外から観た安倍政権

se (28)

グルジア戦争でロシアが行った破天荒な不法行為は北京オリンピックのせいでほとんど報道されなかった。
 特にGori周辺では「ロシア派市民」を装った私服のロシア兵とウクライナ人傭兵が民間人の射殺をはじめ、表向きの声明とは異なる戦争犯罪を繰り返していったが、文字通り生命を賭けて戦場から衛星インターネットを介して送られたビデオも「世界のひとびとがオリンピックに夢中だから」という理由で、メジャーネットワークには買ってもらえなかった。
チベットは言うまでもない。
中国政府は、聖火リレーの段階で自分達に「恥をかかせようとした」チベット人たちを許さなかった。完全にシャットアウトした町のあちこちで、オリンピックの期間を通じて処刑や強姦、逮捕が繰り返された。
チベット人は自分達の声を国の外に届かせようとして、最後の手段で、焼身自殺を繰り返したが、それすら北京オリンピックの競技を楽しむ世界じゅうの家庭の居間の歓喜の声にかきけされて、どこにも届かなかった。

安倍政権の特徴のひとつは芸能界との癒着で、覚醒剤パーティに要人が名をつらねていたり、記憶に新しいところではASEAN会議に余興としてAKB48があらわれたりして、やることがナチと似ていて面白いが、ブレーンの人としてはナチよりもオバマ政権を誕生させたハリウッドのプロデューサーたちと民主党の癒着のほうから学んだつもりなのだろう。
ビル・クリントンくらいから露骨になった、こういう手法は現代世界では、ますます盛んになってゆくに違いない。

政治に芸能界をまるごと利用すればいいではないか、という知恵をもつ政権がスポーツを利用しないと考えるのはナイーブすぎる。
憲法第9条をバイパスして派兵する道を開いたタイミングは、要するにサッカー・ワールドカップのタイミングで、ずっと前に「日本の代表は力不足であるのに攻撃主体という畸形チームなので早々に敗退するだろう。だから安倍政権はワールドカップの第一週を狙って憲法9条を骨抜きにするに違いない」と冗談を述べた人がいたが、その通りになってしまったので笑ってしまった。

第1次安倍政権のこらえしょうのなさ、やることの杜撰さに較べて、誰がやっているのか知らないが、第2次安倍政権は周到にロードマップをつくってあって、動きもびっくりするほど速い。
世界中のおおかたの観察どおり、憲法9条の骨抜き、対中国防衛を口実にした日米軍事同盟の双務化の構想を見ていると、どう見ても制服組の知恵がはいっているが、どういう形で制服組が加わっているのかは見えてこない。
見ていてわかるのは、むかし、中曽根康弘のグループが「ぶったるんだ国民性」を嘆いて「徴兵制復活」を目論んだときには、ほんの数日で制服組の猛反対、「そんな徴兵を突然されても事務の負担が増大して役にも立たない兵士がたくさん生まれるだけです。そんなことをされたら防衛庁はパンクしてしまう」に遭って、つぶれてしまったが、今度は制服組の年来の考えに沿って「正常な防衛力」を獲得しようとしていることで、計画がよく出来ている。
受け皿もいつのまにか防衛省に昇格していて自前の予算要求が出来るようになっている。

枚挙にいとまがないほどの例があるが、たとえば制服組には次期主力戦闘機としてF22がとれなかった、という屈辱の思いがある。
日本は輸出禁止の例外としてF22を手にすることを期待していた。
軍事ヲタクのひとびとは、よく知っているはずだが、F22はステルス性が高く、アフターバーナーなしで超音速巡航が出来て、離発着距離が短い、という伝統的戦闘機性能が高い上に、猛烈なコンピュータの塊で、現状では一機で中国空軍の100機と軍事力的に拮抗すると言われるアメリカの主力戦闘機である。
ところがイージス艦の機密をだらしなくも中国側に渡してしまったりしていた日本側の機密保持能力に不信を持つアメリカは日本空軍の中国に対する抑止力の中核と期待されたF22を日本に売ることを禁じてしまった。
代わりに日本が手にすることになったのはF35という、いまから駄作機の呼び声が高い、設計思想そのものにおおきな欠陥がある戦闘機で、結果として日本は自国の空を「自衛」することはほぼ不可能になった。
いざ戦闘になれば空は日本に配備されたアメリカ軍のF22頼みの状況になってしまった。

