反サバイバル講座

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時間をつくりだすことは未来をつくりだすことと同義であるのは、いろいろな人が述べている。
若いときには「食べられればいい」と思うのがふつうで、食べることができれば、あとはどうでもいいです、という態度も、じゅうぶん許容できる態度であるとおもう。

ここからは、とんでもないことを書く。
いつもは「公約数的なきみ」を想像しながら書いているが、今日はそうではないからです。

日本では「柴戸を閉め庵を閉じて」暮らすという。
無責任おじさんたちがボロボロにしてしまった、いまの日本に住んでいるとしたら、そうしてぼくが20代の日本人であるとしたら、案外、世界をシャットアウトして暮らすかも知れない。
それでは食べられないではないですか、と訊かれたら、人間がヤケクソになって餓死できるかどうかやってみる、と応えるのでなかろうか。

戦争が終わったとき、坂口安吾は「堕落論」を書いて、「堕ちるところまで堕ちてみればいいのだ」と書いたが、このジャーナリスティックな才能があった作家は、人間性について誤解していて、いったん堕ちてみれば、堕ちていく底などというものはなくて、フリーフォールで、人間の堕落には「底」などはないのは、ロンドンやマンハッタンの普通の人間は足を踏み入れない場所に行ってみればすぐに納得される。

たったいまの、この世界でも、一切れのパンのために身体を売り、わずかな白い粉のために這いつくばって相手の性器をよろこんで口に含む男達などは掃いて捨てるほどいて、人間でなくなってもまだ堕落の先があることなどは、坂口安吾のような終生職業とともにある人生しかしらなかった人には想像がつかなくても、場末の街角では、ほとんど常識にあたることなのだと思う。

そういうことをすべて承知したうえで、物質世界の思惑などは捨ててしまう、という選択は常にある。

日本でこれをやると、まず初めに電気が止まるそうです。
床に寝っ転がって、「荘子」を読んでいると、ざっざっざっ、という作業靴特有の堅実な重い音がして、ガンガンガンと階段をあがってくる音がする。
バチッという音がして、電気が切れて、本を読もうにも読めなくなる。
冷蔵庫が冷気を失って、なかのものが室温に近づいていく。

それから電話が切れたそうです。
このひとの話は、ずっとむかし、携帯電話など存在しなかったころの話なので、いまの参考にはならないが、電話がかかってくると、向こうの声は聞こえるが、こちらの声は聞こえない。
そのまま、ほうっておくと、向こうの声も聞こえなくなったものであるらしい。
だいたい3ヶ月くらい請求を放置しておくとそうなる。

ガスがとまる。
感心なことに、日本社会においては水道はなまなかなことでは止まらない。
水が飲めなくなると死んでしまうからで、ぼくなどは、その話を聴いたときに、なにがなし、日本社会の「やさしさ」のようなものを感じて、感動した。

食べ物がなくなって、初めに起きたことは「胃がよくなった」というので笑ってしまった。
なにしろ、酒が買えないからね。
胃が健全になる。

3日くらいも食べないでいると、いよいよ「荘子」を読んで胡蝶の夢に耽ってばかりもいられないので、へろへろになりながら外に出てみると、よほど青い顔をしていたのでしょう、挨拶するくらいの付き合いしかなかった隣のおばちゃんが牡蠣フライをご馳走してくれた。

本能が働いて、牡蠣フライのカロリーが残っているうちに外へでていった。

結局、このひとは、このあとどうなるかというと、日雇いの土方から始まって、バイトに出て、自分のねぐらから半径5キロ以内で暮らすだけのひとであったのに、オーストラリアを経てアメリカへ移住してしまうが、それはともかく、別に堕落する必要はなくて、ヤケクソになってしまうと、意外と自分でやるべきことを自動的におこなうものであるらしい。

自殺衝動をもたなかった、このひとは、「もう死んでもいいから」と何度も頭のなかで考えたそうで、生きていけるなら死んでもいい、また電気がついて、ガスが使えるようになるなら死んでもいい (^^; と唱えながら、
「でも、なんにもないって、案外しあわせなんだよねー」と述べていた。
会社に入ろうとは、到頭いちども考えなかったようで、理由をたずねたら、なんとなく、それだけはやると終わりのような気がした、という答えだった。

突然、へんなことを言うと、人間が人間として生きていくためにゆいいつ必要なことは「集団と一緒に歩いていかないこと」で、これは絶対の決まりである。
前にも述べたが天然の災害のときですら、他の大勢の人間が逃げてゆく方向に逃げていけば、死ぬ確率は遙かに高くなる

