Vicious

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メキシコのチチェンイツァに初めて行ったときアメリカ人の教師達と一緒だったが、そのうちのひとりが教師を退職する理由を生徒が「vicious」になったからだと述べていた。
だからなんだ、と言われても困るが、そのときの20年間教師をしたという女のひとの現実と戦い続けて絶望にたどりついた人だけが持つ目の光を未だに憶えている、というだけのことかも知れません。

viciousに最も近い日本語は「容赦がない残酷さ」だろうか。
英語圏の学校の常識は体罰もなにも教師は生徒の体に触れてはいけないことになっている。
どんな経緯であっても教師が生徒の体に触れた場合には無条件に処罰される。
ルールが絶対であるのを知っているので生徒はそれを良いことに教師を徹底的に愚弄して痛めつける。
「あんたみたいに風采があがらない、女房にまで逃げられるような人間のクズみたいな中年男に教わることなんかなんにもないわよ。第一、授業やってるふりして、わたしたちの裸、想像してるだけなんでしょう?
いやらしい目つきで見やがって。
このあいだ、そこにいるジェーンとイッパツやってる妄想にひたりながらマスターベーションしてるのを見たと近所の人が言ってたわよ」
くらいから始まって、延々と侮辱されて、職員室で、4人の同僚が取り押さえないと「おれは、あのクソ女を人間として許せない。殴らせてくれ」とあばれるその教師を留めることが出来なかった、というようなことは高校では普通にある。

いくらなんでも甘やかしすぎで、コントロールが利かないので、NZでも、せめてイギリス並みに竹の鞭で手のひらを打つくらいは復活しようという国民投票が行われたが、そんなバカな退行が支持されるわけはなくて、圧倒的な票差で否決された。

あるいはイギリスではHappy Slapping
https://gamayauber1001.wordpress.com/2008/05/26/happy-slapping/
のような遊びが出来て、初めは友達同士で平手打ちをしあう他愛ない遊びだったのが、あっというまに、暴力化して、夜更けにさびしい空き地を通り抜けるパキスタン人の女の人を、4人くらいの高校生が徹底的にぶちのめして、血まみれになって、やめてくれと懇願する女のひとを、ビデオにとって、Happy Slappingのサーバーにアップロードして、殴られる人間が最も哀れっぽく、惨めな姿である画像に賞を与えたりしていた。
最近はHappy Slappingとは呼ばなくなったが、相変わらずアジア人移民を襲って、半殺しにしたり強姦したりして、その被害者が人間の尊厳をまるで失わさせられて謝るのを撮影した動画がアップロードされたサイトは相変わらずアンダーグラウンドで存在する。

東京のクラブのバーで、おいしかったフライドチキンがバスケットのなかに一個だけ残ったので、テーブルを囲んでいたオーストラリア人とアメリカ人とぼくとドイツ人と4人で、「このなかで最も友情の値段が安い国の人間がこのフライドチキンを食べていいことにしよう」とゲームの規則を決めて、具体的な例を挙げて、いくらくらいのオカネがかかっていれば友人を裏切ることが出来るか、ということを競ったことがあったが、おおかたの予想通り、イギリス人の勝ちで、ぼくが最後のフライドチキンにありつくことになった。
具体的な話は省くが、だいたい280万円で友達を裏切る、という例を出した。
あれは6年前だったので、クレジットクランチの前で、いまなら、120万円くらいではなかろうか。

アメリカでは最近は「open relationship」が流行している。
流行している、というよりも結婚のひとつの形態として定着しつつある。
簡単に言えば結婚したカップルがお互いの浮気を認め合う、という婚姻で、実行している芸能人の友達カップルに訊くと、ロケで長い間離れていたりするカップルでは、そういう形態のほうが良いのだという。
お互いが違うパートナーと性行為にひたっているところを思い浮かべると、関係が新鮮である、ということでもあるらしい。

