Monthly Archives: October 2014

For everything a reason 3 (哲人さんとの往復書簡)

ふたりの人間が相対(あいたい)して、これから話そうとするときに、片方が述べた言葉が相手に直接つたえられて理解されるかというと、そんなことはありえないことだ、と考えます。 こんにちは、はもちろん直接伝わるでしょう。 ひさしぶりですね、になると微妙だが、礼儀ただしくしようとすれば、やはり直接言葉を受け取るべきだろうと思います。 ところで奇妙なことを言うと「こんにちは」という挨拶を受け取っている人は、実は「こんにちは」に相当する信号を相手が送っていることを知覚しているだけで、特に述べていることを聞いているわけではない。 鎌倉の焼鳥屋に行ったら、そのとてもおいしいけれども、ぼくの身体のサイズにはなにもかも小さくて、その「小さい感じ」がとても楽しい夜になった焼鳥屋で、お勘定をすませて、いざ帰るときになったら、金髪でピアスをした気の良いおにーさんが「あてあああーす」とかなんとか、結局は聞き取れなかった威勢の良い挨拶で送り出してくれました。 一緒にいた義理叔父に、「いまのなんて言ったの?」と聞くと、 いや、おれにも判らない、という。 さよなら、という意味かしら、と言うと、 いや「毎度ありがとうございました。また、どうぞ」という意味だ、と自信たっぷりに答える。 いま聞き取れなかったって言ったじゃん、と蓮紡議員の国会質問並に鋭い指摘をすると、 いや、それでも意味は精確にわかっているさ、と言ってすましている。 ところで、相対(あいたい)して会話しているひとは、通常、互いに、言語社会全体が絶えず書き換えているひとつの「おおきな辞書」を参照しながらお互いが述べていることを理解しているのだとぼくは感じます。 すさまじい、という言葉は11世紀の日本社会が参照していた辞書では、「なんだかぞっとするようで興醒めである」という意味だったのだと思いますが、いまの(日本語人が会話するたびに絶えず参照している)辞書には「すさまじい面白さ」という用例が載っているでしょう。 よく上がる例だと「やばい」という言葉は現在進行形で辞書が書き換えられたり書き戻されたりしていて、こう書いているいまも、「すごく良い」と「ダメっぽい」という相反するふたつの意味を往復している。 本来、内的意識と照応している言語に伝達の機能をもたせるために、どの言語社会も、この全員が編纂と執筆に参加して絶えず書き換えられている「おおきな辞書」を持っていて、これを参照しながら普段「伝達」を行っている。 しかし考えてみると、ここで「伝達」と呼んでいるのは、お互いがすでに知っていることの追認にすぎないわけで、壁にかかっているいくつかのシチュエーションカードのようなものを何枚か取り上げて、これとこれとこれ、というふうに生起順に並べてみせているだけであるように思います。 ギョーム・アポリネールという詩人は、パブロ・ピカソという若い画家の友達とふたりで時間ばかりを持てあましている毎日のある日、詩を量産して大金(たいきん)を稼ぐのはどうか、と言い出す。 どうするかというと詩句を書いたカードを何十枚かつくって、シャッフルして、並べ直すことによって詩を大量生産すれば、ちょうどT型フォードのように売れると考えた。 これは大変示唆的で、詩を大量生産するのは無理だが、会話などはおよそ、その程度のものだ、ということを暴露していることにおいて面白いと思う。 むかし、ぼくが子供の頃、母親のおさがりのSE30というコンピュータでよく遊んでいた頃、(もしかすると同時期に持っていたコモドールのアミガのほうだったかもしれないが)「ラクター」という、「おはなしリカちゃん」のソフトウエア版があって、この「ラクター」は自称コンピュータのなかに住む詩人で、さまざまな美辞麗句を駆使したり、ときに、というよりも、しばしば、びっくりするように鋭い警句を述べるのですが、種明かしは、 ラクターはコンピュータのAI史上有名なELIZAと同じ人工無能プログラム で、特に相手の言っていることを理解しているわけではない。 適当にシンボル的に連関のある単語をつなげて、もっともらしいことを言っているにすぎない。 一定の複雑さをもつ質問を述べると、突然怒り出して、おまえみたいな低劣な人間とは口も利きたくないと言っていなくなってしまう大庭亀夫みたいな人で、7歳か8歳くらいのぼくは、退屈すると、「ラクター」で遊んでいたものでした。 そうして、「ラクター」はまわりのたいていのおとなよりも、興味深い世界への理解を発揮してぼくを楽しませる「おとな」だった。 「おおきな辞書」は哲人さんが述べる社会性を請け負っている言語が網羅的にかかれた辞書で、 「言語は、自分と他人が同じ世界を見ているという社会生活の水準での確実性の上に、音声と身振りが配置されたものにすぎない」 と哲人さんが書かれた哲学上言語学上の教科書的真実は、この「おおきな辞書」について述べられたものであると思います。 哲人さんがここで述べられていることは「正しい」ことでもあって、現に、言語について考えることに決めた人は、みな、この定義を教室で 教わったことがある。 ぼく自身も、哲人さんが書いた文章のこの部分だけ、自分のラテン語教師が書いたのではないかと一瞬さっかくしてびびりました。 哲人さんの正体は、日本語を学習して、態度も出来もわるい学生だったぼくに復讐するためにはるばる波濤を越えて日本の国立大学に職を得た、あの天敵ハゲではないかと考えた。 ぼくが話したかったのは、もっと編纂参加者が限られた、多くの場合はたったのふたりでさえある辞書や専門辞書の場合です。 「相手が知らない/判っていないことを伝達しようとしている」場面を考えると、「おおきな辞書」は、まるで使いものにならないのは直感的にわかりやすいのではないかと思います。 社会的な合意を参照して追認するだけの「おおきな辞書」には載っていない概念や、概念自体が誤解されている語彙がたくさん出てきてしまうからです。 「悪魔の実在」について議論するのは、大陸欧州では、そんなに奇異なことではありません。 欧州言語は、神を「言葉によって知覚できず、言葉の集合の外にある」絶対として定義して発展してきたからで、世界で最も無神論者が多い連合王国人が最近になって安んじて「神なんて、いるもんかよ、けっ」と述べられるように成ったのは、「神」という仮定が、ちょうど18世紀の物理世界における「エーテル」と同じく、世界を矛盾なく説明するためにはどうしても必要だった時代が終わって、主に物理学者の挑戦を契機に、宇宙を説明するための仮定としては、存在を認めると返って邪魔になってきたからにすぎず、神が存在しえないという物理的知見から逆に言語の側へ影響して、たとえば、神と神を仮定した「調和のある世界」にこだわっていると、どうしても現実感すらない、あるいは生活言語では存在の有り様を解説することさえできない量子論から徐々に生活のほうへ広がってゆく「言語の崩壊」は、まだ神や悪魔を仮定して議論するひとびとが使う言語にまで影響するには至っていない。 だから悪魔の実在について議論することは可能なはずですが、日本語には宗教について参照すべききちんとした「ひとびとの意識が参照できる辞書」が言語社会全体として存在しないので、現実には不可能なのは、ご承知の通りです。 神と悪魔が対立的なものではなく、悪魔は「最高神になりえなかった神」にしかすぎず、と説明するのもそうですが、それ以前に言語の定義の問題がある。 いちど、50代の人が「正直に言って北村透谷は滑稽で、浅い」とオオマジメに述べているのを見たことがある。 … Continue reading

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言葉がとどかないところ _(哲人さんの返信)_For everything a reason <哲学者の友だちとの往復書簡 II >

