレッサーに行くとか、スパに行くとか、そういうときにひとりで遊んでいてもつまらないのでドミニオンに行って、中国の人やインドの人、足をのばしてミドルイースタンと話をしに行く。 故郷の町の自慢話や英語人社会/ニュージーランド社会への不満、ある場合には、小さな船に押し込まれて、波に何度も転覆されそうになりながらオーストラリアまでたどりつく、びっくりするような冒険譚を聴くこともあって、驚かされてしまう。 ゴールデンフリースを探すアルゴー隊でも、あんなものすごくて破天荒な航海を経験したわけではなかった。 そういう冒険物語、自分の知らない世界、思いも寄らなかった視点を、中東人の生活の特徴の、素晴らしい味のコーヒーとお菓子と一緒に耳を傾ける。 きみもぼくも世界がどれほど悲惨な場所かを知っている。 コソボやセルビアのひとびとがエリオットステーブル http://www.elliottstables.co.nz/ の小さな卓をたたきながら語る戦禍の悲惨や、イラク人たちが先を争って話しかけるアメリカ人たちの残虐さ、ところがきみの同じ耳がニューヨークでは、イラクの夜の町がどれほど恐怖に満ちた町だったか、どんなふうにプラトゥーンのなかのいちばんの友達が殺されていったか、擱座して燃え上がる装甲車、自分の膝に頭をあずけて血まみれになって死んでいった若い女の放送スタッフ、いまでも部屋のなかに漂っているような硝煙の臭い、について憑かれたように話された言葉を聴いたのを思い出す。 ある人はアメリカに移住した叔父が病気になって見舞いをするためにアメリカへ旅行してきたらイラン=イラク戦争が始まって、そのまま帰れなくなってしまった。 ひと晩30ドルのモテルに泊まって、スーツケースひとつで生活を始めなければならなかった。 キリスト教徒同士の伝手をつたってレバノン人やイラクのキリスト教徒たちが肩を寄せ合うようにして暮らす会社で働き始めた。 わたしがイラク人だと知ると、親切にも「ではスペアリブはダメでしたね、ごめんなさい!」とアメリカの人は言うの、と寂しそうに笑う。 きみはこの家族のフォードのバックミラーに目立つようなやりかたで巻き付けられていたロザリオを思い出している。 あたりまえのことに過ぎないが、世界にはたくさんのひとがいて、まるで異なる考え、顔かたちも皮膚の色も言語も異なって、お互いに理解しあうのはほぼ絶望的なことだという気持と折り合いをつけながら、せめて礼儀正しくして、相手を傷つけないように気を付けながら、そっとコーヒーカップのなかに目を落として微笑んでいる。 いまの世界には、どんな都会にもその都会の「ドミニオンロード」があって、ほんの少しの勇気があれば、あの優美な、白いノーマッドのロングコートを着て、円帽子をかぶって、低い塀に腰掛けてコーヒーを飲んでいる、背の高い、ポスチャがびっくりするほど垂直な、アゴヒゲをかっこよく赤い色に染めたアフリカ人に話しかけて、夜のぞっとするほど暗くて寒い砂漠や見渡す限りの砂の海をラクダをボートのように使って泳ぎ渡っていく、ノーマッドたちの暮らしを聴かせてもらえる。 日本のひとたちも、もういいかげんに、ありもしない観念の「世界」に閉じこもって無意味な理屈いじりをやめて、直截、世界に向かって語りかけるときに来ていると思う。 2 世界が、ほんとうはひとつであるはずなのに、現実には、いくつにも渉って同時に存在するのは認識が現実に優先するからである、という話は、もうこのブログでは何度も何度も繰り返し書いた。 最も話のはじまりに位置する感覚器のところに戻っていってさえ、物理的に人間が「見て」いる範囲は腕をいっぱいにのばして親指を立てた、その親指が隠している範囲にしかすぎない。 それなのに自分が座っている部屋が「見えて」いるのは、大脳が視覚器がかき集めてきた情報をつなぎあわせて、合成して、「部屋」として意識に投映しているからにすぎない。 潜在意識の捏造が最小であるはずの視覚ですら、このていたらくなのである。 最近の自動車にはクルマに十数台のカメラがついていて、たとえば駐車するときに空の真上から「見た」クルマの映像をスクリーンに映してくれるものが増えたが、人間の視覚は(あんまり信じたくないことだが)、あれと本質的に同じものである。 