2015年

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新年の抱負を訊ねられたので、まず芝生を張り替えて、それから家を塗り直したい、と述べたら大笑いされてしまった。
ガメは相変わらずだな、という。
「抱負」なのだから、もう少しおおがかりなことを言うべきなのかも知れないが、なにも笑うことはない。
失礼なジジイめ、と考えたが、めでたかるべきボクシングデーだったので、なにも言わないことにした。

2015年は長く吹き荒れる嵐の初めの年になるのではなかろーか、と、このブログの至る所に書いてある。
もっとも凍死家は悲観が商売なので、暗い予想ははずれることが多くて、明るい予想を立てるひとびとの話を聴いていたほうが安心立命な人は、これからはアベノミクスで薔薇色です、という無責任おじさんたちの言明に耳を傾けたほうが良いのだと思われる。

経済や市場は本質がランダムウォークなので経済の予想を述べる人は所詮ええかげんな人である。
それが判っているから仲のよいもの同士で予想を述べあうので、もともと経済の予想などは大のおとながマジメにやることではない。

それを承知の上で述べると、失敗に終わったアベノミクスを成功となんとか言いくるめて心理的に市場を浮揚させようとあがく安倍政権の日本だけではなく、世界中見渡しても、危なそうな国や地域がいよいよ危なくなっていて、そもそも経済状態がマジメに把握されている様子がないギリシャや20代の失業率が50%を越えちったスペイン、補修費が足りなくて道路の穴の数とおおきさがだんだん増えてくるイタリア、眺めているとドイツとーさんの辛抱の終わりがヨーロッパの終わりだと思えてくる。

アベノミクスで国富全体を減少させて、言わば国全体のステータスを低下させることによってハードランディングを避ける日本の方針は、ひとりひとりの日本人はどんどんビンボになって哀れだが日本以外の国の人間にとっては理想的なシナリオでアベノミクスがこのまま続行されてほしいと願っている。

中央銀行が自ら判断停止を宣言して単調に貨幣流通量を増やすと言っているのだから外国の投資家にとっては「夢の狩り場」で、日本という経済大国の枝にたわわに実ったままぶらさがっている味の良い果実が取り放題という、願ったり叶ったり、こんなに良いことはない。

きみが仮にニュージーランド人だとすると2001年には1ドル40円だったのが、いまは95円で、簡単に言えば1億円の日本の家は2400万円弱で手に入る。
中国人たちにとって日本は短期の観光で買い物にでかけたり買春や食べ物に舌鼓を打つにはよい国でも投資対象としては魅力がない市場だが、ここまで国をあげて大安売りになれば別でバブルが進行して高くなりすぎた英語市場に手がとどかなくなった中小投資家たちが、たいへんな勢いで日本の小規模な旅館・ホテルや、特に太陽電池のような特殊な先端技術を持つ中小企業を買っている。
ツイッタでも書いたが、連合赤軍事件で有名な軽井沢の浅間山荘も、いまは中国企業の所有で、他にも中国観光客に評判がよい小さな宿泊施設は片端から中国企業が買い進めている。

中国嫌いの支持者が多い安倍政権が、ドアを開いて、中国に日本を安売りに売り飛ばす政策の立役者になったのは見ていて(皮肉で)面白いが通貨の強さは国の格そのものなので通貨がさがれば国自体が他国に蹂躙されやすくなるのは当たり前というのもバカバカしいほど当たり前で、まさかそれが判らないほど知恵のまわらない国民でもなし、日本の人が自分で選択して先進国の階梯をおりて国ごとランクを下げて出直そうと健気な覚悟を固めているのを傍から見ていて何かいう必要は無い。

