日本語ノート2

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日本語の底の闇へ歩いていって、たとえば政治と個人の葛藤が立てる軋音を聞きたければ、やはり吉本隆明よりも堀川正美のほうがいい。
吉本隆明が自分の「絶望」に酔っ払ってしまった、そのさらに下の奈落まで堀川正美は降りていったからで、たとえが悪いが、潜航限度を遙かに超えて深い水深に沈潜して、鋼殻が水圧に耐えかねてあげる悲鳴であるとでもいうような日本語は、堀川正美だけがたどりついたものだった。

吉本隆明は、絶望、絶望と述べて同時代の誰彼にも「おまえは絶望が足りない。もっと深く絶望しろ」と述べることが多かったわりには、本人は、やさしい笑顔と近所の人に「先生」と呼ばれたりする下町風の「知識人への敬意」を単純に愛した人で、自分個人の生活には光が射しているが、堀川正美は、生活というようなものには遙かに背を向けて、吉本隆明が推奨する「絶望」の、その向こうの誰にも届かないさきへ歩いていってしまった人だった。

ぼろぼろな敗戦の、前線から引き揚げてきた復員兵士の眼で、鮎川信夫は戦後の日本を眺めていて、吉本隆明のように特に絶望など志さなくても、鮎川の詩を読んでいると、本来は抒情詩人であったこの人が、戦後の日本社会においては、そこに蠢く人間たちをさえ「意匠」と感じて眺めていたのがわかる。

国情のちがい
心性のちがいはどうしようもない
いかに私が外国かぶれでも
愛という言葉は身につかぬのである
身についていたら
とっくに破滅していたろう

_「愛」

と述べた詩人は、自分が「愛」という言葉を口にしたことがなく、「愛」を口に出してささやかれたことがないことを「愛」という感情そのものが舶来であることに理由を求めるのが常だったが、真実はどうだったろうか。

堀川正美は、しかし、鮎川が立っていた地平線をさえ通り越して、日本語世界には珍しい乾いた感情が言葉をひび割れさせ、変形させるところまで到達してしまっていた。

そこでは表現も言語も壊れて、美しさは浅薄なものとみなされ、完成された表現は、虚偽であるとみなされた。

わたしのイロニーはいまや一本の犬釘となる
この木偶ピノキオの心臓に打ち込む
心臓に打ち込む
よく心ひらいた御窓よ
はめ殺しの窓を許せ
日は輝いて降る霜をみつめる年々
すぐにあなたの年齢を追いこすさ
深い秋    もう ないさ

_ねむれ 姉貴 国友千枝追悼

と書く詩人には、現実の世界では、夜のあとに、また性懲りもなく太陽があらわれて、朝がくることが訝しくて仕方がなかったことだろう。

日本語が絶望に届いていたのは、だいたいこの頃までで、70年代といえば、すでに中年になってから徴兵されて戦場へ送られた大岡昇平や吉田健一を除けば、飢餓と陰惨な軍隊内部の暴力を生き延びて、戦いといえばほとんどの場合、現地の村落を襲って食べ物を収奪するか、女たちに襲いかかることを意味していた戦場から生還した鮎川信夫たちの世代は40代から50代であったはずである。

石原吉郎が死に、鮎川が死に、田村隆一や、北村太郎たちが死んで、日本語が記憶した「絶望」は、彼らの死とともに失われていく。
最大で直接の原因は「詩が読まれなかったから」で、二千部や三千部を刷って大量の返品がある詩集などは、ふりかえれば当時の日本語世界の最高の到達点でも、すでに物質的繁栄に浮かれて、コピーライターの言葉に踊るようになっていた社会では見返られることすらなかった。

ひどいことを言うと、きみが「日本語を捨てることにした」というときの、その「日本語」は、近代の遠くから日本語をここまで追いかけてきたぼくにとっては、ちょうど猿類の母親が死児を抱えて生活するように、日本語という一種独特な洞窟の壁に、もっとも心地よく反響する表現を売りさばいて、とうとう日本という社会の性格をつくりあげてしまった、商業的コピーライターたち、たとえば糸井重里のようなひとたちが、幾ばくかの見返りのために無惨に刺し殺してしまった日本語の屍にすぎないのだと思う。

きみが新しい生活を始めた町は、英語人の町で、英語は実務的で、不動産契約にもっとも向いた言葉だとフランス人がよく憫笑するように、情緒が剥落した言語だが、その奥には、人間性へのあきらめや、人間そのものへの途方も無く深い絶望が眠っている。

20年後、30年後、きみがそこにたどりついたときに、ぼくの母語について、きみがどんな感想を抱くか、ぼくにはわからない。
これからぼくは、肉体の原形をとどめないほど破壊された日本語を前において、検屍する人のように、日本語というかつては美しかった言語の肉体にメスをいれていくだろう。

紫色の痣斑、くずれた顔、とびだした眼球というような様相を呈しても、なぜか屍体というものは、やさしい、なじみ深い感じのする、言ってみれば、ずっと会いたかった友達と邂逅するような気持ちになるのを、きみは知っているだろうか。

もう誰もいなくなったこの部屋で、ぼくは日本語のうえに上体を屈ませて、夢中になって音韻に付着した褐色粒や、みつかりにくいところに隠れていた糜爛を注意深く眺めて、その理由を考えている。

そのことを、なんてムダなことをするのだろう、といつかきみは手紙で笑っていたが、そうでもないのさ、
日本語が大好きだというのが第一の理由だが、ほかにも理由はある。
その理由を話すのは、いまは早すぎる。
きみが英語の奥底の暗闇にとどいたとき、きっと、ぼくも打ち明ける。

そのときまで。

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One Response to 日本語ノート2

  1. hermestrism says:

    >きみが新しい生活を始めた町は、英語人の町で、英語は実務的で、不動産契約にもっとも向いた言葉だとフランス人がよく憫笑するように、情緒が剥落した言語だが、   情緒を補うために、歌に乗せた音楽が進展していったのかもしれない。

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