壊れた英語について 

Discover Possible、という大きなサインが町じゅうのあちこちに掲げられている。
無論、英語として間違っている。
広告主はオークランドの数少ない大学のひとつオークランド工科大学です。
出稿前のチェックが甘かったのかというと、そんなことはなくて、店頭にもテレビにも、あるいはFMから流れてくる会話にも「文法を枉げた英語」は氾濫していて、流行、と呼んでもいいと思われる。

1995年に「Broken English City」という言葉が聞かれ出した頃には英語がろくすぽ話せない移民たちであふれだしたロンドンへの揶揄の言葉だった。
途中で、通りが、どんどん壊れた英語の会話で満たされてゆくのを見て「かっこいい」と思った若い人間たちによって「Broken English」はロンドンの魅力を述べる表現になってゆきます。

1983年にロンドンに生まれて、郊外の家とロンドンの家を行き来して子供時代を過ごしたぼくとしては、自分のなかにふたつの異なる感情があって、
大都市とは到底思えない、親しみに満ちて仲間意識の強い、1990年代半ばまでのロンドンへの拭いがたい強い愛情と、21世紀に変わった頃から加速がついた「Broken English」の街としてのロンドンの楽しさと、両方が好きでもあれば嫌いでもある。

フォルテがなくなって、本店の一階で好きだった紅茶を飲むことができなくなった。
シティから始まった仕事の同僚とコーヒーを飲む新しい習慣は、コーヒーバーの頃と異なって紅茶を飲む習慣を駆逐してしまった。

北へ向かってクルマで旅行するときに、たとえばヨークのスワンホテルに泊まって、強い濃いオレンジ色の夕日に染まってゆく競馬場の芝生を眺めるのは、子供の頃のぼくの大きな楽しみのひとつだった。
あるいはペンザンスの、なんとなくイギリス風に冴えない町並みを歩いて、見知らぬおっちゃんたちが、丁寧な言葉で話しかけてくれるのを楽しんだ。

連合王国人としての「一体感」は、しかし、人種差別どころかさすがに口に出すほどにはバカではないにしても、特にビンボ人の中年人たちにとっては自分たちの仕事を奪い医療制度や教育に払った税金を盗む存在にしか過ぎない外国人たちは集団で海外から自分たちの国から自分たちが積み上げてきた富を盗む存在でしかない移民たちへの敵意、もう少し常識がある層にとっても、なんとなく馴染めない「よく判らないひとたち」という閉ざされた感情の表と裏にしか過ぎない。

やがて街に中東人や東ヨーロッパ人たちが溢れだすと、飲み物がポットにコージーをかぶせた紅茶からスターバックスのコーヒーに変わり、インド料理がスコットランド、イングランド、ウエールズ、北アイルランドを結びつけるゆいいつの国民的象徴になって、ロンドンは否応なく「壊れた英語」の街になっていった。

役立たずで簡単無慈悲に述べれば社会のお荷物である老若男女ほど「移民は富を盗みにくる」「移民は特権を利用して我々からオカネをたかるだけだ」と言いたがるのは、どこの国のどんな社会も同じで、北はスウェーデンから南のニュージーランドまで変わらない。

現実は赤首族が述べるのとは正反対で移民は常に社会を活性化する。
前にも書いたが、ニュージーランドのモール(←ショッピングセンターのことです)で、配達は無料翌日と決まっているのに、おおきなおおきな50インチのサムソンのテレビを父親と母親が箱の両端を持って、絵に描いたよう、というか、ふたりのチビ子供がテレビを「えっちらおっちら」という面白い日本語の表現そのままに汗をかきながら運ぶ両親のまわりをくるくる走りまわって歓声をあげている。
虫のいどころが柔弱だったかなんだかで、ぼくは見ていて涙ぐんでしまった。

明日まで待てなくて、自分たちが大金を払って家族のために手にいれた大型液晶テレビの感動を味わうためには配達ではだめで、どうしてもクルマで家に運び込みたいインド人家族の昂揚した気持ちが見ているだけで伝わってきた。

移民の強さは「今日よりも明日、今月よりも来月、今年よりも来年は必ずよくなる」という自分たち生活全般への基礎的なイメージに拠っている。
「懸命に働けば生活がよくなる」という単純な考えほど人間の生活の質を高くするものはない。