<以下は、 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/10/19/philosophy/ への、哲人さんが書いた返信です> 1 「言語に関心があって、言語について考える習慣を持っている人で、人間の言語が伝達に向いていると考える人はいない」 そうかな、そうなのかな。 ガメさんは今までにも何度かこのことを語っていたと記憶しています。それを読むたびに、「そうかな、そうなのかな」と立ち止まって考えたい気分になります。 私は、同じことをちょうど反対側から考えているようです。 言語は当初から社会的な伝達のためにあって、伝達しかできない。意識がほとんど言語からできているのは、私たちの心が社会からの働きかけによって形成されていることの――私たちの心が周囲の人々の働きかけによって作られてしまうことの――現れなんじゃないか。 だから、言語が掬い上げることのできない何かが自分の中にあるのを発見することは、むしろ、私が周囲の人々から侵蝕され尽くされていない、という事実を示すものだ。それは喜ばしいことだ。 それでは、反対側からの眺望を書いてみます。 2 言語を身に付けるとは、結局、他人の見方で世界を見ることを学ぶ、ということなのだ。私はこう考えているようです。幼児がどんな風に言語を身に付けて行くのか、本で読んだことを記してみます。 新生児は、生後数日で、母親の声を聞き分け、母親の顔を識別し、母親の匂いを他人の匂いよりも好むようになるらしい。そして、胎児のときに聴いた母語の音声に注意を向けるのだそうです。 たった2月齢で、赤ちゃんが母親と情緒を伝え合うことが実験によって確認できる。赤ちゃんは故意に無反応を保つ母親をいやがるのです(ひどい実験!)。 2月齢から4月齢くらいで、母親の視線の方向に赤ちゃんが視線を向ける、という現象がまれに現れるようになる。そして1歳頃には、母親の見るものを赤ちゃんも見る、という共同注意が成立する。 これが言語習得にとって重要らしい。共同注意とは、他人の見ているものを環境の中で探し当てて、自分もそれを見るという活動です。言い換えれば、「ものを仲立ちにして他人の気づきの内容に出会う」ことです。 つまり、言語そのものとほとんど同じものだ。言語は、音を仲立ちにして他人の気づきの内容に出会うことですから。 幼児は、共同注意ができるようになると、周りの大人の認識や情緒によって彩られた世界に出会うことになる。母親がにっこり笑って見るものと、顔をしかめて見るものは、幼児にとって違う意味合いをもつ。幼児は、文字どおり自分の死活にかかわる人々の見方に沿って、世界を見ることを学んで行く。 1歳頃にはまた、手を伸ばしてものを取ろうとしたり、指差す動作をしたり、何かを指差して「ウゥム」とか「ダァ」とか発声する、なんて動作も現れる。自分と他人が同じものを見て、同じものに注意して、そこに「ダァ」とか「ウゥム」とか音がくっつく。 言語習得の長い複雑な過程は、思い切って単純化すれば、「他人と同じものを見る」という体験が基礎になって、そうやって認知的・情緒的に共有される世界の上に、特定の発声や身振りが配置されて行く、という仕方で成り立つのでしょう。 一方、私的な世界をとらえる能力の発達は、やや遅れる。幼児は、他人が自分とは違う視点から世界を見ていて、違う情報を取り入れているということが、4歳から5歳くらいになるまで、よく分からないらしい。 3歳児に横から描いた亀の絵を見せます。その子からみると、亀は足が下、甲羅が上になっている。さて、机の反対側にいる人にその亀がどう見えているか、その絵を使って示すようにうながすと、3歳児はそれができない。向かい側からは、足が上、甲羅が下に「逆立ちして」見えていると推定できない。絵の天地を逆さまにして示すことができない。 それなら、というので、机の反対側に来させて、天地が逆さまになっているのを確認させて、もういっぺん最初にいた側に戻らせて、「さあ、反対側からはどう見えてるかな?」と尋ねると、驚くべし、やっぱり天地を逆さまにできない。3歳くらいでは、そもそも、自分と他人が、同じものを違う角度から違った像として見ている、という認知が成立していないようです。 また、3歳くらいの幼児の多くは、共有された知覚的世界の情報の一部を他人の目から隠す――他人をだます――ことができる、ということも理解できない。彼らは、自分が正しい事実認識をもっているときに、同じことについて他人が誤った認識をもっている、という状況をうまく処理できない。だから、誤った認識をもつように仕向ければ、他人を誤った行動に誘うことができる、という計算ができない。 3歳前後では、それぞれの人がそれぞれの視点から異なった姿で世界をとらえている、という考え方が成り立っていないようです。だいたい4歳から5歳頃に、それぞれの人の視点からとらえた私的世界という領域が、「他人の目の届かない領域」として徐々に設定されるらしい。言語習得の過程から見て行くと、私的世界とは他人と共有する世界の一区画にすぎない。その区画は、言葉のやりとりの中で、共有世界の片隅に「このわたしの心の中」や「あのひとの心の中」として囲われるだけなのです。 心の中という私的領域は、他人からは見えない――うっかりするとだまされちゃったりする――領域として、言葉のやりとりを通じて登場する。幼児は、自分と他人の認知状態をそれぞれ計算して、自分の心という領域を開いたり閉じたり操作できるようになってゆく。隠しすぎても、ばらしすぎてもいけない。ちょうどよいくらい他人に分かって、ちょうどよいくらい分からないようにしなければならない。 そして、それぞれの人間の中に、そのように外から容易には接近できない領域があると見なせば、他人の言動がうまく解釈でき、自分の対処もうまく行く。だから、それぞれの人の心とか心の中といった領域は、とりあえず社会生活の方便として出現する。そう言えるのではないでしょうか。 3 しかし、「容易には接近できない」のではなくて、「原理的に接近できない」私的領域もあるのじゃないか。それを考えてみます。 北杜夫は、1945年の初秋、人っ子ひとりいない上高地を訪れた経験があると、どこかに書いていました。風が立つと木々がいっせいに葉を散らして、それはたとえようもなく美しかった、と。 私はその描写を読み、理解し、記憶しました。北杜夫の経験の内容はその限りで確かに伝わった。でも、私はその光景を見てはいない。そもそも上高地には行ったことがありません。想像の中で、深く青い空、山の稜線、陽光を浴びて立ち並ぶ白樺、風に散る葉、といった絵葉書みたいな映像を適当につないで、「んまぁ、きれい」と思ってるだけです。 北杜夫は、人っ子ひとりいない初秋の上高地を現実に見た。私は、その経験自体を共有するわけではない。その経験自体は私の手の届かないところにある。それは原理的に接近できない。こう言ってよいと思います。でも、その北杜夫の経験の「内容」には、私の認識は届いてしまう。北杜夫の文章を読み、理解したことによって、伝わってしまったものがあるからです。 4 さて、「私の手の届かないところ」という表現は、一つの比喩にすぎませんが、文字どおり、私の身体は他人の経験に到達し得ないという意味にとると、意外に的確な表現かもしれません。 タイムマシンに乗って、1945年初秋の上高地に私が行ったとしましょう。私は、後年の北杜夫こと、斎藤宗吉さんと肩を並べて、人影のない初秋の上高地を見やります。私と宗吉さんが同じものを見ていることは確かです。でも、その見え方は違う、と言って言えないことはない。 どんなにぴったり肩をくっつけて立っても、同一の対象からの反射光が二人の眼球に入る角度は、二人の肩が隔てる分だけ違うでしょう。私の身体が、斎藤宗吉さんの身体と、厳密に同時に同一の空間を占める(同一の空間内で融け合う)ことはあり得ない。まさにこのことによって、私の身体が環境から受け取る物理的刺激と、斎藤宗吉さんの身体が環境から受け取る物理的刺激は、厳密に、別のものになる。 それぞれの身体は、厳密に同一の物理的刺激を受容するはずがない。感覚器官の位置する時空点で物理的刺激を検出すると想定すれば、それぞれの身体ごとに検出されるのは、異なる時空点に生じた異なる個別的物理現象ということになる。かくして、私の身体が他の身体と物理的状態を共有することはない。この意味で、私の身体は他の身体の経験に到達することはない。まさに、他の身体の経験は、私の「手の」届かないところにある。 しかし、この物理的な違いは、言語の意味体系にはほとんど影響を及ぼさないと思われます。というのも、言語は、自分と他人が同じ世界を見ているという社会生活の水準での確実性の上に、音声と身振りが配置されたものにすぎないからです。 だから、私とあなたが世界から受け取る経験の「内容」が厳密には異なっているのだ、と言いたいとき(それは上で物理的刺激の個別的な違いという手がかりで「外側から」描写してみたことですが)、その「厳密には異なっている内容」を言い表す方法は、言語の中には用意されていない。言語は、相異なる主体の体験する世界の共通性を示すように作られているからです。言い表すと、意外に容易に「分かられて」しまう(←被害受身形です!) … Continue reading

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ノーマッド日記18

1 Skip, という。 日本語ではなんというか知らない。 日本にいるときには見たことがないので、もしかすると日本にはないのかも知れない。 鋼鉄製のでっかいバスタブみたいな形のゴミ箱で、引っ越しでも大掃除でも、家から大量のゴミが出そうなときに頼むと、クレーン付きのトラックでやってきて玄関の前のロータリーなりなんなりに置いていきます。 クルマが一台そっくり入るくらいのおおきさがある。 高さは2m、長さが5m、幅が2m、そのくらいのおおきさ http://www.joneswasteservices.co.uk/index.php?page=skips 庭のデザインを変えるので、大量の枝や葉っぱが出る。 庭師のひとびとがやってきて、毎日、朝から晩まではたらく。 青空がかげりだして、雨がふりだして土砂降りになっても、ずぶぬれになりながら昼時以外はびったり仕事をして、 料理のおばちゃんがつくったパイやキッシュを食べて、午後もまた暗くなるまで仕事をする。 仕事が終わったら驚くべきことにキッシュやパイのお礼状が来た。 いいひとたちだなー、と思う。 前の家の持ち主はなぜかバナナの木を植えてあったりして、ヘンな庭の趣味の持ち主だった。 会社の社長と外科医だかなんだかの夫婦だったかなんだか、そんなひとたちだったはずだが、夫婦の寝室の庭に面したドアから数歩のところにバナナの木を植えていたところをみると、起きて、もぎたてのバナナを食べるとかなんとか、変わった夢があったのでしょう。 夢はちゃんと現実になって、たわわなバナナがたわわたわわたわわと実って、食べると結構おいしいが、バナナの木は、しどけないというか、だらしないというか、収拾がつかない形の木で、庭木としてはチョーかっこわるいので、全部切り倒すことにした。 パームトゥリーの葉っぱは、見栄えはいいが、けっこう大きくて、おおきいものは3m以上ある。 下のほうは褐色になって、うううーむ、サイクロンが近づくと落ちてくるべな、と思ってみていると、ちゃんと落ちてきます。 ラドンが裏庭に降り立ったようなものすごい音を立てる。 棕櫚・パームトゥリーの類いは、ニュージーランドでは「雑草」の分類で、切り倒して掘り起こしてしまうのはよいが、一本始末するのに3万ドル(280万円)かかるので、吝嗇が発揮されて、ほっぽらかしになっていたが、これもぜんぶ伐採することにした。 ブログ記事に何回か出てくるブーゲンビリアも、年経りて、蔓がいよいよ太くなって、3センチくらいもある棘がいっぱいついて、びよおおおおーんんと跳ね返って庭仕事の人が怪我したりするようになったので、夏の盛りには花がぎょっとするほど美しいとは言っても容赦しないことにした。 一日経つと、skipがふたついっぱいになる。 このセルロースやなんかをみんな二酸化炭素と水で合成するんだから、自然の生産力はすごいなー、とアホなことを考えているうちに庭がみるみる違う姿になって、見違える姿になる。 モニさんと、ふたりで、紅茶を飲みながら、 あそこは薔薇にしよう。 奥のベジガーデンの手前は、こんどこそイタリア・トマトを大量に植えよう。 ナーサリーに行ったら、黒オリブの木を注文しておかないと、 レモンだけでなくて、隣にライムも植えよう、と話しあう。 塀のところはイチジクがよいのではなかろーか。 へー 庭について話し合うと言う行為は実は浦島太郎の玉手箱で、庭のランドスケーピングについてことごとく話し終えると、世界について語り終えた長老のように、あっというまにおじーさん、になってしまうよーな気がするが、人間30歳を過ぎると、余命はどうでもいいといえばどうでもいいというか、ぐいぐいぐんぐんやりたかったこと、というようなことは、あらかたやってしまったので、毎日の生活を楽しむ貪欲さのほうが頭をもたげてくるらしい。 われながら家付きジジへの第一歩だが、それならそれでいいもんね、と思う。 面目が一新されて、中途半端にトロピカルだった一角が廃止されて、(表の大陸欧州風に比して)イギリス風な裏庭を見渡しながら、フィジーのアウトリガーホテルの「プロモーションのおしらせ」を見て、おお、安い、おまけに小さい人たちタダで、しこうして、ナニーサービスまでついておる、とつぶやいてみる。 ニューカレドニア、フィジー、タヒチというような島はニュージーランドから3時間くらいなので、10日間くらいちょっとだけでかけて、プールサイドで、だらりいいーん、をしているのには向いている。 めんどくさいような気もする。 弛緩しすぎている自覚はあるけれども、これも悟りへの道と言って言えなくない。 弛緩駄座、なんちて。 (道元さん、ごみん) … Continue reading

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For everything a reason <哲学者の友だちとの往復書簡I>

(口上:以下の記事は、尊敬する年長友人の「哲人どん」 @chikurin_8th と語らって、おもろそうだからやってみんべ、と決めた「往復書簡」の第一信です) (そんなことをばらされては嫌に決まっているが、対話の環境を明らかにするために述べると、哲人どんは職業的な哲学者という珍しい職業の人で、かつ哲人どんが、うーそおおおおーん、と嫌悪感で身悶えしそうな通俗に通俗を、下品に下品を重ねた言い方をすると、「某旧帝大系大学哲学科教授」でもある。 つまり、簡単に言えば、あのヘロヘロ賢者、哲人さんの正体は、わしのようなアホにも判りやすく話をする教育者的技巧にも哲学的思考の定石にも、訓練がなされているどころか、熟達したマスター哲学亀仙人なのでもあります) (ばらしちった) (敬語はめんどくさいから省いてあるwので、ひでー、と思うでしょうが、ガメ・オベールのやることだと思って我慢しなさい) (コメントやツイッタを通じて議論していくとりかかりにすべ、という企みなので、あらゆる意見を歓迎いたしまする。 おおおお、な意見は当然、みなで議論いたしまする) —–<以下本文>—– 母語に限らない。 言葉は世界にどんな姿を与えているのだろうと思う。 言語に関心があって、言語について考える習慣を持っている人で、人間の言語が伝達に向いていると考える人はいないだろう。 鳥の啼き声の模倣から出発した人間の言語は自分の意識を深く掘り下げてゆくのには向いているのに、というよりも意識そのものであるのに、その意識が視ている陰や造形がどんなものであったかを他人に伝えることは出来ない。 認識は常に言語の褶曲に沿って歪んでいるが哲学的知識を持ち出さなくても、ちょっと考えてみればわかるとおり、認識は現実に対して優位である。 人間が現実だと信じているものは、どのような場合でも認識にしか過ぎない。 現実が個々の人間によって異なるので、きみは世界を共有するためには自分の認識を他者に伝達する試みに成功しなければならないが、 そんなことが出来やしないのは、 たくさんの詩人 たくさんの物語作者 たくさんの画家 たくさんの音楽家 が証明している。 The force that through the green fuse drives the flower Drives my green age; that blasts the … Continue reading