特定秘密保護法案は、無論、いままでさんざん同盟国アメリカ側の不信を買った日本公務員の「おしゃべりぐせ」全般を睨んでのことだが、細かい現実として常に制服組を通して事実上の仮想敵国である中国へ日本の防衛機密が筒抜けであることに業を煮やした、という外交技術的な問題もあるでしょう。
日本の人のぼんやりと甘い期待に反して、中国が「やる気まんまん」なのは国際的な常識で、ソビエトロシア時代の北方国境よりも今日の東シナ海はずっと一触即発の危険に満ちていて、アメリカの抑止力の前で逡巡している人民解放軍の「自信のなさ」が戦闘を起こさない力になっているだけ、という皮肉な言い方をすることすらできる。
特に安倍政権がスケアモンガリングを行っているわけではなくて、戦争の危機は現実の問題として尖閣諸島の形をして海のまんなかに座っている。

余計なことを書くと長くなるが、「日本とのおおきな経済のパイプがある中国が当の相手の日本と戦争をするわけがない」という人がいるが、話してみると中国の人の考え方はまるで異なっていて、「戦争も貿易もやる」ので、問題は無い、という理屈のようで、自分達がいなければ世界の経済は成り立つわけがない、という想像以上の絶対的な自信に満ちている。
簡単に言えば「戦争をしていても日本人の生活が中国ぬきで成り立つわけないじゃん」という考えのようです。

第1次安倍政権では自分の政治目標である「胸を張って肩で風を切って国際社会を歩ける日本」を性急に実現しようとしすぎて、だんだん苦しくなる生活に焦りを感じていた国民にそっぽを向かれてしまった。
第2次安倍政権がまず「アベノミクス」を前面に持ってきたのは、無論、そのせいで、安倍晋三の最もおおきな学習はそこにある。

アベノミクスは現実の経済構造改革より経済の「見た目」、具体的には株価をあげてゆくことに集約された経済復興の考えで出来ていて、経済構造を根底から変えようとする政治家から見れば、とんでもない、というか、一国が打ってよい博打ではないが、「美しい国日本」をつくってみせるための国民の支持をつなぐための道具と割切ってみれば、非常によく出来ている。

いまの経済は20世紀の経済とは根本的に構造が異なって、まず技術的ブレークスルーとなるアイデアに基づいた企業が登場する。
そこに旧金融業の数倍のクレジットを創出する理論に従った流動性の高い資金が集中してマーケットどころか社会そのものが変革されることによって新しい市場が創出される。
具体例を思いうかべたい人はGoogleやiTunesを中心としたAppleのイメージで考えて良いと思う。
社会そのものの構造が変わってゆくことに関しては「小売」という最も変化をうけつけない分野を巨大なバックオフィスの構築で変貌させてしまいつつあるAmazon.comをかんがえると良いかもしれない。

あるいはニュージーランドのような小国は、ピーター・ジャクソンが旗振り役をはたしたエンターテインメントビジネスの工場の役割をはたそうとしているが、一方では、英語国であることを利用して、市場を見る角度を距離から言語に変えることによって、経済構造の改革をはたしつつある。
ぼくは、オーストラリアとニュージーランドは、いちどはいまのバブルが崩壊するだろうが、そのあとは、びっくりするような経済成長をはたすだろうと思っているが、日本語で説明することに意味はないので省く。

