Monthly Archives: February 2015

出てゆく

もうそろそろ、お許しを願ってもよいのではないか、と思うだろう。 自分が日本に住んでいて、日本人ならば、政府には何の「借り」も感じないが、日本の暖かい綿の着物でくるまれて、なんとなく、茫漠で曖昧な、避港地がたくさんあるような日本文化のなかで育ったことには、幾ばくかの恩顧を感じなくもないような気がする。 日本にいて、自分には向いた科学の仕事をこなして、ルオーの絵のある喫茶店でカレーを食べて、あるいはフルーツパーラーで日本化されたパンケーキを食べて、乗り慣れた丸ノ内線に乗って帰る。 ずっとむかし何故丸ノ内線は年中地上に出るのですか?と訊いてみたら、ああ、これはね、日本が戦争に負けたとき、やっと戦後の虚脱から抜け出て、なんでもいいから仕事をしなければ、と考えたひとたちが大量に出たときに、受け入れ口がなくて、鶴嘴を握る非効率な工事でもいいから、なんとか給料を払えるようにしよう、ということで、日本人がみんなで知恵を持ち寄って、戦争で諦めていたものを、またつくることにした地下鉄だからなのさ。 お茶の水駅前の橋に行くと、開通したときには屋台船がたくさん出て陽気なお祝いの宴会が広がったという、川面の上を地下鉄が走っている鉄道橋があって、可笑しいような、切ないような、突然自分の社会に対して友愛を感じてくるような不思議な気持ちに子供の頃には、よくなった、と言って笑っていた。 日本は、絶対にやってはならなかった戦争をやって、ボロ負けに負けたせいで、アメリカの大きな援助があってもなお、たくさんのゆがみに我慢しなければならなかった。 地上を走る地下鉄は、その象徴だが、国営鉄道や日本通運のような組織は、いらないと判りきっている人達を何万人という単位で雇わねばならなかった。 「雇わねばならなかった?」 そう、日本はね、ほんとうに自由競争なわけではないのです。 言い訳はある。 健康な若者は、大酒を飲み、食べ過ぎるほど食べて、野放図に明け方まで遊んでも健康を損なうことはないけれどね、日本は、言ってみればひ弱な若者で、自分を律し、やりたいこともやらずに我慢して、判で押した早寝早起きで、まじめに暮らさなければ国際社会のなかで生きていけなかった。 自由はあることにはしたけれど、大事に押し入れのなかにしまいこんで、もっと健康になって、もっと豊かになったら使おうと決めていたのね。 ひとりでは立っていられない人を救うために、日本人は支え合うことを学んだ。 いつからそうなのか判らないし、詮索しても、たいした意味はない。 周りの人間の気持ちを忖度して、自分には言いたいことがあっても、周りの人間が不快がるようなことは言わない、独特の文化を身につけた。 周りの人間を不快にしない、というのは文明社会の普遍的条件におもえるが、目を近づけると、はっきりと異なっている。 イギリス人は、周りの空気を精密に読んで、その上で、冗談として、あるいは「サーカズム」として、自分の言いたいことをズバッと言うことに長けている。 タイミングと機知、がコツなので、フランス人のように同じ人間同士が、毎朝、まったく同じ「なぜおまえはテラスから花の水を傍若無人に捨てるのか」という事柄について、同じ調子の、同じ罵り言葉で、まるで録画を繰り返し再生するように喧嘩する、ということがないのは、数少ないイギリス人にはあって大陸人にはない「芸」なのであると思う。 「個人」を社会のために変形させてみせる、ということが英語人にはどうしても出来ないからで、良い悪いよりも、天性なのだと考える。 その反対に異口同音に同じことを述べ立てるのは、たとえ叫喚の内容が、この上なく正しくても、なにがなし、下品であると感じる。 これも、考えたうえで「下品である」と判定しているわけではなくて、やはり自動的な反応と言うほかはない。 いつか成田空港で降りたら、いくつかの便が同時に着いたのでしょう、たくさんの人が入国審査に並ぶところで、相変わらずマヌケな調子でのんびり歩いているぼくを押しのけるようにして、怒濤のように駈けて、たくさんの日本人が追い抜いていく。 日本の人はせっかちだが、嫌だというほどのことはなくて、 混んでるときはいつものことで、ああ日本に来たなあ、と思ったが、そのときは、ちょっとおもしろいことがあって、眼の前にいる60代くらいの男の人が、「たいへんだ!たいへんだ!」と叫んでいる。 のみならず、後ろを振り返って、「おおーい、みんな、えらいことだ。