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オカネという批評

当時の最強国ロシアと戦争して勝つことによって、歓喜のあまり、日本は発狂してしまったのだ、と夏目漱石は考えていたようでした。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/02/16/夏目漱石の贈り物/ 黒溝台の会戦を耐えて後年の日本軍の作戦の思考停止ぶりを予感させる旅順攻略戦を経て、ついに日本海海戦での大勝に至る対ロシア戦の勝利は日本人の最も甘美な記憶となっていまも、たとえば安倍政権とその支持者たちの脳髄をピンク色に染め上げている。 感動的なシーンもまたたくさんあって、「ツシマ」(=日本海海戦)での日本軍の完勝が伝えられるとヘルシンキでもロンドンでも人々が通りに駆け出て帽子を空に放り投げて歓喜したという。 当時の新聞の挿絵になって、いまの時代にも、その圧倒的な歓び、あの「国家の赤ちゃん」みたいな国が巨大なロシアに勝ったのか、という意外な事態への驚愕が伝わってくる。 …ということになっているが、よく考えてみると、ヘルシンキで歓喜していたフィンランド人たちと、ロンドンの通りで、カフェのテーブルに駆け寄って、「おい、聞いたか?日本が勝ったぞ、きみ」と述べているイギリス人たちは別の事柄を喜んでいたので、フィンランド人たちは長い間強烈な圧迫を加え続ける、小国には手も足も出ないロシアという強権に仔犬がかみついて撃退したのを心底から喜んでいたのに比して、イギリス人たちは、欧州市場における、賭け金が何十倍にもなって戻ってきた、自分達の賭博の目も眩むような大勝に酔っていた。 事の発端はユダヤ系人たちの動きで、ロシアと開戦した日本を、ほぼ全面的に冷笑で迎えた金融市場のなかで、ユダヤ系人たちだけが日本のための資金の調達に動き始めていた。 ロシアにおけるユダヤ人弾圧への反発、あるいは義侠心から、ということになっているが、落ち着いて考えてみれば、そんなことがありうるわけはなくて、プロの投資家ならば、5分5分の賭けを熟考する、1%の要素に判官贔屓を加味することはありえても、判官(ほうがん)贔屓だけで投資したりすればハルク判官にあっさりフォールされるだけである。 なんちて。 …失礼しました。 動かせない事実は、極東アジア人への偏見、というよりは当時においては「常識」であった「嘘つきで仕事をしているふりをするのが上手な怠け者」というような極東アジア人観からユダヤ系資本家たちと、それを観察していて後に続いて日本の戦争債を引き受けた英語人たちが色眼鏡を自由に外して事象を観察する眼力をもっていたことで、そのちからがどこから来たかといえば、やはり長年の「金儲け」(←下品)の経験から来たのであると思われる。 カネのことはカネに聞け、という。 理屈をこねても仕方がないので、オカネを稼ぎたければ、世の中が何にオカネを払っているかを凝っと観察して、オカネの流れのどの辺にでかけて、なにに注目すればよいか考えろ、という意味です。 必ずしも投資だけではなくて、たとえば大きな会社に勤めているエンジニアで「優秀な人」というのは、たいてい、技術的なシャープさとマーケティングの感覚がうまくバランスしている。 むかしNTTがいったんそれで会社を持ち直したi-modeは技術的には全然ダメな技術ともいえたが、日本という市場には最適の技術で、テクノロジー的には先進的な相手に囲まれながら、あっというまにビジネスモデルを回転させて大金を生み出していった。 「オカネ」が、ぶつぶつと聞こえるか聞こえないかの低い声で呟いている言葉は、頭をしぼって、完璧な理屈を立てて考えてもダメで、日本で、最もマーケトのなかでのポジショニングが上手で、気がつくといつもオカネが盛大になだれ込んでいる滝壺に奥でマネーバッグの口を開けて待っている人といえば孫正義だが、この人の会社の名前の「ソフトバンク」は、 初期の頃役員だった人によると、音響カプラ300bps時代にソフトのオンライン自動販売機を思いついて、デパートメントストアにおいてあるATMのアナロジーで、その場で(当時のPCの記録媒体だった)カセットテープにソフトをダウンロードするビジネスを「ソフトウエアの銀行」でソフトバンクと名付けた。 渋谷西武デパートメントストアやなんかに設置したよーです。 ライバルのアスキー社もマネをしたりしたようで、コンピュータ業界の人間からは有望視されたビジネスモデルだったようだが、全然ダメで、あとから来た訳の判らない不明ガイジン(←わしのことです)が、だって、ダウンロードするのに2時間くらいかかったでしょう? そのあいだ、機械の前でじいいいいっっと待ってるの?と聞いてみたら、いや、それは、だからデパートメントストアへの設置で、ダウンロードしているあいだは、店内をひとまわりして買い物するから一石二鳥だろう、という理屈だったんだよ、といいとしこいたおっさんがマジメに述べたので大笑いしてしまった。 畢竟、頭だけでこさえた理屈の画餅に帰する運命にあること、この如し。 オカネの「絶対批評力」がおよぶ範囲は興味深いもので、家のなか、 おとうさんの英語教材なんて何の役にも立たないんだから、次の教材はNHK基礎英語テキストでたくさんだと思う、から始まって、中央銀行の総裁が、経済を睨みながら決めたつもり、つまり国内に焦眉して決定した通貨政策を、もっとおおきなバックグラウンドの世界経済が批評力として働いて、円安も円高も、意外な結果を引き起こすことがある。 マイナーカレンシーに注目する習慣を持っている人はみな知っていることだが、実体経済で流通する通貨量の数倍が投資経済で流通するようになっても、案外と上下しながら国力、といっても現代ではパーキャピタに還元された国力だが、の水準へ収斂されてゆく。 ニュージーランドドル対日本円を例にとると、この15年間で1ドルが39円から92円のあいだで変動しているが、よく見ると、55円、62円、85円という国力を評価する「批評軸」が存在する。 背景にあるのはUSドルで、実はUSドルが「絶対批評力」として、円とニュージーランドドルとに評価をくだしている。 アベノミクスが失敗した理由のひとつはオカネの批評力についての無知だとも言えるとおもうが、こっちの話題にはいっていくとヘンな人がいっぱいくるだけなのが経験から判っているので、こんなところで述べてもよいことはひとつもない。 オカネの批評力が顕著にはたらく分野で常に興味深いのは美術や文学で、どんなに文学コミュニティの評価が高くても頑として市場がオカネを払わない作品(例:現代詩)もあれば、評価がぜんぜん低いのにどんどん売れてゆく作品(例:挙げるとうらまれる)もある。 蒐集したむかしの週刊誌を読んでいると流行作家が対談で酔っ払って、純文学作家にむかって「そんなこと言ったって、先生、あんたの小説は偉いのかも知れないが、ぼくの小説はあんたの小説の何十倍も売れているんですから」と乱暴な口を利いたりしていて、スリルがあって、なかなか良いが、冷静に考えれば流行作家と純文学作家は「小説」という便宜的呼び名が同じだけで、まるで異なるマーケットで活動していたのだから当たり前といえば当たり前で、単純に芥川賞作家の宇野鴻一郞が「あたし、あそこが…もっと感じさせて」とか書くから、マジメな文学青年が錯乱して、あれも文学これも文学で混乱しただけなのではなかろーか。 市場における美術の価値は、株式と同じで、その会社が生産性が高い良い会社かどうかよりも、人気投票で、株を買う人がその会社を良いと思うかどうかのほうで決まる。 つまり、どの美術が最も価値が高いと投票されるか、によって決定される。 洲之内徹は風変わりな人で、どの絵が市場において高く評価されるようになるか精確に知っていながら、画廊主であったのに、最も評価が高くなりそうな絵は売ろうとせずに押し入れにしまいこんで寝床へ行く前に日本酒をなめながら飽かずに眺めるのを趣味とした。 確かな審美眼があった、とも言えるが、マーケットと絶対美の関係を熟知したのでしょう。 美術とオカネの作家対批評力の相克は長いあいだ意識的に行われてきたのでダミアン・ハーストや村上隆のように作家の側から商業主義のほうへ踏み込んで長いあいだ受け身に終始してきた作家の側から批評軸を逆に作り出そうとするコントラバーシャルな試みも行われている。 以前に何度か書いたが、日本文学が破滅した理由のひとつは、突出してすぐれた日本語芸術であった現代詩に社会がオカネを払わなかったからなのは明らかで、いつかその趣旨を引退した老編集者にしたら、でもペラ(←200字詰め原稿用紙)一枚一万円とかいうひともいたのよ、と言っていたが、同じ一枚一万円でも、短編小説でも30枚30万円だが、現代詩なら多くても4枚4万円で、「一枚」にかけるエネルギーの大きさの違いを考えると、お話にならない気がする。 結局、社会が大金を払ったのは糸井重里に代表されるコピーライターたちのほうで、現代詩人の軽く百倍を超える収入を誇るコピーライターたちの空疎な(コピーライターの人ごみん)言葉のブラックホールに日本社会自体が呑みこまれていって、言語の空洞化、現実からの剥離が起きて、フリーター、ニート、エンコーという言い換えのなかでまぎれもない現実が虚構化されて日本人全体が現実に対処する力を失っていったのは、オカネという社会の批評の正直さの表れと言えなくもない。 音楽は、例の「ブルースを聴いたみるかい?」の続きで書きたいので、ここでは取り上げない。 オカネという、きみが立っている「場」からのきみへの批評は、たいていの場合、つまりは給料で、明然と言われないだけのことで、月に20万円の給料をもらう人は、社会からの評価が月にして20万円で、少し後退して、「場」自体が視野にはいる世界の経済からみると、オスロのマクドナルドで店員をしている高校生の半分以下の価値と評価されている。 いちど触れたのだから、ついでにもういちど孫正義の例をもちだして歴史をさかのぼってみると、このひとがオカネの声を聞いて、すたすたすたとオカネが流れを変える場所にでかけて、座り込む場所の絶妙さは素晴らしいもので、PCのソフトウエアは違法レンタルで入手するのが常識で、秋葉原のPCショップでPC9801を買えば「おまけ」を入れておきましたから、と言われて、家に帰って箱を開けてみれば、一太郎や123がコピーされたFDDがはいっていて、ソフマップのような違法「レンタルソフト」の会社が全盛のときに、他人の失笑を聞きながら、「日本にもアメリカ合衆国なみにソフトウエアをオカネを出して買う日がくる」と予測を立ててソフトウエアの卸売り会社を買い取って、市場に地歩を占めて、インターネットが始まれば、スタンフォードの京都校に巣くっていた学生たちの言うことをオカネの声と聞いてヤフーの主となるポジショニングは、英語の世界では不思議なほど知られていないが、見事であると思う。 オカネの声を聞くのに慣れてくると、たとえば自分の国の政府がどういう政府なのかも判然としやすくなる。 … Continue reading