「いま目でみているもの」というような最も基本的な情報がソフトウエアによる情報処理にそれほどおおきく依存しているのに人間にとっての「現実」が伝統的な意味において存在するわけはない。 認識が現実より優位にあるという21世紀にはいってからの科学の発見(確信)は、もちろん、きみやぼくの言語の現実に対する信頼性にも影響していて、迂闊に言語が歴史を通じてためこんだ語彙にシロップにしみこんだような情緒をうけいれてしまうと、きみは一瞬で世界から鋭いメスで切り離されるように切り離されてしまう。 インド=ヨーロッパ語世界の神は、おおざっぱに述べてひとつの屋根の下に住んでいたので、ユダヤの民も、新約の民も、ムスリム人も「神」というアイデアをうけいれるのは簡単なことだったが、中国文明という異なる家の軒の下に住むひとびとによって、あるいは物理学者や天文学者たちという新興の認識によって挑戦を受けて現実そのものが歪みはじめている。 そうしてそれはきみが意識しているよりも遙かに深刻な事態なのでもある。 3 だからきみは19世紀人たちが現実を採集してあるいたように、認識を採集して歩かなければならなくなってしまった。 実際、現代の世界では百冊の本を読むより、ひとりのすぐれた認識力を持つムスリム人と話す事のほうがずっと重要で不可欠なことである。 おおげさに言えば人間が20世紀までに築き上げてきた世界への「認識」はいままでに述べた簡潔な理屈によって全体がスコラ学のようなものになってしまったのだ言ってもよい。スコラがめんどくさければ朱子学でもいい。 そこではすべての真実の探求が訓詁の試みに変わり、あらゆる論理がシンタクスに致命的な欠陥を内蔵した修辞にすぎなくなる。 真昼の太陽に照らされていると幻想していたものが、実際には夜の帳に投射された真昼の幻影にしかすぎないと知ってきみは愕然とするかもしれないが、さっきまでたしかに高天にあったはずの太陽が残していったぬくもりだけは真実のもので、 きみは愛する人の手をとって、「観念」が役割を終えた闇のなかをわけいってゆく。 でも、だからこそ人間は再生を信じられるのだと思います。 (ほら遙かに狭い視界だけど、いままで見たこともないクリアな画像が見えてきたでしょう?) … Continue reading

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外から観た安倍政権

グルジア戦争でロシアが行った破天荒な不法行為は北京オリンピックのせいでほとんど報道されなかった。  特にGori周辺では「ロシア派市民」を装った私服のロシア兵とウクライナ人傭兵が民間人の射殺をはじめ、表向きの声明とは異なる戦争犯罪を繰り返していったが、文字通り生命を賭けて戦場から衛星インターネットを介して送られたビデオも「世界のひとびとがオリンピックに夢中だから」という理由で、メジャーネットワークには買ってもらえなかった。 チベットは言うまでもない。 中国政府は、聖火リレーの段階で自分達に「恥をかかせようとした」チベット人たちを許さなかった。完全にシャットアウトした町のあちこちで、オリンピックの期間を通じて処刑や強姦、逮捕が繰り返された。 チベット人は自分達の声を国の外に届かせようとして、最後の手段で、焼身自殺を繰り返したが、それすら北京オリンピックの競技を楽しむ世界じゅうの家庭の居間の歓喜の声にかきけされて、どこにも届かなかった。 安倍政権の特徴のひとつは芸能界との癒着で、覚醒剤パーティに要人が名をつらねていたり、記憶に新しいところではASEAN会議に余興としてAKB48があらわれたりして、やることがナチと似ていて面白いが、ブレーンの人としてはナチよりもオバマ政権を誕生させたハリウッドのプロデューサーたちと民主党の癒着のほうから学んだつもりなのだろう。 ビル・クリントンくらいから露骨になった、こういう手法は現代世界では、ますます盛んになってゆくに違いない。 政治に芸能界をまるごと利用すればいいではないか、という知恵をもつ政権がスポーツを利用しないと考えるのはナイーブすぎる。 憲法第9条をバイパスして派兵する道を開いたタイミングは、要するにサッカー・ワールドカップのタイミングで、ずっと前に「日本の代表は力不足であるのに攻撃主体という畸形チームなので早々に敗退するだろう。