1945年に日本を永遠に重工業を持てない国に変えて軽工業国化するプランとともに占領をはじめたアメリカ合衆国は共産主義の東アジアへの浸透に怯えて、当初の方針を棄却して、後世の歴史家ですらびっくりするような金額のドルを日本市場に注ぎ込む。
その過剰というのもアホらしいドル投下の受け手になったのが岸信介に代表される戦争中の軍事経済を計画した国家社会主義経済官僚の一群で、彼らは自分達が戦争中に視た「sweet dreams」を、かつての敵国アメリカ合衆国のオカネで実現してゆく。
日本の戦後の「奇跡の経済復興」の正体は国家社会主義経済政策とアメリカドルが出会ったことによる爆発的な化学反応で、結果は、マンガ的なことに、日本経済が巨大化しすぎてアメリカは日本に対するコントロールを失うことになってしまった。
国家的対外恐怖心がいかに国の将来を誤らせるかという好例だが、ここでは長くなるので書くのはやめておく。

おおきな目で見ると、こう言うと経済学者は怒りで悶絶するだろうが、日本の凋落は、だから1991年に冷戦が終結したことに拠っていて金融緊縮によるのではない。
日本の経済は常に市場経済原則によらずに政治的な理由によって浮沈する。
経済学者には見えない市場なのだと言い換えてもよいかもしれない。
日本の経済が近代を通じて「自由主義経済に変装した国家社会主義経済」だからです。

最近、レーガノミクス時代の合衆国元経済官僚から始まって、日本の人がアベノミクスは必ずうまくいくという精神的支えにしているらしいPaul Krugman は、「アベノミクスのよき理解者」どころか、実はアベノミクスをそそのかした「ミスターX」その人なのではないか、という声が広がっているのは英語サイトを読めばあちこちに出てくる。
証明されれば大スキャンダルで、見ていて、ずいぶん思い切ったことを言うなあ、と思う。

Krugman の行動について、なぜ当初から訝る声が多かったかといえば、インターネットや新聞からは見えなくても、若いときから「日本はダメに決まってる」で有名な人だからで、それがどうして突然ああなんだ、という不審が憶測を呼んでいるのでしょう。

なぜKrugman の話題をもちだしたかというと日本以外の世界ではアベノミクスはとうの昔に失敗したものということになっていて、海外投資機関もFinancial TimesやThe Economistにまで「この期に及んで日本に投資する会社は無責任だ」という警告が出るに及んで、下手をすれば個人の投資家に訴訟を起こされてしまうので手を引いているのに、日本では安倍政権の選挙の圧勝で支持されていることで判るようにアベノミクスが成功したことになっている不思議さについて考えていたからである。
いまでは逆に「当の日本人があれほど支持しているのだからアベノミクスは実はうまくいっているのではないか」という声が出ていたりして、なんだか不思議なことになっているが、この「不自然な感じ」「嫌な感じ」というのは凍死家なら皆しっている「感じ」で、その先には「大雪崩」が待っている。

日本がアベノミクスにしたがって、周囲にオカネを撒きながらゆっくり緩慢に弱国化していくのは諸外国はどこも歓迎でも、GDPで中国の半分になったといっても、まだまだ巨大な経済である日本が突然崩壊すれば、当然、世界的な嵐の引き鉄になる。
現時点で日本について外国の投資家が最も心配しているのは、それであると思う。

20年間、なにもしなければ回復には最低でも20年かかる、というのは特に経済知識がなくても直感的にわかりやすい。
日本の社会は「失われた20年」に無暗に先延ばしばかりおこなって、現実を直視して回復努力に乗り出すことはなにもしなかった。

簡単な例を挙げる。
子供のときにトヨタの工場を見学に行ったことがあるが、そのとき連れて行ってくれたイギリス人のエンジニアのおっさんは「口あんぐり」というのがぴったりの反応を示して、たとえば当時(1990年代半ば)のイギリスのクルマは「慣らし運転」が必要だったが、トヨタの工場ではエンジンを並べて慣らし運転を終わらせてから組み込みに入っていた。
もっと驚くべきはホンダの工場で、ひとつのラインで同時に多車種をつくることが出来るようになっていた。
空前の技術で、フォルクスワーゲンのおっちゃんに聞いたら、「われわれは20年くらい遅れているようだね」と苦笑いしていた。
治具、ライン、熟練工の訓練、すべてにおいてヨーロッパ勢は20年は日本の自動車会社に遅れていて、本来は極秘のはずの最新ラインを見せてしまったのも自信の表れだと受け取れた。

