追分(The Wind Rises )

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軽井沢から西へ国道18号線を走ってゆくと、だいたい15分くらいで追分に着く。
途中、バイパスと18号線の分岐がある。
この分岐があるところは、ちょうど獣道を横切るようになっていて、狐や狸、大物は鹿がよくクルマに轢殺されている。
追分のひとつ手前の町は大日向といって、もとは山梨県にあった。
山梨県にあった町が、なぜ長野県のこんなところに引っ越してきているのかというと、そもそも国策にしたがって、政府の勧誘にのった自治体が満州へと町ごと移転を勧めたからである。
町は、貧しい山梨県下の暮らしを捨てて、熱に浮かされたように満州へ移転し、1945年8月8日、ソ連軍の満州侵攻とともに、蹂躙され、生き残ったひとびとは日本に命からがら逃げ帰ってきた。

満州への勧誘時とは打って変わって冷淡な政府に相手にされず、大日向村が落ち着いたのは浅間山の麓の、痩せた土地の、冬には零下15度になる土地だった。
ぼくが軽井沢にいるあいだに欧州人の家族が浅間山の眺めを気に入って別荘を借りたが、近所のひとびとが打ち解けてくれないので諦めて佐久に移転した。
この欧州人の家族は大日向が長く地元のひとびとの拒絶にあって苦しんできたことを知らなかった。
「ガメ、あそこにはなぜ天皇が行幸してきた、という碑が建っているの?」と聞くので、天皇も戦後は人間を僭称するようになったので、申し訳ないことをした、と思ったのでしょう、と歴史をすべて省略して述べたら、
判ったような、ぜんぜん判らないような、そもそもなにを言われたのかとまどっているような、曖昧な顔をして頷いていた。
ああいうときに、ああいう曖昧で糢糊とした表情で頷くのは、欧州人が日本に長くいすぎたときの症状で、そろそろ彼らも日本滞在が長すぎるようになったのではないかと、こちらは、余計なことを考える。

アメリカビジネススクール仕込みの商売の抜け目なさで、団塊世代からこれでもかこれでもかと利益をまきあげる星野温泉の前から、道路をはいって、1000メートル道路を行く方法もあるが、18号線からあがれば、追分宿にはいって、豆腐店を右に曲がるとよい。
ほんとうは、そこでクルマを駐めて、森のなかへはいってゆくと、夥しい数の高さが3インチくらいの墓石がびっしりと並んでいる。
モニが、いったいこれはなんだ、と聞くので、
むかしこのあたりは売春街で、売春婦が肉体の酷使に耐えかねて死ぬと、寺の塀ごしに放り投げて、寺のほうは、ここにまとめて埋めたのさ、というと、
あっというまに涙ぐんでしまうので、しまった、言い方を工夫すればよかったとおもうが、もう遅い。

文学の散歩道と麗々しい看板がある小径を、歩いて、むかし「ノンちゃん雲に乗る」を書いた児童文学作家が住んでいた家のほうへ、黙って、重くなった気持を修復しながら歩いてゆくだけである。

追分のことを思い出したのは、日本のアマゾンに注文していたブルーレイが着いて、「風立ちぬ」を観たからだった。
この、日本の外では良く言ってもあんまり評判にならなかった映画を、案外、楽しんで観た。

「文学の散歩道」というのは堀辰雄がよく歩いた道のことで、追分には到頭いちども行かないで終わってしまったが堀辰雄文学記念館という建物もある。
もっとも宮崎駿の映画は矢ヶ崎やもっと東の群馬側が舞台で、軽井沢高原ホテルとかいう名前になって出てきたのは三笠ホテルだとおもうが、万平ホテルのディテールも加えて、用水も旧矢ヶ崎の用水と追分の御影用水 とを合成した細部をつくって、うまくスコットランド人たちがつくった小さな村「軽井沢」を表現している。

映画自体は、英語やフランス語ではほとんど「何の話だか、さっぱり要領をえない」というような評ばかりだったものの、日本語では、面白い映画評がたくさん書かれていて、特に付け加えることもないが、戦争前の三菱技師たちの生活が、スタジオのディテールに至るまで忠実に描かれていて、トーマスマンの「魔の山」のサナトリウムのイメージを日本の軽井沢にもちこみ、富士見高原療養所と重ねて、宮崎駿のもともとの美意識の源泉である「和洋折衷」の不思議な甘さ、はかない感じのするバランスに立った「近代日本がたどりついた華奢で壊れやすい美」をうまく表現している。