だから安倍政権はワールドカップの第一週を狙って憲法9条を骨抜きにするに違いない」と冗談を述べた人がいたが、その通りになってしまったので笑ってしまった。 第1次安倍政権のこらえしょうのなさ、やることの杜撰さに較べて、誰がやっているのか知らないが、第2次安倍政権は周到にロードマップをつくってあって、動きもびっくりするほど速い。 世界中のおおかたの観察どおり、憲法9条の骨抜き、対中国防衛を口実にした日米軍事同盟の双務化の構想を見ていると、どう見ても制服組の知恵がはいっているが、どういう形で制服組が加わっているのかは見えてこない。 見ていてわかるのは、むかし、中曽根康弘のグループが「ぶったるんだ国民性」を嘆いて「徴兵制復活」を目論んだときには、ほんの数日で制服組の猛反対、「そんな徴兵を突然されても事務の負担が増大して役にも立たない兵士がたくさん生まれるだけです。そんなことをされたら防衛庁はパンクしてしまう」に遭って、つぶれてしまったが、今度は制服組の年来の考えに沿って「正常な防衛力」を獲得しようとしていることで、計画がよく出来ている。 受け皿もいつのまにか防衛省に昇格していて自前の予算要求が出来るようになっている。 枚挙にいとまがないほどの例があるが、たとえば制服組には次期主力戦闘機としてF22がとれなかった、という屈辱の思いがある。 日本は輸出禁止の例外としてF22を手にすることを期待していた。 軍事ヲタクのひとびとは、よく知っているはずだが、F22はステルス性が高く、アフターバーナーなしで超音速巡航が出来て、離発着距離が短い、という伝統的戦闘機性能が高い上に、猛烈なコンピュータの塊で、現状では一機で中国空軍の100機と軍事力的に拮抗すると言われるアメリカの主力戦闘機である。 ところがイージス艦の機密をだらしなくも中国側に渡してしまったりしていた日本側の機密保持能力に不信を持つアメリカは日本空軍の中国に対する抑止力の中核と期待されたF22を日本に売ることを禁じてしまった。 代わりに日本が手にすることになったのはF35という、いまから駄作機の呼び声が高い、設計思想そのものにおおきな欠陥がある戦闘機で、結果として日本は自国の空を「自衛」することはほぼ不可能になった。 いざ戦闘になれば空は日本に配備されたアメリカ軍のF22頼みの状況になってしまった。 特定秘密保護法案は、無論、いままでさんざん同盟国アメリカ側の不信を買った日本公務員の「おしゃべりぐせ」全般を睨んでのことだが、細かい現実として常に制服組を通して事実上の仮想敵国である中国へ日本の防衛機密が筒抜けであることに業を煮やした、という外交技術的な問題もあるでしょう。 日本の人のぼんやりと甘い期待に反して、中国が「やる気まんまん」なのは国際的な常識で、ソビエトロシア時代の北方国境よりも今日の東シナ海はずっと一触即発の危険に満ちていて、アメリカの抑止力の前で逡巡している人民解放軍の「自信のなさ」が戦闘を起こさない力になっているだけ、という皮肉な言い方をすることすらできる。 特に安倍政権がスケアモンガリングを行っているわけではなくて、戦争の危機は現実の問題として尖閣諸島の形をして海のまんなかに座っている。 余計なことを書くと長くなるが、「日本とのおおきな経済のパイプがある中国が当の相手の日本と戦争をするわけがない」という人がいるが、話してみると中国の人の考え方はまるで異なっていて、「戦争も貿易もやる」ので、問題は無い、という理屈のようで、自分達がいなければ世界の経済は成り立つわけがない、という想像以上の絶対的な自信に満ちている。 簡単に言えば「戦争をしていても日本人の生活が中国ぬきで成り立つわけないじゃん」という考えのようです。 第1次安倍政権では自分の政治目標である「胸を張って肩で風を切って国際社会を歩ける日本」を性急に実現しようとしすぎて、だんだん苦しくなる生活に焦りを感じていた国民にそっぽを向かれてしまった。 第2次安倍政権がまず「アベノミクス」を前面に持ってきたのは、無論、そのせいで、安倍晋三の最もおおきな学習はそこにある。 アベノミクスは現実の経済構造改革より経済の「見た目」、具体的には株価をあげてゆくことに集約された経済復興の考えで出来ていて、経済構造を根底から変えようとする政治家から見れば、とんでもない、というか、一国が打ってよい博打ではないが、「美しい国日本」をつくってみせるための国民の支持をつなぐための道具と割切ってみれば、非常によく出来ている。 