バラックでお茶を

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マンチェスター両軍にガナーズとレッズも連勝!
という記事の見出しを見て、しばらく意味が判らなくて困った。
もともとフットボールには、あんまり興味がないせいもあるが、マンチェスターは、いつのまにか独立して、陸軍と海軍をもっているのかしら、というふうにヘンなことを考えたのでよけい判らなくなった。
30秒ほど考えていて、ああ、マンチェスター・シティとマンチェスター・ユナイテッドが両方勝った、という意味なのだな、と腑に落ちた。

読売巨人軍、と言う。
蒐集したむかしのPC雑誌を見ると、無敵インテル怒濤の進撃!、と書いてある。
超弩級、はよく出てくる日本語表現だが、「弩級」はHMSドレッドノート級という斉射、高速性において革命的な性能を持ったイギリス海軍の戦艦のことです。
旧大日本帝国海軍は、それまで手持ちの軍艦が一挙に陳腐化して「頭を金槌で擲られたような」深刻な衝撃を受けるが、その記憶がいまに反響して、「これが超弩級の胸がでっかいねーちゃんでさあー」という中年おっさんの居酒屋でのセクハラ自慢話の木霊になっている。

前にも書いたがバートランド・ラッセルは教育に興味がある人で、1920年、改造社の招待で日本に来たときにも初等・中等教育を見学しているが、前へならえ、起立、礼、の教室の様子を見て、
「兵士養成所でしかない。これほど危険な学校をみたことがない」
と書き残している。
ラッセル卿に生涯つきまとった日本への深い軽蔑は、結局、ケンブリッジで知り合った日本学者のドナルド・キーンと、意気投合し、思考の波長がぴったりあって、毎日のように会って昼食を一緒に食べたり、パブでエールをちびちびやったりしたあとでも変わらなかったが、
そのおおもとは、この1920年の訪日のときに目撃した日本の軍隊社会ぶりに淵源を持っている。

前へならえ、ラジオ体操第一、朝礼、人間ピラミッドに至るまで、軍隊そのままの学校生活は、日本のテレビや映画、雑誌や本を読んでいると、少なくとも1970年代までは変わらなかったようだ。
給食も「日本の学校の美点」として語られることが多いが、
「皆で同じ食事を一緒に食べることによって集団の規律や協同の精神を学ばせる」とあって、なんだか恐ろしげであると思う。
読んでゆくと、45分だかの昼食の時間に、15分で昼食を終わりにして、残りの30分を校庭でのボール遊びにあてる、というようなことが不文律になっている小学校があって、ゆっくりしか食べられない大庭亀夫のような反逆児童は、教師が先頭に立った集団いじめにあったもののようである。
日本の学校の教室は当時50人(←すごい)学級だったようだが、担任教師は尉官で、一学級は一個小隊、小学校6年生の担任になった新任の若い教師は差し詰め、小隊を苦労して率いる経験の浅い少尉というところだったろう。
日本帝国陸軍は「ホシの数よりメンコの数」と言って、階級よりも経験で、士官学校を出たばかりの若い少尉では、到底学校生活を6年も生き延びた12歳の古参兵たちを御することが出来なかった。
日本で「荒れる教室」が出るのは、つまりは、軍紀が弛緩することによって、軍隊組織の性質に原因して言うことを聞かなくなった、軍の指揮系統に従わない小隊なのだと考えるとわかりやすい。

世界中どこの軍隊でも似たようなものだが、日本帝国陸軍の兵士を最も苦しませたのは戦闘よりも兵営での日常だった。
まだ戦争中の記憶が明瞭だった頃につくられた映画には生々しい映像として出てくるが、とにかく、理由などなくても毎日殴られる。
特に「地方」(日本軍では奇妙なことに民間社会のことを「地方」と呼んだ。隠語でもなんでもなくて普通の用語です)にいるときに良い暮らしをしていたり、綺麗な奥さんをもっていたり、旧制中学を出ているような高学歴の兵卒は、目の敵にされ、古参兵たちは全身の嫉妬をこめて毎晩毎晩力の限りぶん殴って、卯建があがらなかった自分の一生を渾身の暴力にこめて、娑婆では幸運だった若者たちを半殺しになるまで殴り続けた。

