日本の横顔

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遠くから日本と中国、韓国を眺めていると、おもしろいな、とおもうことがいろいろある。
たとえば日本のがわに「日本に住んでいる韓国人は出て行け」という運動が存在するのに韓国側には「韓国に住んでいる日本人は出て行け」と述べる運動が存在しないらしい。
韓国人や中国人とはやりとりが英語(ひとりだけフランス語)で、日本語インターネットでみる日本人と知識層がちがうのかもしれないが、韓国人のほうは、なんだかおっとりしていて、
「日本で反韓運動やってるでしょう?」と水を向けても、やってますねえ、すごいらしいです、で、なんとなく他人事である。
話は、すぐにどこの国のどの大学で求人があるとか、英語のアクセントをなおすにはどうすればいいと思うかとかで、自分の生活の話にもどっていってしまう。
あんまり日本人がどう思おうと興味がない、というのがありありとわかるので、こちらも話の接ぎ穂がない。

仕方がないので、ひとりで日本で起きていることを眺めていると「歴史修正主義」に反対する人たちが「反嫌韓運動」をしているひとたちにかみついていたりして、
天井桟敷からでは距離が遠すぎて、なんだかよくわけがわからない。
南京虐殺が存在したことを認めろ、と迫っているひとたちが、猛烈な罵詈雑言で、相手が黙り込むと勝ちどきをあげて「がっはっは、おれが勝った。しっぽまいて逃げやがった。バカめ」と述べていたりして、読んでいる方は、
南京市街に突入して、悪鬼のように中国人を殺しまくり、銃剣が折れそうなほどの勢いで誰彼をかまわず刺突して、バンザイを吠えるように三唱する丸眼鏡の陸軍兵士たち、あるいは韓国人の「ピー助」をひいひい言わしてやったぜと笑いながら、慰安所の筵がけの小屋からズボンをずりあげながら出てくる「皇軍兵士」を思い出させられて、言葉にならないほど、げんなりする。
面白いのは、ふつうの国では、こういう、話者の品性を過不足なく反映する言語の醜さはナショナルフロントと自称したりするタイプの、我が国の栄光を見よ、国権国家主義者の属性であるのに、日本では多くリベラル側の特徴であることで、なぜそうなったのかは、誰かの研究材料になりそうなくらい興味深い。

酷いことを言うと、この攻撃性と、この蛮性では、攻撃している相手より、よっぽど「皇軍兵士」に似ているんだけど、と思う。

どんな国の政府も情報操作のためのセクションを持っているが、数ある反対を一挙に踏みつぶして全体主義国家を完成するためには、わざとリベラル側に野放図な攻撃をさせて、いきりたつ御用学者を抑えて、「自己満足のために正義を利用している」と「良識がある国民」がリベラルの非人間性にうんざりしたところで、いっせいにリベラルがよって立つ場所を粛清する、という古典的な手法がある。
だいたい単純な正義意識をもったジャーナリストを利用して、こういうセクションが直接接触をもつアンダーグラウンドジャーナリズムの世界を通じて話をもちかけ、しばらくやりたいだけやらせる。
むかしからリベラル人には、単純な正義の味方を気取ったオチョーシモノが多いので、パチモン知識人のなかから、いちばん調子をこきそうな(←言葉がチョー悪い)マヌケを選び出して、わざと御神輿の上にあげてしまう。
別に日本に限らず大衆社会とはそういうもので、ある程度有名になれば後ろをぞろぞろとたくさんの「反全体主義・国権国家主義」のひとびとがついて歩き出す。
あとは、おもいのまま、一網打尽であるのは言うまでもない。

年をとっても老婆にはジェンダーの問題で成れないので、来世を待たなければ老婆心はもてないが、ダイジョーブなんだろうか、と思う。
なんだか政府の思惑どおり、筋書き通りの気がする。
情報を操作するほうは、その道のプロである。
第一、他国人から見ても戦争をはじめて戦争犯罪を繰り返すのは社会の政治的な質よりも国民性の問題で、
日本研究者のなかには何よりも「リベラル」の言動を見て「ああ、やっぱり」と思ってみている人がいそうな気がする。

中国人に、この話をしたら、「日本人は、そうだよ」と言って、おまけに、当たり前ですよ、と言って、ふきだされてしまった。
日本の人に良いところがあるのはわかりきったことで、ドラゴンボールZもナルトも、中国系人にとっても共有財産で、日本の人がおもわず想像してしまうようなおどろおどろしい憎悪ではないが、中国の若いエリートは、よく「日本人の蛮性」ということを述べる。

