Daily Archives: October 10, 2014

The cracked code_1

日本語人と同じ地面に立って世界を眺めてみたらどんな景色が見えるだろう?、ということがぼくの興味だった。 うぬぼれてるなあー、と言われるに決まってるが、ぼくは日本人の頭になりきって考えることが出来るていどには日本語に熟達している。 相手が自分が賢いと思い込んでいるだけで自明な程度に頭が悪い場合に、気が遠くなるほどの長い間「言いたいだけ言わせておく」のはイギリス人に限らず、ある種類の欧州人がよく使う方法だが、「言わせておく」期間にぼくをニセガイジンだと「証明」してみせた日本人たちは、厳格すぎたかも知れない自分へのルールを取り外して突然英語を話しだした相手を見て恐慌に陥ってしまって、あちこちで笑いものになって気の毒だったが、ぼくのほうは彼らは彼らが予期しないやりかたで「バカよけ」の盾になってくれた点で感謝している。 皮肉で述べているのではなくて、とても手間が省けた。 でも、もうさすがに飽きてしまった。 これからは、日本語人と同じ地面に立つのは(たいへんなので)やめて趣味に返って、好きなときに好きなように話しかけたり、ブログを書いて、わがままぶりを発揮して、自分の興味だけで日本語を続けたい。 「好きなように」には今度は自分の話もするということも含まれている。 今度は「最大公約数」ぽい「日本人」でなくて、日本語を通じて知り合った友達たちに話しかけることに決めたからで、josicoはんやイルリメさんやもじんどん…という友達が対象なので、これまで本名はもちろん、さまざまな話を聴かせてくれた友達たちにガメ・オベールという名前のチョーへんてこな友達の話はしないですませてきてしまったが、なんだか気がとがめてきたので、ちょっとくらいばらしてもいいか、というか、ばらさないといけないのでわ、という気がしてきたということでもある。 たとえば、ぼくが、新興宗教のトレーニングキャンプに加わったとして、初めの自己紹介をどんなふうにすればいいだろう? むかしHermes Trism   @hermes_trism が、ぼくを紹介しようとして、 「在NZイギリス人投資家の日本語ブログ」と定義したときに、「もうこの紹介だけで、なんだか、すごく『あれ』だよね」と、ふたりで声を殺して笑いあったが、チョーなんだか『あれ』な大庭亀夫の紹介をしているHermes Trism 自身が、「スコットランド人科学者の日本人より達者な日本語ツイート」を書いている、もっと『あれ』な人なのである。 あんまり書くと怒るが、「もじんどん」 @mojin の正体は欧州某所で外宇宙を見つめることを仕事にしている天文学者で、子供向けSFの設定みたいな人で、肝腎なところになるといつも「おお!お昼ご飯をつくらなきゃ」とゆって逃げていってしまうすべりひゆ @portulaca01 はイタリア語で思考するほうが日本語で思考するよりもずっとうまく行くことが多い『あれ』なひとで、つまりは、なんだか『あれ』な人の塊が日本語のTLを形成しているひとびとで、くだらない人間たちがしつこくつきまとって、みなをうんざりさせなければ、日本の人が「いままで見たことがなかった新しいもの」を見られた可能性はあると思う。 でも薄汚い言葉でつきまとって、そういうサークルを誰にでも見える「可視」の場所から、限られたメンバーだけの「不可視」の場所に追いやってしまうのは、どうやら、日本語世界の宿命であるようで、いまは「考えがあまかった」とお互いを笑う以外にはない、というふうに皆が感じている。 日本の人は、ほんとうは「自由に議論が行われる場所」など欲していないのだと思う。 そうでなければ、あんなフーリガンなみの「リベラル」をのさばらせておくわけはないだろう。 ある発言でびっくりしてフォーラムに加わってもらったJさんという人などは、まるでふだんのツイッタでは「バカを装っている人」のようで、同じ日本語で書かれているというのにツイッタとフォーラムでは別の人間であるよーです。 最後のお節介だと思うが、あんまり考えてみなくても、集団サディストが猛威を奮う日本語世界でだけ特徴的なこういうことどもは、ふつーに考えて、日本語文明全体にとって、ものすごいマイナスなのではなかろーか。 なぜ、これほどの異常な事態を放置しているのだろう、と不思議な気がする。 どうして自分がくつろいでいる居間に突然土足であがりこんで糞尿をぶちまけていくようなことをする彼らを日本人は許しておくのだろう? 日本語の世界へはいりこんでいるときの自分の気持ちと英語/仏語の家へ戻って暮らしているときの自分の気持ちの違いは、実は、いまでもちゃんと判ってない。 なにかが決定的に異なっているのに、日本語でうまく言えない。 意外と物質的なことだろうか、と考えてみたこともある。 「そんなこというのは酷い」と思うかも知れないが、ぼくは子供のときに日本にいたときから日本の人が豊かだと思ったことはない。 理由は難しいことではなくて、しばらく日本に住んでいるあいだに、たとえば「食器洗い機」がないことに気がついた、というようなチョー単純なことです。 ニュージーランドの30代の中小企業のカチョーさん、というような人の生活を考えてみると、 彼は、多分、オークランドの世田谷に住んでいて、子供がふたりいて、だいたい敷地が200坪くらいで、寝室が5つある家に住んでいるはずである。 寝室の他に2DKという、Dのダイニングと2LDKのLであるラウンジがある。 午後5時少し前に「NZ世田谷」で最も一般的なクルマであるBMWで家にたどりつくと電動ゲートを開けて、これも電動のガレージドアをクルマのなかからコントロールを使って開ける。 冷蔵庫を開けて白ワインを飲みながら、奥さんが帰ってくるまでの30分でつくれる料理を考える。 ホームサーバーは普通なので、少しテクノロジーに興味がある人ならば、タッチパネルか、そうでなければジーンズのポケットにはいっているメモリで音量で好みのプレイリストの曲が次次にかかる。 いいとしこいてAriana Grandeの最新の曲にあわせて巨体を揺すらせながら「ケララ風揚げ豆腐カレー」をつくっている。 週末にはベビーシッターを頼んで、ぬはははは、と思いながら、モダンダンシングのあとで埠頭のヒルトンに泊まってエッチしちゃうもんねー、と思いながらカレーをつくっているのだと思われる。 … Continue reading

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