いまの経済は20世紀の経済とは根本的に構造が異なって、まず技術的ブレークスルーとなるアイデアに基づいた企業が登場する。 そこに旧金融業の数倍のクレジットを創出する理論に従った流動性の高い資金が集中してマーケットどころか社会そのものが変革されることによって新しい市場が創出される。 具体例を思いうかべたい人はGoogleやiTunesを中心としたAppleのイメージで考えて良いと思う。 社会そのものの構造が変わってゆくことに関しては「小売」という最も変化をうけつけない分野を巨大なバックオフィスの構築で変貌させてしまいつつあるAmazon.comをかんがえると良いかもしれない。 あるいはニュージーランドのような小国は、ピーター・ジャクソンが旗振り役をはたしたエンターテインメントビジネスの工場の役割をはたそうとしているが、一方では、英語国であることを利用して、市場を見る角度を距離から言語に変えることによって、経済構造の改革をはたしつつある。 ぼくは、オーストラリアとニュージーランドは、いちどはいまのバブルが崩壊するだろうが、そのあとは、びっくりするような経済成長をはたすだろうと思っているが、日本語で説明することに意味はないので省く。 アベノミクスの特徴は、そういうパラダイムシフト抜きの経済改革をめざしていることで、このあいだもこれを述べたらバカな人がいっぱい来てうんざりさせられたが、その点で、アメリカでいま起きている産業革命とはおおきく異なる。 アメリカはもうすぐ自動車、航空機、というような旧製造業を完全に店じまいして、そこから新時代の産業国家をあらためてめざすことになるが、2025年頃を目指しているアメリカの新産業国家形成の頃に、旧来のトヨタ、キャノン、というような製造業をさらにのばしてアメリカの新世代産業と競争することになる。 将来がどういう様相になるかは「自動車」というものの定義を根本から覆そうとしている「Google Car」のような試みがどうなっていくかを注視すれば見えてきそうだと思います。 いま手元のエコノミストを見ると、「日本への投資の投機性」、つまり日本に投資すると、あんたのカネ、根こそぎなくなるぜ、というおおぴらな経済情報各社の警告にも関わらず、2割程度にとどまっていた外国人の株式総額保有率は3割を越えている。 ニュージランド人の素人投資家になったつもりで考えてみる。 ニュージーランドの投資家はだいたいNZ$1=55円〜65円という考えで円という通貨を眺める習慣をもっている。 現実の幅は、ここ20年で39円〜92円だが、だいたい62円くらいにもどってくるな、という感覚で見ているのが普通であると思う。 … Continue reading

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自分自身を救いにいく

1 この世界はおびただしい悪意に満ちていて、一方には拮抗する善意のおおきな広がりがある。 他人の悪意などは、たいしたことはない。 はねつけてしまえばよいからです。 わざわざ仕返しをするほどのこともない。 だが国家が自分に対して悪意を向けてきたときには、そうはいかない。 国家の本質は国民の誰もが抵抗しえない絶対暴力で、国民に対して国家がなしえないダメージはなにもない。 その国家がきみを戦場へ連れ出そうとする意志を表明したばあい、きみはどうすればよいのか。 その国家がきみを自己の部分としてはめ込もうとしているとき、きみはどうすればよいのか。 国家が、まさにきみの魂に両手をかけて引き裂こうとしているとき、きみには、どんな行動が残されているだろう。 2 国をでてゆく、という方法がある。 日本の外で、何人もの「日本では人間として扱われないので仕方がなかったのです」と述べる、能力のおおきさがよくのみこめないほど優秀な日本人の女の人たちに会った。 いま50代の日本の女の人達には、たとえば民間企業にはいって女でまともに扱われるわけはないので公務員になった、公務員になってすら25歳あたりで本省の課長代理になったあたりから明瞭な差別を感じてアメリカに渡ってきました、というような経歴の人が何人もいる。 