崩れ落ちかけている橋をわたる

DSC01265

ロンドンで法廷弁護士を職業にしている友達の日常を観ていると、「やらなければならないこと」に優先順位をつけていって、20くらい「緊急な」仕事があると、そのうち3つくらいこなせればいいか、ということになっている。あとの17個は緊急なのにどうするのかというと「出来ないものは出来ないのだから仕方がない」という「居直り未決箱」にいれて家に帰る。

溺死寸前、というのが21世紀の人間の姿で、余裕で5時に仕事を終わって家に帰るほうは、今度は収入の面では、「ほんとにこれで食べていけるだろうか?」というところに留め置かれる。

日本がいまどうなのかは、ぼくがいるところからは見えない。
もともと日本とのつながりが、いま50代の義理叔父と、その友人からなる、この記事でずっと使っている呼び方でいえば「トーダイおじさん」たちくらいしかないからで、この人たちは、チョー楽というか、高給で、割とヒマをこいていて、リタイアしても、あれやこれや、月30万円くらいは年金があって、その上に株の配当や、自社株のストックオプションや、年収の話を聴いていると、3000万円くらいはあって、若い世代のビンボ話が出ても、「そりゃ、たいへんだねえ」という、上品だが、間の抜けた感想しかないもののようです。

だからいまどうなのかは、ちゃんと見えないが、インターネットいっぱいに広がっている、うめき声や、呪詛、なんとか苦境を笑いのめそうとする努力、というようなものを観ていると、事態は「たいへんだねえ」というような、のんびりしたものではありえなくて、一方、この「たいへんだねえ」が改善されれば、今度は英語圏型の、仕事能力はどう頑張っても、てんぱっても、30しかないのに、仕事量は100は優にある、という事態に移行していくだけに思われる。

実力型、競争型、生産性が低い人間は死ね方式にしないと、最早、どこの国であっても国が立ち行かないからで、アベノミクスなどと囃して、ナマケモノたちが、これいいな、絵に描いた餅うまそーじゃんで、机上の経済プランに浮かれているうちに、また解決が先にのびて、トーダイおじさんたちはいいだろうが、若い世代には、何トンという鋼鉄の塊のような負債を背負わせて、しっかり頑張ってね、ということになった。
アベノミクスと無責任おじさんたちが呼んで浮かれているものの正体は、ゴールドマンサックスのアナリストのご託宣を待たないでも、ただの通貨の減価による経済振興策で、それにカッコイイ名前をつけて、頭の弱い人間を踊らせて心理的効果を狙っただけのものである。

アベノミクスを個人の視点からではなく社会の側、全体経済の方角から「これって、いけないんですかね?」と言われて、「ダメですね」と言い切るには複雑なことを述べなければいけなくなるのは、そのせいで、日本が加工貿易国である以上、多くの設備投資が海外で行われていても、円が安くなれば、あたりまえだが、少なくとも円建ての業績は上昇する。
株価もあがる。

あー、株価あがったーと思ってぼんやり眺めているひとびとの財布から、オカネがどんどん出て行って、いまは、日銀によれば、実効貨幣価値だと、ついに70年代と同じになったそうだが、どのひともこのひともビンボになって、ただ日本の支配層が持っている株価だけが少なくとも円建てでは上昇して、通貨の減価分を補い、ついでに言うと日本と英語圏の決定的な違いは、たとえばアメリカ人はむかしから株が大好きで、スーパーの店員も、保険会社に勤める事務員も、どのひともこのひとも株式を保有していて、株価があがれば、あるいはデビデンは日本語ではなんだっけ、配当があがれば、潤って、空疎なバブルのオカネも社会に薄く広く広がっていくが、日本では株式保有者の名義が安倍であったり麻生であったり、たとえば鳩山家ならば別荘もブリジストン一家のすぐそばで、あの辺りは軽井沢でもなかなか良いところだが、ときどき散歩の途中で、ふと考えて、この軽井沢の森のなかに別荘があるひとたちだけで日本の株式の8割とかあるのではないか、と妄想したりした。