たいへんだぞ!」と伝えている。 目が血走っているので、「なにか、たいへんなんですか?」と訊いてみると、「なにか、って、あんた、見りゃわかるだろう、たいへんな人じゃないか」と吐き捨てるように言うと、ひとりごとのように「こりゃあ、たいへんだ」と言う。 失礼にも笑ってしまったので、見えないように横を向かなければならなかった。 血がわきたって、交感神経の電圧があがりまくって、アドレナリンが体中を駆け巡っている。 日本語インターネット名物で、口汚く罵りあいを繰り返すひとたちも、この「たいへんだオジサン」と同じで、実際には、ときどきのアドレナリン噴射を愉しんでいるだけなのではなかろーか、とよく考える。 議論だ、反論だ、安倍はけしからん、いやいや、あんたこそなんでもかんでも安倍に反対でけしからん、リフレです。 えっ?リフレインじゃないの? デフレがサヨクなのは、どうかと思う。 ほんとうは、どうでもよくて、アドレナリンと交感神経が主題なので、あとのことは二の次なのかも知れません。 それで英語世界のほうが良いと思っているのかというと、そんなことはあるわけがなくて、生まれてこのかた、ずっと住んでいる英語世界に飽きているから日本語という魔術的な言語を習得したりしているので、こちらはこちらで、もうテキトーでいいや、というか、そんなにぼくの直ぐ側に立たんでくれ、というか、きみの魂の口臭はたまらんというかで、うんざりしているのだけど、英語圏での陰影を日本語で描いても仕方がないので、あるいは、日本語で英語の陰影を適切に述べられるわけはないので、ほっぽらかしにしてあるだけのことである。 こちらの計算では、だいたい26歳くらいまでに英語圏への借りは返したので、貸借表に異議があれば、あとでコンテストして欲しいが、もうお許しを願って、あとはまあ、勝手にやってください、と感じている。 その英語世界での成り行きに照合して、自分が日本人ならば、もうそろそろ社会におけるお役目を降りて、物入れからスーツケースをだして、大事なものだけを詰めて、コロコロと舗道をころがして、成田へ向かう潮時である。 2011年3月11日から一年くらいのあいだのどこかで、社会の奥の集団の闇のようなところで、鍵が開くような小さな硬い音がして、なにかが決定的に変わってしまったので、日本語世界全体が、なんだか軽躁なだけの場所になってしまった。 「たいへんだオジサン」の国になってしまったのだと思う。 さあー東京オリンピックだ。 さあああーアベノミクスだ。 … Continue reading

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医師になることが人生の保障になると思う人は、どうかしている、と前にも書いた。 枚挙的なことが嫌いな、哲学に向いた 若い人間にとって医学を勉強するのは地獄だろう。 医学に向かない人間が医師になる場合、取り得る道はふたつしかない。 自分の最善の友人たる自分自身に別れを告げて医師という社会的存在の仮面をかぶって、自分とは違うものになりおおせるか、医師であることをやめるか。 あんた、当たり前のことを言うのはいいかげんにしてくれ、と言われそうだが、人間には職業に対してさえ向き不向きがある。 医師としては、やることなすことダメで、おまえは人を殺す気か、とまで言われた若者が、歴史学に変わったとたん、別人になって、というよりも、本人と思わぬ邂逅をはたして、到底誰にも到達できない深い洞察を示す、というようなことはざらにある。 歴史は、そういう人間を必要とするので、もちろん社会の側もその能力に対して支払いをする。 エルウィン・ロンメルのように軍事的才能に恵まれる、という不思議な才能の持ち主まで存在する。 ロンメルは「イギリス人は頭が良い民族であるはずなのに戦場においては、どうしてこんなにバカなのだろう?」と真摯な疑問を記しているが、イギリス人がバカだったのではなくて、ロンメルが天才だったのである。 戦略はもちろん、局地戦闘においてまでロンメルは、ただ呼吸をするように易々とアイデアを生み出した。 迂回する。 ほら、ここにフランキングできる突出部ができる。 きみはなにを見ているんだ、ほら、この突出部をフランキングしてちぎり取ってしまえば、もっと遙かに巨大なバルジが、ここに現れるではないか。 三日でやれば空軍の優位とともに進めるだろう。 歩兵を伴わなければいいんだよ。 教科書どおりにものごとをすすめるのは愚か者のやることだ。 