公務員の生活はきびしかった、とその女の人は笑っていう。 朝は8時に起きて、忙しい部課ならば帰ってくるのは朝の4時だった。 でもわたしはアメリカに行きたかった。 日本は女にとっては、どこまでも牢獄に似ていたの。 だから仕事のあいまをぬって英語を勉強して留学試験を受けました。 ビジネススクールを出ると、国は帰ってこい、帰らないのなら訴えることも考えると言ったけど、わたしは絶対に帰りたくなかった。 結局、大学が教員として雇うことにしてくれて、日本政府と交渉してくれました。 そこから、初めてわたしは人間として生きられるようになった。 アメリカという国は、あんまり趣味じゃないけど、ここでは、わたしは女ではなくて人間なんです。 わたしには、それだけで十分なのだと思う。 3 Sさんは、日本に「IBM互換機」がはいってきた頃、コンピュータの世界にいた。 当時の「国民機」をつくっていた会社の激しい嫌がらせに遭った。 初めてでかける台湾に行ってある通信機器の互換機をつくってもらおうとした。 今度は役所の嫌がらせにあっった。 「適合マーク」を出すには2年かかります、と言われた。 ええ、個々の機種に対して申請をお願いします。 そうでなければ違法ということになりますね。 Sさんはアメリカに会社をつくった。 日本の役所が何に弱いか見抜いていたからだった。 今度は日本側の会社に大手の卸売会社から明瞭な脅迫の電話がかかってくるようになった。 「それで、どうしたんですか?」と聞くと、 アメリカの既存の会社を買ったのさ、とニヤッと笑ってSさんは言った。 そうしておいて日本語ができる社員を雇った。 「日本の会社が争って注文してきたよ。ぼくの会社をつぶすための仕入れにね」 でもSさんは、もう日本にうんざりしていた。 … Continue reading

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An Infantryman

1 「Just got home from a 16 month deployment to Afghanistan. I feel so out of place. All my friends are off at college and my fiancé broke up with me while I was gone.」 「I killed 3 enemy combatants in Afghanistan … Continue reading

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最終列車が出る頃

「学会の帰りにベルリンの町をタクシーで通っていたら」と、そのひとは話し始めた。 70代の、ドイツで生まれて育った女のひとです。 「なんだか急に息が苦しくなってきて、自分でも顔色が青ざめてゆくのがわかるし、 耳の奥でなんだか嫌な音がするの」 運転手が、異常に気が付いて、クルマを止めてくれた。 少し、外に出て、冷たい空気にあたってみたらどうでしょう、というところがドイツ人らしい親切さであると思う。 その人がクルマのドアを開けて、通りに一歩ふみだしてみると、辺りの光景が一瞬変わったように見えた。 ビルの崩れ落ちた壁の二階にはバスタブが見えていたのをはっきり思い出した。 周囲は、一面の瓦礫で、そのビルは2ブロック向こうなのに、わたしの家と、そのビルのあいだには、なにもなくなっていて、空にはいろいろな紙が散乱して、風に舞っていて、トイレットペーパーが、なんだか自分の意志で泳いででもいるように、低い空を流れていった。 その人は自分もクルマの外に出て心配げに見ていた運転手に通りの名前を訊いて、子供のときに住んでいた通りに自分が立っているのを初めて悟ったそうです。 この人の顕在の意識は気が付かなかったが潜在意識は窓の外を流れる景色を息を詰めて見つめていたことになる。 抑圧された記憶の彼方から、通りの向こうがわに迫るT34と、それを取り巻くように歩いてくるロシア兵たちの姿まで、いま目の前にある光景であるかのように思い出していた。 