1943年後半、「西洋列強」の軍隊の表面だけを模倣して、いわば書き割り建築の近代戦力をつくりあげて、零戦に代表される、おもてのわかりやすくて華やかな軍事力だけを誇って軍隊の運営に必要なロジスティックスを理解できなかった日本軍は、陸軍全軍が深刻な飢餓に陥って世界中の至るところで戦死者数に数百倍する餓死者を出していくが、もうひとつの日本軍兵士の死因の特徴は自殺者の多さで、統計が残っていないが、兵士たちの証言を読めば、どうやら徴兵されて同年兵の自殺を目撃しなかった人は稀なようです。
まるで現代日本社会のようである。

「絆」という日本政府の泥田の情緒でべっとり濡れた言葉を聞いて思い出すのは、軍隊でも戦友の「絆」が強調されたことで、毎晩殴られて、自分が殴るのがめんどくさくなると、ときには同年兵同士正対させられ、お互いの顔を力いっぱい殴ることを強制された者同士、戦友の「絆」は格別で、その結果、悲惨を共有した自分の分隊のためなら自分の生死を顧みないのは日本兵士の強さで、福島のひとたちが危険な食べ物を食べるしかないなら、自分たちも同じ危険を分かち合わないわけにはいかない、という旧軍以来の日本社会の伝統が、思わぬところで顔を出したのでしょう。

内務班の跫音が夜の暗闇の世界は、戦争が終わっても、日本社会の根幹として残されたもののようでした。
軍隊に代わって今度は企業が受け皿になった。
英語世界でドキュメンタリを通じて有名になった日立の新人研修は1980年まで続いたというので1958年生まれの社員、いま57歳の人までは、褌ひとつに裸にさせられて、冷たい川の水に飛び込み、「わたしはバカになります。わたしはバカになります。わたしはバカになります」と絶叫させられたという。

パナソニックもトヨタも、言うまでもなく同じようなもので、日本の企業に過労死が多いのも、社員が兵卒であれば、たとえばプロジェクトリーダーは下士官で、負担がおおきく、優秀な下士官ほど戦場での戦死率が高かったように、過労死で死ぬ社員がおおきいのは、残酷な言い方をすれば当たり前だということになる。

余計なことを書くと、吉田健一だったか、1945年、海兵団に、日本の戦争が負けがこんできて、若い者はみな死んでしまったので、いいとしこいて徴兵されて、入営してみると陸軍も海軍も似たようなもので、毎日毎日ものも言えないほどぶん殴られて、こんな国、早く負けないかなあーと思って甲板に立っていたら、向こうから若い士官が歩いてきて、敬礼すると、答礼もせずに歩き去ったあとにオーデコロンの匂いが残って、えっ、と思って士官の立ち去る後ろ姿を思わずみたら、その腕には金色のブレスレットが光っていた。

あるいは撃墜王坂井三郎の書いた本に繰り返し出てくるのは、士官と坂井たち兵卒パイロットは食べる場所も献立も別で、空にあがれば技倆未熟な士官パイロットを庇ってたすけるのはベテラン兵卒パイロットであるのに、兵卒でしかないエースパイロットたちが「これが人間の食い物か」と言いたくなるような食べ物の不味さに辟易している一方で、士官たちは酒を酌み交わしながら厨房の兵士たちが釣ってきた新鮮な魚を食べている。

一般に日本の帝国陸海軍では、将校と兵卒は別の国の人間のように文化・習慣・ものの考え方までまったく異なっていて、映画を見ていて、よく知られていないらしいと感じたことを言えば、暴力が蔓延した旧軍でも、将校が兵卒を殴るということはありえなかった。