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言葉のたのしみ

Bon dia. お盆におじやを食べているわけではありません。 カタロニア語で「おはよう!」という意味。 Good morning! と英語なら言う。 Good morning、と述べて相手が、こんなクソ朝なんて、という人はいないが、ウンブリア(イタリアでゆいいつ海を持たない県。日本なら長野だろーか)の小さな村で、窓から顔をだしているばーちゃんに、 「Buon giorno」と述べたら、あんた、こんなくだらない天気で、どこがBuon jornoなもんか、と言われて笑ってしまったことがある。 スペイン人もそうだがイタリアの人は決まり切った表現のなかの単語の意味がまだ生きていると意識していて、ちゃんと反応するところがいつも面白いと思う。 「さようなら」に「左様でございますならば」という中世の声を聞いている。 大雨の冬の日にバールにはいっていって、Buon jornoと挨拶されても、 「こんなひどい天気だけど、良い朝というふうにかんがえましょうね」と言っているのではないかと狐疑するに至る。 人間はこうやって特定の外国を崇拝するようになるのではあるまいか。 言葉を話すということはそんなにたいそうなことではないので、誰かが6カ国語を流暢に話すといっても、たいていは成り行きでそうなっただけである。 自分のへなちょこな言語能力に照らしても、言語はあんまり「勉強」というような姿勢には向かない気がする。 技能の習得としては楽器を使えるようになる、というようなことに似ているのかもしれない。 いろいろな言語の「音」が頭のなかでおしくらまんじゅうをしているのは楽しいことで、日本語ならば言語学の泰斗で音楽的な詩人だった西脇順三郎が書いたものを読むと欧州語から「だべ」言葉になだらかに続く坂を通って、思考が散策しているのが見ていて、よく判って、おもしろい。 「夏日」という詩は パパーイ なんという幻花だ 八月十四日正午近く 寺の帰り シバゾノ橋の方へ歩いて行くと 地獄の火炎で麦わら帽子が 燃えあがりそうだ 目が時々くらんで 向こうから来る二人の青年が 隠元豆に見えたり 火葬場に行く編笠をかぶった 杜甫のようにも見えてきた いや金子光晴のように見えた 金網の柵に巻きついている ヒルガホをつみとって ……… と続いて、 … Continue reading

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衝立のこちら側で

ハリウッド版の呪怨「The Grudge 2」でインターナショナルスクールの女生徒が怨霊によって押し入れに閉じ込められて、必死で引き開けようとして虚しく暴れるところが出てくるが、ポップコーンを食べながらシネマコンプレックスの椅子にカップルで腰掛けて眼を見開いて怖がっている英語人はごまかせても諸事万能の精細な知識を持つ十全外人は誤魔化せない。 襖などは、ほんとうは紙と、か弱い細木で出来ているだけのものなので、女といえど、健康ですくすく育った現代高校生の「がたい」があれば体当たりをぶちかまして襖ごと倒してしまえばいいだけである。 あるいは風車の屋七が助さんや角さんと悪代官の行状を声を潜めて話しているが、よく見ると隣の旅人のあいだにあるのは「衝立」だけで、チョー面白いというべきか、衝立くらい興味をひくものはなくて、襖はドアのふりをしているが、衝立に至っては壁のふりさえしていなくて、いわば注連縄と同じで「結界」の役割を果たしているにすぎない。 ヘンケン博士的仮説に過ぎないかも知れないが、日本人が観念をもって現実となすことかくのごとし、と思うことが日本にいるときにはよくあった。 その最たるものは満員電車で、一定密度を超えて車内が稠密になってくると、まわりからべったりへばりついてくる人間は人間としては存在しなくなって生物とは認められない物体化する。 満員電車がさらに稠密になると否応なく手先やときには股間(←下品)までが物理的に痴漢をはたらくが、これはぼくの意志ではありません、という強い表明を表情や身体の傾きや、特に手のひらの位置を調整することによって「主観的に痴漢ではない」状態をつくる。 みなし正常人というか、ほんとうは物理的には身体が痴漢していても観念の力によってマジメな勤め人として目的駅にまで到達する。 そこの口元が下品なきみ、あ、出羽の守!というような退屈で凡庸な罵り言葉によって早まってはいけません。 21歳のアルベルト・アインシュタインにならって、ここで思考実験を行う。 きみはシカゴのアラトンホテルでリフトに乗り込むところ。 別にアラトンホテルでなくてもいいが、むかしわしガキの頃に朝のアラトンホテルでリフトを待っていたら、若い知的で上品なキャリアウーマン風のチョー美人が、かーちゃん+わしとリフトを待っていて、ところが当時のアラトンホテルは大改修前で、なにしろ1920年代だかなんだかのリフトのままなので、ものすごおおおく、のんびりで一向に上がってこない。 20分という時間がすぎたころ、この若い品(しな)上がるひとが、「このf***in‘エレベータめ!ふざけやがって!!なめとるのか、クソが」と述べたのをいまでもときどき思い出しては昔のシカゴを懐かしむので設定として借りているだけです。 ドアがびいいいっと開いて、中にひとり人間が乗っている場合、きみはにっこり笑って、乗り込み、アラトン速度でゆっくりゆっくりゆうううっくり地上に降りるあいだ、ま、年代もののエレベーターちゅうのも悪くはないですのい、人間の社交性を刺激するという点で功徳があるともいえる、というように会話するだろう。 5人になると、乗るときににっこり笑うところは同じで、かつてのアラトンホテルのリフトの茶目っ気で、どおおーんと、ちょっと揺れたりすると、「ひゃ」と言って、「ロープが切れたかと思った」と軽口をのべて笑ったりもする。 ところが12人でぎゅう詰めで、夏の盛りに隣の女の人の剥き出しの腕がべったり自分の腕につくような状態では、だまりこくるのではないかと思われる。 インドの映画を観ていてもインド都市の東京に数倍する満員電車のなかでは、やはりお互いに眼をあわさず、あっちやこっちを向いて、まるで辺りが無人であるかのごとくに振る舞うのが正しいマナーと見なされているもののようで、特に日本文明がうんねんかんぬん、日本人はうんかんぬんぬん、というものではないよーです。 日本が特異的に、ということではなくて、ひとつのコミュニティが現実に対する感覚を失って観念が認識のなかで優位になる、ということには、社会生活における人間の密度はおおきな役割をはたしているようにみえる。 習い、性になる、という。 毎日毎朝、まわりの人間を人間でない物質とみなしていると、ついに人間を人間とみなす回路が崩壊するらしい。 「マンハッタンはアメリカではない。アメリカ人の条件である現実感覚を彼らは不思議なほど持ち合わせていない」という趣旨の意見は、たとえば中西部の町に行けばいくらでも聞けるが、田舎に住む人間の都会人への嫌悪というふうにとらないと決めて検討してみると、案外、ほんとうなところがあるかな? ほんとうだとしたら密度がやはり問題なのだろうか?とむかしはよく考えたものだった。 日本では、もうずいぶん前に放送されたらしい、ドイツの公共放送ZDFのドキュメンタリのリンク を送ってきた年長の友だち(日本人・40代)は、 「日本はやはり破滅すると思う」と悲観的な言葉でemailをしめくくっている。 経緯を述べると、自分で言っていても信頼性がないような気がしたが、あまりに福島事故のあとにばらまかれた放射性物質に関連して自分と家族の将来を悲観するのでチェルノブルと異なって大半の放射性物質が地下に潜ったことによって生じる「対策をする時間」が日本人にとって幸運として働く可能性はなくはない、と書いておくったことへの返答で、ガメは、もう日本の将来に興味をもっていないから、そういうテキトーな慰めを言う、現実はそれどころではない、ということを示すためにおくってきたもののよーでした。 福島第一事故のその後についての、多少とも科学的素養をもつ英語人の目下の反応は、要約すれば、当初恐れたような海洋を媒介しての放射性物質の急速な拡散は実際には起こらないようだ、という曖昧な安心がまず存在して、その現実認識を元に「仮に犠牲者がでるにしても日本に住む人間に限定されるのだから、案外だいじょうぶだったという将来から大量の不審死者がでる将来まで、いずれにしても日本人の勝手でほうっておけばよい」というものだと思う。 日本の政府が述べているように事態がコントロールされているとはまったく思っていないが、おもいがけず拡散しないことがわかって日本に限定された災害であると判定されたところで急速に関心を失っている。 汚染水の垂れ流しについても、「最悪の場合でも北太平洋の魚を食べなければいいだけだ」と述べてあったりして、日本人はどうしてこれほどの問題に安全とひとり決めして安閑としているのか、と訝る気持ちはあっても、もう自分達にとっては切迫した問題ではない、という気持ちがあって、話題にのぼることはほとんどなくなった。 2020年の東京オリンピックが近づいたときに、選手として派遣されるオーストラリア市民の健康が心配されるのでボイコット運動をする、といまから発表しているカルデコット博士たちのような「短期間でも東京にいくことは自殺行為だ」という意見は、あまり聞かれなくなって、たとえば一週間や二週間の滞在なら、内部被曝は避けられないにしても帰国したあとに排出されるので、それほど心配するほどではない、という気持ちが強くなっている。 「自分達の問題でなくなった」という意識が強くなるにつれて、リンクのZDFにしても、2011年や2012年のものとは、よく観るとトーンが異なっていて、日本政府と東京電力の人道性の欠如を問題にしている。 それに伴って「日本人の非人間性」ということがよく言われるようになって、パーティやなんかで聞いていると、なんだか、通常の日本人にとっては踏んだり蹴ったり、というか、なにしろ外国の人間にとっては政府も東京電力も、その辺の日本人も、政府の無責任に激しく反発して通りに出てくる反原発の日本人も一緒くたなので、 政府や大阪市長の堂々たる慰安婦問題否定や嫌韓デモ肯定発言の印象とごっちゃになって「日本人は、人間性に乏しくてこわい」になっていると言えなくもない。 言えなくもない、と糢糊糢糊(もこもこ)した言い方なのは、自分達と直接関係すること以外にはなんの関心ももてない英語人の悪いくせで、日本のことなど関心をもつ人は稀だからで、こう述べている本人も日本語でブログを書いているとき以外は日本のことなど欠片も考えていないので、到底、同胞を非難するわけにはいかない。 傍から見ていると、日本政府は福島の東半分を「励ましながら悟られないように 見捨てる」ことに成功しつつある。  ちょうど戦後の沖縄と同じで、「同情と憐憫をもちながら福島県民の犠牲に感謝する。でもなにもしないけどね」ということなのでしょう。 放射性物質の危険を説き、反原発を述べるほうの人たちのほうも、公平に述べて、福島人をいまの窮境から救い出す、という切羽詰まった気持ちよりも、観念の勝負所である「原発は是か非か」というほうに夢中なようで、遠くから無責任にゆってごみんx2と思うが、反原発より無茶苦茶に汚染された町で「こわい」というひとことも言うことを許されずに生活する福島人を救うほうがプライオリティとして普通なら先なんだけど、と思わせられる。 被災地帯の住民を仮設住宅から救いだせない運動は、実効的な意味をもちうるだろうか? ひどい反原発人になると福島人をあしざまに言う人も存在して、読んでいて困った気持ちになる。 … Continue reading

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「美しい国」の向こう側

A strong Japan has potentially some of the tendencies which the Prime Minister mentioned. A strong Japan has the economic and social infrastructure which permits it to create a strong military machine and use this for expansionist purposes if it … Continue reading