その人の母親は、幼かったその人をひったくるように小脇に抱えると、階上の自分たちのアパートに戻ることなく、なにも持たないで走り出した。 西へ西へと移動して、やっとアメリカ人たちの姿がみえたときには母親は、精も根も尽き果てて、へたりこんでしまったようでした。 あるいはビリー・ワイルダーは、すぐれた表現に満ちた英語の脚本で有名な人なので、生まれついてのアメリカ人だと誤解する人がいるが、この語学の才能に恵まれていた人にとっては、英語は20代になってから使い始めた言語で、母語はドイツ語です。 ユダヤ系オーストリア人だった。 1933年、ドイツ国会議事堂放火事件を知ったワイルダーは、ニューズを知ったその足でアパートに戻り、スーツケースに必要なものを詰め込むと、生活のすべてを放擲してフランスへと脱出する。 フランスへ逃れてから母親にウイーンから脱出するように説得しようとするが、自分達にはドイツで積み上げた生活があるし、第一、おまえは考えることがおおげさすぎる、と言って取り合わなかった。 1935年、アメリカに定住したワイルダーは、再度、母親をアメリカに逃亡させようと、決死の思いで、ウイーンへ説得に行くが、母親は自分は再婚もして、ここに新しい生活があるから、と言って断ります。 戦後、ビリー・ワイルダーがオーストリアに母親を探しにもどってみると、母親も再婚相手の義理の父親も、どうやらナチのユダヤ人収容所で殺されてしまったようでした。 バルセロナで、ぼくのために働いてくれているMは、チェルノブルの事故があったときには、まだ小さな就学前の子供で、キエフの郊外に住んでいた。 ある日、まだ午後の早い時間だというのに血相を変えて家に帰ってきた物理学者の父親が、母親と慌ただしく荷造りをして、クルマに乗って西へ西へと走り出したのをおぼえている。結局、まる二日クルマに揺られて、親戚が住む他国の小さな町にしばらく滞在した。 思いがけなく、いつもは忙しい父親と母親と一緒に過ごしてくれる休暇ができて嬉しかったそうだが、「逃げられなかった人たちは、どうなったか?」という質問には、いちども答えたことがない。 ディアグノルのカフェでみなで昼ご飯を食べているときに、誰かがほとんど何の気なしに質問したときに「どんな人が想像するより、ずっと酷かったけど、…何もいいたくない」ときっぱりした言い方で述べたので、それからあとは、チェルノブルについて訊ねてみる人はいなくなった。 アメリカのABCが1983年につくった「The Winds of War」と続編の「War and Remembrance」は、いまだに人気があるミニシリーズだが、Ali MacGrawが扮するユダヤ系アメリカ人Natalie JastrowとJohn Housemanが演じる、その叔父Aaron Jastrowの歴史研究者の運命は、切迫した危機が迫ってきたときに、ひとびとが自分達の生活を捨てて危険を避けるために移住することがいかに難しいか、うまく描かれている。 劇中、アメリカに移住したユダヤ系ポーランド人のAaron Jastrowはイエール大学の歴史学教授で高名な作家でもある設定だが、シエナに滞在して研究ちゅうにドイツ軍のポーランド侵攻に遭遇する。Natalieは外交官である婚約者の警告をふりきって、クラカウ郊外の叔父の結婚式に出席する。 何度も脱出の機会があるが、そのたびに一瞬のためらいや、この場所を離れてしまえば自分は何者でもなくなってしまうという気持ちが、脱出をはばんでしまう。 見ていると、子供のときからいままでに出会ったユダヤ人の友達たちが、折に触れては語り聞かせてくれる「ファミリーストーリー」を思い出させる場面が、たくさん出て来ます。 もうこれ以上くだくだしく書く気はしないが、危機のなかにとどまるということは生活を破壊に任せることとほぼ同義であると感じられて、たとえばメルボルンにもオークランドにも、逃げ遅れて日本軍に家族が惨殺された中国人たちが、たくさん住んでいて、そういう中国人の友達の家に夕食に招かれてでかけると、食後のポートワインをなめながら、 奥さんが書斎から持ち出してきたアルバムや私家版の家族の歴史の本を広げて、写真を指さしながら、この人は日本軍に校庭で跪かされて銃で撃たれて死んだの、こっちの人は日本軍に連れ去られたまま生きてもどってこなかった、と述べているのを聴いていると、だいたいどこの家でも、占領地域に取り残された中国の人は、一家のうち何人かが日本人に殺されているようでした。 オークランドには、オランダ人の移民も多いが、この人達も、ナチの隠れた支持者が多かった国情を反映して、地下抵抗運動でナチと戦った側の人たちは、立派な装幀の自費出版の家族の歴史の本を広げて、占領後のナチとの「見えない」戦いがいかに凄惨なものだったかを教えてくれる。 … Continue reading

