生活防衛講座 番外編

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ただ生き延びたいと願っていただけだった、とシャーリーズ・セロンがインタビューで述べている。
15歳のとき、自分に襲いかかる父親を母親が銃で撃ち殺す、という人生のスタートだった。
母子で移住したアメリカでは手切れ金のようなものを母親から渡されて「あとは自分で生きていけ」と言われた。
母親はミラノに移っていった。
ゆいいつ自分ひとりで稼いでいける可能性のある職業で、そのために低賃金のファッションモデルをして貯めたオカネをレッスンにつぎこんだダンスは足の怪我で続けていけなくなった。

食べていける見込みがなくなったニューヨークを捨てて、16歳のシャーリーズは女優として生きるべく単身ロサンジェルスに向かう。
片道だけの切符代は母親が不承不承だしてくれた。
一晩泊まり(日本でいえばドヤ街、毎日前払いで一日ごとに精算する)の安アパートで仕事を探す毎日だったが、オック語の姓を持つアフリカーンス語訛の強い英語を話す16歳の女びとに仕事をくれるもの好きなプロダクションはなかった。

気が狂いそうだった。

やがて一文なしになった。
青ざめた顔で、白くなった唇を震わせて、自分をバカにしきったような口を利く銀行員は、カウンタの向こうで「これ南アフリカ振り出しの小切手ではないですか。こんなものカリフォルニアの銀行で受け取るところはありませんよ。
ダメです。現金化なんかできません」と述べる。
長い行列が自分の後ろに出来ていくのを意識しながら、それでもオトナたちのルールに従って静かな口調で懇願していたシャーリーズは、とうとう耐えきれなくなって「生涯でいちばん下品な」金切り声で、
「じゃあ、あなたはわたしにいったいどうしろというの?
このカネがなければ、わたしには今晩泊まるところがないのがわからないの?
わたしには食べるパンもないのが、あなたにはわからないの?」
泣きながら叫んでも銀行員のほうは肩をすくめるだけだった。

そのあとに起きたことは有名で、長い行列に辛抱強く並んでいたひとりの男が、不思議な国際金融取引上の知識をもっていて、銀行員にやりかたを教えて、南ア小切手を現金化してみせる。
なんだか壊れたお話人形のように繰り返しお礼を述べるアフリカーンス語なまりの女の子に、いやたいしたことじゃないのさ、このひとに、ぼくにはたまたまあった知識がなかっただけだよ、と述べて立ち去っていくが、途中で気を変えて、シャーリーズのところに歩いてもどると、名刺をわたして、なにか仕事があるかもしれないから、仕事を探しているのならここに電話してね、と言って歩みさっていった。

この親切な男が五指にはいる有名なハリウッドのマネージャーであることを、まだこの南アフリカ人の若い娘は知らない。

シャーリーズ・セロンがやがて大スターになってゆくのは、神様だけが知っていたことです。
この場ではシャーリーズ・セロンは、これで今晩、危険がいっぱいのロサンジェルスの大通りで、ホームレスとして道ばたで眠らないですむ、という安堵で頭がいっぱいだったし、ハリウッドでは名が知られたタレント・エージェントのジョン・クロスビーも、思いつきで、なんとなく気の毒で、名刺を渡しはしたものの、ひどいアフリカーンス訛の、スタイルはいいけれどもパッとしない容貌の若い娘が、あとで世界を代表する美人女優といわれて、オスカーを獲得するとは夢にも思わなかった。

なぜこんなくだらない話を長々と書いたかといえば、人間には自分の一生がこれからどうなっていくか判らないのだ、ということが言いたかったからです。
フライドチキンのチェーンをはじめるためにオンボロ・ステーションワゴンの後部座席で毎晩眠る、もう60歳をすぎたのに、14歳で家出して以来、良いことが何もない人生だったカーネル・サンダースがいくら気の強い老人でも、そこから5年間に自分の身の上に起きる成功をかすかでも予見できたはずはないし、ビジネスで成功する夢だけを財産に、52歳になるまで失敗につぐ失敗、ありとあらゆる不運、おまけに病魔にまでとりつかれて、文字通りボロボロの中年セールスマンだったレイ・クロックが、まさか自分が生きているうちに自分が築いたハンバーガーレストランチェーンの王国の繁栄を目にすることになるのを知っていたわけはない。

ニュージーランドのトランピングの習慣を知らずに南島に買った巨大な農園のゲートに鍵をかけて閉じてしまって「カネモチハリウッド人の横暴」としてニュージーランド人たちの怨嗟を買う嚆矢となった「世界で最も成功したカントリーシンガー」シャニーア・トゥエインは、まさか当の自分が「身勝手なカネモチ」として攻撃されるようになるとは、ホームレス時代、トロントのシェルターやバスを転転として、ひと晩の寝場所をみつけるのに苦労していた頃は思いもよらなかった。

パーティで、 自分がむかし食べるのに困ったあげく、ひと晩だけだ、と自分に言い聞かせて、売春をして、その次の夜、レストランで眼のまえにだされたステーキが自分の肉のようにおもえて食べられなかった、と自分の職業的一生をまったく滅茶苦茶にするかもしれない、お酒をのみすぎた夜の気まぐれから、しなくてもよい告白を見るからにケーハクなイギリス人のオカネモチの青年に述べた 女優は、その魂にまで及んだ屈辱がいまでも忘れられないのだと思う。
もちろん、ひと晩だけですむわけはなかったわよ、と言った美しい人の、炎があがっているのに暗い眼の光を忘れるわけにはいかない。