ロンメルはそういう調子で数倍の戦力をもつ連合軍を、翻弄して打ち砕いた。 軍事的才能はなかったが、軍事的才能を見分ける能力は十分すぎるほど持っていたウインストン・チャーチルは、破天荒にも、この敵国の将軍を激賞した。 ドストエフスキーは長編小説「賭博者」をたった半日で書いた。 大負けに負けたカシノから、日本語では「付け馬」という、負けの借金を取り立てる強面のおっさんが家までついてきていたからです。 ウソをついていた彼は、どうやっても書くのに一週間はかかる小説を一日で書いてしまわなければならなかった。 切羽詰まったドストエフスキーの「名案」は、世界で初めて口述筆記で小説を書くことで、ドストエフスキーは、このとき口述された言葉を紙の上の言葉に変えていった、知的な敏捷さをもった女のひとと結婚することになる。 ロンメルもドストエフスキーも、軍人・小説家という職業がこの世に存在しなければ、ただの凡人だったに違いない人達です。 それどころか、ドストエフスキーに到っては刑務所で一生を終えるひとだったでしょう。 職業が多岐にわたる現代では「ホットドッグをたくさん食べられる」という職業的な能力も存在して、身長173cm、体重58kgの日本人小林尊という人は「ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権」で6連覇することによって高収入を獲得することになった。 日本での評判と北米での評判を見比べてみると、どうやら、海外での評判のほうが高いようで、「大食いをスポーツに変えた」伝説の人として、空手における大山倍達というか、カンフーにおけるブルース・リーというか、そのくらいの声望はあるひとのようです。 ほかに大した能力がなくても、親が有名な人物で、他人にちやほやされるのが上手だ、という才能だけで食べている人びともいて、パリス・ヒルトンやニコール・リッチーのような異能のひともいれば、もっと親が有名な政治家だというだけで、本人にはこれといった能力がなくても、一国をとりしきる職業についている安倍晋三や麻生太郎のような人もいる。 どの人も、通常の見地からは、それがどんな才能なのか、うまく可視的に見えてこない点で、強い言葉でいえば「あぶく」のような才能にしかみえないが、もう働かなくてもいいくらい高収入をあげているので、やはりおのおのの不思議な職業について才能があるのでしょう。 このあいだの「反サバイバル講座」について、宮前ゆかりという、いいとしこいて不良な上に正義漢の人が「呼ばれた方向に行けばいいんだよね」と述べている https://twitter.com/MiyamaeYukari/status/563768414276042752 その通りで、むかしは神様が呼んでくれたが、いまは神様は昏倒しているので、うまく「遠くから自分を呼ぶ微かな声」が聞こえる場所に自分を運んで、「正しい」ことをおおきな声で絶叫するひとびとや、言わずもがなの正義の合唱の向こう側から、途切れ途切れに自分を呼んでいる声に耳を傾けなければならない。 冬の夜、窓際の椅子に座って、どこへ行くという宛てもなさそうなベンキョーのあいまに、霜が付いた窓を開けて、オレンジ色の街灯がともった町を見ている。 クルマのエンジンの音がして、クルマのブレーキの音がして、酔っ払いが夜空に向けて叫ぶ意味のない叫び声や、救急車が走ってゆく音がして、いま聞こえたのは女の悲鳴ではなかったかときみを緊張させる。 夜更けの町の騒音のあいまから、低い、小さな声で、泣いている声がする。 きみは、びっくりして聞こえるはずのない「泣いている声」の方角に眼をこらしてみる。 朝になれば、きっと忘れてしまうが、そのときに聞こえたすすり泣く声は、ほんとうの声で、戦場になった自分の町で殺された母親が息子にとりすがって泣く声や、両親を失った幼い子供が毛布の下で声を殺して泣く声、 あるいは、競争の激しい社会で、どうすれば学歴もなにもない自分が生きていけるというのだろう、と怯える若者が流す涙や、自分には一生と言えるほどのものはなかったと考えながら死に臨んでいる老いた男の頬を伝う涙、 きみがたしかに聴いたと思ったあのときのすすり泣く声は、現実の声で、きみの心が世界に向かって開いた瞬間に、きみの心にとどいてしまったのだと思う。 その声がおおきくなる方角へ歩いていくのが良い。 … Continue reading

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反サバイバル講座