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官邸前の愚者の群2

1 1930年代の日本は「安全保障」と「防衛思想」が国家の頭のなかでごっちゃになって、最後は忠臣蔵の内匠頭の安っぽさで「連盟よさらば!」の大見得を切ったあげく国際連盟を一方的に脱退して「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」 「いまこそ日本精神の発揚が必要」と述べて、 ふつうの職業軍人や市民にとっては悪夢そのものであることが当初から判り切っていたアメリカ・イギリス・オランダ・ANZAC連合軍との戦争になだれこんでいった。 安全保障は、簡単に言えば「戦争に巻き込まれない工夫」であり防衛思想は「戦争になってしまったときに本土が侵略されないための工夫」です。 同じ30年代にイギリスのネヴィル・チェンバレンはヒットラーのナチに率いられたドイツに対して「戦争に巻き込まれない工夫」として譲歩しすぎて結果としてヨーロッパ大陸をそっくりそのまま渡す醜態を演じている。 その安全保障政策上の失敗は高いものについて「負けなければ勝ち」のイギリス式勝利の定義に照らしてもぼろ負けに負ける寸前のところまで行ってしまった。 有り体に述べて、ヒットラーが機甲部隊の進撃をダンケルクの手前で無意味に停止させてしまったのと、イギリス空軍壊滅の一歩手前でロンドンに空襲目標を変えるという、いかにも素人がやりそうな、ふたつの戦争指導上の致命的な失敗を犯したために助かっただけで、35tや38tの活躍を見れば象徴的に理解できるとおり初期にはチェコスロバキアの軍事生産力に大きく依存しなければならないほどだったナチに、フランスという巨大な生産力まで与えてしまって、日本が真珠湾を空襲しなければ、いまごろはドイツの弟分としてユダヤのひとびとを連行して歩いて悦にいっていたに違いない。 日本が昔から安全保障政策をつくるのが下手で、ひらたく言えば外交下手なのは「世界を固定的なものと見る」癖のせいに違いない。 諸国間の関係、特に、安全保障がらみの多国間関係はダイナミックな動きを見せることが多くて、たとえば上の30年代の例ならば、仇敵以上の深い憎悪を媒介とした関係であることが判り切っているソビエト・ロシアとナチ・ドイツが不可侵条約を結んで、世界中の政治家を心臓麻痺死させそうになる。 ヒトラーもスターリンも防衛思想と戦略立案に関してはからっペタだったが安全保障の腕前に関しては天才と言いうるほどの凄腕だった。 中国と日本の関係で言えば、たとえば尖閣諸島の問題に関して「時間を稼げれば日本の勝ち」と当の中国人たちが述べている。 別に中国の人が言わなくても、特に、もともと中国に対して良い感情を持っておらず、戦争を売られればすぐにでも買いかねないベトナムで対中感情がさらに悪化したいまでは、かつての「マルコス王朝時代」なみにアメリカに接近しはじめたフィリピンも含めて、中国が「諸国の敵」という安全保障上は最もバカバカしい立場、そういう皮肉を楽しみたければ、情緒的にはなんのことはないかつての大日本帝国と同じ立場で、違うのは現代の中国が、かつての大日本帝国とは比較にならない経済力を通して深く西欧諸国と結びついていることだが、人間の貪欲の力を過信して北米・西欧世界を飼い慣らしたつもりでいると、最後にはおもいがけないほどとんでもないことになるのは、歴史好きな国民性の中国人はよく知っている。 マーケティングとして「アドヴォケーション」が大好きなベネトンが「UnHate News」という面白い企画を立てている。 