よく話題になるフォルクスワーゲンの内部が円筒形の新工場は、しかし、日本の自動車会社の技術水準を超えてしまった。
ギミック的にも、ヘッドアップスクリーン やアクティブクルーズコントロールの標準装備に始まって、ヨーロッパ車は「クルマ」という工業製品の概念そのものを変えつつある。
どうやら移動IT空間のようなものを考えて、その理想に向かって一歩ずつ歩き出している。
自動操縦が実現したところで日本の自動車のような旧世代の技術思想に基づいたクルマは一挙に陳腐化する可能性がある。
最も得意とする自動車産業ですら20年の怠惰は日本を20世紀の過去に取り残してしまいつつあるように見える。

日本の「民間銀行」が民間の体裁をとっているだけでローン商品ひとつ自分で開発する権利をもたない、実質は「政府の一機関」にしか過ぎないことを、このブログでは何度も書いた。
破天荒な額の国債発行を可能にしているのは「民間」であるはずの市中銀行が、政府の命令一下、採算と経営を度外視した国債引き受けに走り出す、という常軌を逸した日本の摩訶不思議な金融界の仕組みである。
この記事では、これ以上詳述しないが、2014年でも後半は銀行についての記事で「あれ?」と思う小さな記事がたくさんあった。
プロの投資家が読めば銀行が通常の業務に支障をきたしだしていることを示唆する記事だが、ちょうど安全潜航深度を超えた潜水艦の鋼鉄壁が軋むときに立てる不気味な音のように、日本の金融業界は軋音を立て始めている。

安倍首相は「この道しかない」と言うが、アベノミクス以外に方法がないように見える人は実体経済を支える産業世界を知らない人で、つまり、20年前にやらなければならなかったことを、20年後のいま始めるしか根源的な解決はない。
安倍首相や麻生太郎のような人達が述べることを聞いていると「努力をしらない人なのではないか」という疑問が浮かぶ、と年長の日本人の友達が遠慮がちに述べていたが、この人達には共通したにおいのようなものがあって、なんとなく安直というか、深みにかけるというか、あんまり言っては失礼だが全体に思考が安手な感じがする。

経済は役人や金融家や政治家が机上で改善できるものではない。
どれほど実体経済に較べて机上の数字で流通する通貨量がおおきくても、一国の経済は、その国の社会が教育・倫理・技術のコツという形で積み重ねた実体経済の質で決まるので、アベグラカダグラと呪文を唱えて一挙に経済が解決するということは起こりえない。
ドイツは日本と並んでIT産業の育成が苦手な社会だが20年間に積み上げた旧世代産業の充実の基盤に立ってベルリンを実験場に急速にIT産業が力をつけている。
他国のことは考えたくないのかもしれないが、ドイツを見ていると、日本が「アベノミクス」の呪文を唱える代わりに、ほんとうはやってみなければならなかった、地味だが実効性のある努力がどんなものだったか想像がつきやすいのではないだろうか。

38歳になって大学受験の勉強をしろと言われる、高校卒業以来遊びほうけてきたカネモチのボンボンみたいだが、やらなければならないことはやらなければならないので、アベノミクスの失敗でいよいよ個人の資産まで消滅の運命でも、日本の人は「ゼロからの出発」が得意で、好きなのでもある。
貧富の差さえ小さければ、相当につらい生活でも皆で助け合って生きていけることは日本の近代の歴史が証明している。

2015年が、空疎なおもいつきと自己陶酔の安易な方策を捨てて、20年の遅れを取り戻すために腕まくりをする、その始まりの年になると良いと、心から思っています。

(画像はワンガヌイからワイトモへ行く途中のニュージーランドのウエストコーストの農場でごんす)

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One Response to 2015年

  1. Hiroshi Takeuchi says:

    はじめまして、竹内浩と申します。日本人ですが、日本人の政治感、道徳観がよくわかりません。2011年3月以降その傾向がひどくなり、今は理解不能な状態が続いてます。日本の憲法には基本的人権が明記されてないという気さえします。日本政府の都合で人道的になったり、人権を無視しています。おかしな国です。悲しいけど。

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