セテムブリーニとカプローニ伯爵を重ねてトレースしたのは、人間が空を飛ぶ夢に燃えて、次から次へ低馬力エンジンに悩まされながら最高に敬愛する岡部駄作先生が述べるところの「駄っ作機」を量産していた頃の飛行機に度外れた愛情を持つ宮崎駿でなければ絶対におもいつかない良いアイデアで、ニュージーランドの第一次世界大戦の飛行機のミュージアムの正面に座っているのもカプローニの実機だが、飛行機ファンにしかわからない、胸が熱くなるような人間の機械文明が希望そのものを体現していた時代への惜別の挨拶が伝わってきて、この映画が零戦についての映画だというバカもいる、というような相変わらず訳知り顔したり顔のひとびとの論評がたくさんあったが、あにはからんや、実は、この映画は仮面をかぶせてはあるが本質的には「扇のように軽い」と呼びたくなるような印象の、軽戦闘機零戦と、それを苦しみのなかで絞り出すようにして生み出した日本人という民族全体への愛情の物語なのであると思う。

実はヨーロッパ人の目からみると、話の構成の半分をなすヴァレリーの詩に基礎をなす部分が、期待外れというか、なんでそこでポール・ヴァレリーをもってくる構成にしたかなあー、と考える。

日本にいるあいだ、フランスの話になると、どの人もこの人も「シェルブールの雨傘」で、モニがよく、どうして日本では、あのあんまり出来がよくない古い映画のファンが多いのだ、と不思議がっていたが、そういうことや、ポップスやロックの話をしていると、「ビートルズは、やっぱりすごいですよね」とコーフンの面持ちで話す若い人たちに良く会って、そりゃビートルズは良い曲が多いけど、と憮然とした気持になったりしたのと事情はとてもよく似ている。

ジブリと宮崎駿のファンとしては、どう言えばいいか、そんなところでヴァレリーをだされては、名状しがたいやるせなさに襲われるというか、困るので、なぜ困るのか判らない人には、説明のしようもない哀愁を感じるから困る。
冴えない、というか、日本の美術をほめているときに必ず北斎をもちだす人がいるのと、やや事情が似ている。
三菱の飛行機の話をしているときには、素晴らしい歴史的認識においても美意識においてもハイディフィニションで話がすすんでいるのに、魔の山的な世界、ヨーロッパが登場する世界のほうでは、突然解像度が落ちて、がっかりさせられる。
「畳が生んだ」名戦闘機、軽戦闘機の傑作である零戦を表現するのに、映画は堀越二郎が設計する戦闘機が96式艦戦でとまるのは、宮崎駿のレシプロ戦闘機への造詣の深さをストレートにあらわしているが、ポールヴァレリーの「風立ちぬ」がここで出てきてしまっては、堀越二郎と本庄技師に、零戦の特徴について延々と会話させるのに似てしまっている。

ゾルゲにヒントを得ているらしく見える欧州人スパイにハンス・カストルプという「魔の山」の主人公の青年の名前を与えることによって、宮崎駿は、フェアなやりかたで、自分がなにを伝えたいと考えたか、日本の近代の何に哀惜の挨拶を送ろうとしているかを、すべての映画の観客に伝えている。
1918年にヨーロッパから永遠に去った文明の、小さな波紋が、極東の日本という国にも、信じがたいほどの美しさの文様を描いて起きていたことを宮崎駿は伝えたかったのである。
Spirited Awayの木造の楼閣もそうだが、カプローニの巨人機、あるいは実際には使い物にならなかったユンカースの巨人爆撃機G.38を細密に描くことで、宮崎駿は、「自分達の文明が失ったものはなにか」という美学上の意識を執拗に語りかけてくる。
そうして、その喪失感を正当なものだと感じる観客たちに、厳しく資格を制限した会員限定の誤解を許さない感動を与えようとする。

岩田宏には、

「火のなかに石像がある 石像と旗
 旗が裂ける 椅子が燃えはじめ 鳩が語る

   ぼくらの国ではおいらんを
   戸板にしばって川へながす。   」

という「ぼくの国では」という痛覚に訴えてくるような詩があるが、
近代日本の苦悩は、要するにそこから出て、この150年をさまよって、
数々の苦しみの痕跡としての、奈良ホテルのような和洋折衷様式の建築や、日本語でしか生まれえない湿った陰翳を西洋式の散文に盛り込んだ私小説で、文明の産物を残して、いまは孤独のなかで、ついに病んで、この世界から立ち去ろうとしている。

ちょうど芭蕉が自分の乾いた悲しみの感情を表現するのに、それまではせいぜい剽味の表現でしかありえなかった俳句をまったく違う定型につくりかえて、表現の容器としたように、宮崎駿がもともとは誰もシリアスな物語を伝えられるとは考えてもいなかったアニメという様式で、軽井沢という和洋が折衷された町を舞台に、その最後の伝えにくい哀惜を世界に向かって伝え得たことを、日本人は誇りにしてよいのではないかと思います。

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