時間をつくりだすことは未来をつくりだすことと同義であるのは、いろいろな人が述べている。 若いときには「食べられればいい」と思うのがふつうで、食べることができれば、あとはどうでもいいです、という態度も、じゅうぶん許容できる態度であるとおもう。 ここからは、とんでもないことを書く。 いつもは「公約数的なきみ」を想像しながら書いているが、今日はそうではないからです。 日本では「柴戸を閉め庵を閉じて」暮らすという。 無責任おじさんたちがボロボロにしてしまった、いまの日本に住んでいるとしたら、そうしてぼくが20代の日本人であるとしたら、案外、世界をシャットアウトして暮らすかも知れない。 それでは食べられないではないですか、と訊かれたら、人間がヤケクソになって餓死できるかどうかやってみる、と応えるのでなかろうか。 戦争が終わったとき、坂口安吾は「堕落論」を書いて、「堕ちるところまで堕ちてみればいいのだ」と書いたが、このジャーナリスティックな才能があった作家は、人間性について誤解していて、いったん堕ちてみれば、堕ちていく底などというものはなくて、フリーフォールで、人間の堕落には「底」などはないのは、ロンドンやマンハッタンの普通の人間は足を踏み入れない場所に行ってみればすぐに納得される。 たったいまの、この世界でも、一切れのパンのために身体を売り、わずかな白い粉のために這いつくばって相手の性器をよろこんで口に含む男達などは掃いて捨てるほどいて、人間でなくなってもまだ堕落の先があることなどは、坂口安吾のような終生職業とともにある人生しかしらなかった人には想像がつかなくても、場末の街角では、ほとんど常識にあたることなのだと思う。 そういうことをすべて承知したうえで、物質世界の思惑などは捨ててしまう、という選択は常にある。 日本でこれをやると、まず初めに電気が止まるそうです。 床に寝っ転がって、「荘子」を読んでいると、ざっざっざっ、という作業靴特有の堅実な重い音がして、ガンガンガンと階段をあがってくる音がする。 バチッという音がして、電気が切れて、本を読もうにも読めなくなる。 冷蔵庫が冷気を失って、なかのものが室温に近づいていく。 それから電話が切れたそうです。 このひとの話は、ずっとむかし、携帯電話など存在しなかったころの話なので、いまの参考にはならないが、電話がかかってくると、向こうの声は聞こえるが、こちらの声は聞こえない。 そのまま、ほうっておくと、向こうの声も聞こえなくなったものであるらしい。 だいたい3ヶ月くらい請求を放置しておくとそうなる。 ガスがとまる。 感心なことに、日本社会においては水道はなまなかなことでは止まらない。 水が飲めなくなると死んでしまうからで、ぼくなどは、その話を聴いたときに、なにがなし、日本社会の「やさしさ」のようなものを感じて、感動した。 食べ物がなくなって、初めに起きたことは「胃がよくなった」というので笑ってしまった。 なにしろ、酒が買えないからね。 胃が健全になる。 3日くらいも食べないでいると、いよいよ「荘子」を読んで胡蝶の夢に耽ってばかりもいられないので、へろへろになりながら外に出てみると、よほど青い顔をしていたのでしょう、挨拶するくらいの付き合いしかなかった隣のおばちゃんが牡蠣フライをご馳走してくれた。 本能が働いて、牡蠣フライのカロリーが残っているうちに外へでていった。 結局、このひとは、このあとどうなるかというと、日雇いの土方から始まって、バイトに出て、自分のねぐらから半径5キロ以内で暮らすだけのひとであったのに、オーストラリアを経てアメリカへ移住してしまうが、それはともかく、別に堕落する必要はなくて、ヤケクソになってしまうと、意外と自分でやるべきことを自動的におこなうものであるらしい。 自殺衝動をもたなかった、このひとは、「もう死んでもいいから」と何度も頭のなかで考えたそうで、生きていけるなら死んでもいい、また電気がついて、ガスが使えるようになるなら死んでもいい (^^; と唱えながら、 「でも、なんにもないって、案外しあわせなんだよねー」と述べていた。 会社に入ろうとは、到頭いちども考えなかったようで、理由をたずねたら、なんとなく、それだけはやると終わりのような気がした、という答えだった。 突然、へんなことを言うと、人間が人間として生きていくためにゆいいつ必要なことは「集団と一緒に歩いていかないこと」で、これは絶対の決まりである。 