生活防衛講座 その2

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1 住宅

銀行からオカネを借りて自分の家を買う、という行為は経済論理上はたいへんバカげた行為であることはよく知られている。
特に日本では無意味に近い。

ニュージーランドの伝統的なホームローンへの感覚は、固定金利9%の15年ローンで、1990年代ならば3寝室の一戸建で二台クルマがはいる車庫がついて庭がある家が15万ドルだったので、ざっと見積もって頭金なしで一ヶ月の支払いが$1500で支払いを終える頃にはだいたい倍の30万ドル弱を支払って家が自分のものになる。
大学を卒業するのは21歳なので大学で知り合った伴侶と結婚して初めの家のホームローンを支払い終えるときには36歳。収入がふたりあわせて10万ドルくらいなので月給というようなものに直せば9000ドル(当時の円/NZドルレートでは50万円)なので、フィジーやタイランドに一ヶ月くらいずつ休暇で遊びに行って子供をふたり育てても余裕をもって暮らせた。

いまは金利は6%に落ちて、その代わり3寝室の同じ家が60万ドルはするので逆にホームローンを組んで家を買う人は少なくなっている。

自分の家は通常資産に数えない。
なぜなら自分が住んでいる家は一円も生まないからで、いつか確かめてみたことがあったが、日本でもこの習慣は同じであるようです。
つまりホームローンを組んで自分の家を買うというのは借金をして「ゼロ資産」を買うことなので、のっけからただの無駄遣いとみなされる。

一方では前回述べたとおり日本では7000万円で買った住みなれた家を売って8000万円で売れるということは稀で、どちらかといえば4000万円くらいになってしまうことのほうが多い。
よくしたもので、いまみるとホームローンの利息も1.2%というような夢のような利息なので、15年かけて払っても600万円ほどしか利息を払わなくてもいい勘定になるが、それでも例えば鎌倉で25万円の家賃を払って住んでいる人は、いつでも川崎の9万円のアパートに引っ越せるが、家を売るというのは、日本のように慢性的に地合がわるい市場では「売りたくなったから今日売ります」というわけにはいかないので、急に売ろうとおもえば、7000万円の家も3000万円になるのがおちである。

自分ではめんどくさいので日本でも鎌倉・東京・軽井沢と家を買ってしまったが、えらそーだが、こういうバカなことをするひとはオカネが余っているからそういうバカなことをするので、だんだんスウェルが高さを増すいまの世界を渡っていくためにはどうすればいいかというこの記事の趣旨とあわないので、われながら(←古用法)シカトする。

結論を先に述べると日本で住宅を購入するのは経済的にはたいへんに愚かな行為で、家賃を払って住んでいたほうがよい。

20年なら20年という、その社会で通常「このくらいの年数でホームローンを完済するのがふつう」とされている年数で住宅の価格が二倍になる社会でなくてはホームローンを組んで家を買うのは努力して資産を失う愚行なのでやめたほうがよい。
自分の家を借金して買うという経済行為を正当化するゆいいつの言い訳はキャピタルグロースで、それが見込めない場合、簡単に言って(日本の市場でいえば)見栄を買うだけのことで「見栄」はどこの国のどんな市場でも最も高くつく商品だからです。

2 職業

現代の世界では打率がいくら高くてもホームランがでなければラットレースから抜け出せない、という。
キャリアをベースボールに喩えているので、生活費に400万円かかる社会で600万円稼いでいることには、あんまり意味がない、400万円しか給料ではもらえなくても、たとえば作曲した曲がベストセラーになるとか、発明したものが何億円かもたらしてくれるとか、文字通り「桁違い」の収入をうみだしてくれる職業でないと他人や他人がつくった会社の社員として働くことには意味がない。

ゲームでいえばチビキャラを倒して経験値をあげながらも目的としているのはボスキャラを倒してステージをクリアすることなので、チビキャラを倒すのにいくら習熟してもボスキャラを倒す技があって、次のステージにジャンプできなければラットレースからは抜け出せない。

そうして、たとえばきみが22歳の人間だとして、仕事を始めた当初の目的は、経済上は、あくまでもラットレースから抜け出して「食べるために稼ぐ」社会の支配層の側が「大学卒業者程度の人間が懸命に働いてやっと食える」ようにデザインした毎日から脱出することが目的です。

自分の職業的人生の価値と経済上の職業の価値が頭のなかでごっちゃになっているひとは、自分の職業の「経済的側面」と「意義的側面」を分けて考えるべきで、それが出来ないで、(昔の日本語でいうと)「自分探し」を職業を通してするようでは、ラットレースの社会の側がデザインした罠から抜け出せなくなってしまう。

欧州やNZやオーストラリアでは、もうどうして良いか判らなくなるとふたつの職業をもって、朝から夕方は店員で夕方からは看護師というようなのは普通で、アジアでも台湾のひとなどは女のひとは昔からふつうにそうやっていた。物理的に、いわば体力的パワーにものを言わせてラットレースから脱け出そうという試みで、ストレスに耐えて永続的に続けられる人は、たとえば夫婦で若いときからこれをやって50歳くらいでラットレースから抜け出すが、そういう例は実はニュージーランドでも普通に存在する。

なんだか力任せで乱暴におもえても、大企業でサービス残業だかなんだか、ええかげんな名前がついている無賃労働で夜まで残るくらいなら、単純なマニュアル労働でもなんでもいいからふたつ仕事をしたほうがいい、という意見は納得ができるもので、たいへんそうだが、やってみる価値がないとはいえない。

