Kaap die Goeie Hoop

se (40)

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吉本隆明をどう思うか訊ねたら堀川正美は、とてもやさしい顔で、ふっ、と笑ったと、その人は書いている。
そのときは「やさしい顔」だと思ったのだけどね、と、「その人」の口から直截、聞いたことがある。
「あれは、軽蔑、というか、あのていどしか絶望できなかった人間に何がわかるものか、という笑いだったのだと、ずっと後でわかった」と、その人は述べた。
吉本から大江健三郎への「もっと深く絶望せよ」という公開書簡が「その人」の頭にあったのは、前後の会話からだいたい想像がつくが、その事情をここで説明しても仕方がない。

同じ「荒地」の同人のなかでも、鮎川信夫や田村隆一と吉本隆明のあいだに懸隔があったのは誰の目にも明らかで、世代の差よりも「兵士として出征したかどうか」の差であるように思われる。
死後に判明して親戚友人たちをひとしなみにぶっくらこかせた最所フミとの結婚もそうだが、吉本隆明にとっては鮎川信夫は生涯あますことなく尊敬した年長の友達である一方で「どうしても判らない人」だった。

鮎川には人を唖然とさせるところがあった。
吉本隆明は若いときに、よく鮎川信夫の住んでいた「長屋」を用もないのに訪ねたが、そこで観た、原稿を広げた卓袱台の上の飛び乗って駆け抜けてゆく子供を見やりもせずに淡々として原稿を書いている「偉大な生活者」としての鮎川を何度か文章にして書いている。
吉本は観念的な革命者にしかすぎない自分を「生活者」の鮎川と対比させて恥じたのだと思うが、当の鮎川は、その後キャディラックを楽しそうに乗り回したりして「荒地」同人を呆れ果てさせている。
吉本隆明も、いったいどう論評したらいいものか、途方に暮れたもののようでした。

鮎川信夫は、また、死ぬ直前には突然戸塚ヨットスクールの戸塚宏を、ほとんどすべての「進歩的知識人」を敵にまわして擁護して茫然とさせた。

いつもの奇妙な運のよさを発揮して、徴兵されたものの霞ヶ浦で戦闘機の操縦教官をしていて、終戦の日には若狭湾にいて、終戦後のしばらくは、毎日おいしい魚を食べて、のおんびり夏の若狭湾を泳いで往復して過ごしていた田村隆一ではダメである。
鮎川信夫の「奇妙な行状」を理解したのは、もうひとりの兵士であった堀川正美だけだった。

堀川正美は火炎瓶闘争時代の日本共産党で革命を信じて戦った戦士だった。
日本共産党が熱心に歴史から削除してしまったせいで、いまでは忘れられた兵士たちだが、火炎瓶闘争時代の日本共産党の地下党員は、その後の全共闘とは異なる、遙かに陰惨で苛烈な闘争を生きたひとびとだった。
堀川正美と同じ時代に共に火炎瓶闘争を戦った医師は「人間性を完全に捨てられなければ生きていけなかった」と、あっさり述懐しているが、仲間を裏切ることを強いられ、仲間に友情を感じれば自分が粛清される、政治的打算の無謬を競い合う「非人間になることによって初めて完成される」兵士として堀川正美は若い時代を生きた。

堀川正美の詩は、この世のものともおもわれない美しくてあたたかい日本語の結晶である「剛造とマリリアへの祝婚歌」以外はすべて壊れていて、まるで美しい人の屍体からはみだした腸のように理解できない崩壊した表現が必ずどこかにあるのが特徴だが、この世界には「壊れたかたにこそ本質がある」芸術が存在して、画家ならばフランシス・ベーコンが最も著名な例だが、堀川正美もまたそうで、ちゃんと読んでゆけば、堀川正美の詩の本質は詩が破壊される、その1行にこそ存在するのが理解される。

「遅れてきた兵士」だった吉本隆明には、ついに戦いそのものが理解できなかった。
吉本隆明が述べる「戦い」が軍事教練に参加しただけで実戦に参加できなかった後期戦中世代が自費出版で語りかけてくる「ほんとうの戦争のきびしさ」に限りなく似ているのはそのせいだろう。

鮎川信夫の、ふてくされて床の上に放り投げたような兵士の絶望の深さは、吉本隆明という下町の秀才青年にはついに理解されなかった。
そうして、鮎川も吉本も、その機微をよく知っていた。

鮎川信夫や大岡昇平、大日本帝国の兵卒たちの地を這い回るどこにも救いのない絶望は実は岡崎京子に継承されているのさ、というと、きみは笑うだろうか。

たまたま鉢合わせしたNHKの食堂で、60歳代の田村隆一と鮎川信夫は、食堂の端と反対側の端に腰掛けて、周囲をびっくりさせるような大声で、「きみにはまったく絶望ということがわかっていないではないか」「おまえに言われることではない。絶望は体験には拠らないのさ」と「絶望」について延々と議論してNHK職員たちをしんとさせて瞠目させたというが岡崎京子は彼等のどちらも同意するしかない止揚された絶望を「リバーズ・エッジ」と「I wanna be your dog」で描いてみせた。

川のそばに横たわった腐爛した屍体に見入って「まるで、ぼくのようだ」とつぶやく高校生や、ボーイフレンドの手引きで集団強姦にあって「ちんこがそれぞれ味がちがうのだと初めて知った」とつぶやく女の高校生は、いまの高校生が意志すらすることなくとも、吉本隆明や谷川雁が意図しても辿り着けなかった「絶望」に簡単にたどりついてしまえることを示している。

怒る人がいるのを承知で述べると、吉本隆明の絶望はなんらの普遍性ももっていないが、「エンコー」セクスのあとでカラオケボクスでコップを鏡にたたきつける女の高校生の絶望には普遍性がある。
つくりものでない絶望を当然のこととして彼等は生きている。

吉本隆明が大江健三郎に書いた公開書簡の題名「もっと深く絶望せよ」のバカバカしさが端的にあらわしている通り、絶望は実は意志できるものではなくて個人が社会との関係のなかで結果するものだからです。

(あんまりおおきい声では言えないが)
ぼくはいまの四十代以下の日本人を信頼している。
理由は非常に簡単で、岡崎京子を職業作家たらしめるだけの「読者」がこの世代にいたということによっている。
(笑ってはいかむ)

クルマ椅子の岡崎京子という天才はもうマンガを描かなくなってしまったが、「新しいバスでやってきた」日本人たちは、明瞭にそれまでの日本全体を否定しはじめている。
ぼくはその事実に期待している。

のみならず、ぼくは日本のひとにはタブーとされているらしい「世代論」にもういちど依拠してもよいのではないかと感じる。
いま50代60代の日本人たちは「世代論」によって先行世代を叩きつぶすことによって自分たちの「無責任の王国」を築き上げた。
その自分達が社会でのしあがった経緯をよくおぼえているので彼等は「世代論はナンセンスだ」といつも声高に叫ぶが、ぼくは、調べてみて、「よく言うよ」と思っている。

たとえばアメリカでいえば「flower generation」がそうだが、時に、社会は世代でくくったほうが公約数の値が近くなる集団をうみだす。
日本で言えば「団塊世代」であるよりも1948-1958生まれの「戦後民主主義世代」が、一般化の弊害よりも考える上でまとめてしまう利便が多い世代に思える。

「遅れてきた兵士たち」に戦場に送られてしまいそうな世代の人間にとっては、そのくらいの乱暴は許されるべきだと思うのだけれど。

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One Response to Kaap die Goeie Hoop

  1. あー、おもしろかったー。1949年生まれですが、なんか。

コメントをここに書いてね書いてね

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