東アジアきっての好戦的民族、他者を陥れたり攻撃したり、貶めたり、政治においても糾弾するのが三度の飯より大好きというイメージは、韓国からインドまで、あまねく広がっている「大和民族」のイメージでもある。
南京市民に襲いかかる皇軍兵士と寸分変わらない快哉を叫ぶ日本のリベラルは何のためにあんな論争の仕方をするのだろう、と疑問を口にすると、
「勝って、相手の顔を泥水のなかにぐりぐりするのが好きなんでしょう。日本人だもの。右も左もない」と言う。
当然、という顔つきです。
こちらは日本にいたことがあるので、そうだっけ、と、どんな社会だったか思い出そうとするが、考えてみれば最後に数ヶ月滞在してからまる4年経っていて、ちゃんと思い出せない。

そのうちに、めんどくさくなって、中国人友達が器用に散蓮華に乗せて食べている小籠包の話に移行してしまった。
きみは黒酢で食べてるけど、ほんとうは紅酢のほうが、おいしいんじゃないの?
きざみ生姜はなしでいいのか?
それとも、ないからショーガない?

考えてみると、子供のときに訪問した日本は、もっと手触りのよい、すべすべしてやわらかい社会だったような気がする。
Uさんという60年代から日本に住んでいるドイツ人ばーちゃんに述べたら、「そんなことはありません。日本は昔から野蛮な国です。どうしてあなたは、そんな事実と異なるくだらないことを言うの」とバシッと言われてしまったことがあったが、こちらは頭のなかに、葉山のかき氷屋さんの店先で揺れている「氷」の赤い旗や、森戸海岸の沖からみえる夏の太陽に照らされた鎧摺の山、あるいは青山のヘアドレッサーで、なあんだガメ、元気ないなー、よおおおーし、おねーさんが明日デートしてやるから、めかしこんでこいよ、キディランドでも行こか」と述べたりしてくれた、わしの最愛の年長の友だち歌子や、
思い出してみると、Uさんのように、きっぱり「日本は昔から野蛮な国だ」と言い切る気持ちのキリがつかなくて気持ちが曖昧になる。

ここで「維新號の豚まん」と言い出すと、食い意地が張っているのがばれてしまうが、銀座の維新號本店で、戦後すぐは東京人にとってゆいいつの肉がはいった食べ物だったという、あのでっかい豚まんを頬張りながら、デパ地下をめざして歩いてゆくのが楽しみだった。
荒廃した六本木やモニが死ぬほど嫌っていて世界堂にクルマで寄るくらいしかできなかった新宿と違って、銀座はわしにとっては子供の頃にストップオーバーで東京に滞在していた頃から終始一貫、おもろいものが理不尽なくらいたくさんある遊園地みたいなところだった。

東京の店の風変わりで良いところは、変わったものや、あんまり数が売れそうもない商品も「在庫」で置いてあるところで、アウロラやモンテ・グラッパの万年筆がずらりと並んでいて壮観だったり、一誠堂という書店に至っては、なんでこんな本がここに、と思うような連合王国の稀覯本が、おいてあったりした。
古書店街などという過去の遺物が残っているのは東京の神保町だけだと思うが、それは無論東京という時代から取り残された町の栄光で、影ではない。

東京の、やさしい、おだやかな顔を思いだそうとすると、当たり前なのかも知れないが、思い浮かぶのは「人の顔」で、透明な海や、南の風にそよぐ木の枝、というようなものではない。

ところが、その「おだやかな日本人の笑顔」と、日本人の生活のあらゆるところにみられる「好戦的な野蛮性」がどうしても結びつかない。
いまのざらざらとしてささくれだった社会の様相が、記憶のなかの「たおやかな日本」と結びつかない。
何度考えてみても、これはたいへんな難問で、もう日本語が剥落しつつある頭では考えても無意味なので、やめてしまったが、
誰かが考えてくれないものかなー、と、よく、ないものねだりをする。
喉にひっかかった小骨、揉気扼腕、隔靴掻痒、というべきか、
なんだか糢糊として、そのくせはっきりとした違和感がある。
まるで一週間考えていたのに、結局解けなかった数学の課題みたい。

うー。

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10 Responses to 日本の横顔

  1. says:

    初めまして。ガメ・オベールさんのブログに出会えてとても感謝しています。
    日本で起こっていることを、あなたの優しい日本語で解説してくれるこのブログに心惹かれる日本人は多いと思います。
    直視したくない問題ばかりで、やるせない気持ちになります。
    ガメ・オベールさんいつもありがとう。
    本当なら、もっと楽しいことや素敵なものを書くことの方がたいていの人は好むのに、日本のことを考えてくれて。書き続けてくれて。

