Wasting My Young Years

se (31)

クルマを運転していてFMから流れてきた曲が突然きみの心のなかに流れ込んできて魂を水浸しにしてしまうことがある。
涙があふれてきて、前がよく見えなくなって困る。なにしろ、

You crossed this line
Do you find it hard to sit with me tonight?
I’ve walked these miles but I’ve walked ’em straight lined
You’ll never know what was like to be fine

という「Wasting My Young Years」の歌詞は、歌の始まる、いきなりの4行なのです。
不意打ち、という。
出会い頭の影に心臓を刺された人のようである。

I’ve walked these miles but I’ve walked ’em straight lined

という1行を聴いて女のひとの頬を伝う涙を思い出さない男族のひとはいないだろう。

しかも英語人の女びとは、そういうとき、指でそっと涙をぬぐって、
I’m sorry.
とただひと言を述べるだけである。
人間性のひとかけらがあるかどうかも怪しかったきみに向かって、ひとつぶの涙を流すというささやかな激情を詫びているのです。
きみは、あの頃、人間であるよりも悪魔であるほうに近かったに違いない。

きみは息をするのも苦しいとハンドルを握りしめて考える。

London Grammarというポップバンドが歌うその流行歌は、

I don’t know what you are
Don’t leave me hanging on

という言葉で終わっている。
クルマのシートの上で蓋があいてしまった箱から飛び出して床いっぱいに散らばってしまった記憶を詰め直す方法がわからないので、きみは途方にくれている。

若いということの、救いのない惨めさについて考える。

教師のTは、あるとき、授業のあいまに「恋愛などは愚か者のすることである」と述べた。
「しないですめば、それに越したことはない」
しかし、きみたちは十分に愚かなので、ある晴れた日の午後、よく判らない鍵の開き方で開いてしまったドアのなかに無意識に飛び込んでしまった人のように、ひとりの女の人を好きになってしまっている自分を発見して茫然とするだろう。

恋愛というものは、破壊的なものだ。
自分の魂の深奥から芽をだして、論理を突き破って、感情を引き裂き、理性そのものを粉々にして超低速度撮影で撮られた木のスピードで成長する魔の樹木に似ている。
きみたちの魂はいったん恋愛の成長を許すと、眼窩からも耳殻からも肩からも、口からも自分を突き破って成長した木に磔刑にされた滑稽な罪人に似た形で死んでしまう。

恋愛は通常、人間をはなはだしい危険に陥れる。
どんなに注意深く人生という橋を渡る人間をも破壊する力を持っている。
だから賢人は古来、恋愛を避けるものだと決まっているのさ。

だが、HAHAHA! 
人間のちっぽけな賢さなんかクソクラエだ。
きみたちは、愚かになることを怖れてはならない。

賢い人間であったあいだ、ぼくはずっとバカだった。
鶏を買うときに知能で選り分けて鶏を選ぶのは愚かな行動だとは思わないか?
人間の理性に信頼を置いて、個々の人間のあいだにおおきな知力の差異があると信じこんでいる人間の愚かさは、鶏に個別の知能検査を課している農夫の愚かさに似ている。
そのくらいなら声の良い鶏を買ったほうが、よほど気が利いている。

人間の文明の偉大さは、その半ば以上が愚かさによって築かれたものであることだと思う。
どれほど美しい声でも、その声を鍛えて美しい旋律で歌うことは愚かな行為にしかすぎない。
どれほど美しい筋肉の躍動に満ちた跳躍でも、ダンスは肉体の美しさを誇示するだけの無意味な行動にしか過ぎない。

いつか記事に書いた洞窟
https://gamayauber1001.wordpress.com/2011/07/21/cueva-de-el-castillo/

には、(あのときはクロマニヨン人だと思われていて、いまではネアンデルタール人のものだと判っている)酸化鉄でつけた手形が無限に続いていて、人間の「魂」というものが、いまの人間が考えるよりも、もっと神秘的なつながりかたで太陽や銀河や地球という大自然と直截つながっているのが形象によって直感的にわかるようになっている。

考えてみれば、当たり前だが、魂は近代的な自意識とはあんまり関係がない。
近代自我が「魂」と意識しているものは、時間のなかにごろりと存在する「魂」の、ただの近代人のうらぶれた翻訳にしかすぎない。

ちょうど外国語がきみのなかに「はいって」くるのは常に音がきっかけであるように、人間の魂の意味を知るためには、人間が言葉で十分に表現できなかった頃の洞窟の壁にそっと掌をさしだして触れてみるか、せめて音楽とダンスの組み合わせによるしかない。

そうして、人間が自分の一生の意味を知るには、自分自身の破壊を賭けて恋愛のなかに自分の魂を投企するしか、他には方法がない。

No! I am not Prince Hamlet, nor was meant to be;
Am an attendant lord, one that will do
To swell a progress, start a scene or two,
Advise the prince; no doubt, an easy tool,
Deferential, glad to be of use,
Politic, cautious, and meticulous;
Full of high sentence, but a bit obtuse;
At times, indeed, almost ridiculous–
Almost, at times, the Fool.

とT.S.Eliotは述べているが、その実、このときこの詩人は22歳の青年にしかすぎなかった。
すべてを知り尽くしたように詩を書きながら、現実の生活では、全存在が粉々になってしまうような恋愛と結婚のなかに歩みいっていく。

つまり、どんどん愚かになっていったが、人間の愚かさの形に彫塑されていった、その誠実にさこそ、T.S,Eliotがいまでも人間の最高の知性のひとつとして尊敬されている理由があるのだと思う。

きみが苦しい恋のなかから生還することを願っています。

では

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