あるいは高い給料を出さなくても希望者がたくさんある職業にはびっくりするような低賃金を呈示する。
テキサス人の友達が経営するデザイン会社は、変な会社で受け付けの若い女の人たちや、日本企業並みに、会議中にコーヒーをいれてくれる女のひとたちが、なんだか冗談みたいな美人ばかりである。
ビジネスだと言っても、昔からの友達であるようなぼくみたいなありがたみのない客だと、カフェに行って、この女のひとびとがランチのテーブルを共にする。
500グラムは優にあるスコッチフィレを平らげていると、隣で小さなサラダを食べているので、ビョーキなんですか?と訊くと、本業はファッションモデルなのであるという。
ダイエットちゅうなの。
いつもは仕事がないので、この会社で受け付けをさせてもらっている。
いつ休んでもいいことになっているので感謝してるんです、と屈託なく笑っていたが、その「給料」を聞いてびっくりしてしまった。
日本の「海外研修生」より酷いのではないか。

あるいはCNNの画面を眺めていると、給料日前に公園のゴミ箱を漁る大手上場企業の秘書の姿が映されている。
インタビューに答えて、この頃の世の中は狂っている。
働くほうの生活を考えて賃金を払ってくれない。
こんなにviciousな世界になっては人間は生きていけない。

若いバルセロナ人には独身者が少ないのはふたりで共稼ぎしないと食べていけないからだが、いまはパリもロンドンもニューヨークも、みな同じで、ふたりでアパートに住むか、5、6人で一戸建ての家を借りて住む。
NZのオークランドでも海辺の高級賃貸アパートは日本式に言えば2DKだが、惹句を読むと「キャリアカップルが2組で住むのに最適だ」と書いてある。

このいまの世界の競争の激しさと容赦のなさ、のりしろのなさはなぜかというと、やはり根底にあるのは優秀な移民が絶えず流入してくることで、たとえばインドのような国内の激しい競争に打ち勝たねばそもそも英語国に移民できない国の、1%にみたない勝者の組が流入することによって英語国は繁栄を維持している。
何世代も前から住んでいる組は、のんびりしていると社会の階梯から蹴落とされてしまうので、こちらも一世代前では想像ができないような努力を強いられる。
社会の競争力を維持して国が生き残るためにはどうしても必要な移民なので、どの国でも「移民反対」の政党が負け犬市民の支持を得て勢力を伸ばしているが、移民反対で政権の一画を担っても、いざ現実を知ると、素知らぬふりで移民への門を開けたままにする。
実際、いまの世界ではどれだけ優秀な移民を外からとれるかに社会と国家の存亡がかかっているので、優秀な移民が来ない国は破滅が約束されているだけで、仕方がないことなのでもある。

少し目を遠ざけて、中国やインドから激しい勢いで英語国に流入するいまの人間の流れを見ていると、つまりは、根本をなす原因は、地球資源全体が足りなくなりつつあることが原因なのが見てとれる。
数字にした資料をみると、要するにひとりあたりの可処分資源が少ないところから多いところに移動しているだけで、アメリカのように平均に数倍する資源の使用が個人に割り当てられている国には、資源の分配がまわってこない世界中の国から競争力のある、生産性の高い人間が集中する。
日本から他国へ移民する人間の数が少ないのは日本人の特殊性や言語的な壁に理由を求めることが一般的で、そのとおりなのだと思うが、他の一面ではプラザ合意以来、変形版ジャパンプレミアムであるかのような円高が続いて、資源の獲得に齟齬を来したことがないからであると見ることも出来る。
そんなヘンな話、聞いたことないぞ、だろうけれど「資源」のほうから世の中を見ると、そう見える。

インドが典型だが国民の6割が家庭内にトイレを持てず、水も電気も不足している国では資源そのものが直截個人の生活を組み立てるときの限定要因になっている。
アフリカでも見られるそういう国の社会で起きていることは水を母親が5キロを歩いて甕にいれて汲んでこなければならない村で、食料も十分になくても、コンピュータだけはあって、子供はオンラインのコンピュータにしがみつくような形で必死に勉強して、同世代の仲間との厳しい学問的競争に勝ち、国内の大学に進み、欧州の大学へ転じ、アメリカの大学に学部卒業後にすすむ。
これもそのまま資源が少ない土地から資源が豊富な土地へ移動しているのだと言って言えないことはない。