60年代の日本映画を見ていると、夕方、丸の内の会社を出て横須賀線に揺られ、湘南の町に帰って来たサラリーマンの「おとうさん」が、畳のうえに立ってネクタイをほどき、着物に着替えて卓袱台の前に座って、小瓶一本だけのビールを、一口のんで、「ああ、ビールはうまいなあー。仕事が終わって家に帰ってきて、きみや、子供たちの顔を見ながら飲むビールほど旨いものは、この世にはないよ」と言うところがよく出てくるが、あの映画の「おとうさん」たちも「移民」で、鳥取の小さな田舎の町から東京にやってきて、マジメに働いて、東京人の白眼視に耐えながら、ぐうたらな東京人たちを横目に、自分たちの幸福をつくりあげていった。

いまの日本が、悪意と憎悪が渦巻く深い澱みになりはててしまったのは、つまりは移民を受け入れるのをやめてしまったからだろう。
かつては移民のオリジンだった九州も四国も東北も、皆テレビによって日の丸の赤と白で綺麗一様にに塗りつぶされた均一百円の「日本」になって、80年代にはまだ東京の大学から筑波の大学へお使いに行ったひとが、まだ新しかった筑波大学への道順を地元の人に聞いても、方言アクセントの強い日本語がほとんど一言も判らなくて、ほんとうに同じ日本語なんだろうか、と訝しみながら、まったくわからない日本語に、ニコニコしながら感謝を顔にあらわして頷くのは骨が折れた、と述べた日本の大特徴の「地方」は失われて、移民の流入のない、呪詛がぶくぶくと泡をつくって吹き出す汚水だめにような社会に変質してしまったのは他の言語のネットと日本語ネットを較べて一瞥すれば明らかである。

頑迷な連合王国人もオーストラリア人もニュージーランド人も、目の前にひたむきに働く中国系人や韓国系人を目にして、あるいはチャリングクロスに生き残った数少ない本屋で、おそるおそる切り出したセイドウ・ケイタの本のありかをびっくりするほど精確な知識で説明しながら、あまつさえ、電話をかけるべき、いまでは郊外に分散してしまった古書店と電話番号のリストをつくって手渡すロシア人の若い女の店員をまじまじと見つめながら、当然、店主の名前には知っている名前がいくつもあって、じーちゃんたちの偏屈な態度や眼鏡をずりあげるときの可笑しなやりかたまで、笑いあいながら、まるで何世代も知っている家の息子と娘同士の会話であるかのように、打ち解けて、暖かい気持ちになって話したりしているうちには、イギリス人ほどのバカタレでも「人間は、人種や所属文明によらず、要するに人間なのである」という、芋虫でも理解していそうなチョー簡単な真実を理解したのだと思う。

ロンドンやオークランドの英語は壊れてしまったが、そのことを誇りに思う。
壊れた英語は、壊れていた社会を、希望やひたむきさという新型接着剤で、修復してしまった。
移民の特権がなんちゃらでホワイトパワーというアホさまるだしの造語まで流行らせて、どんなに移民たちに対して悪態をついて、壊れた英語を嗤っても、今日と明日が同じであることをひたすら願うマヌケたちと明日が必ず今日よりもよくなると信じている移民たちとでは、結果は未来の先まで歩いていかなくても見えている。

善意と希望を保存しえた社会だけが「勝って」ゆくのは、「本音」や「裏」に通じて、見るからにケーハクで悪意に満ちて、知性が欠落した日本語表現で言えば「お花畑」に生きる国民を着々と征圧しているはずの「現実的世界」と正反対の、本当の「現実世界」の歴史で、ドアを閉ざして、ブラインドをおろして、暗い部屋のなかで空想のなかで自分を皆が憧れるヒーローとみなして、自分と少しでも異質なものは拒絶する社会は、次第に世界の進歩から置き去りにされて、滅びていった。
人間は不思議な生き物で、結局は善意によってしか生き延びえない。
食べ物だけで生きていけないという、この地上でゆいいつの愚かさをもっていることにこそ、人間の価値があることを、まるで知っているかのようです。

Discover Possible、というビルボードのサインがある壁の下に、
White Powerという、ペイントスプレーのグラフィテイがあった。
移民英語に影響をうけたという説明があった「壊れた英語」の下に殴り書きされた、惨めな落書きの文字は、良い対照で、悪意というものの本質的な脆弱さを示している。

きみとぼくとは話す言葉が違うが、同じ人間で、ぼくがきみの言葉を習得したように、きみが外国語を学べば、たくさんの希望に出会うことができる。
ある日、きみがぼくのいる町にやってきて、偶然、マリーナの桟橋で出会って、チョー気楽な気持ちで、セントヘリオスに新しく出来たベーカリーの話をしたりするときを楽しみにしています。

Discover Beautiful.