http://www.benettongroup.com/archive/press-release/unhate-news-news-you-would-see 日本と中国双方の若い女のひとびとを尖閣諸島に上陸させてビーチバレーボールをさせて、尖閣をめぐる対立の解消を訴えるという企画だが、誰でもすぐに気が付くのは、ベネトンのマーケティング・グループは、それとは知らずに、中国の予想される尖閣紛争シナリオをなぞっていることで、ベネトンのおこなったイベントのうち、日本人の女の人達を取り除いて、中国の女の人達だけにしてしまえば、中国側シナリオとベネトンイベントは見分けがつかないほど酷似している。 まず平和的なデモンストレーションとして中国市民が尖閣に上陸する。 市民を守る名目で海監・海警の船団を用意する。 後方に海軍と空軍を警戒状態で待機させる。 ある時点から「市民」が続々と現れて、日本側が攻撃したと受け取れるそぶりでも見せてくれればしめたもので、中国に日本から尖閣諸島を奪う口実を与え、より重大なことはアメリカに反撃を躊躇する口実を与えることにもなる。 いまのように情緒的に中国孤立の風が吹き始めると、もし尖閣紛争を起こすのなら、中国にとっては遅くなれば遅くなるほど不利である。 中国の人民解放軍の好戦的な層や新毛沢東派たちのなかには、このままでは戦争が起こせなくなる、と焦慮に駆られているひとびとがいるに違いない。 習近平の政治目標は「中国に中間層をつくりだす」ことだとはっきりしている。 中国は国民性から来ているのだと思うが、冨の再分配が極端に難しいお国柄で、国が「豊かになる」と言っても大金持ちばかりが儲かって、アセットが多い層の数が増えてゆかない。 その結果、大富豪とドビンボしか存在しない国になって、国家の安全保障上、これほど不穏な社会構造はない。 しかも健全な輸出に頼らなくてもいいだけの大きさの国内消費市場が育っていかないので、経済政策の舵取りが極端に難しい。 中間層がつくりだせればアメリカ並みに運営が楽な国になって、安定して、習近平が自分に課している課題は、要するに安定して走行する経済をつくりたいと願っているのでしょう。 だから本物の戦争をやりたいわけはなくて、パートタイムの戦争をやって国民の気持をまとめる助けになればいいなあー、と思っている程度だと思います。 庶民の定食屋でひとりで食事を摂っているところをカメラマンに撮らせるくらいで、 意外と単純な人気取りのアイデアを真剣に考える人であると思うが戦争は出来ればやりたくないように見える。 第一、中国で、ほんとうに戦争をやりたい人達は別にいる。 石原慎太郎都知事が尖閣を小津映画出演でもお馴染みの政商菅原通齋の運転手だったという(←ほんとかしら?)人から尖閣諸島を買い取るという計画をぶちあげ、びっくりして狼狽したのでしょう、日本政府は収拾策として、なんと国有化するという文字通り「火に油を注ぐ」政治的決心をしてしまう。 それ以前には火急の問題としては存在しなかった火だねを日本は抱え込むことになる。 政権が民主党からネオ自民党政権に代わると、アメリカ人たちが腰をぬかすほど、ぶっくらこいてしまったことには、安倍首相が靖国参拝を抜き打ちで強行する。 その頃の「東アジアフォーラム」で見せた若い「未来の俊英」アメリカ人たちの狼狽ぶりを思い出すと、なんだかニヤニヤしてしまう。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/01/02/disappointment/ この二連発で、ぐっと日本の安全保障は危機に瀕して、中国がアメリカ軍が即座に反撃しないと読めば、尖閣を略取して国民を一致団結させ国威を発揚するチャンスだった。 もしかすると、かろうじて人民解放軍を思いとどまらせたのは、過去の記憶、まだ石原慎太郎都知事が熟練した巧妙な煽動の腕前をみせて「戦争前状態」をつくりだすより二年も前の2010年に尖閣で中国の漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした事件が起きたときに、ヒラリー・クリントン国務長官が間髪をいれずに発した警告のせいだけかもしれません。 間一髪、だったかもしれない。 … Continue reading

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