しかも株価がいくらあがったところで、ダメで、日本には新世代産業がない。
造船をやっていたころは、渡り行く先は自動車と家電と決めていて、トヨタ、ホンダ、マツダ、ソニー、パナソニック、日本は80年代は、「VCRと自動車の上に浮いている国」と言われていた。
その頃、ヨーロッパやアメリカから観た日本は「国家社会主義経済」であるというのが常識で、「おそるべきMITI」と渾名のついた通商産業省が司令塔で、ああだこうだ、おお、うんと言ってくれるなら、わし大蔵省に行って交渉してくるわ、で、官民一体、アメリカに対しても、勝てるもんなら勝ってみい、だったのは、アメリカはなにしろ、自由主義経済で、やることはてんでばらばら、集中力がなくて、だらしないというか、太平洋戦争で、あまりに統制がひどいので、日本軍将校は丘の上から敵を観望して、「おれがいって気合いをいれてやりたい」と考えたそうだが、それと同じことをアメリカの会社を観て考えたりしていた。

自動車と家電の次はコンピュータとインフラ輸出と決めていて、まぜ半導体で、ほんとうはスペースインベーダーのコピー機用にやくざに売りまくったのだが、そうでなくて、大型電算機に売ったことにしたメモリと、原子力発電やダム、地下鉄や高速道路の輸出で、はっはっは、左団扇、というのが官民の目論見で、ODAのような、実質日本企業に発注先が限定されていた、なんちゃって「援助」も恩着せがましい顔で、インフラをどんどん輸出するという国家社会主義経済の国でなければ出来ない離れ業だった。

そういう大規模な加工貿易の工業立国をやるには巨大な資金がなければ出来ないが、東芝を例にあげると、社名の東京芝浦電気は、東京電気と芝浦製作所が合併して出来たが、4年に一回、なぜかオリンピックの年にやってくるチップ相場の大波には東京電気が乗って狂ったように稼ぎ、残りの3年は芝浦製作所が騰がりくるう土地を売買して殆ど不動産会社にして稼ぐ、というふうにして巨大な会社の屋台骨を支えていた。
ホンダのような会社は政府も手伝って、「工場用地」をどんどんどんどん買いあさって、工場用地の選定の第一の基準は「土地の値段が騰がること」で、アメリカにおけるマクドナルドと同じ商売みたい、というか、価格が騰がった土地を担保にまた「工場用地」を買って、よく考えてみると不動産業だが、そうやって「技術の階段」を駆け上っていった。

ところが、バスケットがひとつだと危ないと数学は教えている。
国が強力に指示してミニコンを捨て、ワークステーションを捨てて、パソコン?あんた頭おかしいんちゃうか?あれはオモチャでしょうが、アップルIIでどうやって仕事するの?それともオカミにたてつくのか、で、大型電算機にいれこんで、あんたはここ、そこのあんたはこの会社と技術を盗むアメリカ側パートナーまで世話して、女衒みたいな下品さで、IBMスパイ事件を起こしたりしながら、資源を大型電算機に傾けていったが、これが大外しで、ありえないことに世の中はパーソナルコンピュータに向かって走っていってしまって、日本は渡ってゆく先の産業を失ってしまった。

しかも、ここまで書いたイメージではコンピュータのサイズのハードウエアの問題みたいだが、実はそうではなくて、もっと悪いことにパーソナルコンピュータはネットワークと一緒にやってきて、日本の産業社会には、これがパラダイムシフトで、社会の土台ごと動く思想的な大跳躍であることが判らなかった。

幕末にアメリカに渡った日本人たちの最大の謎は百科事典で、「こんなになにもかもばらしてしまったら、アメリカの家元たちはどうやって稼ぐのだ」と訝しんだそうだが、もともと「シェアする」という考えがなかったことが原因のひとつだと思うが、情報伝達の速度を極限まで速くして、組織の形態のほうを集散を簡単に行えるようにする、という発想は、到頭最後まで理解されなかった。

