Daily Archives: October 18, 2014

言葉のたのしみ

Bon dia. お盆におじやを食べているわけではありません。 カタロニア語で「おはよう!」という意味。 Good morning! と英語なら言う。 Good morning、と述べて相手が、こんなクソ朝なんて、という人はいないが、ウンブリア(イタリアでゆいいつ海を持たない県。日本なら長野だろーか)の小さな村で、窓から顔をだしているばーちゃんに、 「Buon giorno」と述べたら、あんた、こんなくだらない天気で、どこがBuon jornoなもんか、と言われて笑ってしまったことがある。 スペイン人もそうだがイタリアの人は決まり切った表現のなかの単語の意味がまだ生きていると意識していて、ちゃんと反応するところがいつも面白いと思う。 「さようなら」に「左様でございますならば」という中世の声を聞いている。 大雨の冬の日にバールにはいっていって、Buon jornoと挨拶されても、 「こんなひどい天気だけど、良い朝というふうにかんがえましょうね」と言っているのではないかと狐疑するに至る。 人間はこうやって特定の外国を崇拝するようになるのではあるまいか。 言葉を話すということはそんなにたいそうなことではないので、誰かが6カ国語を流暢に話すといっても、たいていは成り行きでそうなっただけである。 自分のへなちょこな言語能力に照らしても、言語はあんまり「勉強」というような姿勢には向かない気がする。 技能の習得としては楽器を使えるようになる、というようなことに似ているのかもしれない。 いろいろな言語の「音」が頭のなかでおしくらまんじゅうをしているのは楽しいことで、日本語ならば言語学の泰斗で音楽的な詩人だった西脇順三郎が書いたものを読むと欧州語から「だべ」言葉になだらかに続く坂を通って、思考が散策しているのが見ていて、よく判って、おもしろい。 「夏日」という詩は パパーイ なんという幻花だ 八月十四日正午近く 寺の帰り シバゾノ橋の方へ歩いて行くと 地獄の火炎で麦わら帽子が 燃えあがりそうだ 目が時々くらんで 向こうから来る二人の青年が 隠元豆に見えたり 火葬場に行く編笠をかぶった 杜甫のようにも見えてきた いや金子光晴のように見えた 金網の柵に巻きついている ヒルガホをつみとって ……… と続いて、 … Continue reading

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