なんちて

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2 Responses to 壊れた英語について 

  1. midoriSW19 says:

    いま息子の大学の寮に来ていて、読めと言っても読みゃしないので隣で朗読してやった。彼は言語学と英文学と哲学を勉強している。どうだったと聞くと、リングイストとしての立場からの感想だけど、と前置きして以下のように述べた。

    言語学的には「Broken English」というものはない(というのが彼の大学の言語学ファカルティの立場)。言葉というものは変化・進化していくものであり、その変わっていくことこそが言葉の本質である。つまり、デフォルトのイングリッシュもなければブロークンのイングリッシュもない。ある人が外国から来てイングリッシュのオリジナルに沿ってイングリッシュを使えば、オリジナルと異なるものになったとしてもそれはイングリッシュである。

    もちろんその時々のトレンドのイングリッシュはあり、それが定着しない場合も多いけれど、それを使う人の数が増え、使われる期間がある程度の長さに達すればそれはイングリッシュになる。言葉は本質的にデモクラティックなものである。

    加えて、英国人の自虐がよく表れていて「芋虫w」だそうです。

  2. snowpomander says:

    いまここ:2016年3月27日。バイパスして去年に停泊。
    サラリーマンが帰宅して食事の後にランニングシャツ姿で銭湯に向かう。夏なら一週間に二回ほど、冬ならおそらく一回、銭湯に浸かり近所の顔見知りと会話する。60年代の下町のサラリーマンの寛ぎの定番に晩酌のビールは無く、それは来客や祭りのものだった。ステテコにランニングシャツ、今ならジャージーの上下かユニクロのTシャツというところでしょう。都心の丸の内や霞ヶ関に通うサラリーマンは庭のある借家か持ち家に戦前から住んでいる人が多かった。
    高価で希少価値があったテレヴィジョンは街頭や飲食店に置かれていた。レスリングの中継目当ての客が蕎麦屋や食堂にくる、街角に人々が群がる人寄せの道具でした。アメリカのホームドラマの豊かさがモノクロームの画面から、冷蔵庫に洗濯機に自家用車そしてアイスクリームやコーラと溢れて来る。
    豊穣さを超えた物質格差の浸食を受けた戦後の日本人の生活は、はしょって言えば言葉の崩壊に至りました。これは1961年に銭湯に通う家族に一員であった私の個人的な感想でございます。
    言葉と一緒に心映えも崩壊する様を見てきました。言葉の変遷には若さの輝きもやけくその穢土も同時進行する、それをテレヴィジョンは食卓の前に居並び見る大人にも子供にも等しく提示し、現在もしています。来客のもてなしにテレヴィジョンのスイッチを入れ画面の前の席に誘う、これは今も健在な習慣でしょう。最大の惰性的習慣は起床からから就寝までテレヴィジョンがスイッチONされていること、仕事を終えて帰宅し最初にすることはテレヴィジョンのリモコンに触ること、近年に至っては携帯やスマートフォンを片時も離さず誰かと何かと繋がっていられずにはいられない世相へと進化しています。テレヴィジョンやヴィデオの画面に幼い子供や乳飲み子の子守りを任せるのは今も続いている。子供たちの柔らかい脳に一方通行の言葉が注ぎ込まれコミュニケーションの始発点に奇妙なアプリケーションが書き込まれて行く。

    さらに端折ります。日本に蔓延している「無かったことにする」方便の「痛みの分かち合い」や「美しい国」や「取り戻す」等など、安全な「風味」添加物満載空疎なスナック食のような甘さがある。一口食べると止められない連鎖、姿なき蜻蛉の巣に墜ちる蟻んこさん。

    熟んだ体制や自らの人生を捻る言葉の変遷は歴史の面白さ、膿んで行く末を糊塗する言葉も歴史の面白さ、これからの言葉は何語であっても面白さは歴史になることでは無いと思う。

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