もうひとつITのパラダイムシフトが起きることを邪魔したのは、日本の「民主主義」への、いまでは英語世界には知られた誤解で、日本では民主主義的手続きは「全員が納得するまでよく話しあうこと」なのである。
よく考えてみなくても、これは全体主義そのもので、しかも全体主義であるのに決定に時間がかかるぶんだけ間が抜けているが、幕末の老中会議などを観ると、どうやら、日本人の体質的な決定方法で、伝統的な合議方法が民主主義の意匠を着た結果、そうなったもののようでした。

モニさんが帰ってくるので、今日はもうこの辺でやめようと思うが、「アベノミクス以外にありえないのではないか」と述べる人は、要するにただのナマケモノで、テキトーをこきながら社会に寄生してきたひとたちであると思う。
観ていても、なんだか「努力」ということを知らない人が多くて、たとえば大学で十数年訓練した初めてできることを、「3ヶ月やってみたら出来ました」というようなことを平然と述べる。
「大学みたいなところは、それだけ機関として出来が悪いから」という。
ま、大学などは阿片窟みたいなものなので、それはそうなのかも知れないが、いくらなんでも、そこまでひどくはない、自惚れてはいけません、自信過剰はカッコワルイぞ、と思う。
日本では首相も、そういうところがなくはなくて、なあああんとなく腰が座らずにそわそわして、眼が、どっかヘンなところに焦点を結んでいて、情勢の説明に行くと、携帯をいじりながら、あっ、そう、じゃ、もう適当にスピーチつくるしかないんじゃないの?
と述べていそうなところがある。
なんだか言葉が、つるりん、と上滑りしている。

1949年に日本にやってきたジョゼフ・ドッジは、「日本の経済は両足を地につけていず、竹馬にのっているようなものだ」と述べた。
片方はアメリカの経済援助、もう片方は国内の補助金制度だというのです。

このジョゼフ・ドッジが日本に押しつけた経済政策によって戦後のハイパーインフレは収まったが、ドッジ不況がおこり、株価は85.25円までさがって、日本人はひどい耐乏生活を強いられた。

その耐乏生活は、しかし、その後の高度成長の準備にもなった。

日本社会の「緊縮政策嫌い」は、もしかしたら、そのヘンの記憶にあるのかなー、と思うが、
いまは浮かれても、アベノミクスではやはりダメで、結局は、誰がなにを言っても、もういちど富の分配を見直して、富裕層からオカネをもぎとり、若い層にオカネを移転しながら、アベノミクスの失敗でオカネをつかいはたしたいまでは、耐乏生活に耐えながら、新産業を育てて行く以外には道がない。
最も「痛み」がある政策としては、やはり年金制度を廃止しなければ根太がぬけて、国ごと沈没するだろう。

たいへんなことだが、何度も繰り返しているとおり、いまの時代には、「めんどくさいから住む国を変える」という方法がある。
アベノミクスのようなケーハクに付き合って、ここまで国をボロボロにしたおっさんたちの汚いお尻をぬぐう(←ひどい表現)のが嫌ならば、さっさと国を出てしまえばいいので、このぶんだけは、むかしの、たとえば1930年代に生きていた若い衆に較べれば、国際社会が生んだ特権というか、人間が文明化したことによって生まれた特権というかがあって、「恵まれている」と言えば言えないことはない。

その特権も行使しなければ、それはそれで生き延びる道はあるに違いないが、もうすぐモニさんが帰ってくるので、どうやってサバイバルしていけばいいのかは、またこの次にしたいと思います。

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

2 Responses to 崩れ落ちかけている橋をわたる

  1. Yamakawa says:

    何となく就活を始めている学生です
    このままでいいとは思わないけど、何をどうすればいいのかわからない、
    そんな日本の若者は僕を含めとても多いと思います。
    そんな僕たちにこのブログは思考の補助線を与えてくれていると思います。
    こんなことを知っている、そして話してくれる大人なんて身の回りにいませんから。

    海外に出ることにはとても興味がありますが、
    裸一貫でどうやってお金を稼いでキャリアを作っていくべきか
    どうやってラットレースを抜け出すヒントを自分なりに見つけられるか
    そんな心配をついしてしまいます
    サバイバル編を読むことを楽しみにしております

  2. misho104 says:

    なるほど,モニさんが帰ってくるんですね。

コメントをここに書いてね書いてね

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s