    私は見ざる言わざる聞かざるにはなりたくないです。”それは違うと思うよ。””それは傷つくよ。”と言えるようになりたい。でもなれないかもしれない。
    勇気をだせなくて下を向いて”スルー”してるし、してきたと思います。

    原発事故は新聞でもテレビでも終わったことみたいになっているのが気になります。
    もし、将来、日本に住んでいる女性に好きな人が出来て、その人と結婚してその人との子供が欲しいと思う日が来たとき、この事故はその幸せにただちに影響はないのでしょうか?
    その幸せがこの事件のせいで叶わなかった時、その責任は無条件に私たち日本人の責任だと思います。 どうにかしないといけないけれど、どうしよう。

    日本にある言葉は信じにくいけれど、たまに触れる優しい思いやりや、見えづらい優しさに触れた時、私は笑顔になれます。
    それを覚えているので生きています。でも、今の日本は生きづらいです。大人の私でも生きづらいのだから、子供はとても、想像できない位、生きづらいのだと思います。

    最後に、ガメ・オベールさんは私の好きな絵本、”緑の中のジュール”の主人公に似ていると思いました。

    更新を楽しみにしています☆

  2. Maple cricket says:

    Twitterでガメさんの日本語が見れなくなって寂しいけど、ブログでまたあなたの楽しくてユーモアのあるガ日本語を見れるのは嬉しい。ガメさんが使う日本語は、日本がもし、憎悪から抜け出せたなら到達したかもしれない「もうひとつの世界で使われる日本語」なのではないかと思うのです。そんな日本、見てみたかったけどきっともう叶わないのだろうな。もしかしたら、という可能性もついに潰えてしまいました。

    「おだやかな日本人の笑顔」という、仮面よりももっと実用的で巧みな道具を、日本人は昔から使いこなしてきたのではと考えています。日韓のハーフだから両国とも幼い頃から頻繁に行き来しているし、この両国の類似面の多さもよく知っているのだけど、日本てそれでもやっぱり異質と言うか、不思議。根本的に何か、すごく人に不安を植え付けるものを持っている。
    「おだやかな日本人の笑顔」という道具を国全体で共有しているけど、それは自分達ではなく外の誰かによく見られたいがため。国民が全員カクカクお辞儀しながらニコニコ笑顔を浮かべている店員状態の「デパート国家」みたいに見えるのです。

    日本語ネットに溢れる憎悪や下品な罵倒に麻痺してしまったのを「社会人として強くなった」と勘違いしてしている人を見ると、虚無感に包まれる。こんなものに慣れて麻痺したのは強くなったとは言わない。それでこの日本語毒に嫌気がさして背を向けた外国人や日本人を「逃げた」と指差しながら笑ってる連中が、表で「おだやかな日本人の笑顔」という道具をなんの躊躇いもなく使って日常生活を送っているのだから、これはいよいよ理解に及ばない世界です。

    いつも素敵な世界を見せてくれてありがとう。
    あなたのブログの日本語を見ていると、日本も憎悪から抜け出せていればもしかしたら……という未来を垣間見れて嬉しいような悲しいような、そんな気持ちになるのです。

  3. ivain says:

    ガメさん、こんにちは。

    (岩田宏の紹介、ありがとうございます。先日、詩集を入手しました)
    (あっ、バルセロナも行きました!ハモンおいしかったです)

    原発事故から3年半たって、
    避難先に、義理の母親が訪ねてきました。

    彼女は、私たちの避難に「一定の理解」を示してくれていました。
    そのはず、でした。

    でも、ちょっとしたことから、言い争いになり、

    「親を置いて、逃げた」
    「自分だけ長生きしようとして」
    「エゴの固まり」「冷血動物」

    というような言葉を、
    彼女は吐き出すのでした。

    そういうことをいう人が多いと聞いていましたが、
    ほんとうに、 自分の近親者が、それを言うのでした。

    内部被曝について、
    なんど説明しても、
    分かってくれません。

    あげくのはてに、

    「お前たちは、疑い過ぎる。
    もっと人のいうことを «素直に» きく!」

    と言われる始末。

    (あとから、冷静に考えると、爆笑ものです。
    「モンティパイソン」か、と思いました)

    彼女は、ふだん、
    とても「おだやかな笑顔」を浮かべていることの、
    多い人です。

    このときも、ひどい言葉を、
    つぎからつぎへと投げつけながら、
    彼女の顔には、
    「笑顔」とおぼしきものが、
    張り付いているのでした。