日本社会全体と酷似した軍隊生活をつぶさに見ていきながら何度も考えたのは、「日本人は軍隊以外に近代社会のモデルを持たなかったのではないか?」という疑問でした。
明治の「御一新」で江戸幕藩体制が崩壊して、それでも有効な社会を急いでつくらなければならないと焦った明治政府は、自分たちに
欧州の共同体のなかで最もわかりやすかった「軍隊」を自分たちの軍隊だけでなく社会のモデルとして取り入れてしまったように見えます。
一年の短期留学は言うにおよばず、10年やそこらの欧州生活で、欧州が拠っている社会の仕組みが判るわけはない。
ヨーロッパ文明は、ただでさえ不可視の部分が圧倒的な文明で、20年くらいも住んでから欧州人の底冷えのするような魂の根底にある冷たさを理解して呆然とする、というようなことはよく聞く。
いまの目からみるとケーハクを極める森鴎外の滞欧生活の報告を見ても、森林太郎が持っていた当時の日本人とは桁違いの知力を考えれば、軍隊以外の組織運営法を、もともとヨーロッパの文明とは縁もゆかりもない日本から留学してやってきた日本の若者たちが理解する術がなかったのは当たり前で、結局は最も可視部分がおおきい軍隊というモデルを社会にも企業にも採用せざるを得なかったのでしょう。

その結果、日本社会は国がまるごと巨大な兵営になって、「個人」が存在しない、全体が優先する、規律正しくて整頓整理が行き届いている、..という「日本社会の特徴」は軍隊の特徴そのもので、日本の社会は軍隊そのものなのだと考えれば、ようやく人間らしさを見せ始めた「ゆとり世代」への悪罵や嘲笑も理解できないことはない。

日本に住む外国人が一様に驚いて話題にする、悪意と憎悪が充満して「自分たちと同じことが出来ない人間」「自分たちと異なる人間」に対するびっくりするような敵意が蔓延する社会も、桁外れに偏狭なものの考え方も、軍隊に閉じ込められた兵隊のものだとおもえば簡単に説明がつく。
あるいは個人としての自分にもどったときの親切さや子供のような純真さ、まるで無防備な感情の表出も、やはり軍隊生活を送ってきたひとのものだと考えれば容易に得心がいく。

将校たちも、もちろん存在して、件の「トーダイおじさん」たちは気楽なもので、「ガメちゃん、インターネットで出会う日本人なんてロクなもんじゃないんだから相手にしないほうがいいよ」とひとりが言えば、他の人が「バカがうつるぞ」と言って笑っている。
あんまり書いてはいけないような気がするが、「早稲田、慶応ってのは下士官学校だから」と述べ合っていて、横で聞いていて、へえ、と思う。

大リーグへ移った当時の野茂英雄への社会の底からわき起こってくるような、なんにも理由がない、すさまじい非難と悪罵も、脱走兵への憎しみだと考えれば説明がつきそうです。

典型的な官僚社会でもある軍隊社会をゆいいつの近代社会モデルとしてここまでやってきた日本は世界が水平的分散的な姿へ変容していくにつれて、変化に明らかについていけなくなっている。

対応はふたつの方途しかなくて、昔に返って引き締めることにして、さらに先鋭に軍隊化してゆくか、乾坤一擲、解軍して、国民ひとりひとりの理性のなかに眠る文明の力に信頼して再生するか、どちらかでしょう。

ほら、インターネットでも、テレビの画面のなかでも、おなじみのあの声が響いている。

まえええええー、ならえっ!

前へ倣って、一蓮托生、みなで崖から落ちないことを祈っています。

(やすめ!)

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One Response to バラックでお茶を

  1. AK says:

    概ね正鵠を射る内容であると存じます。

    某巨大企業集団の中途除隊兵より。

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