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日本の横顔

1 遠くから日本と中国、韓国を眺めていると、おもしろいな、とおもうことがいろいろある。 たとえば日本のがわに「日本に住んでいる韓国人は出て行け」という運動が存在するのに韓国側には「韓国に住んでいる日本人は出て行け」と述べる運動が存在しないらしい。 韓国人や中国人とはやりとりが英語(ひとりだけフランス語)で、日本語インターネットでみる日本人と知識層がちがうのかもしれないが、韓国人のほうは、なんだかおっとりしていて、 「日本で反韓運動やってるでしょう?」と水を向けても、やってますねえ、すごいらしいです、で、なんとなく他人事である。 話は、すぐにどこの国のどの大学で求人があるとか、英語のアクセントをなおすにはどうすればいいと思うかとかで、自分の生活の話にもどっていってしまう。 あんまり日本人がどう思おうと興味がない、というのがありありとわかるので、こちらも話の接ぎ穂がない。 仕方がないので、ひとりで日本で起きていることを眺めていると「歴史修正主義」に反対する人たちが「反嫌韓運動」をしているひとたちにかみついていたりして、 天井桟敷からでは距離が遠すぎて、なんだかよくわけがわからない。 南京虐殺が存在したことを認めろ、と迫っているひとたちが、猛烈な罵詈雑言で、相手が黙り込むと勝ちどきをあげて「がっはっは、おれが勝った。しっぽまいて逃げやがった。バカめ」と述べていたりして、読んでいる方は、 南京市街に突入して、悪鬼のように中国人を殺しまくり、銃剣が折れそうなほどの勢いで誰彼をかまわず刺突して、バンザイを吠えるように三唱する丸眼鏡の陸軍兵士たち、あるいは韓国人の「ピー助」をひいひい言わしてやったぜと笑いながら、慰安所の筵がけの小屋からズボンをずりあげながら出てくる「皇軍兵士」を思い出させられて、言葉にならないほど、げんなりする。 面白いのは、ふつうの国では、こういう、話者の品性を過不足なく反映する言語の醜さはナショナルフロントと自称したりするタイプの、我が国の栄光を見よ、国権国家主義者の属性であるのに、日本では多くリベラル側の特徴であることで、なぜそうなったのかは、誰かの研究材料になりそうなくらい興味深い。 酷いことを言うと、この攻撃性と、この蛮性では、攻撃している相手より、よっぽど「皇軍兵士」に似ているんだけど、と思う。 どんな国の政府も情報操作のためのセクションを持っているが、数ある反対を一挙に踏みつぶして全体主義国家を完成するためには、わざとリベラル側に野放図な攻撃をさせて、いきりたつ御用学者を抑えて、「自己満足のために正義を利用している」と「良識がある国民」がリベラルの非人間性にうんざりしたところで、いっせいにリベラルがよって立つ場所を粛清する、という古典的な手法がある。 だいたい単純な正義意識をもったジャーナリストを利用して、こういうセクションが直接接触をもつアンダーグラウンドジャーナリズムの世界を通じて話をもちかけ、しばらくやりたいだけやらせる。 むかしからリベラル人には、単純な正義の味方を気取ったオチョーシモノが多いので、パチモン知識人のなかから、いちばん調子をこきそうな(←言葉がチョー悪い)マヌケを選び出して、わざと御神輿の上にあげてしまう。 別に日本に限らず大衆社会とはそういうもので、ある程度有名になれば後ろをぞろぞろとたくさんの「反全体主義・国権国家主義」のひとびとがついて歩き出す。 あとは、おもいのまま、一網打尽であるのは言うまでもない。 年をとっても老婆にはジェンダーの問題で成れないので、来世を待たなければ老婆心はもてないが、ダイジョーブなんだろうか、と思う。 なんだか政府の思惑どおり、筋書き通りの気がする。 情報を操作するほうは、その道のプロである。 第一、他国人から見ても戦争をはじめて戦争犯罪を繰り返すのは社会の政治的な質よりも国民性の問題で、 日本研究者のなかには何よりも「リベラル」の言動を見て「ああ、やっぱり」と思ってみている人がいそうな気がする。 中国人に、この話をしたら、「日本人は、そうだよ」と言って、おまけに、当たり前ですよ、と言って、ふきだされてしまった。 日本の人に良いところがあるのはわかりきったことで、ドラゴンボールZもナルトも、中国系人にとっても共有財産で、日本の人がおもわず想像してしまうようなおどろおどろしい憎悪ではないが、中国の若いエリートは、よく「日本人の蛮性」ということを述べる。 東アジアきっての好戦的民族、他者を陥れたり攻撃したり、貶めたり、政治においても糾弾するのが三度の飯より大好きというイメージは、韓国からインドまで、あまねく広がっている「大和民族」のイメージでもある。 南京市民に襲いかかる皇軍兵士と寸分変わらない快哉を叫ぶ日本のリベラルは何のためにあんな論争の仕方をするのだろう、と疑問を口にすると、 「勝って、相手の顔を泥水のなかにぐりぐりするのが好きなんでしょう。日本人だもの。右も左もない」と言う。 当然、という顔つきです。 こちらは日本にいたことがあるので、そうだっけ、と、どんな社会だったか思い出そうとするが、考えてみれば最後に数ヶ月滞在してからまる4年経っていて、ちゃんと思い出せない。 そのうちに、めんどくさくなって、中国人友達が器用に散蓮華に乗せて食べている小籠包の話に移行してしまった。 きみは黒酢で食べてるけど、ほんとうは紅酢のほうが、おいしいんじゃないの? きざみ生姜はなしでいいのか? それとも、ないからショーガない? 2 考えてみると、子供のときに訪問した日本は、もっと手触りのよい、すべすべしてやわらかい社会だったような気がする。 Uさんという60年代から日本に住んでいるドイツ人ばーちゃんに述べたら、「そんなことはありません。日本は昔から野蛮な国です。どうしてあなたは、そんな事実と異なるくだらないことを言うの」とバシッと言われてしまったことがあったが、こちらは頭のなかに、葉山のかき氷屋さんの店先で揺れている「氷」の赤い旗や、森戸海岸の沖からみえる夏の太陽に照らされた鎧摺の山、あるいは青山のヘアドレッサーで、なあんだガメ、元気ないなー、よおおおーし、おねーさんが明日デートしてやるから、めかしこんでこいよ、キディランドでも行こか」と述べたりしてくれた、わしの最愛の年長の友だち歌子や、 思い出してみると、Uさんのように、きっぱり「日本は昔から野蛮な国だ」と言い切る気持ちのキリがつかなくて気持ちが曖昧になる。 ここで「維新號の豚まん」と言い出すと、食い意地が張っているのがばれてしまうが、銀座の維新號本店で、戦後すぐは東京人にとってゆいいつの肉がはいった食べ物だったという、あのでっかい豚まんを頬張りながら、デパ地下をめざして歩いてゆくのが楽しみだった。 荒廃した六本木やモニが死ぬほど嫌っていて世界堂にクルマで寄るくらいしかできなかった新宿と違って、銀座はわしにとっては子供の頃にストップオーバーで東京に滞在していた頃から終始一貫、おもろいものが理不尽なくらいたくさんある遊園地みたいなところだった。 … Continue reading

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日本語ノート2

日本語の底の闇へ歩いていって、たとえば政治と個人の葛藤が立てる軋音を聞きたければ、やはり吉本隆明よりも堀川正美のほうがいい。 吉本隆明が自分の「絶望」に酔っ払ってしまった、そのさらに下の奈落まで堀川正美は降りていったからで、たとえが悪いが、潜航限度を遙かに超えて深い水深に沈潜して、鋼殻が水圧に耐えかねてあげる悲鳴であるとでもいうような日本語は、堀川正美だけがたどりついたものだった。 吉本隆明は、絶望、絶望と述べて同時代の誰彼にも「おまえは絶望が足りない。もっと深く絶望しろ」と述べることが多かったわりには、本人は、やさしい笑顔と近所の人に「先生」と呼ばれたりする下町風の「知識人への敬意」を単純に愛した人で、自分個人の生活には光が射しているが、堀川正美は、生活というようなものには遙かに背を向けて、吉本隆明が推奨する「絶望」の、その向こうの誰にも届かないさきへ歩いていってしまった人だった。 ぼろぼろな敗戦の、前線から引き揚げてきた復員兵士の眼で、鮎川信夫は戦後の日本を眺めていて、吉本隆明のように特に絶望など志さなくても、鮎川の詩を読んでいると、本来は抒情詩人であったこの人が、戦後の日本社会においては、そこに蠢く人間たちをさえ「意匠」と感じて眺めていたのがわかる。 国情のちがい 心性のちがいはどうしようもない いかに私が外国かぶれでも 愛という言葉は身につかぬのである 身についていたら とっくに破滅していたろう _「愛」 と述べた詩人は、自分が「愛」という言葉を口にしたことがなく、「愛」を口に出してささやかれたことがないことを「愛」という感情そのものが舶来であることに理由を求めるのが常だったが、真実はどうだったろうか。 堀川正美は、しかし、鮎川が立っていた地平線をさえ通り越して、日本語世界には珍しい乾いた感情が言葉をひび割れさせ、変形させるところまで到達してしまっていた。 そこでは表現も言語も壊れて、美しさは浅薄なものとみなされ、完成された表現は、虚偽であるとみなされた。 わたしのイロニーはいまや一本の犬釘となる この木偶ピノキオの心臓に打ち込む 心臓に打ち込む よく心ひらいた御窓よ はめ殺しの窓を許せ 日は輝いて降る霜をみつめる年々 すぐにあなたの年齢を追いこすさ 深い秋    もう ないさ _ねむれ 姉貴 国友千枝追悼 と書く詩人には、現実の世界では、夜のあとに、また性懲りもなく太陽があらわれて、朝がくることが訝しくて仕方がなかったことだろう。 日本語が絶望に届いていたのは、だいたいこの頃までで、70年代といえば、すでに中年になってから徴兵されて戦場へ送られた大岡昇平や吉田健一を除けば、飢餓と陰惨な軍隊内部の暴力を生き延びて、戦いといえばほとんどの場合、現地の村落を襲って食べ物を収奪するか、女たちに襲いかかることを意味していた戦場から生還した鮎川信夫たちの世代は40代から50代であったはずである。 石原吉郎が死に、鮎川が死に、田村隆一や、北村太郎たちが死んで、日本語が記憶した「絶望」は、彼らの死とともに失われていく。 最大で直接の原因は「詩が読まれなかったから」で、二千部や三千部を刷って大量の返品がある詩集などは、ふりかえれば当時の日本語世界の最高の到達点でも、すでに物質的繁栄に浮かれて、コピーライターの言葉に踊るようになっていた社会では見返られることすらなかった。 ひどいことを言うと、きみが「日本語を捨てることにした」というときの、その「日本語」は、近代の遠くから日本語をここまで追いかけてきたぼくにとっては、ちょうど猿類の母親が死児を抱えて生活するように、日本語という一種独特な洞窟の壁に、もっとも心地よく反響する表現を売りさばいて、とうとう日本という社会の性格をつくりあげてしまった、商業的コピーライターたち、たとえば糸井重里のようなひとたちが、幾ばくかの見返りのために無惨に刺し殺してしまった日本語の屍にすぎないのだと思う。 きみが新しい生活を始めた町は、英語人の町で、英語は実務的で、不動産契約にもっとも向いた言葉だとフランス人がよく憫笑するように、情緒が剥落した言語だが、その奥には、人間性へのあきらめや、人間そのものへの途方も無く深い絶望が眠っている。 20年後、30年後、きみがそこにたどりついたときに、ぼくの母語について、きみがどんな感想を抱くか、ぼくにはわからない。 これからぼくは、肉体の原形をとどめないほど破壊された日本語を前において、検屍する人のように、日本語というかつては美しかった言語の肉体にメスをいれていくだろう。 紫色の痣斑、くずれた顔、とびだした眼球というような様相を呈しても、なぜか屍体というものは、やさしい、なじみ深い感じのする、言ってみれば、ずっと会いたかった友達と邂逅するような気持ちになるのを、きみは知っているだろうか。 もう誰もいなくなったこの部屋で、ぼくは日本語のうえに上体を屈ませて、夢中になって音韻に付着した褐色粒や、みつかりにくいところに隠れていた糜爛を注意深く眺めて、その理由を考えている。 そのことを、なんてムダなことをするのだろう、といつかきみは手紙で笑っていたが、そうでもないのさ、 日本語が大好きだというのが第一の理由だが、ほかにも理由はある。 その理由を話すのは、いまは早すぎる。 きみが英語の奥底の暗闇にとどいたとき、きっと、ぼくも打ち明ける。 そのときまで。