  4. kei says:

     昔読んだきりで、あまり正確な記憶ではありませんけど、ある医者が、「飲みさえしなければとてもいい人」である「どうしようもない酒乱の男」について、
    「それは、いい人である普段の方にそもそも無理があるんです」
     と書いていたのを思い出しました。
     それからAlice Millerの著作のいくつかも。

     ほかの国に住んだことはなく、較べて言えることではありませんけれど、長年住んでいるこの国は、「内輪とみなした集団の他の成員」の目から自分がどう見られるかについて、
    (なんで?)
     と言いたくなるほど気にかける人が多い国だと思っています。自分がどうしたいのかより、どう思われるかを先に「感じる」ようになったままずっと生きてきていたら、とんでもない攻撃性を裡にため込んでいても当然ではないかなどとも。
     不思議なことに、その集団の外は目には入らないのらしい。ネットに吐き出した言葉が世界からどう見えるかも、それが自分(たち)の危険をどれだけ増すかについての想像力さえないのもたぶんそのせい。
     その辺の機微にはうといというか、生まれつき鈍かった分、そう怖くも感じないで生きたいように生きてきましたが、この数年は、逃げておけばよかったと後悔するほど怖い。でもここで精いっぱい戦おうと思っています。勝つ見込みの大変少ない、長い戦いになるのでしょうね。

  5. midoriSW19 says:

    日本人が「おだやかな笑顔」で話すのは、相手が自分に同意できることを話すことがあらかじめわかっている時か、相手が自分とは異なる考えを持っていることをあらかじめ許容できる時に限られるような気がする。ガメさんが「日本人のおだやかな笑顔」しか思い出せないとしたら、相手にとってガメさんが「外人」枠にカテゴライズされていて、たとえガメさんが自分には許容できない意見を言ったとしても違って当然と考えられていたからでしょう。あるいは「よその子ども」枠だったのかもしれない。その場合は半人前なのでたいがいのことが許容される。

    あらかじめ同類枠にカテゴライズされてしまう日本人の場合、状況は異なり、相手にとって許容できない意見を言うと、その「おだやかな笑顔」はたちまち消えるか引きつる。たとえ日常的な会話でも。

    人はみな一人一人違うことがあたりまえと想定されている社会では、相手が自分と異なる考えを持っていることは不都合でないどころか歓迎される場合さえある。知らないことを吸収する機会だから熱心に質問したり、それに対して自分の意見を言ったりもする。最終的に同意しあえなくても意見の交換はできるし、うまくいけば両者が最初に立っていた地点よりもっと良い着地点を見つけられるかもしれない。

    日本人どうしだとそういう意見交換が成立しにくい。自分は最初の地点から一歩も動かず、相手が自分に同意するまで互いに譲らない。結果的に大声で罵倒し合う等暴力化しやすいのではなかろうか。ディベートの訓練をすれば、きちんとしたルールのある言葉の格闘技もできるようになると思うのだけれど、実はやりたくないのかもなあと思ったりもしている。

  6. bollinger says:

    えー、私の両親は共に田舎の村社会の香りが残る地域で太平洋戦争後に生まれ育ちました。私も幼い頃に両親の実家や親戚の家をよく訪れたものです。みな私に向って「遠くからよく来たね」と優しく微笑み、小遣いをくれたものです。だから私は、今でも親戚一同には好意しかありません。

    がしかし。彼らの会話を想い起せば、その多くはその場にいない人々の他愛ない噂話であったり陰口であったり、そのような物であったと記憶しています。私の母は私が幼い時に亡くなりましたが、その時も多くは「早世した母は不孝者である」「医者が悪い」「方角wが悪い」「信仰が悪い」その様な話ばかりでした。母の人格を正当に評価し褒め慰めてくれたのは数えるほどでした。東京の知識人であったと記憶しています。

    さて、話を京都に転じます。
    京都の誰かを訪ね、笑顔で再会を懐かしむのもつかの間、家の主から「ぶぶづけ(お茶漬け)食べはる?いかがどす?」と尋ねられたらそれは「そろそろ帰れ、はよ帰れ」の意味になりますよね。そこで「丁度小腹が空いていました、ぶぶづけいただきます!」などと言えば、あとで家の主らからは「なに考えとんねんwwwあのアホwww」と嘲笑われます。