もうダメだ。
絶対にここから自分を救い出すことなんか出来るわけがない、と思い詰める、眠れないまま過ごした明け方の時間をもたない人は、多分、この世界にいないだろう。
八方ふさがり、というが、八方どころではなくて、自分のいる場所のまわりが360度隙間なくしっくいでかためられたような、「不可能」が囲繞して、自分だけが世界のなかで「意味」をうしなってゆく瞬間は、しかし、思いがけないことに誰もが経験する瞬間なのだと思う。

そういうときに「いろいろなことを考えてみる」「ひとつひとつ考えなおしてみる」とよいというのは現実には小狡く一生を立ち回ってきた人間のたわごとで、普通には、ただのナマケモノの習性を発揮して「考え」たりしていれば、事態はますます悪くなってゆく。
どうすればいいかといえば、解決策はただひとつで、とにかく玄関のドアを開けて太陽の光のなかへ、あるいは降りしきる雨のなかへ、物理的に出てゆく以外にはない。

スーパーマーケットの掲示板から千切ってきた電話番号をにぎりしめて電話口で必死で自分を売り込んだり、就職の知恵を書いた本を買うときに本屋のおねーさんに「がんばって」と励まされて、「頑張って」て励まされるなんて最低で、でも屈託のない笑顔は少しありがたいと心を和ませたり、乾いた町の通りを乾いた唇とかさかさの肌で大気をこすれあわせながら歩いてみる。

手足を、からだを動かして、どこまで自分の体が動き続けていられるものなのかを試してみる。
人間が機械でないのは、なんて残念なことだろう、とつぶやいてみる。

機械なら泣いたりしないですむのに。

やがて、肉体の疲労のなかで、自分の体そのものが街の風景のなかに溶けて、自分が自分でない、この風景のもののけのように感じられるようになってくると、突然、きみのまわりに、きみに似たもののけたちの姿が見えるようになって、でもそれが、ひとりひとりが仲間で、自分がひとりではないんだ、みなこの漆喰のなかで声を殺しているんだと気がつくときがくる。

それに気づくことこそが最大の生活防衛策で、まだ会ったことのない親友に必ず会える日がくることを理解することが、もっとも自分の一生を安全にすることなのだと思うことがあるのです。

信じてもらえないかもしれないけど

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6 Responses to 生活防衛講座 番外編

  1. f_theoria says:

    僕はこのブログの内容,好きです.

  2. lily says:

    眠れない明け方を過ごし続けて、ガメさんの言う最もダメな行為、「考えてみる」ということをずっとし続けていました。ドアをあけて、外に出ます。

  3. DoorsSaidHello says:

    私も綱渡りの人生を送っている一人です。

    ステップからロープに出て行くとき、今度こそロープが切れるのではないか、切れなかったにしても渡った先からはもう次のロープが延びていないのではないか、という恐れで身体が硬くなります。

    安倍首相の今階の外遊が招いた結果で、文字通りロープは細く切れやすくなり、次のロープを渡るのは文字通り自殺への道なのでは? と訝っているところ。

    自分で退路を断って、袋小路に踏み込んで行っているだけなのでは? と自分を疑いながらロープに踏み出すのは本当に怖いです。(絶望した経験があるだけに、若いときよりももっと恐怖が強い気がします。)

    でも、みんながいるところに一緒にいて、みんなの体温で安心だけを貪っていても、やっぱりその場所がいずれ袋小路になる。

    つまるところ、たったひとりで寒い風の中で一人で死ぬか、みんなと一緒に慰め合いながら死ぬかの違いでしかないのかもしれません。

    私は何が怖いんだろう、死ぬことか、それとも再び真っ黒な絶望に呑まれることか?

    絶望の方かな。

    死ぬときに「ああよかった」と思って死ぬなら、それはそんなに怖くない気がするもの。
    「ああもうだめだ、何もかも間違っていたんだ」と思って死ぬのは怖いな。

    「よしこれでいい」と思って死ねるように、がんばってみます。
    今日も良いブログをありがとうございました。

  4. 星野 泰弘 says:

    「俺は機械に生まれたかった」といって自殺していった知り合いのことを思い出す。
    人間は弱い。生き物は弱い。
    でも、案外、人間の良さは、そういった仕事能力の面ではなく、
    意味もなく共感して、騙されて、それでも諦めて、
    その場しのぎの空騒ぎで人生を浪費できるところなのかもしれない。

    現実に目を向けて来るべき自分の未来を考えると、無力感が漂う。
    アルコールやタバコやドラッグでその場だけの空騒ぎをする。
    そのようにして無責任に次世代も生まれる。
    そのような逃避が大半の人々の人生のような気がする。
    少なくとも周りを見ると、人間とは、実質的に計画とはかけ離れた存在のように思う。

  5. Kaʻolu says:

    勇気の湧く話しをありがとう。
    3年前だったら 間違いなく号泣してた
    いまは「この文章をあのひとに そっと届けたいな」と思えるぐらいには、動けるようになったんだな、、と、うれしくなりました。

  6. keikoy says:

    今明け方の4時です。
    まさに不安に打ちのめされ、恐怖のうちに目覚めたところでしたが、偶然こちらを読んで少し気持ちが楽になりました。

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