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Summer Wine

1 夏になれば飲み物も変わる。 ニュージーランド特有の質量をもっていそうなほど強烈で透明な午後の太陽の光が反射する芝を眺めながら飲むSauvignon Blancはニュージーランドで生活する楽しみである。 日本にも岩牡蠣があって、たとえば有楽町のFCCJ(外国人特派員協会)のバーから通り越しに見えるサトー製薬の「サトちゃん」の気温計が37℃をさすのを眺めながら白ワインと一緒に食べるのは東京らしいスリルも味わいもあったが、ニュージーランドにはClevedonの牡蠣があって、生で、あるいは天ぷらにして食べる。 タルタルソースでもおいしいが、ホワイトビネガーで食べると、ぶっくらこいてしまうほどおいしい。 10月になって、もう昼間(ちゅうかん)は夏で、緑の洪水のような自分の家の庭のなだらかな広がりと、白アンチョビと牡蠣の天ぷらを肴に、よく冷えたSauvignon Blancやロゼを飲みながら午餐ができあがるのを待っていると、夏だー、と思う。 日本では、ババリア人の影響なのだろうか、ビールは夏ぽい飲み物で、ビルの屋上ででっかいマグになみなみと注いで、一気に飲み干して、口の周りに泡をくっつけて「ぷはああー」というイメージがあるが、イギリスやニュージーランドでは、(最近はアメリカ人の影響で変わってきたけれども)どちらかという寒い天候のイメージがある飲み物で、飲み方も、半パイントのビールをふたつの手のひらで抱え込んで、ちびちびと飲む。 どこかで聞いたことがある人もいるだろうが、若い欧州人がワインを飲まなくなってひさしい。 週末になればダンスクラブに繰り出して、ときには裸になって踊り狂うクラブカルチュアのせいで、ワインは見捨てられたように飲まれなくなって、ジンとウォッカが取ってかわった。 20歳くらいの頃は、クラブのフロアで、グラスから飲むのがめんどくさくなって、ウォッカを瓶からラッパ飲みしたりしていたが、酔いの刺激は強烈で、まるまるひと晩の記憶がないのは普通のことだった。 ワインのほうはといえばお行儀のよい社交の道具で、初めて行く超高級レストランで、Tシャツとスニーカーのチョードレスダウンででかけて、なんとなくバカにした態度のウエイターおっちゃんも、テイスティングの仕草を確認すれば、いっぺんして悔い改めた態度になって、うやうやしくなる、というような下品な世界に属している。 母親がロシア人の女の友達の家のパーティに出かけて、スウィミングプールに古典的な飛び板がついているのをおもしろがって、バク宙で飛び込んだり、二回ひねりで飛び込んだり、しまいには60年代のサイコーにクールな映画「Harper」に出てくるローレン・バコールの娘のマネをして、ツイストで踊り狂ってみせて、くたびれはてて、カウチに深々と座り込んで、半分ねむっていたら、パーティのホステスが、やってきて、これを飲んでみろ、と冷凍庫からとりだしたばかりの、ロシアの、見たことのないラベルのウォッカの瓶をもって立っている。 「飲み過ぎたから、いらない」というと、両手を腰に当てて、 「ガメ、きみは、わたしのウォッカが飲めないというのかね」と、ふざけて述べる。 ふざけてるけど、どうやらこれには、このチョー美しい高校生の女びとの栄誉と誇りがかかっているようだ、と理解して、その氷よりも冷たい液体を一気に飲むほすと、凍った炎がのどを通過するようで、ウォッカという飲物の素晴らしさを理解したのは、そのときが初めてだった。 酒も飲み過ぎると興味がなくなるもので、この頃はもとにもどって、おとなしくワインばかり飲んでいるが、ときどきジンやウォッカを飲むと、モニさんと結婚するまえの、ろくでもない、でもおもいだすと、心臓を小さな棘でちくりとさされたような、感情でないもので涙腺を刺激されたような、不思議な気持ちになる。 2 分厚いコートを丹前のように着込んだばーちゃんふたりが、冬の朝のバルセロナの舗道にだしたベーカリーのテーブルに向かい合って座ってスペインのあのはちみつを塗ったクロワッサンとカバ(スペインの発泡酒)でおしゃべりに熱中している。 グラシアのカーサブランカがあるのとは反対側の端っこにある坂道の途中で、 「ガメの道順はわかりにくいなあー」とつぶやきながら、あの坂道をハモンショップに向かって歩いたjosico はんは、もう少し坂を先までのぼっていれば、このベーカリーの前を通ったはずである。 ベーカリーのテーブルでカバを飲むのはヘンだが、あの近所の人はいまでもそうしているに違いない。 カタロニア人のマネをしてporron http://www.worldwinder.com/2013/01/17/drinking-wine-from-a-porron-in-spain/ からワインを飲むのが、グラシアにいるときの、ぼくの、モニが笑いながら顔をしかめる習慣だが、モニさんは笑っても、不思議や、バルセロナにいるときには、porronのみでないと赤ワインはおいしくない。 英語人のぼくには俄には信じがたいほどカッコイイ名前のカタランのガールフレンドと一緒に日本の四国島に住んでいるルークは、porron飲みが出来るかしら、と考えて、あのなんだか途方もなく無垢な魂のオーストラリア人ルークも、日本語世界の薄汚さに嫌気がさして日本語を使うのをやめてしまっているのを思い出して、ちょっと酔いがさめる。 カバでつくったサングリア や、イチゴやオレンジやグレープを、これでもかこれでもかこれでもかといれた裏通りの料理屋のおばちゃんがつくってくれるサングリア、 バルセロナには夏の飲物がたくさんあって、やわらかい、それでいて爽快な飲み味を思い出すと、バルセロナがなつかしくなる。 グラフィティだらけのシャッターが降りた、夜更けのバルセロナの裏通りを歩いて、そこにだけ人恋しさの光が射しているような小さな広場に面した一角に出ると、 「Bona nit」 「Adéu」 カタロニア語の、少し誇りがこもって浩然とした響きが、あちこちで壁に反射している。 3 落ち着いて考えてみると、もうあんまり日本語の側に立って日本語と関わっていてはいけないのだな、と考えたのは、日本語に名物の、訳がわからないくらい理由もなく失礼なひとたちや、これと目を付けると、ほとんど永遠につきまとって、あれこれと秘術をつくして中傷を述べ続ける不思議なひとびとに嫌気がさしたというよりも、日本語人と世界への関心のもちかたが根本から違うからなのではないかと思いあたった。 あれ以来、ここまででたくさんの友達の日本の人が指摘してきたが、集団サディストたちも、突然やってきてひとつかみの悪罵を投げつけて自惚するらしいひとたちも、どうやらほんとうに「他人の視線」が自分をまで決定するらしい。 「自分が楽しければいいんじゃないの?」 … Continue reading

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共同体への公共意識と手続き主義_1

ロンドン中心部を歩いていてうんざりするのは戦勝記念物がやたらめたらあちこちにあることで、勝ったあー勝ったあーまた勝ったあー、勝たでもええのにまた勝ったあー、という鬱陶しい「英霊の声」が聞こえてきそうな気がする。 まことに下品の極みで、イギリス名物フーリガンの淵源が実は国民性の奥底に本質として流れているのではないか、と疑わせるのに十分であると思う。 イギリスがドビンボで弱小、そもそもの出だしにおいては自分達の女王が敵の遠征軍司令官におおぴらに強姦されてしまうわ、ひょっとして、このボロい国てカトリックのおっさんたちに分け取りにされちゃうんじゃね?という疑心暗鬼に苛まされるわ、のチョー悲惨な生い立ちから、勝てるもんなら勝ってみい、の不敗の体制を築くに至ったのは、とどのつまりはイギリス人が他国の社会に先立って「公共」(public)という概念をもったからだった。 Lord Nelsonは、トラファルガー沖でフランスとスペインの連合艦隊に遭遇したとき 「England expects that every man will do his duty」と なんだか、50インチLCDテレビの前でヒマをこいているおっさんのようなことを信号旗に託して述べたが、もうすぐ戦闘だというのに、こんなムダな信号を送ろうと思ったのも、当時(1805年)には、すでに、じゅうぶんにイギリス人の下層にまで「公共」という概念が行き渡っていて、個々ばらばらな考えにはしっていては社会は全体として弱体化してボロくなる、という思想が行き渡っていたからだと思われる。 オークランドに移住してきた日本人や韓国人は、ニュージーランド人があまりに自分のことしか考えていなくて、そういうことはクルマの運転の仕方などにもあらわれて、車線を変更するときに方向指示器は自分が割り込みたいときにしか使わないし、左折も右折もインディケートなし、他のクルマにぶつかっても、多少のへこみならば隙があれば逃げる、という態度であることにボーゼンとするらしい。 あるいは家の外壁の修繕の見積もりに木曜日に行くからと言っておきながら次の週の月曜日にくる。 芝を刈りに水曜日の午後にうかがいますと述べておいて、前日の火曜日の朝にやってきて、どうやったら国内の叛乱を抑えながら隣の王国を侵略できるかという極めて難しい問題を沈思黙考しつつあった、主人(←ゲーム画面を眺めているわしのことね)の静寂を破って驚かす。 アメリカ人やイギリス人もよくぶっくらこくオーストラリア人やニュージーランド人のビジネス習慣について触れれば、仕事の依頼のemailが来ても興味がない場合には、めんどくさいので返信をいっさいださない。 なんだか、ひらたく言えば、チョーでたらめで、これでどうやって社会が成り立っていくのだろう、きっとこの国は崩壊寸前なのに違いないと考えて故国に帰ってしまう人もいるそーです。 外から見ると、オークランド住宅地の名前の良い通りは、おおきな見栄えのよい家が建ち並んで、静まりかえって、仮にビンボ人が通りを歩くというと、「けっ、おまえらもうすぐ革命を起こしてギロチン台に送ってやるから覚悟しろ」と思うこと間違いなしだが、内実は、問題がないことはない。 高級住宅地の家の値段があがりすぎて、賃金の上昇などはまったく追いつかないので、無理をして銀行からホームローンを借りすぎたあげく、返せなくなって、貸家にだす。 貸家といっても、そういう家は一週間の家賃が30万円を越える。 日本風に月で数えれば家賃が120万円を越えるので、おいそれとは借りられる人が見つからない。 ついには14人くらいの人間が共同で借りることになる。 いくら「豪邸」だと言っても14人7カップルで共有したりすればストレスがたまるので、というのは推測にすぎないが、週末ごとにプールサイドでパーティを開いてバカ騒ぎする。 こういう場合、近所はどう反応するかというと、オークランド市役所には24時間の騒音苦情対応デスクがあるので、ここに電話して文句を述べる。 ところが夜中の2時くらいでめんどくさいのだとおもうが、やってくる担当人は、クルマの窓を開けて耳をすませてみて、「たいしたことない」と判断して帰ってしまったりする。 ステレオの類いを接収する権利を持つ苦情対応係が動かないとみるや、7x2住民は大胆になって、ある通りの家などは日曜日にバカ騒音が聞こえるので窓を開けて騒音の方角を見たら屋根の上で20人くらいのひとびとが踊り狂っていた。 ニュージーランドはパーティピルやマリファナ、覚醒剤にいたるまで国民ひとりあたりの所持率が常に世界のベスト10にはいっているというストーン王国なので、やってるほうも何をやっているかわからなくなっていて、この世の終わりのような騒音が響き渡ることになる。 カウンシルが対応しないようだとなると今度は「ネイバーフッドウォッチミーティング」という「ご近所緊急会議」が開かれて対策が協議される(^^; 各人がそれぞれ意見を述べ、事務弁護士を雇って書類をつくって大家にクーリエで発送します。 ニュージーランドでは日本のような国と異なって口に出して誰か他人の行為に対して文句を述べるというのはたいへんなことで、その後段には法廷か暴力的な手段しか残っていない (実際、アジア人の学生達が高級住宅に住んで、高級住宅地だからまわりは穏健で上品だと油断したのでしょう、毎日、朝な夕なに改造エグゾーストでぶおぶおゆわしていたら、ある週末の未明に近所のおっさんたちがクリケットバットやゴルフクラブを片手に、ぞろぞろとあらわれて、片っ端からクルマをぶちこわしてしまった有名な出来事がある) ので、書状を見た瞬間に家の持ち主は恐慌状態で店子を追い出して対応することになる。 と書くと時間の経過がわかりにくいが、だいたい初めに大騒音パーティが起きてから、ついに書状に至るまで一年ほどかかることが多いよーだ。 なんだか煮え切らないまま、ずったらずったらと解決に向かうのはニュージーランドも英国風の文明であるというべきで、 本家の連合王国は、もっと憎悪のもちかたが気長で、以前、実家の郊外の家の近所には、生け垣をめぐって隣家と60年ほどいあがみあっている家があった。 「公共の利益」という考えが時代遅れと感じられるようになったのは、やはり世紀が変わって、21世紀に、移民がどっと増えたからで、これは英語圏の大都市全体の傾向です。 公共、という空間が最もおおきなのが国家的な公共意識をもつイギリス人とアメリカ人、最も小さいのが家族から公共の域が外に広がらない中国人というが、いまの現実は、全然そんなことはなくて、中国語を話すひとびとのなかでも香港人などはたいていの英語人よりも「公共」の範囲がおおきいようにみえる。 … Continue reading