アベノミクスの特徴は、そういうパラダイムシフト抜きの経済改革をめざしていることで、このあいだもこれを述べたらバカな人がいっぱい来てうんざりさせられたが、その点で、アメリカでいま起きている産業革命とはおおきく異なる。
アメリカはもうすぐ自動車、航空機、というような旧製造業を完全に店じまいして、そこから新時代の産業国家をあらためてめざすことになるが、2025年頃を目指しているアメリカの新産業国家形成の頃に、旧来のトヨタ、キャノン、というような製造業をさらにのばしてアメリカの新世代産業と競争することになる。
将来がどういう様相になるかは「自動車」というものの定義を根本から覆そうとしている「Google Car」のような試みがどうなっていくかを注視すれば見えてきそうだと思います。

いま手元のエコノミストを見ると、「日本への投資の投機性」、つまり日本に投資すると、あんたのカネ、根こそぎなくなるぜ、というおおぴらな経済情報各社の警告にも関わらず、2割程度にとどまっていた外国人の株式総額保有率は3割を越えている。

ニュージランド人の素人投資家になったつもりで考えてみる。
ニュージーランドの投資家はだいたいNZ$1=55円〜65円という考えで円という通貨を眺める習慣をもっている。
現実の幅は、ここ20年で39円〜92円だが、だいたい62円くらいにもどってくるな、という感覚で見ているのが普通であると思う。
もう少しさかぼって90年代後半になると55円にもどってくるだろう、という考えだったが、マイナーカレンシーとメジャーカレンシーで直截較べることは出来なくても、相対的な国力がニュージーランドのほうがあがってきたので、全体の傾向はニュージーランドドルの上昇になっている。

日本の株式に投資したニュージーランド人素人投資家の眼から見ると、1000円から2000円にあがった株価は、あらっぽく言って20ドルから22ドルにあがったわけで、日本国内だけで株価を見ている人のように「倍になった!」と言ってよろこぶほどではないが、2割上昇しているので、まあまあいいか、ということになる。

ニュージーランドやオーストラリアに住んでいる人は実感として知っていることだが、統計数字でみるよりもニュージーランド/オーストラリアのインフレはずっと深刻で、
20年前にクライストチャーチの大学で知り合った若いカップルを想定すると卒業と同時に結婚して、まずやることは「自分達の家を買うこと」だった、比較的良い名前の通りにある3寝室の新築の家がいまの日本円の感覚で1500万円くらいで、10年ローンで買うのが普通だった。
ニュージランドのカップルは生涯で平均11回家を買い換える、と言われていた。
日本と異なって「中古住宅市場」が確立しているので、この家に10年住んだカップルは、この家を2200万円くらいで売って、「もっと良い家」に移って、そういう具合の不動産すごろくの「上がり」が、たとえばフェンダルトンにある4000万円くらいの「豪邸」だった。
それがいまは3寝室のスタートが3600万円くらいで、ゴールにいたっては2億円を超えている。

日本にいる観察者のほうはその間ずっとデフレだったので気が付かないが、日本の外に立って眺めている観察者にとっては日本の株式市場で収穫した金銭はあんまり使い手がない。
投資の世界から目をさまして現実に使う段になると。前述の2割では増えても減ってもいない、というよりも減価しているので、職場の友人がラスベガスの住宅を5年前に60000ドルで買って5年間25%のリターンで家賃をとって、最近180000ドルで売ったのを思い出して、あっちのほうがよかったなあー、と後悔する。

説明がながくなったが、アベノミクスが日本ではもてはやされるのに、産業が成長する他国の投資家たちに、あんまりパッとした人気がないのは、第一には人口が減少している国に投資をするのは絶対のタブーである上に、日本円がどんどん減価しているので、日本の外から眺めている人間にとっては、「いったい、いつになったらムードだけではなくて、実質が上昇するようになるんだ」というフラストレーションを起こす市場に映っている。