仕事をみつけるときのタブーは、「先にいけば高収入だから」という職場で、そんなことは起きても稀だから、まあ、ウソに決まってるな、とおもうほうが良い。
具体的には「当初1000万円だすけどダメだったら下げるからね」という雇い主は信用してもよいが「初めは300万円だけど頑張れば将来はすぐ1000万円だすからね」という雇い主を信じるのは、信じるほうが悪い。
昇進にしても地位にしても同じことで、20世紀はもう終わったので、初めに良い条件が出せない雇い主は、だいたい詐欺師みたいなものだとおもったほうが自分のためであるとおもわれる。

ついでに言うと医師や一定分野の技師のように細分化がすすむ方向がみえているテクノクラートも「土方化」がすすむのはわかりきったことなので、そういう職業につくのもラットレースがやや高級になるだけで、永遠にコーナーからコーナーへ、hand to mouthで、走り続けなければいけないのは判りきっている。

ふつうに工学系の大学を出て、いきなりラットレースを脱した友達の例をひとつあげれば、わし友オーストラリア人Cは卒業して、西オーストラリアの道路がない大辺境に始まって、オイルリグの技師としてキャリアを始めた。
地平線まで自分の土地であるような牧場が買いたかったからで、北海、アフリカ、あとどこだったか忘れたが、毎日ヘリコプターで通勤する(←道がないので他に到達方法がない)生活を十年送って、日本円で3億円くらいためた。
荒くれ男たちに混じって、山賊と銃撃戦を交えたりして、なかなかかなかなな波瀾万丈の技師生活を経て、いまは、念願どおり牧場を買って十年辛抱強く待った奥さんと暮らしています(^^;

ひとによってさまざまだが、

1゜ オカネと正面から向かい合って、自分なりに勝算が見込める「ラットレース脱出計画」を立てる

2゜ 世間的な見栄は顧慮しない

3゜ プライオリティをはっきりさせて余計なことを考えない

というようなことが守られている点で。20代〜30代でラットレースを抜け出すひとは共通しているように見える。

3 いいことはある

ラットレースを抜け出す方法はいろいろで、アスピナル卿のようにブラックジャックで勝ちくるって、こんなに賭博が下手なやつが多いのならば自分が胴元になったらもっと儲かると考えて自分でカシノを開いてレースから抜け出るひともいれば、ある晩、泥酔してお小遣いで ビットコインを買ったのをすっかり忘れていて、ある日、「このパスワードはなんだ?」と疑問におもって開いてみたら、そこにはいつのまにか大値上がりして2億円を越えるビットコインが燦然と輝いていた運のいい酒好きなアメリカ人サラリーマンもいる。
スーパーの買い物の帰りに気まぐれでロトを買ったら6億円の大当たりで、さっさと旦那に仕事をやめさせてスペインに家を買って引っ越してしまった主婦や、酔っ払って富豪のおっちゃんとイッパツやったら子供が出来てしまい、それが元で300億円だかなんだかのオカネをもらうことになった愉快なフランス人のおばちゃんもいる。
ラットレースからの脱出はさまざまでも、そこから初めて「自分の一生」がはじまるのは共通していて、少なくとも若い人間にとっては、ラットレースから脱出することを意識して生活することがすべての始まりで、ラットレースのなかでいくら懸命に走って上位に出て、一位になっても、そんなことにはあんまり意味がないことを先人は教えている。

なんだかオカネについて書くのは、相変わらず、ものすごく退屈で(ねむい)
次回があるかどうか判らないが、次回があれば、年収別のサバイバルプランと、そこでもまだ眠っていなければ、たくさん例を挙げて、ラットレースの、そのまた予選で出走取り消しになったような前半生を送りながら、結局はラットレースを抜け出して、人間としての一生を開始するにいたった、わし友達たちの例を挙げていこうと思います。

でわ

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2 Responses to 生活防衛講座 その2

  1. 星野 泰弘 says:

    死ぬ寸前にお金があっても何に使うのだろうか?
    教育、投資、恋愛、子供などお金で人生が変わる時期は若い時期に集中している。
    でも、若いときこそ、人は無知で、他人と自分を差別化できるような差をほとんど持っていない。
    違うのは、大きく賭けてみるか、小さく無難に過ごすか、という度胸の差だけだ。
    橋の下で寝ている人々や囚人は自立心が強く、賭けが好きな点で、
    どちらかといえばサラリーマンより富豪に似ている。
    彼らの向こうには大きく賭けて負けた人生が見えてくる。
    金持ちは成功譚を良く話す。
    その他の人々はあまり話さない。
    「生き残りバイアス」という現象で、世間には大きく賭けることを勧める説ばかりが増える。

  2. しのびー says:

    あんましちゃんと書けなかった_| ̄|○

    わたしが小学生の頃日本はバブル期だったけど、実家の職業上全く恩恵に預かりようがなかった。が、親は憧憬が離れなかったのでしょう、バブル崩壊後凄くたつのに「マンション」(アパートメント)買いました。ローンで。日本の「ゆとりローン」てヤツで。意味わからなかった。

    職業はここに書いて当てはまるか疑わしい(わたし個人の話)ので凄く書いたけどカットしました。

    ええっと。星野様、読まれないかもう説明不要でしょうが(わたし知識ないか忘れてるし)。
    いわゆるラットレースは死ぬ寸前に抜けるものではないと記憶しております。
    つまりさっさとお金貯めてなるたけ若いウチに引退。
    まああとは現実的には自分の介護費用だのは自分で出すとか、葬儀代とか。見てこういうのに要るだろうと(現状では)思いつくもの、なので、すれ違っているかも知れませんが。

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