阿Q外伝

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一度、こういうことがあった。
藤沢のスーパーマーケットで、モニさんとふたりで買い物をしていた。
モニさんはフランス製のチーズだったので、興味があったのでしょう、棚に一個だけ残っていたチーズを手にとってみようとしたら、モニさんの手をはらいのけてチーズをつかみとろうとした日本人の女のひとがあった。
モニさんは、そういうときに黙って我慢するような育ちが悪いひとではないので、自分の手をたたいた女の人の手を、ふり除けます。
日本人の女のひとは諦めて立ち去るが、隣の夫とおぼしき人に
「あのガイジン、わたしを叩いたわよ。ガイジンは、荒っぽいのね」
と述べているのを聴いた。

生起したことは多分、

1 日本人の女の人は、自分が他人の手をはらいのけてチーズを手にとって買おうとした行動が失礼だとわかっていない

2 反応として、モニさんが相手の手をふり除けたことを一方的暴力ととらえて自分は被害者であると考えた

ということでしょう。

一方で、日本人同士のあいだで同じことが起きたとすると、
モニさんにあたる女のひとは手をはらいのけてチーズを奪っていった相手を眼をまるくして観て、黙っている。
その場ではなにもしない。
あとで家族なり友達なりに「びっくりするような失礼な人に遭遇した」と述べる、というくらいが平均的な反応であるような気がする。

英語人同士であったとすると、話は簡単で、
無論ふつうの相手であれば
「すみません」「ごめんなさい」で、このチーズを手にとってみてもいいですか?
特に買おうとおもってるわけではないけど、おいしそうなチーズですね、とかなんとか短い会話を交わすでしょうが、それは多分「ふつうの」日本人同士であっても同じであるとおもわれる。

考えているのは闖入する手のもちぬしが「ふつうでない」場合で、その場合、たとえば、アメリカ人ならば、女のひとでも
「おい、なにするんだよ。失礼ではないか」と大きな声でいうだろう。

そばで観ているのが日本人の男のひとなら、委細かまわず
「どっちもどっちだ。チーズのとりあいで喧嘩なんて女はバカだな」と言って笑うのではなかろーか。
ガイジンなんて、ひとかわむけば、あんなものさ。

少し深刻なことを書くと、モニさんは失礼を咎めたが、特に最近は相手の手をはらいのけてチーズを横取りしたのが東アジア人である場合は、文句を言わないひとが増えた。非礼をおこなったアジア人は存在せず、出来事もなかったことにする、という例が多いが、こっちはまた別の問題でしょう。

おおげさにいうと、
「自己が行っていることへの加害意識がなく、すべてを自分が被害者であるという点からみる」
というのは阿Q正伝の昔からの東アジア人一般への西洋人の観点で、
魯迅は無論、中国人の側から西洋人の観点を迂回してなおかつ同じ結論に達した初めての作家だった。

日本語読解力のリハビリテーションと称して、昨日は、半日、太平洋戦争についての日本語で日本側から書かれた本をまとめ読みしたが、数冊の本を読んだあとで頭のなかに出来る戦争の印象は、アメリカが一方的に人種差別的野心に燃えて日本を追い込み、ついに耐えられなくなって立ち上がった大日本帝国が100日の健闘も虚しく、巨大な偏見と悪の力であるアメリカに屈して、戦後に国民は前にもました臥薪嘗胆の苦しみに追いやられてゆく、というもので、東京空襲、広島原爆投下、長崎原爆投下を軸に一貫した国民の受難としての悲劇的叙事詩です。

溜め息がでる、というか、
前にも書いたが、ずいぶん違うもんだなー、と思う。

https://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/pacificwar/

同じ戦争のヨーロッパ大戦に対してドイツはドイツ側の戦争と連合国側の戦争との
「ふたつの欧州大戦」を、ひとつの戦争にまとめる努力をしてきたのだったな、とも考えます。
歴史のなかに「ふたつの太平洋戦争」を残した日本に対して、「国民としての矜持」や「ゲルマン人の誇り」を自分達の最大の存在理由であると考える癖があるドイツ人の誇りが、自分達を「被害者」と思いなすことに抵抗させるのでしょう。
執拗に自分達を詰るひとびとに対して恐るべき自制心で自分達の非を認め続けて、
70年後のいまでは、ついに欧州の大黒柱になってしまった。