ここからがアベノミクスが良く出来ているところで、しかし、安倍政権の経済政策はもともと、「ふぬけた国から、強い愛国心をもった勤勉な国民の国へ戻す」という第一義の政策を国民の支持を取り付けながら強行していくための掩護方策なので、2015年の終わりまでもってくれれば、それでいい、という気持ちがあるでしょう。
市場の心理が改善されて、消費がのび、経済が活発になれば万々歳だし、化けの皮がはがれて、新しい産業構造と、それを支えるクレジット能力の創出を可能にするダイナミックな新しい金融理論に支えられた金融との現代経済の両輪なしでは、やっぱりダメだったね、ということになっても、少なくとも第一の目標である「美しい国」は達成できることになる。

ネオ自民党
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/21/ネオ自民党/
という記事で説明した通り、いまの自民党はむかしの自民党と看板は同じでも別の政党なので、安倍晋三に「楯突ける」政治家はもう残っていない。
日本人が儚い期待を抱いた民主党にいたっては、国民の期待を裏切るどころか、国民の生命を危険にさらして平然としていたくらいで、その観念的としか言いようがないボロボロの経済政策とあいまって、もういっかい政権につけると自分達は死ぬしかない、と思い詰めるほどひどかった。

日本社会にはもともと口汚く罵るだけの皮肉屋しかいない日本語インターネットと、調査報道の能力をもたない、悪名高い記者クラブ報道中心のマスメディアしかない、という「言論をもたない」というおおきなハンディキャップがある。
その上、その事実と関係がないとは言えない政治上の選択肢のなさを考えると、あるいは政府を批判するよりも、まるで政府の一部であるかのような態度をとることのほうを好む操作しやすいメンタリティの国民性とあいまって、安倍政権とその後継者たちが日本を「戦える普通の国」コースに載せて、アメリカ軍が戦うところではどこでも日本の若いひとびとの姿が見られるようになっていくに違いない。
An Infantryman
https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/07/04/an-infantryman/
で述べたように、徴兵にもだから意味があって、これから辞職者が増える見通しの自衛隊員では決定的に足りなくなりそうになれば、シンガポールのナショナルサービス型の徴兵/公共事業従事の制度をつくることになるでしょう。

日本の若い世代のひとびとにとっては、気の毒なことに、こうした安倍政権の動きはすべての同盟諸外国によって歓迎されている。
ちょっと考えれば理由などは明かで、カイバー峠の向こうでアメリカ人が500人死ぬよりも、50人のアメリカ人と450人の日本人が死ぬほうが、アメリカ人たちにとっては、(日本の人には悪いが)「良い事」であるに決まっている。

「国連」を通してアメリカが出兵するところには、どこにでも人間の供出を命じられて閉口している欧州同盟諸国やオーストラリア/ニュージーランドにとっても、日本の計画が軌道に乗れば、多分、いまの十分の一の出兵ですむはずで、国民にとって、これほど大歓迎の事態はない。

日本ではあまり伝えられないがアメリカ人の厭戦気分には歯止めがかからなくなりつつあるので、「戦争の民営化」と言われている民間の戦地コントラクターと日本の兵隊さんの組み合わせが、将来は、案外、アフガニスタンでも中東でも、普通の光景になるのかも知れません。

そこまでの荒技も、「これは尖閣諸島のような局地防衛問題限定だから」「これは専守防衛を現実に行えるためだから」という政府の説明に、いちいち頷いて、「怪しいのではないか」と述べる人に集団で襲いかかる「お国大事」の国柄では、ほとんど抵抗なく出来てしまうのではないか、とアメリカは期待している。

言わば世界中の期待が日本のワカモノに集まるわけで、なるほど「美しい国」と言えなくもない。
国防も年金も経済の構造変革も、すべてを担う日本の若い世代に「国外へ行かれるとわれわれが困るから、どうか国内にとどまってくれたまえ」と厳かに述べて、事実上、足止め政策を発効するのも、もうすぐであるように思えます。

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