    「穏やかな日本人の笑顔」というのは、つまり、そういうものなのかな、と、思いますです笑。

  7. いつも新鮮な視点と考える取っ掛かりをありがとうございます。
    私にとって、攻撃的な性向と愛想の良さは同じ物のように思います。
    どちらも
     自分の感情を感情として処理できない、感情の表現方法に対して無責任であることの一面のように感じるからです。  
     自分の感情に最後まで付き合えずに放り出してしまい、ひどいことをしたという自責の念や、自分への嫌悪感をなかったことにしてしまう。
     自分を鈍感にして、相手が傷つく理由がわからなくなる。傷つくほうが悪い、弱いものが悪い。になっていく。
     また、自分を抑えて当たり障り無く、何も感じる事無く機械的に笑顔で処理していく。
     大人になる事=鈍感になる事だと思い込まされ、誰かの価値観に沿って機械的に笑い、機械的に怒る。
     素の自然な感情を見せること=自分の価値観を表明することなので、他人の価値観で生きる人にはつらいと思います。
     怒りと笑顔は、作り易いので両方が突出してみえるのが今の日本かもと考えました。

    世間という外骨格や、世間並みに見えるように装着したり、装着させられた鎧を取り外して、
    自分の価値観という骨と筋肉で支える構造に変えて歩きだせたらまだ変われるのだろうか。変われるといいな。

  8. hermestrism says:

    (日系人ですらイギリス出身と言うだけでそこら辺のキモいやつらでも若者を見下す態度が180度変わってひざまずくのだから、白人系のイギリス人の人には絶対に最良の態度しか取りませんよ。(言い換えれば、永遠に白人系のイギリス人は日本人として扱われる事は無い。)彼等自身に軸が無く「海外からの評価」が全てだから、彼等は。それゆえに海外の権威を敬愛している訳です。)

  9. s_ok says:

    「穏やかな日本人の笑顔」というのがうまくイメージできません。なんて笑顔の少ない国だろうと思うし、自分でも、自分が日本以外の国にいるときよりも笑顔になっていないのがわかります。特に公共の場では。無表情のままで顔が固まってしまいそうです。
    「手触りのよい、すべすべしてやわらかい社会」というのも、ガメさんのおっしゃっているのは本当にこの日本なのだろうか?

    人が多すぎること、狭いところにたくさんの人がぎゅうぎゅうになって住んでいること、街をゆく人が子どもに無関心(笑顔を向けてくれないとか声を掛けてくれないとか)だとか、実は子どもにだけじゃなくて大人同士もそう、とか、それなのにグループ内では和を大事に、different is badというのが気になっていて、相反することのような気がしていましたが、これも全部が人が多すぎること、人との距離が近すぎること( 物理的にも精神的にも)から来てるように思ったことがありました。望まなくとも人との接触がある、できてしまうことの弊害ではないか、と。

    近い距離に人がたくさんいすぎるから、和を大事に、ということにしておかないと収拾がつかなくなる・・・・。一糸乱れぬ行動を取らないと騒乱状態になってしまう。different is badも同じこと。渡り鳥の群れのように隊列を組んで飛ばないと、交通事故多発ってところなのかもしれない?

    そして街を行く人が能面のような顔でお互いに無関心というのは、身体のパーソナルスペースに人が入り込んでくるくらいの人の多さだから、気持ちの上で周りの人を無視する姿勢を取らないとしんどくなる、ってことなのかなぁ?

    こんな風に考えて自分を納得させようとしたこともありましたが、でも最近は、以前ガメさんがどこかでおっしゃっていた「上品な奴隷的態度」が隅々まで染みわたっているだけなのではないかと思うのです。仮に人が多すぎることが最初のきっかけだったとしても、違う方向に発達させることはできたはずなので。

    もつれすぎて、もう何をどうしたらいいのか、ガメさんのともしてくれる小さな光明とガメさんのブログに集まる人たちの考えを聞いても過去のものになってしまった社会の失敗例の分析をすることにしかならないのかもしれないけど、今、自分の精神のためにも道行く子供に柔らかいまなざしを投げかけたり(微笑みかけると不審者になってしまうところまで日本は来ています)、レジの人に少し微笑んだり、そんな小さなことを忘れないようにしようと思いました。小さな小さな闘いです。

  10. ゆき says:

    こんばんは。いつもblogを読んで勉強させてもらっています。
    なんとなく、自分なりに思った事を。
    日本は本音と建前の社会だから、インターネットが普及するにつれて日本人の本音が目に見える形になったのかなと思いました。

    昔はネットがなかったから、分からなかった。心の中で思ってること。
    本音と建前がひっくり返ってしまった(?)ように感じます。

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