そんなの、あたりまえじゃん、という声が聞こえてきそうだが、いまは社会のインフラや収入の後ろに背景のように映り込んでいるだけの個人の資源獲得競争の側面がもう十年というような近い未来に露骨な、viciousな姿で個人の生活に襲いかかる可能性がある。
中国の内陸やオーストラリアの都市部では水が、すでに絶対的に不足している。
東欧ではこの瞬間にもエネルギーが不足する可能性がある。
世界的にも中東の情勢によってはエネルギーはいつでも不足する。
景気が回復するたびに起きる原油や天然ガスの不足は結局は製品の価格の上昇になって、人間を貧困に押し戻していくだろう。

根底の原因が資源であることを考えれば社会の競争は不可逆的に厳しくなってゆくだけで世界中で大量の敗北者を生産しつづけてゆくことになるが、もうひとつ余計なことを述べると、この競争の絵柄から浮き出てくるものは「強者が勝つ世界」で「適者生存の世界」ではない。
なかには混同する人がいるかも知れないが、落ち着いて考えれば「強者が生き残ってゆく世界」と「適者生存」の世界は、まったく異なる。
ボートに乗るひとは自分の船で沖合にでたところを想像すればすぐに判るが、海での圧倒的な強者はオルカだが、いちばん楽々と暮らしているのは海面に浮かんでぷかぷかしているブルーペンギンで、ブルーペンギンが「強者」かというと、そもそも闘争する能力が少しでもあるかどうか疑わしいくらい弱い生き物である。
くらげを思い浮かべてもいいし、なんだったらタツノオトシゴでもいいのではないだろうか。
環境に適した生き物は強者とはほとんどの場合ことなる種で、強者は通常、適応能力が低い、生存能力も低いと相場は決まっている。

この「社会がいきのびるために、どんどん個人間の競争が厳しくなる」傾向が続けば遠からず世界は破滅する、と思っている。
強者しか生き残れないからです。
戦争か全体主義の擡頭か、社会としての攻撃性が増加するので、具体的なあらわれは、そんなものだろう。
細部においても、どの社会でも、弱いもの、すなわち女のひとや外国人、移民、子供というものへの嫌悪の症状があらわれてくれば、その社会は危機的な症状をみせていると言ってよい。

そして、もちろん、力の強い「ノーマルな」者だけが大手をふって歩く社会になれば、その社会はすでに半分破滅したのも同じである。
中国人全体が中進国程度の生活が出来るようになるためには、いまの地球がまるまるもうひとつ必要だと言うが、資源の不足は、そういうやりかたで、人間の文明の破滅の原動力の役割をはたしだしている。
根幹的なブレークスルーが起きなければ2050年まで人類はたどりつけないのが明らかなのだと思うと、気が遠くなるような、わるい一場の夢だと祈りたくなるような、曖昧な気持ちになります。

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4 Responses to Vicious

  1. hermestrism says:

    システム、つまり精神性や人間性が投影されていない不完全すぎるシステムに問題があるという事が最も大きな原因の一つといっても良いと思います。良い人は本来価値を示して皆成功すべきなのですが。

  2. 小谷野敦 says:

    谷崎と佐藤は奥さん交換なんかしてません。谷崎が妻を佐藤に譲っただけです。

  3. akikokatsuo says:

    お く り び と

    日本限定の話です。
    日本国は、今もこれからもきっと頑張ってるよ。。 TEPCOはね、昔 集金集めのうちのおじいちゃん家庭にすら、医療費を免除していたんだよ。。家族ぜいいんの医療費をTEPCOは面倒みていたんだね。 ま、それが、企業福祉か。。。 そして、うちのおばあちゃんは、家内工業で一生懸命基盤を作り 子ども達を立派に成人させたよ。 だから、うちのおばあちゃんを安楽死できるように、今いろいろ 画策してる。

    君がいると、なんだか僕は頑張れるよう。ありがとう。 モデルしてるけど、てんで喰えないからなあ。 。。 。いろいろ納得。 世界中、モデルは、モデルだな。 社会の模範。 idealだ。今夜はアデルの声が、恋しいなあ。

    日本語はいいね、綺麗だ。日本語で育つとゆうことは、唯一右脳と左脳を自由に交える、、、使えるようになるらしい。 by 角田 忠信

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