前にも述べたが天然の災害のときですら、他の大勢の人間が逃げてゆく方向に逃げていけば、死ぬ確率は遙かに高くなる 生き残ったところで、企業なり社会なり国家なり、おおきな集団の「部分」としてでしょう。 きみが生き残るということの意味は、社会の側から世界を観ないで、きみの視界の中心にきみが立っているということでなければならない。 社会などは、どうしても「二の次」でなければ、きみ自身の存在がゾンビみたいなものにしかすぎなくなってしまう。 そのときの感覚のよすがになるのは、考えが足りない若いときの無暗に「柴戸を閉め庵を閉じて」、世の中のことなんか知るけ、をしたときの感覚の記憶かもしれなくて、もっとも自棄的に見えた半年が、あるいはきみの一生を救うのかも知れません。 学習の皮肉は、たいていの場合、ハウトゥーのようなものは人の一生を救わず、現実の生活になんの役にも立たないことに打ち込むことだけが一生を根底から救済することで、この不思議な因果は、ずいぶん昔から、さまざまな人が書いている。 人間はそもそも得体の知れない生き物で、それを判ったかのように書いている人々は、みな酷いウソツキであると思う。 得体が知れないからこそ、人間と人生についての浅い計算に立ったハウトゥー本などは、まるでダメなので、なんとか方式で外国語を憶えた人の外国語などは、いずれ話してみると失笑するしかないようなもので、「最少の時間で成果を最大にする7つの習慣」や、「心配癖をなおせば思考は現実化する」かも知れなくても、ほんとうにほんとうの「ハウトゥー」は自分の安全をすべて投げてしまうことにしかない。 だから必死につくりだした時間で、自分の一生に金輪際役にたちそうもないベンキョーをすることは、意外や、自分を物理的に救うことでもあるのです。 … Continue reading

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崩れ落ちかけている橋をわたる

ロンドンで法廷弁護士を職業にしている友達の日常を観ていると、「やらなければならないこと」に優先順位をつけていって、20くらい「緊急な」仕事があると、そのうち3つくらいこなせればいいか、ということになっている。あとの17個は緊急なのにどうするのかというと「出来ないものは出来ないのだから仕方がない」という「居直り未決箱」にいれて家に帰る。 溺死寸前、というのが21世紀の人間の姿で、余裕で5時に仕事を終わって家に帰るほうは、今度は収入の面では、「ほんとにこれで食べていけるだろうか?」というところに留め置かれる。 日本がいまどうなのかは、ぼくがいるところからは見えない。 もともと日本とのつながりが、いま50代の義理叔父と、その友人からなる、この記事でずっと使っている呼び方でいえば「トーダイおじさん」たちくらいしかないからで、この人たちは、チョー楽というか、高給で、割とヒマをこいていて、リタイアしても、あれやこれや、月30万円くらいは年金があって、その上に株の配当や、自社株のストックオプションや、年収の話を聴いていると、3000万円くらいはあって、若い世代のビンボ話が出ても、「そりゃ、たいへんだねえ」という、上品だが、間の抜けた感想しかないもののようです。 だからいまどうなのかは、ちゃんと見えないが、インターネットいっぱいに広がっている、うめき声や、呪詛、なんとか苦境を笑いのめそうとする努力、というようなものを観ていると、事態は「たいへんだねえ」というような、のんびりしたものではありえなくて、一方、この「たいへんだねえ」が改善されれば、今度は英語圏型の、仕事能力はどう頑張っても、てんぱっても、30しかないのに、仕事量は100は優にある、という事態に移行していくだけに思われる。 実力型、競争型、生産性が低い人間は死ね方式にしないと、最早、どこの国であっても国が立ち行かないからで、アベノミクスなどと囃して、ナマケモノたちが、これいいな、絵に描いた餅うまそーじゃんで、机上の経済プランに浮かれているうちに、また解決が先にのびて、トーダイおじさんたちはいいだろうが、若い世代には、何トンという鋼鉄の塊のような負債を背負わせて、しっかり頑張ってね、ということになった。 アベノミクスと無責任おじさんたちが呼んで浮かれているものの正体は、ゴールドマンサックスのアナリストのご託宣を待たないでも、ただの通貨の減価による経済振興策で、それにカッコイイ名前をつけて、頭の弱い人間を踊らせて心理的効果を狙っただけのものである。 