生き残ったところで、企業なり社会なり国家なり、おおきな集団の「部分」としてでしょう。
きみが生き残るということの意味は、社会の側から世界を観ないで、きみの視界の中心にきみが立っているということでなければならない。
社会などは、どうしても「二の次」でなければ、きみ自身の存在がゾンビみたいなものにしかすぎなくなってしまう。

そのときの感覚のよすがになるのは、考えが足りない若いときの無暗に「柴戸を閉め庵を閉じて」、世の中のことなんか知るけ、をしたときの感覚の記憶かもしれなくて、もっとも自棄的に見えた半年が、あるいはきみの一生を救うのかも知れません。

学習の皮肉は、たいていの場合、ハウトゥーのようなものは人の一生を救わず、現実の生活になんの役にも立たないことに打ち込むことだけが一生を根底から救済することで、この不思議な因果は、ずいぶん昔から、さまざまな人が書いている。

人間はそもそも得体の知れない生き物で、それを判ったかのように書いている人々は、みな酷いウソツキであると思う。

得体が知れないからこそ、人間と人生についての浅い計算に立ったハウトゥー本などは、まるでダメなので、なんとか方式で外国語を憶えた人の外国語などは、いずれ話してみると失笑するしかないようなもので、「最少の時間で成果を最大にする7つの習慣」や、「心配癖をなおせば思考は現実化する」かも知れなくても、ほんとうにほんとうの「ハウトゥー」は自分の安全をすべて投げてしまうことにしかない。

だから必死につくりだした時間で、自分の一生に金輪際役にたちそうもないベンキョーをすることは、意外や、自分を物理的に救うことでもあるのです。

たったひとりで、命綱もなしに、降りていった意識の井戸の底で、きみは意外なものに出会うと思う。
その驚きが、結局は一生を支えきってしまう、ということも、よくあることなのだと思います。

暗がりに耐えさえすれば。

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4 Responses to 反サバイバル講座

  1. masako says:

    できれば消さないでください。
    この記事が必要な人達ががめさんが思っているよりずっとたくさんいるから。
    今までも。これからも。

    お願いします。

  2. umako says:

    こんにちは
    わたしは将来の計画なんていつもありませんでした。今もありません。なにも未来のことなんて設定できなかったからです。だけど周りをみれば、皆ある程度設定していたし(そう見えたし)、親や教師からは若いうちから将来の計画を立てておいた方が就職に有利になると、繰返し聞かされてきました。いつも調査書に適当に嘘を書いてやり過ごしていましたが、(自分は向いてないなあ、二十歳になっても自分は生きてるんだろうか)と中学生の時よく思っていました。二十歳には少し前になってしまいました。
    わたしは親に甘えて生きています。とっくに成人しているのに生活するための衣食住のほとんどを頼って、だらしなく生活しています。一時期は引きこもりもしました。今の生活を捨てたいのに安全でいたくって、自分でも嫌になります。
    わたしの生活はどこにいっても暗がりのように思えます。どこからどこまでが暗がりか知りたくて、自分で歩く前に誰かに確かめて来てほしいと、卑怯で怠け者な自分が今のわたしです。
    それは、親や教師からすすめられたように親や教師が最善と思える安全な道を辿るのと全く一緒だと思うのにです。
    どうすればいいかわからないけれど、とにかく今の自分も自分のいる場所も離れたいと思います。わたしがわたし自身の力で進むためのものに出会えるように。出会えたらいいと思って。

  3. kano says:

    こんにちは。ガメさんの記事はどれも自分にとても近いことのような、限りなく遠いことのような不思議な気持ちになりながら読んでいますが、今度のこの記事はいまの自分にとても近いような気がしています。
    ガメさんはよく自分を幸せにしなければならないと言いますね。私は、本当に下らないことだけれど、復讐のために自分を不幸にしてやろうとよく考えます。何に対する復讐なのかは自分でもはっきりとはわからないけれど。こういう時は怒りに駆られながら山積みの宿題をしていた自分のことをよく思い出します。この記事の人は半分くらいそういう自分を不幸にする道を歩んでいった人だから身近に感じるのでしょうか。
    自分を幸せにするのは私にとってはとても勇気のいることです。ガメさんの文章はいつも私の知らないものを見せてくれて、幸せになるのもいいものかもしれないなと時折思ったりもします。特にモニさんについて書かれた文章が好きです。存在することも知らなかったような光が世界のどこかにあることを教えてくれてありがとう。こんなにのろのろしていては間に合わないかもしれないけれど、私ももらった光を闇の中で小さく守りながら進んでいけたらと思います。

  4. サクラダフミコ says:

    初めまして。
    ガメさんの文字がなんで惹き付けられるのか、忌野清志郎さんの言葉達を思い出すからでした。あったかくて、ストレートで好きです。
    日本語で書いてくれてとてもとてもありがとう。

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