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共同体への公共意識と手続き主義_1

ロンドン中心部を歩いていてうんざりするのは戦勝記念物がやたらめたらあちこちにあることで、勝ったあー勝ったあーまた勝ったあー、勝たでもええのにまた勝ったあー、という鬱陶しい「英霊の声」が聞こえてきそうな気がする。 まことに下品の極みで、イギリス名物フーリガンの淵源が実は国民性の奥底に本質として流れているのではないか、と疑わせるのに十分であると思う。 イギリスがドビンボで弱小、そもそもの出だしにおいては自分達の女王が敵の遠征軍司令官におおぴらに強姦されてしまうわ、ひょっとして、このボロい国てカトリックのおっさんたちに分け取りにされちゃうんじゃね?という疑心暗鬼に苛まされるわ、のチョー悲惨な生い立ちから、勝てるもんなら勝ってみい、の不敗の体制を築くに至ったのは、とどのつまりはイギリス人が他国の社会に先立って「公共」(public)という概念をもったからだった。 Lord Nelsonは、トラファルガー沖でフランスとスペインの連合艦隊に遭遇したとき 「England expects that every man will do his duty」と なんだか、50インチLCDテレビの前でヒマをこいているおっさんのようなことを信号旗に託して述べたが、もうすぐ戦闘だというのに、こんなムダな信号を送ろうと思ったのも、当時(1805年)には、すでに、じゅうぶんにイギリス人の下層にまで「公共」という概念が行き渡っていて、個々ばらばらな考えにはしっていては社会は全体として弱体化してボロくなる、という思想が行き渡っていたからだと思われる。 オークランドに移住してきた日本人や韓国人は、ニュージーランド人があまりに自分のことしか考えていなくて、そういうことはクルマの運転の仕方などにもあらわれて、車線を変更するときに方向指示器は自分が割り込みたいときにしか使わないし、左折も右折もインディケートなし、他のクルマにぶつかっても、多少のへこみならば隙があれば逃げる、という態度であることにボーゼンとするらしい。 あるいは家の外壁の修繕の見積もりに木曜日に行くからと言っておきながら次の週の月曜日にくる。 芝を刈りに水曜日の午後にうかがいますと述べておいて、前日の火曜日の朝にやってきて、どうやったら国内の叛乱を抑えながら隣の王国を侵略できるかという極めて難しい問題を沈思黙考しつつあった、主人(←ゲーム画面を眺めているわしのことね)の静寂を破って驚かす。 アメリカ人やイギリス人もよくぶっくらこくオーストラリア人やニュージーランド人のビジネス習慣について触れれば、仕事の依頼のemailが来ても興味がない場合には、めんどくさいので返信をいっさいださない。 なんだか、ひらたく言えば、チョーでたらめで、これでどうやって社会が成り立っていくのだろう、きっとこの国は崩壊寸前なのに違いないと考えて故国に帰ってしまう人もいるそーです。 外から見ると、オークランド住宅地の名前の良い通りは、おおきな見栄えのよい家が建ち並んで、静まりかえって、仮にビンボ人が通りを歩くというと、「けっ、おまえらもうすぐ革命を起こしてギロチン台に送ってやるから覚悟しろ」と思うこと間違いなしだが、内実は、問題がないことはない。 高級住宅地の家の値段があがりすぎて、賃金の上昇などはまったく追いつかないので、無理をして銀行からホームローンを借りすぎたあげく、返せなくなって、貸家にだす。 貸家といっても、そういう家は一週間の家賃が30万円を越える。 日本風に月で数えれば家賃が120万円を越えるので、おいそれとは借りられる人が見つからない。 ついには14人くらいの人間が共同で借りることになる。 いくら「豪邸」だと言っても14人7カップルで共有したりすればストレスがたまるので、というのは推測にすぎないが、週末ごとにプールサイドでパーティを開いてバカ騒ぎする。 こういう場合、近所はどう反応するかというと、オークランド市役所には24時間の騒音苦情対応デスクがあるので、ここに電話して文句を述べる。 ところが夜中の2時くらいでめんどくさいのだとおもうが、やってくる担当人は、クルマの窓を開けて耳をすませてみて、「たいしたことない」と判断して帰ってしまったりする。 ステレオの類いを接収する権利を持つ苦情対応係が動かないとみるや、7x2住民は大胆になって、ある通りの家などは日曜日にバカ騒音が聞こえるので窓を開けて騒音の方角を見たら屋根の上で20人くらいのひとびとが踊り狂っていた。 ニュージーランドはパーティピルやマリファナ、覚醒剤にいたるまで国民ひとりあたりの所持率が常に世界のベスト10にはいっているというストーン王国なので、やってるほうも何をやっているかわからなくなっていて、この世の終わりのような騒音が響き渡ることになる。 カウンシルが対応しないようだとなると今度は「ネイバーフッドウォッチミーティング」という「ご近所緊急会議」が開かれて対策が協議される(^^; 各人がそれぞれ意見を述べ、事務弁護士を雇って書類をつくって大家にクーリエで発送します。 ニュージーランドでは日本のような国と異なって口に出して誰か他人の行為に対して文句を述べるというのはたいへんなことで、その後段には法廷か暴力的な手段しか残っていない (実際、アジア人の学生達が高級住宅に住んで、高級住宅地だからまわりは穏健で上品だと油断したのでしょう、毎日、朝な夕なに改造エグゾーストでぶおぶおゆわしていたら、ある週末の未明に近所のおっさんたちがクリケットバットやゴルフクラブを片手に、ぞろぞろとあらわれて、片っ端からクルマをぶちこわしてしまった有名な出来事がある) ので、書状を見た瞬間に家の持ち主は恐慌状態で店子を追い出して対応することになる。 と書くと時間の経過がわかりにくいが、だいたい初めに大騒音パーティが起きてから、ついに書状に至るまで一年ほどかかることが多いよーだ。 なんだか煮え切らないまま、ずったらずったらと解決に向かうのはニュージーランドも英国風の文明であるというべきで、 本家の連合王国は、もっと憎悪のもちかたが気長で、以前、実家の郊外の家の近所には、生け垣をめぐって隣家と60年ほどいあがみあっている家があった。 「公共の利益」という考えが時代遅れと感じられるようになったのは、やはり世紀が変わって、21世紀に、移民がどっと増えたからで、これは英語圏の大都市全体の傾向です。 公共、という空間が最もおおきなのが国家的な公共意識をもつイギリス人とアメリカ人、最も小さいのが家族から公共の域が外に広がらない中国人というが、いまの現実は、全然そんなことはなくて、中国語を話すひとびとのなかでも香港人などはたいていの英語人よりも「公共」の範囲がおおきいようにみえる。 … Continue reading

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