アベノミクスを個人の視点からではなく社会の側、全体経済の方角から「これって、いけないんですかね?」と言われて、「ダメですね」と言い切るには複雑なことを述べなければいけなくなるのは、そのせいで、日本が加工貿易国である以上、多くの設備投資が海外で行われていても、円が安くなれば、あたりまえだが、少なくとも円建ての業績は上昇する。 株価もあがる。 あー、株価あがったーと思ってぼんやり眺めているひとびとの財布から、オカネがどんどん出て行って、いまは、日銀によれば、実効貨幣価値だと、ついに70年代と同じになったそうだが、どのひともこのひともビンボになって、ただ日本の支配層が持っている株価だけが少なくとも円建てでは上昇して、通貨の減価分を補い、ついでに言うと日本と英語圏の決定的な違いは、たとえばアメリカ人はむかしから株が大好きで、スーパーの店員も、保険会社に勤める事務員も、どのひともこのひとも株式を保有していて、株価があがれば、あるいはデビデンは日本語ではなんだっけ、配当があがれば、潤って、空疎なバブルのオカネも社会に薄く広く広がっていくが、日本では株式保有者の名義が安倍であったり麻生であったり、たとえば鳩山家ならば別荘もブリジストン一家のすぐそばで、あの辺りは軽井沢でもなかなか良いところだが、ときどき散歩の途中で、ふと考えて、この軽井沢の森のなかに別荘があるひとたちだけで日本の株式の8割とかあるのではないか、と妄想したりした。 しかも株価がいくらあがったところで、ダメで、日本には新世代産業がない。 造船をやっていたころは、渡り行く先は自動車と家電と決めていて、トヨタ、ホンダ、マツダ、ソニー、パナソニック、日本は80年代は、「VCRと自動車の上に浮いている国」と言われていた。 その頃、ヨーロッパやアメリカから観た日本は「国家社会主義経済」であるというのが常識で、「おそるべきMITI」と渾名のついた通商産業省が司令塔で、ああだこうだ、おお、うんと言ってくれるなら、わし大蔵省に行って交渉してくるわ、で、官民一体、アメリカに対しても、勝てるもんなら勝ってみい、だったのは、アメリカはなにしろ、自由主義経済で、やることはてんでばらばら、集中力がなくて、だらしないというか、太平洋戦争で、あまりに統制がひどいので、日本軍将校は丘の上から敵を観望して、「おれがいって気合いをいれてやりたい」と考えたそうだが、それと同じことをアメリカの会社を観て考えたりしていた。 自動車と家電の次はコンピュータとインフラ輸出と決めていて、まぜ半導体で、ほんとうはスペースインベーダーのコピー機用にやくざに売りまくったのだが、そうでなくて、大型電算機に売ったことにしたメモリと、原子力発電やダム、地下鉄や高速道路の輸出で、はっはっは、左団扇、というのが官民の目論見で、ODAのような、実質日本企業に発注先が限定されていた、なんちゃって「援助」も恩着せがましい顔で、インフラをどんどん輸出するという国家社会主義経済の国でなければ出来ない離れ業だった。 そういう大規模な加工貿易の工業立国をやるには巨大な資金がなければ出来ないが、東芝を例にあげると、社名の東京芝浦電気は、東京電気と芝浦製作所が合併して出来たが、4年に一回、なぜかオリンピックの年にやってくるチップ相場の大波には東京電気が乗って狂ったように稼ぎ、残りの3年は芝浦製作所が騰がりくるう土地を売買して殆ど不動産会社にして稼ぐ、というふうにして巨大な会社の屋台骨を支えていた。 ホンダのような会社は政府も手伝って、「工場用地」をどんどんどんどん買いあさって、工場用地の選定の第一の基準は「土地の値段が騰がること」で、アメリカにおけるマクドナルドと同じ商売みたい、というか、価格が騰がった土地を担保にまた「工場用地」を買って、よく考えてみると不動産業だが、そうやって「技術の階段」を駆け上っていった。 ところが、バスケットがひとつだと危ないと数学は教えている。 国が強力に指示してミニコンを捨て、ワークステーションを捨てて、パソコン?あんた頭おかしいんちゃうか?あれはオモチャでしょうが、アップルIIでどうやって仕事するの?それともオカミにたてつくのか、で、大型電算機にいれこんで、あんたはここ、そこのあんたはこの会社と技術を盗むアメリカ側パートナーまで世話して、女衒みたいな下品さで、IBMスパイ事件を起こしたりしながら、資源を大型電算機に傾けていったが、これが大外しで、ありえないことに世の中はパーソナルコンピュータに向かって走っていってしまって、日本は渡ってゆく先の産業を失ってしまった。 