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The cracked code_1

日本語人と同じ地面に立って世界を眺めてみたらどんな景色が見えるだろう?、ということがぼくの興味だった。 うぬぼれてるなあー、と言われるに決まってるが、ぼくは日本人の頭になりきって考えることが出来るていどには日本語に熟達している。 相手が自分が賢いと思い込んでいるだけで自明な程度に頭が悪い場合に、気が遠くなるほどの長い間「言いたいだけ言わせておく」のはイギリス人に限らず、ある種類の欧州人がよく使う方法だが、「言わせておく」期間にぼくをニセガイジンだと「証明」してみせた日本人たちは、厳格すぎたかも知れない自分へのルールを取り外して突然英語を話しだした相手を見て恐慌に陥ってしまって、あちこちで笑いものになって気の毒だったが、ぼくのほうは彼らは彼らが予期しないやりかたで「バカよけ」の盾になってくれた点で感謝している。 皮肉で述べているのではなくて、とても手間が省けた。 でも、もうさすがに飽きてしまった。 これからは、日本語人と同じ地面に立つのは(たいへんなので)やめて趣味に返って、好きなときに好きなように話しかけたり、ブログを書いて、わがままぶりを発揮して、自分の興味だけで日本語を続けたい。 「好きなように」には今度は自分の話もするということも含まれている。 今度は「最大公約数」ぽい「日本人」でなくて、日本語を通じて知り合った友達たちに話しかけることに決めたからで、josicoはんやイルリメさんやもじんどん…という友達が対象なので、これまで本名はもちろん、さまざまな話を聴かせてくれた友達たちにガメ・オベールという名前のチョーへんてこな友達の話はしないですませてきてしまったが、なんだか気がとがめてきたので、ちょっとくらいばらしてもいいか、というか、ばらさないといけないのでわ、という気がしてきたということでもある。 たとえば、ぼくが、新興宗教のトレーニングキャンプに加わったとして、初めの自己紹介をどんなふうにすればいいだろう? むかしHermes Trism   @hermes_trism が、ぼくを紹介しようとして、 「在NZイギリス人投資家の日本語ブログ」と定義したときに、「もうこの紹介だけで、なんだか、すごく『あれ』だよね」と、ふたりで声を殺して笑いあったが、チョーなんだか『あれ』な大庭亀夫の紹介をしているHermes Trism 自身が、「スコットランド人科学者の日本人より達者な日本語ツイート」を書いている、もっと『あれ』な人なのである。 あんまり書くと怒るが、「もじんどん」 @mojin の正体は欧州某所で外宇宙を見つめることを仕事にしている天文学者で、子供向けSFの設定みたいな人で、肝腎なところになるといつも「おお!お昼ご飯をつくらなきゃ」とゆって逃げていってしまうすべりひゆ @portulaca01 はイタリア語で思考するほうが日本語で思考するよりもずっとうまく行くことが多い『あれ』なひとで、つまりは、なんだか『あれ』な人の塊が日本語のTLを形成しているひとびとで、くだらない人間たちがしつこくつきまとって、みなをうんざりさせなければ、日本の人が「いままで見たことがなかった新しいもの」を見られた可能性はあると思う。 でも薄汚い言葉でつきまとって、そういうサークルを誰にでも見える「可視」の場所から、限られたメンバーだけの「不可視」の場所に追いやってしまうのは、どうやら、日本語世界の宿命であるようで、いまは「考えがあまかった」とお互いを笑う以外にはない、というふうに皆が感じている。 日本の人は、ほんとうは「自由に議論が行われる場所」など欲していないのだと思う。 そうでなければ、あんなフーリガンなみの「リベラル」をのさばらせておくわけはないだろう。 ある発言でびっくりしてフォーラムに加わってもらったJさんという人などは、まるでふだんのツイッタでは「バカを装っている人」のようで、同じ日本語で書かれているというのにツイッタとフォーラムでは別の人間であるよーです。 最後のお節介だと思うが、あんまり考えてみなくても、集団サディストが猛威を奮う日本語世界でだけ特徴的なこういうことどもは、ふつーに考えて、日本語文明全体にとって、ものすごいマイナスなのではなかろーか。 なぜ、これほどの異常な事態を放置しているのだろう、と不思議な気がする。 どうして自分がくつろいでいる居間に突然土足であがりこんで糞尿をぶちまけていくようなことをする彼らを日本人は許しておくのだろう? 日本語の世界へはいりこんでいるときの自分の気持ちと英語/仏語の家へ戻って暮らしているときの自分の気持ちの違いは、実は、いまでもちゃんと判ってない。 なにかが決定的に異なっているのに、日本語でうまく言えない。 意外と物質的なことだろうか、と考えてみたこともある。 「そんなこというのは酷い」と思うかも知れないが、ぼくは子供のときに日本にいたときから日本の人が豊かだと思ったことはない。 理由は難しいことではなくて、しばらく日本に住んでいるあいだに、たとえば「食器洗い機」がないことに気がついた、というようなチョー単純なことです。 ニュージーランドの30代の中小企業のカチョーさん、というような人の生活を考えてみると、 彼は、多分、オークランドの世田谷に住んでいて、子供がふたりいて、だいたい敷地が200坪くらいで、寝室が5つある家に住んでいるはずである。 寝室の他に2DKという、Dのダイニングと2LDKのLであるラウンジがある。 午後5時少し前に「NZ世田谷」で最も一般的なクルマであるBMWで家にたどりつくと電動ゲートを開けて、これも電動のガレージドアをクルマのなかからコントロールを使って開ける。 冷蔵庫を開けて白ワインを飲みながら、奥さんが帰ってくるまでの30分でつくれる料理を考える。 ホームサーバーは普通なので、少しテクノロジーに興味がある人ならば、タッチパネルか、そうでなければジーンズのポケットにはいっているメモリで音量で好みのプレイリストの曲が次次にかかる。 いいとしこいてAriana Grandeの最新の曲にあわせて巨体を揺すらせながら「ケララ風揚げ豆腐カレー」をつくっている。 週末にはベビーシッターを頼んで、ぬはははは、と思いながら、モダンダンシングのあとで埠頭のヒルトンに泊まってエッチしちゃうもんねー、と思いながらカレーをつくっているのだと思われる。 … Continue reading