全体に退屈でお決まりの何の工夫もない中傷をする人が増えて、2chなみの空間になりはてて、ばかばかしくなってやめてしまう前は、日本語ツイッタでもじん @mojin さんたち日本語人と話すことを楽しみのひとつにしていて、他人事なのだから止せばいいのに、嫌韓人の発言をみると、なんだか、からかいたくなって、いじめて遊んでいるうちに何度も「大庭亀夫の正体は韓国人だ」ということになった。
日本のひとは謙虚で有名な国民なので、「大庭亀夫と和名をなのっているが、こんなに頭が良い人間が日本人であるはずはない」という意味なのかもしれないが、ついこのあいだ、めんどくさくなって英語で話しかける(←なんのためだ?)まではニセガイジンで、今度は韓国人で、
そのうちに中国との対立が切迫してくると、今度は正体は中国人になって、多羅尾伴内(小林旭でなくて片岡千恵蔵のほう)みたいだが、
真実の正体であるタイプIII文明の落ちこぼれ大学生からはだんだん人物像が遠ざかっている。
おだてにのりやすい性格なので、ほめちぎりつづければダイソン球(註1)のつくりかたくらいは内緒で教えてあげるのに、バカなことであるとおもう。

子供のときに両親の都合で日本に滞在していたようなのとは異なって、意識的に日本語で日本社会との交渉を楽しもうと考えてから、もしかすると7年くらいにもなるので、ぶっくらこいてしまう。
途中、日本について、むふふなことを教えてくれれば、おじさんたちがお小遣いをあげよう、というので、某所からの金銭供与があって、おおお、予想よりゼロが2個おおいやん、とかで、不純な数年があったが、もともとは非営利で、自分であんまり認めたくないが、どうやら外国語の習得というようなこととは趣味として相性がいいらしい。

言語をとおして見る社会は、考えてみればあたりまえだが、観念的に考えていた社会よりも遙かにお互いに異なっていて、さまざまで、いろいろな社会を行き来して見つめているうちに、妙なことを考えることもよくある。
イギリスと日本が似ているというひとが多いのは日本語をベンキョーしはじめて驚いたことのひとつで、日本とイギリスは180度異なる、全然あいいれない社会だと思うが、どうしてもヨーロッパの社会のなかで日本と似た社会を求めたければ、イタリアのほうが似ている気がする。
イタリアのある種類のひとの物腰は日本人に似ていると思う、と書いたら、いつか、巨大なゴジラの足を横目にみながら小学校に通った太秦人(註2)の前世から数世紀のイタリア暮らしを経てイタリア人化しているすべりひゆから「全然似てない」と怒られたが、似てないけど欧州のなかでは似ているというか、むにゃむにゃ言うくらいのところではむにゃむにゃと似ているのだと思われる。

日本の人はある名の売れた元ジャーナリストのおっちゃんが「日本がイタリア化したらどうする」という、どうするって、日本がイタリア化したら嬉しいのでわ、と思わずいい返したくなるようなことを述べたりして、コンジョわるのUK人や、かつてイタリア移民への差別発言を繰り返すのを常とした頭のわるいアメリカ人のコピーで、イタリア人を軽く軽侮してみせることが自分達が「一流文明人」であることの証左と考えたらしいむかしの習慣で、イタリアを軽くみて冗談のタネにすることが多いが、
ひとつ忘れている、あるいは見落としていることがあって、
およそ西洋人ならば、箸にも棒にもかからないアンポンタンなひとびとは別にして均し並みに「イタリア=ローマ」への深刻な文明的敬意を持っている。
キリスト教よりもローマで、
特に北海文明とローマ文明のふたつを基礎にして出来た英語人にとっては、あの長靴が文明の母で、その半ばは無意識化した敬意なしにイタリアをバカにするような口を利くのは、チョーかっこわるいというか、聴いていて居心地がわるい感じがする。
こういう感覚を「かたわらいたい」というのだそうだが、むかし、初期日本語時代に「片腹痛い感じがしますね」ととられて、用法を誤っておるといわれたことがあるので、今回はやめておきまする。

むにゃむにゃと似ているが、異なってしまったのは、好戦的な文明であると判定された日本文明をアメリカが徹底的に叩きつぶそうと決意したのと異なって、イタリアに対しては、占領してみたら、どいつもこいつも「おれはファシストに反対だった」で、げんなりした程度で、GIたちが悪態をついただけで終わったという違いがあるからで、ぐうの音もでない、というが、アメリカ人は日本人に対してはイタリア人に対してと異なって被害者意識すら持てないほど徹底的に踏みつけにしようと決意したのだと歴史は述べている。
そうしてイタリアを媒介にして考えなければドイツの戦後がいかに日本と異なっていたかも考えようがないような気がする。