しかも、ここまで書いたイメージではコンピュータのサイズのハードウエアの問題みたいだが、実はそうではなくて、もっと悪いことにパーソナルコンピュータはネットワークと一緒にやってきて、日本の産業社会には、これがパラダイムシフトで、社会の土台ごと動く思想的な大跳躍であることが判らなかった。 幕末にアメリカに渡った日本人たちの最大の謎は百科事典で、「こんなになにもかもばらしてしまったら、アメリカの家元たちはどうやって稼ぐのだ」と訝しんだそうだが、もともと「シェアする」という考えがなかったことが原因のひとつだと思うが、情報伝達の速度を極限まで速くして、組織の形態のほうを集散を簡単に行えるようにする、という発想は、到頭最後まで理解されなかった。 もうひとつITのパラダイムシフトが起きることを邪魔したのは、日本の「民主主義」への、いまでは英語世界には知られた誤解で、日本では民主主義的手続きは「全員が納得するまでよく話しあうこと」なのである。 よく考えてみなくても、これは全体主義そのもので、しかも全体主義であるのに決定に時間がかかるぶんだけ間が抜けているが、幕末の老中会議などを観ると、どうやら、日本人の体質的な決定方法で、伝統的な合議方法が民主主義の意匠を着た結果、そうなったもののようでした。 モニさんが帰ってくるので、今日はもうこの辺でやめようと思うが、「アベノミクス以外にありえないのではないか」と述べる人は、要するにただのナマケモノで、テキトーをこきながら社会に寄生してきたひとたちであると思う。 観ていても、なんだか「努力」ということを知らない人が多くて、たとえば大学で十数年訓練した初めてできることを、「3ヶ月やってみたら出来ました」というようなことを平然と述べる。 「大学みたいなところは、それだけ機関として出来が悪いから」という。 ま、大学などは阿片窟みたいなものなので、それはそうなのかも知れないが、いくらなんでも、そこまでひどくはない、自惚れてはいけません、自信過剰はカッコワルイぞ、と思う。 日本では首相も、そういうところがなくはなくて、なあああんとなく腰が座らずにそわそわして、眼が、どっかヘンなところに焦点を結んでいて、情勢の説明に行くと、携帯をいじりながら、あっ、そう、じゃ、もう適当にスピーチつくるしかないんじゃないの? と述べていそうなところがある。 なんだか言葉が、つるりん、と上滑りしている。 1949年に日本にやってきたジョゼフ・ドッジは、「日本の経済は両足を地につけていず、竹馬にのっているようなものだ」と述べた。 片方はアメリカの経済援助、もう片方は国内の補助金制度だというのです。 このジョゼフ・ドッジが日本に押しつけた経済政策によって戦後のハイパーインフレは収まったが、ドッジ不況がおこり、株価は85.25円までさがって、日本人はひどい耐乏生活を強いられた。 その耐乏生活は、しかし、その後の高度成長の準備にもなった。 日本社会の「緊縮政策嫌い」は、もしかしたら、そのヘンの記憶にあるのかなー、と思うが、 いまは浮かれても、アベノミクスではやはりダメで、結局は、誰がなにを言っても、もういちど富の分配を見直して、富裕層からオカネをもぎとり、若い層にオカネを移転しながら、アベノミクスの失敗でオカネをつかいはたしたいまでは、耐乏生活に耐えながら、新産業を育てて行く以外には道がない。 最も「痛み」がある政策としては、やはり年金制度を廃止しなければ根太がぬけて、国ごと沈没するだろう。 たいへんなことだが、何度も繰り返しているとおり、いまの時代には、「めんどくさいから住む国を変える」という方法がある。 アベノミクスのようなケーハクに付き合って、ここまで国をボロボロにしたおっさんたちの汚いお尻をぬぐう(←ひどい表現)のが嫌ならば、さっさと国を出てしまえばいいので、このぶんだけは、むかしの、たとえば1930年代に生きていた若い衆に較べれば、国際社会が生んだ特権というか、人間が文明化したことによって生まれた特権というかがあって、「恵まれている」と言えば言えないことはない。 その特権も行使しなければ、それはそれで生き延びる道はあるに違いないが、もうすぐモニさんが帰ってくるので、どうやってサバイバルしていけばいいのかは、またこの次にしたいと思います。

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