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アスペルガー人とゲーマーズ

1 日系アメリカ人の中村修二がノーベル物理学賞を取ったのは良いことだった。 誰もが知っているとおりノーベル賞はそのときどきの政治力学が強く働く場で、20年を「待たされた」中村修二は、もう自分にはノーベル賞はまわってこない、LEDではやはりダメか、と諦めていたことだろう。 良いことだった、というのは件のトーダイおじさんたちのひとりSさんから、自分の若い部下で、地方の国立大学しか出ていないことに強い屈折を感じていたひとから「東大卒でなくても、(研究が)やれるのではないかと希望が持てるようになりました」という、なんだか、事情を知らなければ、くすっと笑いたくなるような、単純簡明で向上心の強い20世紀的な若者の顔が思い浮かぶようなemailが来て、年が離れてはいるが、内心では友人のように考えていた人間なので嬉しかった、という、こちらも傍からみれば、なんとなく年齢に較べて純朴に過ぎるような、朴訥なSさんの顔が思い浮かぶ、 暖かい気持ちにさせられるemailが来ていたことが第一の理由と思う。 もうひとつには、いまのところ弊履破帽の骨董扱いに近い日本の高等教育環境のなかで勉強していても、ちゃんとどこの町のどんな研究室でも伍していけることが追認された気分がして、少し、晴れ晴れした気持ちになった研究者たちもいるのではなかろうか、という気がする。 企業からアカデミアにはいる例が多い日本では、特に、勇気づけられた人も多いに違いない。 中村修二は、「怒りがわたしのエネルギーです」と述べた、という。 怒りは燃料で言えばエチルアルコールで、透明な炎で、研究人のエネルギーにはなりそうもないので、「憎悪」という言葉が嫌なので「怒り」に言い換えたのだと思うが、日本語インターネットで拾い読みに読んでいっても、自分を認めなかった日本への怒りや、日本人への怒り、…と書いてあって、「怒り」を「憎しみ」と変換したほうが理解しやすい言葉に満ちていて、なるほどそういうことはあるのは知っているが、日本の人だなあ、というか、ここに至るまで感情的につらくなかっただろうか、 会社の廊下で「なんだ中村、おまえ、まだ辞めてなかったのか」と言い放った役員の顔を思い出して眠れない夜があっただろうなあ、 このひとが歯をくいしばってこちらを見据えるような表情のあの写真は、カメラのレンズの向こうに、自分への軽侮を隠さなかった、あるいは「日本経済新聞」という仮面をかぶって、自分を袋だたきにたたきに来た日本の社会のひとりひとりを睨んでいたのかなあ、と考えて、しばらく、もの思いにひたってしまった。 気を取り直して、日本語インターネットを眺め直してみると、中年世代以上で海外で職業人として生活している人には、「この発言はとてもよく判る」と述べている人が多くいて、そういうひとびとの他の発言をみてみると、自分がいかに日本社会と相容れないで足蹴にされるようにして国の外に出てきたか、それ以来、ただ日本社会への敵愾心と「負けるものか」という気力だけでいまの地位を築いたか、というようなことが指揮者であったり、画家、建築家、さまざまな分野に及ぶ人が述べていて、やや奇観様(よう)の光景を呈している。 アトランタオリンピックの水泳決勝で、どの国の選手も緊張で破裂してしまいそうな表情で、なんとかして自分の、これから、スイミングプールに飛び込んで、200メートルを、先頭を切って泳ぐことを期待されている肉体と筋肉とをリラックスさせようと懸命になっている。 「必死の面持ちでリラックスしようとしている」と書くと、滑稽だが、スポーツ選手はそれが宿命で、腕をふり、首をまわして、「リラックス」という気分を横紋筋の筋原繊維細胞の隅々まで行き渡らせようとしている。 カメラがひとりひとりの表情をアップで追っているときに、他の選手は精神の一点に集中して、カメラが存在しないかのように振る舞っているのに、たったひとりだけカメラに向かって微笑みかけている選手がいる。 ニュージーランドの代表選手で、たしか、あのとき19歳だったと思う。 カメラがびっくりしたように動きを止めて、その若い選手をズームアップしだすと、にっこり笑って、手のひらを開いて、 そこには、でっかい目の落書きがしてあって、その下に「ハーイ、マム! 元気?」と書いてあって全世界のテレビの前のひとびとをずっこけさせたものだった。 アトランタオリンピックのフリースタイルで2つの金メダルと2つの世界記録を手に入れたDanyon Loaderで、ニュージーランドでも「いくらなんでも不真面目だ」と怒る人がいたが、キィウィらしくて良いではないか、と言う人や、金メダルとって一位になったんだから、いいじゃない、それで、という、いつものニュージーランド人得意のええかげんさが発揮されて、笑い話で終わった。 あるいはロンドンオリンピックで、ヨットの470dinghyで金メダルを獲得した、17歳のJo Alehと16歳のOlivia Powrieは、決勝の最後の直線水路まで、なんだか、このふたりの所属するヨットクラブのあるコヒマラマの浜辺のベンチに腰掛けて、近所のベーカリーから買ってきたステーキパイを食べながら、近所のよもやま話にふける女の高校生ふたり連れの気楽さで、話しては、笑いあっていて、決勝をテレビで観たひとを「これは練習風景なのか?」と訝らせた。 近所のおばちゃんの証言によると、「私は、マイクロフォンが拾ったビクトリアアベニューのデイリー(←雑貨屋)の話をしているのをこの耳で確かに聴いた」ということだった。 このほかにも、オリンピックの試合前夜に全員で下町のパブで酔っ払って、次の朝の試合に出場できなかったバレーボールのチームや、ニュージーランド人がいかに競争においてリラックスしているか、というよりも、全然緊張しないか、あるいはぶったるんでいるかについての傍証はいろいろあるが、キリがないので、このみっつの例だけでやめておく。 2 21世紀の世界を担ってゆくのは、コミュニケーション能力を代償として、知力が高く集中心と知的持続力に秀れた「アスペルガー人」と、速い速度で変化する動的に動いてゆく現実事象の抽象能力が高く、あっというまにゴールへのショートカットを発見して殺到する「ゲーマーズ」のふたつの種族であることは、ほぼ自明であると思う。 社会の競争の激しさが20世紀の比でないのは出だしから明らかであるからで、たとえば20世紀においては「静的な権威」の象徴ですらありえた金融ですら、当時22歳のMITを出た新卒社員にすぎなかったアスペルガー人たちによって、ゲーマーズが「通常人」には到底ついていけないスピードで、いわばアイスホッケーのパックを追う業界に変貌した。 20世紀の段階でもすでにスティーブ・ジョブズやビル・ゲイツのようなアスペルガー的な傾向の強い人間が新しい産業を興したが、行ってみればすぐわかるのさ、というか、シリコンバレー、ベルリン、メルボルン、バルセロナ、というような、いまこの瞬間に新しいビジネスモデルや技術的アイデアで沸騰するように沸き返っている町へでかけて、企業の主立った人びとに会ってみれば、たいていはアスペルガー人で、直感的な割合でいうと、7割くらいにもなるのではないだろうか。 みな一様に「奇矯な」という古めかしい表現が似合いそうなひとびとで、コミュニケーションがてんで下手で、パーティなども酔っ払ってバカ騒ぎをするか、テーブルにひっそり腰掛けて、なんだか居心地が悪そうに座っているかで、しかし打ち解ける回路が見つかれば、これほど話していて楽しい仲間達はいなくて、つまりはぼくの友人達だが、憑かれたように話しだしたかと思うと、今度は黙り込んでしまう、このひとびとが正常である世界では、20世紀の「正常人」は、いかにも生産性も創造性もないデクノボーで、冴えない批評のような繰り言を述べているだけの凡庸で退屈な人間の集団に見えてしまう。 https://gamayauber1001.wordpress.com/2012/04/28/いつか、どこかで/ 不思議なことにゲーマーズのなかで抜群の知力をもつひとびとは、数は途方もなく少ないが、アスペルガー人と相性が良いようで、多分、「アスペルガー人が考えていることがわかる」点と、その考えと退屈で凡庸で頑固で、しかも数の上では圧倒的に多数の「正常人」の世界との折り合いをつける方法を機敏に発見する点で、このふたつの種族は共生しているものであるらしい。 ゲーマーズの最良の部分は、憎しみを帯びて帯電しやすいアスペルガー人の肩に手をやって、笑顔をとりもどさせる。 The Blues BrotersやMonty Python、The Three Stooges、Marx Brothers、はてはT.S.EliotにDylan … Continue reading

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終わりにむかって

島影(しまかげ)にはいると、突然、星の数が多くなる。 単独で輝いているように見える星だけが見えているうちは「星空」とは言われない。 ほんとうの、というのはヘンだが、宇宙が魂のすぐそばに迫ってくるような星空には水しぶきのような白い煙のような天体が映っている。 ハウラキガルフに船をだすときは、たいていモニとふたりだが、小さい人たちを連れていくと、なんだか茫然として空を見ている。 しばらく、じいいいっと満天の星を見て、感に堪えたように「うおぉぉー」という。 燃えるような緑色の目やまばゆい明るい金色の髪は母親に似ているが、頭のなかは父親と似ているようで、間のとりかたが、なんとなくバカっぽくて、そのバカっぽい「まぬけな感じ」が父親に奇妙なくらい似ているので笑ってしまう。 船をだしても、あんまり釣りをしなくなってしまった。 食べ物として魚には飽きた、ということもあるが、釣りは案外と忙しい作業なので、春で、暖かくなってくると、そんな忙しいことをやるのはめんどくさい、という気持ちがする。 冷蔵庫からとりだして、表面にオリーブオイルを塗ったステーキを焼いたほうがのんびりしていて楽しい。 ヨットは海面を滑るように走らせるのは楽しいが、ラウンジが窓の下になって、立たなければ海面や景色が見えないので、くつろぐにはやはりロウンチのほうがいい。 見渡す限り海で、運が良ければ、夕方、一家で物理法則に反するようなゆっくりとしたスピードで、それなのにびっくりするほど高くジャンプしながら湾口を横切ってゆくオルカの群れや、あの不思議な呼吸音の、神秘的な感じのする鯨たちを見ることもある。 「世界のことなんか、ぼくには関係がないね」と述べているような、波間にぷかぷか揺れているブルーペンギンたちがいる。 陸地では、あれほど意地が悪くて闘争的なかもめたちが、海にでると、飛行の芸術家であることを誇示するように低く、うまく風を使って飛ぶ。 まるで違う生き物のようです。 オークランドは、ただの英語圏の都会にすぎないが、船でハウラキガルフに出て、海の理屈で考えると、まるで別の街で、ハウラキはオーストラリアのグレートバリアリーフのような「死んでしまった海」とは異なって、まだ「生きている」海で、潜ってみればすぐに判るが、錨をひきずりまわすせいで完全に破壊されたグレートバリアリーフに較べて、ホタテ貝や他の生き物がカーペットのように敷き詰められていて、岩陰にはロブスターがいて、チョー意地が悪いタコたちとの争闘に勝てば、すぐに4、5匹のロブスターをひきずってボートの甲板に放りあげることが出来る。 ゆでると目が覚めるように赤い、おなじみの色になる。 スパイスをかけて、アリオリソースで食べる。 カモメたちが低空で近づきながら、うらやましそうにしている。 この7年間をふりかえると、日本人の友達がたくさんできて楽しかったが、日本がなぜ負のスパイラルを滑り落ちるように憎悪と非寛容の奈落へ落ちてゆくのか仕組みが明然とした形で了解されてしまったので、社会そのものが、現代の世界では許容しえないものであると結論するしかなかった。 こういうふうに考えてみればいいのではないだろうか? 日本人がなぜ嫌韓に民族ごと投企してしまうのか理由を考えたり、「いや、私は嫌韓じゃありませんよ」と慌てて言い訳する前に、なぜ、日本では嫌韓運動が止まらないのかを考えたほうが良いのではないだろうか。 現実がいっこうに変わらない場合、自分の、たとえば「嫌韓なんて、あんなものは一部のくだらない人間がやっていることだ」というのは、ただの自己満足にしかすぎない。 「安倍ちゃん」などと狎れかかっているあいだに、なぜ日本という国の全体主義化に自分が手を貸す結果になったのか、ごまかすのはやめて、問い直してみたほうがよくはないか。 なぜ自分たちには、まったく現実を変える力がないのか。 「喧嘩両成敗」というような気味の悪い言葉や、争闘を軽蔑する自分の感情は実際には社会から植え付けられた「上品な奴隷的マナー」であるのに過ぎないのではないか。 そういうことどもと、ストローラーを階段で引きずりあげる母親を見て「ああ、たいへんだなあ」と思うだけで手を貸したことがないことや、チョゴリの高校生にからむ酔っ払いを見て、我を忘れてなぐりかかったりは決してしないこととのあいだには深いつながりがあるのではないか。 もっと酷いことを言うと下地真樹が、たったあれだけのことで逮捕されたのに、きみが逮捕されたことがないのは、要するに、きみは政府とぐるなのだということではないだろうか。 Twitterに書いた、 「ガメさんにも香港きて欲しいよ。 いまからこない?笑 嫌なものを嫌と言う、人間でいたいという意思が街中に溢れて、歩いているだけで涙が出るよ。」 というemailを寄越した日本語人の友達が、 今度はもっと長いemailを送ってきた。 「ガメさん 今朝香港から戻って、まだ熱狂の残った頭でTwitterを覗いたら君が日本への結論を書いていたので思わず笑ってしまった。 たった3時間日本にいれば、人々が口を閉ざしていることがわかる。心と言葉をバラバラにして、単語ひとつ持たずに底なしの行間に落ち込んでしまった単独の群衆たち。 香港と日本はよく似ているなんて言われるけど、皮肉なぐらい差がある。僕には日本が憧れていた運命を香港が生きている気がした。決して良い運命でないにしても。」 ここから先は、この人の私的個人的な体験に及ぶので引用するわけにはいかないが、 emailは 「僕ももう日本語の世界を出ます。波紋も立たない行間の沼に沈むわけにはいかない。」 … Continue reading

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