軍政家としての才能があるばかりで政治家としての資質を欠いた総司令官と当時のアメリカ文明自体の共産主義恐怖症のせいで部内の統制がとれなくなった在日本アメリカ占領軍は、当初意図した改革をはたせないまま占領の終了を迎えてしまった。
破壊はある程度うまくいったが建設には失敗したのは明らかで、農地改革をゆいいつの例外として、おおむね中途半端に終わった「1945年革命」は、結局のところ、日本社会にいまに至る価値 と見地の混乱を生み出した。

日系アメリカ人ビジネスマンについての一般的に述べられるネガティブ面はアメリカ社会で都合が悪くなると「ぼくは日本人だから」と言い、日本で都合が悪くなると「ぼくはアメリカ人だから」と言い出す、ということだが、いまの日本社会全体についても、同じようなことが言えるように思えることがある。

おおきなほうは、もともと神の存在を前提とした西洋文明の体系に間借りして住んでいるのに、「神とか悪魔とか中二病じゃん」と嘯く。
その結果、天からふってきたというか教室で正しいと教わったことだけを借用してケリがつくものだという妄想をもって、それを「科学」そのものであると妄想して、原子力発電所をふっとばすことになる。
フェニックス計画に日本人たちが興味をもったときに、手続きとしての枚挙思想を持たない日本人に原子力発電をやらせれば事故が起きるに決まっている、と述べたフランス人たちは正しかったのだと言うしかない。

小さなほうは、つまり、冒頭のチーズをめぐる小さな出来事のようなことは、本来の日本人文化の文脈や本来の西洋文明の文脈では起きないことで、
「あのガイジン、わたしを叩いたわよ。ガイジンは、荒っぽいのね」という日本人同士のうなづきあいを求める科白は、うまく接合されていない西洋と日本との継ぎ目で、チョーおおげさに述べれば、よく顔をのぞかせる「偏見によって解決を求める」姿勢をあらわしている。

もっと酷い例を挙げると、むかし、かーちゃんと一緒に出かけた原宿でタクシーを拾おうとしたら、こちらに向かって駐まりかけたタクシーを横からとびだしてきたおっちゃんが横取りして乗ってしまった。
開いた日本タクシー名物自動ドアから乗り込む前に、おっちゃんは、アメリカ人的な仕草のつもりなのでしょう、デコの横に二本指を立てて軽い敬礼のような仕草をする。
かーちゃんは、「なんという野蛮人だ」というようなことをつぶやいて怒っていたが、ガキながら、そのときすでに一年間を日本社会を観察してすごしていたわしは、そのおっちゃんが、なんとなくええかげんな感じの子供を連れてはいるものの上流欧州人然としているかーちゃんの姿を認めて、西洋紳士的なマナーを守ったつもりであったに違いないことを知っていた。
「他人が乗るはずだったタクシーを横取りした」ことのほうは、多分、意識にのぼりもしなかったのだと思う。

いまの日本社会の混乱は(といっても日本のなかにずっといる人は混乱していると感じていないのは承知しているが)「自分がどういう歴史的コンテキストに立っているか」ということを理解していない結果、あるときは戦前日本文化が発言し、あるときはアメリカ文明の優等生が発言し、また他のときには欧州人のパチモンが発言して、すべて都合がわるくなるとアジア人として発言するという、「立場の混乱」であるようにみえることがある。
少し離れたところからは鵺が複雑化したような怪物に見える。

言葉は自分の内側の内奥を発して、外側に向かうべきだが、日本語世界では外側のどこかしらに「真実」があって、果実をもぎとるように収穫できるのだという妄想が流布している。
しかも1945年にアメリカ人によってチョコレートと一緒に投げ与えられた自由は、裁断弥縫のすべは教わらなかったので、いまや身丈にあわないばかりか敝衣と呼ぶのも難しいほどずたずたになってしまった。

日本人の精神の鏡に映っている世界のビジョンは常に外から自分へのベクトルでできあがっていて、本来、人間の精神がそうでしかありえない自分の内側から社会へ向かうベクトルには殆ど存在の余地がない。
言い換えると、日本人は、自分の視線のなかではなく他人の視線のなかで生きている。

日本人が常に正しく、「永遠の勝利者」であり「永遠の被害者」である本質的な理由は、つまり「自己の喪失」にあるわけで、かつて工夫した富国強兵の夢を加速するための国民管理上の手管が、いまになって個人に復讐し、それが結局は社会全体の伽藍を崩落させる力になってしまっているのかもしれません。

(註1)ダイソンの新型球形掃除機のことではありません

(註2)東映の撮影所になぜ東宝怪獣ゴジラの巨大な足があったのか、ということは考古学上の謎とされている

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